Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

平成の若大将“ミスター・エイトマン”が決めた☆ 2008年10月26日

2008-10-26 08:52:32 | 日記・エッセイ・コラム

ダイエットなら<script type="text/javascript"></script>

【MJ】取引手数料無料のオンライン外国為替取引

金曜日のCS2ndStage第3戦同点引き分け劇は凄かった!☆1点先取したものの4回に谷繁に右中間にふらふら~~と落ちるタイムリーなどで3点が入り逆転されるとジャイアンツに暗いムードが流れた、しかし6回イ・スンヨプがその悪いムードを跳ね飛ばす起死回生の特大3ランが飛び出すと一気にジャイアンツは活気付いた☆☆北京五輪ではイ・スンヨプにやられたが、巨人フアンにとって彼がこんなに誇らしげに思えたことはなかっただろう・・・

その後同点に持ちこまれるも若い山口鉄也(25歳)と東野峻(たかし、22歳)が力投し同点を死守した、12回延長戦の末、貴重な5-5の引き分け勝利を勝ち取ってドラゴンズに王手をかけることとなった、そしてそして小生が期待した通り、昨夜小生が氷丘南混声コーラスの音練から帰宅してラジオをオンすると同時に原ジャイアンツのCS2ndStage第4戦6-2の勝利の瞬間と3勝1敗1分けアドバンテージ1勝の6年ぶり31回目の日本シリーズ進出が伝えられた☆☆(^o^)ノバンザ~~イ

11月1日東京ドームで開幕する日本シリーズの対戦相手は奇(く)しくも2002年第2次長嶋ジャイアンツを継いだ1年目第1次原監督ジャイアンツが伊原春樹監督率いる西武ライオンズに4連勝して日本一を勝ち取った、今回は渡辺久信監督率いる、同じ埼玉西武ライオンズとなった・・・

2年目の2003年はリーグ3位に終わり、また思慮を欠く当時の渡辺恒雄オーナーとの確執(かくしつ、不和)が生じて、僅か就任2年間の原監督悔し涙の勇退に繋がっていった、このしっくりいかない納得を欠く堀内恒夫監督への引継ぎは多くの巨人フアンを失っていった、だか2006年原辰徳はジャイアンツに監督として帰ってきた、その年リーグ4位に終わったが、2年目昨年2007年にはリーグ制覇を果たした、CS第2ステージで因縁のドラゴンズに3連敗したものの・・・

そして今年2008年セントラル・ペナントリーグではタイガースとの最大13ゲーム差をひっくり返して大逆転優勝を果たす“メイク・ドラマ”の1つ格上の“メイク・レジェンドMake-Legend”の新しい伝説を達成した☆☆小生、日本選手権シリーズはどちらが勝利してもかまわない、ここまで原監督も渡辺監督も心から全て選手達を信じて闘ってきた名将であるから・・・

先週金曜日送迎業務を終えて夕方Caravanをケアホームに戻して家路とは逆の北方向、水管橋を渡ってあの日本武尊が小碓命(おおうすのみこと)と呼ばれていた幼少の頃駆け巡っていた升田山へ向かってジョグして行った、いつも下から眺めて一度登ってみたい、神代の悠久のロマンに浸りたいと思っていた3つ岩山・・・行者山(標高98m)―黒岩山(標高132m、クラマ山・天下原とも言う、土地の人は“あまはら”と云う)―升田山(標高105m、別名・上ノ山)岩尾根で結ばれた“八十(やそ)の岩橋”三山が雨上がりの夕日に照らされていた・・・

ここで勝手ながら中断して13時30分から始まる東加古川公民館でのシティオペラ“バレンタイン・プレゼント”コンサートの音練に出かけます、12時から行われている第26回全日本大学女子駅伝大会の模様はテレビ録画予約してあるので後日報告します、では後ほど・・・

