Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第30話“中国大返し~後編!” 2014年7月28日

2014-07-28 10:35:18 | 日記・エッセイ・コラム

今夜は実に清々しくて気分も晴れ晴れだ!今日は昨夜から扇風機も要らないくらい気温も下がり湿度もカラッと爽やかだ!?今朝の最低気温は23℃と涼しくて久しぶりに寝苦しい熱帯夜から解放された!また、何と言っても昨年4月6日の出場選手登録抹消以来、不調が続き2軍と1軍を行き来していた福井優也が久しぶりに今夜ズムスタでの阪神13回戦に復帰して、広島が6-1で阪神に勝利した!何と福井は今シーズン初勝利を6奪三振1失点の先発完投で飾った!明日29日から中日を迎え3連戦が戦われる、福井よ!広島カープの救世主となってくれ!でも、あまり無理はするな・・・

6月9日早朝、秀吉率いる2万の軍は姫路を出陣し一路京を目指した!一方光秀は懸命に味方を募り四苦八苦していた!京南の八幡・洞ケ峠(ほらがとおげ)に陣を張り大和の大名・筒井順慶との合流を待った、順慶だけはと当てにしていたが、どっちに就くか日和見されて、挙句の果てには、現われず中立を決め込まれた!この様なすっぽかしを、“洞ヶ峠を決め込まれる”という伝説となって後世に残された!・・・

また大坂の織田信孝と丹羽長秀勢は兵が浮き足立ち志気は上がらず?備中の羽柴勢と、越中の柴田勝家はそれぞれ毛利、上杉とにらみ合っている?と愚かにも、そんな空情報をうのみにした斎藤利三が余裕をかましていた!そこに秀吉よりの使者が参った、その使者、九郎右衛門が羽柴筑前守から預かった趣(おもむき)を伝えた、“当方、今夜中には兵庫へ入り、数日中には京に上りますゆえ正々堂々と雌雄を決っしたい!”と澄まし顔で伝言した!・・・

突如、お伴の者二人が一文字三ツ星の毛利の軍旗を広げた!すかさず、九郎右衛門は「毛利は我等と和議を結んだ味方で御座います!」と付け加えた、明智勢はぐのねも言われぬ、いかれこれであった!官兵衛の思惑通り、明智の志気はグ~~~んとではなく!一気にド~~~んと下がったわ!「相分かった!承知したと筑前殿に伝えよ!」、はぁ!摂津に入るには遅すぎる!こうして本能寺から八日も経たぬうちに、光秀は摂津を奪われた!「やりよったな、官兵衛!」・・・

官兵衛もまた待っていた、勝敗の鍵を握る摂津の大名衆を尼崎・栖賢寺(せいけんじ)で摂津高槻の高山右近を待っていた、『お待ち申しておりました、右近殿!』、「お久ぶりで御座います、官兵衛殿!有岡城でお会いしてから6年が経ちましたか?」、『遠い昔のようでございます!』、「しかし遥か備中よりこのように早くお戻りとは驚き入りました!これで我ら摂津衆も皆、心を決めました!主君を討った明智光秀の行いはデウスの御心に背くもの!断じて許されませぬ!」、『さあ、殿が中でお待ちです!』、寺の中には摂津茨木の中川清秀も、摂津兵庫の池田恒興(つねおき)も揃っていた!・・・

「皆の者、この秀吉のもとに良くぞ、はせ参じて下さった、かたじけのう御座る!此度は上様の弔い合戦じゃ!」、やおら秀吉は脇差を抜いて自らズバッと斬髪した!あっぱれなご覚悟!「中川殿、池田殿、高山殿、この秀吉とともに、上様の敵討ってくださいますな?」、無論に御座います!なんなりとお申し付けください!羽柴様のお下知(げち、命令)、全て従いまする!「頼もしい限りじゃ!この羽柴筑前守秀吉、この命に代えても必ずや宿敵・明智光秀を討ち果たす!」、はあ~~~!・・・

「摂津衆が我等に就いた今、この戦は勝ったな、官兵衛!」、『油断は禁物、最後のの一手、肝心の駒が手に入っておりませぬ!』、「三男、信孝様じゃな?」、『はい、上様の御子息が加われば我等は真の義軍となりまする!』、「じゃが、信孝様はこのわしを嫌っておる、果たして我等に加わるかどうか?」・・・やることが早い!信長の三男・織田信孝の大坂本陣に、官兵衛が訪ねておった、『亡き上様の弔い合戦に御座います、なにとぞ、信孝様の御出馬を!』と、丹羽長秀に願い出た、それは承知しておる!・・・

されど上様が亡くなったと知るや否や、逃げ出すものが相次いでのう!筑前の2万に遠く及ばぬとなると、数の少ない我等が筑前の指図を仰ぐことになる!『それが嫌で信孝様は出陣を拒んでおられるわけですなあ?何と愚かな!よおくお考え下さい!このまま羽柴様が明智を討ち果たすのを手をこまねいて観ていれば、お二人とも、世の笑いものですぞ!どちらが総大将かなぞ、如何でもよろしいこと!上様の仇討に実の子や、最も古参の宿老が変わらずして何とされます!明後日には明智との決戦となりましょう!何卒、遅ればせぬよお!』・・・

