Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

古代のロマンを求めて別府川探索(1) 2011年9月30日

2011-09-30 07:32:29 | 日記・エッセイ・コラム

今日は朝から一日中、降ったり止んだりしながらも、まとまった恵の雨となった、小生、この3,4日は午前は“おひさま”、短縮版“あさイチ”、衆・参両院予算委員会国会中継を観て、昼食後暫らくして郷土探索ウオーキングに出かけるのが常となった、但(ただ)し、家内の買い物のお供がない場合だが・・・

歩いて5分ぐらいの近所にセブンイレブンが出来、広い道がつけられ市街開発の波が寄せてきた・・・

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特に国会中継が面白い、行政官僚の監督・脚本のもとに、野田佳彦総理主演、安住淳財務大臣助演、内閣閣僚らが脇役をかため、参考招致人らが花を添え、各与野党国会議員ら質疑応答担当者らが絡み、筋書き通り、名演技を演じながら展開される“人間大河ドラマ”もどきを観るのが楽しみである、誰がグランプリを獲るのだろうか?誰がどの様な賞を受賞するのだろうか??・・・

衆参予算委員会での審議は出尽くしたか?今日の国会中継はなかったものの、今日の午前、国会に“原発調査委員会”を設置する関連法案が参院本会議で全会一致で可決・成立したようだ!この調査委員会はこの度の東電福島第一原発事故の原因究明と検証を目的として設置されたものである・・・

国会議員を含まない民間の有識者10人の委員で構成され、関連団体や機関から必要な資料を要求したり、併設される衆参両院議院運営合同協議会に原発事故関係者を参考人として招致して、証人喚問出来る強い権限が与えらるらしい、どの様な人選になるのだろうか?うまく機能すれば良いが・・・

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この度は、一昨日と昨日の2日間にかけて、今工事中の新別府川から離れ、旧別府川の流域を散策して行った、この2日間の目標は、その水源池とされる“駅ヶ池(うまがやいけ)”と“白ヶ池(しろがいけ)”を着き止め映像に収めのが目的であった、駅ヶ池のほうは以前から話に聞いていたので簡単に1日目に見付かった!しかし白ヶ池の方は苦戦に苦戦を重ねた末やっと2日目に辿り着いた!その時は既に陽は沈み暗がりの中での映像取材となった!・・・

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28日午後3時頃家を出て、今、北に迂回された加古川バイパス東播磨南北道路(加古川と小野を結ぶ総延長12.5kmの高架高速道)を複雑に絡み合うジャンクション架設の大工事が着々と進められている、確か2007,8年頃からだっただろうか?東播磨南北道路高架橋の本格的な工事が始められてから、もうかれこれ3,4年の年月が流れる、その“加古川中央JTC(ジャンクション)”工事現場を横目に見ながら、その直ぐ南で白ヶ池川が別府川に流れ込む合流地点に加古川バイパス沿いに歩いて直行した・・・

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昔、この地はよく洪水に見舞われていたらしく、合流地点の近くに架かる“荒神橋”の横には、厄除けのための“間形の荒神さん”と呼ばれる小さな神社が鎮座している、お社(やしろ)には荒神神社の神様の他に大歳(おおとし)神社の神様と日岡神社のエリート神様が分身されて祀られている、今でも毎年「荒神さん、災害からお守りください」と祈願する“御頭(おとう)”と呼ばれる祭事が行なわれるとか・・・

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そこから山陽本線JR神戸線の高架下を通って坂元のマックスバリューで用をたしてから、二国(国道2号線)のすぐ北側を並行するように伸びる旧山陽道に入り、その街道を東へ急いだ、昔、加古川第九の合宿で宿泊したことある播州薬師霊場第八番札所、念仏山・教信寺(きょうしんじ、836年建立)に立ち寄った、そして境内の裏手に回り懐かしい“ムシーク・ハウス音楽の館(やかた)”を暫し眺めていた、中からはピアノとチェロの音色が聞こえていた・・・

