Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

モニプラ企画“あなたの愛する人は誰?” 2008年5月17日

2008-05-17 16:18:27 | 日記・エッセイ・コラム

ここ加古川も少し汗ばむ日もあるが1年で最も快適な新緑真っ只中の清清(すがすが)しく暮らしやすい季節を迎えている、先日サクラの散歩をしていると通りの向こう側を自転車に乗って4~5人の女子高生が何やらキッキャ喋りながらやって来た、耳を澄まして話しの内容を聴いてみると・・・

A:『あれ何?オナラ?』

B:『そうやで』

A:にたにたしながら『キャッ!ごっつい音!!』

どうやら1人の女の子がでッか~~い屁をこいたらしい、涼しい顔して女の子でもやっているんだな、サクラだって時々やるもんな・・・

昨夜サクラの様子が少しおかしいことに気が付いた、小生が寝る前に家内の足元に寝ているサクラを起こして庭を1周しておしっこをさせるが・・・玄関の上がり口に手をかけてなんだか上がるのを躊躇(ちゅうちょ)しているようだった、良く観察するとどうやら右の手首を痛めているようだった、朝は元気よく走って散歩に行ったのだが??・・・今朝はあんなに好きな散歩にも行こうともせず静かにしていた、少し心配だ、はとの里に連れていってレントゲンを撮ってもらう事も考えている・・・

最近editaのりんこさんから殆ど毎日モニプラ企画プロジェクトのお誘いがやってくる、小生このプロジェクト“あなたの愛する人は誰”ではなく“あなたの愛した人は誰”否(いや)“わたしが好きだった人”のテーマで応募することにした、今66歳の小生には特に愛する人はいない、家族以外は・・・

小生が中学2年のとき小生の直ぐ後ろの席に白いリボンとセーラー服の似合うお目目パッチリの“マリちゃん”が髪をいつもおさげに編んで座っていた、毎日毎日気になって気になってどきどき胸をときめかせていた、今思い出してもその時小生がマリちゃんに話し掛けた記憶がない、ただ彼女が小生の直ぐ後ろに座っていることだけが小生にとって大きな意味のある存在であった・・・昨今のマセくれた中学生のように告白するとかお手紙交換とか、増してや、お付き合いするとかはとんでもないことであった・・・そのまま時は過ぎていった・・・

当時神戸に住んでいた小生が23歳のとき久しぶりにJR加古川線にのって帰郷しようとしていた、すると偶然にも直ぐ近くに座っているマリちゃんと再会した、幸いにもマリちゃんも小生のことを覚えてくれていた、お互い言葉を数語掛け合っただけでマリちゃんは小生が下車する厄神駅の1つ手前の神野駅で降りて去っていった・・・

再会したマリちゃんのことが忘れられずに、中学の卒業アルバムを開き住所を調べ年賀状を出したらマリちゃんから返事がきた☆☆加古川市内のとある会社のOLをしていたマリちゃんと文通を続けているうちに、記憶が少し薄れているが初めて加西のフラワーセンターヘデートに出かけた☆☆手をつなぐこともなくただセンター内を二人で歩きまわり写真を撮ったぐいらだった・・・

2~3回ぐらいデートしたあとマリちゃんは小生を家に招き家族に紹介し手料理をご馳走してくれた・・・アッ!マリちゃんはひょっとしたら小生との結婚を考えているのではと!もしそうだとすれば結婚する気もないのにこれ以上・・・恐らく小生の早とちりだったかもしれない、小生当時学校を卒業してとある三宮にある貿易会社に勤めていた、セッセセッセ貯金をして学友3人でいつ帰るとも知れないアメリカへの冒険旅行へ旅立つ計画を立てていた、そのことをすべてマリちゃんに話した・・・

そのことを知った時、マリちゃんは悲しい顔をした・・・それからしばらくして小生はマリちゃんに会うことなく日本を脱出して行った・・・さようなら、マリちゃん・・・一度も手もつなぐことなくキスもすることなく、甘くせつない初恋、青春の1ページが閉じられた・・・約20年後中学の同窓会があった、そこにはマリちゃんの姿はなかった、彼女の女友達にマリちゃんの近況を聞くと、結婚して家族幸せに明石で暮らしているとのことだった・・・