ただ今帰ってまいりました・・・小さな鳥居をくぐり岩肌に刻まれた粗末な階段を上っていくとやがて小さな祠(ほこら)があった・・・がそれ以外は何もなかった、その先には路(みち)はなく、急斜面の岩肌がそびえているだけだった、雨上がりの直後とあって岩肌は滑り危険であった、別の登り口を捜したが雑木林が茂り道らしき道は見つからなかった、同年輩の村の人に尋ねたが「子供の頃には頂上へ登りよく遊んだものだったが、今は荒れ放題になっていて何処にも路はない」とのことであった、以前一度少し離れた村・天下原(あまはら)にある行者山に行ったことがある、そこには路があったようであった、また天気のいい日に再度チャレンジしてみよう・・・

播磨風土記には、清流・加古川の直ぐそこに迫るこの山の石で斗(ます)と乎気(おけ)を作ったことから斗形山(ますかたやま)から訛(なま)って升田山となったとある・・・水足の村に鎮座する日本武尊誕生の産湯を張った石桶はこの升田山の石で作られたものかもしれない・・・また「麓(ふもと)から峰まで石橋があった、上古の時、この石橋天に至りて、国造りの二神・イザナギ命、イザナミ命が八百万(やおよろず)の神々の内より遣わせし八十人衆の使者が上下往来した」と記されている・・・小生古代ロマンが好きである、いくらでも夢が膨らむ・・・

ヒーリングクラシックスなら<script type="text/javascript">function Button27536(){para="?pa=d34101Z&ad=E1486o-X27536x";site="http://track.affiliate-b.com/reqclick.php";qu=site+para+"&url="+escape(document.URL); window.open(qu, '_blank');return false;}</script>/p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上原がドラゴンズを止めた 2008年10月23日

2008-10-24 00:19:22 | 日記・エッセイ・コラム

エクササイズ<script type="text/javascript"></script>

【MJ】取引手数料無料のオンライン外国為替取引

昨日パ・リーグCS(クライマックス・シリーズ)第2ステージ第5戦、涌井の完投完封の活躍で西武ライオンズが日本ハムを9-0の圧勝で破り日本シリーズへ駒を進めた、一方セ・リーグの覇者・巨人ジァイアンツは、リーグ2位の阪神タイガーズを第1ステージで破り第2ステージに上がってきたリーグ3位の中日ドラゴンズにクルーンが痛いタイムリーを打たれて3-4で第1戦目を失った、あの昨年の悪夢の予感が小生の脳をよぎったが・・・

今日のエース・上原浩治は輝いていた、あの2006年WBCチャンピオンの勇姿が再現したかの様であった、9回のマウンドを東野峻(たかし)に譲ったものの、8回まで中日の攻撃を9三振の好投で抑えて、その悪い予感を拭い去った、巨人の打撃が爆発した、小笠原が満塁ホームランを含む2打席連続本塁打を放って上原を援護し11-2で中日を突き放した・・・

今夕テレビで2009年3月WBC(World Baseball Classic 、五輪野球に替わって16カ国参加国、2009年以降は4年ごとに開催)の日本監督を誰にすべきか議論されていたが、小生も日本シリーズ優勝チームの監督が就任することに決めれば、一番スッキリして良いのではないかと思う、故に2009年のWBC監督は2008年日本シリーズのチャンピオン・チームの監督が決まることになるだろうことを・・・

これで巨人はアドバンテージを含めて中日との対戦成績を2勝1敗と有利に持ち込み、明日の3戦目に勝てば6年ぶり日本シリーズ進出に王手をかける事になる、小生今シーズンは原・巨人を応援してきた、巨人の選手たちよ、どうか原監督を男にしてやって欲しい、10日のヤクルト戦で右肩を強打挫傷した阿部慎之助が今日は戦列から離れたが鶴岡と実松が阿部の代役をよく果たしてくれた・・・