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更に東へ進み、野口城があった野口神社を覗いたあと、二国に出て、直ぐ南に別府川の水源池のひとつ“駅ヶ池(うまやがいけ)が見えてきた☆それを横目に観ながら”今では加古川屈指の二国沿いに栄えた繁華街を西に進み、教信寺の直ぐ南にある、野口JA前交差点まで行った、そこを左折して駅ヶ池に沿って南下し、オオクラ輸送機の前を通って、古大内(ふるおおうち)の集落の方へ進んだ、そして右手に小さな“(だん)の森”のなかに古大内城跡の一画でもあった“大歳(おおとし)神社”を発見した・・・

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奈良時代後期以降、ここら一帯には駅馬40疋(ひき)が置かれる、当時我が国最大級の“鹿古の駅家(かこのうまや)”が在った、また弥生時代から平安中期までの多くの土器や瓦や遺構などが出土した“古大内遺跡”も広がっていた、今では遺跡あとは埋め立てられ、出土品は大中の県立考古博物館に展示されている、また大歳神社脇に大きな礎石が今でも在り、播磨国司統制下にある播磨国分寺クラスの寺院があったともされている・・・

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家路に着く頃には陽はスッカリ沈み、街の灯(あかり)が燈っていた、この日も、どれぐらい多くの通りすがりの人々に取材をかけたことか、5人は下らないだろう、感謝感謝の思いで一杯だった、昨日29日、苦労の末、やっとの思いで辿り着いた☆もう一つの別府川の水源池“白ヶ池(しろがいけ)“の記事は明日投稿することにしよう・・・

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新井(しんゆ)用水路探訪 2011年9月26日

2011-09-26 16:02:21 | 日記・エッセイ・コラム

一日遅れの投稿になりしが、今日の設定で書き進めていくことにしよう、今日は五ヶ井用水路を離れて新井用水路の散策に朝8時30頃家を出かけた、過去にも昨年の加古川ツーデーマーチの記事にも、この新井用水路を紹介しているので、また小生、氷丘地区近辺の新井(しんゆ)用水路脇を巡る新井(あらい)緑道は歩き飽きているので、今日は多少映像が前後するが、日岡神社以北、曇川樋門近くから新井用水路を中心に探索することにしよう、ああ、ややこし・・・

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別府港に流れ込んでいる別府川(べふがわ)は、もともと水足にある白ヶ池から流れる白ヶ池川(しらがいけがわ)と、もう一つ、野口・坂元の旧山陽道(奈良時代までは西国街道と呼ばれていた)の南側にある“駅ヶ池(うまやがいけ)”に水源があったとされている、その西隣には40頭もの馬がつなげる、当時最大規模の“鹿古の駅(かこのうまや)”跡と“古大内城跡がある、今はその一角には大歳(おおとし)神社が建っている、その辺り一帯には“坂元古代遺跡”が広がっていて、平成15年には発掘調査されている、今は埋め戻されているが、そこから掘り出された太古の埋蔵物は大中の県立考古博物館に展示されている・・・

加古川卸団地の直ぐ南を走る加古川バイパスの下をくぐって白ヶ池川別府川に流れ込んでいる合流地点がある、その合流地点から北へ加古川バイパスの下を流れる新別府川が北条郷の治水のために堀り進められて来たのである、その新別府川は加古川卸団地から大きく西へ湾曲して、加古川北高と氷丘中の南を通ってから、先日その写真を貼り付けた大野穴バリ1号橋からJR加古川線に沿って北へ伸びてきたのである・・・

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1656年に姫路藩主・榊原忠次が農業用水路として完成させた新井用水路は、607年に聖徳太子が増築した五ヶ井用水路と同じく、五ヶ井幹河としては曇川樋門に起点を持つものの、今の加古川大堰のあるあたり、草谷川と加古川本流が合流する草谷川樋門(草谷の堰)にその源を発っしていた、聖徳太子は的確な勾配をつけるため刀田山・鶴林寺(とたさん・かくりんじ、高さ:18m )の三重の塔の天辺と、レベル計測器?で測ったのかどうなのか?水平になるように、草谷の堰に“太子岩”を設置している☆かしこい・・・

