Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

スコットランド独立住民投票はどっちに? 2014年9月19日

2014-09-19 10:53:44 | 日記・エッセイ・コラム

アップロードしたはずの今日の記事が、タイトルだけを残し全て消え失せていた!ガ~~~ん!朝の冷え込みから始まり、2012年、キャメロン政権下のもと両国が署名した協定書に基いた“スコットランド独立住民投票”をBBCが伝え、主にNHKラジオから入ってくる速報を拾いながら、実況風に書き上げた記事だ!独立賛成派が反対派に22万票も差を広げられ、独立ならず!ユニオンジャックが守られ、国民党党首アレックス・サモンド率いるスコットランド自治政府がイギリスに留まる事が早々確実なものとなった!そこまで一気に書き上げてアップして、それを見届けた記事が消えていた!午後になって、もう少し住民投票集計の足らないことを書き加えてから、今夜7時から開会式が始まるアジア大会の事も添えて書き加えた記事が何処かへ消えていた!・・・

あのアジア大会の記事を付け加える前に、記事を確認すると全て正常にアップされていた、もし、一足早く17日から始まった男女サッカーのグループ・リーグなど、アジア大会の記事を付け加えていなければ、上手く行っていたかも!?あの記事を編集・投稿するために、アクセスの試みを繰り返している時に全ての記事が消えて、真っ白になっていた!この日は特に、記事一覧ページから記事編集・投稿画面へのアクセスが悪く、何度もクリック!クリック!何度もトライしても開かなかった!あの記事を付け足す余計なことをしていなければと思うと、何とも虚しく悔いが残る!編集・投稿を繰り返している内に、折角書き上げアップした記事が何故か消滅してしまっていた!一体これは何が原因なのか知りたい!よって、この記事は無かったことにしよう!忘れよう!残念・・・

それでも、諦めきれず、気持ちを取り直して書き直そうとしたが、その時々の感情が言葉に乗り移り、記事が生きてくる実況風に書き上げた生のブログを書き直すことには無理があった!報道内容を知るなら新聞記事を観れは良い!テレビを観ればいい!こんな拙(つたな)い小生のブログなんぞ読む必要もない!もし、例え、カムバックしたとしても、アジア大会については、日本人選手が世界記録でも出さない限り、もう取り扱わないことにする!この記事消滅の原因がはっきりしない限り、余りのショックで当分ブログを書く気にもなれない、暫くブログから離れることにしよう、読者のみなさん、さようなら、またお会いできる日を楽しみにして・・・(T_T)/~~~

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軍師官兵衛、第37話“城井谷の悲劇!~後編” 2014年9月15日

2014-09-15 10:22:11 | 日記・エッセイ・コラム

まず、あの向こうっ気の強い宇都宮の娘、鶴姫が、黒田家の侍女として仕えるために馬ヶ岳城の光姫の間に参上した、光殿と黒田家の侍女たちの居る前に三つ指を着き「鶴で御座います」と挨拶した、光が鶴に優しく声をかけた『鶴殿、慣れ親しんだ地を離れての暮らし、心細いでしょうが、私は勿論、ここに居るお福やお道が何なりと相談に乗ります、私達を身内と思って・・・』、光の言葉が終わらぬうちに鶴が言った「私はここの人質!命を捨てる覚悟で参りました!その様な甘い考えは持っていません!」、『今日はお疲れでしょう、ゆるりと安まれよう、お道、ご案内して差し上げなさい!』と光は笑顔で言った、お道らが鶴を部屋へ案内していった、鶴が去った後、お福が一言不満を述べた「何でしょう?あの口の利き方は!」・・・

12月の雪の降る日、利休が秀吉、恵瓊と三成にお茶を振舞っていた、その縁に出て秀吉が雪を眺めながら、もの思いにふけっていた、「豊前の一揆がようやく鎮まりました!」と恵瓊が秀吉に声をかけた、秀吉が訊いた『肥後は如何なっておる?』、「未だ従わぬ者も居りますが、峠は越えたようで御座います!」、三成が口を開いた「肥後の一揆は佐々成政殿が検地を強行した事が始まり!幾ら峠を越えたからと言って、このまま佐々殿に肥後を任せてもよいものでしょうか?」、『成政は戦さは巧(うま)いが、国を治める器ではない!今後如何するかは、いずれ沙汰する!それにしても、官兵衛ならもっと容易(たやす)く豊前を治めると思ったが!?』と秀吉が不満を漏らした・・・

そこで利休が言った「事の起こりは、殿下が宇都宮に本領安堵を約束なさった故に御座います!」、『それを巧く治めるのが国司と云うものじゃ!』、茶室に胡座を組み恵瓊に訊いた『宇都宮はどうなった?』、「官兵衛殿と和睦いたしました!」、『和睦じゃと!?』、「はい、宇都宮が黒田家の家臣となりました!」、『はははははあ~~~!このわしの命に逆らった男を、官兵衛が召し抱えたと言うのか?はははははあ~~~!これ程、愉快な話は無い!』 周りが緊迫した、秀吉が美味そうに茶を飲み干した・・・

天正16年(1588年)、水上交通を重視する官兵衛が、周防灘(すおうなだ、豊前海)を望む山国川の河口郡に、なんと、新たな居城となる豊前・中津城を築いた!その春、黒田家一族は中津城に入った、黒田の家臣達が奥の間に集められ官兵衛から功労評価によって役職が命じられた、『黒田兵庫之助、今までよおやった!お前は宇佐郡の高森城・城代だ、頼むぞ!』、「はっ、ありがたき幸せ、身命をかけて励みまする!」、『栗山善助!井上九郎右衛門!母里太兵衛 !その方等3名には家老職を命ずる!』、はっ!『宇都宮朝房(ともふさ)、如何じゃ、少しは慣れたか?』、「はっ、皆様のお教えのお蔭で!」、『色々あったなあ、今や宇都宮は我等の仲間、しかと励め!』、「有難きお言葉、今後とも直一層御奉公に励みまする!」、長政が浮かぬ顔をして聞いていた・・・

