Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛が終わり、黒田が帰ってくる! 2014年12月28日

2014-12-28 10:54:25 | 日記・エッセイ・コラム

今朝のNHKあさいちラジオで、黒田博樹(39歳、上宮高、専修大、広島カープ)が我等が広島東洋カープに帰ってくることを確信した!1997年広島に入団して以来、2007年までに103勝を挙げたあの広島の大黒柱ピッチャー・黒田が古巣のマウンドに帰ってくるのだ!!FA(Free Agent)を獲得した2006年、あの日、シーズン最終試合に、背番号15の赤いプラカードを掲げて広島市民球場を埋め尽くした満員の広島ファンが、巨大横断幕 “我々は君と共に闘ってきた今までも!未来へ輝く栄光の日まで、君が涙を流すなら、君の涙になってやる!Carpのエース黒田博樹よ!”と黒田に熱く訴えた!それに、ほだされたか、2007年は黒田はFA権を行使せず残留を決め続投してくれた!・・・

だが一大決心の末、黒田博樹は2008年にメジャー・リーグへ己の力量を試すため武者修行へ出かけた!黒田は先発ローテーションピッチャーとしてドジャーズ4年、ヤンキース3年間、計7年間で79勝を挙げた!5年連続二桁勝利を挙げドジャースとヤンキースのAクラス入りに貢献した黒田が、あの日の横断幕に込められた広島ファンの熱意に答えて、6シーズン掛けて獲得したメジャーリーグでのFA権(メジャーでは6シーズンでFA権が獲れる)を行使せず、16億5000円プラス出来高、推定21億6000万円ものヤンキースのオファーを蹴ってまでも、黒田博樹は武者修行に終止符をつけ、古巣・広島に帰ってくると決心してくれたのだ!有難う!黒田博樹の誠意に感謝したい!・・・

あと2年でも3年でも良い、黒田博樹、貴方か納得するまで1年でも長く、広島の大黒柱としてプレーを続けて欲しいと、広島ファンなら誰でも願っている!2007年から数えて8シーズン経って、今シーズンでFA権を獲得したエースのマエケンも先日24日に契約更改して広島残留を決めてくれている、昨年入団して10勝を挙げ、セ・リーグ最優秀新人賞に輝いた大瀬良大地(23歳、長崎日大高、九州共立大)と合せれば、マエケン・黒田・大瀬良の広島カープ先発3本柱が整った!今シーズンはリーグ3位でクライマックス・シリーズまで残った広島だ、来季から広島は緒方孝市新体制に生まれ変わる!う~~~ん、これで来シーズンからの セ・リーグの優勝争いが楽しみだ!行け~~~新生広島!セ・リーグ優勝と、願わくば日本シリーズ優勝に向かって!ファイトいっぱ~~~つ!・・・

さて、毎年の事だが、遅ればせながら年賀状作成に取り掛からねばならない、昨年まではHP製パソコンのWindows XPにインストールした“はがきスタジオ”のアプリを駆使して、いとも簡単に年賀状作成が出来るようになっていた、宛名も住所一覧も保存していた、しかし今年3月に、新しいSony Vaio Windows8に買え替えかえ、全てのXP データーをMDステックに保存して移し替えた積りでいたが、咋日いくら探しても無かった!今日早速、埃をかぶったXPをまた立ち上げデーター移動を試みたが、電池を替えて使っていたコードレスとコード付きカーソルで何回何回も試みたがやっても、何故かカーソルが働かず叶わなかった!仕方なくデーター移動は諦めて、明日、新しく“はがきスタジオ”をダウンロードしてやり直すことにした、上手く行く保証はない!成るようになるさ!やれやれ、間に合うのか?全て手書きになるかも?・・・

しかし、小生にも良い知らせがある、小生、体重が70kgを割ったら、ウオーキングから、自重していたジョギングを始めると決めていたが、なかなか体重が73kgから減らず、しびれを切らして先週からジョギングを再開した!これまで10km程度なら何の問題なくつづけられてきている、これからは距離を徐々に伸ばしていく予定である、分かっていたことだが、薄っすら汗をかくウオーキングより、はるかにエネルギー消費量が違う、真冬でもTシャツがベトベトになることを久しぶりに再確認し嬉しかった !  早く体重を70kgを切り60kg台に絞って行きたい、読者の皆さん、良いお年を!・・・

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第2回富士山大学女子駅伝を立命館が連覇する! 2014年12月23日

2014-12-24 11:03:24 | 日記・エッセイ・コラム

I heartily wish you all a Merry Christmas and a Happy New Year!☆

神はその一人子、イエス・キリストを賜(たまわ)ったほどに、この世を愛して下さった、それは、その御子(みこ)、イエス・キリストを信じるものが、一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである!・・・ヨハネ3章16節

最近、我が家に一匹の野良猫が現れるようになった、小生にはよく慣れ、身体を摺り寄せてくるほど懐(なつ)いている、最初はサクラのドライフードをやっていたが、家内にそれがバレて隠された、今ではホームセンターで買ってきた猫用のドライフードを物置に隠し、裏庭でコッソリやるようになった、猫嫌いの家内は鬼の様になってその猫を嫌う、時にはこの極寒の時にホースを向けて水を浴びせているらしい!投げつけるため小石をポケットに忍ばせている!次男は優しく接するが、長男は家内に同調して、殺してやろか!と威嚇して追い払う!小生が、家内と長男に、「少しは、救いを求めてやって来る弱きものを、憐れむ慈愛の心を持て!」と忠告するのだが聞く耳を持たない!その猫も家内と長男の凶暴性をよく理解していて、小生の車の下で、小生が現れるのを静かに待っている、小生を見かけると、鳴かずに裏庭まで小生に着いてくる、時々、サクラにノミが移ると言い訳をつけ、その猫のことで家内と長男が結託して、小生に喧嘩腰になってくる!困ったものだ・・・

