Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

スターツ第25回“杜の都”全日本大学女子駅伝 2007年10月28日

2007-10-31 23:46:23 | 日記・エッセイ・コラム

快晴の太陽のもと昨日一昨日の雨を頂いて青葉山の緑がまばゆい、亡き母の故郷ここ仙台・杜の都は気温20.5℃西南西の風4mと絶好の駅伝日和になった、伊達正宗の重臣を務める武家の出の母はいったいこの広い仙台のどの辺りに生まれ育ったのか・・・もう一度親戚を尋ねてルーツを辿って観たい・・・クランドではお馴染み東農大の大根踊りが花を添えていた(^^♪

立命館(京都)の連覇か!!名城大(名古屋)の王者復活か!!はたまた関東勢の台頭か!!シード校は立命/名城の他、仏教大(京都)・城西大(東京)・城西国際大(東京)・大阪体育大の6校と北海道、東北、関東、北信越、東海、関西、中国四国、九州各地の予選会から勝ち上がった19校+東北学連選抜チーム1校の全26チーム1区の精鋭達が12時10分宮城陸上競技場を飛び出して行った・・・

1区6.0キロ、2区6.6キロ、3区9.1キロ、4区4.9キロ、5区4.0キロ、6区8.0キロ、仙台市民広場のゴールを目指す全行程38.6kmを競い合う熾烈(しれつ)なスピード駅伝である!!後半4区5区6区では高低差20m強の坂が待っている・・・

レースは身長1m50そこそこの立命館の大沼香織と名城の西川生夏がキロ3′17″で先頭をぐいぐい引っ張り早々先頭集団はバラけ始め2キロ付近からキロ3′06″に上げると集団を飛び出し独走態勢に入る、1区区間記録19′37″を持つケニアからの留学生ワンガリ(立命Asia Pacific University九州)も大体大も着いていけない・・・

4キロを過ぎると名城の西川も置かれて行き大沼ひとりの独走態勢が確立した、大沼はそのまま19′09”の区間新記録と云う女王の走りで第1中継所で待つ4年生最後の駅伝樋口紀子に繫ぐ、名城・西川も19′27″の区間新2位で川井にタスキを渡した、インタビューで「全てをかけて走ります」と抱負を語っていた樋口は3′09″で飛ばし13′13″のイーブンペースで行く2位名城・川井に300mにも差を広げる、5キロを15′55″、キロ3′06″まで上げる・・・

立命館・樋口はこれまた区間新21′16″で昨年区間新を出した小島一恵に最長距離9.1キロを託す、2位名城・川井は先頭より1′04″遅れで佐藤絵里に、6位で繫いだ城西大・坂井田が上がってきて3位でタスキリレーする、4位に大体大が入り、5位には仏教大がユニバ5000m(15′36″84のタイムを持つ)代表、日本陸上界のエース、木崎良子に繫ぐ、6位には日大・キンコ゛リ・アンが3区にタスキをリレーする・・・

今まで6.5キロの距離しか走ったことのない立命館・小島は1キロ3′11″絶好調の区間新のハイペースで飛ばしていく、名城・佐藤がキロ3′30″とペースが上がらない、後ろに城西の酒井優依が上がってきた・・・ランナー達はとうとうと水を蓄えて黄河のごとく蛇行し鮎の住む清流・広瀬川の大橋を渡っていく・・・

仏教大・木崎が城西・酒井に22″差まで迫る、元気一杯の立命館・小島はこれまた区間新のハイペースで8.6キロ通過する、関西インカレで木崎に負けたリベンジを果たして29′41″という区間新を打ちたて4区1年生の山本菜美子に繫ぐ、山本は1キロ3′05″、2キロ6′11″でがんがん飛ばした、名城・佐藤が粘り2位1′43″差で足立ゆみこに繫ぐ、足立は3位城西を30″離して1位の立命館・山本を追った、4位に仏教大、5位に京産大が健闘し・・・6位に日大が入った・・・

