Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第38話“追い込まれる軍師!~後編” 2014年9月22日

2014-09-22 10:37:35 | 日記・エッセイ・コラム

長政が宇都宮の残党狩りを終え城井谷から、異様にガラ~~んと静まり返った中津城へ帰ってきて、妻の糸の名を呼んだ、何度も呼ぶが返答はなかった?すると、奥から、すまし顔の糸が、やっと現われた、正座し三つ指ついて深々と「無事のお戻りおめでとうございます!」と馬鹿丁寧に長政を迎え入れジ~~っと長政の目を見た、『何を観ておる?飯しだ!』と急(せ)かした、すると意外な返事が帰ってきた「支度が出来ておりませぬ!」??「奥の女たちは皆、殿に愛想を着かし、何のお世話もしたくないと申しております!」、『くだらぬ!』・・・

そこへお福、お道、お富ら侍女たち大勢を従えた光が入ってきて『何が下らぬのですか!?』と言って一斉に長政を睨みつけた、「母上??」、光は静々と前に出て糸の横に座って言った『これは城の女たち全ての者の思いです!お鶴殿を牢から出しなさい!!』、立ち上がった長政は呆れた顔で光に近づき答えた「母上、無理を申されますな、鶴を助けたりしたら、殿下の命に背くことに成ります!」、女たちは怯(ひる)むことなく長政の顔を鋭く見続けた、光が口を開いた『助けるのではない!』、??それは鶴を助けるのではなく、逃がすと言うことであった!・・・

その役目を又兵衛が買って出た、その夜、牢の鍵を開けて言った『お鶴殿、出るのだ、案ずるな、お方様が若に掛け合われたのだ、但し、よいか、我等はお主を助けたわけではない!』と言ってから、又兵衛は戸惑うお鶴の側(そば)に旅仕度一式を 置いた、『お方様からだ!』、鶴は疑いの目で又兵衛を観ていた、『どうした?』、鶴が言った「情けは受けぬ!」、又兵衛は鶴を励ますように言った『恥を忍んでも生き残るのだ!死んでは仇は討てぬぞ!お鶴殿、生きよ!何が何でも生きるのだ!生きていさいすれば、光も見えてくる!』、又兵衛の顔を見つめる鶴の目に涙が溢れた、そして旅支度を抱えて牢から出て姿を消していった!又兵衛は鶴の無事を祈った、長政も物陰から鶴を見送った!・・・

天正16(1588)年の5月、肥後の一揆を鎮圧した官兵衛は、中津城に戻って光と二人っきりで雨に煙る中庭を眺めていた、そこへ長政がやって来て「父上」、手を着き胡座を組んで官兵衛に詫びた「此度は父上にお伺いも立てず、それがし一人の考えで事を運びました、申し訳ございません!」、『お鶴を助けたそうだな?』、官兵衛が訊いた、すかさず光が言った『いいえ、お鶴殿は勝手に逃げたのです、助けた訳では御座いませぬ!』、『殿下にはそう伝えておこう!』と言って官兵衛ははけた・・・

長政は安堵して頭を下げた、『父上はおっしゃっていました、もし、あの時、中津に居たら長政と同じことをしていただろうと!』光が長政に教えた、長政は父の愛を知って涙ぐんだ、『此度は辛い戦でした!』と光が呟いた・・・自分の部屋に戻った官兵衛は十字架の置かれた側の床の間の前で項垂れ(うなだれ)ていた、そして生前、半兵衛がくれた軍配を手にして思いにふけっていた、そして、軍配に無向かって、そっと手を合わせた・・・

大坂城では秀吉が満月の庭に出て美酒に酔い観月しながら、何やらおねと団欒の時を過ごしていた、『肥後の2つを分かち与えた、半国は小西行長に』、「もう半国は?」、『加藤清正じゃえい!』、突然おねは立ち上がり「清正に!」と歓喜の声を挙げた、『おねも喜ぶと思った!』、「ありがとうございます!私からもお礼を申し上げます!ああ~~!」、『あやつの忠義に報いてやったんじゃえ!』、「清正、正則、長政は私がこの手で育てた息子たち!その息子たちが立派に出世し、豊臣家のお役に立つことほど、嬉しいことはありませぬ!」・・・