小生、結婚して女の子を授かったらマリちゃんの“真理子”を頂いて命名しようと決めていたが我々には娘が生まれることなかった、小生心の底から真理子を待ち望んでいた、家内に冗談混じりで良く云ったものだ『真理子はまだか、真理子はまだか??』と・・・

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モニプラ“母の日”企画に参加登録したが・・・ 2008年5月13日

2008-05-14 01:19:34 | 日記・エッセイ・コラム

さい帯血「細胞」保管 つくばブレーンズ株式会社

5月11日亡き母の遺影のホコリを拭って夜中0時過ぎテーマ『母の日に寄せて』を書き上げた・・・ふぅ~~、やった☆☆・・・それをアップした・・・あっ!!なんじゃこれ!!・・・ブログ人のログインページが現れた!!・・・折角長々書き上げた母への思いが一瞬のうちに消えうせた・・・ブログ人よ!!小生の記事を返してくれ!!と叫びたかった!!小生の身体から力が抜けて行った・・・

厳しい時代を生き抜き、ほとんど平穏な日々のないまま、孤独な晩年の日々を送った母、あげくの果て特別養護老人ホームで大腿部を骨折入院して以来、脳の血栓が一気に広がり重い痴呆に蝕(むしば)まれ母は阪神淡路大震災の前日に84年の生涯を閉じた・・・

母がまだ元気だった頃よく懇願するように小生に云っていた、『何処でも良いから一泊でも良いから温泉宿に連れて行ってくれないか??』・・・『ああ、ええよ、そのうち行こうな・・・』と言ってその都度小生は口を濁していた・・・何度でも連れて行ってやりたかった、警察官だった父の扶養恩給を母は貰っていた、小生自身経済的にも余裕はあったはず、時間など作ろうと思えば造れたはず・・・ついに一度もその母のつつましい願いを叶えてやることが出来なかった・・・

老いをどう生きるかの年代を迎えた今の小生には老人の気持ちがよく分かるようになった、小生自身もこれからの老後の生活を考えるとき不安を感じるときがある・・・母は時々ぼ~~っと虚(うつ)ろな目をして庭で腰掛けて草むしりをしてくれていた、ある日あまりよく育たなかった西洋芝を母が草と一緒にむしっているのを小生が見てそのことを咎(とが)めてしまったことがある・・・ごめん、そんなものいくらでも抜いてくれてよかったのだ、何故もっと寛容な心が持てなかったのか・・・

母は吸っていなかったタバコをいつしか吸うようになっていた、タバコを吸っているときが母の唯一の至福のときだったのかもしれない・・・小銭入れを持って500mほど離れた自動販売機まで行って買っていたようだ・・・ある日夜遅く、そお~~っと母の後を付いていくと心配そうにモモがお伴をしていた、街灯の下、母は販売機の前で小銭入れから小銭を出そうとあせっていた、モモが母の身体に手を添えて「早く帰ろう」と急(せ)かせているようだった、そのうちモモは母を先導するように家に戻ってきた・・・

6年前15歳で大往生したモモはとても賢い柴犬だった、11~12年前、小生がジョギング中職場のある工業団地の近くの谷川に引っかかっていた生後1ヵ月ぐらい、手のひらに乗るぐいのサクラを拾って帰宅したが、モモは車の中のサクラに直ぐ気が付き優しく寄り添った、それ以来サクラの面倒見のいい良き姉さんと言うより母親代わりをしてくれた・・・

きっとあの世でもモモは母の善きお伴でいてくれているに違いない、モモ、お袋をよろしくねぇ、数年前お袋を慕っていた息子の一人が嫁がいるところで小生に云った『おばあちゃんの遺影を見かけんけどどこにあるん??もししまい込んでいたらおばあちゃんが可哀想や、直ぐ出して部屋に飾っとかなあかんで』と言ってくれたのが嬉しかった・・・嫁が母が使っていたクロゼットの中の母のものをすべて処分した時、小生が母の遺影を小生の書斎の押入れに片付けていた・・・それ以来母の遺影は小生の部屋に飾っている・・・

