Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

YAGレーザー治療の威力☆ 2010年9月30日

2010-09-30 22:52:46 | 日記・エッセイ・コラム

小生、昨年4月に右目の水晶体が濁ってしまい遠近とも矯正が効かなくなると言う“白内障”の手術を受けて視力も1.0を与えられた、しかしこの手術を受けても、濁った水晶体とともに前嚢部分はすでに取り除かれているが、レンズが入れられている硝子体側に面する後嚢(こうのう)部分が濁ってきて、遅かれ早かれ、3ヶ月から数年内に“後発(こうはつ)白内障”に陥り視力が低下してくる・・・

小生の場合は明るいところではハッキリ良く見えるが、後嚢が濁ってきたため薄暗いところでは視力が低下するという中期にまで進行した後発白内障の段階であった、1週間ほど前に検診に行った時に、医師にその症状をアピールして右目の検眼と視力検査をした結果、今日の手術に至った、午後の診察が始まる3時に医院で受付を済ますと4人ほど同じ後発白内障のレーザー治療を受けに来た患者達が居た、訊いてみると小生と同じ症状であった・・・

やがて小生の受診番号が点燈し内待合室に入った、そして小生の名前が呼ばれ診察室に入った、医師のいつもの精密な眼内・眼底検査が行われた後、まず眼圧が測定された、それから4~5回に渡って瞳孔を広げる点眼目薬が施された、一般患者の診察が一段落してから、我々後発組みのレーザー治療が4時頃から始まった、一人当たり5分ぐらいの治療だった・・・

3番目に小生の順番が廻ってきた、検眼器を少し大きくした機器が暗室の奥に在った、そこの前に座って高さ調整され、顎と額を押し当てて治療が始まった、その機器のレンズによって焦点が絞られた後嚢の中心部にYAG(ヤグ)レーザー光線が十字に8回ぐらいだったろうか照射され、瞬間発熱し濁り部分が十字状に焼き切られ、後嚢中心部が4方にめくり上げられ様に円形の穴が開けられて行った、麻酔も要らない痛みもない簡単な治療だった・・・

ちなみにYAGレーザーのYAGのYはYittrium (イットリウム)で、AはAluminium(アルミニウム)、GはGarnet(ガーネット)でそれぞれの頭文字をとったものだった、どうやら、このYAGレーザー光線の強烈なものを照射して鋼鉄のピンポイント溶接や穴あけにも利用されたているらしい、またシミ、ほくろ、そばかす、あざ、入れ墨などの除去治療にも利用されていて、このYAGレーザー光線は工業面にも医療面においても画期的なハイテクノロジーであるらしい・・・

この治療後のための薬は何もなかった、会計で治療費5530円を支払って徒歩で帰路に就いた、瞳(ひとみ)を開く目薬の点眼のためと、レーザーによって飛び散らされた後嚢の欠片の浮遊のため右目の視界はぼんやりしていたが、瞳孔の開きは点眼4時間後にはもとに戻り、後嚢の欠片も沈殿して硝子体の濁りもやがて納まるらしい、観難かった夕方の曇天下でも確かに視力はアップされている実感を持って帰宅した☆・・・

入浴あと夕食を済まし、横浜村田の逆転3ランによる阪神の劇的な逆転敗北と矢野選手引退披露式の頃にはテレビ画像の見え方が数段鮮明になっていた☆医者から明日の20kmジョギングOKの確認もとった、明後日、土曜日の午後3時以降に、点眼による開きっぱなしから元の広がりに戻った瞳と後嚢空洞部とのオーバーラップがないかの検眼と視力検査のため再度来院することになっている・・・

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龍馬伝、第17弾 “馬関の奇跡” 2010年9月26日

2010-09-26 21:27:16 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ今回から龍馬伝は最終幕となる完結編FInal Season RYOMA the Hopeに入る、皆さん存知のように各編の変わり目には必ずあの財閥郵便汽船三菱を作り上げ立身出世した弥太郎が龍馬に対する愚痴不満を高知の地方紙“土陽新聞”に特集を組んで、龍馬を郷土土佐の英雄と崇め投稿するジャーナリスト坂崎紫瀾(しらん)にぶちまけるシーンから始まる、その画面から弥太郎が龍馬をいかにを忌み嫌っていたかが伺える、それはただ単なる弥太郎自身には無い人間龍馬の偉大さに対する妬み嫉み(ねたみそねみ)に過ぎないのだが・・・

明治十六年(1883年)のある日、上野不忍池(しのばずのいけ)の直ぐ南西に位置する岩崎家豪邸の大庭園に儲けられたお食事会の食卓に腰掛け、49歳の弥太郎が土陽新聞を読んでおった、『うぬ!“汗血千里(かんけつせんり)の駒!?龍馬いざ激戦の地へ!?”話が違うぜよ!坂崎君!おんしがこんな作り話を書きゆうやったら!わしゃ、もう龍馬の話はせんけえ!』、「待ってつかわさい!岩崎さん!確かに、この龍馬は恰好良過ぎるかもしれません!」・・・

『もうええ!』、「けんど!連載を続けるためには読者の興味を引くようにせんといかんし!」『もう高知へ帰りや!』、「僕は!岩崎さんの話を聴いて、龍馬のイメージを膨らませたがです!」、『ええかげんなことを言いなや!』、「嫌い!嫌い!と言いながら、岩崎さんが語って下さる龍馬は実に僕には魅力的な男に見得るがです!」、その時誰かがテラスから「社長!」と呼んで庭に降りてきた、それは!ななな~~~んと!あのトーマス・グラバーじゃった!・・・

「これが高島炭鉱の収支報告書です!社長に満足頂ける利益は挙がっています!」とグラバーが手渡した書類に弥太郎が目を通した、『なかなかようヤッタのう!グラバー!わしの商売の仕方が分かって来たようじゃ!』、「グラバー!?」坂崎には馴染みのある名前じゃった、『坂崎君!こちらはグラバーさん言うて、わしが何遍も話したあのグラバーじゃ!』、「Nice meet you!」とクラバーは坂崎に手を差し出した、「ナイスミーチュー!」・・・

『明治に入って、グラバー商会は潰れてしもうてのう!路頭に迷うちょった、こいつを、わしが拾うてやったがじゃ!こちらはのう!土佐土陽新聞で龍馬の伝記を書きゆう坂崎君じゃ!』と弥太郎は坂崎をグラバーに紹介した、「“汗血千里の駒!”、大変面白かったです!」とグラバーは坂崎の記事を褒めた、『なに!そんな作り話の何がええ!わしはむかむかしてまた胃が痛とうなってくるぜよ!』と吐き棄てて胃薬を飲んだ・・・

弥太郎の龍馬に対する悪口が始まった、『あいつは、あっちこっち動き回って、日本がどうなって!ああじゃ!こうじゃ!言いよっただけやけん!』、「そう言う人がおったから今の日本があるがぞお!」と坂崎は反論した、すると弥太郎の自慢話が始まった『わしゃ!三菱を創ったじゃがぞ!土佐の地下浪人が日本一の大会社を率いちゅうやけん!あ~!こればあ出世したがは豊臣秀吉ぐらいしかおらんぜよ!はははは~~~!』・・・

「弥太郎!」と叫びながら美和がやって来た、『何じゃ!おかやん!』、「豊臣秀吉じゃと!おまん!」美和の平手打ちが弥太郎の額を捕えた、「何様の積りじゃ!」、『痛た~~!』、「社長になろうが!金持ちになろうが!貧乏じゃった頃のことを忘れてはいかん!」、『忘れちぁあせんけえ!』、「亡くなったおとやんに申し訳ないき!」・・・

