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Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

JR高架下の名もないお地蔵さん 2011年10月29日

2011-10-29 23:32:05 | 日記・エッセイ・コラム

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昨日は家内の洗濯物以外に家内に頼まれた爽健美茶2リットルボトルをリュックに入れて、ロングブレス・ウォークを兼ねて加古川医療センターへ片道1時間の道のりを歩いていった、日岡山公園の木々の紅葉も始まったようだ、銀杏(いちょう)の葉っぱも真っ黄黄になっていた、その大木の下でマニアがカメラを構えて狙っていた・・・

交通事犯刑期8年未満の受刑者が収容された西の交通刑務所・加古川刑務所(最大収容定員1081人)のコンクリート塀の脇にある2つの池“上ノ中池”と“中の池”がある、ちなみに東の交通刑務所は千葉の市原にある、昔、小生、大和郡山まで出向き親魚を買ってきてランチュウ飼育をやっていた、その頃この“中の池”でよくミジンコを捕って稚魚に与えていた、自分で庭に煉瓦とセメントで小さな生簀(いけす)を造り、地元の同好会の会員にもなり品評会にも出品していた・・・

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日岡山公園の丘を越えて下っていくと、銀色に光るススキがそよぐ“土居ヶ池”がある、先日登頂に成功した(笑)赤松則村の居城跡が見下ろす西条富士・城山(じょやま)を左手遠方に望みながら石守交差点へ降りて行った、Mark Hills には沢山車が駐車して商売繁盛していた、よし!帰りここで夕食を摂ることにしよう!・・・

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神野小学校の手前にある山手幼稚園の横を過ぎ、先日訪れた神野の天神さんと常光寺の屋根を垣間見ながら加古川医療センターに着いた、家内の居る4階の4人大部屋へ入っていった、家内は50度で始めた右膝屈伸角度を今では110度に設定して牽引リハビリをこなしていた、『明日、尾上整形へ行ってリュウマチの薬を貰ってきて、明日は土曜日やから昼までに行ってよ!』と頼まれて、洗濯物に合わせて健康保健証と診察券とお金を預かって帰路に着いた・・・

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夕食を予定していたMark Hills の前に来ると店の照明は消され既に閉店になっていた!あらら~~!日岡山公園を横切る近道を進んでいくと、誰も居ない桜並木銀座の入り口のところに、恒例の第56回“加古川菊花展(10月18日~11月13日(日)”が寂しく照明に照らされていた☆・・・

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今朝、全ての家事を済ませ、日課の筋トレも済ませ、11時ごろ尾上整形に着いた、受付で受診者の名前と薬にマルを入れて順番を待った、すると診察室から一人の看護師さんが出てきて、‘術後の薬による副作用はないか?’、‘血液検査はあったか?’などなど家内の入院中の問診をしてきた、術後一時的にむかつきとか風邪気味などで体調を崩し血液検査をしたことはあるが、白血球の量も増えておらず、全てリハビリは順調に行っている旨を伝えた・・・

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隣の処方箋薬局で4900円ほどを支払って、1か月分の薬をたっぷり受け取り家路に着いた、リュウマチの薬って結構するもんだ、JR山陽本線の高架下の平野の交差点まで来ると、一人の小生と同年輩の男性が小さな赤い前掛け姿のお地蔵さんに花を捧げ線香をあげて手を合わせていた、、『何でこんな高架下にお地蔵さんが居るのだろう??』、すぐさま、小生、その男性に話しかけて、そのお地蔵さんの謂(いわ)れを色々尋ねた・・・

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最初は口を濁(にご)して口が重かったが、話しているうちに次第に打ち解けてきて色々真相を話してくれた、昔、ここ平野には栄えた新地があって立派な遊郭が立ち並んでいた、ここの近くには1984年(昭和59年)11月に廃線になるまで加古川駅から高砂南駅まで全長8kmに渡って伸びる“JR高砂線”が走っていた・・・

また野口駅から土山まで別府鉄道が分岐していた、小生の子供の頃、よくこの高砂線に乗って終点“高砂南駅”まで行き、そこから荒涼と広がる砂地を歩いて行き、粗末な海の家が長々と軒を連ねて店開きしていた遠浅の海水浴場で黒猫着けて泳いだものである、今は海水浴場もなくなり三菱重工だのカネカだのキッコーマンだのの大工業地帯に変貌している・・・

だが遊郭が栄えていた頃、お女郎さんの何人かがこの高砂線に身を投げて亡くなる不幸な出来事があった、今でもところどころ高砂線の跡地はフェンスに囲われて残っているとこがある、置き屋の女将さんが彼女達の魂を供養するために線路際(ぎわ)にお地蔵さんを建てたそうな、JR加古川駅の高架化に伴って新都市計画が始まり、そのお地蔵さんも処分されることになった・・・

