Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

無事、自動車免許更新を済ませる☆ 2010年7月31日

2010-07-31 15:02:08 | 日記・エッセイ・コラム

ジャ~ン!ジャ~ン!ジャ~ン!朝の間の蝉の大合唱は真夏の勢いを感じさせるが、耳に心地いいBGMに聞こえる!昨日7月30日朝5時半に起床して家を7時頃に家を出て、歩いてJR加古川駅に向かい、明石の更新センター午前の部に余裕を持って間に合うように、一昨晩は10時少し過ぎに寝てしまったが、目覚めたのが7時過ぎだった!(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!

そのまま慌しく朝食し身支度して出かけても間に合っていたかもしれないが、直ぐに計画を変更して昼から1時受付開始の方に切り替えた、朝食の後ゆっくりサクラの散歩とストレッチ・筋トレを済まして、家内に尻叩かれて、ここ2~3日続いている庭木の剪定の残りを済ました、身なりを整え、手続きに必要な持参するもの運転免許証/更新のお知らせはがき/印鑑/黒ボールペンを確認し、早昼食って11時過ぎに家を出た・・・

加古川駅に着くと改札附近がごった返してた、どうやら10時40分ごろに発生した東加古川/土山間の踏切での人身事故の現場検証などのため上下線とも全て運行が不通になってるとのことだった(」゜ロ゜)」ヤバイッ、更新を来週に延期の覚悟も決めたが、幸い事故発生から50分遅れで新快速が到着した、混みかたも思ったよりひどくなく、土山手前の事故現場を通り過ぎ、12時15分頃明石駅に到着した、明石駅に下車するのは何年ぶりだろうか?前回の更新に来て以来なら5年ぶりだ・・・

ホームの北側には兵庫県立明石公園が広がり、目の前に明石城の二つの三層の櫓、坤櫓(ひつじさる やぐら)と巽(たつみ)櫓が小生を迎えてくれた、この公園には陸上競技とマラソン大会などで何回か訪れている、天主台の北にある建物でミュージカルのオーディションを受けに来たこともある、この広大な公園の中には野球場や陸上競技場や競輪場やテニス場などのスポーツ施設や、図書館や野外活動センターなどの公共の文化施設が点在する・・・

上の丸の高台には1991年に開館された明石市立文化博物館がそびえる、ここには太古の昔200万年前に生息していた明石原人やアカシゾウの骨と実物大模型が展示されている、少し東に行けば“日本のへそ”と呼ばれる北緯35度/東経135度、日本の標準時子午線の位置には時計塔がそびえ立つ明石市立天文科学館がある・・・

この明石城は元々安土桃山時代にキリシタン大名・高山右近が建てた小規模な船上(ふなげ)城と呼ばれいた、その隣周辺一帯に、1617年に2代将軍・徳川秀忠の命で譜代大名・小笠原忠真(ただざね)信濃の国松本藩主に10万石居城を築城させ、明石藩主として越前家・松平直明を着任させ明治維新廃城までの50年間、松平家が西国の外様(とざま)大名の動向に目を光らしたと言われる・・・

駅北側を出て直ぐのバス停に行くと長蛇の列が出来ていた、小生最初、神戸学院大行きの列に並んでいて少しタイムロスしたが、更新センターには午後の受付が始まる10分前に入った、危ない危ない、滑り込みセイフだった、1時になって係員のテキパキした誘導で手続きは流れるように進んでいった、前回までは軽い近視の眼鏡が必要だったが右目の白内障手術のお陰で視力検査は眼鏡なしでパスした☆もっとも手術後はこれまでメガネは掛けずに運転はしていたが・・・

家内が必要金額6000円しかくれなかったのが幸いして1500円足らず、交通安全協会5年間会費2500円は初めて払わずに済ました、前回は無事故無違反でゴールド免許Safe Driverだったので30分の講習ですんだが、今回は平成18年7月に制限速度40kmの高速道路のような広い片側2車線の高砂市道を10kmオーバー違反で鼠取りに引っかかっていたので、1時間の一般講習になった・・・

講習でもあったが今回から小生の普通運転免許は中型免許となり積載量8トン未満、乗者定員11人未満の車を運転できるように改定された、ここ加古川は兵庫県下警察管区で姫路に次いで2番目に人身事故件数の多い地域だった、ちなみに2009年兵庫県下合計人身事故36,360件数のうち、姫路が3193件で加古川が2684件になっていた!・・・

全ての手続きを終え、5年間有効の中型免許を手にして更新センターを出た、その玄関先に設置された献血ルームの出先テントで献血申込み手続きをした、小生明石更新センターに来た折は必ず明石運転免許試験場の直ぐ向いある赤十字献血ルームに立ち寄って成分献血か400ml献血のどちらかをして帰ることを恒例にしている、ここに来るとVIP扱いされ、飲み物とスナック菓子が食い放題の待遇を受ける、献血中も飲み物を飲みながらテレビも観れる、とても良い気分が味わえる、血液の成分分析してくれて後日送ってくれる・・・

今回は400ml献血をした、するとこれまでの献血記録がまとめられた1枚の新しい献血カードを作ってくれた、それを観るとこれまで兵庫県下で42回献血していた、シスメックスを退職するまでは緊急献血登録者として姫路赤十字血液センターに登録していた、何度か呼び出され献血センターに通っていたものだ、献血ルームから帰りは運動を兼ねて45分ほどの道のりをJR明石駅まで歩いた・・・

明石駅南側で“作人(さくと)の音がえし”路上ライブコンサートをやっていた、ギターケースに500円硬貨をそっと入れて、明石駅から少し東にあるアスピア明石に急いだ、その地下にあるにH.I.S.のオフィスに降りて行き、土佐へのバスツアーの資料を貰おうとしたが、あいにく、そのようなツアーはないとのことだった、明石駅に戻り6時頃発の混み始めた新快速の人となり帰路に着いた、今日の予算のうち1000円が浮き小生のヘソクリに加わった☆うっしっし~・・・

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龍馬伝、第8弾 “龍馬の秘策” 2010年7月25日

2010-07-25 22:33:30 | 日記・エッセイ・コラム

長州にも元々攘夷派と幕府側につく保守派が対立して派閥争いをしておった、長州征伐が始ってからというもの、この保守派が台頭しておった、更なる幕府の長州征伐を間逃れようとして、幕府に承順(しょうじゅん、命令に逆らわず従う)の姿勢を見せちょった長州藩保守派を奇兵隊隊長・高杉晋作、桂小五郎、伊藤俊輔、井上多聞らが先頭に立ってひっくり返したがぜよ!・・・

元治元年(1864年)十二月十六日未明、三条実美や公卿がいる下関の功山寺に80人が挙兵し『長州はもう幕府には従わん!我等は独立するんじゃ!長州は最期の一人まで戦い抜くぞ!』と決起し長州藩奉行所を襲い武器弾薬を奪い!また三田尻に停泊していた軍艦3隻をも奪い取ったがじゃ!・・・

幕府、将軍後見職・一橋慶喜はそれを許すわけがなかった!「今度こそ叩き潰してやる!」、フランス、イギリスなど列強諸国の援護を受けて、状況は幕府にとって圧倒的に有利じゃった、けんど、それは今存亡の危機が迫っている日本の利権を狙う西洋諸国にとって、最も都合のええ形じゃったがや・・・

引田屋での高杉らとの話し合いで、もう少しのとこで長州から船を調達できるとこじゃったが、小曾根邸の離れで龍馬らはまたすったもんだやっとった!「結局、船を借りる手立ては見つからんかった!」、『わし等に力がないことは最初から分かっちょったことぜよ!これからじゃ!』、「龍馬さんは余りにも気楽過ぎる!わし等は明日にも薩摩に連れて行かれるぜよ!」・・・

『いざとなったら、雇われ水夫にでもなったらええじゃろう!』、「雇われ水夫?」、「わし等は腐っても侍ですき!」、「ほんまに腐ってもとるけどなあ!」、「そこまで言うことないろうが!」、「洒落やんか!」、「何!」、惣之丞が陸奥に掴みかかる、そこへ土佐を脱藩して長州に渡り攘夷派と行動を共にしてきた池 内蔵太(いけ くらた、1841~1866年)が突然舞い込んできた!そして「見んかえ~~!」ともろ肌脱いで身体中に生々しく残る戦傷を自慢げに見せ付ける・・・