 

昨日の朝、NHKあさいちラジオで、富士宮に住むリスナー・リポーターが富士山大学駅伝の様子を話しているのを聞いた、なぬ?富士山大学駅伝だと??こんな大会聞いたことがない!?起伏の激しいコースを駆け降りたり、駆け登ったりするって!?浅間大社だと?富士山のてっぺんでも登るのか??まさか、そんなはずはない、積雪で登れないはずだ?どうせ、どっかのテレビ局がバラエテー風に企画したものだろうと高を括(くく)っていた、あとで台所で新聞のテレビ番組欄をチラッと覗くと関西テレビで午後2時から録画放映すると出ていたが、朝から家内のドライバー役を務め、サクラを乗せて動物病院に行ったり、居間のコーナーランプがおかしいと云うので、修理屋へ連れて行ったり、その日の買い物でスーパー・マルアイに行ったりでスッカリ忘れてしまっていた!・・・

 

ところが、今朝の読売新聞を開くと、何処かの陸上競技場のトラックに疾走してきた立命館の津田真衣が両手を高々と挙げ、歓喜に満ちた良い顔してゴール・テープを切る写真が小生の心を鷲掴みにした!全然バラエテーでない!?よくよく記事を読んでみると、公益社団法人・日本学生陸上競技連合主催、静岡県、富士市、富士宮市共催、スズキ特別協賛、大正製薬協賛の歴っきとした公式大学女子駅伝大会だった!全国から選抜された18校(関東7校、関西5校、東海2校、東北2校、中四国1校、九州2校)と、東日本学連選抜と西日本学連選抜が加わる計20校が参加する全国大会だった!昨年2013年4月、37回ユネスコ世界文化遺産会議で、三保の松原を含む富士山が世界文化遺産登録されたが、何と、その登録を記念して昨年、第1回富士山大学女子駅伝が始まっていたのだ!小生、知らんかっとってん!これで大学女子駅伝大会が、杜の都駅伝についで2大会目となった!(^^)/ばんざ~~~い・・・

富士山を登るのではないが、起伏の激しい富士山麓周辺を、走り7人が継いで行くものだった、朝10時に富士山本宮・浅間大社前をスタートし、小林製作所鷹岡工場前までの1区6.6km、富士市交流プラザ前までの2区3.5km、富士市クリーンセンター前までの3区4.4km、富士市役所前までの最長4区9.4km、富士市東部市民プラザ前までの5区5.0km、エヌピー運輸富士駐車場前までの6区6.8km、そして富士総合運動公園陸上競技場までの最終7区7.7kmまで、全長43.4km7区間の、杜の都駅伝よりも大きく本格的な大学女子駅伝であった!ギョギョ・・・

因みに昨年第1回目の優勝校は、他を寄せ付けず、2位に2分以上の大差をつける2°21′48″でゴールした女王校・立命館大だった!2位に2°23′58の鹿屋体育大が、3位に2°24′44″の大東文化大が入っていた!大坂女学院は2°25′56″で5位だったが、須磨学園時代から応援している中新井美波は2区3.5kmを区間賞の10′59″で走って健在だった!もう大学最終学年4年生になった中新井は何処の実業団陸上部へ就職したのだろう?卒業後の彼女の活躍にも注目していきたい!・・・

今回第2回大会においても、立命館が強かった!他を圧倒して2°22′20″で2連覇を果たした!☆1区で20′25″の大森菜月が2位に着け、2区以降は11′00″の岩井朝香がトップに出て、他にトップの地位を譲らずキープした、3区の園田聖子が14′25″で、4区の菅野七虹が30′58″で、5区の和田優香里が16′13″で、6区の太田琴江が区間新の21′37″でトップで走り抜けアンカーの津田麻衣に繋いだ、大学最後4年生の津田は7区を16′13″で走り切って、立命館がV2のテープを切った!これで立命館大は10月の32回杜の都駅伝についで大学女子駅伝2冠制覇を果たした!暫く立命館大の黄金時代は揺るぎないようである!・・・

中新井美波が卒業して居なくなった大阪学院大は2位2°24′04″で準優勝を果たした、3位に2°24′32″で大東文化大が入った、4位2°25′52″で名城大が、5位2°26′45″で松山大が、6位2°27′18″で福岡大が、7位2°27′31″で東京農業大が、8位2°27′36″で京都産業大がつづいた!これで高校駅伝のあとに年の瀬の大会が一つ増えたことに成った、来年第3回大会を迎える富士山大学女子駅伝を、録画放映でなく、中継生放映で観たいものである!絶対みるぞ~~~!・・・

 

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軍師官兵衛、最終50話“乱世ここに終わる!~後編” 2014年12月22日

