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半透明記録

もやもや日記

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『南極の春』

2010年10月02日 | 映像

RUSH HOUR IN ANTARCTICA/54分/フランス(2005)



《内容》
南極大陸の春。アデリーペンギンが生まれ故郷の岩場を目指していっせいにやって来る。ペンギンたちとともに岩場で繁殖するユキドリやオオトウゾクカモメとの生存競争、また広々とした南極の氷の上で子育てをするウェッデルアザラシの春から夏にかけてのドキュメンタリー。




ペンギン映像が好きなので、機会がある毎に見ていますが、このドキュメンタリーはなかなか良かったです。まず、50分強という分量がちょうどいいですし、電子っぽい落ち着いた音楽もいいし、ひたすら静かなナレーションに終始するのもいい、冒頭から繁殖地を目指して駆け足で進むアデリーの足元を執拗に撮影するカメラワークにしても最高です。これは何度も見直したいレベルの秀作ですね。

それにしても、フランス人もペンギンが好きなんだなぁ。私の見ているペンギン映像はフランス物が多し。アナトール・フランスに『ペンギンの島』という小説があるのですが、アデリーペンギンの繁殖地の岩場映像を見るたびに、私はこの小説のことを思い出します。目の不自由な聖マエールがやってきて、人間と間違えてペンギンたちに洗礼をほどこしちゃうんだ。そして素朴で無害な集団であったところのペンギンたちは、ペンギン人となって悲しみの歴史を生み出してゆくのです……

それはともかく、アデリーペンギンの生態を見るのが面白いというのは、やはり人間の生活にも近いところがあるからなんでしょうかね。限られた狭い土地(岩肌の露出している場所は南極の地ではごくわずか)で、巣作りに必要な小石(貴重品)を巡って押し合いへし合い盗み合い、石に気を取られている間に肝心の卵をトウゾクカモメに奪われたりして、もう何が何やら、混乱の極みです。実に人っぽい。


この作品で素晴らしかったのは、アデリーペンギンが広々とした海中を飛ぶように泳いでいる映像が見られたことですね。ペンギンのあの弾丸のような泳ぎを撮影したものは他のところでもよく見られますが、これは特によく撮れていました。少し離れたところから撮影された、ペンギンが群れで泳いでいる映像は非常に幻想的。冷たく厚い氷の下の海は美しい。
アデリーペンギンは繁殖期には岩場で4ヶ月の間競争を繰り広げなければなりませんが、彼らには残りの8ヶ月間、広い広い海での生活もあるのです。いつかこちらの生活を追跡したドキュメンタリーがあったら見てみたいものです。全然違う世界なんだろうなぁ。

また、今回勉強になったのは、ユキドリについて。ユキドリというのはその名の通り雪のようにクチバシと目以外は全身が真っ白い鳥なのですが、巣をめぐっての攻防戦では互いのクチバシを噛み合いながら、同時に口から油分を含んだ悪臭のする液を相手に吹きかけて、たくさん汚したほうが勝利するらしい。負けた方は黄色く汚れて追い払われます。ヒナはふわふわしていて可愛い。



動物の生態を覗いてみると、彼らは彼らの環境やルールのもとで生きたり死んだりしていて、奪ったり傷つけたりすることで多少の悲しみはあっても、正義や悪はないように私には見えます。生きたり死んだりすること自体は、別に善いことでも悪いことでもないように見えます。人間の生き死にも同じでしょうか。それとも彼らにも彼らなりの正義や、悪が、あるのでしょうか、私にはそれが見えないだけで。

ついこんなことを考えてしまいましたが、美しい動物たちの映像を見て、ただそのものを見ずに、いちいち人間の世界のことを当てはめて考えてしまう私の見方は間違っているかもしれません。学ぶところはあるけれど、ひとまずはただそのものを見たらいい。南極は南極のままで。どこか遠い世界のままであってほしい気もする。


というわけで面白かったです。アデリーペンギンは結構足が速いということも、よく分かりました。南極はいい、南極は。








映画『ハゲタカ』

2010年08月11日 | 映像

2009年


《あらすじ》
あれから4年……世界金融危機前夜。
混迷する現代日本に、赤いハゲタカが舞い降りた!