「This is Miwa、Mother of Iwasaki Family!(こちらが母上です)」とグラバーが坂崎に教えた、『坂崎!何を書きゆう!シャラップ!シャラップ!シャラップじゃ!グラバー!エゲレス語は好かんのう!』、美和は坂崎に近づき励ました「坂崎さん!弥太郎の言うことりゃ気にせんでつかわさい!土佐に坂本龍馬と言うお人が居った言うことを、あんたの記事で世の中の人が知ったやき!まっこと、嬉しいやかよ!」・・・

この時、弥太郎が咳き込み手のひらを見ると吐血しとったがじゃ!弥太郎は慌ててその血をテラスのブロックの手すりにこすり付けてその場を誤魔化してた、この頃、弥太郎は胃を相当病んでおった、胃癌で天保五年(1884年)十二年十一日(1885年2月7日)、享年52歳で亡くなる3年前のことじゃった!・・・

「弥太郎!ここまで来たやき、最後まで龍馬さんの話しをしちゃりや!龍馬さんが居ったけん、今のお前があるがやき!岩崎弥太郎には語る義理があるでしょね!龍馬さんが最後に何をしたか!どいて殺されんとイカンかったんか!?」・・・

時代を1866年6月にさかのぼると、その坂崎が投稿した“汗血千里の駒”が始まっておった、神戸海軍操練所で培った航海術のエキスパート軍団、龍馬等亀山社中の面々は長州軍に加勢し、軍艦に乗り込み幕府の大軍と下関の馬関海峡で闘っておったがや!「攻撃!始め~~~!」、「砲手方!幕府軍艦を狙え~~~!よ~~し!放て~~~!」、ドォ~~ん!ドォ~~ん!お~~!『船は沈みや~~~!』、お~~~!・・・

その頃、弥太郎も長崎で大戦(おおいくさ)を始めちょった!藩の命で弥太郎が世話役となり創業した長崎の土佐商会は大きな屋敷に店を構え、商売は順調に軌道に乗っておったがじゃ!そこへ藩から送られてきた一人の土佐藩士が訪れた、「あのう!溝渕広之丞と申します!ここの仕事を手伝えと藩から申し付けられて来たがです!あの~~・・・」、だが皆忙しそうにして相手にしてくれんかった、そこへ万次郎がやって来て広之丞を迎えた、「お・お・お!溝渕殿か!Welcome!よう来られた!待っちょった!待っちょった!さあさあ!こっちへ!」・・・

万次郎は溝渕に屋敷内を案内した『あっちに居るのは皆んな上士じゃけん!ここの仕事の内容は聞いちょるけ?』、「はい、長崎における土佐藩の貿易商売の窓口じゃと!」、『Yes、藩の将来を担(に)のうちょるがじゃ!』、「ここの御頭様は大殿様のご親戚様ですろうか?」、『No!』、「ほんなら、ご家老様の?」、『それは大抜擢されたお方じゃ!』、「大抜擢!?」、万次郎は奥にある部屋のドアをノックした、トントン!プリーズ!と中から返事があった・・・

ドアを開け溝渕は部屋に入り頭を下げ、かしこまって挨拶した「土佐藩士、溝渕広之丞で御座います!この度、藩命を受けてこちらに参上致しました!」、『久しぶりじゃのう!溝渕君!』、「やっ!弥太郎!ここで何をしゆう!」、そこには象二郎のパチリをしていたあの情けない弥太郎が居たではないか!「岩崎弥太郎殿はこの土佐商会の主任ながじゃ!」と万次郎が弥太郎を溝渕に紹介したがじゃ!「えっ!」・・・

『わしが大出世するがは前から分かっちゅうことではないかえ?そこに居る上士等はわしの家来ぜよ!』、「はあ!?」、『ここに居るがは、かの有名なジョン万次郎さんじゃ!』、「今は岩崎殿の通事をやりおります!」と自己紹介した、『あの憎たらしい弥太郎がどういてと思ちゅうがか?どういて、こんな奴の下で働らかないかんじゃと思ちゅうがやろ!』、「否!いえ!いえ!」、『ほんなら!これから、土佐の名物を売り込みに行くぜよ!』、「売り込み!?」・・・

土佐の物産品満載!背中に背負うされ溝渕が立ち上がった!『早よう来いや!』と弥太郎の罵声が飛ぶ!弥太郎等はまずオールト商会に売り込みをかけた、弥太郎がオールトに商談を持ちかける『今日は土佐の和紙を持って来たがじゃ!これもええ品じゃぞ!It's very good!』、「How do you see it doesn't time!(何度も断っているだろう!)」、『土佐でできるもんは、どれもこれも上等なもんばっかりじゃ!この樟脳は薬の材料になるがじゃき!どこでも欲しがるがじゃ!』、「No!」とオールトは相手にせんじゃった!・・・

溝渕は感心した「ほお~!弥太郎はこう言う仕事をしよるがか!」、弥太郎は最後の戦術に出た!『いや!いや!いや!頼む!ミスター・オールト!頼む!』弥太郎は溝渕と万次郎をも巻き込んで3人はその場にYesが出るまで土下座したがじゃ、これが弥太郎の商談取り決めの常套手段であったがぜよ!・・・

下関・馬関の本陣では龍馬等亀山社中は長州奇兵隊兵士達と馴染んで暫しの休息をとっておった、「わしは高松太郎と言います!」、「お~!高松さん!どんどん飲んでつかわさい!さあ!」、高杉が龍馬に話しかける「どうですか、飲んでいらっしゃいますか?」、『ありがとう御座います!どうぞ!どうぞ!』龍馬も高杉に酒を注いだ、「これで女子でもいりゃ申し分ないのですが、我慢してつかわさい!」・・・

『はははは~~~!高杉さんは戦の最中でも着流しとは相変わらず豪胆なお人じゃのう!』、惣之丞が奇兵隊兵士に訊いた「高杉さんはエゲレスに行くはずではなかったかえ?」、また陽之助が訊いた「この戦のために留学を辞めたんですか?」、「あの方が居ると居らんとでは大違いですけんのう!」、向こうで高杉が三味線を手にして弾き語りを始めた、“♪ わしと~~!お前は~!なきや~まあ~~ず!♪ ”、歌手・福山龍馬も感心した『唄も上手いもんじゃのう!』と・・・

『ところで、皆んな~は何を生業(なりわい、仕事)にしよるがじゃ!奇兵隊には侍やないもんが、ようけいおるろう?』と龍馬は訊ねた、「わしゃ!隣村で百姓をしちょります!」、「わしゃ、大工じゃ!」、「わしゃ!干物を売り歩いております!」、「今までわしらは何をされても、ごもっとも!ごもっとも!って我慢しちょった!」、「とおに、限界じゃ!年貢じゃ!普請(ふしん、労役)じゃと散々こき使われて来た!じゃが、そんなわし等も新しい世の中のお役に立てるんじゃ!」・・・

「侍だけの力だけじゃ世の中は変えられん!高杉さんはそう言われました!」、「わし等が加わることで新しい世の中が生まれる!わし等は親兄弟や子供達のためにも戦うんじゃ!」、おお~~!そうじゃ!そうじゃ!「こう言う人達等のために、わし等は日本を変えんといかんがじゃけん!」と惣之丞も発奮した、「そうじゃ!力を一つにするがぜよ!」、おお~~~!『その通りじゃのう!』龍馬も決意を新たにしたがじゃ・・・

