
宮沢賢治詩集 天沢退二郎編(新潮文庫)
いつまで人の言葉にすがり続けるのだろう。
どうしてひとりで立てないのだろう。
どうしてだか、すぐに砕け散ってしまう。
雨の音を聴きながら、しばらくそうしていようと思っていたら、
雨あしが弱まって、雨音が絶えてしまった。
そこへ美しい言葉がやってきた。
****「サキノハカといふ黒い花といっしょに」
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た蕈(きのこ)のやうに
潰れて流れるその日が来る
やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいために尤もらしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分をくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ
それらをみんな魚や豚につかせてしまへ
はがねを鍛へるやうに新しい時代は新しい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ
****「生徒諸君に寄せる」
(略)
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
(中略)
新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴しく美しい構成に変へよ
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性はただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ、
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを云ってゐるひまがあるのか
さあわれわれは一つになって(以下空白)
****(「詩ノート」より)
冷たく透き通り、たしかな美しい言葉の連なりは、
こわれものの心を一瞬で満たしたけれども、
割れたところからすべて流れ出てしまった。
私は
せめてこのひび割れも
透明なものを通過させたことで、ついでに透き通ってゆかないだろうかと
浅ましいことを考える。
けれど、冷たく透き通ってたしかな美しいものは、
私を通過する間に生ぬるい不確かな別のものへと変わってしまった。
未来圏から吹いて来る透明な清潔な風を、
卑怯な鬼どもとして追い払われることを、
おそれている私は
いつまでこうやって立ち尽くすつもりなのでしょうかね。
いえ、別に今日も元気なんですけれども。
透明で確かなものへの憧れを、少し、持て余しています。