Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第39話“跡を継ぐ者!~後編” 2014年9月29日

2014-09-29 12:38:49 | 日記・エッセイ・コラム

9月28日のベルリン・マラソン男子で、ケニアのデニス・キメット30歳が、ななな~~~んと!2°02′57″と3分台を切り、2時間2分台に突入する世界新記録を打ち立て優勝した!☆32kmからケニアのエマニュエル・ムタイ29歳との一騎打ちになったキメットは、38kmからムタイを振り切り16秒差をつけて圧勝した!昨年のベルリン・マラソンで同じケニアのウィルソン・キプサング32歳が記録した世界記録2°03′23″を26秒も更新した!因みに彼は2013年東京マラソンで2°06′50″のコースレコードで優勝している!ここまでくれば、ケニアに追いつけ追い越せの次元ではない!懸け離れすぎだ!もう勝手にやってもろたらええ!ケニア様様である!日本勢1位はと言えば、極ごく平凡な2°11′25″で10位にゴールした外丸和輝(とまる かずてる、27歳、東農大、トヨタ自動車)であったとさ!・・・

本題に行こう・・・秀吉がお付と廊中を歩いていると、「殿下!」正座して待っていた三成が礼を正して秀吉に話しかけ訊ねた 、『何じゃえ!?』、「黒田殿の隠居をお許しに成らぬのは、何故で御座いますか?当人が隠居したいと言うのであれば、お許しになれば宜しいのではありませぬか?もはや黒田殿の様な軍師が居なくとも、豊臣の天下は揺るぎませぬ!」三成は常に出来る官兵衛を煙たがっていた、秀吉は答えた『わしは時々、官兵衛の知略が恐ろしくなる!関白をも恐れぬ物言いに、憎らしく思う時もある!』、「ならば?」、『三成、これ以上、わしと官兵衛の事に口を出すな!良いな!』と秀吉が三成を厳しく嗜(たしな)めた!三成には返す言葉がなかった!・・・

駿府城では井伊直政が官兵衛の隠居を家康に告げた、まだ若いではないか?何故?榊原康政と本多忠勝が不思議がった、「さあ?殿下の御許しは出なかった様で御座るが!?」、『ふん、官兵衛め!先手を打ちよったわ!』家康が呟いた、先手?『関白に、あらぬ疑いを持たれる前に、隠居を願い出たに相違ない!』、本多忠勝が訊いた「もし黒田官兵衛が隠居をすれば、関白の傍にあって、間違いを正すものが居なくなり、豊臣の屋台骨が揺らぐことにも成りましょう!?」、「当家にとっては、黒田殿に早く隠居して貰いたいものですなあ!?」と榊原が言った、全く持って!あっははは~~~!・・・

秀吉は天下人として絶頂を迎えつつあった!奈良の大仏をしのぐ巨大な大仏を京に造り、その絶大な勢力を誇示していた!出産の日を控える茶々の目の前には、ありとあらゆる御馳走が並べられた!『これがな陸奥のホタテじゃ、そして、これが越後の鮭じゃ!そして、これが若狭の鯖じゃ!さあ、好きなだけ喰うが良い!』、つ~~ん!茶々はキョトンとしていた、『うぬ?如何した?茶々のために用意したのじゃぞ!』、茶々が口を開いた「食べつけぬものを食べて、お腹のこの子に触れば一大事に御座います!」と茶々は秀吉に横目を流して言った、『そうじゃ!その通りじゃ!何をしておる!早く下げぬか!この様な生臭いものを用意しよって!早く下げろ!』秀吉は慌てふためいて侍女たちに下げさせた!やれやれ・・・

今度は茶々が「何やら寒気が!?」とすまし顔で言った、『それはイカン!何か羽織るものを用意いたせ!身体を冷やしてはイカンからのう!お主一人の身体ではないからのう!さささあ、優しくのう!』、茶々の言われるがままに侍女達の手で一枚羽織った、『如何じゃ?少しは温(ぬく)くなったか?』と秀吉は茶々の肩に手を回した、すると茶々が言った「殿下~~、ここは落ち着きませぬ!早よ、淀の城に移りとう御座います!」、『よし、分かった!淀城の普請を急がせる!小一郎を呼べ!』、茶々があくびをしそうになった、『何じゃ?眠くなったか?床の用意を致せよ!』、茶々は眠気顔で秀吉の肩にもたれかかった、『よし、よし、よし、身体を冷やさぬようにな!茶々が眠るまで、わしが着いておるからのお!』秀吉は茶々を撫でていた手を、そっと茶々の手の上に置き握った、茶々は秀吉の目を覗き込み微笑んで秀吉に甘えていた!あほらし・・・

