Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

加古川レガッタの季節がやって来た 2009年10月30日

2009-10-30 22:55:37 | 日記・エッセイ・コラム

リンパマッサージ

格安高速バス、夜行バスはオリオンツアー

少し動けば汗ばむぽかぽの秋晴れの日、昼食を済ませ午後1時半頃家を出発して加古川河川敷水面ロード33kmのLSDに向かった、河川敷には心地よい水面からの風が肌を撫でる、加古川大堰の水門橋の下を過ぎ8km地点の標識に近づくにつれて河川敷が次第に賑やかになっていった!☆はは~~~ん!恒例の関西学生秋季選手権“加古川レガッタ”が始まったかな、水面に視線を送るとレガッタの特設コース2000mのスタート地点に設置された船上から緊迫した『アテンション!!』のスピーカの声が響き!一斉に男子エイトが飛び出して行ったところだった・・・

この大会は1990年度琵琶湖瀬田からここ加古川大堰の2000mA級公認レガッタコースに移ってきて男子7種目/女子5種目を競う“関西学生秋季レガッタ選手権大会”として始まった、今年で第20回の記念大会を迎えている、パンをむさぼりながら女子種目のスタートを待っていたのかメガホンを自転車のかごに入れて応援係りに廻っている一人の女子大生に訊いてみると、今日金曜日が予選レースで、明日土曜日には敗者復活戦と準決勝が行なわれ、そして11月1日日曜日には全種目の決勝戦が行なわれるとのことだった、今大会は関西地区の17大学の他、遠くから茨城大学、愛媛大学、徳島大学、岡山大学、島根大学、鳥取大学、広島大学、山口大学を迎え25大学・学部、161クルーの参加らしい・・・

河川敷には疾走するママチャリにまたがりメガホンを口に当てて大声で母校のクルー達に声援を贈っている学生群で賑わっていた、上荘橋をくぐり1.5km先まで川上へ進むとその声援がピークに達した、な~~~んでか?橋の上からも学生達が鈴なりになっていたが、向こう岸には加古川市立漕艇センターがあり、その建物から河川敷まで広い階段が降りている(もちろん漕艇用の搬入路もあるよ)そこにはズラッとテント村が広がり大きなエールが湧き起こっていた、色とりどりのレガッタがこれまたズラッと並べられていた・・・

“国包(くにかね)の渡し跡”の標識を過ぎて直ぐの処にレガッタのゴールラインがある、そこにはフルマラソンコース10km地点の国包折り返しがあり、そこまでママチャリ軍団が続いていた、その“国包の渡し跡”から船頭さんがギィ~~コギィ~~コと漕ぐ渡し舟に揺られた小生の幼少の頃の思い出が蘇ってくる、それも菜の花が咲き誇った黄色の世界を眺めながら♪野崎参り~~の屋形船で~~ぇ参りよ~、何処を向いても菜の花盛り~♪の歌付きで蘇ってくる、代々庄屋を務めていた母屋から小耳に聞いた話だが小生の先祖一族は平家の落人で野村という集落に落ち着いたらしい、その集落には代々お寺がなく、村人のほとんどは川向こうの日光山・常樂寺の檀家であった、春のお彼岸になると家族連れで渡し舟に乗って川向こうのそのお寺まで墓参りに行っていた、今でも葬式が出来ると常樂寺の坊さんが来てくれる・・・

我が故郷・野村の集落には今でもお寺は無いが、我等子供達の絶好の遊び場であった神社がある、野球も出来るでっか~~い広場があり、キノコや木の実など自然の恵みでいっぱいの宮山(みやま)と呼ばれる裏山がある、近所の子供達と一緒にそこで弁当持ちや山滑りをよくしていた、“八幡(やはた)の厄神(やくじん)さん”の愛称で親しまれるこの“宗佐厄神八幡(はちまん)神社”は749年46代孝謙天皇(718~770年、史上6人目の最後の女帝、後に返り咲いて48代称徳天皇となる)の勅願所として創建された由緒ある神社である、2月18/19日には厄除祭が開催され、サーカスや見世物小屋が訪れ、境内周辺には縦横無尽に露天や植木市が並び多くの参詣者で賑わっていた、金持ちになれると思い五円硬貨が自由自在に出てくる“魔法の棒”を的屋のオッちゃんから買って、ウキウキして帰りそのカラクリにガッカリした思い出も今では懐かし~~い、出店には子供が欲しがるもので溢れていた・・・