今日ジョギングしながら帰宅の途中あのイギリス人のAETに「Long time no see.」久しぶりに会った、小降りだが雨が降っていたので上着を傘替わりにして頭上にかざしながらやって来た、数枚新しいチラシを手渡した、『It's kind of you.』と言って喜んでくれた、忘れていた彼女の名前のサラは尋ねなおして思い出したのだが、リュックに入れていた小生の名刺を渡すのを忘れていた、次に会った時に忘れず渡すことにしよう・・・

テレビショッピング<script type="text/javascript"></script>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第85回箱根大学駅伝記念大会に向けて 2008年10月19日

2008-10-19 17:16:45 | 日記・エッセイ・コラム

うどん 販売なら<script type="text/javascript"></script>

━━━━━━━━━ PR ━━━━━━━━━━   

『この食事に逢えて健康ライフをゲッツ☆☆』  

…………………………………………………………

小生のDS HPで~す: http://magical-fun.net/okanagsakebi/

オカナガン製品体験発表HPで~す: 

http://members.at.infoseek.co.jp/puttim/kmnew/okanagaNewtaiken.htm

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

昨日10月18日(土)9時スタート時の気温21℃快晴のもと、第85回東京箱根往復大学駅伝記念大会出場権を勝ち取るため関東学連の45校521人(各校より最多12人が出場して上位10人の合計タイムで争う)が東京都陸上自衛隊駐屯地グランドを一斉にスタートし、立川市街地をくねくね巡り、11km過ぎからから入っていく国営昭和記念公園、そしてゴールへの20kmのコースで死闘が繰り広げられた・・・

今回は85回記念大会という事で、いつもの10校より3校増しの13校の予選会勝ち抜け代表権を競い合うこととなった、84回大会のシード校9校(関東学連選抜が4位に入ったため1校少ない、駒澤大、早稲田大、中央学院大、亜細亜大、山梨学院大、中央大、帝京大、日本大、東洋大)に加えて、どの13校が選考されるのか??、今年も今朝の10ch日本テレビ“ザ・サンデー”がその予選会の模様を伝えた・・・

誰でもそうだろうが小生、いつもこの予選会の番組を涙なしには観られない!!徳光も国生も三宅も佐藤アナも泣いた、新春2日3日の本番よりドラマチックで感動的な人間ドラマに満ち溢れている、今回番組で取り上げられたのは、5年近く前当時の小野大介陸上部マネージャーのメール『僕達を指導してもらえませんか』が当時エスビー食品所属の花田勝彦のもとに届いた、その時から初出場を目指す歩みを始めた群馬高崎の上武大学、と2年前予選会通過あと1秒に泣いて4年ぶり出場を目指す拓殖大と32年前の箱根駅伝10区で途絶えたタスキを取り戻しに33年ぶり出場をかける青山学院大の3校だった・・・

先頭の明治大・松本昴大や東農大・外丸和樹や東海大・佐藤悠基らのトップ集団が最初の1キロを2′51″で入り、5キロを14′45″で、10キロを29′45″で通過していくが、佐藤は左太ももにケイレンをおこしたか、10キロを15位通過と遅れていく、外丸と田中佳宏(城西大)、五ケ谷宏司(専修大)、高橋優太(城西大)、伊藤太賀(拓殖大)、小野裕幸(順天堂大)らが快調に飛ばし15キロを44′44″で通過していく、一丸とまとまった上武大は15キロまでに10人が通過を決めた☆☆城西大勢の強さが目立つ・・・

1位に10°13′20″で城西大が、外丸が59′41″トップでゴールした東京農大が10°13′46″で2位に、3位にあの上武大が10°15′47″で初出場を決めた☆☆4位日本体育大、5位に4年ぶり出場を勝ち取った拓殖大、6位に神奈川大が、7位に佐藤は112位でゴールしたものの東海大が37回連続出場を決める、8位に専修大が、松本昴大が後半右太ももをつったものの明治大が9位でゴールする、10位に前回9区で繋げなかった大東文化大が雪辱を果たした・・・