「ところで龍馬、おまんに逢いたい言う人がおるがじゃ!」と言うて池は龍馬を連れ出し案内した、とある寺院の境内に行くと高杉晋作ら前日のメンバーが待っちょった、「鶏小屋の話は面白かったですよ、お前等は鶏じゃ!と言われたのは初めてじゃ!」と高杉は切り出した、『あれは本心ぜよ!もう幕府に任せちょいてはイカん!この国を守るためには皆なが幕府のもとを飛び出さなイカんとワシは思っちょる!ほじゃけん、長州は独立すると聞いてわしゃ、誠っこと驚いたぜよ!けんど、それ程の藩がまっだ薩摩といがみ合うちゅ!それがわしには堪らんのじゃ!』・・・

「薩摩だけじゃありませんよ!幕府の長州攻めに加わろうとする藩は皆な敵です!僕は2年前、上海に行ってきました!悲惨じゃったのう!中国人がイギリス人に牛や馬のように使われちょったです!他国による侵略とはこう言うことかと、その恐ろしさを肌で感じましたよ!」、池が口を挟む「井上と伊藤さんも密かにイギリスに留学しちょったがや!」、『留学!?』、「まず敵を知れじゃ!」と伊藤俊輔(のちの伊藤博文)が答えた・・・

「ヨーロッパは産業も学問も恐ろしいほど進んじょった!」と井上多聞(のちの井上馨)が云う、「僕等は西洋文明の脅威を目のあたりにしたんです!」、「だから長州は誰よりも攘夷を叫び異国の船を攻撃したんじゃ!」、「愚かなは戦おうともせず異国にへつらう幕府とそれに待ち従う諸藩じゃないんかえ!」と高杉は声を荒げる!「もしこれが負け戦になろうとも己の信念を貫いて死ぬなら本望!じゃが!容易くはやられはせんぞよ!僕等は!正義は長州にあると信じよりますから!」と言い残し笑みを浮かべて3人は立ち去っていった・・・

「ワシはあの三人をこの長崎から無事逃がさんといかん!」と池は呟いた、『わしは長州いう藩を誤解しちょったがえ!あなえ見識と信念を持っちゅうとわのう!』、「その長州を幕府は滅ぼそうとしようがじゃ!正直言うて、長州に勝てる見込みは無いぜよ!こんなことがあってええがかえ!のう龍馬!」、その場を離れていく池を龍馬が黙って見送る・・・

長崎の薩摩藩藩邸の廊下を小松刀帯と西郷吉之助が急ぎ足で進む、「もはや、逃げられん!おい達も兵を出すしかなかじゃろう!」、『今、戦に加わって長州を滅ぼしたなら薩摩と大坂を結ぶ要(かなめ)の下関は幕府のもんになりもんそう!西洋諸国との商いが幕府に支配されてしまい!我が薩摩の国力は落ち込んでじょっとでごわす!もし長州の次に薩摩が狙われたなら!もはや、太刀打ち出来もはんど!』と西郷が助言するも「そげんなこつ!幕府と上手くやっていくしか他ならんのじゃ!」と小松が受け付けんかった・・・

一方、土佐では材木の商いに戻った弥太郎はまとまった財を成し、城下近くの小奇麗な邸宅に移ったがじゃ☆商いから戻った弥太郎をお喜勢が三つ指突いて「御帰りなさいませ、旦那様☆」と玄関に迎えた、2歳ぐらいになった春路もとっつぁんを迎えた、『今日もよう売れたぜよ☆』と言いながら、今日の稼ぎがズッシリ入った特大巾着袋をどさっ!と喜勢に渡した、『ええ子にしちょったか、春路~~☆』と春路を抱いて広間へ入る・・・

『やっぱり新居はええのう~~☆けんど、喜勢、わしゃのう、もっと金を稼いで!もっとでっか~い家におまんと春路を住まわしちゃる!あ~~ははっははは~~~!親子水入らずで暮らすがじゃあ☆』、「親子水入らず?」、『親子水入らずじゃあ~~~!☆』、しかしそこには弟の弥之助も、美和おかんも、屁こき虫の弥次郎おとんも同居しとったがじゃ!みんな小奇麗な身なりになっとったがじゃあ!・・・

『ああアッ!何でおまん等がついて来るがか!これまでとなんじゃ!変わりゃあせんぜよ~~!』、「ビビビィ~~~~!」、『クっさ~~!死ぬ~~~!わしの新居で屁をこくな~~~!』、余りの臭さに喜勢も春路までもが手で扇いだがじゃ、何処の家庭でも見られる、ほのぼのとする一家団欒(だんらん)の一時があったがじゃ☆・・・

長崎では「どいてや!どいてや!」と小走りで、長次郎が風呂敷に包んだもんを大事そうにして、小曾根邸の離れに戻った、そこには旨そうなケーキが入っちょった、さすが饅頭屋の長次郎じゃ!長次郎は丁寧に切って皆に勧めた・・・「旨い!」と惣之丞が叫んだ、「そうじゃろう!」、「甘いでよ!」、「口の中で溶けるろう!」、「こりゃ、饅頭かえ?」、『いいや!カステイラーじゃ!ポルトガルいう国から入って来た長崎名物ぜよ!』と長次郎は得意気に語った・・・

「こんな旨い菓子は他には無いぜよ!」、長次郎はこの洋菓子を商いして皆の食い扶持(くいぶち)にしようと考えちょった・・・「のう!坂本さん!まだ長州のことを考えようですか?」、「わしらに、そんな心配をする余裕は無いぜよ!龍馬!」と惣之丞が割って入った、『分っちゅ!けんどのう!あれば進んだ考えを持った藩がこのまま滅んでしまうかも知れんでのう!』、「今のわい等はどないして食い扶持を探すか考えらなあかんでしょう!」と陸奥がタイミングよくコメントしたがや・・・

「それじゃき!この南蛮渡来の菓子を作って!売って!金を稼がんかえ!?」、「作る?」、「そうじゃ!これをみんなで作るがじゃ!」、善は急げ!皆一目散に製造元に急いだ!窓越しにええ匂いが立ち込め、正に焼き上がったばかりのカステエラが目の前にあった!「おお~~~!ええ匂いじゃのう~~☆」、長次郎は既にそこの主人と話をつけ、レシピ、作り方、焼き方まで教えてもろちょった!・・・

その厨房を借りて長次郎のお菓子教室が始まった、「まず、卵の白身をかき混ぜる!次は、この黄身と砂糖を加えてかき混ぜる!よう混ざったら、うどん粉を加えてかき混ぜる!」、「あ~~!かき混ぜるばっかりじゃ!」と惣之丞がぼやく、生地を鍋に入れ火にかける!火縄の燃えぐわいを見て時間を計る!・・・「よ~~し!もうええじゃろ!」、うわ~~!歓声が挙がった!旨そうなカステエラが出来上がった!「頂きま~~す!」、「どうじゃ!旨いかえ!?」恐る恐る長次郎が訊いた・・・「まず~~!」、『長次郎!これはイカンぜよ!』と龍馬が唸った!どうやら、最初の試みは失敗に終わったようじゃった!・・・

今夜も引田屋では大勢の芸者を引き連れた異人達の前で、芸子のお元が華麗な舞いを披露しておった、長崎は日本と外国の文化の混ざりようた街じゃった、何処の土地とも違う、華やかで!猥雑(わいざつ、乱れ混じること)で!秘密めいた気配が流れちょったがや!「お侍様、うちには変な人は一人も降りません!」、引田屋に役人の岩堀が来て芸子らを並ばせて一人一人踏み絵をさせキリスタンの調べをしちょった、お元も踏み絵を踏んじょった・・・

長崎の財界と政界を動かしておったがは、豪商と呼ばれる日本人商人達やったがぜよ!雀荘が彼等の社交の場になっとった、小曾根らがマージャンに興じているところに龍馬と陸奥がやって来て、初めてみる清から渡来したマージャンと言う遊びを興味ありげに眺めておった、上品な猫を抱いた大浦慶という中年の女性がお連れを従えてやって来てマージャンに加わった、「何処のお侍さんですかなあ?」とお慶さんか尋ねた、「いやいや、脱藩されたお方達で!」と答えた、「私はお侍さまたちにへいこらするとは慣れとらんです!長崎は商人の街ですけん!」・・・

龍馬が突然切り出した、『実はわし等も長崎で商売をしたいがです!カステエラを作って売りたいと思っちょる!うどん粉や卵を買う金を借りたいがや!頼みますけん!』、すると小曾根が口を挟む、「西郷さんは知っとらすとですか?長崎に残るとは西郷さんがお許しになりません!」、『小曾根さんには迷惑掛けませんき!』、「ほんの5両でええんや!」と陸奥も加勢した、『金を貸して貰いませんですろうか?お願いしますき!』、「・・・」、返事はなかった・・・