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しかし高砂線の廃線工事に携わった前川建設や土地を所有するJR、そして加古川行政府の善意によって、このお地蔵さんの謂れを知る住民の願いがかなって、現在のJR高架化下交差点に移転されたのである、今では置屋の女将さんも高齢となり神戸の息子さんに引き取られているらしい、昨年まで毎年、神戸から車椅子でやって来てはお参りしていたが、今年からは、それもかなわぬ身になったとのことだった、ええはなしや~~・・・

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西条富士・城山(じょやま)に登頂☆ 2011年10月26日

2011-10-26 14:08:27 | 日記・エッセイ・コラム

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今朝の加古川は13℃と冷え込んだ!最高気温は18℃にしかならないらしい!思わずストーブを出したくなるほどに寒く感じた!しかし天気予報によれば明日からまた暖かくなると聞いて思い止まった、なんだか昨夜は神戸にも最大瞬間風速15mの木枯らし1号が吹いたらしい?・・・

昨日、5時頃、病院から帰ってきて洗濯物取り入れ、ピッとお湯はりボタンを押し、夕食の仕度にかかった、昼間に刻んでおいた野菜(茄子、ピーマン、ニンジン、キュウリ、モヤシ、タマネギ)をサラダ油で炒めミルクぶっ掛け塩コショウで味付けしてミルク煮込みにした、そして、どんぶりにご飯山盛りにしてカツオおかか味道楽をダブルでふり掛けて、インスタント味噌汁に刻みねぎたっぷり入れて、キムチとビール350mlでガツガツ食した、ふりかけ様様である、うめ~~のなんのって!・・・

サクラに缶詰開けてチキン・ビーフ・野菜煮込みのドッグフードをやると、サイエンス・ダイエットなど見向きもせずにがつついていた、急いで入浴済ませ台所の後片付けしてから、プレゼント交換用DMハガキもって、ヤマトヤシキへ走った、“大北海道物産市会場”が催されている6階にあがり、レトルトぜんざい2袋をありがた~~~く受取った、そして加古川第九セッション会場へ走って行ったが、木枯らしが吹くような気ざしは無かった、急いで走ったかいあって、7時開始、滑り込みセーフのタイミングで連習前の永山トレーナー指導の体操に間に合ったが大汗かいた!・・・

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では、お待たせしました、なに!誰も待ってない!ランカー0だもんねえ、悲し~~い!そうおっしゃらないで読んでおくんなせえ~~、ではでは、ここから日曜日に先送りしておいた、郷里探訪日記に取り掛かることにしよう・・・

あっ!もうこん時間だ!家内のシャワータイムが迫っている、洗濯物取り入れてから出かけ、今日出た洗濯物をもって帰ってこなくっちゃ、2日前から部屋での牽引器リハビリに合わせて、1階のリハビリルームでの歩行リハビリが始まった、今朝、8日間過ごした個室部屋から4人大部屋に移ったと家内から連絡が入った、今夜の夕食は、ほか弁買ってこようっと、ブログは夕食・入浴のあとに始めよう、ためしてガッテン!は観んぞ!睡魔が襲いませんように(祈り)・・・

この日3時頃、小生が勝手に西条富士と名付けた標高85mの城山(じょやま)の登頂目指して、加古川医療センターを出て坂を下っていった、神野小学校への裏道を右折して直ぐのところ、小学校の裏山にこんもり茂った森の静寂のなかに天神さんの祠(ほこら)が2体あった・・・

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天神さんの境内から直ぐ隣に常光寺の墓場が見えていた、10月22日発行の月刊“リビング加古川”に紹介されていたが、西国三十三ヶ所霊場客番として法華山・一乗寺のあとに追加された天徳山・常光禅寺である、100mほど先に進むとその山門があった、この山門は1665年に南室大和尚が開基されて以来ずっと、焼失を免れてきたと言われる由緒ある山門である・・・

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山門をくぐり、さらに坂に沿って奥へ登って行くと、どデッカイ本堂があった!ここの本堂には33cmと小ぶりながら奈良時代に行基上人が彫った十一面観音の本尊が祀られている、そこの中庭から神野小学校校庭越しに前方を観ると寶塔寺の岩山と日岡山が望めた・・・

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常光寺をあとにして、上之山の溜池から流れ落ちてくる水路沿いに、城山の方向へ更に歩を進めていった、すると北神野の天神さんの祠(ほこら)が在って、その前には名前は分からないが長い歴史を見守ってきた大木が1本立っていた・・・