小生の八幡(やはた)小学校時代よく学校の講堂で上級生が地域の有識者のオッちゃんから郷土の歴史の話を聴かされたものだ、その中に奈良後期“宇佐八幡宮神託事件”の話しに絡んだ当時の高級官僚・和気清麻呂(733~799年)とこの神社との逸話があった、当時皇位継承の権力闘争がドロドロであった奈良後期、朝廷お抱えの弓削道鏡と云う高僧が企み『道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる☆』と宇佐の八幡宮(725年創建、現在の大分県宇佐市)のスゲノアソマロという託宣師からお告げがあったと偽り皇位に就こうとした・・・

孝謙天皇はそれを聴き怒り、清麻呂を宇佐に遣わし確かめようとした、清麻呂一行が姫路に向かって西国裏街道沿いを丁度我が故郷に差し掛かったとき、道鏡からの刺客に襲われた、その時宮山から現れた大猪がその刺客をやっつけ、清麻呂は無事宇佐に到着出来、道鏡の託宣が偽りだったことが判明した、その事件の後厄除けの神社として宗佐八幡神社が建立された謂れが伝えられている・・・

レガッタの話しに戻ろう、速いチームを観ていると全クルーの動きが統一されスムースで力強い、遅いチームは動きに疲れが観えどこかアップアップしていた、大堰手前のレガッタ・スタート地点まで戻るとダブルスカルのスタートが行なわれていた、4時半頃まで予選レースが続くらしい、左岸河川敷から右岸に渡るため大堰水門橋に上がるとそこにもカメラや双眼鏡を覗くギャラリーがちらほらいた、水門橋から水面に引かれた、確か3レーンだったが、コースラインが上から目戦でハッキリ観て取れスタートの模様も目の前にあった、選手諸君!明後日の決勝に向かってファイトいっぱ~~~つ!!

レガッタに別れを告げ水門橋を渡りきり14km地点を過ぎて右岸の河川敷へ降りて行った、そして24km地点の高砂折り返し地点に向かって歩を進めて行った、ここ3日間庭木の太枝をバッさバッさと剪定に明け暮れたので身体が重い~~・・・

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“杜の都”仙台と“宗像”福岡、2つの女子駅伝 2009年10月25日

2009-10-25 14:30:35 | 日記・エッセイ・コラム

整体 学校 スクール

心配されているへなへな迷走台風20号の影響も無く全国的に秋晴れではなかっただろうか?

全国各地から選ばれし25校とOpen参加の東北学連選抜が杜の都に集結した、今日2009年第27回杜の都全日本大学女子駅伝(全コース38.6km6区間)で今年の大学女子駅伝日本一が決まる、蓋を開ければ今年も仏教大と立命館大と名城大との3校による優勝争いとなった、12時スタートして1区(6km)→2区(6.6km)から仏教大が飛び出し、2区区間新20′51″キャプテン森唯我の快走が一区石橋麻衣がつくった立命館との2秒差を29秒差に広げた・・・

昨年と同じく最長3区(9.1km)はトップを行く仏教大の西原加純と立命館大の2位で追う小島一恵との先頭争いとなった、小島が4年連続区間新29′19″を出したものの、今年7月7日ベオグラード・ユニバーシアード女子10000mの覇者(33′14″62)の意地を見せて西原も区間新29′40″の粘りで+10″差で立命館大の小島を抑えて2年連続トップで4区(4.9km)に渡す☆☆3位で名城大がつづく・・・