「坂本さんと言いよんなったですね?ちょっとこっちへ来て!」、龍馬が近かづくとお慶は龍馬の手をとり馴れ馴れしくスキンシップしてきた!そして龍馬に2個のパイを指差し「これとこい!どっちば捨てたらええと思いよる?」、『いや!いや!わしはなんちゃ知らん!』、「よかけん!どっち?」、『こっち!』といやいや選んだ!それが当たって「ハイ!上がり~~☆」となってお慶さんは大勝ちした☆・・・

結局金は借りれんでその雀荘から出てきた陸奥はぷんぷんだった!「なんや!あいつ等は!わし等をコケにしくさって!ボケ!カス!ダボ!」、龍馬と陸奥が近くの茶店でお茶ししていると、お元と後輩のお種ちゃんが通りかかった、龍馬らに気ずいたお元はお種ちゃんと別れて、龍馬と陸奥の話に聞き耳を立てた、『わしの本家は商売やりゆう、商人言うかが、どう言うもんじゃ分かっちゅ思っちったけんど、あれば!たくましい商人を初めて見たぜよ!商売のためにゃ繋がっとらんといかん!あのマージャンはそう言うもんじゃと、わしは思うき!』、「わしはガメツイ奴にしか見えんかったけんどなあ!」・・・

そこに大浦慶らが通りかかり龍馬らに気付いて茶店に入って来た、「先ほどはどうも!やぁ~!驚きました!坂本はん!お侍さんば、カステエラで商売するなんて!感心しとったですよ!うち!こがん垣根のなかお侍さんに初めておうたばい!だって!カステエラ作るなんて!お侍さんには無理無理!別の商売を考えなさい!」、「わしらは商売人になりたいわけではちゃうぞ!日本を守るために世の中の仕組みを変えようと思っとるんや!」と陸奥が粋(いき)がる・・・

お慶さんが反応する、「世の中の仕組みを変える!?も~~し!そいじったら、なお更ツバばつけんといかんばい!」、『ツバ!?』、「お金は私がお貸しします!」、『ちょお!ちょお!おまんにこれを借りる謂(いわ)れはないぜよ!』、「先物買いです!今、坂本さんぱ助けておけば、よかば思いさせて貰えるかもしれんけ!」、『けんど!これは借りるわけにはいかん!』、「もろときましょう!これでカステエラの材料が仕込める!」と陸奥が受け取った、「よかと!よかと!坂本さんは運ばもっとんな!そがん人は大事にするとです!もう行くばい!」、『お慶さん!チックと待ってつかわさい』、お慶は何処かへ消えていった・・・

茶店から出ると「坂本さんが返しに行くて言い出すかも知れん!」と陸奥はお慶さんから貰った5両を持ってさっさと帰ってしもうた、ふと龍馬は目の前にお元が居るのに気が付いた、『アッ!おまん!おまん!おまん!昨夜の芸子やないかえ!?』、「あっ!あんときの猪木じゃなくて!あんときのお侍さ~ん!ご無事でしたか?あれから大変な騒ぎになったそうで!」、『この通り無事やったがぜよ!ところで、おまん!いつからあそこにおったがぜよ?』、「少し前から!」・・・

『ほんなら、わし等の話を聴いちょったのう!まっこと!恥ずかしいところを見られてしもた!赤の他人に金を借りたがは初めてぜよ!』、「気にされることはありません!お慶さんは長崎でも有名なお金持ちですけん!」、『そうかい!ほんなら、もう行くき!』、「お気をつけて!・・・あのう!世の中の仕組みを変えるて、どげん意味ですか?さっき、お連れの方が言よらしたけん!」、『オッ!あれかえ!あれはのう!わし等は日本人がみんな~が笑ろうて暮らせる世の中を創りたいがじゃ!ほんならのう!』、去っていく龍馬のうしろ姿を見ながら、笑顔のお元の顔に険しさが宿った!・・・

お元が長崎奉行所にきとった、朝比奈に龍馬のことを密告したようじゃった!「昨夜、長州藩士に助け人の話を持ちかけていた男で御座います!」、岩堀が割り込んで言う「食うに困っている浪人達じゃろう?そのようなことまで、いちいち知らせずともいいわ!」、『お元に褒美をやれ!岩堀!つまらぬ奴でも幕府に逆らおうとしている者じゃ!しっかと!見張らせえ!』、岩堀はお元の前に褒美の銭を投げた、「有難う御座います!」と全部拾い金額を確かめ財布に仕舞って奉行所をあとにした・・・

か~~ん!か~~ん!長崎の鐘が鳴る!あああ~~ナガサキ~~のカ~ネ~が~な~~る!お元は階段を登っていき礼拝堂の中に入る、隠し階段を地下へ降りて行く、ドアを開けると御子を抱いたマリア像が納められた部屋に数名のキリスタンが祈りを捧げていた、お元も膝まづき「マリア様!お許しくださいませ!わたしの罪をお許し下さいませ!」と涙ながらに罪を懺悔(ざんげ)していた・・・きっとマリア様の絵を踏んだことと密告の罪を悔い改めていたのであろう・・・

小松刀帯と西郷がグラバー邸にきちょった、『おい達は兵器が欲しかとじゃ!ミニA銃1000丁!』、「またですか!?3万両になりますが!」とグラバーは薩摩の足元見据えて言い値の高値を吹っかける!『そん位、容易(たやす)く支払いもんど!』、「交易を幕府から締め付けられているのに!?」とグラバーは高飛車じゃった、『薩摩には砂糖も小豆(しょうとう)もある!金になる品にはこと欠かん!』小松は焦っていた、「わたしは損をする取引はしたくない!わたしは商人ですから!Sir!」、西郷はどうしょうもなく見守るだけじゃたがや・・・

一方、長次郎らのカステエラ作戦は時が迫っちょった!「また失敗じゃ!」、「あ~!どいてじゃ!」、カステエラ作りは難航しておった、「誰が作る言いだしたがは?おまんじゃろう!長次郎!」、「わしは皆のため思うて!」、「どうするがじゃ!龍馬!」、「食い扶持を作る手立てなんぞ見つからんぜよ!」、「西郷はわし等を薩摩に連れて行こうと思ってるんや!」、「薩摩の言いなりになるしかないぜよ!」、みんなカステエラ作りにうんざりしちょった!・・・

龍馬はもっと先を見据えておった、『カステエラが出来んぐらいでキリキリすな!世の中は甘もうないことを学んだと思うたらええがじゃ!』、「坂本さん!そんな悠長なことを言いよる場合ですろうか?」、『落ち着きや!長次郎!』、「けんど!」、『太郎!わしらの目的は何ぞえ!?』、「日本を異国の侵略から守る!」、『そうじゃ!カステエラを旨もう作ることでも!長崎に残ることでもない!』、「忘れちゃせん!わし等はその志しになっちゅじゃけん!」と惣之丞が反発する、「日本を立派な独立国にするために!わし等はやっていくと決めたですろう!」・・・

『ええか!志しだけではのう!世の中は変えられんのじゃ!武市さんじゃち!日本を守りたいいう気持ちは同じやったがじゃ!けんど、志しだけでは世の中は変えれんかった!わし等はそれを学んだはずではないかえ!武市さんらのあの無念を無駄にしてはイカンがじゃ!よう考えるがじゃ!わし等の目的を果たすためにはどうしたらええか?よう考えるがじゃ!のう!』、龍馬も暗中模索じゃった!明け方、龍馬は寺院の庭に来ちょった、高杉が言った「幕府の長州攻めに加わろうとするものは皆、敵です!」を思い出していた、『一番恐ろしい敵は誰ぜえ!異国じゃろうが!』と心の中で叫んだ!・・・

小曾根邸に来て西郷はこれから直ぐ薩摩に向かって出航する準備か出来たと小曾根に報告する、「坂本さん達も出て行かれるとですね?」、『あん人等には薩摩で働いてもらう!』、「昨日からカステエラば作っておられました!あんお侍さん達は!」、『カステエラ!?』、「ばってん!なかなか面白いお方です!柔らかば頭を持っておられることは確かです!」、『坂本が~!?』、「ええ~~!確かに今までの仕組みが変わらんなら!薩摩も私達長崎商人も生き残れんかも知れん!」と小曾根乾堂は龍馬を高く買っていた・・・