その時、高杉が急に咳き込み始めて席を立った!それを観て、龍馬は高杉のあとを着いて行った、洗い場で高杉は喀血した手と口を洗い流していた!『高杉さん!肺を病んどるがかえ?』龍馬は心配した、「労咳(ろうがい、肺結核)です!」、『労咳じゃと!高杉さん!そんな身体で戦に出ちょったらいかんぜよ!医者に診せたがかえ?』、「僕の命はもう長くないそうです!」、『はあ!?』・・・

「僕には休んでいる暇はありませんよ!長州のために!日本のために!働かなければ!」、『ほなら!エゲレス行きを辞めたのも?』、「それも運命です!先が短いなら、短いなりに僕は面白く生きたい!華々しく花火を打ち上げて消えていく!それが高杉晋作の行き方ですけ!」、すると、高杉は奇兵隊の前に出ていき一席ぶった!「百万の大軍!恐れるに足らず!恐れるべきは我等弱き民!一人一人の心なり!」、おお~~!おおお~~~!気勢を上げ!長州奇兵隊と亀山社中が一つにまとまったがじゃ!おおお~~~!・・・

弥太郎等の押し売り商戦はグラバー邸を襲っておったがじゃ!(商才のない小生など人に無理やり物を売るなど到底無理な行為である!)、『土佐商会主任の岩崎弥太郎と申す!』、(ものを買ってもらうのに、どえりゃ上から目線である!小生などこの時点で即、追い返すであろう!)、『土佐藩の参政、後藤象二郎様の名代(みょうだい)として商売の話し合いに参った!』、『おい!君!早よう出せ!』弥太郎は土佐で世話になった溝淵に命令した!(弥太郎は小生の一番忌み嫌うタイプである!)・・・

「これが土佐の樟脳に御座います!」溝淵は樟脳の入った器(うつわ)をテーブルに広げた、『どうじゃ!これは、じきに値上がりするき!今のうちに・・・!』、クラバーが割って入った「私は貴方のことを良く知りません!」、『それを、これから酒を酌み交わしてのう!』、「土佐藩との取引なら坂本さんが間に立って頂きたい!」、『坂本さんじゃと!?』、「そうです!坂本龍馬さんです!」、「坂本殿を知っちょるがか?グラバーさん!」万次郎は驚いた、「I believe Sakamoto-san is one of my best friends!(坂本さんは私の友人です)」・・・

「わしも友達じゃ!」と万次郎が言う、「わしもじゃ!龍馬が最初に江戸に行った時・・・!」、溝淵を遮って弥太郎が声を荒げた『やかましい!どいて、龍馬が居らんといかんじゃけ!』、「ご存知ないですか?薩長の間を取り持ったのは!坂本さんですよ!彼を罪人扱いする土佐藩は信用出来ません!」・・・『誰が龍馬の助けら借りるかえ!』、「岩崎殿!岩崎殿!」万次郎が止めるのも聞かず弥太郎は樟脳を持ってグラバー邸を出て行ってしもたがじゃ!・・・

長崎の中華街では中国人等が鉦や太鼓の鳴り物入りで、カブトムシを闘わして博打に興じていた、お龍が一人寂しく、その様子を眺めていた、龍馬がくれたお守りのペンダントを手にとって龍馬のことを思い浮かべていると、お龍の前をお元が通り過ぎていった・・・

馬関の長州軍本陣では高杉が陣頭指揮を執って、龍馬等亀山社中が加わり、作戦会議の最中であった、「ここに幕府軍が軍艦、警備船など兵力5万を集結しちょる!僕等の方は坂本さん等のユニオン号を合わせて5隻!警備船50艘(そう)!兵力1000!数の上ではえらい不利じゃ!」、龍馬が立ち上がって言った『幕府軍はこっちが守りに入っちゅと思っちゅうはずぜよ!ほんじゃき!これは、こっちから攻めるがが勝機があるがじゃ!』龍馬が小石を攻撃ポイントにばらまいた・・・

惣之丞と陽之助の出番じゃった「奇襲かえ!」、「敵の本陣に飛び込むんですか!」、「門司に深入りすれば左から攻撃できます!」高杉も賛成した、「ここに攻め込むには夜の闇に乗じて近づくしかない!」、「そこは潮の流れが速すぎます!」、「闇夜に船を入れるのは危険すぎます!」、『わし等に任しや!わし等亀山社中は海軍操練所で散々訓練して来たきのう!』と龍馬が、「わし等の船に着いて来たらええ!」と惣之丞が力強く言い切った、わし等に任せた!心配すんな!そうじゃ!そうじゃ!・・・

「明日の闘いが、この戦の勝敗を決めることになるじゃろう!兵力では幕府軍にかなわん!じゃが!少数で大軍勢の業績!神出鬼没で敵をを悩まし!常に機動を持って勝利する!これが我等の闘い方じゃ!」、おおお~~~!龍馬が社中だけを集め気合を入れた!『明日の夜明け前に出航ぜよ!』、おおお~~~!・・・

慶応二年(1866年)六月十七日朝もや煙る中、「各部所!出航準備よ~~し!諸員!持ち場に就きました!」、『錨(いかり)を揚げや!』、「錨を上げ~~~!」、「錨を上げ~~~!」、錨を上げ~~~!その未明、高杉率いる奇兵隊が小倉の大久保海岸に先回りしておった!「散れ!」、ユニオン号には龍馬が指揮する亀山社中が臨戦態勢に入った!「じきに、上陸地点の沖じゃき!」・・・

「各砲!弾を込めえ~~!」と陽之助が発令した、弾を込めえ~~~!『準備は出来たかえ?』、「ただ今!遠心点!」、面舵(おもかじ)いっぱい~~!『うしろの船に知らせや!』、モバイル・ライトがクルクル点滅する☆♪ わしと~~!おまえは~~~♪ 高杉の三味と唄が大久保海岸に響く!奇兵隊が敵陣に迫る!ユニオン号から陽之助が「砲手!狙え!よ~~し!撃てえ~~~!砲撃が幕府軍に浴びせられる!・・・

不意を突かれた幕府軍は劣勢となっていく!高杉と奇兵隊が敵陣に雪崩れ込む!「撃ち方止め~~!」、「僕等は小倉の領地を攻め取りに来たのではない!筋の通らん理由で!長州を焦点にした幕府が許せんだけじゃ!」・・・「おい達は!熊本藩のもんたい!ご公儀の命にやむなく出陣したばってん!長州に対しては、いささかの恨みも御座らんたい!」、「ならば戦う理由はない!戦を避けることは貴藩にとっては何の恥でもなかろう!」、熊本藩軍は膝ま付いて降伏したがじゃ!・・・

高杉は馬にまたがり!「進めえ~~!」奇兵隊は小倉城に進軍して行った!奇兵隊の勢いに押された幕府軍は小倉城に火をはなって逃走したがや!長州が幕府に勝利した瞬間じゃった!高杉等は陸から沖に浮かぶ龍馬等社中のユニオン号に勝利の旗を振ったがや!高杉がまた、のたもうた「百万の大軍!恐れるに至らず!恐れるべきは!我等弱き民!一人一人の心なり!」、『これで次に進むことが出来るじゃき!』と龍馬がうなる・・・

