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半透明記録

もやもや日記

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食っちまいました

2006年03月12日 | もやもや日記
あんなにあったチョコレート(「大人買い」の記事参照のこと)が、とうとうなくなってしまいました。はあ。さびしい。今、最後の1枚を食べています。随分食べたなあ。20枚くらいあったのに、2か月はもたなかったなあ。

チョコレートの安売りは、今も時々スーパーで開催されているのですが、その値札には「おひとりさま 3枚まで」などと書いてあるのでした。……こ、これは、ひとりあたり15枚もゴッソリ掴んで買っていった我々(私とK氏。そして次の週にも10枚くらい買った我々)への当てつけですか……? いやあ、でも大量買いした人は、他にも沢山いたんだろうなあ。いずれにせよ、ちょっとおとなげなかったかもしれないと反省もしています。

明日から、チョコレートの買い置きのない生活が始まるのか。実にさびしいことであります。まあ、でも、「おひとりさま 3枚」で十分足りるよな。よっしゃ、買ってくるぜ。

移転しました

2006年03月09日 | もやもや日記
どっちでも良いことなのですが、このたびホームページを移転いたしました。


移転先はこちら  『不透明記録』 : http://ntmym.web.fc2.com/


前から、なかなか繋がらないような気がしていたのですが、今日いよいよ本当に繋がらなくなってしまいました。不思議。ひょっとして私だけが繋がらないんでしょうか……。まあ、一時的なものだったかもしれませんが、つい思いつきで移転を決意。ちょっと快適になりました。それでもやはり、画像が表示されてなかったりすることもあるので、問題は私にあるのかもしれません。難しいなあ。

『アネモネ』

2006年03月08日 | 自作アニメーション

  新作アニメーションを作ってました。
  タイトルは『アネモネ』。
  こちらからご覧いただけます。→不透明記録



例の黒い猫と白い猫が登場するアニメーションを作りました。他の作品の訂正も終わってないのに、なぜ新しいのに手を出すのか……。わ、わかりません。

あらすじは、なんか春な感じです。(あらすじじゃない)
いつも通り、これといってどうということもないお話です。短いですので、お暇な方は是非ともご覧下さいませ。


感想など、お聞かせいただけるとたいへん嬉しゅうございます。
どうぞよろしく。

『ムーミンパパ海へいく』

2006年03月06日 | 読書日記ー北欧
トーベ・ヤンソン=作・絵 小野寺百合子=訳(「ムーミン童話全集7」 講談社)


《あらすじ》
ムーミンパパは、ある日、あたらしい生活をもとめ、一家をつれて海をわたり、小島の灯台もりになりますが……。

《この一文》
”「もちろん、わたしたち、いつでもピクニックをしているわけにはいかないわ。ピクニックはいつかはおえなければならないでしょ。あるときふいに、また月曜日みたいに感じるのじゃないかと、わたしはそれがこわいの。そうしたらわたし、いまの生活が現実だとは思わなくなりそうで……。」
 こういってママはだまりこむと、そっとムーミンパパのほうを見ました。
「なに、もちろんこれが現実さ。いつでも日曜日だったら、すばらしいじゃないか。そういう気持ちこそ、われわれが見うしなっていたものなんだ。」
 と、ムーミンパパはびっくりしていいました。
「いったい、なんの話をしているのさ。」
と、ちびのミイがききました。       ”



これまでのシリーズとは趣がやや異なるようです。
一家はムーミン谷を離れ、海の彼方の島にある灯台で暮し始めます。新しい生活に意欲を燃やすパパ、新しい生活を整えようと頑張りながらもムーミン谷を思いホームシックにかかるママ、美しい「うみうま」に憧れながらもモランのことも頭から離れないムーミントロール、いつでもどこでも変わらないちびのミイ。新しい環境は、ムーミン一家にこれまでとは違った関係をもたらします。少しずつ家族がすれ違っていく様は、少し悲しい感じがします。
先日、TV番組で見たのですが、この『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』は、シリーズの中でも特に大人向けに書かれた作品であるそうです。時が流れて、家族も少しずつ変化していきます。