2014-12-22 19:12:40 | 日記・エッセイ・コラム

内府殿から受け賜った筑前52万石に移る事となった黒田家は、新たに博多に近き地に、城を築き“福岡城”と名付けた、また、慶長7(1602)年11月、黒田家待望の跡継ぎが誕生した!長政「でかしたぞ、栄!」、栄が満面の笑みで答えた「ありがとう御座います!」、お福「これで黒田家の行く末も安泰で御座います!」、長政「母上、父上にお名付け頂きとう御座りますが!」、光『うっふふふ、すでに受け賜って居ります!』、光は三宝の上に置かれた命名書きを長政に差し出した、長政がそれを開くと“萬徳”と書かれてあった、光『おのこならば、萬徳とせよと!』、栄「萬徳!」、長政「良い名じゃ!」、光『萬徳の“萬”は殿の幼名、萬吉にちなんだものです!』、栄「父上の御幼名!」、光『黒田家が代々受け継いできたものを、この萬徳にも伝えていくことが、栄、そなたの役目です!』、はい!と栄が微笑んだ・・・

慶長8(1603)年2月、家康は、朝廷に仕える官職である“征夷大将軍”に任じられ、江戸に幕府を開いた・・・その頃、京のおねの屋敷に 如水が訪ねて、太閤の仏壇に手を合わせてたのち、おねと暫し語り合った、如水『徳川様が将軍に成られました!』、おね「うん、徳川殿は着々と手を打って居る、未だ豊臣の天下を夢見ているのは、淀殿、それに清正、正則くらいです!清正、正則は今になって、徳川殿に味方したことを悔やんで居る!」・・・清正「まさか、このまま徳川の天下に成ろうとは!」、正則「秀頼君だけは、何としても守らねば!」・・・如水『もはや、徳川の天下は盤石(ばんじゃく)!』、おね「淀殿も、目を覚ます手立ては無いものか?」、如水『大坂城に居る限り、あのお方の目が覚めることは御座いますまい!』、おね「まことに、頼りになるのは、城ではなく、人だと云うのに!」・・・

慶長9(1604)年正月、長政と善助が如水に呼ばれた、長政「父上、御用でしょうか?」、如水『長政、善助、伏見の屋敷までよう参った、入れ!』、長政と善助は如水と向かい合った、いつもの如水と違って弱弱しく語りかけた『長政、今日はお前に話しておきたいことがあるのじゃ、4年前、関ケ原の折、わしは九州で天下の夢を見た、だが、その夢は僅か一日で破れた、他ならぬお前の働きによってじゃ!』、父上!、『見事であった!お前は立派に黒田家を守った!あれで良かったのだ!長政!』、如水は這うように長政に近寄った、長政は大粒の涙を流していた、如水は長政の顔に右手を置いて言った『あの時お前はわしを越えた!』、長政は首を横に振った、『嬉しかったぞ!子に越えられると云うのは、悪いことではない!わしはなあ、もう死ぬであろう!』、長政「何をおっしゃいます!」、『あと二月(ふたつき)と言ったところじゃ!長政、家臣や民の声に、よくよく耳を傾けろ!そして信じろ!」、はい!・・・

如水『わしには善助が居た、わしと善助は心は何時も一つであった!』、大殿!、『長政、お前にも善助の様な者がいるはず!』、はい!、『善助、前へ、長政あれを!』、飾り棚に置かれた木箱を指さした、長政がそれを両手で持ち上げ運んだ、蓋を開けると、そこには如水が戦場でいつもかぶっていたいた赤合子の兜(かぶと)が出てきた、『善助、お主にこれを授ける!』、善助「いいえ!これは、これからも、大殿がかぶり続ける兜で御座います!」、『この兜はなあ、わしじゃ!わしの魂をお主に託す!』、善助の目から大粒の涙が溢れ出た、善助は泣きながら言った「いやいや、お別れなどしたくありません!」、如水は善助の両手をとってつづけた『お主には感謝して居るぞ!』、善助は泣き続けた 、如水が手でそっと、その涙を拭ってやった、『済まぬ、先に行く!』、善助も長政も涙が止まらなかった・・・

慶長9(1604)年3月20日、如水が臨終の床に就いていた、光、長政、善助、九郎右衛門、太兵衛、お福が見守っていた、如水はうわごとを言うように虫の息であった、如水『あっあっあっ、そろそろじゃ!』、太兵衛「大殿が逝ってしまわれたら、生きる良さが無くなってしまいます!」、如水が最後の力を振り絞って起き上がろうとした、長政と光が支えて、如水が起き上がった、『光!』、光は如水の手握って言った『ここに居りますよ!』、如水『一向に悔いが思い浮かばぬ!』、光『は~い!』、『光、お前が妻で良かった!』、官兵衛との数々の思い出が走馬灯のように、光の頭の中を駆け巡って来た、光『お側に居られて、わたくしは天下一の果報者で御座います!』、如水『皆、世話になった!』何も見えない闇の中で如水の意識は次第に薄れて行った、最後に声を絞るように言った『感謝する!』、九郎右衛門はグッと涙をこらえ何も言えなかった、そして官兵衛は前に首(こうべ)を垂れるように 息を引き取った!お前さん!大殿!大殿!父上!皆に看取られながら黒田官兵衛・如水シメオン59歳は天に召されていった・・・