仏教大は4連覇のかかっている立命館を寄せ付けず4区(4.9km)→5区(4.0km)までも首位をキープしこの順位は変わらず初優勝の夢が見えてきた、4区から5区への2位以下の中継は差を+43″と広げられた立命館が2位で、3位+2′40″で名城大、4位+3′36″で城西国際大、5位+3′46″で城西大、6位+4′02″で東農大、7位で京産大の順で続いた・・・

仏教大の勢いは更に益して5区区間新12′42″で中継所に飛び込み、アンカー区間6区(8.0km)へのタスキリレーでは2位の立命館大に+56″もの差をつけていた、3位の名城大は+3′11″差と大きく遅れた、4位には城西国際大が+4′19″遅れで、5位+4′33″で東農大が上がった、6位+4′40″で京産大が上がりシード権圏内で繫いでいった・・・

仏教大のアンカー吉本ひかりは快調に飛ばし2位以下を大きく離す一人旅となった、そのまま25′35″の区間新を樹立し2°03′32″の大会新記録☆☆初優勝☆☆完全優勝のゴールテープを切った!!☆☆出迎えたメンバー達と抱き合い歓喜の涙を流した☆☆2位+1′41″の立命館大も2°05′13″の大会新となった☆☆+4′45″と大きく遅れたが名城大が2°08′17″で3年連続3位でゴールした☆

4位には+6′15″で城西国際大が、5位+6′30″で城西大が、そして+6′43″で京産大が6位に入りシード権を獲得した、箱根駅伝4年連続区間賞の父、山本よしてる氏を持つ5区山本の活躍で5位にまで押し上がった東農大は残念ながら7位に終わりシード権を失った、8位には白ホウ大が、9位に玉川大が、10位には順天堂大がゴールした・・・つづく

この日もう一つの女子駅伝があった、12月13日岐阜長良川で行われる全日本実業団対抗女子駅伝(6区間・42.195km)への西日本予選会が福岡宗像市で朝9時にスタートした、昨年まで国生みの淡路島多賀の地で行われていた関西/四国・中国/中部/北陸の予選会が形と場所を変えて西日本3連盟14チーム出場の予選会となった、全日本出場枠は黄色のタスキをかけた関西・四国の4枠、青のタスキの中国の3枠そしてオレンジのタスキを着けた九州の3枠が今日の西日本大会6区間42.195kmのコースで決定される、ただし2時間20分台内でゴールするという条件が付いている・・・

1区(6.7km)には各チームはエースを揃えた、いきなりダイハツ(大阪)、ワコール(京都)、天満屋(岡山)、ノーリツ(兵庫)とキャノンAC九州(大分)の先頭争いが始まった、徐々にキャノンが遅れ5.5kmからノーリツが置かれていき、“日の神”天照大神の使わされた3女神を祀る宗像大社すぎて、トップ争いはダイハツとワコールと天満屋の3チームに絞られていく・・・

第1中継所前、野田頭がスパートしワコールが800/1500mの中距離ランナーが揃う2区(3.5km)の箱山にタスキをトップで渡す、箱山がキロ2′57″で飛ばす、ダイハツと天満屋が追うがダイハツがスパートして天満屋が置かれていく、ユニクロ(山口)のダニエルが4位まで上がってくる・・・

第2中継所ワコール箱山が3区(10.5km)樋口にトップで繫ぐ、2位でダイハツが、3位で天満屋が、4位でユニクロが、5位でデオデオ(広島)が、6位で九電工(福岡)が、7位でノーリツが、8位でキャノンがつづく、昨年九州予選の覇者・十八銀行(長崎)が10位通過と出遅れている、7位で受けたノーリツの小崎が2位争いまで上がってくるが6キロ過ぎて遅れて行く、7.6キロで天満屋がダイハツとワコールに追い着き3チームの先頭集団が出来る、しかしここでワコールの樋口が恥骨骨折明けが響いたか?女性アスリートにはよくあることらしい、次第に遅れていき天満屋の重友(興譲館OG)とダイハツの中里の1位争いとなる・・・