侍女たちがお福の指示のもと、城内の片付けに追われていた、その時、新米のお鶴が食器を落として割った!「気をつけなさい!」、お福の雷が落ちた、欠片を集めていると、お道がそっとやってきて、「私も来たばかりの頃、卒中、お皿を割り、よく叱られました!怖いお福様に!」とお鶴を励ました、「お道!聞こえてますよ!」とお福の声がした、私も叱られました!私もです!私もです!私もです!ほとんどの侍女がお福の雷に触れていた、お鶴とお道は顔を見つめながらクスクス和やかに笑っていた!お福も陰で明るく微笑んでいた、仲間愛がある良い光景だ!離れたところから眺めていた光と糸が言った『私たちも励みましょう!』・・・

大平城の城代・宇都宮鎮房には城井谷・寒田の屋敷が与えられていた、「もう直ぐ田植えの時期で御座いますなあ!」、『うん、今年もこの城井谷で春を迎えようとは、今となっては黒田のお蔭かもしれぬ!』と満開の桜の花を愛(め)でながら鎮房が呟いた、「はい、若やお鶴様も息災(そくさい)と聞きます!」、縁には咲き落ちた桜の花が 散りばめられて風に吹かれていた・・・

大坂城の茶室で利休がおねに茶を立てながら訊ねた、「北政所様、殿下御誕生の秘密を御存知ですかな?公家衆から噂を聞きました!殿下は高貴なお生まれであるとか?」、『うっ?高貴な?、あの男が?尾張・中村の百姓の子ですよ?誰がそんな根も葉もないジャレ事を?』、利休は公家衆から聞いた噂を思い返していた・・・『祖父は元々萩野中納言と申すお方であったが、罪に問われて尾張に流されたそうじゃ!』、お~~~!左様で御座りましたか?『うん、わらわららは、それが縁で若い頃、3年ほど宮中に仕えたそうじゃ、そして郷(さと)に戻って、ほどなくして、子が生まれ、どう云うことか、分かるかのう?その生まれた子が、このわしじゃ!』、なるほどのう?ほいで、殿下の御父上さんと云うお方は?『ハッキリしたことは分からぬが、やんごとないお方であろうと!?』、ほっほほほ~~~!・・・

『あっはははは~~~!馬鹿馬鹿しい!あれが萩野中納言と云う顔に見えますか?どう見ても、尾張の山猿で御座います!』とおねは呆れた、利休が真面目に言った「馬鹿馬鹿しいと笑っておられるのは、お方様ぐらい!公家衆は大真面目に聴いております!もはや、殿下の御言葉には誰も異を唱えることはありませぬ!」、何故かおねは、そのことが心に引っかかり、心配になって来た!?・・・

その頃、肥後の一揆の責任を問われ、謹慎していた佐々成政が中津城に官兵衛を訪れた、何用か?『佐々殿、急に如何なされた?』、「一別以来じゃのう、官兵衛殿!大坂に向かう途中に立ち寄ったのじゃ!」、『大坂?』、「石田三成があること、ないこと!殿下に吹き込んでおる!このままでは、わしは切腹させられる!それ故、直に殿下に申し開きを致す所存だ!」、『それは、返って殿下の御怒りを買います!お止めになった方が良い!』、「座して待つより、万に一つの望みに懸ける方が良い!此度は御助勢、かたじけない!わしの不手際が元で、豊前でも一揆が起きたこと!申し訳なかった!わっはっは~~!なに、殿下は必ず聞き届けて下さる!わしとあの方とは30年来の仲じゃ!あっははは~~~!」、成政は肥後の援軍の謝礼と、己の不手際を詫びて大坂へ向かった!・・・

だが成政の行く手には、三成が尼崎・法園寺に先回りして不穏な動きが待っていた、「殿下はお怒りで御座います!未だ肥後が片付かんのに、命(めい)に背いて勝手に、やって来たことがけしからん!このまま、この当地で謹慎せよとの仰せで御座います!」、『謹慎!?殿下にお取次ぎ願いたい!直に会わせてくれ!』、「殿下は逢わぬと仰せで御座います!」、『それは真か!?お主が勝手にそう言っているだけではないのか!?』、「佐々殿は信長公亡きあと、二度に渡って殿下に抗(あがら)いました!されど、戦さ上手ゆえ許され、肥後まで賜ったのですぞ!国を保てなかったこと、許し難し!追って沙汰すると、殿下は仰せで御座います!」、『おのれ!猿め!鼻っからこうなることを分かっていたのであろう!?鼻からわしを許す気など無かったのだ!』、「口を慎まれよ!」、あ~~~!終わったと悟り成政は断末魔を挙げた!・・・

秀吉に呼ばれた三成に一通の書状が手渡された、『これを官兵衛に送れ!』、それに目を通した三成が言った「これでよろしいので?」、『うん』、「かしこまりました!」、それは宇都宮鎮房への暗殺命令だった!・・・その頃、官兵衛は未だに収まらぬ一揆を鎮圧するため、肥後に出陣していた!そこで秀吉の鎮房暗殺命令に目を通した!『何と宇都宮を討ち!朝房(ともふさ)等人質を殺せと!』と官兵衛は秀吉に対する怒りに震えた!“殿下の命に背いた者を許しては示しが付かぬ!”と善助が後半の部分を読んだ!「和議を結んだ宇都宮を討っては、豊前での我等の信用が地に落ちまする!」と太兵衛が吐いた!「しかし殿下の命(めい)!」九郎右衛門も釈然としなかった!『殿下に御考え直し頂くしかあるまい!』 と官兵衛が覚悟した!・・・

殿~~!そこへ伝令の朝房(もとふさ)が来て伝えた、『如何した、朝房?』、「東に陣を構えていた敵が逃げ去りました!お味方!優勢に御座います!」、『大儀である!』、朝房がはけると善助が言った「今、動いてはなりませぬ!佐々様も勝手に離れた故、謹慎を申し付けられました!それがしが、殿の代わりに大坂へ行って参ります!」、官兵衛も承知して『頼むぞ!』と善助を大坂へ送った!・・・

だが秀吉の考えは変わらなかった!『宇都宮は許さん!成敗致せ!』、だが善助は秀吉に喰らいついた「恐れながら殿下!宇都宮は殿下の御意向に従っております!何卒御考え直しを!」、『余は以前から官兵衛が羨ましかった、官兵衛は良い家臣たちを持っておる!善助、太兵衛、九郎右衛門、黒田の宝はその家臣達じゃ!』、秀吉は善助の左頬にそっと手を添えて 続けた、『官兵衛がいつまでも意地を張っておると、その家臣たちが路頭に迷うことになる!官兵衛にそう伝えよ!』と言い捨てて奥に消えていった、「殿下!今一度!」と善助が追おとしたが、無情にも障子が閉じられた!・・・