『おねは、わしが三成ばかり可愛がっていると文句ばかり言っとったがのう!?これで、そうではないことが分かったであろう!』、はい!『三成、清正、正則、長政、皆このわしに認めてもらおうと懸命に競い合う!それが豊臣家のためにもなるんじゃ!競い合わせて、力を出すこと、それをわしは信長様より教わった!上手いやり方じゃ!しかも、それが実に面白い!』、「面白い?」、『うん、人は将棋の駒じゃ!それをこのわしが自在に操る!まるで、神の様にな!上様もそれを面白がって居たに違いない!あっははは~~~!はははははあ~~~!』秀吉の笑い声が望月(もちづき)の夜空に木魂(こだま)していた! ・・・

天正16年7月法園寺にて、肥後の一揆の責任をとり、謹慎していた佐々成政に秀吉からの沙汰が三成より言い渡された!”佐々成政、切腹申しつくるものなり!”、「乱を起こした肥後の地侍どもは?」、『同じく切腹申し付けられます!』、「そうか!わし等は秀吉の手のひらの上で、戦っておったのじゃなあ!?」と成政が思い返していた、はははははあ~~~!成政はあほらし成って笑い飛ばした!・・・

同じ頃、官兵衛は大坂城の茶室にきて、秀吉と三成ともに利休の茶を嗜(たしな)んでおった、秀吉が口火を切った『官兵衛、此度は命拾いしたなあ!長政に感謝しないとなあ!』、三成が報告した 「佐々殿が昨日切腹致しました!」、秀吉が言った『佐々殿が居なくなった肥後は二つに分けて、加藤清正と小西行長に与える!何故あやつらを入れたか分かるか?いよいよ、その時が来たと言うことじゃ!』、「明(みん、1368~1644年、モンゴル元朝を倒した中国王朝)で御座います!」と三成が答えた、『先鋒は清正と行長!小早川が大将だ!軍師は、勿論、官兵衛じゃ!信長様が成し得なかった夢を、この秀吉が成し遂げるんじゃ!うははははは~~~!』・・・

官兵衛が声だかに言った『殿下!』、何じゃい!?官兵衛は秀吉に正面切って訴えた『天下泰平は目の前では御座いますが、長い戦乱で民は疲弊しております!何卒、しかと、民の姿を観て頂きとう御座います!』、むっとして秀吉が言った「その様なことは分かっておる!」、『天下を治めたのち、海を渡り明を攻めるのは、・・・』、そこへ三成が「殿下の悲願で御座います!」と割って入ろうとした!『控え居ろう!三成殿!』官兵衛は三成に顔を突き合わせて三成を怒鳴り散らした!『今、わしは殿下に申しあげておる!』、三成も負けずと構えた、『口を挟むな!』と官兵衛はもう一度三成を制した、官兵衛は秀吉に向き直し、睨んで言った『殿下!』官兵衛は土下座した、『何卒!御考え直し下さい!』・・・

秀吉は床を殴打して言った「お主!このわしの夢に鶏知(けち)をつける気か!」、『そうでは御座いませぬ!何卒!』、「これ以上言うと申すな!」と秀吉は手で官兵衛を制止した!それまで黙って聞いていた利休が一言「耳の痛いことを言ってくれるお方が居られる内が華で御座います!」と言って、立てた茶を秀吉にそっと差し出した、秀吉はその茶碗にケチをつけた「利休よ、わしはこの茶碗が嫌いじゃ!」、利休が返した「殿下にも、いずれその良さがお分りになります!」、怒りに燃えた秀吉は足でその茶碗をけっ飛ばそうとした!しかし、ぐっとこらえて 「三成、参る!」、秀吉は茶室を出て行った!・・・