越前・北庄城では柴田勝家が上杉景勝を牽制しておった、越中の佐々成政様、加賀の佐々間信盛様、能登の前田利家様、いずれも守りを固め、上杉一兵たりとも通すことはありませぬ!「仕度は整った!これより京へ上り、にっくき明智光秀を討つ!出陣じゃ~~!」おお~~!しかし勝家の出陣は遅すぎた!京へ上る途上で合戦は終わった!・・・

六月十三日、秀吉は摂津・富田(とんだ)に本陣を構えておった、雨の中、待てど現われぬ誰やを待っていた、『殿、少し落ち着かれては?』、「官兵衛、これが落ち着いていられるか!すでに右近も、清秀も、山崎で光秀と睨みあっとる!もう始めて良かろう?」、『なりませぬ!ここで焦っては、これまでの苦労が水の泡!』、そこに、申し上げます!織田信孝様、丹羽長秀様、ご到着で御座います!「来たか!」・・・

「信孝様、よお、お越しくださいました!」、待たせたな、筑前!このわしが来たからには、明智に勝ち目は無い!このわしが成敗いたす!「頼もしいお言葉!この秀吉、信孝様がおらねば何一つ出来ませぬ!何卒、信孝様の手で上様の無念!晴らして頂きたく存じます!」、任せておけ!父上と兄上の敵、明智の首は必ず獲る!「はぁ!」、その時雨が上がり後光のように日が差し込んで来た!「お~~!天も我等の味方じゃ~~!皆の衆!いざ出陣じゃ~~!」、おお~~~!・・・

6月13日午後4時、山崎の円明寺川(現・小泉川)を挟んで両軍は激突した!世にゆう天下分け目の天王山の戦いである!羽柴軍4万、明智軍1万3千!既に勝敗は見えていた!僅か数時間で秀吉軍が勝利した!松田正親様、伊勢貞興様がお討ち死に!ごめん!光秀の右腕・斎藤利三の討ち死にを知らされ光秀は意気消沈した!殿!もはや、ここまで来ると、急ぎ坂本城へ引き返し、立て直しましょうぞ!殿、ご決断を!殿!・・・

光秀は家臣らに抱えられるようにして、坂本城への道を急いだ!「この国のためにしてきたことは間違いだったのか?」、何をおっしゃる、断じてその様なことはありませぬ!「そうか、わしは間違っておらぬか!?」、しかし、直ぐそこには追手が迫っていた!秀光は茂みに隠れていた追手に敢え無く、ブスッ!竹槍で刺されてブスッ!ブスッ!串刺し状態で息絶えた!天正十年六月十三日、本能寺の変から僅か11日後の事であった!(秀吉の本陣が置かれた宝積寺(ほうしゃくじ)にはこの戦に勝利した際に建てられた三重塔が今も残されている!この合戦ののち、秀吉は大坂城へ移るまでの1年間ここ山崎城に居城を構え、天下取りの足掛かりにした!)・・・

それから間もなく、明智方に乗っ取られ荒れ果てた長浜城に秀吉達が凱旋した、ひどい有様じゃ!急ぎ修繕にかかります!お前様!お前様!近くの民家に隠れていたおねが年寄り侍女たちを引き連れて戻って来た、「おね!おね!無事であったか?」、二人は強く抱き合い、熱い接吻を重ねた!皆が観ておるではありませんか!「かまわん!かまわん!」、お方様!御無事で何よりでございます!皆、大儀であった!官兵衛殿!此度は官兵衛殿の策がことごとく当たったとか!官兵衛殿のお蔭で勝ったようなものです!私からも礼を言います!・・・

『いいえ、とんでもない、殿!いよいよ天下が見えてまいりましたぞ!』、「天下?」、そうじゃ!上様の後を継ぐは、明智を討った殿しか居らぬ!と小六が、そうじゃ、兄じゃが天下人じゃ!と羽柴小一郎が言った、そうだ!そうだ!そうだ!『亡き半兵衛様もそれを望んでおられました!この官兵衛も!殿の天下を待ち望んでおりまする!』、お前様!「このわしが!天下人じゃと!?」・・・この様にして山崎の合戦に勝利した秀吉と官兵衛は信長の死を乗り越えて天下統一の道を開いた!・・・

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軍師官兵衛、第30話“中国大返し~前編!” 2014年7月27日

2014-07-27 16:10:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、スッカリ日課になった夕食後のウオーキングに出た、8月3日日曜日夜7時30分から一級河川・加古川は水管橋下の河川敷で5000発もの花火が打ち上げられる、加古川市民の風物詩“第43回加古川夏まつり花火大会”を控えて、今加古川のあちこちの町内では、明るいボンボリと賑やかな人の声と拡声器の音楽が流れて夏祭りの花盛りとなっている☆グリーンシティでも、良野でも、北在家でも大いに盛り上がっていた!昼間26日と27日には加古川大堰のレガッタ・コースでは“21回加古川市民レガッタ”が開催されている!・・・