肥後の討伐に向かう福島正則と加藤清正が中津城を訪れ、神妙な顔で胡座を組んで誰ぞやを待っていた、そこへ長政が現れ『清正様、正則様、わざわざ豊前まで、よおお越しくださいました!』と挨拶した、二人は長浜で幼い松寿丸こと長政に剣術を指南してくれた仲だった、「心配で立ち寄った!」、『心配とは何だ?』、「知らんのか?」、「殿下が宇都宮を討てと命じられた!」、『それは真で御座いますか?』、「されどお主の父御(ててご)が拒んでおられる!」、「殿下は地侍を抑えられぬ国司をお許しにはならぬ!肥後の佐々成政殿が如何なったか知っておるか?」、『ええ、謹慎中と・・・』、「あの方はもう終わりだ!近いうちに所領を召し上げられるであろう!お命さえも!」、「このままでは黒田も佐々殿の二の舞になるぞ!」・・・

大坂より肥後に戻ってきた善助が全てを官兵衛に伝えた、『そうか!大儀であった!』と官兵衛が苦渋(くじゅう)に顔をゆがめた、「申し訳ございませぬ!」と善助が詫びた、「如何なされます?」と九郎右衛門が官兵衛に訊いた、その夜、官兵衛は夜遅くまで考えに考え抜いた、黒田が生き残る道はただ一つ!であると官兵衛は決断した!・・・その後日、長政の部屋に「若、お呼びでしょうか?」と黒田一成(かずしげ)が訪ねた、弱弱しく長政が伝えた「一成、宇都宮に出仕(しゅっし)を命じよ!」、はっ!・・・

それから間もなくして、10人ほどの家臣らとともに宇都宮鎮房が登城してきた、「お伴の方々はこちらでお待ちください!」、「さあ、こちらで御座います」鎮房一人が奥へ通されていった、庭を挟んで向かいの部屋には長政が観ていた、その長政の部屋へ鎮房が通された「お久しゅう御座います、黒田様が中津に移られたと言うに、これまで参上できなかった御無礼をお許しください!」と鎮房が遜(へりくだ)った、『はあ、本日は大儀であった!』、「殿は一揆討伐のため、肥後に居られるそうで?」、『ああ、朝房も一緒だ!』、「左様で御座いますか!」、暫し長政の言葉が途切れた、「如何なされた?顔色が優れませぬな?」、『否、大事ない、鎮房、今日はお主と飲み交わしたいと思ってのう!腹を割って話そうぞ!さあ、酒を持て!』、はっ!・・・

鎮房はただならぬ空気を察していた、三宝に盃と肴(さかな)が載せられてきた 、長政が先に口をつけて飲み干した、『さあ、鎮房、遠慮はいらぬ!』、長政がその盃を差し出した、「頂戴いたします!」、家臣が並々と酒を注いでいった、遂には溢れ出していった!はっ!御免!その家臣が布を取り出しふき取った、鎮房はその滴り落ちる盃を口へ運んだ、『毒など入っておらん!』長政の顔を凝視して鎮房は一気に飲み干した、『いい飲みっぷりじゃ!のお、太郎兵衛!』長政が不気味に笑った、『さあ!肴を!肴を召し上がられよ!』・・・

その瞬間、3人の家臣たちが立ち上がり、隠したる刀で斬りかかった!「己、謀ったな!卑怯者!」、『鎮房!』背後から殺人鬼・長政が一刀両断のもとに鎮房を切り裂いた!『関白殿下の命により、成敗いたす!』長政が止めを刺した!鎮房は「黒田~~!」と唸(うな)って絶命した!『宇都宮の郎党をすべて切り捨てよ!』長政は正しく殺人鬼と成り果てた!はああ~~!その不穏を察して、向かいの部屋で待機していたお伴の者達が剣を抜いた!しかし多勢に無勢!鎮房のお伴の家臣たちも暗殺されていった!この発端は長政の不祥事が招いたことと故、果たして、これが官兵衛が考えに考え抜き、関白殿下に従い、長政に命令した黒田の生き残る唯一の道だったのか!?知ってか知らずか、官兵衛は一人たたずみ肥後の本陣から遠く離れた豊前の方角を眺めていた!・・・

 

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軍師官兵衛、第37話“城井谷(きいだに)の悲劇!~前編” 2014年9月14日

2014-09-14 19:46:42 | 日記・エッセイ・コラム

小生この頃、好きな時に外出できない、食欲は恐ろしいほどあり、定期血液検査の数値はすこぶる良好なのだが、愛犬サクラ18歳の足腰が弱ってきてオムツの要る要介護犬となって来た、夜中には、ベッドのある居間と隣の台所を数回、徘徊する事が多くなり、へたばっては助けを呼ぶためワン!と1回弱弱しく鳴く、助けが来ぬ時はワン!ワン!と2,3回鳴く、今では、一緒の居間で寝ている家内が寝不足にならないように、係りつけの動物病院で処方して貰った極少量の睡眠導入剤を寝る前に与えている!・・・

そんな事情で、昼間は、家内と手分けしてサクラの介護に当たるようになった、今日は、家内が2時半ごろ買い物から帰ってきたので、小生はサクラの介護から解放された、今日はカラッと晴れ涼しい風が吹いていたので、3時前から久しぶりに河川敷に出て、大堰をUターンして10.5キロを歩いて来た、昼間での小生の徘徊?は久しぶりだった、来る19日(金)から10月4日(土)まで第17回アジア大会がインチョンで開催されるが、日本人選手の好記録と好成績を期待したい!・・・

   

天正15年(1587年)、秀吉より国替えを命じられた宇都宮鎮房が豊前・城井谷で 反旗を翻(ひるがえ)した!浅はかな長政率いる黒田軍若武者隊がその罠にまんまと引き寄せられ、宇都宮の居城、大平城へ城井川沿いに通ずる城井谷の細い山道で、弓矢を引いて待ち伏せしていた宇都宮軍によって不意を襲われ、狙い撃ちされ、小弁(こべん)を含む多くの黒田の将兵たちが命を失い、壊滅状態だった!太兵衛は自分の手勢を連れて若を助けに行こうとしたが、手遅れだった!これ以上兵を失うわけにはいかぬ!待つしか手はない!と官兵衛は太兵衛を止めた!善助、太兵衛、九郎右衛門は何時でも出陣できるよう用意万端整えて待機した!・・・