あと500mダイハツ中里が天満屋の重友の前に出てスパート!みるみる重友は100m程置かれていく、そのまま中里は4区(4.2km)の坂井田(城西大OG)にトップで渡す、2位で天満屋は坂本直子が受ける、3位でワコールが、4位5位ほぼ同時にノーリツとユニクロが継ぐ、上がってきた九電工が6位で繫いでいく・・・

5区(10.9km)にはダイハツの木崎良子(仏教大OG)、ワコールの福士加代子、天満屋の中村友梨香(西宮高校OG)など各チームの大黒柱が揃っている、木崎は2009全日本実業団陸上10000mで福士と中村を制して日本人トップの2位に入った、また2週間前のイギリス・バーギンガムでの世界ハーフマラソンで14位に入っている(ちなみに同僚の中里麗美は16位だった)、その木崎がトップで坂井田からタスキを受ける、2位+35″で天満屋の中村が、3位+40″でワコールの福士が、4位5位はほぼ同時でノーリツとユニクロが中継していく、ここに来て上がってきた十八銀行の銀行員ランナー・扇まどかが6位で、7位で九電工が続く・・・

中村に+25″まで少し迫られるもダイハツ木崎は中盤過ぎまで1キロ3′20″ペースで快調に飛ばす、4位争いのノーリツの堀江美里(玉川大OG)がユニクロの前に出て大きく離して行く、木崎は最後の登りを乗り切りペースをキロ3′10″に上げて中村との差を少し開けて行く、3位の福士が口を大きくあけ苦しそうな形相で前を追う、最終中継所6区(6.39km)のダイハツ出田千鶴(仏教大OG)が木崎からタスキを受けて出て行く、2位+21″で天満屋・中村から浦田佳小里へ繫ぐ、3位+40″で福士からワコールNo.1美人ランナー・湯田友美にタスキが渡る・・・

ダイハツ出田は着実に1km3′15″のラップを刻み西日本ナンバーワンのゴールを目指す、そして2°16′53″で宗像市役所前のVゴールを切り、18回目の全日本実業団駅伝出場を勝ち摂った☆☆2位に天満屋・浦田が区間賞で入り全日本出場当確となった、3位ワコールも、4位ノーリツも、5位十八銀行も全日本出場権を手にした☆☆

今回の第1回西日本予選会から12月13日岐阜・長良川周辺で開催される2009年全日本実業団対抗女子駅伝への出場権を獲得した関西・四国の4枠、中国の3枠と九州の3枠各チームをまとめて見ると次のようになる・・・

関西・四国: 1位2°16′55″のダイハツ(大阪、2年連続19回目)、3位2°18′31″のワコール(京都、10年連続17回目)、4位2°21′30″のノーリツ(兵庫、2年ぶり11回目)、8位2°24′12″の四国電力(高松、2年目11回目)・・・

中国: 2位2°17′15″の天満屋(岡山、18年連続18回目)、6位2°22′11″のユニクロ(山口、3年連続5回目)、11位2°26′44″のデオデオ(広島、21年連続21回目)・・・

九州: 5位2°22′00″の十八銀行(長崎、6年連続11回目)、7位2°22′44″の九電工(福岡、19年連続19回目)、10位2°26′39″のキャノンAC九州(大分、初出場)・・・

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“コンクリートから人へ”必殺事業仕分人本格始動☆ 2009年10月23日

2009-10-23 18:12:50 | 日記・エッセイ・コラム

整体 学校 スクール

[全巻漫画.com]