小生、何か親孝行らしきことを母にしたのだろうか??痴呆は軽かったものの母の同居はいつしか家族の中に冷たい隙間風が吹き込み、特に嫁と息子の一人との関係が険悪になり、家庭の崩壊の危機を感じ、小生は母を市内の特養に入れることになくなく了承した、入所して1年もたたないうちに・・・看護婦長の経験のあった母がそこの介護主任に口答えしてその介護主任と折り合いが悪かったらしい、そのことを嫌っていたのか、小生にはそこの介護婦長の独断だったように思えた、その介護主任の紹介で母はある加西市の特養に移転することになった・・・

小生、一目で察知した、そこはまるで拘置所のような酷(ひど)い処であった、各階は熱い鉄板のドァで仕切られ、徘徊の常習者は包帯でしっかりベッドにくくり付けられていた・・・

帰り際、母は小生に弱弱しく云った『お願いだからこんなところに入れないでおくれ、早く戻ってきて連れ出しておくれ』・・・嫁や妹を無視して1週間後小生の独断で母をそこから連れ出した、そして友達が出来たと喜んでいた元いた特養に戻ることが出来た、そこにはあの介護主任はいなかった、これがたった一つ小生が母に出来た親孝行らしいきことだったのかもしれない・・・記事は失ったが母を偲(しの)んでこれらのことだけは書き記(しる)しておきたかった・・・

ワークホーム高砂で勤めた2年3ヶ月分の小生最後の雇用保険欲しさに4月24日11ヵ月勤めた東光サービスを退職して、ただ今求職活動である真っ最中である、特養など2~3当たったがシフト制をとるところが多く、オペラ公演を8月に迎える土日に練習を持つ小生には厳しく・・・まあ焦らず捜して行くことにしている、ある特養で送迎バスの運転手として7年勤めているという同郷の竹馬の友に会った・・・

やっぱり劉翔が強かった国際グランプリ大阪!!トラックで世界と戦うには日本の陸上陣は日本陸上グランプリに向かってますます励んでもらいたい、為末は欠場したが400mHで成迫が優勝して調子を上げている、きっと欠場した為末も室伏も日本GPに合わせてくるだろう・・・

昨日午後突然世界を揺るがす悲しいニュースが飛びこんできた、中国・四川省を大地震が襲い1万2千人以上もの死者が出たとの大被害を報じている、四川省の大地震が一刻を急ぐ救助・救援活動が待たれる・・・

福田内閣閣議決定して復活暫定税率を含むガソリン税収を今後10年間道路特定財源に当てると言う道路整備費財源特例法に対して、2009年年度には道路特定財源を一般財源化し地方に税収を回すとする改正案が今日衆議議院で可決している、まもなく具体案が検討されて閣議決定して施行されていくいくとのこと???・・・どうなるのだろう??小生にはあまりピンときていない??今後の成り行きを良く監視していくことにする・・・

5月2日死者行方不明者10万人とも報道されるミャンマーを襲った風速60mものサイクロン高潮による莫大な被害へ国際救済援助は急務だがどうなるのだろうか??心配だ!!1990年の総選挙にて民主化運動家・アウンサン・スーチー氏圧勝後、独裁軍事政権は彼女を軟禁して国際社会から孤立してしまった今、頑(かたく)なにサイクロン被害に苦しむ国民を国際援助から切り離している、このままだとマラリア、テング熱、コレラはたまた鳥インフルエンザなど伝染病・感染症や飢餓による2次災害が露頭に迷う被害者達を益々窮地に追い込むことになる・・・そんな中ミャンマー軍事政権は新憲法への“Yes”強要・国民投票を強行する傍若無人に出てる・・・日本を含む国際社会と国連はこのままほっと訳には行かない!!