小門口の辺りまで帰ってくると、ニッケパークタウンの会場から、はけた市民の大群がドオ~~~と寺家町商店街へ流れ込んで来た!露店も並んだ寺家町商店街は人の波で溢れた!JR加古川駅へ通ずるベルデモールに出ると、車の交通は遮断されて更に多くの人出でごった返していた!?乗りの良いヒップホップ、レゲーのダンス音楽が響いてきた!少し駅の方へ行くと大型トラックの横に大きなステージが設置され、そのフロアでは、ブレイク・ダンスのパフォーマンスの真っ最中だった!男女混合、男子のみ、女子のみ、キッズ混合などのグループがひっかえとっかえして踊って行った!全54のチームが踊り終えた、カメラを忘れたのが残念 ! 9時8分に終了し帰路についた!素晴らしいショーだった!満足満足・・・

信長を討ち果たした光秀は安土城に入り天下取りに名乗りを挙げていた!一方、「これより京に上り、謀反人・光秀を討つ!我等が織田信長様の敵を討つのじゃ!」、毛利と和議を結んだ秀吉軍は6月6日午後、備中を出発して7日間!激動の中国大返しが始まった!備前・亀山の沼城に先回りしていた九郎右衛門が指揮を執り、7日の夜、中国大返しの先陣・秀吉一行を迎え振舞った、握り飯に着けて食べる味噌も用意していた!生きの良い交代の馬も用意していた!直ぐ出発して夜道を急ぐため山道を照らす無数の松明も立てていた!・・・

6日に出発して80kmの道のりを秀吉軍は1日で走破して職隆と光らが待つ姫路の城に天正十年(1582)6月8日朝に到着した!『兵庫の助、馬に水を与えよ!』、長政も途中休息所を設けて黒田軍を援護した!姫路から駆け付けた又兵衛も官兵衛に合流した!しんがりを務める官兵衛率いる黒田軍もその日に姫路に入って秀吉軍に合流した、その日は全員の志気を保つため姫路城内で休息して9日との朝、出発することとなった!秀吉は援軍を募る手紙を書きつづり畿内の武将たちへ送ることにした!・・・

秀吉は倉守りの佐吉こと三成に命令した!軍資金、金800枚、銀750貫目を一文残らず、また手持ちの米8万5千石も兵たちに配ってしまえ!なんと太っ腹なことぞ・・・勇ましく跳ねっ返りの小六の娘・お糸に長政と又兵衛が出会った、あの“御馳走さま”の希子だった!まだ官兵衛は次男の熊の助にあおうとしなかった?そのうち、評定(会議)が始まった、『9日の朝に姫路を出立して一気に兵庫まで兵を進め、明智が行く前に、摂津の大名をこちらへ呼び込みましょう!更に明智を揺さぶり、数日中に京に上ると光秀に知らしめるのです、此度の戦は上様の“ともらい”であるため!つまり義は我等に御座います!』・・・

『我等が義をもって攻め上れば敵・味方を問わず、堂々と胸が張れます!味方の士気は上がり、敵の志気は一層下がりまする!』、「分かった!早速、明智に伝えおこう、大役じゃが使者は誰に致す?」、井上九郎右衛門に決まった!お任せを!そこへある僧侶が入って来た言った、明日発たれるは出でて二度と帰れぬ悪日に御座いますれば!秀吉はそれを笑い飛ばした!「それは吉報じゃ!我等、上様のために死ぬ覚悟!生きてこの地に戻ってこようとは思っておらん!故に明日はまたとない吉日じゃ!」・・・

『あれは狂言ですな?』、「志気が下がる様な、あらぬ噂は打ち砕くのが一番!これで士気も上がっただろう!?」、『大いに高まりました!明日は全軍火の玉となっての出陣となりましょう!』、「官兵衛、光殿におうたか?」、『何を急に?』、「おうておらんのか?官兵衛は固いのう!」、はたと身内のことに気づいた官兵衛は父上・職隆に礼を言いに行った、いよいよ明日は出陣じゃのう、それなのに何故、光を避けておる?同じ城に居りながら逢わぬつもりか?意地をはるな!官兵衛!襖の向こうに光が待機しておった!・・・

『ここは屋敷では御座いませぬ!生きて帰られぬともしれない大戦の前に、わたくしはともかく、この子にだけはお会い頂きとお御座います、熊の助で御座います!』、すくっと官兵衛は立ち上がり襖を開けようとするが出来ず座り込んだ、職隆が善助を促した、はあっ!善助は裏へまわって熊の助を抱いて兵衛の前に現れた、殿!善助は熊の助を差し出した、官兵衛はシカっと熊の助を我が手で抱いた!思わず笑みがこぼれ『熊の助!』と呼んで頬を寄せた、襖の向こうの光に言った、「光、わしが間違っていた、秀吉様は生きてこの地に戻らぬと仰せられたが、わしは勝って必ず戻ってくる!この子のためにも!」、『はい、お待ちいたしております!』と二人は暫しの別れを告げた!・・・

その頃、光秀は京・下鳥羽の陣所で、公家衆の挨拶を受けていた、この度は次期将軍様の御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります~~!「ははは~~、じゃれ事を!それがし、将軍になる積りなどありませぬ!」、否、天下を治めることが出来るのは明智様を置いて他に居られません!「本日は宮中に銀500枚を献上致します!」、銀500?さすがは明智様!帝(みかど)もさぞ喜ばれますやろう!「洛中楽愛?の寺社にご寄進を致し、都の民たちの税は無いものといたします!」、みんなが喜ぶ!良き世の中になりますな!「さよう!信長の世が終わり、この国がより一層豊かな国となりまする!」・・・