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草谷の堰から西側に五ヶ井用水が、東側に新井用水が、寄り添うように南へ流れ出していく、神野西で逢った長老との話によって、小生の新しい発見として明らかになったことだが、五ヶ井用水は神野西・二塚橋でなんと、いったん曇川に合流していた!その流れの何箇所かに立つ“五ヶ井・新井溝手絵図(江戸時代文化13年西暦1816年作)”に目を通してこのことを確認した!・・・

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その絵図を更に詳しく観ていくと、五ヶ井水路は二塚橋で曇川に合流して曇川樋門に達すると、曇川分水門をくぐって、中津溝、大野溝、下郷溝筋の3つの水路に分水され、更に岸南筋、河原村溝、寺家町溝、篠原溝、間形溝、加古の庄溝に分水され、更に友沢溝、木村溝、泊川溝、今福溝、北在家溝、安田溝、備後溝、植田溝や長田溝など複雑な網の目のように分かれて最終的には播磨灘に流れ込んでいく・・・

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それに対して新井用水は草谷川の堰を出発すると、やや東へ東へ傾斜するように流れながら、電車道1本!下西条→二塚村→西の山→大野村→水足村→坂元村→天王寺村→長砂村→古大内村→二ツヤ村→二俣村→山の上村を通って現在の別府町の隣にある加古群・播磨町に入る、そこから大中村→野添村→中の村→古宮村から最終地点である“大池”へ流れ込んでいく、わかやすい・・・

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さて昭和59年から昭和61年に懸けて道路整備事業工事が行なわれ、新井用水路沿いに新設された新井緑道を水足の“聯隊(れんたい)橋”から北へ加古川北高→加古川バプテスト教会→日岡神社西側を通って曇川へと、さかのぼって行こう、この聯隊橋の100m南には旧陸軍高射砲三連隊の基地(現在は、ハリマ化成が建つ)があった・・・

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新井用水は田畑を縫って浄水ポンプ場そばの神野橋が架かる曇川に沿ってさか登って行った、近くまで来たのでついでに、神野橋まで行く前に、先日はホテル山彦への坂を登って廃業状態の荒れた敷地と建物を見てきたが、今日は手前のホテル山荘へ通じる綺麗に剪定されたアクセス道を登って行った、たまたま郵便物を取りに出てきた50歳代の男性管理人に会って話しながら敷地内を見せてもらった、彼の話では矢張り隣の山彦は廃業していた・・・

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このホテルの経営状態はすこぶる良さそうで、庭も建物も生き生きしていた(夜にはピンクのネオンサインも燈っている)☆坂を登りきったところにある空き部屋状態が一目で分かる部屋番号が一まとめに並んだでっかいパネルがあった、そこには使用中の部屋番号のランプが明々と燈っていた☆今日日曜日の午前は稼ぎ時ではないのだろうか?全15部屋ぐらいあるなか、3つか4つの部屋番号にしか点燈されていなかった☆善いのか悪いの?小生70歳まで生きてきて、一度もこのような所へ足を踏み入れることはなかった・・・

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更に曇川に沿って流れてくる新井用水を加古川医療センターの方向へさかのぼって行った、なななんと、二塚橋のたもとに新神野の方面からとうとうと流れる五ヶ井水路が曇川へ流れ込んでいた!ここで小生、初めて五ヶ井用水が上流の草谷の堰から来ていることを発見し実感した!更にさかのぼり、“高”橋(たかはし)の下を新井水路は曇川に沿って北東の方向へ伸びていた・・・

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高橋から曇川の土手に降り30mほど新井用水の上流を追った、すると水路が突然消えた!そこには水の流れが土管の中から湧くように出いていた!向こう岸から曇川の下をくぐって伸びるサイフォンとも言う“埋樋(うずみび)”が見えた、はは~~ん、これが昔は木造の“筧樋(かけいひ)”と呼ばれる架け橋の役割をするものかと悟った・・・

