日曜にある漫画を読んだのですが、それは生産とか建設というところからはあまりにも遠いところにある恋愛を描いたもので、私はとても衝撃を受けてしまいました。私はその物語について考えたいのに、どうしてだか自分自身の恋愛のこれまでを振り返ることを強いられて、以来3日間へどろのようになって私の恋愛を振り返ったのです。いや、これまでを振り返ったら、へどろのようになったと言った方が正しいかもしれません。
私はこれまでここに、色々なことを書き散らしてきました。個人的なことを恥ずかしげもなく。私は個人的なことを書く分にはさほど抵抗を感じません。誰に、どんな風に読まれても、わりと平気です。
けれども、恋愛のこととなると話は違います。なぜなら、それは相手のあることだから。私が好き勝手に書くわけにはいきません。それで、ここ3日分の考えをまとめたいと思いながらも、文章にするべきかどうか、文章にしてしまったら私は公開したくなるだろうし、と思い悩み、どうしても書きたくなる時が来るまでは放置しておこうと決めたところでした。でも、今朝、事情が変わりました。どうしても書いておかなくてはならなくなりました。というわけで、なるべく簡単にまとめておきたいと思います。
私には恋人がいて、およそ12年のあいだ一緒にいます。私にとってその人は、ただ一人の恋人です。私はとても粘着質で執念深い質なので、最初の熱狂のような数年間を過ぎて、その後何度も繰り返し破局の兆しが現れても、どうしてもその人を手放すことができませんでした。なぜなら、私は決めていたから。その人だけだと決めていたから。
私ははじめ噴き上がるような情熱をもって、その人の魂の奥底から、肉体の、骨格まで全部を自分のものにしたいと願いましたが、別々の身体と心を持って生きることを運命づけられた二人の人間である私とその人とであってみれば、当然それは叶わず、私はかんしゃくを起こし、その人は私の激し過ぎる激しさを恐れ、私たちはいつの間にか泥沼の深くへ冷たく沈んでいきました。
どうしてもっと早く終わらなかったのか不思議です。私たちはお互いに「自分ではなく、もっと別の誰かであれば、君はもっと幸せになれるのではないだろうか」と言い合い、またある時にはお互いの相手に対する一方的で身勝手な要求を罵り合い、またある時には何か確からしく見えるような提案を虚しく差し出し合ったりもしました。
何か確からしく見えるもの。それがないと幸福になれないのではないかと思われるようなさまざまなものを、私たちはあれこれと挙げてみたものです。けれども、私が指し示すものはその人にすげなく振り払われ、その人が私に差し出してくれるものを私は非情にも叩き壊してやりました。詰まるところ、私たちの思っていた幸福とやらは、あからさまなまがい物もあれば、なかには本当らしいものもありましたが、どれも振り払えば飛び散って、叩けば壊れるようなものでしかなかったということだけが分かりました。私たちはへとへとになって、とうとう何も言わなくなりました。もうすっかり分からなくなってしまった。
けれども、そこまできてようやく始まりました。少なくとも、私にはようやく分かった。私はそもそも確からしいものなんて望んではいなかったということを。別にそんなのはなくてもよかった。私は自分が「確かなものの確かさをひたすらに疑って」生きる人間だということを、一方で「目には見えないけれどあるはずのものを信じて」生きる人間だということを、ようやくはっきりと思い出したのです。恋が始まった途端から、なぜだか見失っていた。そうしてまた、この私が何か確かなものを誰かへ差し出すことなんて決してできないのだと、私の本質からしてそうなのだと分かって、ようやくその人に対してそういうものを要求することの不合理と、無意味とを思い知りました。
今では私がその人に望むことはほとんどありません。ただ二つのことがあるだけです。ひとつは、出来るだけ長く側にいてほしいということ。もうひとつは、出来るだけその人なりに幸福であってほしいということ。
12年経って、今その人がどういう気持ちでいるのかは、たとえすぐ側にいても、私が正確に知ることはできません。しかし、私について言えば、ひとつ目の願いが叶えられている限りは、私は幸福です。私たちの間には、目に見えるものがなにもないように思えるから、なお一層幸福です。外部から保証してくれるものが一切ないようなのに、意思の力だけでまだ一緒にいるように思えるのが幸福です。私はその人のことが、今でもまだ好きだ。出会った頃とは感情の性質が少し違ってきたような気もするけれど、でもまだ好きだ。
