Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

加古川の桜の開花はいつ? 2007年3月30日 

2007-03-30 10:45:11 | 日記・エッセイ・コラム

夜中夢心地の中で天がひっくり返るような大音響が轟き渡ったような記憶がある、今朝6時過ぎごろ息子が下の居間で寝ていたサクラを抱えて小生の寝室まで連れてきたようだ、何か脅えている様子・・・そのまま小生と一緒に7時半頃まで眠りについた、

後で家内に聞いてみると、未明4時ごろ雷雨を伴う春の嵐が吹きまくり、サクラはビビリマクリで落ち着かず睡眠不足とのこと、庭に出てみると、確かにいいお湿りが有ったようだ、よかったよかった、プラム、スモモの花は満開を少し過ぎている、ユスラウメの花は開花が始まり、桃の花は開花寸前というところだ・・・

NHKのラジオで東大の総合文化研究所の教授が桜のうんちくをたれていた、それによると桜の代名詞にもなっている“染井吉野”という品種の歴史は浅く、江戸の終わりから明治の初めにかけて日本各地に植えられるようになったばかりとか・・・

ソメイヨシノ(染井吉野)はエドヒガン系のコマツオトメとオオシマザクラの交配で生まれたらしい、山桜の“吉野桜”と区別するため、品種改良した庭師のいた江戸・染井村の染井を付けて命名したようだ、

ソメイヨシノは根付き・成長がよく、咲き始めは淡い紅色の花弁5枚が満開になれば、真っ白に咲き誇る様は人々の心を捕らえ、全国制覇を道を辿ったとか、60年という短命が玉に傷である・・・

サクラの散歩の途中近くのおばさん達が一匹のでっかいゴールデンリトリバーを囲んでせかせかしていた、よく観ると昨夜の雷にパニックになって家を飛び出し雨の中さ迷い歩いていたのか、前進びっしょり濡れて、ぐったり落ち込んでいる様子であった、餌を上げても少し食べるが浮かぬ顔、早く飼い主の下に帰れたらいいのに(祈り)

それにしてもここらの桜はどうなっているんだろう?日中は20℃にもなるというのに・・・遠目に観るとまだ枯れ木同然だ、関東北陸は開花宣言しているというのに・・・

まあ、急いで咲くことはない、10日程のはかない花の命よ・・・

今日姫路のある“MadeInKorea高麗”という韓国焼肉レストランで、“あかりの家”一族の送歓迎会がある、高砂・加古川にも50名ほどが一同に収まるお食事処はわんさかあるというのに、なんでラッシュ時bumper-to-bumperの姫路バイパス経由して姫路くんだりまで出かけなくても・・・行きは通勤ランして、帰りは誰か送ってくれるでしょう、去年のように・・・

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BAN-BANテレビ10周年と菅原洋一ふるさとコンサート 2007年3月24日

2007-03-24 22:22:21 | 日記・エッセイ・コラム

サクラの散歩のあと間もなくして雨が降り出した、予報どおりだった、この雨は明日の朝まで続くとのこと、今日BAN-BANテレビ開局10周年記念特別企画“菅原洋一ふるさとコンサート”本番の日を迎える、

BAN-BANが募った我等市民合唱団も彼とステージを共にする、合唱曲“行こうふたたび”、彼のヒット曲“忘れな草をあなたに”そしておまけの“赤とんぼ”の3曲を1月16日から毎週火曜日の19時から21時まで青女センター4F大会議室で10回の練習を重ねてきた、その成果を今日15時開演のステージで発表する、我等の出番は最後の最後、終演まじかの17時頃、アンコールの曲として歌われる(^^♪

黒靴、礼服の黒ズボン、白カッターを身につけ、あとは蝶ネクタイを結ぶだけにして、かばんを肩に引っ掛け傘をさして10:30受付開始、11:00声出しと練習開始時間に間に合うよう加古川市民会館に向かった・・・

