Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

オカナガンのブログは暫く休止します! 2015年1月23日

2015-01-23 21:24:29 | 日記・エッセイ・コラム

昨日22日、添田は第17シードのベルダスコ(スペイン)にストレート負けで敗退したが、錦織圭はまた貫録を見せた、ミスが重なり4-6で1セット目はリードを許したが、2セット目を7-5で奪い獲った、それからは落ち着き払ってリズムに乗り、決めるところはキチッと決め調子を上げていった、3セットを6-2で、少し苦戦したが4セットも7-6で獲って、3-1のセットカウントで2時間47分に及ぶ試合を征してイワン・ドディック(クロアチア、世界ランク86位)を破った、この試合、錦織は7つのサービス・エースを獲って調子を上げてきている、これで錦織は3回戦となるベスト32へ進んだ、次の対戦相手は、過去の対戦成績が2-0のスティーヴ・ジョンソン(アメリカ、世界ランク38位)と24日土曜日(現地時間午後5時30分スタート、日本との時間差:+2°)に戦う、ファイトいっぱ~~~つ!観なきゃ・・・

男子シングルスで大きな番狂わせがあった、何と、第2シードのロジャー・フェデラー(33歳、スイス、185cm)が、世界ランク46位のアンドレアス・セッピ(30歳、イタリア、190cm)に、4-6,6-7,6-4,6-7の1-3で敗れ、早くも3回戦で姿を消すこととなった!これで錦織に上位進出のチャンスが更に広がった!・・・今夜シドニーで6時30分にキックオフしたAFC準々決勝第4試合、日本vsUAEは1-1のまま、延長戦に入った、延長戦後半でも決着が着かずPK戦にもつれ込んだ、勝負は呆気なく決まった、第一キッカー本田が大きく外した、最後の香川も外し、ななな~~~んと、4-5で日本がベスト8で敗退した!先が思いやられると言いたいところだが、いい試合したではないかいさ?腐らない、腐らない!2018年ワールドカップロシア大会予選まで、まだまだ先が長い、それまでにユックリ、世界で戦える実力を育めばいいさ!せわあない・・・

今日、4,5年前、白内障の手術を受けた右目のドライアイ用点眼薬ムコスタが切れたので、また右眼のカスミと視力の衰えが少し気になっていたので、ジョギングの途中に、行き着けの眼科医院に立ち寄った、眼底検査を受けると、左目は良く見え異常は無かったが、手術を受けた方の右眼の網膜周辺に少し出血が観られた、また点眼薬で瞳孔を開けてCIRRUS Photo 600で断層写真を撮り精密検査を受けると、黄斑部が窪み、眼底層に水の溜まった空洞が観られ全体が腫れていた、視力の衰えはこの水疱による腫れが原因だった、水を抜き取り、視力を回復するには、更なる精密検査が必要となり、総合病院である市民病院への入院が必要となった!・・・

来週明けに、眼科医院の医師に紹介状を書いてもらい、入院治療の予約を取ってもらう事となった、医師から、パソコン画面を凝視する目の酷使や、ジョギンクやランニングなど振動の伴う激しい運動と、もうひとつ、飲酒は暫く控えた方が良いだろうと云い渡された、よって小生、検査と入院治療が終了するまで、ブログ復帰は未定だが、今日を持ちまして、オカナガンのブログ“Okanagan's Twilight Days”を長期休止することを決心しました、悪しからず、ジョギングを取り戻し、スリムボディ復活も、これからだと言う時に、こんなことに成って残念だ、だが、ジョギング・ランニングを控えろと言うなら、震動の少ない“競歩歩き”に切り替えればいいだけだ、充分運動量はカバー出来る、では、読者の皆さん、またお会いできる日を楽しみに暫しのお別れをいたします、さようなら~~~!(T_T)/~~~・・・ 

 

 

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オーストラリアで行われている2大スポーツイベント! 2015年1月21日

2015-01-21 19:46:16 | 日記・エッセイ・コラム

今、オーストラリアではAFC(Asian Football Championship)アジア・カップ豪州大会と、全米オープン、全仏オープン、そしてウインブルドン大会に並ぶ、テニスの4大トーナメント(グランドスラム)の一つ、全豪オープンがメルボルンで開催されている、昨夜は第九の練習のため、サッカーのグループ・リーグDグループの最終戦日本vsヨルダン戦は観れなかったが、午前中に行われた男女シングルの第1回戦、錦織圭(25歳、日清食品、178cm)vsニコラス・アルマグロ(29歳、スペイン、183cm)はサクラの介護をしながら観ていた、第5シードの錦織は、粘るところはシッカリ決めて、世界ランク69位のアルマグロを寄せ付けず、6度ものブレイク・バックに成功して、6-4/7-6/6-2でストレート勝ちした☆安心して観ておられる、さすがだ~~・・・