葬儀費用といえば

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サクラの健診 2008年5月9日 

2008-05-10 01:08:04 | 日記・エッセイ・コラム

今日は朝から薄曇が出て昨日までの夏のような暑さはなく昼間も17℃と気温は上がらず、季節が1ヶ月逆戻りした春先のような冷たい風が吹く1日になった、北海道北部やオホーツク海沿岸では季節外れの名残雪になったらしい、ここ加古川でも明日は朝から大地をたっぷり潤す恵の雨が期待できそうである・・・ヽ(^。^)ノワクワク

それにしても我がブログ人の記事投稿画面の調子が悪く、ここ4~5日いくら叩(たた)けど“ひらがな”は疎(おろ)か英数字まで入力できない日が続いていた!!あげくの果てには切り替えキーまで生(き)かなくなった!!一体全体どないなっとんねん!!前の投稿記事に是非編集して付け足たいことがあった、キーボードとPC本体をばらして大西ジムへ持ち込むことも考えたが・・・まてよ、もう一つ分岐して接続しているPC本体IBM(Windows98)に切り替え起(た)ち上げてブログ人の“オカナガンのブログ”を開いた・・・あった☆☆

無事編集を終えるとデスクトップにInternet Explorer 7.0への更新を促すウインドウが開いた・・・そうだ☆☆ここんとこIEの更新をしてないことに気づいた☆☆ついでにMicrosoftのUpdateもやってしまおう☆☆そうすれば全てこの問題は解決するので☆☆一筋の光明(こうみょう)が見えてきた☆☆早速HP(ヒューレット・パッカード)のWindows XPに戻った、まずは先ほどの編集の出来具合が完璧であることをブログ確認した・・・

上の2つのダウンロード→インストール→再起動を済ませて期待に胸膨らませてブログ人を起ち上げた、記事作成画面に入力してみた・・・まず英数字を打った、出た☆☆次に切り替えキーでひらがなに切り替えて打った、ひらかなも出た☆☆ブログ人を何回も終了起動を繰り返して打って見た、全て入力できた☆☆本当にこれで問題は解決したのだろうか??これまでの経緯(けいい)から行くとまだまだ油断は出来ないが・・・

昨日5月8日狂犬病予防注射を兼ねて血液検査による(フェラリア健診も含む)健康診断のためサクラを行きつけの動物病院“はとの里”へ連れて行った、少し早めに行って4時から始まる午後の部一番を獲得した、駐車場には小生が62歳まで勤めたSysmexの営業車が一台泊っていた、ならば血球計数機はSysmexのを入れていることになる、さすが~~、はとの里の医院長生田氏の目の着けどころは良い(笑)・・・

やがて2つある診察室の1つに呼び入れられた、昨年と同じ若いメガネの女医さんがいた、体重は昨年よりも減量していて11kgほどだった、体温も異常なかった、しこたま血を抜かれた、ついでに伸びた爪も切ってもらった、しばらく待合所で他の犬や猫の仲間達と賢く待っていると血液検査の結果が出て同じ診察室に入って同じ女医さんから結果を聞いた・・・

パネルにはサクラの綺麗な赤血球のカラー拡大写真が見られた、ミクロフェラリア検査結果は(-)マイナスで異状はなかった、他の検査項目も尿素窒素値(腎疾患の指標となる)が本の僅か基準値より高かったものの心配なくすべて異状はなく、12歳になるサクラの健康値は上々であった☆☆よかった、よかった☆☆今年もフェラリアの薬を8回分もらって病院を後にしサクラは家路へとドライブを楽しんだ・・・

去る5月5日子供の日にオペラ“カヴァレリア・ルスティカーナ”追加練習が市役所の近くセンタービル(旧ローヤルビル、通信制高校“相生学院高校”の学び舎になっている)の最上階6階にある“ミュージック・スペイス”であった、午前中にもあったが小生は午後のセッションに参加した、トップテナーは小生一人でセカンドテナーが2人、バスが一人とアルトが一人、ソプラノが一人全部で6名の合唱メンバーが集まった、田代代表と副代表・我等氷丘南混声の指導者でもある敬子先生とそして西谷ソリストの音頭とピアノ伴奏でシチリアーナからシェーナと祈りまで2時間みっちり唄いこんだ・・・

皆さんは雇用保険受給は退職日から7日後から受給手続きを始めるとその1週間後の指定の受給審査日に必要な書類(受給資格者のしおりと共に退職証明書、失業認定申告書、写真2枚)を提出して審査を受ければ雇用保険給付金振り込み手続きが完了してしまうことをご存知でしょうか??