途中セブンイレブンに寄って昼食のツナサンドとコカコーラーを買って、会場に着くと1部2部のリハーサルが間もなく始まるであろう舞台準備は架橋を迎えていた、舞台横をすり抜けて広~~いホアイエホールには立ち順に並べられた椅子に70名の合唱団のほとんどが着席してくつろいでいた・・・

主催者BAN-BAN側のお偉方の挨拶があった、このコンサートは収録・編集されて4月16日(月)から1週間11chで放映されるが、FMラジオでは今日同時放送されるらしい、間もなく、永山さん指導のストレッチ、発声に続き合唱指導・川辺氏と合唱伴奏ピアニスト高宮氏による最後の練習が始まった、3曲を3回りほど練習して1時間の昼食休憩に入った、

テナーの一員である小生、音はシッカリ取れているのだが、歌詞がまだ怪しい(~_~;)

食事を済ましたあと直、階上ホアイエの片隅でひとり暗譜を中心の直前集中特訓に没頭した、13時からの45分ほどの直前練習後、舞台に移動して合唱団がらみのリハーサルが始まった、

下手・上手に別れての入退場の練習、もちろん“行こうふたたび”の合唱団単独によるリハに続き、洋一さんと共に歌う“忘れな草をあなたに”は専属に美人ピアニストに交代してのリハを通した、“赤とんぼ”は出演者全員(ゲスト美人歌手・元NHK教育「ワンツー・どん」の歌のおねいさん・植村なおこさん、洋一さんの実の息子ピアニスト・菅原英介さん、アコーデオン/ベース/ギター3名のバンドの面々)がステージに上がりともに合唱した(#^.^#)

このコンサートの入場券は完売・・・というか、BAN-BANテレビ会員が優先的に早い者勝ちの招待券という形で行き渡り、2階席に至るまで会場ほぼ満席となった、我等合唱団は2階席に陣取り、1部の全ステージと2部の“知りたくない”までのステージを鑑賞してから、移動して舞台袖にスタンバイとなる・・・

洋一さんは故郷ここ“加古川”をしのんで、『ふるさと』をスタート曲とした、72歳となりしも彼の音量も歌唱力は全然衰えることは知らない、「四季のメドデー」「浜辺の歌」「椰子の実」「出船」のあとゲストの童謡の女王・植村なおこさんにバトンタッチ、彼女の澄み切った「この道」「ゆりかごのうた」アカペラには感動した、「みかんの花咲く丘」のピアノの弾き語りもよかった☆

再び洋一さんがステージに登場!「野ばら」をドイツ語で歌った、シューベルトの「菩提樹」、ショパンの「別れの曲」、そして49年前アルゼンチン・タンゴでデビューした、彼には懐かしい曲「ラ・クンパルシータ」で1部を締めくくった・・・満席の観衆は彼の歌の世界に酔いしれた☆☆

15分の休憩後、2部の幕開きは、高校卒業後突如アメリカに消えて行った、洋一さんの実の息子さん、プロ・ピアニスト菅原英介氏が一人ステージに登場して、自分のオリジナル曲を見事な鍵さばきで披露した、そこに父が現れ、初めて息子のアメリカへの失踪の実態が明かされた!!「どうしてアメリカへ行ったんだ??」の父の問いに、息子曰く「この場を借りてご説明します、実はピアノと作曲の勉強のためです、学校では心理学を熱心に学び、ピアノによる精神療法・作業療法リハビリのほうへも幅を拡げて行って、今でも日本でピアニスト、作曲家を兼ねて、そのような仕事をしているとか・・・

「雨のしずく」「夢路より」「故郷の廃家」のあと、息子・英介氏の帰りを思い焦がれる父の心境を綴る「ダニー・ボーイ」を熱唱した☆☆そして1967年NHK紅白初出場を決めた大ヒット曲『知りたくない』と進んで行った・・・ここで我々合唱団はスタンバイのため大移動して行った、あとの「恋心」「芽生えてそして」「坂の上のレストラン」「忘れないわ」「今日でお別れ」「愛の賛歌」は舞台袖で聴いた、そしてそして我々の出番が遂にやって来た!!