日本人ではもう一人、世界ランク92位の添田豪(そえだ ごう、30歳、Godai)が、スウェーデンのイメルをフルセットの末に破り2回戦へ進出している、あと世界ランク146位、守屋宏紀(北日本物流)は、ポーランドのヤノビッチにストレート負けした、女子39位の奈良くるみ(安藤証券)は第6シードのラドワンスカ(ポーランド)にストレート負けした、世界ランク101位で最年長出場したクルム伊達公子(エステティックスTBC)は、昨年の秋痛めた股関節が響き、アメリカのタチシビリにストレート負けした!・・・

AFCでは、世界ランク54位の日本は、1月12日には世界ランク115位のパレスチナ戦を4-0で、16日には114位のイラク戦を1-0で、昨夜は93位のヨルダン戦を2-0で下して、無失点全勝でDグループ1位で決勝トーナメント準々決勝に駒を進めた、明後日の23日金曜日にはグループC2位通過した世界ランク80位のUAE(United Arab Emirates、アラブ首長国連邦)と準決勝進出を懸けて対戦する、楽々勝ってくれることを期待したい、このレベルの低いアジア大会で負けていたら、次回2018年にロシアで開催されるFIFAワールドカップの舞台では、ブラジル大会の様にグループ・リーグ敗退するのが落ちだろう!因みにD組2位通過は114位のイラクだった、A組1,2位通過は69位の韓国と100位のオーストラリアで、B組では96位の中国と71位のウズベキスタンで、C組では51位のイランと80位のUAEだった!・・・

今朝、日岡山越えして、往復11.2kmのジョギングを楽しんで加古川医療センターへ行ってきた、何処へ行くのもジョギングだ、完全にジョギングを取り戻した、2か月ごとに受ける血液検体検査受診のPSA(Prostate Specific Antigen、前立腺特異タンパク質抗原)結果は、前回11月19日の0.243から0.550ng/mlになっていた、上限は4.000だが、小生、主治医が0.700から1.000ぐらいに落ち着くだろうと言った事を信じて楽観的で居る、小生の場合、前立腺を摘出してないのでPSAがある程度上がって当然である、次回の検体検査は3月25日だ、会計を済まして地階の外来食堂”ビアン・モール(bien mall)”へ急いだ、今日の定食メニューはAランチが“豚カツめし”で、Bランチが“さわらの南蛮漬け”だった、小生が選んだのは、野菜たっぷりで、如何にも見るからに健康食間違いないと太鼓判が押せる“Bランチ~さわらの南蛮漬け”を選んだ、う~~ん、うめえのなんのって!(*^_^*)じゅるり・・・

  

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快晴に恵まれた天皇盃・第20回全国都道府県対抗広島男子駅伝! 2015年1月18日

2015-01-18 10:58:10 | 日記・エッセイ・コラム

ここ加古川は朝から晴れ渡った、明け方の気温が3℃と冷え込んだようだが広島もカラッと晴れて10℃まで上がる駅伝日和のようだ、7区間48kmを郷土のタスキを背負って都道府県代表ランナー達が日本一を競う第20回都道府県対抗男子駅伝が被爆から70年を迎える広島の地で開催される、画面から広島因島出身のポルノグラフィティが歌うテーマソング“Rainbow”が流れる、この駅伝大会では長野が6回優勝を果たし一歩抜きんでている、その次が優勝回数5回の我が兵庫県がつづく、1区、4区、5区を高校生が、2区、6区の3kmを中学生が走り、3区、7区を大学生・社会人が走る、小生、アンカー7区を走る“ふるさと選手”中谷圭祐(西脇工、駒沢大2年)の走りに期待したい、6回目の優勝目指して行け~~~!兵庫の精鋭達よ!・・・