11位~13位は関東学生陸上競技選手権大会インカレ・タイムからはじき出された減算タイムが加味されて決まる、11位に国士館大が、前回山登り5区で小野裕幸で途中棄権した順天堂大が本人の10位ゴールの頑張りで12位に入った、そして6秒差で法政大を破り13位に原監督率いる青山学院大が33年ぶり14回目の出場を獲得した☆☆72回出場の常連校・法政大は次点に甘んじて先輩が築いてきた歴史の重みを涙で味わった・・・

ドクターキッチン

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある女性AETとの出会い 2008年10月18日

2008-10-18 19:13:42 | 日記・エッセイ・コラム

美容部員

<<script language="Javascript" src="http://bp.edita.jp/movie_load.php?edita_pid=48ecfb430e605&amp;edita_mid=45f8f47c57cc8&amp;edita_yid=Wu3HGPISf4Q&amp;edita_movie=large&amp;child=0&amp;edita_link=http%3A%2F%2Fwww.senkusha.jp&amp;edita_src=http%3A%2F%2Fimage.edita.jp%2Fimage_data%2Fpoint_program%2Fmovie%2Foyabaka320_160.jpg&amp;edita_enq=0" type="text/javascript" charset="UTF-8"></script>/p>

4時過ぎ午後の送迎業務を終えて、つつじの家デーケアセンター山角の送迎バス、日産CARAVANを我が家から800m離れたつつじの家ケアホームの庭に置いてから、家路に着き走っている途中で3~4回ほどスラックス姿の白人女性とすれ違う事があった、こんなところに白人女性が住んでいる??何してるんだろう??

ある日利用者を全員送り届けて、加古川北高校の横の坂道を下っていると、下校していく学生達の群れに混じって徒歩で家路に向かう彼女の姿を発見した!☆はぁは~~~ん、彼女が北校でAET(Assistant English Teacher補助英語教員)をやっている事実を把握した、小生14年ほど前に加古川国際交流協会が募集した第1次外国人の為の日本語教室・ボランティア教師(20名)に応募し採用され、半年間土曜日YMCA専門日本語講師から研修を受けたあと修了証を頂いた、当時仕事から帰ってから、7時開講の夜間日本語中級教室の日本語教師を他の教師とローティション組んで4年間勤めた経験がある、そこには加古川市内と近郊のAETがやって来ていた・・・

1週間ほど前すれ違いざま、真っ直ぐ前を向いて通りすぎて行こうとする彼女に思い切って声をかけてみた、「Hi, Are you from America?」3メートルほど離れたところで小生のほうに振り向いて『No, I'm from England.』と答えてくれた、「Where about in England?」→『South of England.』→「I see. See you.」で別れた・・・

昨日金曜日にまた彼女と出くわした、何故か少し派手やかな出(い)で立ちであった、特にクリーミーな明るい色のスラックスが印象的であった、「Nice meet you again. I have something for you. 」、リュックを下ろして中に偲(しの)ばせていた加古川市内で予定されている加古川第九とお師匠さん・藤野敬子氏のコンサートを含む4枚ほどのポスターと加古川マラソンのポスターを説明しながら手渡した、彼女はコンサートに興味を示してそれらを感謝して受け取ってくれた、それから、背丈は小生の166cmと同じ位、目の前でじっくり眺めれば小顔でなかなかの美人☆☆輝く笑顔で小生に右手を差し伸べてしっかり握手して、名前を教えてくれた・・・

小生もカナダで呼ばれていた“Frank”を名乗った、彼女は日本に来てまだ3ヵ月目で加古川には不慣れの様だった、今彼女も国際交流の日本語教室に通っているらしい、少し小生の自己紹介もして、「I'll give you more infomation of events going on in Kakogawa.」で別れた・・・しかし幾ら思い出そうとしても彼女の名前が出てこない!!サリンなどの2母音の入りの聞き慣れぬラテン系の名前だった、今度会った時許しを乞うて今度は忘れないようにしよう・・・