大坂城では慶喜がうろたえておった!「小倉藩は動揺に耐え切れず自ら城に火を放ちました!」、『そんな馬鹿なことがあるか!外様一藩ごときに負ける訳がない!援軍を送り込め~~!』、更に幕府に追い討ちを掛けたがは!庶民の怒りじゃった!長州攻めの影響で米の値段は高騰!人々の幕府への不満は爆発したがぜよ!ほんで!小倉城が落ちる直前!大坂城に居った第14代将軍・徳川家茂が脚気(かっけ)により死去したがや!・・・

幕府は戦どころではのうなってしもうたがぜよ!直ぐ、その知らせは長州の木戸のもとへも届いておった!「申し上げます!将軍家茂公が亡くなったとの知らせで御座います!」、おおお~~~!『正義は当地に有り~~!』、薩摩の小松と西郷にも届いた「山が遂に動いたなあ!」、「かわっと!かわっと!かわっとう!わあ~~~!」西郷が雄叫びを上げた!幕府が長州に負けたと言う事実は日本中を揺るがした!土佐の容堂公にも届いた「幕府が負けるとは!?江戸の時代が終わるがではないがか!」、世の中は騒然とし始めたがじゃ!・・・

長崎、引田屋ではお元のお酌で弥太郎と大浦屋のお慶が一席設けておった、『世の中、何んか騒がしいけんど、わしには、そんなことどうでもええことじゃ!むしろ、こうゆう時にこそ金儲けの絶好の機会ぜよ!』相変わらず、がめつい弥太郎がいた、「よう知っとんなあ!岩崎さん!」、『この頭の中にはソロバンが入っちゅう!』、「恐ろしかあ~~!」・・・

弥太郎は初対面のお元に注目し、魅(ひ)かれて行った、『怖がりな!怖がりな!獲って食おうとは言うちゃんせん!はははは~~~!おまんは、なかなか可愛い顔をしゆうのう!』、「岩崎さんのために長崎一の芸子は呼びましたけん!」、「元と申します!」、『えっ?』、「元と申します!」、『声も可愛いのう!おっほほほほ~~~!けんどのう!所詮お元は長崎一じゃ!土佐に居るわしの女房には足元にも及ばんぜよ!』・・・

「そげな綺麗いか奥様なんですか?」とお元が訊ねた、『綺麗な言うもんでは・・・!神々(こうごう)しゅうて!神々しゅうて!もう!』・・・『わしゃあ、こんな話をしに来た訳ではないがじゃき!』急に弥太郎の態度が変わった、『大浦屋!土佐の樟脳をこうてくれ!』、「樟脳!?」、『他にもあるぜよ!生糸!綿花!どれも上等なもんばっかりやけん!しかも、これは大商いじゃ!20万の取引ぜよ!』、「20万!?」、『話に乗りや!大浦屋!』・・・

「そいやったら!坂本龍馬さんを通してくれんですか!土佐のお方との商いは初めてやけん!信用のあるお方に入ってもらわんば!」、すると盃を床にぶちつけ!龍馬嫌いの弥太郎の感情がまたもや爆発した!(小生、龍馬暗殺を企てがは、これまた龍馬嫌いの後藤象二郎とこの弥太郎の陰謀ではなかったと?諸説あるがNHKがこれをどう扱いか今から興味深い)、『どいつも!こいつも!龍馬!龍馬!とぬかして!こりゃ、土佐藩の商いぜよ!』・・・

「そない言われましても!」、『なあ!おまん等、龍馬のことを買い被っちゅうがや!あいつは口先だけの人ったらしじゃ!ほんまは、なんちゃあ!出来んがじゃけん!』弥太郎が無知をさらけ出した、すかさずお慶が指摘した「先頃の馬関での戦!長州軍が幕府軍ば破った陰には坂本さんが居んなった!」、『何!?』、「自ら軍艦ば操り!戦に加わったと聞いております!」、『龍馬が戦に!?』、「口先だけのお方では御座いませんば!坂本さんは!」「そうしたら!」と言ってお元を残してお慶は退散して行った・・・

『ちゃあ~!』お銚子ごと一本飲み干し、それを床に投げた!「お酒はまだ召し上がりますか?」お元が訊いた、『どこまで!わしを振り回すがぜよ!龍馬!』、「岩崎さんは坂本さんが好かんとですか?」、『お元!龍馬を知っちゅうがか!』、「うふ!こん前、ここで祝言(しゅうげん)をば!」、『何!龍馬が嫁をもろたがかえ!?』、「綺麗んかお方ですばい!お龍さんと言うお方は!」、『お龍!?寺田屋に居ったあの女子かえ!?』・・・

「あっ!知っとうなっとですか?」、『なんじゃ!あいつは!薩長の間を飛び回って!嫁をもろうて!戦に行って!わしの邪魔までしやがって!』、お元が呟いた「坂本さんに係わる人は皆んな心がざわめくとやろか?」、突然弥太郎が鼻の下を長おうして、お元の唇に触れるぐらい超接近して、お元の可愛い頬を指で挟んだ!弥太郎のドスケベ!『おまんも龍馬に惚れちゅうがか?』、お元は弥太郎の手を頬から離し、弥太郎の手を両手で優しく添えて、いつもの営業手段に出た・・・

「うちが惚れとるとは岩崎さんだけ!」、弥太郎はお元の手を振り払った『ええかげんなことを言いなや!澄ました顔しちゅうがのう!どうせもとは、田舎娘じゃろ!』憎たらしいおっさん!お元の顔が厳しくなった、『わしには分かるがぜよ!おまんは、わしと同んなじ匂いがするけえのう!』、弥太郎はお元から離れて叫んだ!『クッソ~~!どういて龍馬ながじゃ!』、そこにあるものを蹴飛ばした!そして意味を履き違えた、僻(ひが)み根性丸出しが始まったがじゃ!・・・

『あいつは、わしに言うたがじゃぞお~!喧嘩では世の中は変わらんと!憎しみからはなんじゃあ、生まれんと!それやのに戦に行ったがじゃぞ!あいつは嘘つきじゃ!大嘘つきじゃ!』、そん時お元が怒りを露わにして言った「人は誰やって嘘つきばい!ばってん!坂本さんのそん嘘は、そん嘘は皆んなが笑おて暮らせるための嘘たい!」、『なるほどのう!女子にもてるけじゃ!そう言う奇麗事をペロ~~と口に出来るじゃき!』、心狭い弥太郎を憂いてお元は涙した・・・

山口城にて長州藩主・毛利敬親(たかちか)の前に龍馬が呼ばれておった、「面を挙げられよ!」、『ははあ~~!』、「馬関での働き!見事であった!礼を言うぞ!坂本!」、同席した木戸も高杉も嬉しそうじゃった!「僕からも礼を言うぞ!坂本君!」、「亀山社中の助けがあったからこそ!幕府軍を撃ち払うことが出来ました!」、『長州に勝利をもたらしたがは奇兵隊が勇敢に闘ったがじゃ!それに高杉さんの気合に皆んなが引っ張られたがじゃ!』と龍馬は奇兵隊の働きを讃えた・・・