昨日のLSDはこれまで走ってきた29kmのコースを4km延長して正真正銘の33km強を走った、帰って万歩計を観ると??何故か34579となっていた??29kmのコースでは43000歩以上になっていたのに??走っている途中いつも左腰につけているはずの万歩計がないのに気づいた!!あっ、落としたのかなぁ!?走りながら暫らくウエストバッグのベルトを左右ともまさぐったが「ない!!」、諦めかけた時、「こつん!!あった!☆」何故か右腰につけていた!?しこたままさぐっている時万歩計のスイッチに触れたのか、はたまた給水の折おケツの上のペットボトルをずらした時なのか?、33km走り終わったあとも充分走る足は残っていたが後半空腹感が続きエネルギー切れ気味で疲労感がいつもよりずっしり重く残った(T_T)

新政権が発足して1ヶ月が過ぎ、性急には解決できないと観られていた麻生自民党政権下のもと官僚主導で築き上げられた悪いウミが益々露わになってきた、骨太の方針2009基準による2010年度概算予算案には高級官僚どもが天下り渡りを繰り返す4500以上もの寄生虫のような公益・特殊法人へは12兆円以上に及ぶ必要額の7.6倍もの無駄な予算が吸い取られようとしていたことが判明した、2010年度に係わらず自民党政権は今までこの様な財務省主計局への官僚依存体質によって決められる無駄予算を繰り返してきた、このような悪いウミを出しつくし“コンクリートから人へ”をモットうに新政権与党全員が一丸となって国民にガラス張りの事業仕分けに着手し無駄予算を削減して11月30日までに議員立法に托されなければならないと励んでいる姿は献身的で美しい・・・

10月16日脱官僚・政治主導の新政権の下、各省庁から95兆381億円の来年度予算概算要求額が出ている、特別会計と合わせれば207兆円になるらしい、小生のような者でも分かる、一般予算と特別会計を組み変え調整すれば赤字国債など発効しなくても済むだろうと、麻生政権が決めた補正予算からすでに3兆円近く無駄が上げられているが、概算要求から3兆円以上の無駄予算削減を目指して鳩山首相が議長、仙谷行政刷新相が副議長を務め他4名の政治家議員と民間議員5名から成る行政刷新会議執行部が組織された、その下に枝野幸男民主党衆院議員が総括する3つのワーキング・グループが組織され3000の事業の内240もの事業仕分けに着手している・・・

10月22日“国民の目”を味方にして一般公開される行政刷新会議第1回会合が開かれた、鳩山・仙谷両議員の他に菅副総理、平野官房長官、藤井財務相、原口総務相が政治家議員を担当する、そして稲盛和夫京セラ名誉会長、茂木友三郎キッコーマン会長、草野忠義連合総研理事長、加藤秀樹構想日本代表事務局長、片山善博慶応大教授らが民間議員を務める・・・

ワーキング・グループ(WG)は次ぎの3つである、尾立源幸参院議員が主査を務める厚労・外務・経産WG、寺田学衆院議員が主査を務める国交・総務・環境WGと蓮ほう参院議員が主査を務める文科・農水・防衛WGの3つである、新人議員は新人研修優先で外される時もあるが、3つのWGのもとに配属された32名の民主党議員達が一致団結して各事業部所の現場に出向き、行政でやるべきか民間でやるべきか、もし行政なら国がやるべきか地方でやるべか、事業目的は妥当なのか、財政資金投入がどれくらいが妥当なのか、事業手段が有効・効率的なのか、急ぐ必要はあるのかなどの調査に当たる・・・

早くも次ぎの3つの税金の無駄遣いが洗い出されている、一つは194万円で買った公用車に249万円もの修理代が上げられていた!!次に米兵達がレンタルカーを無断利用し高速料金が無料になる“通行証”を乱用した2億円が上がった、そして学生奨励金を借りて返済もせずに雲隠れしたのか住所不明になった悪徳学生の返済不能になった2253億円が日本学生支援機構から上がっている、これからもどんどんこのような無駄が洗い出されて来るだろう・・・