昨夜の加古川労音エイサー隊の練習会では初めて第6曲目の踊りを練習した☆☆7曲目も1回流してくれた☆☆もうすでに園芸のシーズンが始まっている、ブルーベリーとビルベリーの植え替えも控えている、半端でない伸び放題の枝の剪定も暫く続きそうである、これからはブログの更新もままならぬ日々が続くかも・・・悪しからず・・・

カニ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4人の日本人科学者にノーベル賞の栄冠が☆ 2008年10月13日

2008-10-13 12:13:03 | 日記・エッセイ・コラム

DTP

━━━━━━━━━ PR ━━━━━━━━━━   

『この食事に逢えて健康ライフをゲッツ☆☆』  

…………………………………………………………

小生のDS HPで~す: http://magical-fun.net/okanagsakebi/

オカナガン製品体験発表HPで~す: 

http://members.at.infoseek.co.jp/puttim/kmnew/okanagaNewtaiken.htm

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

先日7日と8日の連日、日本時間夜の7時過ぎ(アメリカ東部時間未明の5時頃)スウェーデン王立科学アカデミーからそれぞれ4人の日本人科学者にノーベル賞授賞の発表が入り世界経済恐慌的金融市場混乱の中(日本では自社株買いに走り株価の安定を図っている)に灯りがともった☆☆下世話な話だが各賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円!☆)が均等に分配される事になる、7日にはノーベル物理学賞が47年前の研究“素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見”が花咲き南部陽一郎氏(1921年生まれ87歳、東京生まれ福井育ち、東京帝大理学部→大阪市立大助教授・教授→シカゴ大助教授・教授・名誉教授)に、また・・・

36年前の2人の共同研究“クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見”が稔り益川敏英氏(1940年生まれ68歳、名古屋出身、名古屋大大学院理学研究科→京都大助手・基礎物理学研究所教授・所長→2003年より京都産業大教授)と、小林誠氏(1944年生まれ64歳、名古屋出身、名古屋大大学院理学研究科→高エネルギー物理学研究所・KEK高エネルギー加速器研究機構教授・KEK素粒子原子核研究所長→2007年より日本学術振興会理事)に贈られる事が発表された・・・

そして翌日8日にはノーベル化学賞が、米コロンビア大学教授のマーチン・シャルフィー氏と米カリフォニア大サンディエゴ校のロジャー・チェン氏との共同受賞であるが、46年前の研究“緑色蛍光たんぱく質(GFP=Green Fluorescent Protein)の発見と発光機構の解明”が日の目を見て下村脩氏(おさむ、1928年京都府福知山生まれ、80歳、長崎医科大付属薬学専門部→長崎大助手→名古屋大助教授→1960年プリンストン大MBL=Medical & Biological Laboratories留学→1962年より米シアト近郊ワシントン大臨海研究所→米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員→2001年より米ボストン大名誉教授)に授賞されるグッドニュースが舞い込んだ・・・

これまで科学の英知が学術的に解明してきた世界の不思議は数々ある、小生この無限に果(は)てしなく広がる大宇宙の存在の謎は、地球と人類と全て生命を持つものを含めこの宇宙に在りしもの全ての存在は、また小生、神が秩序正しく精巧に創造されしもののなかに、神の偉大で無限の力を表わすもので溢れている真実に脅威する者である、そのひとつひとつの存在が科学によって開かされて行く度、神の御業の素晴らしさに驚嘆させられる・・・

この大宇宙は即ち神の天地創造は聖書の中で判りやすく述べられているが、人の科学という英知に寄れば、仮説ではあろうが、約137億年(天体スペクトル相関関数・ハッブルの法則 ν=HoD で割り出したのだろうか??小生にはさっぱり判らない)前に宇宙と言う空間が極度の高温高密度の飽和状態に達しビックバン(Big Ban)と言われる大爆発を起こした・・・