そこへ英四郎が龍馬を案内してきた「西郷様!坂本さんが!」、龍馬がふて腐れてやってきた、『離れが大変なことになっちゅ!荷物をまとめる?否、まとめん!と喧嘩腰じゃ!西郷さん!どういてもわし等を薩摩に連れて帰るがかえ!?』、「はぇ~!さぁ~!坂本さ~!」、『わし等は薩摩を助けるために働く言うがか!?』、「薩摩を助けるっち!?」、『西郷さん!このまま幕府の元におったら!薩摩の将来はないがです!』、「まだそう言いよう!」、『聴いてつかわさい!』・・・

「幕府に逆らうこつなんか出来ることなか!幕府と一緒になったは!薩摩に勝ち目がなかじゃっと!」、『ありますき!幕府に勝てる手立てがあるがじや!それはのう!長州と手を組むことぜよ!!』、「何じゃ~!?」、『長州には底力があるがじゃ!何処よりもよう学び!何処よりも戦う気力に満ちちゅう!』、「へえ~!何んを言い出すとが!」、『今の幕府は諸藩の支えがのうては単独で戦(いくさ)も出来んがじゃ!薩摩を味方にせんと長州も討つことも出来んぞ!』、「坂本!」西郷は龍馬の出過ぎたお節介にうんざりしておった・・・

『薩摩がどっちに付くかで諸侯の行方も変わるがじゃ!長州と薩摩が犬猿の仲じゃとわしも知っちゅ!けんど!今はそう言うことを言いよる場合じゃないじゃろ!どえば仲が悪うても!長崎の商人らは!小曾根さんらは!マージャンをしよるぜよ!儲けのためには誰とでも手を組む強(したた)かさを長崎商人らは持っちゅ!西郷さん!わし等侍も詰まらん意地を捨てて!長崎の商人を見習わんとイカンじゃないじゃろか!?薩摩が助かる道はそれしかないがです!』、これが龍馬が異国の言い成りになった幕府を倒し、独立した日本を守るため考え出した“秘策”じゃった!・・・

『西郷さん!わしが説得しますき!わしが!説得しますき!西郷さん!一言“うん!”と言うてつかわさい!頼みますき!お願いしますき!西郷さん!』、しかし西郷は首を横に振って!「そいはありえん!」と頑(かたく)なに心閉ざした、龍馬の秘策を受け入れるにはもう少し時間がかかりそうじゃった・・・

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歴史秘話ヒストリア“さよなら愛しの故郷~長崎・グラバー邸” 2010年7月22日

2010-07-22 15:13:19 | 日記・エッセイ・コラム

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少し前まで“黒田あゆみ”の名でNHKに出ていたが、いつの間にか“渡邊あゆみ”(50歳)に姓が変わっていた、いつも、どぎついメイクの姐御肌風着物姿でスタジオから届けられていたが、昨日の“歴史秘話ヒストリア”はスタジオから飛び出し、薄紫でシックなドレス姿の“あゆみアナ”はロケ現場となる長崎のグラバー邸に来ていた、あゆみアナに何があったのだろうか?結婚したのだろうか?はたまた離婚したのだろうか?そんなことはどうでもいいことだが(^^ゞ・・・

あゆみアナがグラバー園からレポートする・・・海が直ぐ目の前です、その海から渡る風が大変爽やかです、かつてはこの湾には多くの外国船がひしめいていたそうです、ようこそ歴史秘話ヒストリアへ!今日は異国情緒漂う長崎に来ております、長崎と言えば観光の名所“クラバー園”です、このグラバー園には江戸時代終わりから明治時代までの洋館が保存されています、このクラバー園の名の由来となったのが、こちら文久3年(1863年)に建てられたグラバー邸です・・・

あ~、わたくし、グラバー邸は初めてなんですけど、あ~、オシャレな洋館ですよ!凝ってますね!造りが!アーチ状のひさし、そして瓦ぶきの屋根が特徴的ですね、西洋風と日本風が見事にマッチしています、現存する木造西洋風住宅では国内最古で国の重要文化財に指定されています、館(やかた)の主(あるじ)はこちらの方、トーマス・ブレイク・グラバー(1838~1911年)、イギリス・スコットランドのビジネスマンです、そこには立派なグラバーの銅像があった・・・

クラバー商会を設立し、主に大きなものでは軍艦、大砲、鉄砲などの武器を輸入していたグラバーは坂本龍馬や有力な藩にそれらを売り渡すことで、江戸幕府を倒す影の立役者となりました、今日はこの洋館の主だった親子二代に渡る秘話“グラバーとその息子・倉場富三郎が辿った幕末、明治、昭和までの知られざる物語”をエピソード1から3に別けてお届けします、始まり!始まり~~~!・・・

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“歴史”、それは絶え間なく流れる大河!その中の“一滴”を“秘話”と呼ぶ、グラバー邸の主、トーマス・グラバーは幕末動乱の中、幕府に対抗する勢力を陰で支えた貿易商である、ある時は“武器商人”、またある時は“友好の使者”、敵か見方か?日本をビジネスで動かした男の流儀とは?和服に西洋風の顔立ちの坊やは?長崎の日本人女性・ツルとの間に生まれたクラバーの息子、倉場富三郎(1871~1945年)である!・・・

およそ70通の富三郎の手紙から浮かび上がる父への愛情と葛藤を明治の世を生きた親子の心の内に迫る、イカ、、海老、鯛、など鮮やかな写生図は富三郎の宝物☆富三郎は故郷・長崎の海を愛し続けた、そこに忍び寄る戦争の影!巨大戦艦の登場と原爆投下!長崎を襲う過酷な運命に富三郎も飲み込まれていった!父、トーマス・グラバーと息子、富三郎!長崎クラバー邸の主が見つめた近代日本の物語である・・・

明治40年頃グラバーが69歳の時、幕末に何をしていたか?取材を受けた、「ミスター・クラバー、かの御一新(明治維新)の折に憶えていらっしゃること、その時、貴君がなされたこと、それら全てを在りのままにお聞かせ願いたいのですが?」、『うふふふ、何をバカなことを!私は何も致しませんでした!その世の私の歴史というものは一つもありません!どうか、私の名前を出さぬようにお願いします!』・・・

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最初、口が重かったグラバーはやがて自分がビジネスマンとして実現させた幕末の大転換の裏舞台を明らかにしていった、異国の地で己の腕一つで活躍した男のたくましい生き方の証言だった!ここからEpisode 1 “グラバー自らを語る幕末・大転換の裏舞台”が明かされて行く・・・

1838年、幕末動乱が訪れる十数年前、イギリス北部、スコットランドのとある小さな漁村でグラバーは生まれた、凍(い)てつくような海と厳しい気候!若者たちはそんな故郷を飛び出し、海外で成功することを夢見ていた、グラバーも18歳の頃スコットランド人若者の合言葉“Scots buy only one-way tickets ! (スコットランド人は片道切符しか買わない)”を胸に広い世界へ旅立った・・・

グラバーは当時、貿易商人として一攫千金の夢が広がり始めた東アジアに目をつけた、中国・上海で仕事を学んだのち、安政6(1859)年、グラバー21歳の時、長崎にやって来た、グラバーはその日1859年9月19日をはっきり憶えていた、国際貿易港としてにぎわっていた長崎!港の南の丘の上にとても目立つ1本大きな松の木があった、グラバーはこれは看板代わりになると目を付け、文久3(1863)年グラバー25歳の時一本松の横に館(やかた)を建てここをビジネスの拠点“クラバー商会”とした、一本松屋敷の始まりである・・・

Tシャツは

ペリーの黒船来航以来、当時の日本は幕府の政治が混乱・激動の中にあった、戦争の始まりを想定して多くの藩が近代的西洋の武器を手に入れようとしていた、ここに巨大なビジネスチャンスを見出したグラバーは武器の輸入取引に手を伸ばしていった、一本松屋敷の見晴らしのよい場所に大砲や銃を展示し、訪れた武士達が気分よく取引に応じてくれるように配慮した、こうした工夫が功を奏してグラバーの元には船や武器の注文が相次いだ☆・・・

有力な藩、長州・薩摩や顧客に龍馬の亀山社中も顧客になり、グラバーのビジネスは成長していった、慶応2(1866)年2月27歳になったグラバーは薩摩から日本の政治を大きく変える計画に係わっていった!それは薩摩の実権を握る島津久光とイギリス公使、ハリー・パークスとの会談を仲介して欲しいというものだった、当時、幕府に対抗する姿勢を見せていた薩摩は政治的・軍事的力を高めるためイギリスと手を結ぼうとしていた・・・