小生、昨年の6月4日にワークホーム高砂を退職して50日分の雇用保険受給資格を頂いたが直ぐ職探しに走り、次ぎの職場、神戸屋パンの子会社・東光サービスに就職を決めてしまい同じ月の6月16日から働き始めてしまった、いくら働いても雇用保険は外されてしまう65歳直前のことであった、故に雇用保険は入れなかった・・・

小生、前職でもらった50日分の雇用保険給付金受給資格は1年間有効で一年以内に受給手続きすればもらえるものだと誤解していた、確かに受給資格は1年間有効だが、その場合、受給手続きは50日を残して全て終わっていなければならない!!小生、今回11ヶ月手前で辞め5月7日(審査認定日)に一括振込み手続きを終了したものの有効日数29日しか残っておらず、21日分もらい損ねたことと相成った!!残念!!

64歳までの労働者の諸君!!小生声を大にして言う、雇用保険支給金は次ぎの職を捜す“までに”一気に振り込み手続きまでを済してしまうことである!!その間僅か2週間強ほどで済んでしまうことである!!それから次ぎの求職活動を始めても遅くない!!いくら鬼嫁がせきたてても決してあせることはない!!少なくても2週間はゆっくりすればいい!!

今我が家の庭に出ると柑橘類の花盛りで、芳(かぐわ)しい花の香りが庭中にぷんぷん漂っている、また4年前ダイキの園芸コーナーで買ってきて裏庭に植えた3年ものピオーネの苗が今では幹は太く成長し枝達はぶどう棚をビッシリ埋め尽くし今年始めて沢山の花芽をつけ房のかたちがハッキリして来た☆☆秋の収穫が楽しみである☆☆(^^♪

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ゴールデンウイーク真っ只中 2008年5月4日

2008-05-05 01:17:58 | 日記・エッセイ・コラム

糖尿病なら

ここ2~3日ここ加古川も明らかに30℃前後と思われる夏日が続いている、4月上旬の植え替え後は生き生きしていた小梅と金柑の成木がここに来て元気がないのが気がかりだ、行きかう自転車通学の男女学生たちも冬服で熱そうで気の毒である、この温暖化の昨今学校でも職場でも夏服への衣替えを6月から5月へ1ヶ月早くしてはいかがであろうか・・・

今ブルーベリーの白い花が大きく膨らみ、中には花がちり落ちしっかりした実をつけ始めたものもある、花が咲いてもそれらがベルの形にしっかり成長し自然に剥(は)がれていかないと必ずしも結実することには繋がらない、小生の永いブルーベリー栽培経験からブルーベリーの大敵はナメクジ、だんご虫とみの虫である、油断しているとそれら害虫に食われいつの間にか花はしおれ枯れてしまっている、小生毎年この3つの害虫駆除に努めてきた結果、その3つの害虫は我が庭から激減しほとんどいなくなった☆☆今でも時々見かけるが直ぐ捕獲して駆除するようにしている・・・

夕食後先ほどまでパジャマの上を脱ぎ捨てて、サクラもお供して、Tシャツ1枚で庭に出ていたが気持ちいい夜風が肌をなでる、普段はし~~~んとしている向う三軒両隣から賑やかな宴(うたげ)の語らいと笑い声が聞こえてくる・・・嫁(とつ)いだ娘さんが家族を連れて里帰りしている、親戚家族が遊びに来ている・・・行楽の混雑を避けたのだろうか、それともガソリン暫定税率復活など厳しい経済的理由で遠出を控えたのだろうか・・・