『木戸さん!戦(いくさ)言うがは、たいしたもんですのう!力ずくで相手を倒したら一気に流れが変わってしもうたがじゃ!』、「百の議論より一度の戦じゃ!」、『このまま、幕府軍を蹴散らして!一気に江戸まで攻め込みたいところですろう!』、「流れは僕等にあるけえのう!」、『けんど木戸さん!戦はもう、こればあに、しときましょう!長州に負けて幕府の力は益々弱まりました!今こそ諸藩に声を掛けて味方を増やすがです!』、高杉も龍馬に同調して言った「僕もそう思います!今回は守りの戦だから勝てたんです!勢いづいて攻め込むのは!」・・・

木戸が怒った「黙れ!何を言い出すんじゃ!坂本君!僕等が薩摩と手を組もうと思うたんは!君が薩摩の名義で軍艦や武器を手に入れてくれたからじゃ!薩摩との盟約も幕府との戦を想定してのもんじゃろうが!あの裏書を書いたのは君じゃ!その君が戦をするなとは!はあ!?そげな可笑しな話があるじゃろうか!そもそも!戦もせんで、どうやって幕府を倒す積りじゃ!?」・・・

『幕府に政権を返上させるがです!そもそも将軍とは征夷大将軍!異敵から国を守れと御門から頼まれた役目ですろう!つまり!徳川は御門から政権を任せられちゅうだけですけん!その役割を自ら返上させたら!戦はせんと幕府を倒すことが出来るがじゃ!』、木戸は静かに言った「大政奉還論か!」、『大政!?奉還論!?』龍馬には何のこっちゃ分からんかった・・・

木戸はその“大政奉還”を筆に起こして龍馬に示した、「大(くに)の!政(まつりごと)を!返(かえ)し!奉(たてまつ)る!」、「この考え方を提案したもんは実は過去にも、ようけい居ったんじゃ!じゃが!結局は諦めた!」、『どういて?』、「一度、力を与えられたものは、その力を手離せんからのう!」木戸はその紙を丸めた、「僕はそんなお人よしではない!」とそれを床に叩き付けた!・・・

龍馬は木戸に反論した『ほんじゃき!ほんじゃき!武器を持つがじゃ!政権を返上せんと!力ずくでも滅ぼしちゃると!幕府に迫るために武器を持つがじゃ!』、高杉の考えは龍馬のと同じだった「大政奉還か!そうじゃ!木戸さん!」、木戸は続けた「坂本君!君は日本の将来を憂いていることは、よう知っちょる!じゃが!地に足が着いている考えでなければ夢物語と同じじゃ!僕達にはそれに付き合うとる暇はない!大政奉還など奇跡でも起こらん限り無理じゃ!」・・・

龍馬は丸め捨てられた“大政奉還”の書き物を拾い上げて広げた、『その奇跡を起こさんと日本はのうなってしまうがじゃ!』その時、龍馬は何か新たな決意を胸に秘め、静かに山口の城をあとにして行った、この時、坂本龍馬がその鮮烈な生涯を終えるまで、あと一年じゃった!・・・

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Rowing on the River 2010年9月25日

2010-09-25 21:25:08 | 日記・エッセイ・コラム

昨日ミドリ電化ニッケパークタウン店へ家内と出かけ、以前から品定めしていたTOSHIBAのREGZA/26A1と32H1の2台の地デジテレビをcashで買った、何も言わないのに次男が10万円援助してくれていた、それらが我が家に今日午前11時頃やって来て台所と居間に設定された☆買ってから3年位の2台のアナログテレビを小生の寝室と次男の部屋に地デジチューナーを付けて地デジ放送が鮮明に観れるように設置して貰った、何故か次男の部屋だけチャンネルによって少し電波が弱かったのでアンテナ全体を来週取り代えてもらうことにした・・・

今週水曜日の水面ロードは33℃と蒸し暑かったが、今日は打って変わって清流・加古川の水辺には台風12号の涼しい風が吹き渡り26℃と走り易かったのなんのって!☆もうノースリーブのランニングシャツよりTシャツの方でいい!上荘大橋に近づくと、普段は何もない草むらの河川敷が車とテントで埋まっていた?人ごみにまみれて漕艇が運ばれているのが見えた、うぬ!関西大学対抗秋季レガッタか!?否、あれは10月のはずである?何の大会だろう?・・・

いつものレガッタ大会では漕艇センターがある対岸の右岸にテント村が出来るのに、今日はこちらの左岸にかたまっていた?かなりの台数の大型バスがズラ~~ッと並んでいた?大勢の駐車兼交通整理の係員があっちこっちに立っていた、ゴール附近に幾つか板で組まれたスロープが水中に渡されていた、何本も立てられ風にパタパタはためく登り旗を観ると“第19回全国市町村交流レガッタ加古川大会”となっていた、まだ終盤の競技種目が行なわれていた・・・

とりあえず人込みの中を抜けて国包の折り返しまで行って本部のあるテントに戻って来て、大会のプログラムを要求すると快くプログラム1部と“遊びに行こうよ!!加古川ええとこポケットナビ”観光サッシを頂いた、それをパラパラ開いて観て見ると全国各地で活躍するレガッタサークル愛好会が加古川に一堂に集まる全国大会であった、今日土曜日は各種目の予選が行なわれ、明日日曜日には敗者復活戦と準決勝と決勝が行われることになっていた・・・

今大会は第1回目が福井美浜町で開催されて以来、19回目を迎えていた、ちなみに前回18回目は長野県下諏訪町で開催されていた、加古川市は第9回目に続き今大会2回目のホスト開催市になっていて、全国各地から大会スタッフや大勢の選手達と応援団を迎えていた、また背中に“Rowing on the River ” と印刷された上下お揃いのジャージを着た地元の兵庫大学の生徒や高校生達がボランティア・スタッフとしてハツラツと活躍していた・・・

水曜日にラジオ関西の“心に効くラジオ”を聴きながら走っていると、“ゆう子のお部屋”のコーナーでタロット占いの名人である谷五郎のアシスタント・泉ゆう子が今シーズンのプロ野球優勝チームを占った、セリーグはクライマックスで中日と巨人と阪神がもつれ、優勝するだろう中日をなんと破り巨人が抜け出すらしい!・・・

混戦のパリーグでは西武が優勝するだろうとのこと、クライマックスにはソフトバンクとなんとオリックスが残るらしいが西武がそのまま抜けると出た!そして西武が巨人を破って日本シリーズを制覇すると泉ゆう子先生は占った!当たってくれ!広島ファンの小生はどちらが優勝しても善いのだが、ゆう子ちゃんのタロット占いが当たってくれと願いたい!何故ならば小生はゆう子ちゃんファンだからさ・・・

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龍馬伝、第16弾 “霧島の誓い” 2010年9月19日

2010-09-19 22:53:32 | 日記・エッセイ・コラム

慶応二年(1866年)三月十日、幕府の追っ手から逃れ、寺田屋で負った傷を癒すために、薩摩に到着した龍馬とお龍は吉井幸輔等の薩摩藩士に先導されて霧島連山を望む塩浸(しおひたし)温泉へ向かう山道を登っちょった、「お龍殿!だれちゃおられもはんか?」、「大丈夫です!」とお龍は答えた、「温泉場までもうちとでごあんで、ゆっくりと傷を治しゃってもんせ!坂本さん!」と労をねぎらった、『ありがとう御座います、吉井さん!』・・・