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高橋へ戻って向こう岸に渡って、その埋樋へ廻った、そこには大きなドラム式ゴミよけ堰樋があった、取材撮影していると、突然轟音と共に堰樋が開き始め、見る見るうちに水位が下がって行った、この辺り神野西には納庄という姓が多い、野良仕事をしている82歳の長老と座り込んで堰樋のこととか、村のことなどを聞きながら暫し話し込んだ、時々その樋に絡んで溜まったゴミを取り除いて焼いているとのことだった、その長老も納庄姓で、神野西集落の100軒中37軒が納庄姓であった・・・

小生、山手中学校時代、直ぐ後ろの席に、淡い恋心を抱いたお眼目がくりっとし、おさげ髪の納庄まりちゃんが座っていた、23歳の頃、加古川線の電車の中でバッタリ逢い!文通を交わしたのち、5回ほどデートをしたことがある、一度まりちゃんは小生を、確かこのあたりの彼女の家へ招待してくれ家族に紹介してご馳走してくれた☆・・・

その後、手も握ることもなく彼女と別れてアメリカへ旅立ってしまった、カナダから帰国後何年か経って同窓会があった、その時まりちゃんは欠席していた、同じ納庄姓の彼女の友人に尋ねると、まりちゃんは結婚して明石に住んでるとのことだった、その長老はまりちゃんとはいとこ同士の親戚で、まりちゃん宅のすぐ近くに住み、まりちゃんのことをよく知っていた、まりちゃん家族は今小生宅から近い西大野に住んでいるらしい、まりちゃんはどんなおばあちゃんになっているだろうか?・・・

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12時前になろうとしていた、家内から突然、携帯に電話が入り『今、何処におんの?何してんの?何時までうろちょろしとるんや!はよう帰ってこんかいな!』、午前中に買い物に出かける約束をしていたを思い出してはいたが、変更して昼から行こうと連絡を入れようとしていた矢先だった、遅い昼食を食べてから、いつものようにサクラと一緒にマルアイとニッケパークタウンに出かけた・・・

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38回ベルリン・マラソンでマカウが2°03′38″の世界新記録を樹立☆ 2011年9月25日

2011-09-25 23:34:27 | 日記・エッセイ・コラム

今日、男子マラソン界に衝撃となるビッグニュースが流れた・・・38回BMWベルリン・マラソンが2011年9月25日日曜日に最高気温24℃の厳しい炎天下の下で行なわれた!今年からBMW社が公式メインスポンサーになったらしい、レースは飛び出しから5kmラップを14分台で刻んで、その後もそのままのペースで最後までキープする高速レースになったようである・・・

まず5km地点をなんと14′36″で通過した、10kmを29′17″(14′41″)で、15kmを43′51″(14′34″)で、20kmを58′30″(14′39″)で、中間地点を61′43″で、25kmを1°13′18″(14′48″)のハイペースでカバーしていった!27kmからパトリック・マカウ(26歳、ケニア)が、10ヶ月ぶりにレースに復帰してきた、2°03′59″の世界記録保持者、ハイレ・ゲブレシラシエ(38歳、エチオピア)など2位以下を大きく置き去りにして独走態勢に入って行った!・・・

マカウはそのまま、14′20″という恐ろしいハイペースで飛ばし30km地点を1°27′38″で通過していった!余りのハイペースに誰一人としてマカウを追うものはいなかった!35kmを1°42′16″(14′44″)で、40kmを1°57′15″(14′59″)で通過した!そのペースをキープしたまま最後の2.195kmを6′23″でカバーして!後のハーフを62′55″で刻み!ブランデンブルグ門をくぐって!ななな~~~んと!ゲブラシラシエのタイムを21秒も上回る2°03′38″の世界新記録を樹立してゴ~~~ル☆☆☆・・・