いつまでも一家の子供と思われていたムーミントロールも、パパとママにとっては確かに子供に違いないのですが、わずかながら青年になる兆しが表れ始めるのでした。彼は、美しく不可解な「うみうま」に恋焦がれる一方で「あまりその人のことを考えてはいけない」と言われている「モラン」とも密かに関わりをもつようになります。家族に対する反抗心も出てきます。
ムーミンパパは、一家のリーダーとして張り切りますが、島の生活は謎と困難に満ちていて、あれこれと上手くいかなくては怒り出し、また、父親らしくふるまうということの難しさを自覚したりします。
ムーミンママは、当初は島でも家族のためにムーミン谷いた頃と同じように生活を整えようと思いますが、そのうちに自分で描き上げたムーミン谷の庭の世界でひとりで過ごすようになるのでした。
あまり変わらないのはちびのミイだけで、彼女は島でもいつもの彼女のままでした。変わっていくことにとまどっているかのような家族を立ち直らせるのは、いつもミイの一言です。彼女のように強い独立心を持って生きていくならば、きっといつでもどこでも自分を見失ったりはしないんだろうなあと思います。ミイを変えることができるのは状況ではないのかもしれません。場合によって左右されない自分を持っているというのは素晴らしいことですね。

今回の物語はやはりどこか悲しいです。これまでのムーミンの物語は何度読んでも楽しめそうだと思ったのですが、今度のはどうも楽しめません。それでも、やっぱり何度でも読んでしまうだろうとも思います。まだよく分からなかったところが沢山あるので。いずれまた読む必然が生じるでしょう。


さて、最終作の『ムーミン谷の十一月』は今手許にあるのですが、読めるかどうか分かりません。この物語の結末については、このあいだ見たNHKの番組で放送されていたので知っているのですが(うっかり見てしまいました、くっ)、私は物語がそこでおしまいになってしまうことに耐えられません。うーむ、ムーミン一家がこれからどこへ向かうのかは気になるけれど、これはもうちょっとあとで読もうかな……。

不思議な現象

2006年03月05日 | もやもや日記


私の弱点がまたひとつ明らかに。

今日、外で信号待ちをしているとき、目の前を自動車教習所の自動車が通り過ぎていきました。車体の側面には「○○自動車教習所」という文字が進行方向から後方へ向かって書かれていて、私の側から見ると「所習教車動自○○」というように見えました。こんなとき「おやっ」と思われる方は多いと思われます。私も「おやっ」となりました。ところが、逆さまに見えるということに気が付いた後も、依然として文字が読めません。こ、これは……。

文字がバラバラに分解されてしまって読めなくなるという症状に、時々私は襲われます。どういう文字でもそうなのかというと、分析の結果、太い文字(テレビ画面に表示されるテロップや、看板、ポップなど)の場合、なおかつ横書きの場合にのみこの症状が現れるようです。普通に本を読むのには何の問題もありません。活字と縦書きは大丈夫らしい。う~む、何なのだ。

さて、このとき、私にとって文字は一体どのようになってしまっているかというと、漢字であれば、ヘンとツクリが入れ替わったり、天地が逆だったり、熟語の場合は、ひと文字ひと文字がバラバラの上に、恐らく熟語全体の順番もバラバラしている感じです。平仮名や片仮名の場合もやはり、反転していたり回転していたりします。あるいは単純に鏡文字のようになっていることもあります。

別に、これといって困る程のことではないので構いませんけれど、私の脳はさぼっているのかあるいはただ見たものを伝達するだけでは飽き足らずちょっとの演出をしてくれているのか判断がつきません。ひょっとしたら後者かもしれないと、今日ふと思い至りました。思い起こすと、私がこんな状態に陥るのはいつもアニメーションを製作している時なのです。しょっちゅう画像を反転させたり回転させたりしているので、どうもその癖がついているのではないだろうかという気がします。作業中でもないのに、あれこれとぐるぐる回してくれるとは、頑張り過ぎだなー私の頭は……。(そのくせ肝心の作業は丸っきり進まないのが切ない。はっ、やっぱどっちかと言うとさぼりなのか……? 惰性……おぉ)