12時30分に平和記念公園前をスタートした1区(7km)高校生ランナー達が 1キロペースを2′52″で、2キロを2′52″で、大きな集団を作って宮島街道に入り、3キロを2′49″とペースを上げた、兵庫の長身、福田兼士も集団の中に居る、あっ、5.4キロから兵庫が遅れ始めた、福岡、長崎、佐賀の九州勢が前に出た、静岡も出てきた、福岡がスパートする、トップ福岡が20′05″で2区(3km)中学生にタスキを渡した、三重、長崎、静岡、佐賀、埼玉の順でつづいた、兵庫が18位+27″で繋いだ、あと1キロを過ぎた静岡、埼玉、福岡が前に出た!埼玉、静岡、福岡、千葉、群馬、茨木の順で3区(8.5km)大学・社会人に継いだ、トップの埼玉は設楽悠太(Honda)に継いだ、兵庫は11位でキャプテン北村聡(さとる、日清食品)に繋いだ!・・・

トップの埼玉と静岡が後続を大きく差を開けて並走している、千葉・柏原が引っ張る3位グループを引っ張り、+13″遅れをキープしている、広島の岡本が36位と苦戦している、4.5キロで熊本と東京が3位グループに合流した、千葉の柏原が伸びず6位グループに下がった、6キロを過ぎ依然と静岡と埼玉がトップを行く、6.8キロを兵庫の北村が12位に順位を上げて通過した、あっ、熊本の久保田が一気にトップに上がった、3チームが宮島口ロータリーを廻る、熊本、埼玉、静岡が僅差で4区(5km)の高校生に継いだ、その後、鹿児島、福岡、東京の順で続く、兵庫が+31″の12位で繋いだ、トップの3チームが1.7キロの山陽本線JR前空駅前を折り返し宮島街道を広島市街地へ向かって帰って行く!後方では福井と愛知に中継不完全が宣告されたようだ?・・・

兵庫・西脇工キャプテンの苗村(なむら)が千葉と9位グループを作っている、4キロで埼玉がスパートし単独トップに出た、そのまま埼玉がトップで5区(8.5km)の同じ高校生へ継いだ、そのあと、熊本、静岡、群馬、福岡、東京の順でつづいた、兵庫は10位+52″で東播磨高の森田へ繋いだ、2キロ辺り、トップ埼玉のあと+15″で熊本が追う、群馬が3位の静岡に追いつき交わしていった、 埼玉が独走態勢を作りトップを快走する、宮城の三浦が5人抜いて熊本を捉えて2位に上がった、埼玉が余裕の差+27″を開け6区(3km)の中学生へ継いだ、2位+31″で宮城が繋いだ、その後、群馬、福岡、熊本、鹿児島の順でつづいた、兵庫が8位で繋いだ、トップの埼玉がダントツであと1キロを過ぎた!あっ、小生の母校・加古川山手中の坂元祐喜が4位グループのトップに出た!・・・

そしてトップ埼玉がアンカー7区(13km)、日体大から本田技研へ進んだ服部翔太へ継いだ 、宮城、福岡、群馬のあと兵庫が4位で中谷へ繋いだ、行けるかも、あっ、東京の設楽啓太(コニカミノルタ)と福岡の酒井にかわされた、中谷は重そうだ、トップ埼玉が平和大通りに入った、この後、駅前通り、城南通り、中広通りを周回して平和大通りに帰ってくる、埼玉が平和公園前を過ぎてから、2位+33″で宮城の村山謙太が続いた、そのあと群馬、東京、福岡の順でつづいた、その後、兵庫が鹿児島と並んで6位+1′10″で通過した、秀吉の五大老の一人、毛利元就の居城、広島城の前をトップの埼玉が通過して行く、+25″とその差を村山謙太が少し詰めた2位宮城が過ぎる、埼玉の服部が中広通りに入った、2位宮城の村山謙太がトップ埼玉に18秒差に迫った!・・・

埼玉が平和大通りに戻って来てゴールの平和記念公園が近づいて来た、残り700mとなる、埼玉の優勝が確実となった、逆に2位宮城との差が空いて来た、ラストスパートに入る、ゴールのアーチがすぐそこに迫った、服部にガッツポーズが出た!埼玉が歴代3位のタイム2°19′14″で悲願の初優勝のゴールイン☆!直ぐうれし涙の服部が胴上げされた、健闘むなしく 2位2°19′38″で宮城がフィニッシュした!3位2°20′19″で東京がゴールを果たした!4位2°20′25″の群馬、5位2°20′27″の鹿児島、6位2°20′41″の福岡のあと、兵庫が2°20′45″で7位に入った!元青山学院大の雄、出岐雄大(長崎北陽台高、青山学院大、中国電力)が健闘して長崎を8位2°20′48″の入賞に押し上げた!今回、地元広島は13位に終わった・・・