元和元年(1615)4月、如水の死から11年が経った、淀君が46歳、秀頼が長(ちょう)じて22歳になって、豊臣と徳川との戦さが大詰めを迎えていた、大坂夏の陣!乱世最後の合戦であった!1614年12月、大坂方のため真田幸村の軍(真田丸)が奮戦した大坂冬の陣で 、茶臼山と岡山に本陣を張った家康・秀忠率いる徳川軍に攻められ、大坂城は既に本丸を残して丸裸になっていた、淀「すでに金銀も使い果たし、堀もない!そなたたちに頼るしかない!何卒、あの、にっくき家康を討ち果たしておくれ!」、秀頼「皆の者、頼んだぞ!」、豊臣が頼りとするのは、大量の浪人であった、その中に、長政と対立し、出奔(しゅっぽん、逃亡して跡をくらますこと)した又兵衛の姿もあった、「後藤殿、どうやら最後の戦さとなりそうじゃな!」、うん!、「此度は黒田長政殿も出陣しているようじゃぞ!仲たがいして出奔したとは言え、かつては兄弟同然に育ったと聞いて居る、出来れば、黒田の軍勢とは戦わずに済めば良いのう!」、(確かに、黒田軍は冬の陣には参戦していなかった)・・・

多勢に無勢、戦況は明らかに徳川方の圧勝であった、又兵衛は敢え無く戦乱の藻屑(もくず)と消えた!、長政が一成の伝令を聞いた!、「殿!光明寺辺りで大坂方と激しい戦いになって居りましたが、敵は総崩れ!敵の大将は後藤又兵衛のように御座います!豊臣は城も無ければ兵の数も足りません、もはや、勝負あったかと!」、『そうか!』、・・・長政『父上、それがしが至らぬばかりに、又兵衛を死なせてしまいました!』、その五月八日、大坂城は最後の時を迎えた、如何で御座いました?、助命嘆願の儀は叶いませなんだ!申し訳御座いませぬ!、お方様!侍女たちは泣き叫んだ、淀「もう良い、わたくしは今まで、小谷城、北ノ庄城(福井城)と、二度の落城を味わいました、この大坂城だけは、決して落ちぬと思っていたが、浅はかじゃった!」、秀頼「母上!」、「向こうで太閤殿下が待って居られる!さらばじゃ!」、淀と秀頼は自害して果て、豊臣家は滅亡した!・・・

京・東山にある高台寺の高台院屋敷にて、 晩年、北政所(きたのまんどころ)と呼ばれた“おね”が、秀吉と共に過ごした大坂城の方角に手を合わせて、淀君と秀頼の冥福(死後の幸福)を祈っていた・・・天王寺口南方で本陣を構えていた家康が、炎上して落城する大坂城本丸を眺めながら呟いた『終わったか!如水、お主と約束した戦さ無き世が、ようやく始まるぞ!』・・・

如水の死後、出家した光殿は、名を照福院(しょうふくいん)と改め、浄土宗・円応寺(えんのうじ)に身を潜め、縁に座って庭の藤の花を眺めながら余生を送っていた、そこへ戦乱の世から解き放たれ福岡に戻った長政が、光を訪れた、「母上!」と呼びかけ長政が光の隣に座った、光『ようやく、終わりましたか?』、「はい、乱世が遂に終わりました!」、『あ~~~、永かったこと!』、「冷えて参りました、何かお召し物が要りましょう!誰か居らぬか?誰か、お~~~い!」長政がはけた・・・そこには、ゆったりと時が流れ引き水が流れていた、ふと、前方に目をやると、藤の花の下に亡き官兵衛が立っていた、そして笑顔で光を振り返った、『殿、よ~~く、生き抜かれましたなあ!』、寛永4年(1627)8月26日、筑前国福岡において、光は享年75で官兵衛の元へ召されていった!・・・完

筑前52万石の大名になった黒田家の本拠地・福岡は、重隆の父・高政が目薬屋として湖北・近江国伊香・黒田村から移って来て財を成した黒田家先祖のゆかりの地、備前福岡(現在の瀬戸市長船町福岡、吉井川の下流に広がる、JR赤穂線長船〈おさふね〉駅周辺)にちなんで如水が名づけた!福岡城は47もの櫓を配置し、如水にとって、集大成となった城だった、晩年、如水が暮らした御鷹屋敷(おたかやしき)にて、如水は、歌や茶を嗜(たしな)みながら 、妻・光と仲睦まじく過ごしていた、慶長9(1604)年3月20日、如水は滞在先の京・伏見の藩邸にて、59年の生涯を閉じた、如水の亡きがらは福岡藩主・黒田家の菩提寺・崇福寺(そうふくじ)に葬(ほうむ)られた、如水の墓石に刻まれているのは、波乱に満ちたその生涯が刻まれている!・・・

如水が詠んだ歌の中に、”おもひをく 言の葉なくて ついに行く 道はまよハし なるにまかせて ” がある、思い残すことなく乱世を生きた満足感が、その辞世(詩歌)から覗(うかが)える、毎年7月に行われる博多祇園山笠では如水が整えた街を、軍師官兵衛の山笠人形の神輿が駆け巡る!福岡の礎(いしずえ)を築いた黒田如水の街は、今も発展し続けているのである!一度、乗り鉄して備前福岡にも行ってみたいものだ・・・お・し・ま・い

 

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軍師官兵衛、最終50話“乱世ここに終わる!~前編” 2014年12月21日