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大暑を迎え病院巡りの日々! 2014年7月24日

2014-07-24 11:12:40 | 日記・エッセイ・コラム

“ほんまに暑うて暑うてどんならんわ!”と思わず口走ってしまう日々を迎えて、読者の皆さんはいかがお暮らしですか?先週の日曜日の20日に、神戸のスケートボード場に行っていた次男が左鎖骨を板張りの床に強打して帰ってきた、激痛が走りどうやら骨折しいるようだったので、野口町の日曜当直外科に連れて行った、レントゲン検査してもらうと案の定、鎖骨は見事に折れていた!神野・山手の甲南病院に紹介状を書いてもらい入院の運びとなった、あいにく翌日月曜日は祝日“海の日”で火曜日22日の入院となった!その日は三角巾止めして、痛み止めと胃薬を貰って帰った!やれやれ・・・

昨日22日(火)は朝8時過ぎに次男は家内と一緒に先にタクシーで甲南加古川病院行ってもらい検査を受けてた、その間、小生はサクラの介護にあたった、精密検査の結果、左鎖骨は複雑骨折していることが判明した、次男はそのまま入院し、23日水曜日午前11時の手術が決まったと家内より電話があった、その夕方5時頃、サクラを家において甲南病院に家内を迎えに行って、次男の病室に寄ってしばらく言葉を交わして帰宅した!・・・

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よって23日水曜日は朝から病院巡りの1日となった、朝9時に鳩の里動物病院に回って、サクラをディケアのために預けたあと、家内を甲南病院に送って行った、そして、小生は10時に予約済みの、2か月に1回の定期健診のため加古川医療センターへ廻った!何時もの様に悪性腫瘍得意物質PSA検査のための採血と、尿沈渣のための採尿をした、その結果が出るまで90分の間、人通りが少ないアンジオ室の前に行ってストレッチしたあと、健康教室で栄養管理士と15分ほど雑談して時間をつぶした、そのあと、ブロックD-2で主治医の診察を受けた!・・・

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5月21日の検査結果に比べれば0.098から少し上がって0.130ng/mlになっていた、ビィアン・モールで、本日のおすすめメニューのBランチ“鯖の味噌煮620円”を頂いた後、手術中の次男と家内が付き添う甲南病院へ回った、家内は食堂と表示してある待合室に居た、2時20分頃だっただろうか?ナースがやってきて手術が無事終わったと知らせてくれた、そのあと若い執刀医がやってきて、レントゲン写真を2枚見せてくれながら懇切丁寧に手術の経過を説明してくれた!・・・

それによると、次男の左鎖骨は複雑骨折していて、すべての折れた骨を元の位置に鋲で繋ぎとめられていた、これから2週間は絶対安静となって三角巾で固定される、鎖骨が全体的に再生されるまで1か月ぐらいかかるだろうとの事だった!手術後、ビカーボンの点滴を受け、いろんなモニター機器をかまされて次男はICU(Intencive Care Unit、集中治療室)と呼ばれるリカバリー・ルームのベッドに寝かされていた、足元には排尿用の袋と足のマッサージ器まで装着されていた!・・・

次男の他に3人の患者がすでに手術を受け、手厚い看護を受けていた!次男の担当のナースの心温まる看護を観ていると、先ほどまで待合室で読んでいた世界の伝記“ナイチンゲール”の続きを読みたく待合室に行って取ってきた、そのICUルームに入るには手の消毒とマスクが必要である!小生、献身的に患者に心傾けるナース全ての存在が天使のように見えてきた、次第にフローレンス・ナイチンゲール(1820年5月20日~1910年8月31日享年90歳)の伝記に集中して行き、のめり込んでいった、次男の事も忘れて、その1冊を読破した!・・・

ナイチンゲールはイギリスの大地主である貴族の家庭に生まれ、何不自由なく育った、その頃、上流階級の家で生まれた女の子は何も苦労するすることなく大人になって、良家の男性と結婚するのが常であった、ましてや看護婦の様な労力を費やす職業に就くことはもっての外であるとされていた!しかしナイチンゲールは違った!男爵であるシドニー・ハーバート(1810~1861年)植民地大臣や、マサチューセッツのアメリカ人社会事業家のエリアス・ハウ(1819~1867年)博士にナースの道を勧めら!31歳の時にドイツのカイゼルスベルト病院で勉強を始めた!・・・

33歳の時、ロンドンの慈善病院に務め始め、総婦長になるまで勤め上げた!1853年、トルコ・オスマン帝国、ナポレオン3世フラン帝国、大英帝国、イタリア・サルデーニャ王国と、ロシア帝国、ブルガリア義勇兵との間に、クリミア半島、バルカン半島、黒海、バルト海に渡った3年間にも及ぶ、兵士の40%が戦死すると言う悲惨な大戦争が続いた!1854年、38人のナースを連れナイチンゲールが戦場に入ると死亡率が2%に激減した!これがナイチンゲールが“クリミアの天使”と呼ばれた由縁である!・・・