花燃ゆ第3話”ついしてない男”を観た、文は近くの鎮守の森の御宮に願掛けに参ったとき、おみくじを引く久坂玄瑞(くさか げんずい、18歳)に出遭った、何時もの様に“はずれ”を引いた久坂は文に気づかず去った、嘉永6(1853)年7月、江戸での勤めを終え萩に戻った伊之助と文の姉・寿(ひさ)が祝言を挙げ夫婦になった、その年には、アメリカ使節のペリー総督が 通商交渉のため浦賀にやって来た、幕府はその交渉に載らずに先延ばしした、同じ頃ロシア使節プチャーチンが長崎に来航していた!・・・

脱藩の罪を問われた兄・寅次郎は武士の身分を剥奪され 、その身柄は父・百合之助の“育(はぐくみ)”、つまり保護観察下に置かれることとなった、長州藩第13代藩主・毛利敬親(たかちか)は父・百合之助の願いを聞き入れ、山鹿流兵学師範として寅次郎の10年間遊学を許した、江戸に遊学した寅次郎は浦賀沖に停泊したペリーの黒船来航を目の辺りにした、早速、死罪を覚悟して萩の殿へ意見を申し立てる建白書“将及私言(しょうきゅうしげん)”を送った、そこには開国を迫る黒船から、この国を如何にして守るか、兵学者・寅次郎の優れた考えが書かれていたのだ!藩校・明倫館のよしみで親しかった伊之助が前もって書状送っていた、長州藩重臣・周布敬之助の計らいで匿名扱いとなっていたので、大事には成らなかった!最悪の場合死罪となるところであった!・・・

嘉永6年10月、寅次郎はロシア使節プチャーチン大将を追って長崎に来て居た、しかし一足遅く、すでにロシア艦隊はすでに長崎から去っていた、・・・萩のある掘立小屋に、松下村塾の四天王が集まり、外国の脅威を論じ合っていた、幕府にパイプを持つ情報通の吉田稔麿(としまろ)を中心に、入江九一(くいち)、野村靖(やすし、九一の実弟)、久坂玄瑞が集まり、攻めて来るやも知れんロシア艦隊の動向の情報を集めては、幕府の防備の甘さを話し合っていた、それを文、入江すみ(九一の妹)、吉田ふさ(稔麿の妹)に盗み聞きされていた!稔麿の妹ふさは懐から鬼のような顔をしたペリーの似顔絵を出し、文とすみに見せた、きゃ~~!・・・後に文の夫となる久坂玄瑞は新しい国と新しい未来を造るために武士として生きる夢を持ち、医者の道を諦め、兄の玄機に医者の道を託していた!・・・

“育(はぐくみ)”の分際(ぶんざい)で遊学と偽り、兄の梅太郎や、義理の兄となった伊之助の心配をよそに、寅次郎は、黒船やロシア艦隊を追って、まるでフーテンの寅さんの様に全国をホッツキ歩いていた、長崎から帰って来た寅次郎が文に語った『のう、文、お前はどう生きる?自分の人生を、自分の命を、何のために使う?兄は何時もそのことを考えて居る、死など構わん!思いが届くなら、“知行合一”と云う言葉がある、知識だけでは意味がない!行いを伴ってこそ、その知識には意味がある!俺は日本国の危機を知ってしもうた!皆、その危機に気づかん!気付いても動かん!じゃから、俺が動く!この国を守らにゃならん!』、文は神妙に兄の話を受け止めていた!勉学に勤しむと言って、寅兄は再び江戸へ旅立っていった、伊之助も明倫館江戸校講師として、梅太郎も相模の防備を任されて寅次郎を追った!・・・

品川沖に停泊する黒船乗船を企て、弟子の長州藩士・金子重輔(しげのすけ)と居るところを梅太郎と伊之助に見つかった、公のため、天下万民のため、日本国を守るため、己の意志を貫くことは立派だ、だが主君の忠義に背き、残された家族一家が世間から後ろ指を指され路頭に迷うても平気か!今お前がやろうとしていることはイカン!寅、如何か大人になってくれ!一家を構え、守るべきものを持ち、正しい筋道で、正しいやり方で、世の中を変えればええ!お前ならそれが出来る!その時が来れば、この梅太郎が命に代えても寅の力になりたい!如何か兄の思いを分かってくれ!と強く叱責され、諭(さと)された!寅次郎は兄の深い思いに感動し泣いていた!伊之助も何でも構わんから、わしに話してくれと!と寅次郎に釘を刺した・・・