1位山本は3キロから4キロまで3′24″と落ちたものの区間賞で初めて全日本で走る5区の境田遥に渡した、2位名城・足立は1′46″差で濱崎智美にタスキリレーす、3位2′09″差で城西がつづく・・・この頃6位玉川と7位日大がシード権を争い5位の京産大を追っていた・・・立命館・境田はなだらかな坂を登り3キロ付近第5中継所の前を通り抜け暫らく行ったところを折り返す際、アンカーランナー松永明子キャプテンが境田に大声をかけて声援を贈った・・・

やがて境田が折り返しから戻ってきて区間賞で2位名城・濱崎に2′04″大差をつけて6区(8km)松永に繫いだ、仏教大・萩野恵理子が城西をかわして3位に上がり52″差で1年生アンカーのエース西原加純に渡した、西原は最初の1キロを3′14″で2位名城を猛追して行った・・・城西は4位に下がり・・・かつて4連覇を果たした京産大は粘って5位をキープして行く・・・シード校争いの玉川大と関東予選優勝校・日大ほぼ同時に最終区に渡す・・・後続9チームが繰り上げスタートして行った・・・繫いできた自校のタスキを繫ぐことが出来なかった乙女達の嗚咽(おえつ)が流れた・・・

中間地点を通過した時点で松永は区間新のペースを保ち激走する・・・2位名城・井原美帆の走りが重くなる・・・仏教大・西原がその差52″から21″差につめ背中が見えてきた・・・立命館の完全優勝が見えてきた☆☆立命館・松永は5キロを16′16″で通過する☆☆立命館のモットーは『自立』!!部員一人一人が自立して戦える実力をつけて杜の都に戻ってきた!!7キロ付近ますます2連覇は濃厚となる!!チームメイト達が待つゴール市民広場に繋がるケヤ樹・ロードこと定禅寺通りを2連覇に向かって・・・左折すると直ぐゴールだ!!立命館大学は昨年に続く2連覇と4回目の優勝☆☆他を寄せ付けぬ大会新記録2°06′19″で飾った☆☆☆ヽ(^。^)ノオメデト~~~

2位争いが大変なことになっていた!!仏教大が名城大を捉えそうになっていた・・・並んだ並んだ!!名城大・井原が苦しそう!!仏教大・西原がスパートをかける!!そのまま最終区区間賞26′16″でゴール☆☆準優勝を獲得した☆☆最後全力を出し切り疲れ果てた3位に終わった名城大・井原とメンバー達の悔し涙の嗚咽がつづいていた・・・

優勝の笑顔に目がキラキラ輝く立命館のメンバー達に戸倉ヘッドコーチが「守りのレースをせず攻めのレースをしたかった、全員が正にその通りに戦ってくれた☆☆」と賞賛の言葉を贈っていた・・・勝利の胴上げが何回も繰り返された☆☆☆(^_^)v

トラックの強豪が揃う東北福祉大が21位、福島大は22位と振るわなかった・・・あまり長距離には力を入れていないのか・・・

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枚方詣(もう)でと怒涛の週末 2007年10月28日

2007-10-29 15:27:10 | 日記・エッセイ・コラム

先週の金曜日仕事帰りの車の中NHKのラジオを聞いていると、何処かの大学の教授が今話題のC型肝炎ウイルス感染について語っていた・・・今まで1件もないと隠し続けてきたC型肝炎ウイルス(HCV)感染者りストが厚労省地下から8件→167件いつの間にやら418件と次から次ぎへと発見された新たな厚労省ずさんな体制が浮き彫りになってきている!!

当時のミドリ十字社(現田辺三菱製薬)が全国約7千もの医療機関に卸して、1966年以降20年間に渡り出産時等の大量出血を止血するために使われて来た非加熱血液凝固製剤フィブリノゲン投与によるC型肝炎ウイルス感染者リストが30万とも40万ともに及ぶのではと懸念していた、キャリアに至っては100万とも200万人にも及ぶのでは・・・このC型肝炎ウイルスに感染すると肝臓の細胞が犯され硬化縮小し、進行すると腹水貯留・脾臓(白血球をつくる)腫・食堂静脈瘤・貧血・黄疸・全身衰弱の症状を伴う肝硬変を経て肝臓ガンに至ると言われる・・・ほっとけない!!!