1859年のイタリア統一戦争の“ソリフェリーノの丘”の悲しい戦場にも出向き、多くの戦傷者の命を救った!彼女が40歳になる1860年には聖トーマス病院内に“ナイチンゲール看護学校”が多くの寄付金によって設立された!1864年にはスイス人のアンリー・デュナン(1828~1910年)が運動に立ち上がり、敵・味方を差別することなく、全ての人々を平等に愛する人道と博愛の精神を持つナイチンゲールをモデルにして、12か国が加盟して“国際赤十字社”がジュネーブに設立された!1883年には彼女の働きを敬意を払って、ビクトリア女王からロイヤル赤十字社の記章が贈呈されている!・・・

実に神の愛と御加護のもとに成し遂げられた数知れぬナイチンゲールの博愛精神に満ちた世界貢献は、これからもどれ位多くの人々を勇気づけていくことだろうか計り知れない!是非、大小拘わらず、病院には世界の伝記“ナイチンゲール”を1冊置いてもらいたい!ハレルーヤ!5時半ごろ病院を発ち、初めて南北道に乗って、サクラが待っている鳩の里動物病院に急いだ、病院に入ると奥で弱弱しく吠えているサクラが我々を嬉しそうに迎えた !・・・ 今日、昼一に甲南病院に着替えを持って次男を見舞うと点滴は外され、安静第一にしてだが、自力で動き回れるようになっていた ! (*^_^*)・・・

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軍師官兵衛、第29話“天下の秘策~後編!” 2014年7月21日

2014-07-21 11:40:37 | 日記・エッセイ・コラム

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屋外では蝉の合唱がガシャガシャ騒がしくなってきた、いよいよ夏本番だ!今朝加古川労音から電話があった、9月30日(火)夜7時より第九合唱団結団式があり、来年3月28日(日)2時開演の本番に向けて、加古川第九第4楽章コンサートがスタートする!今回は神田将のエレクトーン伴奏による第九演奏となる、第九コンサートに興味のある方はドシドシ合唱団に応募くだされ!練習は毎週火曜日7時より青女センターで行われますぞ!“高石ともや平和コンサート”が鶴林寺講堂で8月24日(日)夜6時30分から開演されるが、第九合唱団団員には500円offの特約が付き3000円で参加できますぞ!・・・

本題へ移ろう、6月4日、白装束に身を包み清水宗治が二人のお伴とともに船で、秀吉本陣と毛利本陣が一望できる水面(みなも)に漕ぎ出てきた、それを秀吉軍の船が迎えた、宗治は立ち上がり扇を片手に能楽を唱え始めた、それが終わると一礼して、黒田官兵衛!逢えてうれしかった!座ると目の前の脇差を取り、逆手で抜いた、それを左わき腹に当て、渾身の力で突き刺した!ゆっくり右に引いていき、介助役が介錯(かいしゃく)を仕(つかまつ)った、実に見事な最期であった!「宗治、済まぬ!」、隆景は嘆いた!それを看取った両軍の重臣たちは皆感服した!・・・

そこに京よりの使者が隆景のもとに送られてきた!小早川隆景さまでござりますか?明智日向の守様からの書状を隆景に差し出した!?「何?信長を討っただと!?」、同じ頃、その知らせは、ようやく姫路にも届いた!何たること!光秀、血迷うたか!?「明智はここにも攻めて来るでしょうか?」と後藤又兵衛が心配した、それはあるまい!職隆がそれを一掃した、だが同調するものが現れるやもしれん!備え、守りを固めることととなった!『殿はこのことを知っておられるのでしょうか?』と光が案じた、「又兵衛、お前が知らせに走れ!」・・・

保険マンモス

備中石井山黒田本陣では、慌ただしく中国返しの準備が始まっていた!向かいの山の毛利軍本陣からこちらの様子が丸見えだった!その頃、使者として姫路へ急ぐ長政が水も兵糧も尽き、落馬せんがごときに疲れ果てていた!近くの沢に急いで水を求めた、そこで湧水を見つけたところ、偶然にも備中に向かっていた又兵衛と出くわした!若!又兵衛!と二人は久しぶりの再会を抱き合って喜んだ!立派になられましたなあ!備中へ上様の死を知らせに行く途中だと、又兵衛が事情を話すと、「その事ならもう知っておる、毛利と和議を結び、間もなく全軍が帰ってくる!明智との大きな弔い合戦になる!武功を挙げるのじゃ、又兵衛!」、はあ・・・

その頃、堺から明智の手を逃れて、三河へ向かう家康一行が伊賀の山中を急いでいた、世に云う伊賀越えだった、そこに明智の追手ではなく盗賊が現れ家康一行を襲った!難なくその集団を追い払った!「こんな山奥で死ぬなら、京で明智と一戦交え、斬り死にした方がましであったわ!」、殿?何を弱気な!シッカリなさりませ!皆が殿の帰りを待っておるのです!こんなところで死んだら三河武士の名折れ!何としても帰りましょうぞ!家康は本多忠勝、井伊直政と榊原康政にハッパをかけられた、「あ~~、がみがみがみがみ!煩(うるさ)い奴らじゃ!分かっておるは、こんな処で死んで堪るか!」、殿、その意気で御座ります!「行くぞ!」、ははあ・・・