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更に先を急ぐと湖畔に?ではなく池畔に加古川市立北公民館が立つ“里池”と呼ばれる溜池があった、そこから西条山手のほうに振り向くいて目をやると、甲南病院の向こうに加古川医療センターが君臨していた、そこからは目の前に城山の勇姿が迫っていた・・・

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さて、西条山手から中西条にぬける急勾配の峠坂を登りつめ、左折して登山口の方へ進んでいった、いよいよお地蔵さんが納まるお堂の横の途切れ途切れの階段を上って行く登山口に立った、急斜面が続く城山登頂に挑(いど)んでいった、7合目ぐらいのところで下西条かららせん状に上って来る坂道と、直線に伸びる階段登山道が交差する・・・

そこから更に階段なき岩道を直進して登り切ると、頂上には、鎌倉末期から南北朝時代に掛けてこの播磨の守護大名として後醍醐天皇と足利尊氏に仕えた、あの赤松則村(のりむら、1277~1350年、赤松氏4代当主)が築城した“西条城”の史跡に、その名残を漂わせる城館が一つ建っている・・・

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その頂上から下界を眺めれれば、木立に隠れて加古川大堰は見えないが、加古川の大河の傍に草谷川(くさだにがわ)の流れの絶景が望まれる、草谷川が加古川に合流した地点には、“五ヶ井用水”と“新井用水”の源となる“草谷川の堰”が出来ている、そこには聖徳太子の命によって、五ヶ井用水路に鶴林寺(かくりんじ)・三重塔の高さの勾配をつけるための施石“太子岩”が置かれている・・・

小生の中学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた!確か2年生の時、担任のスポーツ万能熱血体育教師・栗林先生に先導されて我々はこの頂上に連れてこられ、一斉に応援団リーダーのように、腕を振りって“箱根八里”を歌ったものだった☆♪ 箱根の山は天下の嶮!函谷関(かんこくかん)も、ものならず・・・♪ 、ご存命かは定かでないが、もう90歳ぐらいになられているだろう・・・

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また、この頂上付近には上から順に、“NTTドコモ”、“J-PHONE IMT神野局”と大規模な“KDDI(株)神野基地局”の中継アンテナが建っている、KDDIのアンテナ横から水管橋方面を望むと既に陽が沈んでいたが、夕焼けがまだ残っていた・・・

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山を降りると、西条古墳群のなかに7世紀後期(奈良時代前期)に建立されていた法隆寺式伽藍配置の西条廃寺跡へ廻った、そこには立派な金堂基壇、塔基壇と講堂基壇がいにしえのままに残っている、ついでに夜の帳(とばり)のなか、先日行者塚は観たがまだ見てない“人塚古墳”と“尼塚古墳”を垣間見て上之山を貫けてメディカル・センターへ帰っていった、古墳を眺めていると家内が心配してか『こんな暗闇に何処、徘徊しとるんや?』と電話を掛けてきた・・・

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夢中になっていると“秋の夜の帳(とばり)は釣る瓶落とし(つるべおとし)にやって来る!”を忘れがちになるものである(^^ゞ・・・

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エステ

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杜の都は夏日の暑さだった! 2011年10月23日

2011-10-23 14:34:22 | 日記・エッセイ・コラム

蜂衛兵館

脱毛器

3.11の大震災で開催が危ぶまれたが、29回を迎えた全日本大学女子駅伝(1区:5.8km、2区:6.8km、3区:9.1km、4区:4.9km、5区:4.0km、アンカー区:8.0km、全長38.6km)の12時スタート時、仙台市陸上競技場での気温は25.2℃、湿度70%と蒸し暑く厳しく過酷なレースが予感された!ランナーたち全員は駅伝の精神“がんばろう!つながろう!”のリボンをパンツに着け、東北の復興への祈り込めて走る・・・

トラックを3/4周して26チームの1区のランナー達が杜の都へ飛び出していった、佛教大の3連覇なるか?はたまた3年ぶりに立命館大が6度目の優勝奪還なるか?昨年シードを獲得した名城大、松山大、城西大と鹿屋体育大が何処まで食い下がれるか?毎年この大会の展開は大体決まっている、今回は番狂わせがあるのだろうか?最初の1キロを3′07″のハイペースで入り立命館のエース竹中が引っ張る・・・

あっ!3キロ手前で立命館のエース竹中理沙が佛教大と松山大を引き離し飛び出した!3kmを昨年の記録を20秒も上回る9′19″で通過する!仏教大が伸びない!あっ!佛教大が遅れていく!区間新18′16″!竹中の力強い走りで立命館が1位で2区薮下に継ぐ!2位+29″で松山大が、3位+46″で京産大、4位+54″で城西大、5位+1′00″で名城大、6位+1′05″で大東大がつづいた、あっ!佛教大がなんと14位+1′28″でタスキをつないでいった・・・

HARG療法

あっ!いけねえ、家内のシャワータイムまでに洗濯物を持って病院に行かなくっちゃ!つづきは帰ってからHDD観てからにしよう・・・

14位で受けた佛教大の石橋が前を猛追して7位まで上げる、1位の立命館の薮下が2キロを6′26″で通過していく、あっ!3キロ手間で佛教大の石橋が10人抜きして4位まで順位を上げてきた!名城も交わし石橋が3位にあがる、2位を行く松山の背中も見えてきた、間もなく仙台市民の憩いの河・広瀬川を渡る、立命館の薮下が22′26″余裕の走り2年連続区間賞でエース区間3区のキャプテン田中華絵へ4年ぶりトップでタスキを渡す・・・

昨年はじめて中国・四国勢でシード権を獲った松山大の高柳が2位+1′06″で藤原に継ぐ、大東文化大が3位+1′29″で、そして並ぶようにして佛教大が4位+1′30″で3区世界の吉本ひかりへつないだ!そのあと、名城大が5位+1′34″で、鹿屋体育大が6位+1′35″で、7位+1′45″で城西大がつづいた・・・

トップの立命館の田中が1キロ3′13″のペースで飛ばしていく、2キロ手前で佛教の吉本がキロ3′07″のペースて゜松山大を捉え2位に上がる、中間点でのトップとの差を+1′07″に縮める、トップの立命館・田中が顔をしかめ不本意な走り14′32″中間点通過タイムながら仙台藩初代藩主・伊達正宗が見つめる仙台城への登りにかかっていく、3位の名城が吉本の背後に迫ってくる・・・

ラ・パルレ

トップ田中が須磨学園のエースだったルーキー池田睦美へつなぐ、そして佛教の吉本が区間賞30′06″の2位+1′04″で4区の前田へタスキを渡す、そのすぐあと、名城大の野村が3位+1′10″で浦川につないだ、あっ!後方でアクシデントが起こった!3位でタスキを受けた大東文化の田山が熱中症にかかったか?なんと気温が26.8℃にも上がっている!中継所まであと500mのところで、魂が飛んでしもうてフラフラで止りそうになっている、監督が駆けつけ心配そうに呼びかける・・・

鹿屋体育大が4位+1′54″で中継所に飛び込み4区(4.9km)の西田に継いだ、松山大が5位+2′43″で、城西大が6位+2′43″で、京都産業大が7位+2′44″で、順天堂大が8位+2′51″でつづいていく、あっ!監督がバッタリ倒れた田山を抱きかかえたところで大東文化大が棄権となった!1年生の田山を9.1キロの長丁場で走らすのは無理だったのか?仕方ないと言えばそれまでだが3位で来ていたのに残念!惜しい・・・

トップ立命館の池田は1キロを3′06″、次の1キロを3′04″で刻み区間新のペースで快走する、須磨学園時代優勝の経験が無かった池田だ、優勝の喜びを味わってみたい、2位佛教大の後ろ20mに10年連続3位に甘んじてきた名城大の浦川が迫ってくる、池田がエンジのタスキに手をかる、トップで5区(4.0km)の同じ1年生、津田真衣につないだ、タイムは?あっ!2008年に立命館・沼田が出した15′19″に僅か1秒届かぬ15′20″だった・・・

スマートフォン推奨サイズ

ランナー達の先には一、二、三番坂と最高46mの標高差のあるアップダウンが待ち受けている、中継所手前で佛教と名城が並んだ、かわした!佛教の浦川が僅か前に出て2位+1′42″で5区池田えりか様につないだ、1秒差で佛教が3位で実力者、森知奈美に渡る、鹿屋体育大が4位+3′07″、京産大が5位+3′38″とトップに大差をつけられつづいていく、6位+3′42″で城西大が、7位+3′49″で松山大が、8位+3′56″で順大がつづく、このままでは熾烈なシード権争いとなる・・・

1キロも行かずに佛教の森が名城の池田をかわした、ここに来て仙台北部に小雨が降り始め、熱いランナー達の身体を癒してくれる、トップをゆく立命館の津田が最初の1キロを3′14″の好ペースで二番坂にかかる、後ろには誰も見えない、完全な独走態勢になった、津田が3′24″のペースで三番坂にかかる、2位佛教大の森は名城の池田に40mの差を開けて二番坂を下っていく、城西と京産が並走して5位争いを演じている、しかしその背後には松山大の山岡が迫る・・・

立命館の津田が3kmを9′54″でカバーした、アンカー岩川が檄(げき)を飛ばして待つ第5中継所の前を素通りして折り返しへ下っていく、折り返せばあと300mの険しい登りになる、そして立命館の津田は2位の佛教大に1分07秒の差着けてアンカー区(8.0km)を走る岩川にタスキを託す、名城大の池田が3位+1′31″で八木にタスキを渡した、松山大の山岡が京産大と城西大と鹿屋体育大をかわし4位に上がってきた・・・

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しかし城西の橋本が凄いスパートを見せイッタン抜かれた松山大の山岡を僅かかわし、4位+3′49″でアンカーの小阪にタスキを託す、そして5位+3′50″で松山大の山岡がアンカー山上へつないだ、6位+4′00″で鹿屋体育大が、7位+4′09″で京産大が、8位+4′28″で順大がつづいていく、2位佛教大の森知奈美がこの5区を12′56″で走りきり3年連続で区間賞を獲った!・・・

頼もしげな顔つきの岩川真知子が2kmを6′23″のペースで快調にとばしていく、仙台育英でブイブイいわした岩川にとって仙台は第2の故郷である、2位佛教大の竹地志帆を先導して坂を登ってくる放送車が見えてきた、トップが通過して10分が過ぎると繰り上げスタートとなる、あっ!1m手前に手にしたタスキを差し出そうとする東亜大のランナーを尻目にして、10校が繰り上げスタートしていく、母校のタスキを渡しきれずその場によよと泣き崩れる・・・

トップを行く立命館の岩川と2位を行く佛教大の竹地との差が277m縮まり256m差となっている、岩崎は登りを力強くメリハリの効いた走りで3~4キロを3′15″という安定したペースで好走する、あと3.2kmとなる定点ポイントとなる台原(だいのはら)の坂を登りきっていく、2位佛教大との差が17秒詰まったらしい、4~5キロを3′22″と少しペースを落としたか?2位佛教の竹地が台原の定点を+1′12″で通過していく、3位名城大の八木が+1′43″で通過した・・・

ラクトパチルス

岩川が平坦な市街地へ戻って来た、そして7km地点を過ぎで晩翠(ばんすい)りに入って来た、仙台市役所市民広場のゴール地点には各校のチームメイトたちが待ち構えている、そして岩川が育ててくれた仙台の街並木を味わい回想しながら、あと500mぐらいか?立命館大がトップで定禅寺通のケヤキ並木のトンネルに入ってきた、今、復興への足音が東北の隅々へここかしこに広がっている・・・

ここ杜の都・仙台に立命館大の勝者奪還への足音をこのケヤキ並木が見守ってくれている!もうすぐそこに3年ぶり6度目、立命館大の優勝テープが岩川を待っている、さあ!左折して市民広場のゴールへ向かう岩川に笑顔が溢れる!岩川真知子は26′23″で走りきり、立命館がぶっちぎり2°06′29″のタイムで3年ぶり6度目の優勝テープを切った☆☆Go~~~al!☆仲間が駆け寄る、全員の笑顔から大粒の涙がこぼれ落ちていく~~☆☆・・・

1分18秒遅れて佛教大の竹地が2°07′47″で2位のテープを切った☆そして3位+1′30″、2°07′58″のタイムで名城大の八木がゴールしていった☆4位+4′31″の2°11′00″でゴールした京産大、5位2°11′15″+4′46″の松山大、6位2°11′35″+5′06″の城西大が来年のシード権を獲得した☆7位の鹿屋体育大と8位の順大が残念ながらシード権には届かなかった・・・

もちもちほっこりおやき

2011年31回大会より長良川コースから、松島町中央公民館をスタートし、塩釜市を抜け、仙台市に入り、大学駅伝と同じ仙台市陸上競技場へゴールする6区間42.195kmの宮城コースへ舞台を移して日本一を争う全日本実業団対抗女子駅伝12月18日日曜日に開催される、その予選会となる西日本大会が関西、四国、中国、九州地区の16チームが参加して今日、福岡県宗像市役所発着の6区間42.195kmのコースで行なわれた・・・

上位7チームと2時間20分以内でフィニッシュしたチームが無条件で西日本代表として全国大会への出場権を獲得する☆しかし今回、東日本大震災復興祈念大会を祝して、出場枠を広げて、2時間30分以内でフィニッシュしたチームにも特別枠として出場が認められた、よって2°31′29″でゴールしたナンチク(九州)以外、15位2°29′59″でゴールした鹿児島銀行(九州)までの15チームが西日本の代表として本大会に出場することになった☆・・・