昨日土曜日は庭の手入れ、おじいちゃんの見舞いに行き、ながさわの回転寿司で昼食を済ませた後家内の買い物につき合わされが、・・・小生にとって発泡酒でありながら辛口のビールの味わいのするサントリー“金麦”も1ケースしっかり買い込んだ、夜は氷丘南混声コーラスの練習と・・・あっという間に1日が過ぎた、1年前から予約していた親戚一同が集うカニグルメツアー(柴山漁港カニの宿“ひさや”)のため11月18日(日)の市民合唱祭の本番には残念ながら出演できないが・・・

今朝はサクラの散歩を早めに済まし、2週間前に約束していた小生の仙台出の母方関西在住唯一親戚の枚方・氷室台に住む従姉妹(67歳)家族の家に向かって家内と9時半頃家を出て快晴の阪神高速をひた走った・・・3年前彼等が加古川に来てくれたので今回は我々が枚方・氷室台に出向いて行く順番である・・・久し振りの阪神高速である・・・従姉妹の家にはさかのぼること20年ほど前に2回訪問したことがある・・・あまりよく覚えていないが、恐らく吹田まで名神高速で行きそこから1号線に出て“くらわんか舟”〈ここは何故か印象に残っている〉を右手に見て北上して行きなんとか辿り着いた・・・

この度は従姉妹の旦那(68歳)が送ってくれたFaxに奨めてくれたルートに従って行くことにした、(枚方市の直ぐ隣の寝屋川出身のエイサー隊のメンバーがロードマップを送ってくれていたのだが・・・ごめん天野君)、西宮で名神高速に入り・・・吹田Junctionをそのまま通り過ぎ次ぎの大山崎JCTから新しく出来た京滋バイパスに入り久御山(くみやま)JCTから・・・枚方東ICで降り第2京阪道路へ・・・京田辺へ抜ける地道307号線を左折・・・氷室台のバス停を左折して団地へ登って行った・・・住宅が建ちこみ20年前とは様変わりしてしまっていた・・・

自転車の人に『氷室台キリスト教会はどこですか??』と尋ねると直ぐピンと来て教えてくれた・・・久保田工業技術設計社員を勤めた後、従姉妹夫婦は30年間ほど教会を建てキリストの教えをこの地で牧会してきたが3年前牧師から身を引き後輩に託し宣教の場として教会を地域住民のために提供している・・・コンテナ2台に載せアメリカから2×4の健材を輸入して10年ほど前に建て直した震度7に耐え得る地下1階地上3階の彼等自慢の家屋は直ぐ発見できた☆☆

玄関に入ってく声をかけると教会伝道集会所となっている地下ホールから古川元牧師が階段を上がってきた、我々夫婦は地下に通されると・・・そこにバックにデッカイ十字架のある100人近くの集会ができる立派なホールがあった、2人の教会員がおられて我等に紹介された、持って来たカメラにホールの中の様子を撮っていった、教会員の方達とも一緒に集合写真をかわるがわる取り合った、1階の教会ダイニングルームに通され積もり積もった身の上話に談笑しながら用意された古川さんお気に入りの3段重ねで3種類の料理ができるアムウェイの鍋で調理された鶏の丸煮とキノコ野菜料理と玉子蒸しを美味しく頂いた(*^。^*)ジュルリ

なおも紅茶を飲みながら談笑は続いた・・・古川氏には神から全て備えられるであろう“ゴスペル老人福祉村”の建設Good Newsが授けられていた、彼は全国各地の福祉施設を巡り視察して彼独自の青写真を構想し図面に表し施設全体模型も作り上げた、もうすでに各地から何箇所も300坪以上にもなる誘致が上がっているとのこと、このあとは誘致先を1箇所に搾り行政認可の手続きに入るまでなっているとのこと・・・この案には大いに小生もエールを贈りたい☆☆