その夜、文は寅兄の言葉が気になって眠れず、外に飛び出し、今、日本で何が起こっている事が知りたくなっていた、偶々出くわした久坂玄瑞と萩の沖に来ているらしい異国船を観に出かけた、見張りをしていた役人に見つかり逃げた、久坂は蛇を恐れる臆病者であった、朝が開けても異国船など居なかった、ただの噂に過ぎなかった!そんな時、不幸にも久坂はこの1年で、次々と兄、母、父の3人の家族を失い、天涯孤独の身になって、藩医と云う家督を継ぐことを背負されていた、その日も凶のおみくじを引いた久坂は、黒船に会えばきっと幸運が舞い込むと、願掛けしていた、が外れた!神様に愛想尽かされ、自分は呪われて居ると自暴自棄に陥っていた!・・・

その時、文は弱音を吐く久坂をほっけず、強引に手を引っ張ってお宮まで連れて行き、おみくじを引かせようとした!久坂は二度とおみくじは引かんと抵抗した、文は言った、 あんたは、やるべきことを本当に行動に移す人!自分の人生を如何使うか本気で考える人!と文は久坂をおだてた、更に、言うだけの人より、ぶつかって、こけて、膝すりむいて、人から悪口言われるかもしれんけど、うちは、そう云う人が好き!、好き?、うん、兄上の様な人!、兄上?、引いてみよう!私も願掛けするから!文は賽銭を入れて願いを掛けた『悪いことばっかり、あったんなら、きっと悪い運は使い切った!やから、これからは、きっと良いことばかりある!せわあない!』、久坂はおみくじを引いた!そして、その番号の引出しから1枚お札を取った、開くと“大吉”だった!この久坂玄瑞が再び出会う運命の人であること、文はまだ知らない!・・・

だが、品川では、兄・梅太郎を裏切って寅次郎は金子と共に、浦賀沖に停泊する黒船に乗船し、アメリカへ密航すると言う暴挙に出ようとしていた、寅次郎は兄・梅太郎と生き方が違ってしもうたことを悲しんだ、もう戻れん!・・・一方、萩では、伊之助の妻・寿(ひさ)が漬物を持って女中のトメと実家を訪れた、寿の腹にはヤヤが宿り、守るものが出来ていた!その時、ふらふらになった父・百合之助が家から出てきて言った「寅次郎が、寅次郎が!」、「寅がどないしたんです?」母の滝が訊ねた、父が答えた「寅次郎が国禁を破り、ペリーの黒船に乗り込んだ!」、バカたれが~~~!“飛んで火にいる夏の虫!”、何処かの誰かとそっくりだ!・・・

 

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我、四国お遍路巡拝バスツアーの旅に出る! 2015年1月16日

2015-01-16 13:32:27 | 日記・エッセイ・コラム

昨年末、コミュニテー新聞“リビング加古川”12月号に掲載されていたお手頃な2980円!昨日1月15日のバスツアー”四国八十八ヶ所お遍路第一回、日帰りの旅、一番札所~六番札所”に目が引かれて予約振込入金していた、6年振りくらいの久しぶりのバスツアーだった、小生、バスに乗って色んな観光地を訪れるのが胸キュンキュン・ワクワクになり楽しみにしていた、あっ、その朝は選りによってザぁ~~ザぁ~~!と本格的な吹き降りの雨になっていた!それも夜まで止まない無情の雨となった!家内から小遣い3000円を貰って、あと足らないところは小生のへそくり3000円を財布に忍ばせた、傘が風で飛ばされないように両手で持って、JR加古川駅に隣接するサンライズ・ビル前集合時間8時30分に合わせて出向いた!・・・

 

15分前に着いたが加古川からの添乗員一人と乗客3人ほどが待機していた、サンライズの中央通路に入って嵐から避難していた25名ほどの加古川組が揃った、だが阪急交通社トラピックスが雇った神姫観光バスが姫路から出発していたが、悪天候のため10分ほど遅れた、加古川組をピックアップし合計31名+乗務員5名を乗せて、阪神高速から明石大橋“パール・ブリッジ3911m”を渡り、大きな観覧車がそびえる淡路ハイウエー・オアシスに寄ってトイレ休憩をとった、10分後、雨煙で殆ど何も見えない淡路島を縦断する“神戸淡路鳴門自動車”を突っ走り、鳴門大橋を渡り、鳴門西で昼食の弁当を積み込んでから、一路、八十八箇所の内、一番寺から二十三番寺まで揃う阿波を目指した!・・・