なんと2位から4位までもケニア勢が独占したらしい!マラソン界における動かぬケニア黄金時代が到来である!しかし2位以下のタイムはそんなに抜きん出ているものでなかった、2位Kwelio のタイムは2°07′55″で、3位Kimiyo のは2°09′50″で、4位Limo のは2°10′38″と平凡なタイムだった、ハイレ・ゲブレシラシエは高速レースについていかれず途中棄権したらしい!しかし引退は撤回したとか、日本人トップは58位2°27′39″のSaeki Tsutomu 佐伯勉?だった、Saeki Tsutomu って誰あ~~れ?・・・

女子では日本でも御馴染み、テグ世界陸上(8月27日~9月4日)金メダリストのフローレンス・キプラガト(31歳、ケニア)が2°19′44″で初優勝している☆2位は2°22′18″でドイツのMikitenko (GERドイツ)だった、2年ぶりのマラソンレースに復帰してきた2°15′25″(2003年)の世界記録保持者ポーラ・ラドクリフ(37歳、イギリス)は2°23′46″で3位に入った、日本人選手トップは大久保絵里(28歳、セカンドウインドAC)が9位2°28′49″のタイムでゴールした・・・

今日あの仙台育英とトヨタ自動車九州(2008年7月退社)で育った、偉大な世界屈指の長距離ランナー、サムエル・ワンジル(24歳、ケニア)が今年5月15日に自宅のバルコニーから転落し全身を強打して亡くなっていたという訃報が流れた!彼の頭には傷はなく、報奨金を狙った他殺説の疑惑もあるらしい!彼は北京五輪2008のマラソン金メダリスト(2°06′32″)である☆彼は2009年4月のロンドン・マラソンで優勝し、2°05′10″の自己ベストを樹立している☆ゆっくり休んでください・・・

今日ここ加古川は最高気温26℃、最低気温19℃、湿度65%と蒸し蒸し暑~~い一日だった、そんな中、小生、23390歩の15.2kmを歩き、796kcal のエネルギーを燃やして、“新井(しんゆ)用水路”を中心に徹底取材してきたが、その投稿記事は明日アップすることにしよう、大スクープもあるよ(-_-)zzz・・・

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新五ヶ井幹河探訪 2011年9月23日

2011-09-23 21:34:28 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜はタオルケットでは涼しさに耐え切れられず夏布団をかぶって寝たが、今朝は穏やかに晴れ渡った秋分の日であった、墓場が込む今日を避けてお彼岸の墓参りは昨日済ませておいた、今日も飽きもせず新別府川沿いの新五ヶ井幹河探訪に出かけた、まず我が家から歩いて5分ぐらい、JR加古川線、日岡第3踏み切りを渡って直ぐにある、穴バリ1号橋(きょう)脇の大野第一分水ゲートの光景である・・・

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そこから北へ新別府川を上流に向かってさかのぼって行くと、穴バリ2号橋脇に日岡第4踏切がある、そこから30m位のところに、杭が立っていた、そこには“七つ杭 終点”と“美之利・間形水利組合、平成元年五月吉日”と彫られた2本の杭が立っていた、そこから上へ行った直ぐのところに大野第2分水ゲートがあった、そこには庭石を積み上げたような名もないらしきものがある、氷丘地区の名所にならんかな?無理か・・・

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さらに上(のぼ)れば日岡駅プラットホームの直ぐ手前に踏切とイトミ1号橋がある、そこから日岡駅前に出ると早瀬1号橋早瀬2号橋が20m間隔で架かっている、現在のところ新五ヶ井幹河はこの二つの橋の間まで完成している、それから先はその2つの橋の間に仮の架川橋が向こう岸に渡っていて五ヶ井幹河に繋がっている・・・

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それから先日訪れた新別府川工事最終工事現場へ加古川線線路から侵入して、より近いところから、台風15号が生々しく残した、溝側面がえぐれた七ツ杭分水ゲートの洪水跡のショットを撮った・・・