2階と3階はプライベート住居スペースになっているが懐かしいアメリカンライフ風に造られた各部屋に顔を突っ込みカメラに収めた・・・2階にも立派なダイニングキチンがあった、ゆったりした風呂場にはデッカいアムウェイの浄水器がすえてあった・・・洗濯室の洗剤もすべてアムウエイの製品だった・・・3階2部屋のうち1部屋がゲストルームになっている、そこに従姉妹と家内と3人で落ち着きアルバムを観ながら従姉妹の実家の人達の話や、伊達正宗の重臣であった現在も生存する佐藤家の末えいの話に至るまで話題が広まった・・・

再び1階のダイニングルームに降りてアムウエイ製品と敬虔なクリスチャンであるアムウェイ創立者リチャード・デボス氏のことを古川氏から聞きながら早い夕食を頂いた後ホームメイドのチーズケーキを土産にもらっちゃって帰路に着いた、カメラを置き忘れてきたが携帯で後日宅配で送ってくれるとのこと・・・大蔵山~明石付近で行楽帰りの8キロの自然渋滞に逢い帰宅したのが9時前になっていた・・・

録画予約しておいた今日行われた立命館大と名城大のマッチレースになったに違いない第25回全日本大学女子駅伝のテープも観ていないし結果もまだ知らない、その大会の模様はこの水曜日にお届けいたしましょう・・・お楽しみに(@^^)/~~~

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十三夜の月 2007年10月24日

2007-10-25 01:17:53 | 日記・エッセイ・コラム

昨晩仕事から帰宅し一旦家の中に入ったが、ふと今日が13夜のことを思い出し玄関に出て夜空を見上げた・・・♪ 見~上~~げて~ごらん~~~夜の~星を~~~ ♪ 星はあちらにポツ☆、こちらにポツ☆しか観られなかったが・・・真上にいたっ!!薄雲が張ったような・・・というか霞(かすみ)のかかったような夜空に煌煌とポッカリ真ん丸いお月さまが浮かんでいた☆☆

十五夜に晴れなし、とか雨名月と云われ、なかなか見られない十五夜の月も吸い込まれるような澄み渡った天空に浮かんでいるのをこないだ9月25日に観ることが出来た☆☆ラッキー~~~☆☆

旧暦(太陰太陽暦)9月13日が新暦(明治6年1月1日改暦されたグレゴリオ暦)では今年は10月23日となる、新月を月のはじめとし満月を15日としていた太陰太陽暦では大きくズレが生じ3年に一度閏(うるう)月を付け加えて一年13ヶ月となって30日も季節感もズレてしまい農耕にも支障が生じていた!!太陽が春分点をスタートして次ぎの春分点にゴールするまでの365.2425日とするグレゴリオ暦にはズレが少なく、4年に一度一年の終わり2月を29日にするだけで済む・・・

では旧暦では9月15日が満月であるはずなのに何故十三夜としたのか??な~~んでか??観月お盛んな時代である平安中期、村上天皇の忌日が旧暦の8月15日とされる、観月の宴は1ヶ月ずらして9月にずらされて行われた、その時忌日を1日ずらして14日とした、さらに1周忌の月・祥月命日9月14日を更に1日づらして9月13日の観月宴となったといわれる・・・その謂(い)われが由来して旧暦9月13日が十三夜として定着し、今年は新暦で10月23日になったということである・・・

上で述べたように季節感のズレによる農耕などの不便を防ぐ対処法として、戦国時代から段階的に江戸後期・天保にかけて、太陽の通り道・黄道上の太陽の位置を目視して1太陽年を15度ごとの24分点で24等分した“二十四の節気”を編み出した、その中でも90度ごとに主要4分点が春分点(0度)から始まり夏至点(90度)→秋分点(180度)→冬至点(270度)である、それぞれの4分点の間に15度毎に5つづつ季節感溢れる節気を散りばめている・・・

今日10月24日はその節気の一つ“霜降(そうこう)”という15度分点(210度)に入る日に当たるがここ加古川では霜が降るどころか最低気温13℃最高気温22℃の生暖かい日であった、今晩エイサーの練習があったが少し踊っただけでも汗ばむ夜だった(^_^;)

今晩は“ばちさばき”、即ちばちを背中を掻くような位置を意識したばちの振りかぶりや、ばちのスナップの効いたたきを重点的に留意して踊った、昨年も参加した12月1日(土)天満小学校“なんなん広場”での東夢助さんの落語寄せでの次の本番に向けて・・・