龍馬は湯に浸かり、刀傷が生々しく残る親指を動かそうと痛みを堪(こら)え『あ゛あ゛あ゛~~~!』顔を歪め懸命にリハビリに励んでおった、一段落ついて湯から上がったところへお龍が湯治場へ石段を降りてやって来た、『お~~!お龍!ええ湯じゃったぞ!おまんも入りや!』、「さっき、吉井さんがお越しやして、龍馬さんが霧島に登りに行きはると!?」、『そうじゃ!』、「うちも連れて行っておくれやす!」、『はあっ!ははは~!そりゃ無理ぜよ!霧島山は女人禁制じゃけん!女子(おなご)は登れん!』・・・

「うちは龍馬さんの女房です!どんな所(とこ)かて一緒に行きたい!夫婦になったゆうても、うちはあんたさんのことを、みんな知ってる訳やあらしません!龍馬さんは時々思いつめた顔してはるけど、それかて、うちには分かりしません!」、『お龍!わしゃ、歯がゆいがやき!やっと!やっと!薩長を結び付けた言うに!ついに世の中が動き出した言うに!わしゃ、こんなとこに隠れて療養をせんといかん!霧島山に登るがは自分を奮い立たせるためぜよ!次にやるべきことは何がか?それを己の心に刻み込むためじゃ!』・・・

龍馬が言うた通り、薩長が手を結んだことによって世の中は大きゅう動き始めよったがじゃ!小松帯刀の薩摩藩邸にイギリス公使ハリー・パークスが訪れた、『Nice meet you!パークスさあが薩摩までおいで下さるとは、藩主・島津茂久(もちひさ)公も大変喜んで居ります!』、「Thank you!It's our great happiness to support Satsuma!(イギリスは喜んで薩摩を支援します!)」 ・・・

パークスは更に長州にも近づきよった!「我がイギリスに長州を支援させて下さい!軍資金も武器も贈ります!」桂小五郎こと木戸貫治は感激した、『エゲレスの助けなら大歓迎じゃ!』、・・・一方、エゲレスの助けを得た薩長に対し、幕府はフランスとの関係を悪化させつつあったがじゃ!フランス公使館に勘定奉行・小栗忠順(ただまさ)を呼び寄せフランス公使ロッシュは不満を爆発しておった・・・

「薩長に日本の実権を握られてもいいのか!今までフランスが幕府にどれだけ協力してきたと思っているんですか!?」とロッシュは小栗に詰問した、「徳川幕府は決して揺るぎません!」と反論した、江戸城に帰って小栗はその旨を慶喜に報告した、「幕府がいかがなさろうとするお積りかと、ロッシュは申しております!」、『ロッシュに黙って観ていろと伝えろ!わしの腹はもう決まっておる!』・・・

FXプライム

その頃、長崎では亀山社中が次なる大仕事に乗り出そうとしちょったがじゃ、惣之丞等が坂を駆け上って来て社中の仲間に知らした「ワイルウェル号(洋式帆船、159トン)は初めての航海連習に出るがじゃ!」、おおお~~~!「ほんでのう!ほんでのう!ええかえ!長州藩の軍艦・ユニオン号(300トン、桜島丸)が長州で米を積んで、じきに長崎に入るがじゃ!そこでワイルウェル号に綱を渡して薩摩まで牽(ひ)いて貰うがぜよ!」と太郎が続いた・・・

『ブハハハハ~~~!船はわしに任しちょけ!』と内蔵太が粋がった、陽之助が忠告した「天草灘は波が荒いし、薩摩の沖は風がビュービュー吹いてるぜ!内蔵太さんで大丈夫かのう!」、『陽之助!まだぐちゃぐちゃ言うがかえ!おまえは!』、池と陸奥がもめ始めた!「やめや!」惣之丞がその場を治める・・・

引田屋ではお元が浮かぬ顔して身請けしてもらいたかった龍馬のことを思い浮かべていた、それを観て「お元ちゃん!大丈夫?」と店の女将が声を掛けた、『昼間からいっぱい飲まされたもんやけん!・・・もう次のお座敷にいかな!』、「そん前にお元ちゃん!おんちに会いたがっている人が来とるばい!土佐のお侍さま!」、『えっ!?』・・・

BOWS Classic (ボウス クラシック)

「失礼致します!」座敷に行くと、そこには池内蔵太が待っておった、『お~~!お元、忙しいとこをすまんのう!』、「どうなされました?池さん!」、『うん、兎に角、入りや、実は亀山社中が船を持つことになってのう!わしがその船を任せられたがじゃき!』、「あっ!そいはおめでとう御座います!」、『それでのう!お元!』池は改まってお元の前に正座した、『わしと夫婦になってくれんかえ!』と声を張って告白した、『俺は誰よりも立派な男になってみせるき!』・・・

「池さん!芸子をめとりたければ、お金を出して身請けしてもらわないけん!」、『分かっちゅ!何時になるか分からんけんど、金は必ず作る!それまで誰のもんにもならんで欲しいじゃがやき!』、「うちのことば池さんに預けろと?」、池はお元の手を両手で取った『そうじゃ!今、心だけ夫婦になってくれたらええがじゃ!』、お元の片手が池の手を触れながら暫らく考えてお元は言った「そげんこと言うてくれたとは池さんが初めて!」、『そんなら、おまんと!・・・』、お元は涙ぐんで池のプロポーズを承諾したがじゃ・・・

龍馬等が目指したがは霧島連山の一つ高千穂の峰!古くから信仰の山として崇められてきた霊峰ぜよ!龍馬の案内役として吉井幸輔の11歳位の息子の幸蔵が同行したがじゃ!「足元を確かめながら登ってたもんせえ!」、その時、後ろから聴き慣れた声がした!「ちょっと待って!」、『あっ!?何ぜえ?はあ!おまん!お龍!ここで何をしゆう!?』、「うちも一緒に登ります!」、「お待ちやもんせ!霧島山は女人禁制でございもんす!」、「そやさかえ男の恰好して来たの!」・・・

アナスイといえば

『そげんことではないろう!』、「言うたでしょう!わては龍馬さんについて行くねん!こいくらいの山!うちは平気どす!決して迷惑は掛けしまへんさかえ!連れて行って下さい!」、『否、けんど!』、「お願いします!」、・・・『分かった!一緒に登ろう!』、「ほんま!」、「坂本さあ!」と幸蔵が龍馬に詰め寄った!・・・

『幸蔵さん!すまんのう!お龍!さあ!行くぜよ!』、「はい!」、龍馬は幸蔵を制して強引に承諾させた!「山の神様!どうぞお許しを!」と幸蔵は手を合わせて祈った、『ははは~~!お龍にこんな茶目っ気があったとはのう!』、「うちは真面目に考えて!」、3人は急斜面の山腹を登って行ったがじゃ・・・

その頃、土佐では弥太郎が後藤邸に呼ばれておった、「待たせたのう!弥太郎!おんしはわしに言うたのう!坂本龍馬をないがしろにしたらいかん!と」、『否!あれは龍馬がわしに・・・』、「おんしはこうも言うたのう!これからは藩のため!日本のために!働きたいと!」、『後藤さん!そうじゃき!・・・』弥太郎はためらった、「岩崎!岩崎!」、『はい!はい!』、「岩崎!岩崎!」、『はい!はい!』、「岩崎!その希み叶えちゃる!」、象二郎は弥太郎の目の前に一巻の書簡を落とした!・・・