        

車中では広島の福山から来たと云うお遍路姿完全装備で身を固め、“先達”の称号を持つ松木さんと云うお遍路のプロが前列に同乗していた、その年配の女性はあれやこれや、お遍路の心得・作法を熱熱と説いた、仏前勤行次第から、般若心経(はんにゃしんぎょう)、十三仏真言までお唱え方を何回か練習させられた、小生、この辺りからこのバスツアーはだだの観光旅行ではない?凄く仏教色の強い修行の旅であることに気づいた!今は無教会派ながらもクリスチャンである小生にとっては、どえらい場違いなところに迷い込んだ感があった、だが、これも人生経験の一つ、歴史勉強の一つだと割り切って捉えた!小生、松木さんや、如何にも物腰の柔らかい男性お遍路添乗員の大沢さんから、下記の史実を気付かされ教わった!・・・

奈良時代には、二大開祖上人が居た、日本の天台宗を開祖し、比叡山・中道院で没した、近江国生まれの最澄(さいちょう、767~822年6月26日)上人と、真言宗を開祖し、高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)で没した讃岐国生まれの空海(774~835年4月22日)上人が居る、この度の旅で小生が教わり気付かされたのは、恥ずかしいことだが、この四国八十八ヶ所の寺を巡りまわり、徳を説いた四国お遍路の主人公・弘法大師こそが空海上人と同一人物であることを教わったのだ、ガ~~~ん! 何と、弘法大師とは、空海上人の死後に着けられた諡号(しごう)だったのである!・・・

バスは11時前に、第一番目の札所 、竺和山・霊山寺(じくわさん りょうぜんじ、本尊:釈迦如来)に到着した、一番札所とあって、溢れんばかりの順拝者達で大混雑していた!御朱印代1500円(五カ所×300円/一カ所はサービス)はバスの中で支払ったが、御朱印を押してもらう、立派な造りで分厚い“納経帳”はここで買い揃えなくてはいけない、小生は2000円のものを買って、お遍路添乗員の大澤さんに託した、この人がまとめて納経所にもっていって御朱印を押してもらう、人によっては、ここで杖、数珠、白衣、手甲・脚絆(てっこう・きゃはん)、輪げさ、網代笠、掛け軸などを買いそろえる人もいるらしい!全部揃えると5万は下らないだろう!・・・

                

事務的な手続きが終わると、山門で姫路・加古川の旅のお伴と共に、業者さんの記念写真に収まった、そのあと聖水で手と口を清め、線香とロウソクに燈明して捧げた、そのあと、はぐれないように一塊になって、本尊と大師堂に参って、住所・氏名を記入した先祖供養と家内安全のための”奉納八十八ヶ所霊場順拝納め札”を納札入りに投函する、それから数珠を左手に握って脱帽してから、先達の音頭に従って、意味不明のサンスクリット語のお経を唱える、これを各寺6ヶ寺で繰り返すのである、バスに戻ると先ほどの記念写真1000円が出来上がっていたので、1枚買い求めた、一番札所の霊山寺を後にして、混雑を避けるため、少し離れた六番札所の温泉山・安楽寺へ先回りして行った、その車中で、座席の上に配られていた弁当を頂いた!(*^_^*)じゅるり・・・

    

そのあとは、逆回りして、五番札所の無尽山・地蔵寺、四番札所の黒厳山・大日寺、三番札所の亀光山・金泉寺、そして最後となる二番札所の日照山・極楽寺まで全て順拝し終えた!五番札所の地蔵寺山門の外で旨そうな干し柿を売っていたので1パック4個入り400円を買った、満足、満足じゃ!四国お遍路の体験学習はこれっきりにしておこう、バスは阿波を離れる前に、(株)ハレルヤ製菓のお土産売り場、ハレルヤ・スイート・キチン(Halleluah Sweets Kitchen)に立ち寄った、ここで平成6年第22回全国菓子大博覧会にて“名誉総裁賞”に輝いた阿波銘菓“金長(きんちょう)饅頭ゴールド1箱1188円”を買った、淡路ハイウエイ・オアシス館での帰りのトイレ休憩で、小銭を集めて鳴門金時アイスクリーム350円を食べたら、小生の財布はほとんど空になった、7時過ぎ、加古川に着くともう雨は上がっていた、充実した一日だった!・・・