天正17(1588)年の2月、事件が起きた!?三成が廊中を慌ただしく急いでいた、『増田殿!?』、三成を待っていた豊臣の家臣、増田長盛が、三成が部屋に入るなり辺りを覗って障子を閉めた、「これじゃ!今朝、城門にこの落首(らくしゅ、落書きの事)が張られていた!」増田は何枚かの書面を三成に手渡した、そこには“大仏の功徳もあれや 槍かたな くぎかすがいは 子宝恵む??”、増田が説いた「殿下が大仏に金銀を費やしたことを、からかっておるのじゃ!まだある!」、もう一枚渡した、”ささ絶えて 茶々生い茂る内野原 今日はけいせい 香をきそいける??”、三成が説いた『殿下が茶々様に夢中なのを揶揄(やゆ、からかうこと)したか!?』・・・

早速、三成は手を回した、「すでに城門の番人17名を捕え、調べを進めておりまする!」と三成と増田は秀吉に報告した、落首に目を通しながら秀吉が言った『あっはははは~~~!巧(うま)いことを言いよる!この歳で子が出来たことへのあてこすりじゃ!はははははあ~~~!このわしのことは構わんが、茶々の事は許さん!うあ~~~!うあ~~~~~!』秀吉はそれら落首を火鉢の中へ投げいれて燃やし、怒り狂った!・・・「兄じゃの怒りは尋常では御座らぬ!城の門番が責めを負わされ拷問の末、死罪に処せられました!そればかりか、疑わしいと思われた者は手当たり次第!年寄り、女、子供、かくまった者までも容赦なく、その数、100人以上!」と羽柴秀長がおねに知らせた、『何と酷(むご)いことを!殿下はそのようなことをなさる御方ではなかったはず!天からの問罪は人をこんなにまで狂わせるのか!?このままでは豊臣家は・・・!?』とおねは嘆き悲しんだ・・・

中津城で読書に浸っていた官兵衛の処に、光が、おね様からの書状を持ってきた、官兵衛が目を通して言った、『おね様は何と?』、「大坂へ来て欲しいと!落首の一件であろう!」、『殿下を御諫め出来るのは、殿しか居られぬと言うことですか??』と光は不思議そうに尋ねた、・・・官兵衛から返事がなかった、『おね様は長政のお命を救って頂いた黒田の恩人!』、「その恩人の頼みとあらば、行かねばなるまい!」、『はい、されど、おね様から、100人以上が死罪なっておるとのこと、今の秀吉様を御諫(いさ)めして、お聞き届け頂けるのでしょうか?それどころか、無事で居られるかどうか?』光も事の重大さに官兵衛を案じた!「主君を諌めるのは、家臣の務め!」と官兵衛は力強く言って、光の肩をたたいた!・・・ 

早々に官兵衛は、豪華絢爛☆金箔瓦が施された聚楽第に秀吉を訪ねた、後に隠居の身となった官兵衛はこの聚楽第に如水(じょすい)邸を構えた、秀吉が三成を連れて部屋に入って来た、開口一番、秀吉は官兵衛に知らせた「官兵衛、淀城が出来上がった!なかなか良い城じゃ!茶々も大層喜んでおった!あっははは~~~!して、何用じゃ?」、少し間をあけて笑みを浮かべた、「何がおかしい?」、そして官兵衛は始めた『人は子が出来ると、ここまで耄碌(もうろく)すると思いも及びませんでした!』、秀吉に殺気が走った「何じゃと!」立ち上がった、『今、殿下のお子を世の人々は待ち望んでおりましょうか!?』、「お控えなされ!」三成が邪魔をした、官兵衛は三成を指をさして制しながら 続けた『先の落首の件!はなはだ宜しくありません!咎人(とがにん、罪人)が誰か分からぬゆえ、疑わしきものを、まとめて殺すなど、言語道断!』、目を見開いた秀吉が次第に距離を詰めて、官兵衛の周りをクルクル回っていた!・・・