川辺甲子郎指揮、高宮学ビアノによる、合唱コンクール用四部合唱曲『行こうふたたび』の火蓋が切られた☆☆まあまあ無難にまとめたかな☆

同じピアニストを妻にめとって、この3月12日に3025グラムの男児のパパとなった高宮氏が退場して、菅原洋一さんとピアニスト・山下淳さんが舞台に登場す、川辺氏が引き続き指揮して、『忘れな草をあなたに』の大演奏が繰り広げられた☆★終わると自然~~な大きな拍手がホール全体に鳴り響いた☆★

最後に聴衆も参加して『赤とんぼ』の曲が静かにゆ~~ったり1番から4番コーラスまでが流れて行った・・・

合唱団員でもある洋一さんの弟、菅原準二さんに「昨晩は皆さんどこで泊られたのですか」と尋ねると、加古川最大のホテル“かこがわプラサ・ホテルだったとのこと・・・

無事終演して、雨の中、傘をかざして帰路に着く・・・

東京体育館の世界フィギャースケート・最終日フリーでミキテーと真央がワン・ツーフィニッシュを見事達成した☆☆メルボルンの世界水泳では日本チームがフリールーティンでロシア、スペインに次いで、銅メダルを獲得した☆☆明日から競泳が始まる、ガンバ~~ニッポン!!

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ある木曜日朝の風景 2007年3月22日

2007-03-22 11:01:57 | 日記・エッセイ・コラム

起き抜けトイレのなか、NHKのラジオから企業内人材育成と企業成長なるものについての解説がなされていた、少し景気が上向けになってきた今日この頃、新規雇用社員の社内教育・育成が見直されてきたとのこと、これまで続いてきた不景気のなか、多くの企業は社員をリストラ・解雇し正雇用者を縮小して、派遣社員やアルバイトの非雇用従業員に頼って、人件費を抑えて景気をしのいで来たが・・・

企業の中には不景気にもめげず一貫して新規採用・社内教育・育成を守ってきている会社も多い、今そのような企業の有り方が見直されてきている、短期的にまた表面的にはアウトソーシングの人材に頼ることによってある程度の収益アップに繋がったかも知れないが、3年以上の長期的なスパンにおおいては社内教育人材育成した企業のほうが収益率が何倍もアップしたことが証明されてきているらしい☆☆このことが若者の就職率アップに繋がることを祈りたい(*^。^*)

朝日テレビ・スパモニも取り上げられた、岐阜・安八郡の電気設備総合メーカー『未来工業株式会社』(資本金70億、売り上げ年間247億)はその代表的な存在である、無残業、好きなときに休日が取れる、億をかけて全事業所を閉めて全社員1200名こぞっての海外社内旅行、その時得意先には全倉庫の合鍵を渡す心配りは忘れない、役職決定も候補者名の書かれた紙札を扇風機で吹き飛ばして一番遠くまで飛んだ物がその役職につく・・・などなど・・・これほど従業員のための福祉厚生を考えている企業なら、愛社精神満杯の全従業員がほっとかない!!☆☆

小生の朝食はと云ういと、25グラム用計量スプーン山盛り大豆蛋白主成分のHerbalife“総合栄養バランス・フォーミュラ1プロティンミックス”を2杯とさらにプロティンパウダー25グラムをシェーカーの低脂肪ミルク300mlの中に入れてよくシェイクする、これが主食である、あと6大栄養素( 炭水化物 、脂質、タンパク質、 ビタミン、 ミネラル、食物繊維)を全て補給するタブレットを摂る、これで小生の朝食はおしま~~いとなる、サクラにも少しシェイクをおすそ分けする、すぐには食べないが気付かぬうちに舐め尽くしている(^^♪