その時生まれた粒子と反粒子は同じ数、発生した筈だが僅か粒子の方が多かったらしい、この違いを“CP(荷電共役変換、Carge Conjugation Parity)の破れ”というらしい、粒子と反粒子が出会うと光を放って消滅してしまう不思議な性質があるらしい、もし両者が併存していると宇宙には物質は消滅してしまうが、現在の宇宙には反粒子は見当たらず(高エネルギー加速器で人工的に創らない限り存在しない)粒子だけが生き残り、空間は時間の経過と共に次第に膨らみを広げ無数の小宇宙天体(Galaxy)にまとまり我々が存在する太陽系天の川銀河やソンブレロ銀河や巨大アンドロメダ銀河などが誕生して分離されていったらしい・・・

南部氏は1960年代反粒子がこの宇宙から消えたのは、電荷の強い粒子が反粒子を燃やしてしまうという性質以外に反粒子そのものが持つの生存確率の低い寿命に目をつけた、超電導(絶対零度で単体金属が電気抵抗が消滅する)と真空実験において質量(重さ)が生まれることで“対称性の自発的破れ”を証明した、これは素粒子の基礎理論/標準理論として世界の注目を浴びた・・・

素粒子理論に寄れば質量をもつ物質は細かく分解していくと、分子は原子の集まりからなり、各原子には原子核があり、原子核の周りを電子が回る、電子は電気を帯びる陽子と電気的に中性の中性子が結合して成る、この陽子はそれまで中性子との3つのクォークの対“アップ”、“ダウン”、“ストレンジ”の3種類しか存在しないと考えられていたが、

1973年当時京大理学部助手であった益川・小林両博士が陽子は1974年4番目“チャーム”、1977年5番目“ボトム”、1995年6番目“トップ”の寿命が3世代に及ぶ6種類のクォークの対をから成り立っていることを“中性K中間子(meson、質量が電子と陽子の中間)の崩壊におけるCP対称性の破れを証明するモデル”を提唱して素粒子基礎理論に付け加えた・・・

下村氏の光り物の研究は1956年長崎大薬学部技術職員時代に既に始まっていた、海岸を歩いてはウミボタルを集め発光の元になる色素“ルシフェリン”抽出に成功している、1962年プリンストン大・フライデーハーバー研究所時代家族と研究所職員と共に西海岸やバンクーバー海岸で1日3000匹(1年で10万匹、10年間で85万匹)ものオワンクラゲを採取して、体内から発光物質“イクオリン”の複合体である光るたんぱく質『緑色蛍光たんぱく質“GFP”』を発見しその抽出に成功した・・・

このGFPに紫外線を照射させると緑色に発光する、生物の体内には何万種類ものたんぱく質が存在するとされる、これまで細胞内の個々のたんぱく質の動きを区別して観察する事は難解であったが、ガン細胞とか脳神経細胞など特定のたんぱく質にだけにこのGFPを組み込むと、細胞分裂してから緑色に光ながら血中やリンパ腺を移動していくGFPの動きからガンの発症・転移、また脳神経細胞の減少を伴うアルツハイマーや痴呆のメカニズムをバーチャルで解明する事に役立つ・・・

再生医療など遺伝子工学技術が発展した今、このGFP遺伝子を万能性を持つナノグ(Nanog)というタンパク質に、個人の培養され移植された3~4種類の新型万能細胞“iPS細胞(人工多能性肝細胞)”と共に組みこむとその増殖と識別が一目瞭然となる、これまで1/10000の成功率だったiPS細胞導入多臓器生成成功率アップに貢献でき、今後脚光を浴びる事間違いない☆☆1997年にはすでに大阪大微生物病研究所にてGFP遺伝子をマウスに組み込み、世界で初めての“光る哺乳類”を創ることに成功している☆☆この医療技術が人間に応用できるようになれば、日本はいや世界は画期的生命科学の夜明けを迎えることになる☆☆(^o^)ノばんざ~~~い

株チャート<script type="text/javascript"></script>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする