半透明記録

もやもや日記

『モモ』

2006年06月16日 | 読書日記ーファンタジー
ミヒャエル・エンデ 大島かおり訳(「エンデ全集3」岩波書店)

《あらすじ》
時間どろぼうと ぬすまれた時間を 人間にとりかえしてくれた女の子の ふしぎな物語

《この一文》
” マイスター・ホラが立つと、モモもからだをおこしました。彼は手でそっとモモのもつれた髪をなでました。
 「ごきげんよう、かわいいモモ。わたしの言うことにもよく耳をかたむけてくれて、とってもうれしかったよ。」
 「あなたのことを、みんなに話してあげるわーーいつかまた」と、モモはこたえました。 ”



色々なことを考えさせられる物語なので、他にも引用すべきところはあったはずだとは思いますが、とりあえず、上の一文を取りました。マイスター・ホラとモモの別れの場面です。私は図書館の自習室で危うく泣き出すところでした。人の話を聞くというのは大切なことですね。私ももっと聞き上手だったら、それだけでも誰かの役に立てるだろうになあ、それどころか私ときたら全然話を聞かないもんなあ、と深く反省いたしました。私は、何を読んでも反省しているような気もしますが、よいのです。それが私の読書なのです。


さあ、長年の懸案だった『モモ』をついに読みました。なるほど、評判に違わず面白い。時間どろぼうにそそのかされて、未来のために時間を節約するべく無駄を省きせかせかと働きはじめる大人たち。しかし、やればやるほどに不足感が募り、さらなる忙しさを生み出すことになっていきます。それはまさに現代の社会の有様をみるようで、私は恐れおののきました。こういうところが怖いです。この人の物語はいつも。「そうは言ってもただのお話だからね」と笑い飛ばせないくらいに迫るものがあります。
エンデの物語を読むと、どうしても自分について深く考え直さずにはいられません。『はてしない物語』の時もそれはもう大変でした。壮大で明確なイメージの広がりをもつ物語は、いつもどこまでも美しいのですが、ただそれだけではなく、なにか個人の深いところに関わる問題をも提示するようです。世の中で広く長く読み続けられている理由は、そういうところにもあるのではないでしょうか。
それにしても、非常に魅力的であるのに、感想をうまくまとめられないのもいつものことです。なんでなんだろう。あらかじめ言い訳させていただきますが、今回は全体的に支離滅裂です(え? そうでもないですか? いつものことですか?)。でも、感想のようなものをなんとか書き出す努力はしたつもりです。どうかお許しを。


さて、モモは人の話を聞く才能に優れた女の子として物語に登場します。モモに向かって話すと、モモが何も言わないでも、話し手はひとりでに問題点や解決策を思い付くのだそうです。
そんな不思議なモモの大切な2人の友達、道路掃除人ベッポと観光案内人ジジもなかなか魅力的な人物です。ベッポはとても慎重で善良な老人です。他人から何と言われようとも自分の生き方や仕事に誇りをもっています。ジジは空想好きの青年です。モモのためだけに語られる、ジジとモモの物語はとてもロマンチックで美しいです。
モモと近所の子供たちの暴風雨ごっこの話も面白かったです。研究船〈アルゴ号〉の乗組員の冒険です。この章だけで読んでも十分楽しめます。どこからこんなにも豊かなイメージが沸いて出てくるのでしょうか。次々と展開する不思議で鮮やかで、しかもとても広大な世界観に目がくらみます。やっぱエンデって凄いな。

今さら私が言うまでもなく、『モモ』はとても人気もあり有名でもある物語です。まだ読んだことのない人も、いずれは読むことになるかもしれないと思い、あえて内容についてこれ以上詳しくは書きません。……いえ、私の力ではとても書けませんでした……。とにかく、まだお読みでない方は、ぜひとも読んでみてくださいませ。



モモのような女の子がいたら良いのにといくら願っても、彼女はたしかに物語の登場人物に過ぎません。しかし、私はただこの物語を読んだというだけでも、私自身の問題に直面し、それに対する解決策を考えるようになりました。こういう不思議な作用があるのが、この作品の魅力だと言えましょう。少なくとも、私にとっては大きな魅力です。

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