サプリメント業界で今話題の抗アレルギー、デトックス(解毒)、免疫力アップを司る7番目の栄養素“ファイトケミカル”『Garden Seven』もあるが、3ヶ月ぐらい食べたが少し値が張るので今はひかえている・・・

木曜日はゴミの日で自転車に積んで収集所まで捨てに行く、ゴミから帰ってくるとサクラは門のとこまで出てきて、散歩を楽しみに待っている・・・

この冬は暖冬暖冬と浮かれていたが、3月に入ったとたん真冬が遅まきながらやって来た感じだった、閉山真近だった兵庫県下ののスキー場もさぞ潤ったことだろう、しかしさすがその寒さも昨日までで息切れか、今朝は晴天のぽっかぽっかだぁ☆これからは日増しに春めいて来るであろう・・・

散歩の途中色んな人に会うが、小生が微笑みぶかく見つめる母子がいる、そのお母さんは長女を幼稚園に送っていくのだが、ねんねこに包まれた乳飲み子、乳母車の2才ぐらいの次女、そして3才位の長男を従えて、ハツラツと歩いていく、4人の子もちである・・・これくらい全ての女性が出生していただけたなら、日本の少子高齢化の問題も解決できるのだか・・・と思いつつ通り過ぎる(^^ゞ

今日はここ日岡地区の氷丘小学校の卒業式らしい、友達同士で行く者、礼服の親同伴で行く者、注意してみると中にはネクタイをしている男の子も何人かいた、紺のスーツに身を固めていく女の子もいた、この小学校には他校のように制服がない、みんなバラバラの格好で卒業式に臨もうとしていた、明日は修業式らしい(*^_^*)

今日初めて会う大きな柴犬が首輪をすり抜けて自由の身で闊歩(かっぽ)していた、サクラとすぐ仲良しになり離れようとしなかったが、家までついてきたら面倒みなくてはと一瞬覚悟したが・・・しばらくして何処かへいってしまった、迷い犬でなければいいが・・・

最近始めたグランド・ゴルフの道具の入ったケースを背負って裏の主人が河川敷公園まで自転車で出かけている・・・

サクラの散歩から帰って、家内がペーパードリップしたサーバーのコーヒーを熱~~く暖めてすすった・・・

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下田条約と北方領土問題 2007年3月19日

2007-03-19 20:07:28 | 日記・エッセイ・コラム

先日NHKラジオのニュースの焦点で解説委員か何処かの大学の教授か定かでないが、当時の江戸幕府全権とロシア帝国全権大使プチャーチン提督との間で交わされた“下田条約”ロシア・バージョン“日露和親条約”なるものによって、問題の“北方四島、択捉(えとろふ)、国後(くなしり)、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)”は日本に返還することを堅く約束している!!しかし当のロシア政府は『そんな条約など知らん!交わした覚えもない!』と主張していると云うものである(・_・)

小生もこの下田条約という名称は以前なんとなく聞いたことはあるくらいで、どのような条約であったのかその内容までは忘れているのか・・・分からない・・・、このようなEpochMaking(重要な)な条約があったこともその内容も知らない自分自身が恥ずかしく思えた(^_^.)

そもそも下田条約とはなんなのか??欧米では産業革命華やかなりし頃、幕末1853年と1854年の2度に渡り、市場拡大を掲げて、東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる4~7隻の黒船艦隊が下田沖に来航して、開港・通商を迫って、100門あるもある大砲十数発の空砲をぶっぱなして、鎖国政策を決めていた“日本”を永い眠りから目覚めさせた、このことは小生もなんとなく覚えている(^^ゞ

世界から取り残され井の中の蛙(かわず)状態の日本が恐れおののき、おびえウロタエる状況がはっきり想像できる、幕府は『天皇からの勅令が無いと無理で~す、まだ勅令が届いていませ~ん』などと渋ったが、日本幕府全権大使とタウンゼント・ハリス総領事館との間に“日米和親条約”というというものが1857年6月(安政4年)調印・締結されている、