このように一般公開して予算案が決められていく過程などは官僚に癒着した自民党政権下では全く期待できないことだった、根本的な国民生活・福祉の向上のために目を向けた新政権は頼もしい、ダブルチェックダブルチェックしながら堅実に実に良くやっている、一方ただ官僚に政治を委ね任せ切りにして樂して政権にあぐらをかいて自民党政権!!利権にまみれた無駄なコンクリート物ばかりに造っていた節約を知らない自民党政権とはえらい違いである、これから見栄とエゴにに塗(まみ)れてその場しのぎのごり押しで無策にいらんもの作ってきた自民党お偉方のねたみに遭い、また色んな難関が待っているだろうが新政権ならきっと乗り越えてイケるだろう、自分達のやってきた悪行を反省もしない自民党諸氏の醜い醜態を余り見たくないが、10月26日に始まる臨時国会(衆参両院本会議の場で11月30日まで)の成り行きを静かに見守りたい・・・

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さあ!陽気にゆこう!高石ともやフォークコンサート☆ 2009年10月19日

2009-10-19 22:32:40 | 日記・エッセイ・コラム

格安高速バス、夜行バスはオリオンツアー

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今晩7時より加古川市民会館小ホールにて高石ともやフォークコンサートの夕べがあったので、今日のLSDを24km(30873歩)と短めにして17時20分に帰ってきた、それにしても水管橋を渡りきったところで目に飛び込んできた夕日が美しかった☆薄雲に囲まれるように浮かび上がったピンク色に近い茜(あかね)色の夕日には軽くグラデーションがかかって神秘的だった!☆いつものようにポカリを飲んで落ち着いた後、入浴と夕食を済ませて自転車で急いだ・・・

7時少し前に着いた、受付を済ませ会場に入ると思ったより多くの観客の入りで膨らんでいた、もうすでに加古川労音ギターサークルの面々とコラボしてSingalongが始まっていた、ともやさんが歌詞を前触れしながら聴きなれた昔懐かしいフォークソング・スタンダードの数々を会場にいる皆と合唱に加わった、まるで歌声喫茶を彷彿(ほうふつ)させるようだった、やがてギターサークルがはけて客席のライトが落とされステージにスポットライトが入りともやんのワンマンショーが始まった、1960年代多くの世界の若者達が学生運動と反戦運動に走り自由と平和の心のよりどころを求めた、日本の若者達もそんな時代を反映する叙事詩を作りその詩の言葉を一語一語大切にするフォークソングを謳歌した、ともやんは歌詞を噛み砕くように人の心に訴える、今回は30半ばに成長した彼の息子が応援に駆けつけ美しいハーモニーをかもし出していた・・・

ともやんは小生と同じ1941年生まれである、加古川労音はともやんのフォークコンサートを小生の知っている限り過去3回開催している、一度合唱隊の一員としてステージを共にしたことがある、小生がともやんのコンサートに参加するのは今夜が4回目となる、しかし小生と同じマラソンランナーでもあった彼との出遭いは遠く過去にさかのぼる、それは彼がまだザ・ナターシヤセブンの時代に六甲山クロスカントリーで走ったあと野外コンサートで歌った時だった、まだ幼かった2人の息子とカメラに収まって貰った、後日加古川に来た折その写真にサインを貰った・・・

皆さんの子供の頃の夢を教えてください。【by文藝春秋・Number】 ←参加中

『夢をかなえるサッカーノート』 中村俊輔著(文藝春秋)

その後もあちこちのマラソン会場でランナー・ともやんに良く会っている、その都度コンサートをやっていた、その頃小生も若くフルを3時間10分前後で走っていたが彼の方が少し速かったように記憶している、一度篠山マラソンで中盤に彼が小生を追い抜いて行ったことがあった、後半小生が追い抜いたかは定かでないが、彼ならきっとサブスリーをやったのではないだろうか・・・

彼のマラソン人生は凄いの一言に尽きる、1988年オーストラリア1011km8日間マラソンも1993年の4700km64ステージに及ぶトランス・アメリカ・フットレースも完走している!☆ホノルルマラソンにも32回連続完走している、この12月には33回目を走ることになっている、数々のフル・トライアスロンレースにも出場している、間寛平も凄いが、ともやんはその上を行くかもしれない!!