20年前ある園芸店で100円で買ってきた10cmほどの椿の苗木が大きく成長し、今年は特に見事な花を一杯咲かせた、深い緑の葉っぱに映えて真紅の花びらが柳のように垂れて咲き誇っている、小生この椿を“しだれ椿”命名している(笑い)

今朝の氷丘南混声コーラスの練習は加古川市役所直ぐ近くの松風ギャラリーで行われた、瀬戸内寂聴訳詩による組曲“ある真夜中に”から第1曲目の『愛から悩みが生まれ』の音取りが終わった、次回から唄い込みにかかる・・・

正午頃練習が終わり徒歩の帰路に着くと踊っこ祭りの音楽が聞こえてきた、市役所前の市民広場に来ると、一昨日5月2日(金)夜から始まっている第10回加古川踊っこまつりの本部競演場になっている広い特設ステージ上には、夏を思わせるようなギラギラの太陽の下、まさに“風舞輝(ふぶき)”の踊っこたちの若いエネルギーが軽快なリズムに乗ってはじけ飛んでいた、舞台後方で大小の隊旗が激しく揺らいでいた☆☆加古川地元BAN-BANテレビのクレーンカメラ1台と移動カメラ数台が若者達の躍動を追って捕らえていく☆☆

加古川、高砂、稲美町、播磨町、小野、三木の地元チームのほか兵庫県各地からまた四国、岡山、大阪、など他府県からの参加もあり、踊っこ部門チーム、自由エントリー部門チーム過去最高延べ151チーム混ざり合っての、1999年(平成11年)から始まった踊りの祭典である、男女2名のMCが次から次とチームを舞台に呼び上げ少しインタビューしてプログラムを進行して行く・・・

掛け声もバラエティに富んでいる『スイ!!スイ!!どっこいさ、よいやさ、えいやさ!!』『ソイ!!ソイ!!ヤッサイ、ヤサカ~!!』『ソレソレ~ソレソレ~!!やっちょれ、やっちょれ!!』・・・振り付けも中にはプロ顔負けの素晴らしいアクロバテックで芸術的な表現があり小生に感動を与えた☆☆審査の対象になる衣装のデザインと色も各チームの特徴が出ていて鮮やかだった、“でたとこ笑舞”のように早代わりするものもあった、迷彩服ふう衣装の“ベルデCrew” ラップダンスチームもいた、顔のメークも各チームそれぞれ凝っていた・・・

多くのチームがそのチーム名入りの独自のテーマ曲を携えて参加しているのが目だった、“男気女姫(ときめき)うらら隊”などは加古川踊っこ出身演歌歌手“春川うらら”の生歌で「平成加古川音頭」を踊った、中には中年の男女も混ざったチーム、愛らしい幼い子供達も加わって観衆の注目を浴びていた・・・1時間30分も引き込まれていた、観ていたら切がない、10分の休憩に入ったところで家路に向かった、会場広場には所狭しと露店などのテントが軒を連ねていた、AquaClaraのテントで立ち止まりカップにRO水3倍頂き渇いたのどを潤した、うまい!!・・・

昨日5月3日午後13:15から16:45まで文化センターでマスカーニ作曲オペラ“カヴァレリア・ルスティカーナ”の本格的な音取りが男女パートごとに別室に分かれて行われた、最後の30分は男女合同でこのオペラの合唱部分のハイライトである“シェーナと祈り”を合わせた・・・

昨日の陸上・静岡国際では大阪世界陸上では実力を出せずに終わった男子400m金丸祐三(法大)が調子を上げてきて北京五輪参加標準記録A、45″55を大きく越えて日本歴代5位の記録45″21で優勝している、自己ベストを2年ぶりに更新し、身体能力にも内面的にも成長が観られ金丸の新時代の到来を予感させる・・・これで彼自身、高野進(現日本陸連強化委員長)が17年前に樹立した日本記録44″78を越える自身を深めたに違いない、金丸選手を見るたび品川庄司の品川の顔がちらつくのは小生だけだろうか・・・