かつて瀕死の日本企業を次々と買い叩きながらも、日本のマーケットに絶望した鷲津(大森南朋)。海外生活を送っていた彼の元へ、大手自動車メーカー「アカマ自動車」を、中国系巨大ファンドによる買収危機から救ってほしいと、かつての盟友・芝野(柴田恭兵)が頼みに訪れる。名門「アカマ」の前に突然現われたのは、赤いハゲタカこと劉一華(玉山鉄二)。巨額の資金を背景に鷲津を圧倒し続ける劉。彼の本当の狙いとは何か? 世界金融危機前夜に幕を開けたハゲタカVS赤いハゲタカの壮絶なる買収戦争。「日本が中国に買い叩かれる!?」という未曾有の危機に、鷲津はどう立ち向かうのか?


《この一言》

“ 地獄だね、日本は。なまぬるい地獄だ。”







日本はいつからこんな修羅の国になってしまったんだーーッ!
アアーーッ!



さて、土曜ドラマの『ハゲタカ』があまりに面白かったので、劇場版のほうも観てみました。

私の正直な感想としては、やはりドラマ版の方が面白かったかなーというところです。映画の方は新しい状況と登場人物が出てくるにもかかわらず、ドラマのシナリオをちょっとだけ構造を変えて焼き直してみた、というふうにしか感じられませんでした。そこは残念。というか、芝野さんにもっと活躍してほしかった!!!(ToT)今回も心を打つような、ものすごく良いことは言ってたけど! もうちょっと!!

まあ、2時間ほどでまとめなければならないという制約がありますから、ある程度急ぎ足で断片的になってしまうのは仕方がないのかもしれません。

しかし、じっくり観ればもちろん映画版の方にも興味深いところは多々あります。今回も問題提起が多くなされていますしね。後味のスッキリしなさ加減は健在です。優れた社会派ドラマといえましょう。今回は中国という国の不可思議さから生じるサスペンス要素も加わったり、その中華系ハゲタカを演じる玉山くんは恐ろしく格好いいし、見所もたくさんありましたしね。面白かったです。

でもやっぱ、劉さんのあの最後の場面はナイよなー。いつから日本はあんな修羅の国になってしまったんだ。たしかに物騒なニュースは飽きるほど耳に飛び込んではきますが……。ただ、「ああなったら、おしまいだ」というメッセージとしては成功している場面だったのかもしれません。金(カネ)さえ手に入ればいい。金さえ持っていれば、あとは何でもいい。手っ取り早く金が手に入るなら、何だってやる――。金に対して、人間はどのように振る舞うべきかを問われますね。恐ろしいですね。


 誰かが言った。
 人生の悲劇はふたつしかない。
 ひとつは、金のない悲劇。
 そしてもうひとつは、金のある悲劇。


ドラマ版、映画版を通して、一連のドラマは、こんな言葉から始まる素晴らしい作品でした。
「金だけがすべてではない!」なんていう人もいるかもしれませんが、「金がなければ話にならない」という現実が、ここに、確固としてあらわれてしまっている以上、人は金とどう付き合うかを考えていかなければならないのかもしれません。金なしで、かつ人間らしく生きていこうとするには、ひとりの人間は今はまだあまりにも弱すぎるでしょうから(人間らしく、というのをどのように考えるかもまた重大な問題ですが)。
同時に、金というものに、血と肉を、魂を、夢と希望を、金にそういうものを込めることは可能なのか。もし可能なら、もうすこしこの社会は多くの人にとって過ごしやすいものになるだろうか。


そういうことについて考えさせられるドラマでした。まだまだ考えたいことはありますが、とりあえず私は満足です!!
たまにはこういう骨のあるドラマもいいもんですね。





土曜ドラマ「ハゲタカ」

2010年07月28日 | 映像

土曜ドラマ「ハゲタカ」:NHKオンライン



《番組概要》
バブル崩壊後、「失われた10年」と呼ばれる長いトンネルの闇に包まれていた日本に、風穴を開けにやってきた男がいた。日本経済界で、外資系のファンドマネージャーとして暴れ回る男の名は、鷲津政彦――。ビジネスとして、外資的な合理主義を盾に、次々と日本企業に切り込み、買収していく様は、まさに死肉を漁る“ハゲタカ”であった。
一方、襲い来る“ハゲタカ”に敢然と立ち向かう男がいた。旧態依然とした日本の体制にもがきつつ、懸命に日本企業を支え続けようとするエリート・バンカー、芝野健夫――。日本初のターンアラウンド・マネージャー(企業再生家)として、企業再生の道を模作して行く。
「日本買収」ビジネスを巡る二人の男の野望と挫折を軸に、合理化、弱肉強食が叫ばれる今、日本の会社にとって本当に必要な治療法とは何なのか?を問いかける。