                       

 

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乙女達が新春の都大路9区間を駆け巡る! 2015年1月11日

2015-01-11 11:12:43 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の夕食前の徘徊ジョギングは、日岡山コースではなく、久しぶりに鶴林寺10kmコースへ出てみた、粟津神社に近づいていくと、大勢の人出と、出店の灯りに照らされ、加古川本宮戎のおはやしが賑やかに響いていた、早速、その様子をカメラに収めようとしたが、ウオーキングからジョギングのウエストバッグに替えて居るため、カメラを入れ忘れていた、あちゃ~~!日本には、正月の神様“歳神様”を迎えるため鏡餅を飾る風習がある、我が家では市販の角餅を買って食べるぐらで、その様な気の利いた風習は無いが、今日は“鏡開き”の日である、そのお供えの鏡餅を、刃物を使って切らずに、木槌で叩いて割って、お汁粉やお雑煮にして頂き、1年の無病息災を願うことに成っている・・・

今日、中学生から実業団までの乙女たちが都大路に集い、皇后杯第33回全国都道府県対抗女子駅伝が西京極を1区(6km)ランナー達が12時30分にスタートして、お馴染みの42.195km9区間を繋いで行く、我が兵庫県はふるさと選手の坂井田歩(ダイハツ)、竹地志帆(ヤマダ電機)、林田みさき(豊田自動織機)など、有力選手を揃えて上位入賞に大きな期待がかかる!3区と8区は中学生ランナーが走ると決まっているが、そのほかの区間は、実力の緊迫している高校生であろうと、大学生であろうと、実業団レベルであろうとお構いなく配置される!行け~~~!我が故郷、兵庫のために!ここ加古川は快晴だ、きっと京都も晴れているだろう・・・

1区の後半、静岡と鹿児島との先頭争いになったが静岡の安藤友香が19′15″のトップで2区4kmに継いだ、兵庫の坂井田は5位で タスキを岩出玲亜(ノーリツ)へ繋いだ、第2中継所通過の順位はトップが愛知、鹿児島、そして3位、兵庫の金山琳(加古川中)の順で3区中学生区間3kmへ繋いだ、トップ愛知のあと、大坂の高松ムセンビが快調に飛ばし2位で4区4kmの姉へ継いだ、兵庫が4位で、今絶好調の太田琴菜へ繋いだ、ムセンビ姉が1キロでトップ愛知に並んだ、後半追い上げた兵庫がトップに立ち、愛知、埼玉、鹿児島が僅差で国立京都国際会館前までの5区4.1.75kmへ継いだ、兵庫はトップで小柄な高校生、西脇工1年生の南美沙子150cmへ繋いだ!・・・

跨線橋を兵庫がトップで下りスパートする、先頭、兵庫の南がトップで宝が池へ入る、北白川別当町までの6区4.0875kmの須磨学園・前畑友希へ繋いだ、僅差で埼玉 、京都が続く、2キロを過ぎ鹿児島が前の3人に迫る、3千の持ちタイムでは兵庫の前畑が9′18″で抜きんでている、あと1キロを過ぎた、あと500mで兵庫が遅れ京都と埼玉が前に出た、京都がトップに立ち埼玉、鹿児島、兵庫の順で丸太町寺町までの7区4kmへ継いだ、トップは5大会ぶり最年長39歳の小崎まりだ、兵庫は須磨学園の秋山あみるが4位で受けた、兵庫が愛知にかわされ6位に下がった、京都・小崎が粘ってトップで烏丸紫明までの中学生区間8区3kmへ繋いだ、その後、7秒差で大阪、鹿児島が同着で、埼玉、愛知のあと少し遅れて6位で兵庫の田中希実(小野南中)が続いた!・・・