薩摩と言う大事な顧客の要望にグラバーはすぐさま行動を開始した・・・長崎総合科学大学のブライアン・バークガフニ教授がこの件に関してコメントを述べた、“イギリスと薩摩が仲良くすることが自分の貿易の利益に繋がると、貿易をするための基本的な信頼関係を築くことがグラバーの狙いだった”と・・・、クラバーは江戸に出向きイギリス公使館にパークスを訪ね、薩摩と手を結ぶよう説得した・・・

プラセンタ

『ミスター・ミニスター!近頃、薩摩など南の大名達が日本の実権を握ろうとしています、今や日本の将来は彼等に懸かっています!公使殿!どうか薩摩候とお会いください!』、ところがパークスからは意外な返事が返ってきた!「その大名たちは外国人を敵視している!今、幕府が日本の国政を担っているのだから、これを助けるべきじゃないのか?」とパークスは薩摩に対して大きな不信感を抱いていた・・・

その3年前、イギリスと薩摩は戦争していた、きっかけは薩摩武士によるイギリス人を殺傷した“生麦事件”だった、故にイギリス人にとって薩摩は危険な存在だった、またグラバーがその直前、薩摩にイギリスの最新兵器を売り渡していた、そのグラバーの行動にイギリス領事館は反発しグラバーは母国を裏切った人物として疑われ、行動をマークされる存在だった・・・

“薩摩は長崎に諜報員を長崎に置き、居留地(きょりゅうち)の外国人と提携を進めている、特に注意すべきはトーマス・グラバーである!”と言う内容がイギリス領事書簡に残されている、しかし薩摩とイギリスとの仲介は不可能!?の壁にぶつかったグラバーのなかには薩摩と言う大事な取引先からの依頼を果たさねば信頼を失ってしまう!これは絶対避けなけねばならない!故郷を捨て、片道切符できたグラバーには諦める訳には行かなかった新興商人の意地が芽生えていた・・・

FXプライム

そこでグラバーはまずイギリス公使館員を自分の味方に抱き込もうと計らった、その公使館員はアレクサンダー・シーボルトと言う以外な人物だった、かつて最新の医学を日本に伝えたシーボルトの息子だった、うぬ!1823年(文政6年)長崎出島のオランダ商館医師として来日したフィリップ・シーボルトだろうか?彼ならオランダ人かドイツ人でなかっただろうか?まぁ!歴史秘話ミステリアを信じよう・・・シーボルトは公使館の中で最も薩摩を危険視していた、グラバーは一番厄介な人物から攻略しようとしたのである・・・

ある日グラバーは強引にシーボルトを誘い出した、シーボルトが連れて行かれた先はなんと危険な薩摩藩屋敷だった!そこで待ち受けていたのは薩摩による、旨いもん食わして!飲ませる!“接待攻撃”!手を結びたい相手に好意を持ってもらうには歓迎の気持ちを表すのが一番!クラバーは日本のビジネスマンがよく使うやり方で、最も難しい人物の攻略に成功していった☆・・・

薩摩に敵意がないことを実感したシーボルトは薩摩との提携をパークスに薦めた、これでイギリス公使館の薩摩に対する見方が一変した!慶応2(1866)年6月16日イギリス公使パークスの一行が薩摩を訪問するに至った!パークスは島津久光と会談し、イギリスは薩摩と本格的な提携を始めていった、グラバーはこうして上得意先・薩摩の要望に見事答えたのだった!・・・

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それから1年半後、慶応4年(1868年)1月3日鳥羽伏見の戦いで、イギリスの支持を受けた薩摩達の倒幕勢力が幕府側を打ち破った!「ハリー・パークスと薩摩との壁を壊したのが、わたしの一番の手柄でしょう!幕府に対する叛逆人の中でも自分が最大の叛逆人ではないだろうか!」とグラバーは誇らしく語った!・・・

でもグラバーさん!ちっくと待ってつかわさい!長崎歴史文化博物館に残されている、ロンドンからグラバー邸に発送された商品明細の記録によれば、同じ頃に最新式アームストロング砲の注文を幕府から受けその取引を成立させていた!・・・「クラバーさん!貴方は何と!したたかなんでしょう!幕府の対抗勢力に肩入れしている最中に、その幕府とも二股かけて武器の取引をしていたなんて!何と商魂たくましいビジネスマンなんでしょう!」・・・

クラバー邸は建てられた当初文久3年(1863年)頃、ビジネスのお客を招く迎賓館として使用されていた、広さ20畳以上、天井の高さ3m余りもある応接間が商談の場として使われていた、窓も多く開放的な空間であった、テーブルには美味しい酒と豪勢な料理でもてなしを受ければ、買い付けに来た武士達はもてなしに乗せられて、ついつい買い過ぎてしまったのではないだろうか?・・・

sk2

ところがその後、明治20年(1887年)頃、食堂などが建て増しされ、部屋数が当初の倍以上になった、建て増しの理由は簡単!明治3年(1870年)32歳の時、グラバーが談川ツル(1851~1899年)と言う日本女性を見初め結婚した、二人の間に長女ハナと倉場富三郎と名付けられた長男を授かった☆家族が出来て暮らしのための部屋が必要になったためだった、そこにはグラバーの期待を背負ったあと取り息子・富三郎のために10畳位の勉強部屋が増設されていた・・・

富三郎は諫早にあるカブリー英和学校(のちの鎮西学院高校の前身)を経て、東京に出て宮内省所轄の官立学校・学習院を卒業後、アメリカに留学しペンシルベニア大学で好きな魚達の学問“生物学”を学んで帰国した、グラバー商会の子会社ホームリンガー商会(門司)で勤めた後、長崎汽船漁業会社を起業して、父と同じ実業家の道を歩んだ☆妻には富三郎と同じ境遇を共にしてくれる、日英混血の中野ワカをめとった、のちに魚好きが高じて長崎魚市場から収集した魚君たちの精巧な写生図を編纂して『クラバー図譜』を完成させたことは有名らしい・・・

父のトーマス・グラバーは精力的に実業家の道を突き進んだ、1868年肥前藩と契約して佐賀高島に“高島炭鉱”を興(おこ)し後に官営会社となったとき実質経営者となった、1870年麒麟麦酒の前身スプリングバレー・ブルワリーの基礎も築いた、1881年高島炭鉱は官営事業払い下げとなり岩崎弥太郎に買収されたが、その後も所長に留まり経営に携わっていった、1885年以降は弥太郎の三菱財閥の相談役としても活躍している・・・

1908年外国人として初めて、薫二等旭日重光章(くんにとうきょくじつじゅうこうしよう)が授与された☆トーマス・グラバーは晩年東京で73歳の生涯を送ったが、富三郎は74歳で亡くなるまで長崎で過ごした、グラバーと富三郎が美しい館・グラバー邸を巡って父と子の愛情を育んだ心の故郷・長崎の丘・・・二人の魂は坂本国際墓地に仲良く並んで永遠に眠り、長崎の海を眺めているだろう・・・後半少し走(はしょ)ってしまったが、めんごめんごで~す・・・

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広島vs阪神12回戦を篠田で勝ち5連敗から脱する☆ 2010年7月21日

2010-07-21 20:37:10 | 日記・エッセイ・コラム

ヘルシーワン

FX

あっつ~~!今日は全国各地で35℃を越える猛暑日になったようである!群馬県館林市では最高気温38.9℃を記録したそうだ!こんな夜はテレビで夏の風物詩ナイター中継を観戦するのもよし!球場に出かけてカクテル光線に照らされダイヤモンド上で繰り広げられるプロ野球の熱戦に歓喜するのも更によしである・・・

前半最終戦となる広島vs阪神12回戦が今甲子園で進行している、今日の先発、左腕・篠田純平がいつものように適度に球を散らしてのらりくらり阪神打線を抑えて6回まで6-2で楽勝ムードで来ている☆昨夜は魔の延長10回裏で大島から継いだプロ4年目上野弘文が鳥谷にサヨナラ逆転2点オームランされ4-5で惜敗して5連敗となった!優勝戦線に残るには、これ以上連敗を続けると後がなくなる!・・・

今日の広島打線は初回に爆発し篠田を後押しした☆東出→赤松→ヒューバー→広瀬→石井琢らの短打が続き3得点を挙げて幸先いいスタートを切っている☆2回にもソヨギをセカンドに置いてヒューバーがタイムリー2塁打して4-0とした、3回表にもレフトラインへヒットした広瀬を1塁に置いて、ノーステップ打法で今売り出し中のレフトを守っていた岩本貴裕(24歳、2年目)がカッキ~~~ん☆ライトスタンド、ポール際に2ランをほうり込み序盤で早くも6-0と阪神を大きくリードしていた!☆・・・