《この一言》
“ 私は44です。人生の折り返し点はとっくに過ぎています。
 ですが、残りの人生、自分に言い訳して生きていくには、長過ぎます。 ”




世間での評判の高さは知っていましたが、私がこのドラマを観たいと思うようになったきっかけは、〈プレイステーション3〉の『トロ・ステーション』という番組(というべきなのか何なのか分かりませんが、毎日配信されていた近日発売のゲームや全国の観光案内などさまざまな広告的内容を『どこでもいっしょ』のトロちゃんとその友人クロが紹介してくれる楽しいサービス)でした。トロが「芝野さん役」、クロが「鷲津さん役」で、『ハゲタカ』冒頭の「腐ったこの国を買いたたく! 買いたたく! 買いたたく!」とか「あなたが言ったんじゃないですか…」などの名場面のパロディをやっていて、私はK氏とともに大爆笑したものです。それ以来ちょっと気になっていました。

 *その時の『トロ・ステーション』の内容をまとめてくれているブログを発見! 懐かしい!!

  クロ山クロ夫さん

 →→ トロステ・ファンドがあなた方を救いに来ました!:days like this


そのパロディの印象があまりに強かったため、私もK氏も『ハゲタカ』は演出の激しいネタドラマだと思い込んでいましたが、第一話を観てすぐに、そんな印象は彼方へと吹っ飛んでしまいました。これはあまりにもシリアス! あまりにも熱いドラマだったのです。
また、タイトルの『ハゲタカ』という言葉から想像していたような、外資ファンドとそれに買い漁られる日本企業との戦いといったような単純な構造の物語でもありませんでした。あまりにも切実で、心に食い込んでくる、激しい物語でした。これは凄い。


このドラマは全6回にわたって物語の緊張感を保ち続け、回を追うごとに少しずつ登場人物の真意を明かしていき、同時に視聴者にはそれぞれの人物に共感させつつ、現在の社会経済の問題点を学ばせ、さらに「では、どうしたら?」と考察させようという、超絶難度のことをやってのける凄まじい出来のドラマです。密度高過ぎ。よく出来過ぎ。
特に第1話の衝撃はもの凄く、私はショックでその日は続きを観られませんでした。第2話からは一息に観てしまいましたが、こんな本気のドラマは久しぶりでしたよ。

本気のドラマ。そう、本気のドラマでした。

即座に心を惹き付ける優れた脚本、キレがありながら抑え目で品の良い演出、抑制をきかせつつも迫真の演技をみせてくれる素晴らしい俳優、感情に訴えかける音楽。隙がありません。

特に主人公の二人は素晴らしかったですね。エリート・バンカー 芝野役の柴田恭兵、ハゲタカこと外資ファンドの日本代表 鷲津役の大森南朋。大森さんは私はこのドラマで初めて拝見しましたが、ちょくちょくCMには出られていますよね。ひょっとしてこれでブレイクしたのでしょうか。頭は切れるんだけど、心根が純粋すぎて極端から極端へと走りがちであるような鷲津役はぴったりでしたね。柴田さんについては、『あぶない刑事』でのお気楽刑事の印象はまったくなく(記憶が古すぎますかね;)、エリート銀行員としての手腕を発揮しつつも理想と現実の狭間で苦しむ芝野役の、ものすごくリアリティを感じる繊細な演技に心を打たれました。

その他のキャストも地味ながら上手い人ばかりで良かったです。第1回の宇崎竜堂さんはとくに凄かった。初っ端からあんなのを見せられたら、そりゃ最後まで観ちゃいますよ。ほんと凄い。あと、栗山千明さん、素敵。この人が唯一華やかなキャスティングで、残りは硬派な役者さんばかりといった感じでしたが、それが良かった! 名脇役をこれでもかというくらいに使ってあって、そのあたりはさすがにNHKといったところでしょうか。贅沢ですねー。


あまりに面白かったので、興奮冷めやらず、しかし考えがまとまりません。「金」の威力を使って人は何を為すべきか。金に使われ、金にひれ伏し、金のために時に人生を踏み誤ってしまう人々。金のために働く、そうだ金は必要だ。でも、金だけのために働くのか? 人が働こうとする動機は金だけによるものだったろうか? 金と人情の間で押しつぶされてしまう人がいる。けれど労働とはそんなものだったろうか。我々は学ばなければならないのではないか、自分で自分の選択や行動にもっと責任と自覚を持たなければならないのではないか。また、果して金は万能なのだろうか? 金の力は人を狂わせるだけだろうか? 金の力は悪なのか?