2014-12-21 09:53:24 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の雨も上がり、師走の都大路も晴れ上がった、西京極競技場をスタート・ゴールとする恒例の全国高校駅伝大会の晴れ舞台が整った、10時20分スタートした女子は26回を迎え、室町小学校前を折り返す21.0975kmを5人が繋ぐ、須磨学園の影に隠れていた西脇工女子部が21年ぶり5回目の兵庫代表を勝ち取った!男子は65回目の記念大会を迎え、各都道府県の予選を1位で勝ち抜いた47チームに加えて各地区のランキング・トップ高11校、計58校が出場する、我が兵庫県は今回アベック出場を果たした4年連続27回目の駅伝常連校・西脇工と、近畿地区のトップランキング高・須磨学園の2校が出場する!12時30分スタートする男子は国際会館前を折り返すフルマラソンの距離を7人で繋ぐ!・・・

1区常盤の岡本春美にトップを譲ったが、2区安藤富貴子の快走で立命館宇治がトップに躍り出た、4区でトップ立命と同着中継した大阪薫英女学院が、5区の加賀山が立命に差を7秒ほど空けたまま粘り 1°07′26″で初優勝を果たした☆1°07′34″で京都・立命館宇治が準優勝に甘んじた、3位1°08′11″で群馬・常盤高が3位に入った、4位1°08′21″で山梨学院大付属が、5位1°08′28″で青森山田が、6位1°08′56″で愛知・豊川が、7位1°09′07″で山口・西京が、8位1°09′12″で鹿児島・神村学園が入賞を果たした、我等が西脇工は1区11位、2区9位、3区15位、4区13位で繋いで、アンカー区では17位1°10′10″に終わった!・・・

12時30分にスタートした1区10kmは伊賀白鳳の下(しも)がトップを取った、須磨学園が13位、西脇工がなんと39位と出遅れた!2区3kmでは市立船橋の前田がトップで繋いだ、須磨が13位で西脇が36位と苦戦している、3区8.1075kmを5位で受けた広島・世羅のカマイシが独走態勢を作りダントツでトップを獲った、10位で受けた仙台育英のキンゴリが2位に押し上げた、須磨が19位で、西脇が順位を21位に上げて継いだ、4区8.0875kmを中島がドンドン飛ばし、すでに世羅の優勝が見えてきた、世羅の中島が2位以下に1′39″差をつけて5区3.0kmの山口に繋いだ、須磨が19位で、西脇が21位で継いだ、世羅がそのままトップをキープして6区5kmの 井上へ渡った、須磨が順位を上げ9位で、西脇は21位のままだ、世羅が2位以降に1′47″差つけてアンカー7区5kmの吉田に8回目の優勝を託した、2位で佐久長聖、僅差の3位で埼玉栄がつづく、須磨が8位で、西脇が18位で追う・・・

トップ広島・世羅が残り1kmを過ぎる、2時間2分台の好タイムが期待されトラックに入る、そして世羅が歴代4位2°02′39″で8回目の優勝テープを切った!☆2位に2°04′36″の佐久長聖が準優勝を獲った、3位に2°04′40″の埼玉栄が入った、4位2°05′06″で秋田工が、5位2°05′34″で宮崎・小林高が、6位2°05′35″の同着で南関東・市立船橋(千葉)と福島・学法石川が、8位2°05′46″で愛知が入賞を果たした!近畿代表の須磨学園(兵庫)は2°06′05″で 12位に、兵庫県代表の西脇工業は2°07′03″と振るわず19位に終わった!・・・

では、これから先はタイムスリップして軍師官兵衛・最終話に移ろう・・・慶長5(1600)年9月 、如水55歳率いる9千の黒田軍は豊後で、次々と三成に味方する西軍を撃破して行った、九州は大いに揺れ、敵はお椀をひっくり返したような”赤合子(あかごうす)”と呼ばれる兜(かぶと)を目にしただけで恐れをなした!・・・如水の快進撃の一方、慶長5(1600)9月15日、東では関ヶ原に運命の朝が訪れた、石田三成は笹尾山(ささおやま、268m)に本陣を敷いた、かたや家康は桃配山(ももくばりやま、104m)に本陣を構えた、辺りに不気味な静寂が走った!・・・

靄(もや)が立ち込めるなか、朝飯を摂っていた家康のもとに「申し上げます、石田方、未だ動きがありませぬ!」と伝令が入った、三成の本陣の向かいの岡山53mに長政と細川忠興らが本陣を張っていた、やがて、ほら貝が吹かれ戦い開始の銃声が鳴った!西軍の宇喜多勢に福島勢が撃ちかかり、関ケ原の戦いの幕が切って落とされた!やあ~~~!土煙が上がり、戦軍合まみれて行った、長政『よいか!今こそ、まさに、天下分け目の決戦じゃ~~~!』、又兵衛 「遅れを取るなあ!ここが命の捨て所ぞお!」、おお~~~!、前に続け~~~!おおおおお~~~~!!大砲が撃ち響く!騎馬軍がいななき襲い掛かる!おおおおおお~~~!!・・・

九州から天下を狙う如水は、関ケ原の戦いに乗じて、その勢力を拡大して行った!止まれ~~~!、九郎右衛門「大殿!肥前(佐賀・長崎)の鍋島直茂さまより、お味方したいとの申し出に御座います!」、太兵衛「うぬ、鍋島は石田方のはずだが?」、善助「黒田の勢いに恐れをなしたか!」、如水『豊後を平らげ、築後に向かうその折に、加勢をお願いすると伝えろ!』、はっ!、太兵衛「しかし、まだまだ石田方の城ばかりですなあ!」、善助「これこそ思う壺!徳川に味方すると見せかけ、それらの城は全て、我等が潰す!」、如水『我が企みが明らかになる頃には、九州は全て、黒田のものじゃ!はは!ははははは~~~!』・・・