運よく生き延びた長政を含む黒田若武者隊の残党5,6人が山中をさまよった、宇都宮等は黒田の子倅(こせがれ)の首をはねよと血眼になって探した、馬ヶ岳城では光、糸、侍女たちが彼等の帰りを祈って手を合わせていた、日がとっぷり暮れてから長政らが命からがら戻って来た、「父上、申し訳ございませぬ!この度の戦さ、それがしの失策!」、ここまでは良かったが、このあとに又しても長政の馬鹿さ加減が全開した、「だが今、敵は勝ちにおごり油断しております!今一度攻めれば、今度こそ!」、あきれ果てた官兵衛が立ち上がり渾身の力を込めてキッツ~~い愛の鉄拳を長政の顔面に喰らわした!『長政!おんどれは何度同じことを繰り返す気か!』官兵衛は怒鳴りつけた!・・・

官兵衛はつづけた『長政、何故負けたのか、頭を冷やし良く考えよ!そして城井谷を攻めるには如何すべきか?お前が策をたてよ!』、官兵衛はそれ以上は言わず立ち去った、官兵衛の“己で策をたてよ!”の言葉を覚えているのか?如何だか知らぬが、長政は悔し涙に泣きぬれた、『糸~~!』光が急ぎ足で糸の部屋へ参じた、そこには落ち着き払って縫物をする糸が居た、『糸~~?』、「これも黒田の妻の役目、倹約は骨が折れます!」、光は糸の前に歩み寄り座って言った『長政は無事です!』、安堵した糸だが「当りまえです!殿がそう容易(たやす)く死ぬものですか!」と恍(とぼ)けた、『そうですね、長政が死ぬはず在りませんね!』、はい・・・

城井谷・大平城では娘の鶴姫が父・鎮房にお酌して宇都宮家臣等が戦勝の祝いの宴(うたげ)を挙げて美酒に酔いしれていた、「見事な勝ち戦さ!父上、おめでとう御座います! 」と宇都宮の嫡男・朝房から祝いの言葉が迸(ほとばし)った、おめでとう御座います!と家臣等も戦勝を祝った!「これで黒田は我等の強さを思い知ったことでしょう!」、「かくも容易く罠にかかるとは!?口ほどにもない奴らだ!」、鶴姫が父に酌をしながら言った「父上、此度、黒田を皆殺しできなかったことは無念で御座います!次こそ憎き黒田を討ち滅ぼしてくださいませ!」、鎮房が答えた『お鶴、お前が男であれば、これ程頼もしいことは無いのう!』、うははははは~~~!・・・

馬鹿・長政が独り、縁で何やら思い悩んでいた 、そこへ糸が茶を持ってきた、「殿、如何されました?」と聞いたが長政は答えなかった、「あの日から考え込んでばかり?何時までクヨクヨなさっているのですか!?今の殿の御様子を知れば死んだ小弁はさぞ嘆くことで御座いましょう!」と叱咤(しった)した、『知った風な口をきくな!』と立ち上がり糸から逃げようとした、糸は長政を追って言った「辛い気持ちは分かります!それでも前を向くのが、上に立つ者の定めでは御座いませぬか?」、長政が黙り込んだ、「私も家臣たちも皆、殿とともに戦っているので御座います!」、長政が糸に視線をやると糸が励ますように微笑んだ!・・・

長政がふてくされている頃、官兵衛は隆景と恵瓊(えけい)を招いて何やら作戦会議を開いていた、そこへ官兵衛に呼ばれた長政がやってきて、「小早川様、恵瓊様、お久しゅう御座います!」と二人に挨拶した 、『長政、ご両人にお前の考えた策をご披露致せ!』、バカはポケッとしていた、『策を考えよと申したはず、良い機会じゃ、申してみよ!』、はっ!長政は重い口を開いた「城井谷は山深き天然の要害!道も1本しかありませぬゆえ、力攻めでは落とせませぬ!しかし、その1本道が諸刃の剣!その入り口に付け城を築き、兵糧攻めに致します!」その間、官兵衛の鋭い眼が長政を睨んでいた!「その間に他の地侍を潰し宇都宮が孤立すれば、いずれ根を挙げましょう!」長政は自信なさそに話した!それは長政の前で官兵衛が立てた策をそのまま繰り返しただけのものだった!長政はそれを行わずして敗れたのだ!・・・

隆景が「良き策じゃな、官兵衛?」とお愛想した、『はっ!』と官兵衛も長政の知恵のなさに呆れていた、恵瓊が話を切り替えて言った「されど官兵衛殿、九州を平定したと言うのに官兵衛は一体何をやっとるんじゃい!?肥後の佐々成政に続いて、豊前もこの様(ざま)とは!?官兵衛に伝えよ!今年中に豊前の一揆を鎮めよ!と殿下はお怒りじゃ!あまり時をかけている暇などありませぬ!官兵衛殿と云えども、只(ただ)では済みませぬぞ!とも」・・・

早速動いた黒田・毛利の両軍は一揆を次々と制圧し、敵は宇都宮を残すばかりとなっていた!そうした中、交渉人・安国寺恵瓊が宇都宮に和議を迫るため 大平城を訪れた、「宇都宮殿、数に勝る我等がその気になれば、この城を攻め滅ぼすことなど容易かろう!?されど、これ以上無益な血を流すのは無用に御座る!黒田は和睦を望んでおります!その仲介に我等毛利が入る!如何で御座ろう?これがその申し状で御座る!」と恵瓊が懐から取り出した書状を差し出した、鎮房がそれに目を通して言った、「これは和睦ではない!何故我等が黒田の軍門に下らねばならぬのだ!」と鎮房が声を荒げた!・・・