以上、どうでもよい私の弱点でした。
お優しい方々は、わざと鏡文字などを書いたりして、私をいじめたりはなさいますまい。

『こまねこ』

2006年03月03日 | 映像(アニメーション)
NHKのキャラクターの「どーもくん」を可愛いと思う私ですが、先日、そのどーもくんの制作スタッフによる『こまねこ』というコマ撮りアニメーションを発見しました。主人公のネコの顔が「うさじい」みたいだけど可愛らしい。

公式ホームページはこちら →→ こまねこ 公式サイト

アニメーションはこちらでストリーミング配信されていました
    →→ エキサイト:シネマ「こまねこ」




ネコの仕草にとてもときめきます。可愛いなあ。ネコの部屋の壁には「うさじい」らしき人物の絵が掛けられていたりして楽しいです。それにしても、コマ撮りって地道な作業ですね。

大阪の水

2006年03月02日 | もやもや日記
夕方の地方ニュースを見ていたら、漫画家の西原理恵子さんが先月のNHKの全国放送で「大阪の水はまずい」とおっしゃったことを受けて、大阪府の水道局と対決した模様を特集していました。大阪府では、淀川の水を微生物処理→オゾン→活性炭→塩素などなど何段階にも渡って浄化しているらしいです。へえ、知らなかったなー、頑張っているんですねー。結局、西原さんは「出来たばかりの水道水なら、おいしい」けれど「蛇口から出てくる水は、やはりまずい」という結論に達せられたそうです。なるほど。まあ、水道局から家の蛇口までは随分と長い経路を伝わってきますから、その間においしくなくなることはありそうですよね。

実は、私は東京から大阪へ移ってきて2年になりますが、大阪の水はおいしいと感じています。東京で暮していた頃は、水道水を沸かしても匂いと味が気になって飲むことが出来ず、近所のスーパーの無料の浄水サービスを利用して生活していました。そのような経験があったのと、大阪の水もまずいという風評から、こちらに移ってきてからも、「ブリタ」の浄水ポットを利用しておりました。ところが、そのブリタのカートリッジを切らしたことがあって、やむを得ず水道水をそのまま沸かしてお茶を飲んでみたのですが、これが普段と全然変わらなかったのでした。ちなみに私の郷里は水がとても清くおいしいところで、当然私は水の味に関してはかなり敏感な性質です。そんな私の感覚にも丸っきり違和感なく飲めたというわけで、今は水道水を沸かして、毎日コーヒー三昧です。緑茶でも紅茶でも、普通においしいです。すごいぞ。

私がおいしく水を飲むことが出来るのは、水道局が頑張って浄化してくれているおかげであって、普段は何気なくジャバジャバと使っていた水ですが、もっと気を使って使わなければと反省しました。水道から飲める水が出てくるというのは、すごく有り難いことなんですよねー。しみじみ。

『ロシア怪談集』

2006年03月01日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
沼野充義編(河出文庫)


《収録作品》
葬儀屋(プーシキン)/おもいがけない客(ザゴスキン)/ヴィイ(ゴーゴリ)/幽霊(オドエフスキー)/吸血鬼〈ヴァルダラーク〉の家族ーある男の回想(A・K・トルストイ)/不思議な話(ツルゲーネフ)/ボボーク(ドストエフスキー)/黒衣の僧(チェーホフ)/光と影(ソログープ)/防衛ークリスマスの物語(ブリューソフ)/魔のレコード(グリーン)/ベネジクトフーあるいは、わが人生における記憶すべき出来事(植物学者Xによって書かれたロマンティックな中編小説)(チャヤーノフ)/博物館を訪ねて(ナボコフ)



《この一文》
”この「驚き」について出した私の結論は次のようなものであるーー
《あらゆることに驚くというのは、もちろん愚かなことであり、何事にも驚かないということは、ずっと美しいこととされ、なぜかりっぱな振舞いだと認められている。しかし、本当にそうなのであろうか。私の意見では、何事にも驚かないというのは、あらゆることに驚くことよりもずっと愚かなことである。それに、それだけではない、何事にも驚かないということは、何物も尊敬しないのとほとんど同じなのだ。まったくのところ、愚か者には尊敬することができないのだ》  ーー「ボボーク」(ドストエフスキー)より”