6月5日、光秀はあの信長が贅沢三昧な生活を送った安土城に入った!光秀は嫡男の秀光、斎藤利三など重臣を招き、信長が名物刈りで集めた品々でもてなした!そして城が一つ建つくらい値打ちのある品々を皆に分け与えた!構わん!信長を思わせるものは全て分け与える!「贅を尽くしたこの城もいずれ、この手で燃やさねばならぬ!」・・・

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現在の岐阜県南部にあたる美濃の国、そこにあるおねの隠れ家に年寄りとおなごらは逃げておった、おねの元に使者が駆け込んだ、お方様!一大事で御座います!長浜城が乗っ取られました!なんだと!?明智方の京極孝津村が我が物顔に押し入り!無念で御座います!おのれ!、「領民は大事ないか?民・百姓に乱暴狼藉はなかったか!?」、今のところは!御座いませぬ!お方様、如何なってしまうのでしょうか?「案ずることはありませぬ!殿が必ずや明智を討ち果たされます!もう少しの辛抱です!」、はは~~!水を水を~~!「このままじゃ明智の天下?お前様、早く早く早く戻ってきてくだされ!」・・・

姫路の官兵衛屋敷では、職隆が指揮を執って明智の攻撃に備えていた、そこへタイミングよく官兵衛の使者・長政が又兵衛を連れて戻って来た、「母上!」、お水を用意しましょう、『一体どうしたと言うのじゃ?』と光とお福らが迎えた、「父上からの伝言を!羽柴様と毛利が和議を結びました、今宵一気に京に駆け戻り、逆賊・明智光秀を討ち果たします!そのため、姫路から岡山まで炊き出しと松明の支度のため人を出せとのことで御座います!」、炊き出しと松明じゃな!?長政、大儀であった!お福が長政と又兵衛に飲み物を差し出した!・・・

『そなたら、備中から走り詰めで良い働きをしました!さあ、中で休みなさい!』、「否、すぐ戻って父上の軍に加わります!」、それがしもお伴致します!大殿様、よろし御座いますか?うん、官兵衛に伝えよ!姫路の守りは心配せず、思う存分、明智討伐に力を注げと!ははぁ!『又兵衛、長政をよろしく頼みますよ!』、はい、では、その時、赤子の泣く声が聞こえた!?『お前の弟・熊の助です!』、長政は泣き声の方へ駆け寄った!初めて見る我が弟をしかと見詰めた、「兄じゃぞ!」、おゆうに抱かれた熊の助を暫し眺めて、「又兵衛、行くぞ!」と備中へ戻って行った!・・・

国内航空券エアーズゲート

安土城の光秀に次々朗報が届いた、長浜城につづき、丹羽長春の佐和山城(岐阜南部の羽島市)も落ちました!京や近江周辺はシッカリ我等に従いました!殿、細川藤孝様より書状が届きました!「おお、待っておったぞ!」、細川様は父上の親戚!お付き合いも古い!必ずお味方してくださいましょう!光秀の顔色が曇った!細川様は何と?「剃髪(ていはつ)を致し、名を幽斎と改めたと!信長に弔意を示すためだそうだ!家督を息子の忠興(ただおき)に譲ったとある!」、なんと!あてにしていたと言うに!「藤孝は弱気になっておる!考え直させる!朝廷よりお墨付きを頂くのだ!朝廷が我等をお認めくだされば、皆従う!」・・・

備中では官兵衛が秀吉に呼ばれ1枚の書状を見せられた、“上様、信忠様は生きて居られる、無事に切り抜けて、今は再起に掛かっておられる”、「どうじゃ、もっともらしいであろう!?この偽文を去就・進退に迷っておる各州の武将に送るんじゃ!」、『兵法は詭道なりで御座いますな!』、「戦は騙しあいじゃのう、官兵衛!」、『ふふふふ、殿、それがしは毛利との最後の仕上げに行って参ります!』、「人質を交わすのじゃな?」、『はい、毛利が追手を出さぬことを確かめねばなりませぬ!しんがりは我等、黒田が勤めまする!』、「やってくれるか?」、『はぁ!』、「官兵衛よ、死ぬな!」、『はぁ!』・・・

翌日、官兵衛は隆景の陣営に参じた、『小早川元総様、桂広繁様を確かにお預かりいたす!これにて我等は兵を引きまする!つきましては毛利の旗を20布ほどお貸し願いたい!』、「何のためだ?毛利が織田に味方すると明智に思わせるためか?計ったな、官兵衛!よもや、明智光秀に織田殿が討たれておったとはな!?」、そこへ毛利の将兵がなだれ込んで来た!いやはや何たること!?と恵瓊がしらばくれた!『はははっ!はっはははは~~~!何と戯れを仰せか?ここは戦場(いくさば)で御座る!味方の利とならぬことを口にしなかったまで!小早川様、それがしと同じ身となれば同じ様にされたはず!』・・・