恵瓊がすかさず言った「ならば豊前を離れ伊予の国行かれるか!?」宇都宮の顔色が曇った!「黒田の家臣となれば、この地に留まる事を許すと、黒田殿は言われておる!これを飲むほか、宇都宮が生き残る道は御座らん!」、宇都宮が観念した、天正15年12月、官兵衛の前で黒田と宇都宮は馬ヶ岳城にて和議を結んだ!恵瓊が伝えた「宇都宮殿には黒田家の家老として、大平城の城代を務めて頂く、また両家和睦の証として、嫡男・朝房(ともふさ)殿には官兵衛殿に、また娘の鶴殿は光殿に、それぞれ仕えることとする!」、「異存御座らぬな?」隆景が念を押した、「御座いませぬ!」と鎮房は従った!『これまでの遺恨も今日限りである!鎮房殿!』、「これよりは黒田家のため、励みまする!」と一件落着した・・・つづく

 

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iPS細胞移植が遂に臨床研究の段階へ! 2014年9月13日

2014-09-13 13:58:43 | 日記・エッセイ・コラム

残り試合19を残して、巨人に優勝マジック、14が点灯した!おおかたセ・リーグの優勝が巨人に決まった感が深まった!兎に角、我等が広島が幾ら追いかけても、2位を行く広島は大事な試合を落とし、王者・巨人は、ゲーム差3をキープして、スルリっと抜けて、なかなかトップ巨人との差が縮まらない!あの9月2~4日の巨人との3連敗が痛かった!広島が昨夜の阪神戦を6回を投げた福井が8点の大量失点して、2-8で負け、DeNAを4-0で完封した巨人とのゲーム差が5.0に広がった!どうやら今シーズン広島の目標は阪神とのクライマックスシリーズ2位進出争いに落ち着きようだ!・・・

世界に先駆けて2006年、山中伸弥京大教授52歳がマウス細胞から“iPS細胞(induced Pluripotent Stem cell、人口多能性細胞)”の作製に成功してから8年後、理研・再生科学総合研究センターの高橋政代プロジェクトリーダー53歳等が、兵庫県下の72歳になる女性加齢黄斑変性・患者の腕から摘出された4ミリ角の皮膚細胞に6種の遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、L-Myc、Glis1、LIN28)を導入して、10か月間メッシュの上で培養し、シート状に作製されたiPS細胞に、特殊なたんぱく質を加え更に培養し、網膜組織の一部“網膜色素上皮”に変化させ、長さ3ミリ×幅1.3ミリの短冊状のシートに切り分けて加工してきた!因みに高橋リーダーの夫の高橋淳京大教授52歳は山中教授のiPS研究所の副所長らしい!・・・

昨日午後2時20分から先端医療センター病院で、加齢黄斑変性に侵されてきた72歳女性に全身麻酔され、栗本康夫・眼科統括部長53歳10人等による執刀手術が始まった、まず患者の右目の表面に穴が開けられ、黒斑が伴い、視界が歪んで見え、極度の弱視の原因になっている変性した黄斑患部の網膜色素上皮と、感覚網膜にレーザーメスを入れて、1.3×3ミリの患部を除去した、病院独自で開発したチューブ状の特殊な器具を、目の表面から目の網膜の中心である黄斑部に挿入して、10か月間培養した網膜色素上皮細胞シートを移植する手術に見事成功して、全ての手術が午後4時20分に終了した!☆・・・

術後の経過が順調なら、その女性患者は1週間ほどで退院するが、通院しながら移植手術後1年間の経過観察に入る、視力検査、眼圧検査、眼底検査、そして癌化の有無などが精密に調べられていく、この臨床研究は50歳以上の悪性の加齢黄斑変性患者に施されるが、治療費は研究費で賄われるため、患者の費用負担はないようである、今回の患者を含め、計6人の患者への移植手術が当初計画されていたが、再生医療安全性確保法が、この11月に施行されるため今回の1名に限定されたらしい、残りの5名の移植手術は改めて申請されるとのこと、なんと50歳以上では100人に一人が発症すると言われる、喫煙や血管の詰まりやすい脂肪分の多い食生活は危険要因らしいですぞ!今国内には70万人もの加齢黄斑変性患者が効果の少ない治療を受けているらしい!まだ治験に2,3年はかかるらしいが、1日も早い本格的医療保険治療が待たれる!・・・

次のiPS細胞臨床研究による移植手術のターゲットが次々予定されている 、2015年度中に京大による、神経のiPS細胞を作製して脳に貼り付ける“パーキンソン病治療”と、血小板iPS細胞を作って投与する京大と東大による“血小板減少治療”が、2016から2017年度にかけて大阪大が心筋のiPS細胞を貼り付ける“重症心不全治療”と、角膜iPS細胞シートを角膜に貼り付ける“角膜障害治療”が、2017から2018年度にかけて、慶応大が神経幹細胞を作って脊髄に移植する“脊髄損傷治療”が、2018年度に、光を感じる視細胞を作り網膜に貼り付ける理化学研究所と先端医療センター病院のタックによる“網膜色素変性症治療”の臨床研究が予定されている!・・・

 

 

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軍師官兵衛、第36話“試練の新天地!~後編” 2014年9月8日

2014-09-08 13:27:24 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜遅く、寝る前に外に出てみると、手を伸ばせば届くような(明らかに言い過ぎ!)南の上空に満月前夜のデッカイおっ月さん“小望月(こもちづき)”或は“待宵月(まつよいづき)”が煌々と照り輝いて、雲が蒔き散りばめられた夜空を薄紺碧(こんぺき)に染めていた!今夜が中秋の名月の本番の夜だ、昨夜より更に美しい真ん丸の月を拝められることだろう!観なくっちゃ!写真も撮らなくっちゃ!ワカチコ!ワカチコ!(*^_^*)ブログ人にあった色付き絵文字がgooブログには無いのが寂しい~~!・・・

 

36話の後編を始めよう・・・それから程なくして、秀吉は九州の領土分配を行った、安芸の小早川隆景には筑前が、越中・新川から大阪に来た佐々成政には肥後が、宗麟の嫡男でキリスタンの大友義統 (よしむね)には勿論豊後が、そして豊前・城井谷の宇都宮鎮房(しげふさ)には、何と伊予への国替えが三成より告げられた!「国替え?殿下?」、「よろしく励め!」、「それでは話が違います!みどもとは本領安堵とのお約束!黒田官兵衛殿よりお聞きのはず!殿下、お待ちくだされ!」と秀吉に詰め寄ろうとしたが、「無礼であるぞ!」三成に制止され、秀吉は立ち去った!「この事は既に決まっていたこと、豊前6郡は黒田殿に与えられた!速やかに新たな領地に移られよ!」、メラメラと「黒田官兵衛!わしを謀(たばか)ったか!」宇都宮の怒りが込み上げてきた!・・・