この大会で我がシスメックスのエース野口みずき(33歳)が最長区間3区10.2kmを区間賞となる32′25″で快走して☆昨年全国制覇した天満屋に1分以上差を広げて首位をキープしている☆またチームも天満屋につづき2位でゴールして野口はチームの全国大会出場権獲得に大きく貢献した☆疲労骨折のあと肉離で戦列を離れていたが、今回は10ヶ月ぶりの現役復帰となった、2005年9月25日ベルリン・マラソンで樹立した2°19′12″の日本記録保持者の誇りを持って、もう一度世界の舞台に立ってくれ!まだまだ行けるぞ!ファイトいっぱ~~~つ!・・・

今日、加古川医療センターから出発して、訪れた常光寺、里池、城山(じょやま)、西条廃寺跡などの郷土探索は日を改めてご報告することにしよう、乞おうご期待を・・・

ホワイティシモ

「海外旅行ならH.I.S.」

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メディカル・センター周辺、上ノ山と西条山手界隈を散策 2011年10月22日

2011-10-22 10:47:20 | 日記・エッセイ・コラム

利尻ヘアカラートリートメント

そいっち

10月21日、“アラブの春”を象徴する、42年間、憲法もない議会もない!反対する者は全て惨殺してきた恐怖支配政権の崩壊が全世界に流れた!我が物顔にリビア一国を己の私利私欲のために栄華を極めてきた!悪魔“リビアのねずみ”、ムマンマル・アル・ガダフィ(69歳)が出身地スルトにて、NATO軍の攻撃を受け、埋没排水用コンクリート管に逃げ込んだところを反カダフィ派兵士に発見拘束された!そして卑しめを受けた末、リビア人民による怒りみなぎる銃弾の裁きによって射殺された!そして、この世からもう一人の悪の枢軸が抹殺されリビアに自由人権の夜明けが訪れた!ヽ(^。^)ノばんざ~~~い!☆・・・

カダフィの後継者と見られていた次男サイフル・イスラム(39歳)もスルトで拘束され殺害された☆何故この様な恐怖独裁支配政権が42年間も見逃されてきたのだろうか??それは石油マネー!金の力にあったことが浮かび上がった!おそすぎだろうが!?そもそもオイル・マネーの甘い罠にかかったアメリカ、ヨーロッパ諸国を始めとする世界の経済大国が国連を抱き込みカダフィ恐怖支配政権を42年間も支えてきた事実は否(いな)めないだろう・・・

しかし、この度これを見かね、2010年12月18日にチュニジアで勃発した“アラブの春”をNATO(北大西洋条約機構、本部:ベルギー・ブルュッセル)軍事同盟軍が反カダフィ派組織・国民評議会を支援しカダフィにNo!を突きつけたのである!これは正しくあのサダム・フセインによる恐怖支配政権が多くの血を流し2006年12月30日に迎えた終末に極似であると言って良いだろう・・・

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さて、舞台を加古川医療センターへ戻そう、手術日の翌日19日水曜日に病院を訪れると、出された普通食は大分残されていた、家内は気分が悪いと言い一度戻した、目は半開きのままでジッと痛みに耐えてご機嫌斜めだった!昨夜は麻酔が切れた後、痛みとフットポンプの音で一睡も出来なかったらしい!あげくの果てには『話しかけんといて!さっさと帰ってか!』と毒吐いて追い出された・・・

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仕方なく家内の洗濯物を車に積み込んだ後、病院の近くの上之山を散策した、東播磨南北道路の現場の南側に蓮が繁茂した“布池”を発見した☆Xactiの電池が切れたので石守のマックスバリューに寄って食料品を仕入れて帰った、軍資金はたっぷり家内から貰っている、ヘソクリする絶好のチャンスである、どうやら人工関節を入れると身体障害者の認定手帳を申請出来るらしい、帰宅してから、その足で直ぐ執刀医に渡す診断書の用紙と申請用紙を貰いにロングブレス・ウォークを兼ねて市役所に急いだ・・・

来年3月に左の膝にも人工関節をインプラントすることになっている、そうなればもう一度申請し直すことになるが、障害度レベルがアップするらしい!3×4cmの写真添付など職員から申請に当っての注意事項をよく聞いてから、案内受付に戻り受付嬢から結構詳しい“かこがわ・まち案内マップ”を貰った、もっと加古川の川・池・用水路など地理に詳しい地図はないかと問いただすと、3階の農林水産課を紹介してくれた・・・