ロシアもまた1853年7月に日本との通商交渉を求めて、お決まり通り当時唯一の交渉窓口であった長崎出島にやってきている、そこで拉致が空かず、大阪・堺にもまわっているが、そこでも拉致が空かず、丁度アメリカ・ペリーの強行によって開けられた2つ目の公的窓口“下田港”に廻って、1855年2月(安政元年)に“日露和親条約”が江戸幕府全権、筒井正憲・大目付と川路聖模・勘定奉行とロシア帝国全権・プチャーチン提督との間で結ばれている☆☆

その条約の主なる内容は次のようなものである、

★ 日本とロシアとの国境を択捉島得撫島(ウルップ)との間とする。

★ 樺太では境界線を決めない。

★ ロシア船の補給のために函館、下田、長崎の開港。

★ ロシア領事を日本に駐留させる。

などなど・・・

確かにある☆☆日本とロシアとの国境は『択捉島とウルップ島』であると明記されている☆☆

ゆえに、北方四島は明治初頭よりずっ~~とずっ~~と日本の領土だったのだ☆☆・・・第2次世界大戦終結までは・・・ヤルタ協定によってロシア連邦・サハリン州に編入されてしまった、戦後から現在に至るまで、再三に渡り日本政府は領土の所有権を主張し、4島の返還を要求してきたが、ロシアは一貫して「北方領土の問題は解決済み」との姿勢を崩さず、この問題を棚上げして来ている!!『はようかやさんかい!!』と叫びたい!!

ソ連崩壊後、1992年の“元島民のための墓参ビザなし交流”、1997年橋本-エリツィンに交わされた領土問題解決後、平和条約締結を目指すという“クラスノヤルスク合意”の雪解けムードは少しあったが、いまだに進展の兆しは見えてこない・・・

平成16年(2004年)12月より平成17年(2005年)12月まで、下田市を中心にした“日露下田条約150周年記念祭が行われている、また日本全国各地とロシア本土でも並行して“日露修好150周年祭が繰り広げられ、両国の文化交流が華々しく交換されている・・・8月27日には兵庫県では神戸市甲南大学平成記念セミナーハウスで日露のコンサート交流がなされている・・・知らなかった・・・反省!!

あっ!!おおおぉぉぉ~~~っと、いけねぇ!!今夜は18時半から加古川混声の練習日!!これで2度目かっ~~!!ぼくんちのバカバカバカ~~~!!

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ワークホームの小旅行 2007年3月12日

2007-03-13 01:17:25 | 日記・エッセイ・コラム

今日は年に一度恒例のワークホーム高砂の職場日帰り旅行の日である、今日だけは一日中作業所を閉めて、A班とB班に分かれてであるが、仕事を忘れ、仕事から解放されて、利用者達も職員達もバス旅行に出かけるのである、ちなみに昨年、我等A班は大鳴戸橋記念館や鳴戸プリンスホテルの豪華懐石料理、阿波踊り会館へ出かけた、B班はUSJに行っている、一昨年は全員ワッハ上方と空中遊園を訪れているヽ(^。^)ノ

去年に引き続き同じ顔ぶれ、我がA班は気心知れたトリオ、中西職員、児島職員(女性)と小生とで主に身体に障害のある利用者8人を担当して京都に出かける、残る他の大半の利用者達、職員達のB班は難波グランド花月(NGK)の吉本新喜劇を観に行くのである(*^。^*)

B班はワークホームに8時までに集合して、一足先に8時20分出発した、我等A班は8時半集合の9時出発の予定通り、“神崎観光”の小型観光バスに乗り込んで、ワークホームを後にして一路京都に向かう、加古川北インターから山陽自動車道にのぼり西宮で中国縦貫道に、そして名神高速と乗り継ぎ、山科から京都に入った、右手に琵琶湖疎水を観ながら岡崎越えして平安神宮の朱塗り大鳥居をくぐって行った(^^♪