合戦が始まって4時間、関ケ原の勝敗は未だ定かでなかった、家康『敵の多くは日和見をして居る、戦っている敵は2,3万!何故、まだ勝てぬのじゃ!?』、その時、ボン!ヒュ~~~!と石田本陣から、のろし玉が高々と打ち上げられた!、それを見て家康が察した『小早川秀秋への合図か?如何言うことじゃ!?』、石田軍優勢の合図だった、三成「我等が押している!この合図で小早川が家康に攻めかかれば、我等の勝ちだあ~~~~!!」、おおお~~~!・・・

長政本陣に又兵衛から伝令が入った「殿、石田軍は思いのほか手ごわく、敵の陣形に揺るぎが御座いませぬ!」、長政『三成め!ここまでやるとは!』、ご忠誠~~~!、長政『徳川の北川か!何んだ?』、石田方が松尾山の小早川に向けて、のろしを挙げました!小早川の我等への味方、相違ないかと、お尋ねで御座います!、長政は椅子を蹴とばして怒った『戦の最中、そんなことは分かるか!?もし小早川が敵に回るのなら、石田ともども、わしが討つゆえ、ご案じ召されるな!』、はっ!・・・ 

家康『うっふふふ~~~、さすが長政じゃ!・・・そうじゃ、小早川の陣に大筒をぶち込んでやれ!』、小早川にで御座いますか?、家康『そうじゃ!早くせえ!』、はっ!・・・小早川の松尾山本陣では、黒田家臣の独眼竜・大久保猪之助が秀秋と家老の平岡頼勝に訊いた「中納言様、何故、徳川方に味方されませぬ?」、平岡「何方(どちら)と戦さをするかは、当方が決めること!口出し無用じゃ!」、大久保「お約束を違(たが)えるお積りか?」、その時、家康方から撃たれた砲弾が小早川陣内に打ち込まれてきた!おっ~~~!、秀秋がひっくり返り奇声を上げて慄(おのの)き、ふためいた!秀秋「なんじゃ、一体?」、2発目が飛び込んで来た!泣き声になって秀秋が喚(わめ)いた「家康が怒って居る!頼勝!」、ははあ、手筈通りに!家老の平岡頼勝が急いだ・・・

ようやく、ここで小早川勢が重い腰を上げ、石田陣営に突進した、申し上げます!小早川勢がお味方を攻めて居ります!、三成『秀秋が裏切ったか~~~!』、小早川が家康方に着いたことで、東軍は一気に巻き返し、黒田軍は三成の本陣に迫った!、かかれ~~~!、三成が剣を抜いて構えた、家臣が叫んだ、殿!黒田へのお指揮を!殿~~~!、黒田軍がそこに迫った!二人は睨みあった!ヤバイと察したか、三成が逃げた、長政『三成!逃すな~~!追え~~~!』・・・

その数日後、九州の豊後では、如水の九州平定が佳境に入っていた、善助「銃をはなて~~~!」、太兵衛「突っ込め~~~!」、九郎右衛門「矢をはなて~~~!」、敵陣は恐れをなし退散して行った、如水の豊後本陣に伝令が入った「申し上げます!母里太兵衛さま、只今、槍をブンブン言わして二の丸に突き入りました!」、またもや他の伝令が押せ押せムードで届いた「井上勢、本丸手前まで押し寄せまして御座います!」、その時、善助が如水に近づき、ためらいながら何か言おうとした、如水『如何した、善助?』、目に涙して善助 「大坂より知らせが!」と言って書状を如水に差し出した、如水が受け取り目を通し顔を曇らせた、「全て終わりました!」と言って善助がその場にへたり込んだ、如水はその書状を手から落とし項垂(うなだ)れた、そしてテーブルをお膳返しした!関ヶ原の戦は僅か、1日で終わっていた!敢え無く如水の天下取りの野望は潰(つい)えた・・・

関ヶ原の合戦を1日にして成し遂げた家康率いる東軍が大坂城に入って秀頼と淀君に報告した、「此度、逆賊を討ち果たしたこと、大儀であった!」秀頼が家康等を褒め称えた 、家康『有難きお言葉、全ては豊臣家の御為(おんため)!』、淀「この二月(ふたつき)、大坂城を三成に乗っ取られ、生きた心地がしませなんだ!徳川殿が追い出して下さり、ほっと、して居ります!」、家康『逃げていた三成、恵瓊、行長は、すでに捕えて居りまする!』、淀「如何なさる御積りか?」、『討ち首の上、京・三条河原に曝(さら)そうと存じまする!』、・・・淀「世を乱した者達を罰するのは当たり前!されど皆、太閤殿下の家臣であった者達、出来れば、穏便に・・・」、『豊臣家に背いた不逞の輩(ふていのやから)を許しては、示しが付きませぬ!天下のために、この家康が成敗いたしまする!また逆賊をかばう者も同罪!宜しゅう御座いますな!?では、これにて!』と言い放ち出て行った、淀「今に見て居れ、秀頼が長(ちょう、成長する)じた暁には」恨みに満ちた淀の顔には復讐の念が漲(みなぎ)って居った!・・・