遠く播磨を離れて、新たな黒田家が始まる豊前の居城、馬ヶ岳城に長政、又兵衛、小野小弁、黒田一成ら若手4人衆がやって来た、この馬ヶ岳の城は周辺の地侍を監視でき防御に長けた戦略的拠点であった!「播磨への思いは捨てよ、これからは、この豊前を播磨と劣らぬ良い国にするのだ!」、長政は新天地に来て張り切っておった、「張り切っておられますなあ、若!頼もしい限りで御座います!」と善助らが4人を迎えた、「お前たちも、しかと若をお守りするのじゃ!」と善助が一成と小弁に気合を懸けた、お任せ下さいませ!この命に代えましても!・・・

その頃、播磨・山崎城には太兵衛が豊前国替えの知らせと、実り多き馬ヶ岳周辺の地域情報を持ってきて、光殿、糸殿、そして侍女たちのお福、お道、おゆう、新規参入のお富らに熱く語っていた、そこには元気に成長する官兵衛の次男・熊の助と糸と長政の娘子・菊子が一緒に回廊を走りまわっていた、いよいよ播磨を引き上げるときが刻々とやって来た、殿下から賜った恩賞の地・豊前を光は早よう観たかった!・・・

 豊前・城井谷の大平城に官兵衛と九郎右衛門が出向き、『殿下の命で御座います、我が領土から速やかにお立ち退き頂きたい!』と宇都宮に強く迫った、「我が領土だと!?よくも左様なことを!この片割れ者目が!」宇都宮は声を荒げて怒りを爆発させた、一瞬その場に殺気が走った、「お主はこの城井谷の本領安堵を約束したではないか!?ぬけぬけとわしの前に来れたものよ!欲しければ力づくで獲られればよい!」、官兵衛も反撃した、『気持ちは重々承知しておる!住み慣れた地から離れることが、どれだけ辛いことかも、されど、これは天下を治める関白殿下の命で御座る!』、「この城井谷の山川草木の全てはわしの一部だ!ここから離れることは死に等しい!いくら殿下の命であっても!従えぬものは従えぬ!我等は断じてここを離れぬ!」、宇都宮は家臣達もろともに立ち去った、残された官兵衛には返す言葉がなかった!・・・

大平城を去る時、九郎右衛門が官兵衛に言った「この城は天然の要塞!もし攻める側に回れば厄介な戦さになりましょう!」、『戦さはせぬ!断じてしてはならぬ!』 ・・・小倉城で陣取る秀吉が「九州ではこのわしの意向を軽んじる者が多いそうじゃのう?」と佐々長政と官兵衛の前で呟いた、「誠にけしからぬことで御座いまする!」と戦さ上手ながら、これまで秀吉の命に何度も逆らってきた佐々長政が答えた、「お主をこれまで罰せず許してきたのはお主が無類の戦さ上手だからじゃ!肥後の地侍は頑固者揃い!逆らい者あらばお主の力で、しかと従わせるんじゃ!」、「お任せ下さい、この成政が容易く治めてご覧に入れましょう!」、「ははははあ~~!頼もしい言葉じゃ、決して忘れるなよ!」、ははあ~~!・・・

「官兵衛、宇都宮は未だ居座ってるそうじゃのう?」と秀吉が突いて来た、『今、宇都宮は意地になっておりますが、時をかけ、条理を尽くせば分かってくれましょう!』、「わしの命に従わぬ者は断じて許ささぬ!決して容赦はせぬ!よいな?」、『はっ!』、成政が口を挟んで来た「黒田殿、相手は所詮田舎侍!我等の力を見せ付けるので御座る!」とな・・・

大坂へ帰った秀吉は喜び勇んで茶々のもとへ、チャチャチャチャチャ~~~と急いだ!茶々の間を開くと、そこには、しおらしく三つ指を着いて秀吉を迎え入れる茶々が居た、「九州平定、おめでとうございます!」、『堅苦しい挨拶などよい!そなたに逢いとうて!逢いとうて!うずうずしておったんじゃ!』と秀吉は茶々に飛びかかろうとした、茶々は身をひるがえして言った「約束を果たして頂くのが先で御座います!」、『約束?』、「私は側室ではなく、もう一人の正室で御座いましょう?」、『そうじゃ!』、「それを公にして下さりませ!この茶々を我がものになさるのは、そのあとに御座います!」、『はははははあ~~~!さすが信長様の姪御じゃ!相分かった!直ぐ触れを出そう!祝言も盛大に挙げようではないか!』、近寄って茶々の手をさする秀吉の脳味噌の中が手に取るように分かった!茶々は、してやったりと笑みを浮かべた !・・・

そのあと、おねの間に行くと、「お前様!」、おねが不機嫌そうに秀吉の腕を捕まえ座らせた、『何じゃ?分かった!先に茶々に逢うたから、焼いておるんじゃのお?』、「そんなことでは御座いませぬ!何故バテレン追放令をお出しになったのでしょうか?」、『やれやれ、そのことか?』、「このお城にもキリスタンが大勢おります、皆、私に尽くしてくれています!その者達をどうする御積りか!?」、『それは官兵衛にも言われた、それゆえ、各々の信心は認めると言ってやった!』、されぞ?『バテレンどもは着け上がっておったんじゃ!このまま放って置いたら、一向一揆の二の舞じゃ!それ故、懲らしめてやったんじゃ!』、「官兵衛殿を豊前に遠ざけたのも、キリシタンゆえで御座いますか?」・・・

『そうではない!』、「それでは何故遠い九州へ?私には冷遇としか思いません!」、『考えがあっての事じゃ!』、「考え?」、『夢じゃ!』、「夢?天下統一がお前様の夢では?」、『それは間もなく叶う、そのあとじゃ!』、「そのあと?」、『いずれ分かる!』、秀吉はおねの両肩に手を置いて語った、『おね、わしは、まだまだ夢を見つづけれるぞ!わっははははは~~~!』、「えっ??」、おねは秀吉の顔をじ~~っと覗いて首を傾げた?・・・