労働について、資本について、社会活動に参加している全員が一度よく考えてみるべきではないのか。そんな問題を突きつけられるようなドラマだったかと思います。ドラマの結末は必ずしも円満解決というわけではありませんでしたが、よりよい在り方を探していこうとする爽やかな終わり方でした。猛烈な面白さでした。こいつは凄いぜ。


そういうわけで、K氏と『ハゲタカ』ごっこに興じています。台詞が格好良くて真似したくなる感じなんですよね~。「腐ったこの国を買いたたく!(リピート×2)」はもちろんのこと、「あなたは…わたしなんだ」とか「お前は、俺だ!」とか、意味もなく突然「ゴールデン・パラシュート」とか言ってみたりしています。ウヘヘ…。

映画版も観るぜ!
と張り切ってレンタル店に行ったら、全部借りられていました。大人気。わあ~。




 *NHKのホームページによると、来月、ドラマ版および劇場版の放送があるようです。





『2012』

2010年07月27日 | 映像

《あらすじ》
ジャクソン・カーティスが子供2人とイエローストーンに旅行中、偶然干し上がった湖底に建てられた巨大なリサーチ施設を発見する。そして政府が隠蔽している、「世界が滅亡へ向かっている」という秘密を知ってしまう。
ジャクソンは自分の家族、自分自身の身を守る為に必死で生き残る術を模索しはじめるが、大地震、火山の噴火、津波など次々と恐ろしい天災が地球を襲ってくる…





この映画を「クソだ!」と一言で片付けてしまおうかとも思いましたが、せっかく観たのにそれはあんまりだと思いなおし、2日間かけてじっくりと考えてみました。


 *** 以下、ネタバレ注意報 ***
    (閲覧にご注意下さいませ)


正直言って観終わった直後には、このあまりにメチャクチャなストーリーに唖然茫然とし、「よくこんな映画に大金をかけたものだな。その点はすごい」という評価だったのですが、その後2日経ってもある種の気分の悪さが抜けず、それが何かを考察してみようと思うに至ったのです。最初はひどい映画だと呆れましたが、何か人の心に残るものがあったことは否定できません。


では、私の心に残っているのが何かというとそれは「主人公一家の厚かましさ」です。あまりに厚かましくて、恐怖を感じるほどなのです。彼らは生き残りを賭けて必死になりますが、そこには美談も英雄的精神もなにもあったものではありません。彼らが生き残るために、犠牲になるのはいつも近くにいる(親切で優しい)他の誰かなんですよ。で、結果的に一家は生き残り「よかった、助かったー☆」という表情を浮かべて劇終。このあたりの描写はいやにリアルですね。
それにしてもゴードン、可哀想すぎるぜ……(/o\;)


世界の終末には、正義も道徳もあったもんじゃない。

というか、世界の終末という局面に至っても、やっぱり金と権力だ! 他人を押しのけても生き残る、それこそが正解! 残念ながら現在の人類はそれほど立派でもなければ美しい存在でもないんだ!! そんな人間の惨めな姿をまざまざと見せつけてくれる、大層皮肉のきいた映画であったとみることもできるでしょう。

劇中にはもちろん、こういう人達も登場します。自分の職務を全うするために避難することを拒む大統領(もちろんアメリカ合衆国大統領)とか、自分だけ助かることに良心の呵責を覚える善良な心根をもった若い科学者とか、崩壊が迫っていると知って家族の関係を取り戻そうとする老人とか、そういう人達が。でも、わりと印象に残りません。主人公一家の浅ましさが勝っています。金も権力もないけど、ゴリ押しで○○(一応ネタバレ自重)に忍び込む強引さ。このくらいの厚かましさがないと生き残れないということですよね。生命が生き残るというのは闘争なんだ。うんうん。



この映画を観て後味が悪いと感じるのは、こういう夢も希望もない現実感を嫌という程味わわされるからかもしれませんねー。いやでも、まあ実際のところ人類は突然の危機に直面すればこうなると思いますよ。そういう観点からは、非常によくできた映画だったと思います。ただのパニック映画、映像だけが見所、というわけでもなかったかなと思い直しました。