7回裏篠田がトップバーター浅井にライト線ギリギリに2塁出された、ここで大野コーチが出てサイドスローの梅津に継ぐ、梅津は関本をショートゴロに打ち取ったところでワンポイントで退きベイルに託す、鳥谷がセカンドゴロに倒れるも3盗に成功していた浅井が帰り6-3となる、現在ヤクルトに4-1でリードされている巨人が敗れれば、阪神は首位を奪取するチャンスが今日の試合に懸かっていた・・・

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今日の広島打線は一味違う☆勢いが伝わってくる☆強い時の広島である☆8回表、倉→小窪と倒れたあと、レフトへのヒットで東出が出たあと、ソヨギがライト戦へ弾き返す☆クロスプレーに見えたが、ホームへの送球が僅か左に逸(そ)れたか?城島がタッチを焦ったか?捕球出来ず、東出がホームインして7-3と差を広げる・・・

8回裏から登板していた抑えの岸本秀樹(28歳、横浜から移籍3年目)が9回裏に1失点許したものの、そのまま見事7-4で阪神に勝利し5連敗から脱出して、34勝50敗2引き分けの成績で前半を折り返した、何とか後半を2勝1敗のペースで行ってくれれば8月の終わりには勝率を5割に戻すことが出来るはずだ、そうなればクライマックス・シリーズ進出も見えてくるのでないだろか・・・

7月23日(金)福岡Yahoo!Japan ドームで、7月24日(土)HARD OFF ECOスタジアム新潟で2日間オールスター戦のお祭が開かれる、我が広島からは日本のエース・前田健太がファン投票と選手間投票の両方で選抜されている、東出輝裕がファン投票で選抜された、また広瀬純が6月12日に右手首を骨折した栗原健太の補充選手として選ばれている、7月27日(火)からリーグ戦後半が始まる、わが広島は神宮でヤクルトと3連戦を戦う、2勝1敗で行ってくれ!ファイトいっぱ~~~つ!!

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龍馬伝、第7弾 “新天地、長崎” 2010年7月18日

2010-07-18 22:08:51 | 日記・エッセイ・コラム

H&B style

ソファー

龍馬伝第2部の変わり目にも登場していたが、高知県にある“土陽新聞社”の記者である坂崎紫瀾(しらん)が郷土土佐の当時名もない維新の志士・坂本龍馬について生前、時代を共にした岩崎弥太郎を通じて取材をしておった、龍馬暗殺から15年後、1882年(明治十五年)郵便汽船三菱社長に出世していた岩崎弥太郎は千住(せんじゅ、現在の荒川区)にある“千葉灸治院”という針灸院でお灸を受けに来ているところへ坂崎記者が張り付いていた・・・

表には人力車が停まりキセルを吹かせる車夫が待っていた、土塀越しに上半身裸でうつ伏せになって治療を受けている弥太郎が見えた、相当の量のお灸が背中に盛られていた、「今や大実業家の社長が・・・、胃は前から痛みようですか?」と坂崎が尋ねた、『大したことはないがじゃ!こんなところで病院通いしゆう噂が知れたら三菱に投資しゆうもんが不安になるろ!』、「まっこと大変なもんですね、商売言うもんは!」、『生きの目を抜く世界ぜよ!油断ならんいう意味では幕末と変わらんのう!』・・・

「先日は海軍操練所が閉鎖されたところまで話をお伺いしました、坂本龍馬は西郷隆盛とともに薩摩に向こたがですね?」、その時突如「坂本!?」、と治療に当たっていた女性針灸師がつぶやいた!「それからどうなったがですか?」と坂崎が続けた、「坂本龍馬!?あの方のことをお聞きになっているの!?」、そこには、ななな~~~んと!龍馬が涙に咽(むせ)ぶ辛い別れをした、あの千葉道場北辰一刀流指南役・千葉佐那がおったではないか!!佐那は学習院女子部舎監(しゃかん、寄宿舎の監督職)を務めたあと、千住の地で家伝の針灸院を開業していた!・・・

がん 病院

『この男は坂崎君という高知の新聞記者じゃ!龍馬を主人公にした連載の物語を書くそうでよ!』、「こちらは?」と坂崎は訊いた、『千葉佐那さんだ!』、「えっ!」坂崎は驚いた!「あの方のことなら、わたしにも聞いてください!あの方は本当に立派な方でした!」、「ちっこと待ってつかわさい!あなたは千葉道場におられた方!?」、「道場は兄の代で終わりました!明治になって剣術をやる方がスッカリいなくなってしまいましたから!」、「ほんなら重太郎さんは?」、「京都で役人をしております!」・・・

「ご結婚は?」と坂崎が尋ねると、「いいえ!」と返ってきた、「では、今でも龍馬のことを?」、『あっはっははは!あいつはひどい男でよ!佐那さんが自分に惚れちょっことを知っちょりながら好き勝手なことを!』と弥太郎が口を挟んだ、「わたしが勝手にお慕い続けていただけですから、坂本さんの瞳は本当に子供のようにキラキラ輝いていました☆」、『それは佐那さんが知っちゅ龍馬ぜよ!海軍操練所が潰されて、日本の海軍を創る夢を絶たれ、盟友・武市半平太を失のうてから龍馬は変わってしもたがや!うっ!熱うなってきたがや!!』・・・

「どう変わったですろう?」、『土佐におった頃のボンボン育ちも!脱藩してからの脳天気な明るさも影を潜めてのう!あっつ~~!』、「岩崎さん!我慢しなさい!」、「どうなったがですろう?龍馬は?」、『侍も!公家も!外国人も!皆んなあ、龍馬に振り回されて行ったでよ!腹が立つことは、侍のくせに、わしよりも先に商売を始めよって!クッソ~~!龍馬!あっつう~~!あっつう~~!』、「あっ!あぶない!あぶない!今ずらしますから!」・・・

収納

龍馬伝オープニング画面転換もスッカリ様変わりしていた・・・薩摩藩参謀・西郷隆盛と家老・小松帯刀(たてわき)と、そして龍馬ら一行を乗せ、1865年(慶応元年)4月大坂天保山を鹿児島に向こうて出航した薩摩藩船“胡蝶丸”は途中長崎に立ち寄ったがじゃ、外国との交易が最も盛んな港町じゃった!早速、龍馬ら一行は街に出ていったがじゃ、長崎はまるで日本であって日本でないような街じゃった!南蛮(ヨーロッパと東南アジアの文物)渡来・長崎くんちの獅子舞や龍踊りなど目を見張る異国文化が繰り広げられていた・・・

ほんに坂と階段が多いのう!、あ~~!しんど!、「ジャラァア~~~ん!バチバチバチ~~~!」ドラや爆竹がなった!オ~~!ナンじゃ!この街は!?ここは日本かえ!?たまげたがや!?な~~んと!異人だらけじゃ!異人のおなごじゃ!オッ!髪が黄金色じゃ!まなこが青いぞぉ!海軍操練所でさんざん英語を学んできちょったが、ほんまもんの異人を見るがは初めてじゃのう!『ちくっとすまん!』と龍馬が人波を掻き分けて進むと、寺院のアチコチで品定めしながら南蛮人たちの輪ができていたのに目が留まった、『長次郎!あれは何をしようがか?』、「商談ですろうか!?」、『商談!?』・・・

長崎で龍馬らの宿になったがは、長崎屈指の貿易商・小曾根乾堂(こそね てんどう、1828~1885年)の屋敷じゃった!乾堂の部屋で西郷と二人で話しておった、「玄界灘で嵐に逢われたとか?ご無事で何よりで御座いました!」、饅頭を砲張りながら西郷が答えた、『あん嵐はまいった!坂本たちがおらんかったら間違いなく沈んじょったなあ!』、「あのお侍さん達はそげん優秀でしたか?」、『船を操る腕は薩摩もん達に劣らん!英語を自在に操るもんもおる!』、「それはよか買いもんをされましたな!これから私どもの取引の際には是非あん人達をばお遣い下されたいものです!」、『あげな手足(てだ)れもん(熟練者)は軍艦だけ乗せるはもったいなかでなあ!』・・・

薬剤師なら

そこに弟の小曾根英四郎が現れ、龍馬らお侍たちを離れに案内したことを伝え、その龍馬を連れてきた、『ここはまっこと珍しいもんばっかりじゃ!あの廊下の振り子時計かい?オランダ製じゃそうな!わしははじめて見たがじゃ!長崎一の商人の小曾根さんがこないまあ儲けちゅことは薩摩の力言うがは相当なもんじゃのう!さすが早ように西洋との交易に目を付けただけはあるがぜよ!』と龍馬は部屋の中をうろつく、「坂本さ~!座りもんせ!オイに何か御用な!?」・・・