利用者と職員11名は応天門から平安神宮の中へ!砂利石の敷き詰められた広い敷地をぶら~~り散策した、集合写真も何枚かキッチリ収めた、大政奉還のため都が東京に移ることにより、天皇も公家衆、天皇家ゆかりの人々も京都を去ってしまった、千年以上日本の中心として栄えてきた京都を「日本の心は京都にあり!!」と京都人の誇りをアピールするため建てたのがこの平安神宮らしい(*^。^*)

腹の虫も騒ぎ出した頃、東大路通り→三条通→堀川通り→高辻通りと進み、次に向かったのが今日のメインイベントなる場所の友禅美術館“古代友禅苑”であった、そこは京都の中心にありながら、しっとり落ち着きのある庭園がある“みやびな”たたずまいがあった(・_・)

出迎えてくれた学芸員の説明を聞いてから、4階建ての館内に入っているレストラン“京の四季”の奥座敷に通された、入った左手に豪華な友禅の着物が飾られ、床の間には由緒ある雛人形の一団が鎮座していた、そしてそして、そこにはズラッとお膳に盛られた高価な懐石料理が用意されていた、ゴックン!!少なくとも3000円はするだろう☆☆湯豆腐が煮えていた、早速、浜口君の音頭で乾杯してあっという間に全てたいらげた(*^_^*)ジュルリ

かつおのたたきにすり胡麻をまぶした“○○輪”・・・女将が何回か教えてくれたのに、名前がどうしても思い出せない・・・あっ!やっと思い出した“横輪(よこわ)”だぁ☆☆が特に美味だった☆上品で着物が良く似合う女将の話では、この同じお座敷で、この美術館を訪れられた、ななな~~んと美智子妃殿下一行が食事をされたとのこと!!縁側の向こうの黒竹の程よく点在する庭を観ながら・・・☆☆

食後3階へ登り、友禅染め工房で職人さんの友禅手描き作業を見学した、展示場には縄文時代からの染物が年代順に並べられていた、高松古墳壁画の飛鳥美人画も飾られその当時の染め織りが印象的にそこにあった!!2階に下りて京土産コーナーで“白心堂”の『生八つ橋』を買った、帰ってゆっくり頂きましょっと☆★

そこを出て、堀川通りの二条城を眺めながら京都府立植物園まで北上し、集合写真をもう一枚パチリ!Uターンして、烏丸通を南下し京都御所横を通り抜け、七条通で東本願寺と西本願寺を眺めるなどして京都の街をドライブして巡った、東寺横をすりぬけ、国道1号線から、名神高速に上がって帰路に着いた・・・

帰宅すると食卓に家内がお母さんに頂いた京都“鍵善の葛餅”が置いてあった(~_~;)

テレビのニュースでチラッと観たが大阪世界陸上のマラソン最終選考選手が決定したらしい、ほぼ小生の予想通りだったようだ☆小生の大好きな“小崎まり”の名前も有った!!バンザ~~イ☆☆明日の朝、新聞で確かめましょう・・・(-_-)zzz

ちょっと失礼しまして、ここからはプレスブログのコーナーで~~すヽ(^。^)ノ

最近“ブレスブログ”なるもののに登録しましたが、パソコンに疎い小生にはあまり良く分かっていません、あるテーマーが与えられて、そのテーマについてコメントを自分のブログに添えるというものですが、これでいいのだろうか、手探りの状態でチャレンジしてみます(^^ゞ

与えられたテーマはタウンページの「iタウンペ-ジスクロール地図で探す」(β版)がますます便利に!! でした、早速先日訪れた“京の四季”で住所検索しましたが、出てこず、マップ検索であちこち探って、やっと京の四季は捜せずそのレストランが入っている“古代友禅苑”のみしか地図上ではありませんでした、あんな有名お店は乗せてもらいたいものだ(#^.^#)

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