ちなみに、何十万人だかの人々がこの大災厄を逃れて生き延びることになりますが、私はこの後の世界でこの人々はまた性懲りもなく戦争を始めるだろうなと空想しています。だって、わずかの国家指導者と科学者、世界各国の金持ちがほとんどすべてを占めるという残された人類に、新しい世界を開拓する力があるとは思えない。土壇場で中国の労働者たちが潜り込んだにしても、労働力が足りなすぎる。地球上で人類が獲得してきた資源も財産もみな押し流された世界で、どうやって文明を再興するんですかね。惨めな覇権争いに突入した挙句に全滅……。そういう展開もあるのではないかと、しみじみと考えてしまいました。もしこの映画の最後でそんな展開になっていたら、私は熱狂しただろうになぁ。惜しい。



というわけで、後々まで楽しむことができたなかなか面白い映画でした!





ほのぼの動物動画

2010年06月09日 | 映像




私は時々【ニコニコ動画】などで、モフモフ系の動物映像を見ては和んでいます。ニコ動では、画面上を視聴者のコメントが流れていくので、まるで大勢の人と一緒に見ているかのような気分を味わえて楽しいです。

というわけで、昨日も見てました。ものすごく面白い動物映像がいくつかあったので、軽くまとめてみます。



まずは、定番「ラッコ」。

 「萌えたら死亡 ラッコ編」:ニコニコ動画
(サムネイルではなく、↑タイトル文字列からリンクしております)

この動画は元々はyoutubeに上がっていたもので大変に有名な動画です。私は以前にもここで取り上げたことがあります。NHKのニュースでも取り上げられたこともあるくらい、ラッコ動画といえばコレ! というくらいの人気動画です。私は定期的に見直していますが、これは本当に何度見ても癒されますね。
一度別れ別れになったふたりが、また手を取り合うところが感動的(´∀`*)ナゴムー



次に、「コアリクイ」。


「コアリクイの威嚇が可愛すぎて萌え死ぬ」:ニコニコ動画
(サムネイルではなく、↑タイトル文字列からリンクしております)

コアリクイというのは、よく知らなかったですが、模様が面白いですね(^_^) 威嚇ポーズが可愛い。というか、これは威嚇なのか…? 可愛すぎて、むしろ近づきたくなる感じですね(´∀`*)モヘー



三つ目は、「ハリネズミ」。


「硬いニンジンを食べた時のハリネズミの反応」:ニコニコ動画
(サムネイルではなく、↑タイトル文字列からリンクしております)

ハリネズミって可愛いですよね~~! 手乗り!!
ここではニンジンを齧っていますが、その顔が……!! し、死ぬ!! 笑い死ぬ!! た、助けて……!!!(*´∀`*)ヒャハハ!



最後にもういっちょ「ラッコ」。


「セルフマッサージ。」:ニコニコ動画
(サムネイルではなく、↑タイトル文字列からリンクしております)

こちらのラッコは自分の顔をひたすらにマッサージしていますが、そのようすが猛烈に笑えます。ラッコのマッサージは、顔と手が濡れることで体温を下げてしまわないためのものだったかと。油分をすりこむんだか、毛の間に空気を含ませるんだか忘れましたが、ラッコはわりと四六時中マッサージをするものらしい。それにしてもこの執拗な顔面マッサージには参りました。笑、笑、笑、笑、笑………!!! この恍惚の表情を見よ!(´∀`*)(*´∀`)アーハッハッハ!!



こんな感じで、昨日もこれらの動物映像で盛大に笑わされました。あー、可愛かった。平和でいいですなぁ~~。







『海外特派員』

2010年05月04日 | 映像

1940年 アルフレッド・ヒッチコック



《あらすじ》
1938年、ニューヨーク・モーニング・グローブ紙の記者ジョン・ジョーンズは、不穏なヨーロッパ情勢を取材する特派員としてロンドンへ向かう。戦争防止の立役者オランダの元老政治家ヴァン・メアの歓迎パーティーの会場で、ジョーンズは、美しい娘キャロルと知り合う。アムステルダムで平和会議が開かれることになり、雨が激しく降りつけるなか、ジョーンズも取材のために出かけたが、彼の目前でヴァン・メアがカメラマンを装った男に拳銃で撃たれ――。