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ここから新別府川は更に北に向かって掘り進まれて行き、400m先に新加古川線鉄橋が架かり、その下を新別府川がくぐり、曇川樋門手前の"曇川分水所水門"へ伸びていく、しかし新五ヶ井幹河早瀬2号橋からは線路の左、すなわち西側に掘られていく、そして新鉄橋を越えた辺りで新別府川に落ち合うことになる・・・

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近頃ここらをわがまま勝手に私有地を横切ったり私有地に入らしてもらって撮影したりして、かぎまわっている小生に向けられる村の長老達の視線を薄々感じていた、今日も線路から侵入し柵を乗り越え取材活動をしている小生に、昭和一桁生まれの長老が近づき話しかけてきた、事情を話すと直ぐ分かってくれ、話し込んでいる内に彼は取材にも協力してくれた☆・・・

小生は長老がこの地域の歴史に詳しいと察し、小生のジャーナリスト魂?〔野次馬根性かも〕がムラムラ湧いてきて小生は彼に取材を仕掛けた、先日のブログ記事に書いたが、この地域一帯の治水事業の一郷四庄の区画割地名がまだ定かでなかった、どうやら、大化の改新当時の播磨国に属していた鹿児の地一帯の主要地区を国司直轄“北条郷”と名付け他の四庄と区分けしていたようだ・・・

その長老は一郷四庄のうちの1つの庄の呼び名が思い浮かばなかったので、家に帰って資料を調べ来てくれて“今福之庄”を教えてくれた、曇川樋門から分かれて起点を持つ“五ヶ井幹河分水水門”手前近くで新別府川をまたぎ、新しく架設される加古川線の新鉄橋のことも、その長老が教えてくれた☆帰ってから先日の投稿記事を編集しなおした・・・

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まさか最大瞬間風速65m!?お眼くっきり!945hPa!成長した台風15号、近畿に上陸することなく足

2011-09-21 13:55:50 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜の加古川第九セッションは台風15号の接近のため、110名のうち40人ほどの淋しい集まりになった、深夜になって先日の台風12号の再現を思わせる滝のような雨になったが、今朝起きてみると、時折吹く、弱い突風混じりの小雨になっていた、やがて晴れ間も出てきた、間もなく台風は何事もなかったように加古川を去っていくだろう・・・

昨日、呼吸器内科の診察を受けるため、家内を加古川医療センターに連れて行ったが、やたら子供づれが多く!運動会明けか??否、その帰り、子供が多いスーパーに行って気が付いた、ここ加古川にも大雨警報が出て学校が休校になっていたのである、今朝も家内を歯医者に連れて行って、そのあとヤマトヤシキで買い物をしたが、子供達がこの時とばかりに街に繰り出していた、小生も子供の頃は台風が近づいて休校になると、盆と正月が一緒に来たように、ウキウキして仕方なかった、よく近くの柿畑に行って落ちた柿を拾って食べたものだ・・・

JR加古川線も一時運転を見合わせ不通になっていたが、どうやら大きな災害もなく兵庫県播磨東南地域を去っていった、奈良・和歌山にも250mm位の雨をもたらした、熊野(いや)土砂ダムの水位は一時満水に届いたが、幸い堰き止め土砂盛側面に、溜まり水の逃げ道・湧水(ゆうすい)が自然に出来たらしく、水位は一転して下がり始め☆熊野(いや)川を始めとする17箇所の堰き止め湖は、溢(あふ)れ出して決壊するような、恐れられていた大災害には至らなかった模様である☆ほっ!やれやれ・・・

台風15号は三重を抜け多治見や名古屋方面へ向かった、多治見??何処かで聞いたことのある地名である??今朝NHK連続テレビ小説“おひさま”を観ていて思い出した☆そうだ!あの多治見か!陽子の夫・和成は突然亡くなった窯元である戦友を助けるため多治見に行った、しかし彼は行った切り帰らず、残された遺族と共に陶磁器の注文納期に間に合わせるため奮戦していた、あの多治見だった、多治見市は岐阜県の南部に位置して名古屋まで30分と近い、美濃焼きの郷(さと)である・・・