8区中間点を京都と鹿児島が並んで過ぎた、京都がスパートしてトップで最長アンカー区10kmの奥野へ 優勝を託した、2位で5秒差の鹿児島が、大阪のあと、兵庫が林田みさきへ4位で繋いだ!うぬ、5位を行く兵庫との差が厳しい35秒差となった、12秒差あった大阪のダイハツの松田が2位に上がり、4秒差でトップ京都に迫って来た、4キロを過ぎ大阪が京都に追いついた、あっ、何時の間に、兵庫が3位に上がりトップ大阪・京都に17秒差まで迫って来た、大阪・京都が五条通に別れを告げ取り付けロードから、トラックに入る、トラック勝負となった!あっ、愛知と兵庫が直ぐ後ろに迫って来た!大阪の松田瑞生が粘って2°17′26″のタイムで3年ぶり3回目の優勝テープを切った!京都に続き僅差で兵庫が2°17′28″で3位入賞を果たした!4位で愛知が、5位で鹿児島が、6位で群馬が、7位で埼玉が、8位で熊本が入賞を果たした!お疲れさん・・・

花燃ゆ第2話“波乱の恋文!”を観て思った、主人公の杉文の周りで、目まぐるしく余りにも多くの出来事が起こったと!しかし、文も父も母も兄弟姉妹たちも何も動じることなく、お互いを信じあって、それらの出来事を捉えていた!ある日、文武両道の伊之助と共に江戸に留学していた寅兄から手紙が届いた、そこには江戸長州藩邸での楽しい留学生活の日々がつづられていた 、その頃、姉の寿(すえ)に、長州藩大組(藩の組頭)の御曹司・内藤一馬との縁談が持ち上がり、まとまり掛けていた、しかし200石に対して杉家の26石は家格が余りにも違いすぎると、母を始めとする家族は反対だった、一方、内藤家の方は、江戸での寅次郎の倹約を重んじた暮らしぶりが、仙人のようだと、良い評判を呼び乗り気だった!それを聞いた両親もその縁談を承諾した、寿も大喜びだった!・・・

ところが、寅兄からの手紙の中の一枚が、弟の敏から文に渡っていて、文はそれを大切に持っていた、そこには寿には小田村伊之助と夫婦(みょうと)になって欲しいとの願いが綴られていた!そんな時、信濃国・松代藩士の兵学者・佐久間象山先生から入門が許されていた、そこに目をつけられたか?江戸長州藩邸には長州藩士の動向を探るため、幕府の犬、長州藩右筆(ゆうひつ、事務官僚)の椋梨藤太(むくなし とうた)が良く出入りしていた、彼の事は伊之助が良く知り、長州藩士の要注意人物であった、椋梨も伊之助が、何かに追い詰められ自害した長州藩医・松島瑞蟠(ずいばん)の息子であると知っていた!幼少の伊之助の目の前で腹を斬り亡くなった父・瑞蟠の姿が悪夢となって現われていた!そんな頃、国元の母上・志乃からの手紙が伊之助に届いた、そこには、体調がすぐれず帰国致されたいと書かれていた!・・・

好奇心旺盛な寅次郎は、国内での開国船の動向が気になっていた、東北でのロシア船の動きを偵察する長旅のための通行手形がなかなか降りぬことに業を煮やして、長州藩に背いて寅次郎は脱藩して、東北へ遊学して行った、やがて寅次郎の脱藩に異を挟んだ椋梨が動き、寅次郎を萩に追い返し、蟄居・謹慎させた、その寅兄の脱藩騒ぎで寿の縁談も破談になった!長州藩政務訳筆頭の周布政之助(すふまさのすけ)に寅次郎の事で話を聞きたいこともあって、伊之助が国元に帰ると、義母の志乃は息を引き取った後であった!実兄であり、長州藩医の松島剛蔵が伊之助に伝えた!だが寅兄の願い通り、運命の悪戯か?文の計らい『結婚してください!姉の寿と結婚してください!』と伊之助に求婚した、伊之助と寿との縁談に、伊之助本人が大いに乗り気になってトントン拍子に進んで行った!この縁談が決まれば寅次郎と伊之助は兄弟になる!文にとっては伊之助は憧れの男性だった故、心中は複雑だっただろう?・・・

それにしても、一体、伊之助の実父・瑞蟠に何があったのだろうか?そのことは椋梨から劇中で伝わっていた、椋梨は伊之助に言った『今や寅次郎は長州藩に背いた大罪人!お主が腹を斬ったところで何も変わらぬ、お主の父・松島瑞蟠は医者の分際で、殿様に“年貢が厳しすぎる!”と建白書を奉(たてまつ)りよって!それがお聞き届けられんとなって、あてつけの様に自害しょった!』、伊之助が幼少の頃、目の前で刀で腹を斬って果てて行った父の姿が、ぬぐされぬトラウマとなっていたのであった!・・・

 

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