君はどうだろう。君は少しでも幸福を感じているだろうか。
そんなことを、私は3日間考え抜きました。黙って。何にも言わないで。その人に、私がそんなことを考えているなんてことは、一言も言いませんでした。それなのに、今朝、
「もう12年になるんだね、長いね」
と、その人は言いました。私はどうして急にそんなことを言い出したのかに驚きながらも、どうせはぐらかされるだろうからと、冗談のつもりで、
「うん、長いね。今でも私のことが好きかい?」
と、血迷ったことを訊きました。その人は少し考えて、
「好きかって?……分からないけど、最初の頃とはもう性質が違うような気がするけれど、そうね」
この時の、胸が潰れるような気持ちを、私にはうまく説明できません。胸が潰れそうだった。この人は、こうやって私が何も言わないのに、素手で私の心に触ってくる。こんなことは君でなければできない。君ほどに鈍くて単純で無遠慮で、けれど賢くて優しくなければ。私には君だけだ。私には君だけだ。これでますます君を手放せなくなる。震えるほどの欲望が、ふたたび私の中を吹き荒れる。けれども、この激しい私の欲望が、一方的に君を焼き尽くそうとすることはもうないだろう。どこまで行っても、私たちは相手がどんなことを思っているのかをはっきりとは知らぬまま、誤解したり理解したと思ったりを繰り返しながら、ひとりひとりで満足するしかないだろう。確かなものはなにもないし、何も残らないだろうけれど、私はこれが楽しいよ。君は美しいものを、過ぎ去っていくだけのものを、ときどき私に見せてくれるから。それは私に焼き付いて、いつまでも忘れられない。
12年も経って、まだ恋の存在する余地のあったことにたまげた、というお話でした。ああ、でも、まだ12年なんだよ。まだたったの12年。今やっと、何度か尋ねられてきたけれどうまく答えることができなかった君の問いに答えられるような気がする。
「俺って、君のなんなの?」
君は私の恋人だ。私の、ただ一人の。恐ろしく執念深い奴から目をつけられた、可哀想な恋人だよ。アッハッハ、アハハ!
その人は、このブログを見たりしない人なので、いつかまた訊かれたら、こう答えてやろうと思っています。
明日は休日で、しかも雪になりそうだというから、一日中閉じ篭ってあの人にへばりついていよう。うざがられるだろうから、せめて心だけでも。
いや、お恥ずかしい! もう、出来れば笑ってください!(/o\;)
うん。でも、こまきさんの心を動かせる何かがこの文章にあったというなら、私の恥ずかしさなんて何でもないですよ。消さずに残しておきますから、いつでも読みにきてくださいね♪ で、出来れば笑ってください!
私は涼しい顔をして、こんなことを思う人間なのですよ。ワハハ!
*Mさん
失っても失いきれないものってありますね。それが自分にとって必要なもの、役に立つものとは限らなくても。
私はこれ以上失ったり棄ててしまったりしたくないのですが、もしそうなったとしても、私はそれとともに生きられるのでしょうか。だと、いいなぁ。
とても美しいコメントをどうもありがとうございました!
そういう意味では、どれほど失っても失うことができないものが残され、それとともに生きるほかないのだ、と思うばかりです。
思い出ではなく記憶でもない、私が棄ててしまった愛をいまも私は生きています。
涙が流れました。
熱い人だ、という面もあるとはもちろん思っていましたが、これほどとは!
なんだか、とても力のある文章で、拝読していて緊張していました。そしてすごく、えーと、うまく言葉になりませんが、強い印象を受けました。ひとことで言うと、感動、なのだけど、うまく伝わらないですねぇ。心が激しく揺さぶられた、という意味の、感動です。
また何度も読みたいから、消さないでくださいね!!
素敵な美しいコメントを、どうもありがとうございます(^^)
私はつい興奮して書きなぐってしまいましたが、落ち着いて読み返すと、相当恥ずかしいですね…。さすがの私も今さらながら恥ずかしいです。なにこれ、なに言ってるの……(/o\;)
まあ、私は幸運だったのだと思います。この人だという人に執着することを、当人から(ある程度)許されていたわけですから。どうしようもなくて諦めなくてはならない場合だってあるというのに。
ただ、もっと早くに色々なことに気づけたら、被害はもっと小さくて済んだのになぁ…と思わなくもありません。馬鹿だったなぁ、ほんと、ああ…;
他のだれかをおもいながらその人といるのに比べて、
はるかにずっと素敵なことだと思います。