なにげなく観始めて、ついつい最後まで一生懸命になって観終えてしまいました。昔の映画なのでてっきり1時間半くらいの分量かと思っていましたが、たっぷり2時間というボリュームでした。結構長い。しかし、内容はスリリングかつスピーディー、意外と先の読めない展開で、かなり面白かったです。さすがはヒッチコックということなのでしょうか。


いくつか印象的な場面がありました。まずは、暗殺者が群衆の黒い傘のなかを逃げ、主人公がそれを追いかける場面。勢いのあるカーチェイスへと続いていきます。
それから風車小屋の場面もいいですね。
また、沢山の照明に照らされ白いベッドに横たわるヴァン・メアと、それを見つめる男たちが部屋の暗がりに立っている、というコントラスト。(一緒に観ていたK氏が言うには、この場面のこのコントラストは、ここに登場する人物たちの戦争突入という事態に対する心理的対立感をうまく表現しているのではないのか、ということでしたが、なるほど納得)
誤って攻撃され、海へ墜落する飛行機。一連のパニック描写。などなど、始めから終わりまで、いくつもいくつもインパクトのある場面が続くので引きこまれました。うーん、すごい。

画面が素晴らしいだけでなく、登場人物の設定もなかなか魅力的です。主人公のジョンはアメリカ人らしさを表現しているのかなんなのかわかりませんが、有能なはずなのに結構間抜けで、物語のクライマックス周辺ではほとんど「空気」と化し、かわりにジョンと同じく特派員記者の男(名前を忘れてしまいましたが、ffで始まる名前の人)の優秀さが際立っていました。そのあたりが面白かったです。
唯一理解できなかったのは、ヒロインのキャロルとジョンとのラブ・ロマンス部分ですが、あの唐突さと強引さは、それはそれで面白かったかもしれません。



やっぱり昔の映画はよくできているなぁ。
と、改めて思わされた名作。



「Nuit Blanche」

2010年02月15日 | 映像

「Nuit Blanche」
↓以下で無料公開されています

本編:http://vimeo.com/9078364

メイキング:http://vimeo.com/9076775

監督のArev Manoukian氏のHP:http://www.arev.ca/




GIGAGINEで紹介されていたショートムービー。あまりの凄さに、私は繰り返し観るのを止められません。なんて美しいんだ! 凄い! やばい!!


1950年代の街並、人々、白黒の世界、月が出ている、男が歩いている、明るい店のなかに女の姿を認める、ふたりの目と目が合い、そして……


4分とちょっとのごく短い映像です。そして台詞は一切ありません。美しい音楽とともに、美しい映像が流れていきますが、その流れ方が信じられないくらいに美しい。50年代、グラス、自動車、水、ドレス、…超絶ツボです。私の好きなポイントを押さえ過ぎです。それにしても美しい。


ふたりの目と目が合い、そして時の流れはまるで止まりそうにゆっくりと、その中を互いの魂は真っすぐに相手へ向って進んでいく。


凄いなー。たまらなく美しいです。悶絶です。美しい女がきらめいて飛び散る破片の真ん中からすっと進み出てくるところなどは、もう言葉になりません。うぐぐぐぐぐ。
そう言えば、この映像を観た時ちょうど手もとにあったム-ジルの『愛の完成』を開くと、その最初の方にこんな部分がある(私はまだここまでしか読んでいない)のですが、なんだかよく似ています。映像を上手に言語化すると、こういうイメージかもしれません。


それはあの静止と、それにつづくひそやかな沈黙の瞬間だった。ちょうど飽和液の中でいきなり面が整い、結晶が形づくられるときの……。二人のまわりに結晶が生じた。その中心軸は二人をつらぬき、そして息をひそめ、もりあがり、まわりに凝固していく結晶をとおして、二人は幾千もの鏡面をとおすようにして見つめあい、いま初めてお互いを見出したかのように、ふたたび見つめあった……。
 ――「愛の完成」
  (ムージル『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫))



というわけで、これは大変に美しい映像なのですが、ただ観ただけでも凄いインパクトなのに、メイキング映像を観ると、もっと驚きます。私はめちゃくちゃ驚きました。素で「なんだってーーッ!?」と叫んでしまいました。いやだって、まさかあんなところからあんなところまでCGだなんて、誰も思わないですよ。すげーな、おい! この方面の技術って、もうここまで進んでいたのか~。凄いなー。