京・六条河原の処刑場にお縄を頂いた三成、恵瓊、行長らが斬首の時を待っていた、そこに立会人として長政が任務にあたっていた、長政『恵瓊殿、此度ばかりは、見通しを誤りましたな?』、恵瓊「まさか、吉川、小早川、伴に凋落(ちょうらく、破滅させること)していたとはなあ!はっははははは~~~!さすがわ如水殿の息子、あっぱれじゃ!」、キリスタンの行長が首から十字架をかけて祈りを捧げていた、長政『石田殿、お主とは遺恨もあったが、この様になったからには、全てを水に流そう!』長政は羽織を脱いで、それを三成の肩にかけてやった、三成「黒田殿、望みを絶たれたそれらしだが、憐れみなど無用で御座る!わが想い、如水殿だけは分かってくれよう!」、それを聞いてから長政は去って行った、慶長5(1600)年10月1日、安国寺恵瓊、小西行長、石田三成の三名は洛中引き回しの上、六条河原にて処刑された・・・

長政が家康のもとに呼ばれていた、直政「黒田様、お喜びあれ!」、忠勝「此度の働き、格別故、筑前52万石を下さるとの!」、長政『52万石!!』、康政「これで黒田も大大名の仲間入り!」、『有難き幸せ!』、家康『今後とも頼むぞ!』、はっ!、家康『如水殿は九州で随分と骨を折ってくれたようじゃが、もう充分じゃと、お伝え下さらぬか?』、はっ!・・・如水は九州の内、豊前、豊後、日向、肥後、筑後、肥前、筑前の七か国 を占領したが、全てを放棄し、豊前・中津へ戻っていた、また長政もここ中津城への帰還は久しぶりだった、長政「父上、徳川様はそれがしを、此度のあっ晴れな武功、よくやった、満足じゃと、刀まで授かり、我が手を取ってお褒め下さいました!」何故か、列席した善助、太兵衛、九郎右衛門、一成、又兵衛は黙りこくって、静寂がに包まれていた?・・・

如水『長政、内府殿がお前の手を取ったと言うのは、それは何方(どちら)の手じゃ?』、長政「右手で御座いますが?」、『その時、お前の左手は何をして居った?』、「左手!?」はぁ!その時、長政は父、如水の心の中が読めた!そして如水は退席して行った、一成が小声で隣の又兵衛に訊ねた「左手とは何のことで御座いますか??」、又兵衛「余った手で徳川様を刺せば、大殿の天下となったと云うことじゃ!」・・・その夜、如水は縁に座り、夜遅くまで考え事をして居った、石壺の水溜めには月影が映り夜露が滴り落ち落ちていた ・・・

その後、如水は大坂城に家康を訪ねていた、家康「面を挙げられよ、如水殿、隠居の身でありながら、わざわざ、ここまで登り、大儀であった!」、如水『御挨拶が遅くなり、申し訳ございませぬ、此度の関ヶ原での大勝利、執着至極に存じ上げまする!』、「倅殿の働きのお蔭じゃ!如水殿にも助けられた、九州での働き、比類なきもの!畿内にて、望み通りの所領を差し上げたいと思って居るが、何処が宜しいか?この後は、わしの傍に居て、天下の祀(まつ)りことの指南を、お願いしたい!」、『それがし、九州にて天下を夢見た、我等の間で、建て前は不要かと!』、家康は立ち上がり雛段から降り、如水に近づいて面と向かって座った「お主を欲しいと言ったのは、建て前とは言い切れんかもしれんぞ、九州でのお主の妙な動き、内心に、ひやひやして居ったぞ!三成が、死ぬ間際に言うて居った、“武運、拙(つたな)く破れ、天下を正すこと叶わず、無念で御座いまする、されど、天下を争うことが出来た事、本望で御座いました!”と!」・・・

如水『一つ、知っておきたいことが!』、「何じゃ?」、『この後、徳川殿はどの様な世を造りなさるのか、お聞かせ願いたい!』、「天下は、それを治めるにふさわしい者が治めるのが良い!されど、天下は一人の天下にあらず!天下は天下の天下成り!わしが死んでも、争いの起こらぬ太平の世を造る!それが、わしの望みじゃ!」、『私利私欲のためでないと!』、「はっ!そなたに約束しよう!」、安堵して如水の顔がほころんだ『それがし、生涯、戦さとで負けたことは御座らぬ、されど、此度は内府様に負け申した!』如水は深く頭を垂れた、『負けて悔いはなし!そお思うて居ります!』、家康「忌憚(きたん、遠慮)なく話が出来てよう御座った!息子に超えられたのう、如水殿!跡継ぎに恵まれ、羨ましき事よ!」、やっと如水の顔から笑顔がほとばしった『有難きお言葉!』、家康は思わず如水の肩を叩き、その手を添えていた、『では、失礼いたす!』、家康は涙ぐんで、去っていく如水の背中を眺め、別れを惜しんでいた・・・

 

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クイーンズ駅伝2014をDensoが征す☆ 2014年12月14日

2014-12-14 14:50:58 | 日記・エッセイ・コラム

ストレッチを終えてから昼食前に、東播磨地区(加古川市、高砂市、稲美町、播磨町)の投票所のひとつなっている近くの小学校に出むき、第47回衆院総選挙(小選挙区295議席、比例区180議席)に清き1票を投じて来た、これは国民の義務でもあり、国民の権利でもある“国民たる責任”をシッカリ果たしてきたことになる!国政参加の原点である国会議員を選ぶ投票に行かない者は、国民平等に与えられたる義務執行と権利執行の責任を放棄する、と云う大きな罪を犯すことだと、小生は捉えている!この不履行に対して何ら罰則がないのが不思議なくらいである!(^^ゞ・・・