官兵衛は語気を荒げて尚も続けた『殿下はこれまで、人を殺さず!味方に取り込むことで、信長公の死から僅か数年で天下を手になさいました!されど、此度の一件で人々の心が殿下から離れてしまいました!茶々様のお子を、皆が待ち望む世にせねば、豊臣家の先行きが危のう御座る!』、黒田殿無礼で御座るぞ!側近の家臣たちが身構えた!ひるまず官兵衛はつづけた『殿下は既に弱い50を越えて居ります!お世継ぎが長ぜられる頃、すでに殿下はお亡くなりになるやも知れませぬ!その先も豊臣家の天下は長く続きましょうか!?生まれてくるお子のためにも、とくと考えて頂きたい!』官兵衛は秀吉の目を睨みつけた!・・・

黙って聞いていた秀吉が口を開いた「官兵衛!」、ひざまづいて言った「はっはははは~~~!あっはははは~~~!だからこそ、わしは、官兵衛を手放せんのじゃ~~!ははは~~!相分かった!咎人(とがにん)捜しは、もう止めじゃ~~!世の中をぱ~~っと明るくし、このわしの誕生を祝ってもらえるよう、取り計らう!三成!金を集めよ!皆に金を配るんじゃ!このわしの、この誕生の前祝じゃ~~!はははははあ~~~!」秀吉は小躍りして独り喜んだ!官兵衛の顔にも安堵の色が浮かび、周りから殺気が消えていった!「三成、金を集めるんじゃ!金を配るんじゃ!前祝じゃ!」尚も遠くから秀吉の声が聞こえていた、複雑な顔をして三成は部屋を出て行った・・・

部屋中一面には金の大判の山が出来て居た!次々と訪れる大名や公家たちは、三宝に積まれた“天正大判”を有難く頂き、「有難き幸せ!」と連呼した!秀吉は「大儀である!」と応えた、この時、配られたのは金だけでなく、金6000枚!銀2万5000枚だったと言われている、秀吉が言った「官兵衛、隠居など止めて、このわしに仕えよ!」、『殿下、一度口にしたことを引っ込めては、この官兵衛の男が立ちませぬ!何卒!お許しを!』と官兵衛は頭を下げた、「頑固な男じゃのう!う~~!う~~!う~~!」秀吉は考えていた・・・

突然、肘置きを叩いて秀吉は立ち上がり言った、「ならば官兵衛、これは如何じゃ!長政に家督を譲るのは許す、じゃが、隠居は認めぬ!これからは黒田の当主としてではなく、一人の男、黒田官兵衛として、このわしに仕えると言うのは如何じゃ!?」、『分かりました!そう云うことであれば、喜んでお受けいたします!』官兵衛は承諾した!「はははははあ~~~!そうか、官兵衛、はははははあ~~~!」秀吉は官兵衛の肩を何度も叩いて喜んでいた、秀吉は三成に目で合図をした、しかし官兵衛の隠居が無くなり三成の願いは聞き入れられなかった、三成は複雑な心境で軽く秀吉に会釈をして去った・・・

天正17(1589)年5月27日、宇治川と桂川の合流点にある淀の地に建った、自分のお城、淀城にて茶々は秀吉のお世継ぎを無事 出産した!『ほほほほほ~~!はははははあ~~~!あ~~~!可愛いのう!可愛いのう!茶々!よくやった!よくやった!』秀吉は我が子にデレデレだった、茶々も嬉しそうじゃった、「男(おのこ)で御座います!」、『ほうか、男か!ようやく、わしの跡継ぎが出来た!茶々!』、「殿下!」、『茶々、よお、やった!よし、お前を棄(すて、のちの鶴松)と名付けるぞ!』、「棄?棄てとはおかしな名で御座いますなあ?」、『昔からなあ、棄てられた子はよく育つと云う言い伝えがあるんじゃ!』、「お前は棄ですよ!」、『そうじゃ、棄!お~~可愛い!』・・・