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「お主らは京へ向かうまで、それを我等が追い討ちすれば明智との挟み撃ちになる、さすがの羽柴勢も進退窮まるであろうな!?」、『なさればよい!分からぬか!?今最も天下に近いは羽柴様!必ずや天下を御獲り頂く!今ここで事を構え、遺恨を残すか!それとも恩を売り共に乱世を終わらすか!毛利の行く末を選ぶはあなた様でございます!』、「官兵衛、わしを試すか!?毛利は天下を望んではならぬ!それが亡き父・元就の遺訓だ!もとより我等には反徒を広げる野心はない!羽柴殿と和議を結び本領が安堵された今、大儀なきものにつき、世を乱すことは毛利にとって何の利もない!」・・・

『では?』、「引け!一日も早く明智を討て!わしはお主に懸ける!」、『小早川様、この恩、忘れませぬ!』、「官兵衛、旗を持っていけ!それから引き際には堤の堰を切って我らが追えぬよう行く手を阻んで行け!」、隆景は官兵衛を笑顔で見送った!官兵衛は一礼して去って行った!殿?恵瓊も嬉しそうだった!「黒田官兵衛、信長の死から幾日も経たぬうちに、全ての流れを羽柴に載せ替えよったな!」・・・

6月6日、静まれ静まれ~~!「これより京に上り謀反人・明智光秀を討つ!!おおお~~~!!「我等が織田信長様の敵を討つのじゃ~~~!」、やあ~~~!!「官兵衛、後は頼む!」、『はぁ!』、「皆の者!出陣じゃ~~~!」、秀吉の軍勢は驚異的な速さで京へ向かった!世に云う中国大返しの始まりであった!吉川元春の本陣に京より書状が届いた!明智からであった!隆景!何をしておった!追うのじゃ!追え!直ぐに攻めるのだ!「なりませぬ!毛利が一度なった和睦を容易く裏切るわけにはいきませぬ!」、謀(たばか)った相手に義理立ては無用!・・・

「兄上、落ち着いてお考えを!毛利の行く末を!謀反の味方をして世間は毛利を如何見ますか!?ここは羽柴秀吉に恩を売った方が得だと思いませぬか!?」、隆景、明智に味方をするわけではない!毛利を謀った秀吉を許せんのだ!一矢報えぬば腹の虫がおさまらぬのだ!え~~い!邪魔立てをするな!殿、落ち着きくだされ!「清水宗治の死を無駄にする御積りか!?」、何?「無益な戦を避けるため、毛利が生き抜くため、腹を切ったのですぞ!己の命を懸けて多くの命を救おうとした、その宗治の意思を踏みにじる御積りか!?黒田官兵衛は毛利の本領安堵を約束しました!あの男は必ず約束を守ります!それがしが請け負いまする!」、退(の)け!隆景!次第に元春の抵抗も勢いを失っていった・・・

最後まで残った石井山の黒田本陣では善助が官兵衛に語り掛けていた、「もし毛利に全てが漏れ、本気で攻め寄せて来れば、我ら一人残らず命を捨てねば、とても食い止められませぬ!」、『小早川はすでに知っておる!』、真(まこと)で御座いますか?太兵衛も案じていた、「あっ、動いた!毛利の旗が動いた!兵を引くのか?それとも・・・」、そこへ、兄上!兵庫の助が慌ただしくやって来た!引いとります!毛利が引き始めました!お~~~!黒田軍が一気に勢いづいた!『やった~~!これで敵は明智光秀のみ!行くぞ!』、お~~~~~!・・・

6月7日、安土城に勅使の吉田兼和が参り天皇からの勅旨が下った、光秀は朝廷と云う後ろ盾を得たのである!思惑通りに事は進んでいるかのように見えた!しかし光秀は何も知らなかった!秀吉軍が、そして黒田軍が猛然と迫っていることを!・・・

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軍師官兵衛、第29話“天下の秘策!~前編” 2014年7月20日

2014-07-20 21:42:26 | 日記・エッセイ・コラム

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いつぞや恵瓊(えけい)が、「毛利は羽柴様と手を組めば天下も夢ではない!」と言っていたように、6月3日、官兵衛は恵瓊と、毛利の八か国本領安堵の和議を結んだ、『貴方様は秀吉様を大層買っておられる!』、「よもや織田を裏切る御つもりではあるまいな!?」、『そうでは御座いませぬ、秀吉様が世に名乗りを挙げる好機が訪れたので御座います!織田信長公が亡くなれました!明智光秀の謀反で御座る!』、「されど何故それを?断じて我らに知られてはならぬこと!?」、『恵瓊殿であれば、お判りいただけるはず!それがしの一世一代の賭けに御座います!』・・・

「つまり織田様が亡くなられたことは、この場限りの秘密として和議を結ぶ?面白い!その賭け、わしも乗った!わし等二人が天下を動かす!これ以上に面白いことはない!わっはっはっは~~~!して、和議を進めるにあたって高松城の始末はどうする?」、『今一度織田に寝返るよう説き伏せるしか御座いませぬ!』、「そうと決まればこうしてはおれん!善は急げじゃ!」と恵瓊は言い放ち水に沈んだ高松城へ急いだ!・・・