今回ともやんは4月和歌山の第一番札所・青岸渡寺を皮切りに出発してマラソンで西国三十三箇所札所めぐりに出発してその途中に加古川に寄っている、各お寺の本堂でライブしながら大阪→奈良→滋賀→京都→兵庫まで900km以上を走破して来たとのこと、ラストサムライのロケ現場書写山・円教示を経て10月4日には加西にある第26番札所・法華山一乗寺の巡礼歌奉納の形でライブを終えて加古川入りしている、11月中に網羅する岐阜大垣の三十三番札所・谷汲山華厳寺まであと2箇所の札所が残っているだけらしい、図(はか)らずも今夜加古川でのコンサートはともやんも親交のあったザ・フォーク・クルセダーズを立ち上げた天才音楽家・加藤和彦氏(享年62歳)が『もう自分を音楽で表現出来なくなった』と遺書を残し覚悟の死を迎えた翌日と会いまった・・・

小生と加藤和彦氏との出遭いが小生のカナダ移民時代に一度あった、1969年か1970年頃バンクーバーの西端、English Bay に突き出たSpanish Banks の広大なキャンパス内にあるUBC(Unversity of British Columbia)の大ホールに日本からフォークシンガーたちの大集団がやって来て盛大なフォークコンサートの夕べをぶちかました!☆大勢の日本人や日系人の聴衆が会場いっぱいに溢れあがってフォークソングに酔いしれた、その中にザ・フォーククルセダーズ率いる若き日の加藤和彦氏もいた、コンサート後友人とキャンパスを出たところにあるカフェで食事しているところにジローズやバンドメンバー達と一緒に加藤和彦氏が入ってきてテーブルに着いた、来れなかった友人に頼まれたテープレコーダーに全員のインタービュー録音したことがあった・・・

1973年ウッドストックやフィルモア・イーストの向こうを張って永六輔や加藤和彦氏率いるザ・フォーク・クルセダーズ等とともにともやんは、1975年吉田拓郎とかぐや姫等が始めた静岡つま恋に先駆けて、円山野外音楽堂での京都祇園祭宵々山(さきやま)野外コンサートの先駆者となった、ともやん曰く『彼は多くのミュージック・ステージをプロジュースしてきたが、寂しいかな彼をプロジュースしてくれる者が現れなかった』、今夜のともやんは心なしか沈んでいたようだった、アップテンポの曲もどこか抑えて歌うように心がけていた、最後の曲として北山修作詞/加藤和彦作曲“感謝”を選んで加藤和彦氏の死に哀悼の気持ち込めて歌い上げた・・・

コンサート後高石ともやの著書CD付き自叙伝“さあ、陽気にゆこう”(4000円)を買った、小生はアメリカ・メキシコ・カナダへの冒険旅行のあとカナダ移民として日本を脱出して行ったが、1970年前後多くの若者が日本を脱出して行った、ともやんも1970年に放浪の旅に出ている、サイン会の時、小生、彼の日本脱出に及んだ動機を尋ねて観た、『フォークソングに疲れていたのだろうか?否きっと自分捜しに行ったのだろう、未だに自分捜しを続けてかも・・・これ以上いたら帰れなくなると思い6ヶ月で帰って来た』と答えてくれた、1964年に日本脱出した小生の場合はどうだったのだろう??『きっと戦後復興途上の貧しく狭くて息苦しい日本の生活から逃げて映画・テレビを通して入ってくる西欧文化の豊かさに直接自分の目で観て、生で触れて見たかったのだろう』・・・

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86回箱根駅伝本戦出場11枠を懸けて47校が競う 2009年10月17日

2009-10-18 00:13:27 | 日記・エッセイ・コラム

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2009年本戦でシードを獲得した9校と予選会上位11校の20校が来る1月2/3日の第86回箱根駅伝で競う、今年は関東学連47校が陸上自衛隊立川駐屯地→立川市街地→昭和記念公園までの20kmのコースで11枠の本戦出場権獲得を目指して予選会に参加した、各校から12名の選手が出場し上位10名の総合タイムで順位が決められる、上位8位まではレース総合タイムそのもので順位が決まる・・・