都内のプリンタなら事務機器ねっと

「13年前、黒船来航の折、おんしが藩に出した意見書じゃ!読み返してみると、よう書けちゅう!鰹節や樟脳や土佐の産物をドンドン他藩に売るべきことを、おんしはその頃から考えちょったがか?」、『はい!その通りに御座います!』、「うん!それを長崎で出来るかえ?」、『長崎!?』、「異国相手に商売商売するがじゃ!」、『わしがですろうか!?』、「ようし!おんしが世話役になって、この土佐を儲けさせるがじゃ!」、『世話役!?』、「おんしは長崎でしくじったことがあったのう!異人の接待に100両も使いよって!」・・・

『ははあ!ははあ!そりゃ!分かっちょります!分かっちょります!分かっちょります!けんど!出来ましたら!通事を!エゲレス語の分かる通事を!つけてもらえんですろうか?』、「ジョン!ジョン!」と象二郎が人を呼んだ!廊下の向こうから誰かがやって来た!「Yes!Yes!Hello!Hello!Nice to meet you!中浜の万次郎と言います!」、『えっ!万次郎!?』、「アメリカに渡ったジョン万次郎じゃ!」と象二郎が弥太郎に万次郎を紹介したがや!・・・

『お~~!ははあ~!中浜村のジョン万次郎様!』、「わしが通事になって!岩崎様のお役目の助けをやらせてもらいます!」、『何ちゅ~!もったいない!それはもったいない!あ~~!ありがとう御座います!ありがとう御座います~~!』、二人は固く手を握り締めたがじゃ!・・・

一方、高千穂では、龍馬とお龍と幸蔵の3人はひたすら霊峰の頂上に突き刺さる逆鉾を目指しておった、『お龍!大丈夫かえ?』、「大丈夫だす!」と弱弱しく答えた、『それ!掴まりや!』、龍馬は手を差し伸べてお龍を引っ張り挙げた、そこには溶岩魂がむき出しになった岩肌の尾根が連なっていた、そこには冷たい風が吹き荒れ彼等の行く手を邪魔した、『お~~!お~~!お龍!ええ眺めじゃのう!こんな景色は二度と観れんぜよ!この山には伝説があるそうじゃ!』、「伝説!?」・・・

『恐れ多くも!天照大神の御孫、ニニギ尊(みこと)がこの日本国を治めるために霧島に御降臨され、この山の頂に鉾を突き刺されたと言うのう!』、「鉾を!?」、『それが天の逆鉾言うて!今も残っちゅうそうじゃ!わしはこの目でそれを観てみたいがじゃ!』、「参りましょう!」とお龍が龍馬を急かせた!「うちもその逆鉾をはよう観てみとうなりました!」、『そうかえ!ほんなら行こう!幸蔵さん!』、「坂本さあ!逆鉾は先日の大雨で傾いてしまいもんしたもんで!」、『それでもええき!幸蔵さん!急ぎましょう!』、幸蔵は疲れ切って居ったがじゃ!・・・

3人は遂に逆鉾が突き刺さった高千穂の峰の頂上を極めたがじゃ!『これが!天の逆鉾かえ!これをニニギ尊が突き刺されたがか?』、「はい!乱れとった、こん国を自分が治めるっち!決意された証に!」と幸蔵が説明した、『お龍!わしはのう!あの世を観て来たがや!』、「えっ!」、坂本龍馬と言う人間はいっぺん死んで!またこの世に生まれて来たがや!ほんじゃけ!わしはもう何ちゃ!怖いもんは無いぜよ!』・・・

『日本は!こんまい島国ぜよ!ほとんど全てのもんは世界のことりゃ!何ちゃあ分かっちょらん!』すると龍馬は杖をそこに放り投げた、『けんど!時代はもう変わってしもた!今こそ誰かがこの国の行く道を見定め!』龍馬は逆鉾に近づき、鉾の柄に腕を廻し掴んだ!『声に出して伝え!自らが行動し!』龍馬は渾身の力を入れ引き抜きにかかったがじゃ!『え~~い!え~~~い!あ~~~!世を!世を動かしていかんといかんじゃけん!』遂に龍馬の念力が逆鉾を音を立てて動かし!引き抜いてしもうだがじゃ『あ~~!あ~~~!』、「龍馬さん!」・・・

すると龍馬はその天の逆鉾を目より高く持ち上げたがぜよ!『これがわしの決意の証ぜよ!』、『えええ~~~い!』今度は逆鉾を振り下ろし元の穴に突き刺したがじゃ!ザクッ!坂本龍馬は初めて自らが日本を引っ張って行くと宣言したがや!お龍は龍馬の傍に寄り添い、二人は見詰め合い、暫し霧が立ち込める霊峰に立ち尽くしたがや・・・

けんど!龍馬の試練は早速やって来たがぜよ!慶応二年(1866年)六月七日幕府軍が長州の周防(すおう)大島に攻め入ったがじゃ!『よいか!徳川幕府にはフランスが付いておる!薩長ごときが手を組んだところで、我等が負けるはずがないわ!』と慶喜が自信に満ちて気を吐いたがじゃ!・・・

霧島山から下山してきた龍馬が薩摩・小松帯刀邸に駆け込んできた!『西郷さん!西郷さん!ちっくと話がありますき!』、縁側に座り込んだ西郷には反応がなかった、『西郷さん!』龍馬はもう一度呼びかけた!その時、座敷から小松が叫んだ!「闘いが始まってしもうた!」、『どういて!薩摩と長州が手を組んだがは幕府に伝えたはずですろう!』龍馬が小松に噛み付いた!「はっきり伝えもんした!そいでも、幕府は戦を始めたとでごあす!」と西郷が答えた!

『長州は!長州はどうなっちゅう!?』龍馬が訊ねる!「高杉さあが陣頭に立って戦っておられる!」、『そんな!そんなはずはないろう!高杉さんはエゲレスに行っちゅうはずぜよ!』龍馬に信じ難いことだった!「あんお方が戦列を離れる訳にはいかんじゃろう!長州兵4000に対して幕府軍は15万ごあんでなあ!」、『15万!?西郷さん!薩摩は長州に援軍を送ってくれたですろうか?』と龍馬が問うた、小松が即答した「まだごあす!」、『どういて!どういてじゃ!』龍馬がまた噛み付いた!・・・

西郷が答えた「戦になったら長州を助けるとか!?薩摩が兵を出す時は幕府を討つ時でごあす!江戸城を攻め落とすっとじゃ!」、『いかん!それはいかんぜよ!西郷さん!そんなことしたら!日本中が戦場(いくさば)になってしまうがじゃ!』、また小松が口を挟んだ「坂本さあ!長州も我々と同じ考えでごあんぞ!」、『えっ!?』、小松は続けた「木戸さあも、もはや幕府と話し合う積りはなか!」・・・

西郷は龍馬に忠告した「幕府と戦をせんで日本を変えるとは無理じゃっとでごあす!そいがどうして嫌じゃっち言われるとなら!坂本龍馬と言う役者には舞台から降りてもらうしかありもはん!」、龍馬にはそれ以上の言葉が無かったがじゃ!しかし小生が龍馬の立場なら、何故!何故!薩摩が長州に援軍を出さないのか?もっと問い詰めていただろう!・・・

薩摩から龍馬とお龍が亀山社中に戻って来たあとも、龍馬の試練は更に続いたがじゃ!1866年5月2日、ユニオン号に曳航(えいこう)されて、ワイルウェル号は薩摩への航海連習に向かう途中、薩摩・阿久根沖で大嵐に遭遇したがじゃ!五島列島塩合崎沖まで流され沈んでしもたんや!惣之丞と陽之助から悲しい池内蔵太と社中の仲間の死を知らされたがじゃ!『内蔵太!どいてながじゃ!?』お龍は放心状態になっていく龍馬をただ見詰めるだけじゃった・・・