官兵衛も外へ出て羽柴小一郎、石田三成と蜂須賀小六に光秀謀反による信長の死を知らした!上様のやり方が強引過ぎたのじゃ!「殿はこのことを御存じか?」と三成が訊いた、『今はお心を沈めておられる!我らがやるべきことはただ一つ!明智を討ち果たすこと!上様の死は断じて毛利に知られてはなりませぬ!気づかれぬ前に和議を結び、全軍速やかに京に向かう!』、毛利を抑えておく兵は?『抑えの兵など置いておく悠長などはありませぬ!』、まず畿内を探った方が良いのでは?長浜は?明智は長浜を攻めるかもしれぬ?『一刻を争う!今は他のことに構ってはおられませぬ!』、「長浜を見捨てると申されますか?」・・・

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そこへ秀吉がやって来た、「皆の者、落ち着け!」、殿?兄者(あにじゃ)!大事ないか?「官兵衛の申す通り、我らは今、何よりも先んじてやらぬことは無いか?それは織田信長様の敵を討つことじゃ!上様に一番可愛がっていただいたのは、このわしじゃ!志願したばかりのこのわしを、ここまで引き立ててくださった!この秀吉が今日あるのは全て上様のお蔭じゃ!この秀吉が上様の敵(かたき)を討たずして誰が討つ!?」、弔い合戦じゃ!明智の首を獲るのだ!「皆の者、頼んだぞ!」、ははあ~~~!・・・

その頃、恵瓊が高松城主の清水宗治のもとを訪れ、今一度織田に寝返るよう説得した!「織田に割譲(かつじょう)するのは備中、美作、伯耆(ほうき)の三か国のみ!これはほぼ本領安堵と変わりませぬ!」、元よりこの命、捨てる覚悟!腹を切る!さすれば毛利の本領安堵が叶い、城兵の命は助かるのだな!?「はい!」、ならば喜んで腹を切ろう!小早川様には、ご厚情は忘れませんと、お伝え願いたい?こうして清水宗治は切腹を決め、宗治軍は秀吉に着くことと相成った!あとは小早川がウンと言うかに全てが懸ることとなった!『善助、今だ!今我らが動いて、天下の行く末が決まる!行くぞ!はあっ!』、官兵衛らは馬で夜道を小早川のもとへ向かった!・・・

一方、恵瓊が小早川隆景の本陣を訪ね説得にあたっていた、「宗治を見捨てよと言うのか?」、見捨てるわけでは御座いませぬ!宗治殿の切腹と引き換えに、城兵は救われ和睦も成るので御座います!宗治も承知いたしました!今夜中にまとまらねば、この話は反故(ほご)にする!と敵は申しております、「しかし妙だなあ?八か国の本領安堵?何故、織田は我らに有利な申し状を??」、それは・・・そこへ官兵衛と善助が到着した、申し上げます、黒田官兵衛殿がお目通り願って・・・「通せ!」・・・

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『これはこれは小早川様、このような夜分に御無礼の段、お許しくだされ!』、「官兵衛、何故、そのように和睦を急ぐ?何か訳でもあるのか?」、『信長公は毛利を滅ぼそうとしてご出陣されました!御到着ののちには、もはや和睦は叶わず間違いなく大戦となるでしょう!さすれば我等も多くの兵を失う?無益な戦を避けたいがため、小早川様、もはや時がございませぬ!応じるか否か?この場でご返答願いたい!』、「当主、輝元や兄の元春に計らずに返答は出来ぬ!」、『それではこの話はなかったことに・・・』・・・

小早川様、・・・『小早川様、一つだけ・・・全ては天下のためで御座います!』、「そのために宗治を捨てよというのか?」、『清水殿は腹を切らせるには余りにも惜しいお方?されぞ、そのお命こそが織田と毛利との和の証となり、この乱世を終わらせるので御座います!』、宗治殿は天下のためならば喜んで死ぬと言うとりました!「天下のためか!?乱世を終わらせる!しかと相違ないか!?」、『この命に代えましても!お約束いたします!』、「相分かった!官兵衛、お主を信じよう!」、官兵衛は小早川に頭を下げた、官兵衛が信長の死を知って僅か数時間後のことであった!・・・

黒田の本陣に戻った官兵衛は『よいか、聴けえ!上様が亡くなられた今、次なる天下人は秀吉様だ!そのためには何としても秀吉様が敵である明智光秀を討たねばならぬ!我等黒田の働きで、秀吉様を天下人に押し上げる!』、ははぁ!『毛利は何も知らぬ!今のうちに全軍一気に引き上げる、何よりも大事なのは一刻も早く京に駆け戻ること!さあ、仕度を始めよう!善助!』、善助が陣頭指揮を執った、太兵衛、まず荷出しからだ、武具は船で運ばせる!毛利が上様の死に気づいて追い詰めたらどうする?・・・

若、今、毛利が追ってくるなら武具があろうとなかろうと我等の負けに御座います!日を置けば明智の勢いが増すばかり背水の陣を敷くしかありません!明日畝の手配だ!九郎右衛門、先回りして街道の百姓や商人に炊き出しをするよう手配せよ!松明も仕度させよう!此度は備中から京まで駆け通しになる!兵庫の助様、誰かひとり、姫路に使者を出しましょう?姫路からも人を出し、沿道に炊き出しや替えのわらじを仕度させる!東西両方から仕度をすれば隈なく手当が出来ます!私が参りましょう!若がいかずとも人はいます!父上!『よし、行け!』、長政が姫路への使者となった!・・・

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