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2007ANA北京国際マラソン 2007年10月21日

2007-10-21 20:12:21 | 日記・エッセイ・コラム

今朝6時の加古川は気温9℃と冷え込んだ、昼間上がっても19℃になるくらいで、まるで夏から秋を飛び超えて一気に真冬になったような冷え込みであった!!思わず暖房を点(つ)けてしまった、寮から帰っている次男単独初めてサクラを散歩に連れて行ってくれた、少しサクラもためらっていたが・・・元気に飛び出して行った(*^。^*)

今朝のザ・サンデーで2008年第84回箱根大学駅伝予選会の模様が流れていた、各校出場選手10~12名が一斉に陸上自衛隊立川駐屯所をスタートして国営昭和記念公園ゴール20キロのコースを競い各校上位10名の総合タイムで順位を決め、1~6位までは自動的に箱根駅伝代表校に選考され7~9位のチームは今年の陸上大会成績を参考にポイント制により選考される・・・

その結果1位中央学院大10°10′49″、2位帝京大10°12′14″、同タイム2位城西大、4位山梨学院大、5位大東文化大、6位神奈川大、そして7位には国士舘大、8位には13年ぶり出場のあの大根踊りの東農大がそして9位にあの常連校だった法政大が選ばれた、大会までにもう1校関東学連選抜チームが構成される・・・話題に取り上げられ昨年1秒差に泣いた拓殖大は惜しくも12位に終わり今回も出場の夢は破れた(T_T)

あと292日に迫った第29回オリンピック北京大会(2008年8月8日~24日の17日間)、まだ工事中の会場施設が集結するここ北京オリンピック記念公園スタートの“北京国際マラソン2007”の朝は気温10℃湿度49%無風の快晴☆☆絶好のマラソン日和だった☆☆

まず100名強のエリートランナー達が日本時間10時12分高低差11mとアップダウンが少ない高速マラソンコースへ飛び出していった、有力日本選手は片岡祐介(大塚製薬30歳ぐらい)、昨年同大会3位の沖野武久(中国電力、実力ナンバー5、30歳ぐらい)、そして注目の2007年トリノ・100キロウルトラマラソン・ワールドカップで優勝し、またこの6月のサロマ100キロマラソンで優勝したスタミナの渡辺真一(山陽特殊製鋼30歳)などが出場した・・・どんな堅いコンクリートでも石畳の道にも対応できるソールの靴を履いて・・・

青森山田に留学後富士通に所属するYLカマチ(19歳)とトロッサのケニア2人のペースメイカーが30キロまでトップ集団を引っ張っていく、3キロ通過9′15″、キロ3′05″のハイペースでレースは始まった・・・

エリートがスタートしてから15分後10:28頃女子エリートランナーを含む2万5千人の一般参加者がスターとした、今回は残念なことに日本女子エリートの出場はなかったが、ロンドン5輪を見据えて参加した20歳前の中国と北朝鮮の若い有力選手達の走りに期待がかかっている、キロ3′29″ペースで滑り出した・・・日本も若手有力選手を出場させればよかったのに、女子もそろそろ世代交代に来ている、土佐も渋井もキュウちゃんも野口にも伸び悩む頃が近づいている・・・

男子先頭グループは5キロを15′16″で通過し7キロをキロ3′03″の速いペースで・・・10キロも30′32″、キロ3′01″のペースで快走して行った、かつてはびわ湖を2°09′55″、ベルリンを2°09′32″とスタミナ切れで伸び悩んだ渡辺も仲野と片岡と共にトップ集団に余裕で着いて行く・・・11キロ過ぎ長崎三菱重工の原和司が取り残されて行った・・・

15キロを45′42″で通過、5キロを15′17″に落ち着いた、20キロを1°00′50″で通過、5キロのペースが15′08″と少し上がった、片岡が少し後退する、21キロ付近期待の渡辺がづるづる置かれて行った、2時間12分台の自己ベストしか持たない仲野だけが先頭集団に着くが22キロで一杯になり後退して行った、ペースメイカーのトロッサが走るのを止めカマチ一人が集団を引っ張るかたちになった・・・