また女子400mでも丹野麻美(23歳、福島大→ナチュリル)が自身が持つ日本記録を0″05更新して51″75で2位に入っている、4月29日の織田記念陸上での100mH優勝に続き静岡国際でも池田久美子(スズキ)が6m51を跳んで優勝し北京での今後の活躍に期待がかかる・・・

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ガソリン税の暫定税率復活再可決 2008年4月30日

2008-05-01 01:10:57 | 日記・エッセイ・コラム

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『この食事に逢えて健康ライフをゲッツ☆☆』  

…………………………………………………………

小生のDS HPで~す: http://magical-fun.net/okanagsakebi/

オカナガン製品体験発表HPで~す: 

http://members.at.infoseek.co.jp/puttim/kmnew/okanagaNewtaiken.htm

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

4月15日“高齢者いじめ”後期高齢者医療制度が告示され年金天引きが始まった、4月27日ガソリン税暫定税率分と道路特定財源の一般財源化を押し通そうとする“独裁政治”福田自民党政権に“No!!”を付けつけた民意が繁栄して、保守王国・山口2区衆院補選にて民主党候補・平岡秀夫氏が自民公明与党候補を大差で破り勝利した・・・

小生今日の午後、民主と他の野党の強い抵抗と福田自民の造反組にかすかな期待をかけていつものJAジョモでリッター119円(普段は124円だが0の付く日は5円引き)でガソリン満タンにした、案の定、今日午後の衆院本会議で与党の3分の2以上の多数で、ガソリン税暫定税率復活などを含む3案一括法案 1)地方税法等の一部を改正する法律案 2)地方法人特別税等に関する暫定措置法案 3)地方交付税法等の一部を改正する法律案 がすんな~り再可決し成立した・・・

これで5月1日よりガソリン税は1リットル当たり25.1円の暫定税率が付きガソリン税は又2倍に復活することになる、この所の原油市場の原油価格高騰(今や1バレル当たり100ドルを遥かに越え117ドル台に入っている)に伴いレギュラーガソリン店頭価格は5月中に160円台に突入するとのことである、製油所から出荷されるとき課税される“蔵出し税”が安い4月中に仕入れた安いガソリンが枯渇してからのことであるが・・・もし大量に安いガソリンを買えなかった“ぎりぎり”でやっているガソリンスタンドが客離れで潰れたら福田さん貴方がその責任を取ってもらいたい(~o~)

ところで2月29日衆院で可決され参院に回された上記の3案は参院では審議議決されなかった、なぜなぜ???参院に送付されてから60日経過する今日4月30日に参議院で否決されたとする“みなし否決”(1952年の国立病院特別会計所属資産譲渡措置法以来の2例目)と見なされ衆議議院で投票にかけられ再可決され議決してしまっている・・・

民主と他の野党はただ国会内で国会対策委員長会議を開き、河野洋平衆議院議長に“再可決は民意を無視するものだ!!”と道路特定財源制度のみ直しと白紙に戻し本会議の開会しないことを要請し本会議欠席・退席して抗議したに過ぎなかった、テレビ討論以外もう少し衆参本会議で強く発言し審議してもらいたかった、それ以外道はなかったのか??小生それが惜しまれる・・・

自民公明与党は83兆円の一般会計なり、それに比べて4.4倍もの368兆円のあの特別会計のそれぞれの歳出のどこにどれだけ必要でどれだけ足りないのか国民に説明する義務があると思うのは小生だけだろうか???次回総選挙があれば小生は絶対自民公明には入れない!!是非民主党政権成立に託して見たい・・・

それにしても今日は暑かった、ここ加古川では26℃と早くも夏日となった半袖で一日ブルーベリー3本12号ポットに植え替えしたあと、スモモ/レッドロビン/山桃/マサキの若枝狩りを終え精根尽き果てた、日本海に近い豊岡では日本海に発達した低気圧に太平洋側から湿った生暖かい空気が入り込む“フェーン現象”があり真夏の30℃を記録している!!

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