そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

50才を超えたサリドマイド児から学ぶ

2015-03-05 | 市場経済
留守の間、ビデオに落としていた番組の中に、「薬禍の歳月 サリドマイド事件50年」というのがあった。もう忘れかけていた手足の欠損した、サリドマイド児を思い起こした。彼らはすでに50才を超えていた。
イソミンという夢の睡眠薬が、テレビコマーシャルで流されていたのを記憶している。その成分サリドマイドが妊婦が服用すると、胎児に手足の欠損した子供が生まれるという、典型的な薬害事件であった。製薬会社と政府は因果関係を認めなかったが、10年後に両者は和解した。
しかし薬禍は当然のこととして継続され、事件が終わったわけではない。
309人の被害者で結成される、「いしずえ」は現在も、被害者の情報交換の場所になっている。事件の概要を知りたい方は参照下さい。
被害孤児たちは50才を超えるようになって、新たなことが解ってきはじめたのである。外部的な奇形に留まらず、骨の欠損や異常な形などや、内部臓器の異常や奇形が明らかになってきたのである。更には、異常姿勢や無理な体型の長年使用で、2次的な障害や異常も起きているのである。
サリドマイド児の一人の発言が突き刺さる。札幌の公園に両手のない乳児として遺棄されていた。命は取り留めたが、両親が解らない。国と交渉し和解金を受け取る親がいないのである。現在北海道の農場で働く52才の彼はこう発言した。
「両親はすべての責任を、俺にだけ押し付けて問題を解決している。サリドマイドを製造販売した人たちは何の罪も問われない。すべてのことを俺の身体が受け止めている。何の罪もない俺がすべてを受け止めている」というのである。
彼は若くして腎臓障害になり、週3日透析を受ける身体になってしまった。透析を受ける手が彼にはない。やむなく足の血管を手術し透析を受けている。片方の足は通常の血管がなく、止む無く効き足で透析するのである。
サリドマイド児だけではない。私が薬さえ飲まなければよかったのだと、母たちは自らを追い詰めていた。その多くの親たちもすでに他界している。
その後の日本は、薬害エイズ事件、薬害肝炎事件、ライ症候群など薬害が絶えない。そこで繰り返される構図はいつも同じである。製薬会社と国は因果関係を認めないか、先延ばしするか責任のハードルを引くするのである。水俣病もカネミ油症事件も同類である。この国は何度こうした事件を繰り返せば気が済むのだろう。

昨年「いしずえ」は結成40周年を迎えた。被害者でもある増山ゆかり常務理事は、「生きるとは何か。幸せとは何か。差別とは何か。あなたたちにとって、大切なものは何かを問い続けてきた。これからの10年20年生きて行く先も、問い続けていきたい」と結んだ。逞しい被害者の言葉である。
サリドマイド事件を我々は忘れてはならない。

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