先頭集団のなかに中国ハーフマラソン・ジュニア記録保持者である任・リューウ(20歳)の存在が浮かび上がってきた、沖野と渡辺が20メートル遅れで着いていく・・・

この頃女子先頭グループ5人が16キロ付近を5キロ17′50″ペースで過ぎていく・・・

男子が25キロを1°15′58″で通過し集団は8人に搾られた、渡辺が57″遅れになる・・・

コースの下見と路面の堅さを体験するためエリートグループで出場した北京オリンピック強化委員会マラソン部長・河野匡(ただし)が少しメタボぎみの体型で20キロを通過して行った・・・

男子30キロを終始平均15′10″ペースを維持して立派にペースメイカーの役割を果たしたカマシが抜け先頭は4人に搾られた・・・

4人から1人エマルル?が遅れ先頭はチェリムと任とキニャンジュの3人となる、33キロ付近任がキロ3分を切るペースでスパートをかけ2人をゆすぶりにかかる、チェリムが置かれていく、レースは2時間10分台の自己ベストを持つ任と2時間11分台の自己ベストを持つキニャンジュ(29歳)の並行・ゆさぶり合いのマッチレースとなる・・・

解説の金哲彦氏は任の走りは往年のつま先走りの中山竹通を観ているようだと感激していた・・・

ここでアッと驚く美しい光景が見られた☆☆任が自分の採った水を飲んだ後残りをキニャンジュに手渡した、キニャンジュはそれを飲んでお互いの健闘に敬意を交換し合った☆☆これぞ真のスポーツマンシップである、亀田家族も是非見習って欲しい!!

35キロ付近ではペースは5キロ15分を切る14分54秒ののペースにまで上がる・・・

36キロで任はスパートをかけるもキニャンジュが抜き返す・・・日本語で言えば“エイッ!!”とお互いに気合を入れる掛け声をかけ合う、まさしくそこには極厳状態になった2人のフェアプレーに満ちた格闘家が走っていた☆☆片岡が7位に上がってきていた、仲野が9位に・・・

依然と3キロ9′08″のペースを保ち後4キロ地点に達する、トラックの経験のあるキニャンジュにはラストスピードの自信があるのか少し余裕が・・・トラックの経験が全くない任には不利になる・・・3′03″のペースで2人のマッチレースが続く、39キロを1°58′06″で通過し最後の登りに差し掛かる、任が辛そうである!!キニャンジュには少し余裕が感じられるが・・・

下りになってもお互い仕掛け切れなく並走が続く、40キロを2°01′25″で通過する、5キロ15′13″をキープしている、任が更に大きく気合を入れ自分を奮い立たせる、キニャンジュもサバンナの猛獣のような気合を入れる!!

そして気の遠くなるような長~~~いANAキャビンアテンダントがゴールで待つオリンピック記念スタジアムの外周ロードを最後の力を振り絞って41キロ地点をカバーしていく、そしてやっと競技場内に入って行く、予想通りキニャンジュがラストスパートで任は溜まらず少し後退する、第2コーナー付近に設けられた折り返しコーンを廻って最後の150mをキニャンジュは観衆に手を振り勝利を確信する、2°07′30″残り100mを更にスパートし『2°08′08″』でゴールテープを切った☆☆☆

任も6秒遅れて『2°08′14″』の中国新記録を樹立してゴール☆☆☆この2人のマッチレースは後世に永く語り続けられる歴史的名勝負であると小生は確信する☆☆ヽ(^。^)ノ

もう一人の中国ランナー、カン・ゴウも中国記録を更新する2°08′56″で3位に入った、4位キプロリル、5位チェリムに続き日本代表トップの6位で片岡が彼の自己新記録2°12′26″を打ちたて歓喜の雄叫びを上げた☆☆沖野が7位に・・・今年2回の100キロマラソンの疲れが残ったのか渡辺は21位に終わった・・・