『そうじゃ!実は西郷さんに頼みがあるがじゃ!わし等をこのまま、ここに置いてくれんかい!長崎はまっこと面白いところじゃ~!日本が世界と係わっちゅことが肌で分かるがぜよ!』、「坂本さ~!おまんさ達は薩摩が雇ったごあんぞ!薩摩で働いてもらわななりもはん!」、『わかっちゅ!けんど!蒸気船を操られるもん等を荷物運びだけに使う言うがはちっくともったいないとおもいましてのう!』、「自分たちを高く売りたくごあんでなあ!?」、『いやいや!食い扶持(くいぶち)は自分らで稼ぐがじゃ!』、「なぬ!?」・・・

『けんど!安心してつかわさい!薩摩の仕事は第一に考えますき!』、「自分達で稼ぐ!?」、『わし等は何処の藩にも頼りたかないがじゃ!柵(しがらみ)があっては言いたいことが言えませんけにのう!』、「言いたいこと!?」、『はぁ!侍は藩の元で生きる!藩は幕府の元で生きる!今まででは、それが当たり前じゃったけんど、もうそろそろ変えてもええがじゃないですろうか!?西郷さん!そろそろ幕府の元から飛び出してみんかえ!』・・・

ドロップシッピング<script type="text/javascript"></script>

「また大変なこと、言いもんだなあ!坂本はんは!?」、『ここらで世の中の仕組みを変えんと日本は異国の餌食になってしまうがぜよ!』、「なるほど、おまんさは天下国家のこつまで考えておられるっとなあ!?」、『そうじゃ!その通りじゃ!』、「じゃどん!西郷吉之助に向こうて薩摩の有様まで語っととは、ちっとばっかし!おこがましかと!どげん蒸気船を操れても、坂本さんは一介の脱藩浪人であんど!」と龍馬を肩透かしして藩邸へ戻っていった・・・

仲間のいる部屋へ帰って西郷との話の成り行きを報告した、「やっぱり、相手にされんかったですか?」、「まあ!仕方ないわなあ!西郷さんは偉大な侍大将であって、日本のために働こうと言うお人じゃない!」、いきなり世の中の仕組みを変える言うて、膝を打ってもらうわけないがぜよ!」と仲間達は反応した、「けんど、食い口はわしらで何とかする言うてしもたは早過ぎですろうが!坂本さん!」、「金を稼ぐ手立てすら、わし等にはまだ無いがですき!」・・・

『考えたら何とかなるろう!長次郎はソロバンが出来る!陽之助は英語が得意じゃ!ここにいる皆は海軍操練所で学んできた腕があるがやき!』、「そう言うたち!」、「船が一隻あったら、何でもできるのになあ!」と陽之助が呟く、「誰か船を貸してくれんろうかのう!」と惣之丞がため息をつく、「そんなもんがおるがか!おらん!おらん!」、『う~~ん、船かえ!?』と龍馬は考え込んだ・・・

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舞台はフランス公使館にへ転換した・・・“世の中の仕組みを変える!”、龍馬らが、そう考えたがは無理もなかった、徳川幕府はフランスの後ろ盾で戦力を回復しつつあったがじゃ!・・・フランス公使・ロッシュは老中・水野忠精(ただきよ)に迫った!「フランスが幕府を経済的支援する代わりにフランスとの貿易を最優先して頂きたい!」と、幕府勘定奉行・小栗忠順(ただまさ)は「他国との付き合いもあるゆえ・・・」と言葉を濁した・・・

するとロッシュは提案した!『私がアメリカ、イギリス、オランダに声を掛けて“覚書”を作りましょう!これからは各藩と直(じか)に貿易せず、全て“幕府を通す”よう約束する覚書です!』、すると小栗は「誠で御座るか!☆」と飛びついた、これは幕府にとって大きな力となったがじゃ☆つまり、幕府の承諾なしには各藩は外国と一切(いっさい)貿易が出来んようになった!それは長崎奉行所においても同じじゃった!いくら商いが成立したち、長崎奉行・朝比奈昌広がそれに“商い取引許可承諾の御届書”を出さない限りその商取引は許されず、いくら長崎奉行所役人・岩堀文治郎なりとも諦めるしかなかったぜよ!・・・

その影響はイギリス商人のトーマス・グラバーにも及んだ、時には取引量が半分に減らされることもあった、グラバーは薩摩藩家老・小松帯刀に助言した「幕府は薩摩に厳しすぎますね!何故貴方は幕府に抗議しないのですか!?」、小松は噛み付いた!『文句はイギリスに言いたか!今まで我々と直接取引きしておったが、なんごと!おまんさのイギリス政府はいちいち幕府を通すことにしたとごわすか!?』、「私に言われても困るよ!まあ、気を落とすな!」と小松はクラバーに軽くあしらわれた・・・

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トーマス・ブレイク・グラバーは安政六年(1859年)にエゲレスからやって来た、人を殺す武器を売る故“死の商人”と恐れられた貿易商人じゃった!長崎で“クラバー商会”を立ち上げたこのは男は僅か3年で巨万の富を築いたがじゃ!・・・住宅と事務所を兼ねた長崎の港が一望できるクラバーの豪邸を龍馬らが訪ねてきた、応接間の壁には鹿頭の飾り物があった!「これは作りもんかえ?」、「ほんまもんの鹿じゃ!」、「どういてこんなもん飾るか?」、「おもしろいのう!」、『おっ!来たぜよ!』・・・

『わしは坂本龍馬といいます!』、「Nice meet you !」とグラバーは手を握ってきた、『これは~!シェイクハンドじゃのう!陸奥!ナイスミーチュとは何ぞえ!』などと挨拶を交わした、どうやら龍馬達はグラバーに船を貸してもらいに来たらしい、グラバーは流暢な日本語を話し始めた!『お~~!さすが遠いエゲレスから来て、日本で成功したお人じゃのう!たいしたもんですのう!』、「私に何の御用ですか?」、『おっ、実はのう!わしらに船を貸して欲しいがじゃ!蒸気船じゃ!日本の商人は小船しかもっちゅせんき!異国の商人しかおらんがじゃ!』・・・

「船で何を?」とクラバーに突っ込まれた、『ビジネス!商売ぜよ!わし等に船を持たせたら何んちゃ出来るがぜよ!』、「アッハハハ~~!お侍様が商売とは!・・・お貸ししましょう、月1200ポンド!月3000両!で如何でしょうか?蒸気船だからそれなりに金がかかる!」、『3000両!!』、「一月3000両ら、とても払えんけ!」、『クラバーさん!もうちくっと!』、「申し訳ない!1200ポンド以下では話にならない!丸山でボロ船でも探すべきだな!」とグラバーは退席した!法外な賃貸料にビックラこいた龍馬らは相手にもして貰えんかった!!・・・

多肉植物<script type="text/javascript"></script>

『長次郎、丸山とはどこぜよ?』、「はあっ!?」、国際的社交の場でもあった“丸山”は料亭が集まっちゅ長崎の花街じゃった!中でも引田(ひけた)屋は諸藩の藩士達が訪れる大店(おおだな)じゃったがや!椿の間には薩摩藩士達が飲んでおった、「西郷さん、幕府が長州に戦を仕掛ける言うは、本当のごつにごわすか?」、『我が藩にも兵を出せと言うてきちょ!』、出すべき!長州征伐じゃ!長州は敵じゃ!長州を叩き潰そう!なんのと管巻いていた、それを西郷が『今、長州を滅ぼしたかと言うて薩摩には何の得にもならん!幕府が今よりもっと強くなるだけじゃ!』と制した・・・

冷やかしか?詮索か?料理も酒も芸子も要らんのに厚かましくも、竹の間に通された龍馬一行は真っ赤でまん丸のテーブルを見て盛んに感心していた!「長崎の卓袱(しっぽく)料理(中国風日本料理)は円卓で召し上がってもらうとです、上座も下座もなく楽(たの)しゅうに!」、『そりゃええわ!わし等にピッタリじゃ!』、「階段の手前から薩摩弁が聞こえたき!」、「椿の間に入っちょったら、どえらい事になっちょったのう!」、「何処に飛び込んでみるね?」、『そうじゃのう~~~』、龍馬らは何をしに来たがや?クラバーの言葉を真に受けて丸山にボロ船を見つけに来たがや!?バカさ加減が分からん!・・・