陽子はなかなか帰ってこない和成がてっきり戦友の女将さんと出来た!?と早とちりして、いても立っても居られず、和成の着替えを持って様子伺えに多治見の窯元を訪ねたが、すべて彼女の誤解と分かり安堵して、もうあと1ヶ月滞在するという和成を残して安曇野に戻っていった、そば屋“百白花(ひゃくびゃっか)”の大将・道夫も女将の徳子も、親友の育子も真知子も安堵して胸を撫で下ろした・・・

小生、真面目腐って出演者達が喋る、一つ一つのセリフの間に、絶妙な喜劇の要素が垣間見られる、この番組をいつも心くすぐられながら楽しんでいる、この脚本を担当した岡田恵和(よしかず)にはなかなか庶民的な笑いのセンスがあるようだ、えへへへ、ほんまかいな?・・・

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あっ!先ほどNHKニュースで、台風15号が、午後2時頃、浜松附近に上陸したと速報が流れた!さて、小生、これからロングブレス体操を兼ねて、先日徹底取材した曇川樋門の様子を見に行ってこようっと、ついでに加古川の濁流も見てこよう、確か隣の大野の町内会放送で、珍しく曇川樋門が閉じられたと言っていたようだ!どうせ一時的な短い時間になるだろうが・・・

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・・・別府川工事現場に近づくと、早瀬2号橋に工事関係者が5,6人集まって何やら話し合っていた、するとそこらあちこちに土嚢がつまれ、掘削工事現場は五ヶ井幹河から溢れた洪水によってあちこち溝側面がえぐられ、五ヶ井幹線の水路側の壁も傷つき穴が開いたようで、ところどころから漏れていた!更に先に進んで曇川樋門に行って見ると、あたり一面洪水であふれた水の跡形が残っていた、しかし五ヶ井幹河の水門も普通に開けられ河の水位も引いていた・・・

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また曇川樋門も開けられ曇川の流れはいつもと何ら変わらず、とうとうと加古川の大河に流れ込んでいた、堤防に上がって加古川の大河に目をやると、低地以外は河川敷から水はほとんど引いていたが、本流の流れは中州の雑木林を呑込みごうごうと流れていた!・・・

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帰りは西大野や中津方面に流れる五ヶ井用水の支線水路沿いを歩いて、加古川市街地に通じる県道18号線に出て帰路に着いた、これから3年から5年かけて、僅か600mか700m位の短い距離だが、JR加古川線が迫る狭いところに別府川を引くために、今ある五ヶ井幹河を曇川樋門まで掘り進み、別府川の横に新に五ヶ井幹河の流れを沿わせる大工事を想像するだけで、その完成が今から楽しみになる(*^_^*)・・・

先ほどまで、ABCテレビで佐賀県・鳥栖スタジアムからロンドン五輪アジア最終予選C組(シリア、バーレーン、マレーシア)の初戦、Under22日本vsマレーシア戦が中継されていた、日本が2-0でマレーシアを破り勝ち点3を挙げ☆絶対負けられないホームでの初陣を勝利で飾り好発進を果たした☆A、B、C各組の1位が文句なくロンドン五輪本大会への出場権を獲得する☆もし2位になったとしても、アジア地区プレーオフで総当り戦を闘い、その1位がアフリカ予選4位と戦う、その勝者がロンドンへ進出する長い道のりとなる・・・

ゲームはナショナルチームの一員でもあるMF清武弘嗣(セレッソ大阪)の再三のアシストパスが上手く渡って、前半10分にMF慶悟(大宮アルディージャ)が1点、後半31分にもFW山崎亮平(ジュビロ磐田)がもう1点ゴ~~~ルした!☆次回、関塚隆ジャパンは11月22日にバーレーンとアウェーを戦う、ファイトいっぱ~~~つ!・・・

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