残り少なくなった社中の仲間を前にして龍馬が言った『皆んな!聴いてくれや!わし等は己の志しを貫き通してきたがじゃ!日本を異国の侵略から守るために、この国の仕組みを変えよう言う志しをのう!』、「その通りじゃ!それを貫き通した時こそ!わし等の志しが果たせるがじゃ!わし等は今、薩長を結び付ける処まで来たがじゃき!」惣之丞が同調した!龍馬は続けた『けんど!これからは容易(たや)すうは行かんじゃき!』、「坂本さん!それはどう言う意味ですか?」と陽之助が訊いた・・・

『わし等、亀山社中は長州と共に幕府との戦に加わる!』、「戦(いくさ)!?なんじゃと!」太郎が龍馬に掴みかかった、「待ちや!龍馬!わし等は喧嘩をせんと日本を変えるがではなかったかえ!」惣之丞が割って入った、「そうですたい!」と英四郎も反論した、「志を変えるんですか?坂本さん!」と陽之助が訊いた、『曲げん!決して曲げん!』、「戦に加わるがは曲げたも同じじゃけん!」、そうじゃ!どういてですか!全員が龍馬を批難した・・・

龍馬は叫んで言った!『戦はのう!戦はもう始まってしもたがじゃ!今わし等が!今わし等が立ち上がらんと!この国はのうなってしまうがじゃ!わし等はのう!長州のためでも!薩摩のためでもなく!日本人として!日本人として!この国のために闘うがじゃ!わし等はのう!わし等は舞台から降りる訳にはいかんじゃけん!』龍馬は仲間の目を一人一人覗き込んで行ったがじゃ・・・

長州では幕府軍の進撃が勢いを増しておった!「高杉さん!大島が幕府の手に落ちました!」、『大島は幕府の手に渡してもええ!闘いはこれからじゃ!ゲボッ!ゲボッ!』高杉はまた喀血(かっけつ)した!巨大な岩が転がり始めたがじゃ!その岩の転がって行く先に、何があるがか?「高尾!福永!大島口へ援軍を送れ!今、直ぐじゃ!長州は負けん!」木戸も陣頭指揮をとっておったがじゃ!・・・

誰が勝者となり!?誰が敗者となるがか!?日本と言う国が生き残るがか!?ここで滅びるがか!?この時は誰っちゃ!分からんかったがじゃ!高杉が吼えた!『撃て~~~!ここで長州の強さを見せちゃれ~~~!』、うお~~~!・・・

「はい!お待ちどう様!」、「海!」、お龍も龍馬も居なくなった伏見の寺田屋では笑顔のお登勢が今日も船宿の切り盛りを続けておった!この時、生きちょった多くの人間が当たり前の幸せを願ごうちょった!日本いう国が永遠に続くと、皆んなが願ごうちょったがじゃ・・・

この頃、弥太郎は藩の命を受けて航路、長崎へ向こうておった!『長崎で、早よう!土佐藩の商売を始めるがじゃ!』弥太郎は期待に胸をふくらませておったがじゃ!お元が長崎の岬に一人たたずみ、髪かんざしの中に忍ばせた十字架に手をかざし「神様!池さまの魂をば、どうか!お救い下さいませ!」お元が内蔵太の永遠の御霊の救いを祈っていた・・・

亀山社中の玄関の上がり口に座り、龍馬が新調したブーツを履いていた、ほとんど回復した左手を何度も握り締めながら、これからの決意を新たにしておった!「龍馬さん!」とお龍が声を掛けた、「しっかり、頑張って来ておくれやす!うちの旦那さまは自分が日本を引っ張って行くと霧島のてっぺんで誓こうたんやから!行っておいでやす!」、『お龍!行ってくるき!』・・・

上野彦馬写真館に龍馬が入って来た、『一枚、頼むき!』、「ブーツですなあ!」彦馬は見逃さなかった、『わしが、これから行く道は霧島山より険しい道じゃのう!』と龍馬が呟いた、「はあ!?」、龍馬は風呂敷からピストルを取り出しポーズをとった!『ほんなら、撮ってくれや!』、「チョウ!行きますけん!・・・オイッ!レンズのブラインダーを外した!・・・オイッ!」、龍馬はピストルを持ったまま“完結編!最終章!”の行方を見詰めておったがじゃ!・・・

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スーパー陸上2010 in 川崎  2010年9月19日

2010-09-19 16:38:04 | 日記・エッセイ・コラム

応用情報技術者 速習コース 秋

マッサージオイル

今朝、目覚めると何故か昨夜のNHKラジオ土曜深夜便の奄美祭り“にっぽんの音めぐり~青い海に島唄が響く”からの沖縄と微妙に違う“島唄”の調べと、歌謡スター・思い出のヒット加藤登紀子集からの“百万本のバラ”の名曲が小生の耳から離れていなかった、この百万本のバラが日本のものでなく、ラトビアの原曲を加藤登紀子が1987年に訳詩したものだとは知らなかった・・・

今日、気温28.4℃湿度57.0%、南西の風3.5m、快晴のの等々力(とどろき)陸上競技場で行なわれた“スーパー陸上2010”のTBSの触れ込みは凄かった!その触れ込みは次のようだった!“今、日本の女性はもっと速くなる!日本新記録連発娘・福島千里が世界に挑み、8回目の日本新記録が出るか!?”・・・

“ベルリン世界陸上2009のメダリスト対決、村上幸史vsT・ピトカマキ(フィンランド)が世界記録を超えるか!?”、“世界記録まであと1cm!クロアチアの天才ジャンパーB・ブラシッチ(26歳)が豪語する!『スペシャルな瞬間を見せて上げるわ!』”、北京五輪2008では2位2m05だったが、彼女のベストは2m07らしいが世界記録はコスタディノヴァの2m09(ローマ世界陸上1987)である!どちらかが間違っているのでは!?・・・

ast

“2011年世界陸上テグ大会開幕1年前に日本一が世界とぶつかり合い!新しい記録の誕生が大いに期待出来る!”、広州アジア大会が11月に迫っているにも拘らず、このTBSの触れ込みが崩れていった、“インターハイ3連覇、日本選手権3連覇の寺田明日香(20歳、北海道ハイテクAC)が女子100mHで12秒台を出し金沢イボンヌの日本記録13″00を10年ぶりに破る!”との触れ込みがまず外れた・・・

寺田はカルサーズ(アメリカ)の13″14に次いで、2着13″24と言う平凡なタイムに終わった、こんな世界大会の端境期(はざかいき)に時が熟してない世界のエリートを呼んでも、日本一が発奮して日本記録が出るはずがない!世界との差が開きすぎる日本一だからこの端境期ぐらいが丁度良いと言われてしまえばそれまでだが・・・

この4月29日織田記念国際で100m11″21☆5月3日の静岡国際では200m22″89☆の日本新を出した福島千里には10秒台突入の期待がかかった女子100mだが2着11″48に終わってしまった!あと全種目を追って行きたいところだが、余りにTBSの触れ込みとかけ離れているので今は辞めとこう、もう直ぐ龍馬伝が始まる、これから入浴を済ませ、夕食を食べてから、龍馬伝を観るがじゃけん、スーパー陸上は後日後回しにするがじゃ・・・

プラセンタ

iphoneケース

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