クラバー邸の庭園では、スコッチ・ウイスキーを嗜(たしな)みながらクラバーが商人仲間のウイリアム・オールトとイギリス政府の恐ろしい企みを話していた、『君は商売敵(がたき)だが、同じイギリス人として教えてやろう!もうこの国は終わりだ!稼ぐだけ稼いだら日本から逃げろ!』、「どう言う意味だ!?」、『今の幕府はフランスの操り人形だ!イギリスがそれを許すと思うかい!?』、「戦争になるのか!?」、『イギリスは既に日本との戦争を想定しているて上陸作戦を計画しているんだ!』、「上陸作戦だと!?」・・・

グリーンフロンティア

『まず、イギリス軍は摂津の海を封鎖し!歩兵1万2千人と騎兵5百を兵庫に上陸させる!そこから大坂を制圧して京都へ進行する!そして御門(みかど)を拘束し、海軍を江戸湾に進めて、本隊1万5千が江戸城を攻撃する!日本はたった1日で降伏する!幕府も薩摩も長州も土佐も、全くお目出度い連中さ!今この国が存亡の危機にあると分かっている日本人は誰一人としていないのさ!ウハ!ウハ!ワッハッハ~~~!!イギリスも悪よのう~~!』・・・

梅の間には、気まぐれで出家したと言う、散切り頭の高杉晋作と津和野藩(島根県西部)藩士を装った長州藩士らが来ておった、その席には丸山屈指の芸子・お元が三味線とお囃子に合わせて華麗な舞いを披露していた☆フラガール以来のほんに美しい舞じゃった☆ブラボー!☆その日彼らはエゲレス商人に会うことになっていたが、スッポ抜かされたことをお元に明かした、「クラバーさん?異国の人はみんな用心深かですよ!うちだって津和野藩のお客様は初めてじゃけん覚悟してまいりました!」、実際クラバーは幕府の敵・長州に味方する恐れのある津和野には幕府からの取引許可が出ないと見ていた・・・

そこへ龍馬らが高杉らがいる梅の間に踏み込んできた!『宴(うたげ)の邪魔をしてすまんのう!三味線のええ音が表まで聞こえてきて、つい聞き耳を立ててしもうた!知っちょりましょうか?卓袱の卓が丸~~いがは?上下の垣根も横の垣根もとっぱろうて、みんなで仲よう料理を囲もう言う訳じゃそうじゃ!』、ナンじゃ?お前等、タダ食いに来たのか!?、『おんしら、津和野かえ?』、「グラバーから何を買おうとしよるですろう?」、『よう聞きや!わし等は奉行所のもんじゃないけに!おぬしらの味方じゃけん!』・・・

薬剤師 転職

「長崎には面白いもんがおるのう?何でおぬし等がわし等の味方なんじゃ!?聴かしてくれ!?」、『わし等は脱藩浪士じゃ!何処の藩のものでもない!奉行所の目にも留まらん!』、「しかも、わいら、蒸気船を操れるき!津和野藩の船を一隻貸してくれたら、おぬし等の代わりに異国の商人と交易しちゃる!」、高杉は見抜いた!「お前等、土佐もんやな!?」、『そうじゃ!わしは坂本龍馬じゃ!ここにいるみんな、海軍操練所におったがや!』、一瞬緊張が走った!・・・

『待ちや!わし等は幕府を守るために海軍をやりよったじゃないき!』、「日本を異国から守るために学びよったがです!」、『ところで、おまん等は何者ぜよ!津和野藩のもんではないろ!幕府と聞いただけで刀に手をかけるほどの攘夷派は津和野藩にはおらんきのう!』、「津和野藩でない!?誰ぜ?」、高杉は答えた「わし等は長州です!」、「長州藩士は長崎の立ち入りを禁じられちょるぜよ!」、『名を変えて入ったがか?』、「違う!わし等は津和野藩士として入っとる!」・・・

「桂さんが言うちょりました!土佐の坂本龍馬は信用できると!僕は長州藩士・高杉晋作と言います!よろしく!」と高杉は自分の身を明かした、『高杉さん!桂さんと知り合いやったがかえ!こりゃええ!』、「坂本さん!ほんに僕等を手伝うてくれるんですか!?」、『兎に角、場所を変えて話をするがぜよ!この店には薩摩藩士がおるがじゃ!』、途端、長州に殺気が走った!『落ち着け!騒がれたら困るがは、おまん等じゃろが!』・・・

銀座キャピタルホテル

「坂本さん!話はここでしましょう!敵に脅えて逃げたと思われたら心外ですから!」、「けんど!」、『長次郎!高杉さん、分かった!』、すると龍馬は蒼井優扮する芸子・お元に向かって『すまんが、おまん!こん人等と薩摩藩が決して鉢合わせにならんように、お上に取り計ろうてもらえんかい!?』と頼んだ、「はい!」とお元は答えた、可愛ゆい~~!☆『頼むき!』、店を出て行くお元に、「お元ちゃん!お座敷はとげんしたと!」仲居の問いに、「面倒がことに巻き込まれることは真っ平!」と奉行所に向かった・・・

「僕等が欲しいのは武器だ!軍艦10隻とミニA銃1万丁!」、「なぬ!10隻!1万丁!」長次郎は度肝を抜かしそうになった!、「50万両もあれば足りるでしょう!」、『50万両!?そんな大金が長州に!?』、「僕等には馬関(関門)海峡と下関がある!」と長州藩士・伊藤俊輔が言うた、「そこには日本中から物が入ってきよるちゃ!金なら唸(うな)るほど持っちょるんです!」、『まっこと!?ほんなら、長州は武器を揃(そろ)えて何がしたいがじゃ!』、「攘夷のためですか?また異国の船を攻撃するがですか?」・・・

「そんなつまらんことはもうせん!力ずくの攘夷などはもう無理じゃ!異国と戦って骨身にしみて僕等は分かったんですよ!武力では異国に到底叶わんて!」、『そうじゃ!そうじゃ!その通りじゃ!たいしたもんじゃ!よう分かってくれた!長州は!』と龍馬は賛同した、「ほんなら、1万丁の銃を何に使うですろう!?」と長次郎が訊いた、「きまっちょう!幕府と戦うためじゃ!」と伊藤は言った、「一切(いっさい)幕府には従わんと決めたんじゃ!」と長州藩士・井上聞多(もんた)が詰めた・・・

プラセンタ

「坂本さん!長州は独立するんです!」、『独立!?』、その時たまたま通りかかった一人の薩摩藩士が梅の間の廊下で聞き耳を立てていた!「長州は最後の一人になるまで戦い抜くんじゃ!」、・・・その薩摩藩士は慌てて椿の間に戻り、「梅の間に長州が!」と知らせた!「梅の間か!」、ここで逢ったら百年目!とばかり薩摩は梅の間に雪崩れ込んだ!一触即発状態となる!『誰ぜよ!薩摩!?』、「なんでお前達が長崎にきとっか!」・・・

西郷が前に出る「おいは!西郷吉之助でごわす!長州のみなんとは蛤御門以来でごあんどな!」、「西郷!お前には積年の恨みがある!」、龍馬が割り込んだ『止めや!おぬしら!』、「お~~!坂本さん!」、『西郷さん!こんな狭い部屋の中で刀を抜きおうて!まるで鶏小屋のなかで鶏同士が喧嘩しゆうと同じぜよ!』、沢村が言う「みんな絞め殺されて!異人に食われてしまうがぜよ!」、『一番恐ろしい敵は誰でえ!異国じゃろが!日本人同士で喧嘩しゆう場合かえ!え!西郷さん!』・・・

その時「どけ!どけ!長崎奉行所である!長州藩士は何処じゃ!」と役人達が引田屋に駆け込んで行く、高杉がピストルを出し天井に威嚇射撃する!西郷は高杉を見抜いていた「そん散切り頭は奇兵隊と言うもんを作って引っ張っちょる高杉晋作じゃな!」、「さすが西郷じや!よう知っちょる!邪魔が入らにゃ、存分に相手になっちやるやが!運が良かったのう!もう一発ぶっ放してその場から消えて行く!龍馬等も退散し、西郷一人が残る!そこへ一人の奉行の役人が入ってくる、「おう!こいは岩掘さ!長州藩士はもうおりもはん!」・・・

後日、長崎奉行所に朝比奈奉行と岩掘が話す場に普段着のお元がいた、龍馬が引田屋で初めて出逢ったお元は三味線・お琴・舞に長(た)けた芸子だったが、長崎の政界、財界までをも動かす力を持つ才色兼備な女性であったようである!お元は次第に龍馬の心を動かしていく存在となり、龍馬は新天地・長崎で更なる飛躍を遂げていくだろう・・・

OKピット

ナチュラルウッド

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