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そこへ廻って、小生が歩き回って得た淡山疎水、曇川、別府川、五ヶ井用水、新井用水や訪れた農業灌漑用・溜池などのウンチクをご披露すると、小生の熱意にほだされたか?数少ない貴重な東播磨ため池マップ“いなみ野ため池ミュージアム(東播磨県民局県土整備部加古川土木事務所作)”をなんと只でくれたやないかいな!☆これさえあれば鬼に金棒!神戸市と三木市に至る淡山用水事業に係わるあらゆる水利までが網羅してあった☆☆やっほ~~~・・・

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市庁舎を出ると、向かいにある加古川市民会館から丁度、何かのイベントが掃(は)けたらしく人の波が湧き出てきた!鹿児の庭の横には貸し切りバス3台が待機していた、何の催しものがあったのか近づいてみると、加古川市企業人権・同和教育協議会主催の“人権教育講演会”だった、小生、何時も思うに、何故“者”と呼んで区別し彼等を優遇するのか?理解に苦しむ、区別する必要性どこにあるのか?区別することこそ差別ではないだろうか!?・・・

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20日木曜日の朝、家内から電話が入った、手術直前直後入院患者のために色んなモニター機器が設置できる434号室から、スッキリした入院患者用個室に移ったらしい、その声は昨日の重さは無く元気に溢れ明るく弾んでいた☆レトルトカレーで昼食を済ませて、病室を訪れると点滴も外され尿管も外されフットポンプも外され自由な身になっていた、少しなら立って加重も可能になっていた!顔色もよく『シャワーが浴びられるんや☆』と上機嫌だった、食事も残さずたいらげていた☆・・・

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21日金曜日から1日2回1時間のリハビリが始まった、1時半ごろから“Ortho Motion Rehab(ガデリウス社製)”大腿・下腿牽引器を右膝屈伸角度50度の設定で、その日2度目のリハビリがベッドに横たわって始まった、そんな時、義兄夫婦が見舞いに来てくれた、二人とも腰や膝に持病を抱えている、以前から腰が曲がっていたペンション生活の87歳になる義母が病院に入院しているらしい、また家内が退院したら見舞いに行かなくっちゃ、義兄らは1時間ほど話し込んで帰っていった・・・

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義兄らが帰った後、充電満タンのXactiを携えて、再度、上ノ山へ散策に出かけた、この度は東播磨南北道路の北側に焦点を当てた、南北道路を挟んでその北側にも“上新池”と“野々池”とそして100mほど北に離れて“新池”と3つもの溜池を発見した!・・・

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そこから高くそびえるNTTドコモ中継アンテナの下を通り、更に脚を伸ばして西条廃寺跡近くにある西条古墳群と小生の母校・山手中学校のある西条山手へ進んでいった、西条古墳群には古墳時代中期4世紀末から5世紀初期に造られた3つの古墳、“人塚古墳”、“尼塚古墳”、“行者塚古墳”が点在している、特に四方の東造り出しから家型埴輪や金銅製帯金具が出土した、全長99m、高さ9mもある前方後円墳、行者塚古墳は際立っている、その当時母校は加古川市ほか二ヶ村組合立山手中学校と言う、ややこしい校名だった・・・

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戦時中には陸軍66部隊があった、すぐ隣には兵庫県電気通信学園があって、生徒たちが外に出てきて「つーとんつーとん!」とモールス信号を暗誦していた光景が懐かしく思い出される、また西隣には国立結核療養所があって、そこの職員の子供達の野球チームと小生率いる野村チームとよく親善試合をしたものだった、その療養所は国立総合病院から現在甲南病院に沿革されて今も残っていて、リュウマチ膠原病センターにもなっている・・・

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昨夜はまとまった大雨となった、今朝は小康状態になっているものの、空の雲行きは悪く、何時ざあ~~と降ってきても不思議ではない、今日は土曜日で正面玄関が閉じられていた、緊急用ドアから入り病室に家内を訪れると、リハビリ屈伸角度が50度から60度に上げられていたが、家内はそれを難なくこなしていた、洗濯物として頼んだタオルがあと1枚しかないので次回来る時は忘れないように!と突っ込まれた、帰宅後、夜勤の次男が出勤前に病院に寄ると言うので、他の洗濯物に紛れ込んでいた汗拭きも含めてタオル6枚を爽健美茶2Lと一緒に次男に託した・・・

ハワイ

全身脱毛

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家内の右膝人工関節全置換手術が無事終わる☆ 2011年10月18日

2011-10-18 21:55:04 | 日記・エッセイ・コラム

朝、吸い呑みの他に何かもって行くものはないか?と家内に電話を入れると、前の人の手術が早く終わるので、家内の手術予定時間午後1時が早くなるかもしれないとのことで、早びる済まし11時40分頃家を出て加古川医療センター433に12時少し前に駆けつけた・・・