女子もこれまた北朝鮮チョ・インギンと最後まで競り合った中国チン・エイが競技場前でスパートして自己ベストを大きく更新して2°27′05″で優勝した☆☆

先ほどNHKラジオからお台場海浜公園周辺で行われた第13回全日本トライアスロン選手権大会(スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ)の速報が流れた、男子は2004アテネ五輪代表・田山寛豪(ひろかつ、チームテイケイ)が1°49′17″(スイム18′40″、バイク57′44″、ラン32′53″)連覇した・・・

女子は上田藍(あい、稲毛インター)が2°01′56″(スイム18′40″、バイク1°03′33″、ラン36′39″)で初優勝を飾った・・・

二人は2008年4月広州のアジア選手権出場権を獲得し北京5輪出場をかけて戦うことになる☆☆(^^♪元気いっぱ~~~つ☆!!

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勤労会館でエイサー本番 2007年10月20日

2007-10-20 17:14:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は一日中雨だった、明け方にはもうすでに激しい雨の音がしていた、仕事帰りにもまだ降り続いていた、打って変わって今朝は暖か~~い秋晴れが広がっている、昨日の恵みの雨をたっぷり吸い込んだ地面が喜んでいる、こないだ植え込んだ表の芝生が生き生きしてすくすく順調に育っている、少し早起きして昨日行けなかったサクラの散歩を済ました・・・なん~~でか??昨晩帰宅するとFaxに加古川エイサー隊朝9時勤労会館集合の指令が入っていた(*^_^*)

いつもの処旧水道局(今何のための建物になっているんだろう??)横のスペースに車を泊めて加古川市役所の広い敷地を横切ってマンモス立体駐車場“つつじ”の向かい、保険所の直横にある加古川市立勤労会館の建物に入って行き、今日の会場になるちょっとしたホール301号室のある3階に登って行った・・・

懐かしい、過去加古川労音の映画鑑賞界など集会に来たことがある、また加古川国際交流協会の加古川市と周辺に在住する外国人のための日本語講座の講師を4年ほど携わったことがある、その時教室として300号室が時々使われた・・・

今日の本番イベント会場は加古川・印南教職員組合、兵庫県高等学校教職員組合主催“教育研究集会”で、オープニングの一発景気付けに招かれた、もうすでに先生達は10名ほどの来ていて開演準備に当たっていた、小生も受付テーブルで参加者署名し集会冊子を頂いた時2人の先生と自民党内閣閣僚の靖国参拝問題と沖縄戦“大日本帝国軍による強制集団自決島民犠牲”を教科書から検定削除した前伊吹文部科学大臣にその撤回を要求する11万人にも及ぶ島民大集会について少し意見を交換さしてもらった・・・小生はこの沖縄島民大集会には大賛成だが・・・

彼等はすぐ取り付かれたように憲法第9条死守を振りかざしてくる、もっと心のゆとりが持てないものなのか・・・自民党政権をこき下ろし民主党政権交代にも反対の極左の組織だと明らかに理解できた・・・なんとか彼等が支持するも衰退して行く“なんでも反対”の左翼政党国会議員達を政権に取り込んで活躍の場・責任の場を与えられないものか・・・

今日のメインは関西学院大学教授・野田正彰氏講師(精神科医学博士)による記念講演“教師の良心と自由―東京の教育から見えてくるもの―”であるとプログラムに出ていた・・・

エイサー隊のメンバーが揃ったところで楽屋に当てられた部屋に移りエイサー衣装に着替えてた・・・軽く一通り(最後のとうしんどーいを残して)リハーサルした頃出番のお使いがドアを叩いた、10時過ぎ司会者によって会場に紹介されて、例の5曲をお披露目してイベントのオープニングに花を添えた・・・べた板と1段高い舞台に分かれて踊った、大太鼓をはさんで小生ともう一人のしめ太鼓がベタで踊ったが少し狭く後ろの段が気になって大きな動きが出来ず踊りが小さくなったがまあまあの出来だった・・・

クライマックスシリーズ第2ステージ2敗して中日ドラゴンズに王手をかけられたセリーグの覇者・読売巨人ジァイアンツは今晩どうなるのか・・・是非是非一矢(いっし)を報いて王者の意地を見せてくれ!!まかり間違えてもこのまま終わることのないように・・・(祈り)

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