場面は変わり、おねがマグダレナと独りの侍女ともに大坂城の廊中を何処かへ進んでいった、ある回廊に差し掛かったとき、二人の侍女お伴にした茶々に出くわした、互いに道を譲ろうとしなかったが、茶々らが先に折れた、すれ違いざま、両者に殺気が走った!「挨拶もせず、無礼な!」マグダレナが呆れた、おねは、客間に待つ官兵衛に会いに来たのだ、「暑気払いじゃ、召し上がれ」、瓜のようじゃった、官兵衛は美味そうに口にした、「松壽も好きでした、松壽、否、長政は息災ですか?」と官兵衛に訊いた、はっ!「宇都宮の一件には、遠い大坂から気をもんでおりました」、『御心配をかけ申し訳ございませぬ!』、「あの子があんな思い切ったことをやり遂げるとは!」、『黒田のあととりとしての覚悟が出来ているようであります!』・・・

「立派なあととりになってくれれば、私も嬉しい限り!あんな小さかった子供たちが、皆、立派な武将になってゆく!それは良いのじゃが、豊臣家は急に大きくなった、それが不安です、殿下が天下人になられてから、少々人が変わった!」、マグダレナが後ろから付け加えた「お方様もお辛いことが多いので御座います!それは茶々様で御座います!殿下のご執心振りは度が過ぎております!」、「おやめなさい!」おねはマグダレナを諌めたて言った、「三成殿などは茶々様にすり寄ることで権勢を欲しいままに!」、「いい加減にせぬか!」、申しすぎました、申し訳ございません、「信長様がお亡くなりになって、殿下は瞬(またた)く間に天下を御取りになった、家中をまとめる暇(いとま)も無いほど!それ故、家中が割れはせぬかと気がかりでなりませぬ!官兵衛殿!そなたが頼りなのです!」とおねは日ごろの不満を官兵衛にぶちまけた!・・・

その頃、豊前・中津城では家臣らが集まり夜の宴で盛り上がっておった、肥後に向かう加藤清正が立ち寄っていた、長政が酌をしながら清正に言った『25万石の大出世!おめでとう御座います!』、清正が言った「これからは黒田家と加藤家!今まで以上に深く付きおうて行きたいものじゃ!否、そうせねばならぬ!おね様が肩身の狭い思いをされておることは知っておろう?」、『その訳は茶々様で御座いますな!?』長政が察した、「茶々様は所詮小娘!現状は裏で権勢を欲しいままにしておる三成じゃ!あやつは我等を殿下から遠ざけようと躍起になっておる!黒田が豊前の一揆で窮地に追いやられたのも、三成が裏で手を回していたからじゃ!」・・・

床をひと殴りしてから清正は長政に言った 「長政!お前は、わしや正則と同じく、おね様に育てられた豊臣の身内じゃ!これからは我等が共に力を合わせて、豊臣の天下を支えていくのじゃ!」、『無論です!それがしの命はおね様と、亡き半兵衛様にお救い頂いたもの!豊臣家のため、この命、捨てる覚悟は出来ております!』、側で又兵衛が、またカッカとのぼせ挙がり、度を越さぬかと、長政の様子を心配げに観ていた、「よお、ゆうた!」と清正が長政を誇らしげに褒めた!大事なければよいが・・・

一方、駿府城に移った家康は、未だ秀吉に上洛を渋って従おうとしない関東・小田原の北条に上洛を促していた、「書状を出されては?これ以上、上洛を先延ばしにするなら、我が娘を返せと!」と本多忠勝が勧めた、「北条の嫡男に嫁がれた督姫(とくひめ、家康の次女)様で御座いますか?聞き入れると思いませぬが!」と井伊直政が否定した、「殿が北条を説いていることさえ伝われば、聞き入れずとも良いのだ!」榊原康政は上洛に前向きではなかった、「九州が鎮まった今、あの秀吉は必ず北条を討ちに出ます!北条との共倒れだけは避けねばなりませぬ!」と本多が上洛に前向きだった!・・・