どうやら家内は朝から絶食で、手術前の浣腸を済ませ、血管を詰まらせる塞栓(そくせん)を防ぐ為、右足に弾性圧迫ストッキング(Anti-Embolism Stocking )をはいていた、そして、点滴かまされてベッドに横たわっていた・・・

昨日、小生と次男が帰った後、執刀医が部屋を訪れ今日の手術内容を説明し、本人と家族の同意書に署名・捺印が欲しかったらしい、結局家内の手術はほぼ予定通りになったらしい、一連の手術に関する書面には家内だけの署名・捺印がしてあった、これからの詳しい手術と術後の予定表に目を通していると、担当看護師がやってきて家内を手術着に着替えさしてくれた、12時45分に部屋を出て、歩いて2階にある手術室にエレベータで降りて行った・・・

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毎週金曜日と今日火曜日は当医療センターの手術日になっていて、手術室の隣にある家族控え室は満席になっているので部屋に戻って待っていてくださいと促された、家内は手術室の中へ消えていった、小生は『きばっておいでな!』と一声掛けた、手術時間は4時間ぐらいかかる、これまで小生がインターネットであっちこっち集めた人工関節置換手術に関する情報をプリントして家内に渡していたが、手術が進行している間、それらを読んで過ごしていると、家内の姉もやって来た・・・

義姉は小生と息子二人の食事と洗濯物を心配してくれた、食事は冷蔵庫にあるものとレトルト(retort)ものやインスタントもので食いつなぎ、また、ほか弁で何とかなる、洗濯物も2日に一回のペースでやっていくので大丈夫だあ~~と伝えた、だが義姉は病院で出る家内の洗濯物は自分で持って帰ってやると言って聞きないので、相して貰うことにした・・・

そろそろ手術終了予定時間になったので、義姉と一緒に2階へ降りていき手術室の前で待った、別の手術に携わる看護師が出てきたので姉が手術の進捗状況の様子を尋ねると、今、執刀された創部の縫合にかかっているので、あと少し待ってくれるようにと教えてくれた、やがて4時10分にオペ室のドアが大きく開けられ家内が担当看護師が点滴スタンドを持ちもう一人の看護師が押すベッドに乗せられ出てきた!・・・

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昏睡状態と思いきや、声を掛けると、こちらに顔を向けて笑顔で答えてくれた☆そうだ、下半身麻酔だったのだ、あの笑顔から察すれば、どうやら手術は大成功のようだ☆良かった良かった☆小生、担当医に訊ねた、既製の人工関節を家内の膝関節に合うように削ったのか?それともと人工関節に合せて家内の関節を削ったのか?と尋ねると、後者のようだった、執刀医に心から感謝の意を伝えた、家内は向かいにあるレントゲン室へそのまま運ばれて行き、術後の右膝関節の映像が撮られた・・・

暫らく部屋の前で待つと部屋へあわただしく入って行き、看護師2名は機器の装着にかかった、綺麗な術後のクッキリ綺麗な人工膝関節のレントゲン写真がPCに映っていた、部屋では心拍数、上下血圧の値、酸素量/分、呼吸数/分などがモニター画面に映し出されるアラーム付きBedside Monitor 機器が左腕に、右腕には点滴針が、下腹部には手術中に装着された排尿管が、マットと枕で挙上された両足首には加圧値130mmhg/毎秒に設定された血栓予防のための“フットポンプ”が、手術した右膝にはニー・プレスがかまされていた・・・

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術後は血圧はどうしても106/60と低くなるが安定している、心拍数値も62くらいで安定している、総酸素量も92ぐらいで、呼吸数も18ぐらいで落ち着いている、看護師が計ってくれた体温も35.7℃と良い、義姉と看護師が去った後、船酔い状態のように朦朧(もうろう)とした家内に訊くと手術は常にウイ~んウイ~んと電動ノコギリが、カンカンと金槌の音が聞こえていたそうな・・・

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今夜10時ごろになると飲水が出来るようになる、明日の朝には普通食がベッドに配膳される、6時半ごろ家内に『明日12時ごろに来る』と別れを告げて部屋を出た、地下の食堂“Bien Mall (8:00~19:00)”に降りて行って、自動販売機から食券かって“梅・昆布そば”食べてから帰路に着いた・・・

帰宅すると夜勤の次男は出勤した後だが、長男がまだ帰宅してなくサクラ一人淋しく留守番していた、今夜の加古川第九セッションを初めて欠席することにした、暫らくして長男が帰ってきたので、遅刻だが半分の1時間でも第九へ行きたい思いが募ってきたが・・・否、やっぱり今夜は第九を諦めることにした・・・

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