播磨・山崎城がざわめき、いよいよ新天地、豊前への引っ越しが始まった、何故かお福が浮かれて、あれやこれや煩(うるさ)く指図をして陣頭指揮に余念がなかった、光はお福の張り切る姿を嬉しそうに眺めていた、一方、豊前・馬ヶ岳城では官兵衛が 家臣を集めて、善助に黒田家の定め(天正15年7月書)を読ませていた、一つ、主(あるじ)、親、夫に背くもの、罪に問う!一つ、殺し、盗み、強盗なすもの、または、それを企てる者、罪に問う!一つ、田を隠し、税を逃れる者、罪に問う!・・・

『以上が豊前6郡に出す布告だ!』、「それだけで御座いますか?」と又兵衛が訊いた、「短いから良いのだ!その方が分かりやすく、より領民に伝わる!」と善助が述べた、『早速明日より検地を始める!ただし、頭ごなしにやってはならない!山崎同様、領民には丁寧に説いて聞かせよ、よいな?』、長政が官兵衛に訊ねた「父上、宇都宮は如何なさる御つもりですか?」、『如何した、長政?』、「黒田の領地に今もって居座り続け、事あるごとに父上を片割れものだと触れ回っております!今こそ攻めるべきだと!」・・・

『今直ちに宇都宮を滅ぼして、この豊前の地侍や領民たちの心が掴めると思うか?』、「領民の心を掴むことも大切で御座いますが、殿下の命に公然として背くものをこのままにしては、示しが付きませぬ!」、殿!御決意を!と一成と小弁が賛同した、「控えよ!」と善助が制した、『黒田の若き力達よ!急ぐ良い時と、時を懸けたが良い時を見極めよ!長政、お前は山崎で何を学んだ?さあ!検地を始めよう!』、ははあ~~!・・・

山崎城では光殿が、「豊前への旅の仕度がおおむね出来ました!」と侍女頭のお福から連絡を受けた、『ご苦労でした!お福、考え直してくれぬか?』、「申し訳ありません!これからはお道とおゆうが私の代わりに、お方様のお側にお仕え致します、お方様、長い間、この様ながさつ者をお側において頂き、ありがとう御座いました!」、『生まれ育った播磨を遠く離れて九州へ行くなど、本当は怖くて仕方がない!その上、お福まで居ないとなると、私は何を支えにすれば!?』と光は本音を漏らした、「何を弱気な!お方様らしくありません!殿が居られるではありませぬか!若様も、熊の助様も!」、『お福でなければ駄目なこともあります!愚痴や泣き言を聴いてくれる相手が居なくなってしまう!お前は私の姉であり、母でもある!かけがえのない人なのですよ!』・・・

「私達からもお願いいたします!」と後ろのおゆうとお道からも深々と頭を下げられたお福であった、 「お方様と伴にどうか豊前へ!播磨には私が残ります!」、『何と、おゆうが?』、「夫は播磨に骨を埋めたいと申します、私もそれに従いたいと存じます、お方様、我がままをお許しください!お福様に代わって、お墓は私達が守り抜きます!ですから、お福様、どうか!」、そして、お道が申し出た「お福様、一緒に参りましょう!」、お福はおゆうの両手を握って言った「ありがとう!おゆうが残ってくれるのなら、安心ですね!」、光に振り向いてお福は言った「こうなったら、死ぬまでお伴致します!」、『お福!』光はこのどんでん返しを泣いて喜んだ!そして黒田軍とその家族は隊列を組んで一路豊前を目指した!・・・

その8月、山城の国・京都に秀吉が政庁兼邸宅として建てた聚楽第(じゅらくだい)の城に 、九州平定を祝うために家康一行が秀吉を訪ねた、徳川殿!徳川殿!とはしゃいで秀吉が家康を迎えた、『よお、お越し下さった!はははは~~~!』、「こりぁ殿下、おん自らのお出迎え、もったいのお御座います!」、『何を申す!わし等は兄弟ではないか!あっはははは~~~!さあこちらへ!』、まず秀吉は家康を利休のお茶でもてなした、「利休殿、何やら面白げな茶会を企てておるとか?」と家康が利休に訊ねた、「北野天満宮での茶会の事で御座いますな?」、『前代未聞の大茶会に成りまするぞ!』と秀吉がコメントした!・・・

 その通り、大坂城下の辻にはそのお触れの立札が立てられていた、“釜一つ、茶釜なければ、麦こがしでもかまわん、日の本はもとより、唐の国からも茶人が集まる!”と高札を掲げておると秀吉が鼻高々に言った!『わしもありったけの名物を持って参る!皆、度胆を抜かれようぞ!ははははは~~~!』、「この茶会が開かれれば、世が殿下によって無事治められたと云うことが、万人に示されましょう!」と利休も満足げだった、「もはや、乱世は終わったも同然!すべては殿下の御意向の在らしめるところに御座います!」と家康が讃えた、『うん、ははははは~~~!』秀吉は上機嫌に茶を飲み干した!・・・

 豊前・馬ヶ岳城に着いた黒田家の一行を、善助が城内の奥の間へ案内していた、父親・官兵衛と兄の長政を見付けた熊の助が走り寄った、「大きゅうなったのお!光、糸、皆、よお来た!」、黒田家一行は正座して並び『殿、長政、お久しゅう御座います!』と新天地でのあいさつを交わした、「変わりはないか?」、『はい!ありませぬ!』、「糸、長旅疲れたであろう?」、『誠に疲れました!』あっ!はははは~~~!、「まだお若いのに!」とお福も一声かけた、新米のしゃんとこべのお富が「お福殿が元気すぎるので御座います!」と一言付け加えた、『初めての九州!なかなか良い処では御座いませぬか!』、「ああ、これからは、ここが我等の国じゃ!今宵は土地の美味いものでも食べ、緩いで過ごすがいい!豊前は魚が美味いぞ!」・・・

『長政、久しぶりに糸に会って嬉しそうですね!』、否!「あ~~!照れておる!」と善助がちゃかした、「照れてなど居らぬわ!」、和やかな一家爛々の時だった、その時、襖の向こうの廊下に来ている九郎右衛門に善助が気が付いて出た、近寄りそっと尋ねた「宇都宮の動きは?」、「今のところ不穏の様子は無い!」、「なら良い!」、そのまま九郎右衛門は座敷に入り「お方様、糸殿、お久しぶりで御座います!」と挨拶を交わした?・・・