薬草をすり潰し漢方薬づくりにはまっておる家康が口を開いた『分かっておる、わしは上洛するぞ!』、「お忙しいことですな、殿、何をしに参られるので?」、「御正室の朝日様(秀吉の異父妹)が、母君・大政所(おおまんどころ)様の病気見舞いに行きたいとお望みです!」と直政が 教えた、「その様なことで、わざわざ上洛で御座いますか?」、家康が言った『康政、そのようなことでケチくさいことを申すな!関白を安心させるのじゃ!それに、逢うてみたい男が居る!』、家康の上洛の目的は?関白殿下のご機嫌伺いをし、会いたい男とは?それは官兵衛だった!・・・

家康は山城の国・京にある秀吉の別邸・聚楽第(じゅらくだい、1587年9月に完成)に秀吉を訪れた、ちなみに、余談だが、この山城の国・京には秀吉が茶々にささげた淀城がある、『徳川殿、我が妹・朝日の我がままに付き添って下さり、かたじけのう御座る!』と秀吉は深く家康に一礼をした 、「もったいなきお言葉、大政所様の御快復お祈りいたしております!」、『かたじけない!』、『堅苦しい挨拶はこれまでにして、どうじゃ!徳川殿、暫くこちらで、ゆるりとして、このわしと伴に鷹狩りにでも参らぬか!?』、「是非、楽しみにしております!」・・・

『あつはははは~~~!楽しみじゃ!楽しみじゃ!』、秀吉はここから真剣な目つきになって言った、『処で、北条殿が、未だ上洛しようとせぬ、なめられたものよのう!このわしを百姓上がりと、侮(あなど)っておるのであろう!』、「北条には我が娘が嫁いで行っております!それがしが説き伏せ、必ずや、上洛させて見せます!」、『近頃、このわしも、歳の所為か、気が短くなってのう!堪忍袋の尾が切れぬうちに、上洛すればいいのだがのう!』、まるで、この二人、狐と狸の馬鹿しあいの態を見せてきた!・・・

そんな頃、利休の茶室に、「わざわざお呼びたてして、申し訳ありません!」、官兵衛が呼ばれていた、『いいえ、して御用向きは?』、「実は黒田様にどうしてもお会いしたいと言うお方が居られましてな!」、障子が開いて「お初にお目にかかる徳川家康で御座る!」と家康が茶室に現れた、『黒田官兵衛に御座る!』、「名高き軍師殿に是非一度お会いしたかった!」、『それがしもお会いしとう御座いました!徳川様、戦さで唯一殿下を破ったお方、御尊顔を拝することが出来、光栄の至りで御座います!』、「小牧・長久手の戦さで御座るか?あの戦さには、官兵衛殿が居らず、着いておったは!ははは~~!わしも、お主の様な軍師が欲しいものじゃ!」・・・

『そう遠くないうちに、戦さのない世が訪れます、さすれば、軍師など無用の長物!』、「大平の世が来ると思うか?」、『はっ!豊臣の天下を奪い取ろうとする者が現れぬ限りは!』、「その様な大それた野心を抱く者など、居らぬであろう!?」はっはははは~~~!二人は互いに笑いあった!家康は利休の立ててくれたあの茶碗を手に取り、一服飲んでから言った「先日こんな噂を耳にした!ある時、殿下が御伽衆(おとぎしゅう)に訊いたそうじゃ!」・・・

・・・このわしが死んだら、次の天下人は誰じゃと?御伽衆に、殿下が「これ!申さんか!」と一人ひとり指名して言わせた、答えが帰ってきた、それは徳川様で御座いましょう!前田利家様で御座います!否、毛利も居りますぞ!上杉も侮(あなど)れませぬ!などと答えが帰ってきた!・・・家康が続けた、「だが、いずれも、殿下は違うとおっしゃる!」・・・肝心な男を一人忘れてはおらぬか!?その男は、このわしが何日も何日も、考えて考え抜いた策を瞬時に思い付く!百万の大群を曳き、英知と知能を持つ男!あっははは~~~!誰じゃ?誰じゃ?誰じゃ?誰じゃ?誰じゃ?・・・家康が当てた、「官兵衛じゃ!次に天下を獲るのは官兵衛に違いない!」、官兵衛は度胆を抜かれた!・・・

 

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