あとの3校は4日間に渡る5月の関東インカレ(関東学生陸上、於:霞ヶ丘スタジアム)のインカレポイントが減算タイム(アドバンテージタイム)に換算される、この減算タイムの換算が実に複雑怪奇のようで付いてイケない、1部ランキング校と2部ランキング校とではポイントの配分が違う、総合順位によってポイントが違うのは分かるが各校の参加人数によっても違っている?上位10名のレース総合タイムからその減算タイムが差し引かれる、そして最終総合タイムがはじき出され公式順位が決まる・・・

9時30分参加校47校554名のランナー達が一斉に駐屯基地滑走路をスタートする、滑走路を2周して東農大の外丸和輝や駒大の宇賀地強や日体大の森賢大や東海大の村澤明伸や駒大の深津卓也らがトップ集団を作り5km地点を14′48″のハイペースで通過していく、5.6kmを過ぎて駐屯基地を出て立川の市街地に出ていく、各チェックポイントを各校10名が通過した時点で順位が出る、10km地点を東農大が1位で通過する、2位で駒大が、3位で拓殖大が、4位で帝京大が、5位で上武大が、6位で東海大が、7位で青山学院大が、8位で専修大がつづく・・・

ランナー達は11.3kmを過ぎると昭和記念公園へ入って行く、15km手前で東農大の外丸がスパートして15km地点を44′35″の依然としてハイスピードで通過して行く、鳴り物入りで佐久長聖から入ってきた東海大のスーパールーキー・村澤が外丸を捕えそのまま前に飛び出して快調に飛ばす、城西の高橋優太も外丸を抜き去る、深津も外丸に並ぶ、15km地点を10人全てが最初に通過したのは駒大だった、2位で東農大が、3位で帝京大が、4位で東海大が、5位で上武大が、6位で青山学院大が、7位で拓殖大が、8位で専修大が通過して行く・・・

東海大の村澤が最後まで他を寄せ付けず1位59′07″でフィニッシュする、上位11人が59分台でフニッシュするハイレベルなレースだった、10人が終始上位をキープした総合力で駒大が1位10°03′39″の大会記録でゴールする☆☆2位10°05′02″で東農大が、3位10°08′55″で上武大が、4位10°11′01″で日体大が、5位10°11′20″で帝京大が、6位10°11′36″で城西大が、7位10°11′42″で専修大が、そして8位10°12′32″で青山学院大がレース総合タイムの順位で本戦出場を勝ち摂った☆☆

残り3校は総合タイムに関東インカレの減算タイムが加味されて決まった、東海大が9位10°09′21″(レース順位:9位、減算タイム:3′45″、レース総合タイム:10°13′06″)で、10位10°14′35″(10位、1′05″、10°15′40″)で亜細亜大が、そして最後11位10°14′58″(12位、3′10″、10°18′08″)の予選会突破校は法政大の名が読み上げられた☆法政大のメンバーから大きな歓声が起こり皆んな抱き合い嬉し涙が溢れ出た(*_*)

12位10°16′31″(13位、3′30″、10°20′01″)の国士舘大、13位10°16′45″(15位、3′50″、10°20′35″)あの常連校・順天堂大も、14位10°17′32″(11位、0′20″、10°17′52″)の拓殖大も、15位10°19′53″(14位、0′20″、10°20′13″)の国学院大も、そしてあの強かった16位10°20′39″(16位、1′45″、10°22′24″)の神奈川大も予選通過はならなかった、みんなの広場での閉会式後順天堂大のメンバー達がズラッと並んだ前で元監督・沢木啓祐日本陸連専務理事がはっぱをかけている光景が印象的だった、1957年初出場から52回連続出場が途絶えた瞬間の出来事だった・・・

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