”「じゃどうしてお前は、世界中が信じ切っている天才たちが、同じように幻を見なかったと言い切れるんだ? 今じゃ学者たちが、天才は精神錯乱と紙一重だと言っている。健康で正常なのは、君、平々凡々たる、いわゆる群衆だけさ。精神病時代だ、過労だ、堕落だなどという考えに真面目に興奮するのは、人生の目的を現在においている連中、つまり群衆だけだよ。」 ーー「黒衣の僧」(チェーホフ)より” 



喉から手が出る程欲しくなったこの1冊。お、面白い!
私が以前贈り物として頂いた「世界幻想文学1500」という本に、ドストエフスキーの「ボボーク」の紹介がありまして、その紹介文に非常に惹き付けられました。「耳元で”ボボーク(そらまめという程の意)””ボボーク”と囁く声がする」。 !! 読みてーーッ!! というわけで、幸運にも図書館にあったので借りてみました。

ドストエフスキーには、これまで何となく近づき難い雰囲気を感じていたのですが、その愚かな先入観を打ち破ることができました。うーむ、面白い。いえ、話の筋としては、墓場で死者たちがおしゃべりしているのを盗み聞くという、それほど怖くもなく、私にとっては特に新鮮な感じもしないものなのですが(なんて、偉そうに……ドストエフスキー様、ごめんなさい)、何と言うか、上に引用した本筋がはじまる前の部分がとても興味深かったのです。もうひとつ引用したチェーホフにも見られますが、思索することと愚かさや精神病との関連付けは的を射て恐ろしい。
チェーホフは「六号病室」でもこんな感じだったような気がします。考えないで済まそうとする人への痛烈な批判のように感じられ、私はかなりどっきりしました。頑張ろう。ちなみに「黒衣の僧」は、新スタートレックに出てくる「旅人」という感じですかね。ウェスリーが最後は「旅人」になってしまったのは、私としてはいまだに納得がいきません。それはさておき、「黒衣の僧」はとても悲しいお話です。主人公は非常に優秀な男ですが、周囲の善良な人々からは働き過ぎで幻覚に悩まされた不幸な男とみなされ、治療を受けます。しかし彼にしてみれば、幻覚を見なくなったことのほうが不幸であり、結局は善良な義父と妻(農園を経営するとても現実的な考えをもつ人々)をさんざん罵った挙げ句家を飛び出します。そこが悲しい。彼等はどうしてもお互いを理解することができなかったのです。普通って何だ、生活って、人生って、何だ。真理を究めようとするとき、実生活から乖離してしまう人間がいるとしたら、その人はやはり狂っているということになってしまうのか。悲しくて恐ろしい物語です。

上に挙げた2作品のほかにも、かなり面白いのが目白押しです。私が特に気に入ったのは、「ベネジクトフ(長い副題は省略)」です。チャヤーノフという人の名は知りませんでしたが、相当壮絶な生涯を送った人のようでありました。物語は、ある男が自分の魂を他人によって操られるというもの。人間の魂は三角形のコインのようなものにそれぞれ込められていて、ベネジクトフという男がふとしたきっかけでその三角形を手に入れ、語り手を含む複数の人間を好き勝手に操っていきます。語り手は、自分と同じように操られている美しい女優に恋しますが、彼女はこれから憎むべきベネジクトフと結婚するところなのでした……。私が好きなのは、結末の部分。なんて、美しいんだ! ロマンティック!!
ゴーゴリの「ヴィイ」も幻想的で良かったです。これが一番怖かったかも。A・K・トルストイの「吸血鬼の家族」も結構怖かったなー。精神的に恐ろしかったのはソログープの「光と影」。影絵を壁にうつして遊ぶってだけの話ですが、なんか怖かったです。

ああ、どうしても手に入れておきたい1冊です。しかし、当然品切れ。まあ、私が欲しがるくらいですから……ね…。