 

小生が選んだのは小選挙区では、東播磨地区地元出身の維新の党から出馬した松井正博35歳候補に、比例区政党名では“維新の党”と明記した、何故、維新の党に投票したのか?その根拠の理由は次のように小生の中に捉えた、これは地方・国家公務員、官僚、市会議員、県会議員にも言えることだが、一旦、国会議員と云う議席に収まってしまえば、至れり尽くせり、多くの手当や、既得権益が与えられ、その議席にしがみ付いている限り、高額報酬・高額ボーナスなど豊かな身分が保障される!そのうえ、今年の国家公務員の報酬が21%アップされ、国会議員の報酬が25%もアップされた!実におかしい?あほらし屋の鐘が鳴るわ!・・・

今年の経済実質成長を表すGDP(Gross Domestic Product、国内総生産)年率換算がマイナス1.9%と発表されたにもかかわらず!GDPの60%を占めると言われる個人消費も0.4%と冷え切り、正社員は更に減り派遣が更に増えているというのに!多くの議員は国民の公僕として仕えると云う立場を忘れ、社会保障に当てる財源が足らな足らないと言い、財務省は国債をじゃぶじゃぶに発行し、どんどん札を刷る日銀が買い財源を補う、その穴埋めを消費税や相続税などを挙げて国民に押し付ける、社会保障などには使わず、公共投資に充てながらも、税金をこっそりピンハネ、山分けし、私利私欲に走りる、財を肥やし御殿を建て、天下り先を増やし、長期間、天下り先に身を寄せ、経済的豊かさに溺れ保身に走ろうとする!・・・

そんな議員をのさばらせる議席の数が多すぎる!挙げれはキリがない・・・そんな中、維新の党は違う、ハッキリ13もの改革メニューの公約を掲げている、国会議員一人一人が“身を切る改革”で議員定数大幅削減を実行し、多すぎる公務員、官僚と国会議員の給与・ボーナスを削減し、“徹底行革”で軽減税率を決め、増税を無くし財源を生み出すと明言している!この様に具体的に政策を言い切る政党は少ない!・・・NHKラジオを聞きながら開票結果を待っていた、残念!小生が投票した維新の松井政博候補は当選ならず!8時の投票締切りから僅か開票10分ぐらいで小選挙区の当確が決まってしまった!兵庫10区は自民の渡海紀三郎(66歳)氏に8度目の当選を許してしまった!自民・公明が破竹の行勢い議席を伸ばしているようだ!松井候補よ、まだまだ若い、次に繋げればいい!・・・

今日、第34回全日本実業団女子駅伝“クイーンズ駅伝2014”が日本三景松島から仙台市陸上競技場までの42.195km、6区間(1区7.0km、2区3.9km、3区10.9km、4区3.6km、5区10.0km、アンカー6区6.795km)を6人のランナーがタスキを繋いで実業団日本一を競った、最近力をつけてきた中日本の三重代表のDensoが2°16′12″と云う素晴らしい大会新記録で2連覇を果たした!☆地区予選を勝ち抜いた26チームの1区7.0kmのランナーたちが11時50分に松島町文化観光交流館前をスタートした、Densoの光延有希が22′43″のタイムで12位と出遅れた、しかし高速2区3.9kmの区間記録12′04″を持つ小泉直子が12′19″のタイムで順位を一気に2位にまで押し上げた !・・・

エースが激突する最長区間、花の3区10.9kmでキャプテン高島由香が、福島佳代子の区間記録35′04″を更新する区間新記録34′40″を出してDensoがトップに立った!インターナショナル区間変動の4区3.6kmに入って、区間記録11′28″を持つワイリムが11′50″と振るわず順位を6位に落とした、だが5区10.0kmの水口侑子が激走しトップを取り返した!ダイハツ木崎に23秒差に迫られたが、区間4位のタイム33′21″で走りきり、トップでアンカー石橋麻衣に繋いだ、石橋は最初の1キロを3″06の高速で入った、2位ダイハツの松田の後ろでは第一生命と九電工が3,4位争いをしている、5位、6位をヤマダ電機と豊田自動織機が争っている、あっ、ヤマダの筒井が3位の第一生命を交わし4人抜きして3位に上がった!若きランナーたちの躍動が目立つ!しまむらとホクレンのシード権8位争いが熾烈になって来た!・・・

あと1キロを過ぎDensoの石橋が2連覇に向かって快調に飛ばす、石橋がトラックに入って来た、サングラスを取った、そして区間2位のタイム21′19″で水口が粘り、Densoが大会新記録2°16′12″で2連覇のテープを両手を高く挙げて切った☆2位2°16′48″のダイハツのあと、筒井咲帆が区間1位のタイム21′08″を記録して、ヤマダ電機 が3位2°17′29″でゴールを果たした!4位2°17′50″で豊田自動織機が、5位2°17′54″で第一生命が、6位2°18′02″で九電工が、7位2°18′13″でユニクロが、そして8位2°18′21″でゴールしたしまむら、までがシード権を獲得した!9位に2°18′33″のホクレンが、10位に2°18′44″の大塚製薬が入った、いつも上位争いをする天満屋が16位2°20′28″で、ワコールが21位2°23′02″ではあまりにも寂しすぎる!・・・

今夜は、衆院選開票特報のため軍師官兵衛が休みとなった、12月21日に最終回第50話“乱世ここに終わる!”が56分の拡大版で放映される!・・・

 

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