その九月、肥後で火の手が上がった!佐々成政の強引なやり方に地侍が反発し、一揆を起こしたのである!かかれ~~~!両陣営は真っ向から激突した!肥後各地に反乱は広がり、成政が追いつめられると、秀吉は一気鎮圧のため黒田軍と小早川軍を肥後・隈本城へ送り込んだ!佐々成政は「面目次第も御座らん!」と援軍に詫びた、『この熊本城だけでも保てば幸い!一揆の連中は決して一体では御座いませぬ!本領安堵を呼びかけ、応ずるものは許し、従わざる者は討つ!』と官兵衛が作戦を立てた、「一揆がこれ以上広がらなければよいが!」と隆景が案じた・・・

 その頃、城井谷の大平城では、甲冑を目の前にして宇都宮が一人何やら瞑想にふけっていた、突如立ち上がり何かを企てようとしていた!案の定、官兵衛等不在の馬ヶ岳城に不穏が起こった!一成と小弁が駆け込み長政と又兵衛に知らした「宇都宮鎮房!一揆に御座います!」、『なに!?』、「各地で地侍らが合力する動きが御座います!」、「早急に済まさねば大変なことに成りまする!」、『おのれ!』、そこで又兵衛が「慌てては成りませぬ!殿の御帰りを待つべきかと!」と場を鎮めようとした!『もたもたしておったら、肥後の佐々様の二の舞になる!明朝出陣じゃ!支度をせよ!』、はあっ!長政が血気に走った!又兵衛は長政を止めることが出来なかった!・・・

翌朝早く、出陣と相成った、甲冑に身を固めた長政が将兵たちに気合を懸けた『よいか!一揆の頭は宇都宮鎮房じゃ!鎮房を倒せさえすれば一揆はおさまる!』、お~~~!一揆ごときなど!ひとひねりじゃ~~!お~~~!やる気満々の小弁だった!又兵衛は後ろめたい思いで余り乗り気にはなれなかった、そこへ、この騒ぎを聞きつけた善助、太兵衛と九郎右衛門が急いで肥後から戻り、飛び込んで来た!「若~~!若~~!」、お~~い!待て!三人は長政の前に立ちふさがり、「若!お待ちくだされ!」、「この急変を聴き肥後から戻って参った!」、「早まってはなりませぬ!」、一刻の猶予もなりませぬ!そうじゃ~~!「黙れ!」、血気にはやった 若武者どもの胸倉掴んで、太兵衛が怒鳴り散らした!制止合戦が始まった!・・・

『静まれ~~!静まれ~~~!』そこへ官兵衛と肥後組隊が到着した!一斉に若武者隊がひざま付いた!『宇都宮鎮房へは出動せん!!』、バカ長政が黒田軍の大将・官兵衛に逆らって言った「何故です!手を打つのが遅くなれば宇都宮に勢いづかせるだけです!一度一揆を許せば・・・」、バカ息子に額を着けんばかりにして、官兵衛は鋭い眼光で 睨(にら)みつけた!『わしは落ち着けと言っておる!』、すると全体が静まり返った、官兵衛が大声で命令した『一揆は許さぬ!しかし城井谷は攻めるには難しい要塞!まずは宇都宮以外の地侍を一つ一つ潰していく!よいな!!』、はあっ~~!「慌ててはなりませぬ!まずは宇都宮を孤立させるのです!さすれば、必ずや、好機が訪れます!」善助が長政に説いて聞かせるように言った、「分かりました!」と観念した!?・・・

各地の地侍の 一揆を制圧していった長政部隊は宇都宮の居城・大平城を目の前にする城井谷の近くに陣を構えた、しかしバカ長政は『もはや周囲は全て潰した!今夜にも大平城を攻めたいところだ!』とイラつきは健在だった!それを又兵衛が咎(とが)めた「成りませぬ!」、『分かっておる!』とバカ長政がふてくされて水をがぶった!こりゃ~~馬鹿さ加減は重症だ!尚も煽った『しかし父上は慎重すぎると思わぬか?我等が志気が上がっている今こそ、宇都宮を攻める好機ではないのか!?』、又兵衛が割って入った「攻めるにしても、城井谷は攻めるに険しい要害!まずは本城を攻める前の付城を築き、時をかけて攻めるべきで御座います!」・・・

そこへ伝令が入った!「申し上げます!」、『良く戻った!如何であった?』、「城井谷の入り口は開いたままで御座います!兵は一人も居りません!」、『何?入り口が?』「若、各地の一揆が沈められたのを知り、兵を引いたのでは?攻める好機で御座います!」、「今なら落とせます!攻めましょう!」、「攻めるのは何時でしょう?」、「今でしょう!」 、「控えよ!成らぬ!行ってはならぬ!この様な時に冗談言ってる場合か!?」と又兵衛が一成の馬鹿と小弁たれを諌(いさ)めた!こりもせず、二人の馬鹿は尚も食って掛かって来た「何故ですか?この様な好機、又とありませぬ!」、「行ってはならぬ!まずは殿にお伺えをたてるべき!」、又してもバカ長政がほざいた『それまで待てぬ!』・・・

長政の馬鹿さ加減に呆れた又兵衛が言った「殿の命に背く御積りか!?」、『父上ならばこの様な好機逃しませぬ!』、小生ならこう言っただろう「騙されているとも知らず、行きたなら独りで行って死んで来い!わし行かん!ど勝手にさらせ!このど阿保が!」・・・『皆の者!出陣じゃ~~~!』、お~~~!!馬鹿どもは命を捨てに出て行った!・・・「殿~~!殿!」、『何事だ?』、馬ヶ岳の城に善助が駆け込んで来て官兵衛に伝えた「若が兵を率いて城井谷に向かわれたと!」、『如何(どう)して!?』光が目を真ん丸にして訊いた!善助は答えた「宇都宮が城井谷の守りを解いたと言うのですが!?」、『守りを解いた!?』、「兵を引いたと言うのですが!?」、『罠だ!』さすが官兵衛は一発で見透かした!『長政が危うい!』、次回”城井谷の悲劇”を乞うご期待!・・・

 

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