無事お生まれになったのは、お世継ぎに御座います!北政所のおねにも知らせが届いた!『そうか!世継ぎか!あ~~良かった!』おねは、茶々に待望の、おのこが生まれたことに胸をなでおろした、『くれぐれも、淀殿を労わっておわげなさい!』、淀城の殿となった茶々は淀殿と呼ばれるようになった、『ようやく豊臣家に後継ぎが!淀殿は何と運の強いお方!直ぐに祝いの品を手配しなさい!』とおねはマグダレナに頼んだ、はい!『いかがした?浮かぬ顔をして?』、マグダレナはおねに近づき言った「確かにお家にとっては、この上なき目出度きこと、されど、これを機に、淀の方様は石田様を使って、益々権勢を欲しいままにするのかと・・・」、『止めなさい!考えすぎじゃ!この様な目出度い時に、何を心配しておる!』、申し訳ございませぬ!『さあ、忙しくなりますよ!祝いの品じゃ!』、はい!・・・

大坂城にて冠・礼服に身を包んだ長政の黒田家家督相続の儀が執り行われた、官兵衛は長政に家督を譲り、長政には秀吉の推挙により、官位が授けられた!その推挙の証書 “黒田長政、従五位の下、甲斐の守(かいのかみ)に推挙する!” を読み上げた、『はっ、豊臣家の御ため、身命を賭(と)して、お仕え致しまする!』と秀吉に誓った、「頼んだぞ!」、はっ!・・・そのあと、長政は福島正則と一緒におねに挨拶に行った、「長政、立って一回りしてみなさい!」、『かか様、子供ではありませぬ!』、おねは強く指図した「長政!さあ!」、長政はおねの前で照れながら一回りして見せた、正則がくすくす笑っておった・・・

「こんなに立派になって!あの松壽が!遂に黒田の当主とは!」、『これもすべて、おかか様と半兵衛様のお蔭!あの時、命をお救い頂いた故に御座います!』、「黒田家当主として、これからも、豊臣家を支えておくれ!」、『それがしには、守るものが二つ御座います、一つは黒田の家、そして、もう一つは大坂のおかか様で御座います!』、正則も感謝を述べた「まるで、おね様、否、北政所様に育てられた者は皆、兄弟も同然!何があっても、北政所様をお守り致しまする!」、「正則、長政、そなたたちの気持ちは、この上なく嬉しい!されど、徒党を組んで争いを持ち込むようなことはしないでおくれ!」、正則が言った「家中で徒党を組んでいるのは我等でなく、三成で御座います!淀殿がお世継ぎをお産みになってからと云うもの、一層大きな顔をして!」・・・

そして、関東・小田原城にも嵐が吹き荒れようとしていた、家康らが北条氏政を小田原城に訪ね、大坂・上洛を迫っていた、「これ以上、殿下の上洛の命をないがしろにされますと、縁者である徳川家と言えども、おかばいすることは叶いませぬ!」、氏政はきっぱり断った!「上洛はせぬ!すれば何かと難癖をつけ、関東の地を奪うに相違ない!」、家康が言った『その様なことは御座りませぬ!』、「わしは関白を信用しておらぬ!」、直政が言った「お怒りを買いますぞ!」、氏政が続けた「この小田原は武田信玄や上杉謙信に囲まれても、落ちなかった城じゃ!攻め来ると云うなら、向かい討つまで!関東育ちの武士たる坂東武者の手並み!存分に見せてくれよう!」、直政が北条の嫡男・氏直に訊いた「若殿はそれで宜しゅう御座いますか?」、「無論!父に従うまで!」、家康は最後に言った『ならば、これ以上言うことは無い!覚悟は出来ておられるようじゃ!』・・・

官兵衛は中津に戻って、善助、太兵衛、九郎右衛門らと縁に出て語り合っていた、「いよいよ、小田原攻めで御座いますか?」、「小田原城は難攻不落の城!大きな戦さとなりましょう!」、「天下統一の仕上げに、とんでもない虎が残りましたなあ!」、『殿下の野心は小田原では終わりそうもない!』、「天下統一が成ったあとは、見えぬ!」、「この先も大殿の隠居は認められそうにもありませぬなあ!」、『お前たちの隠居は、まだまだ先じゃ!これからも戦さはつづく!』、「我等が何処までも大殿にお伴致します!」、誇らしい軍師を殿に持った黒田三銃士だった!・・・

 

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