私はこの美しい映像にとても感激したのですが、メイキング映像によって、これが人類の新しい技術(コンピュータ・グラフィクスとか)が生み出した新しい芸術であるらしいと分かったことにも盛大に感激しました。
素晴らしいなぁ! 人々のこういう情熱というのは、本当に素晴らしいなぁ! 新しい手段で、新しい美を作り出そうという人々の態度には、本当に興奮しますね。美を得るために、ありとあらゆる方法を考え出そうというところが素晴らしい。ただ手段があるだけでは足りないのかもしれないけど、ちゃんとそれを正しく美しく用いることが出来る人が現れる。素晴らしい。人間って、やっぱり素晴らしい。


ということを、私は興奮して声を震わせながら、力説したい気分です。
美しいものが、新しいやり方で、まだまだこれから私の目の前にあらわれてくるのだということに、興奮するなというのは無理ですよ!
美しいものを見せてくれる美しい人々に、今日も深く感謝をささげたいです。
素晴らしい人々に栄光あれ。





『ヒトラー最期の12日間』

2010年02月14日 | 映像

Der Untergang
(2004 ドイツ/イタリア/オーストリア)


監督 :オリヴァー・ヒルシュビーゲル
製作 :ベルント・アイヒンガー
脚本 :ベルント・アイヒンガー
出演者 :ブルーノ・ガンツ/アレクサンドラ・マリア・ララ


《あらすじ》
1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは56歳の誕生日を総統地下壕で迎えた。ソ連軍の猛攻により包囲網が狭まる中、ヒトラーはもはや実行不可能な攻撃命令を叫び続け、側近たちを追いつめていく。極限状態に陥った地下要塞の人々が酒盛りやパーティーに興じる一方で、地上のベルリン市街では兵士や市民が苛酷な戦闘に身を捧げ、命を落としていった。
戦況は刻一刻と悪化、いよいよ敗戦を確信したヒトラーはある重大な決意のもと、長年の愛人エヴァとささやかな結婚式を挙げる。それは"第三帝国"の遅すぎた終焉の合図だった…。

《この一言》
“ 自業自得だ ”




戦争映画は苦手です。気が滅入って仕方ない。でも、本作は私が以前から少し気になっていた映画です。予想していたよりは、ヒトラーが中心に描かれているということはありませんでした。邦題はインパクトがありますが、内容とあまり合っていないかもしれません。原題は「陥落」とかそういう意味なんだそうです。でも、ヒトラーの最期の12日間が描かれていることは間違いありません。じゃ、やっぱりいいのか。

色々と考えるべきことがあるような気がしますが、私は今はたいして深いところまでは考えられません。映画を観て思ったのは、ドイツが第二次大戦で負けたあと、軍の幹部たちは10年とか20年という長期間にわたって刑務所に入れられていたようですが、その長い年月の間に彼らはいったいどんなことを思ったのだろうかとか、20世紀前半は大きな戦争に挟まれていたけれど、当時を生きた人々はどうやってその悲惨に耐えていたのか、人間の心がどうやって度を超した自分たちの蛮性に耐えたのか(それとも耐えていなかったのか)とか、そういうことばかり気になってしまいました。

私は悲しいものの多くは美しいと思うのですが、どうやっても美しいと思えない悲しいもののひとつがこの戦争というやつです。どこにも美しさを見いだせない。どこまでも悲しいだけで。
世の中はなんて悲しいんだろう。こんなに悲しいのに滅んでしまわないのは、どうしてなんだろう。
世界は美しい。それはいつだってそうなのかもしれないけれど、その美しさは今のところ私たちから争いを遠ざけるには、あまりに弱過ぎる。世界も、人間も、どちらもいつだってどこかしら美しかったはずだ。それなのに、私たちはそれを手当り次第に破壊せずにはいられなくもなる。これは一体なんのためだろう。…私にはその破壊の欲求というものが全然分からないなんて言うつもりはないけれど。分かるから、分かるから、分からない。
美しいだけでは足りない。けれど、足りていないのはどちらだろう。この世界の美しさだろうか。それとも我々の、その美しさを十分に受け取るための力だろうか。
ああ、こんな考えでは全然足りない。こんなものでは全然迫れない。頭にくる。




とても滅入りました。
久しぶりに、とても不快になりました。






『華麗なるペテン師たち』

2010年02月06日 | 映像



今、私がもっとも注目している海外ドラマが、この『華麗なるペテン師たち』(イギリスBBC制作)です。やば面白い。


正月に帰省した時に、何気なくテレビを見ていたら、ちょうどこのドラマシリーズの宣伝が始まりました。一緒に見ていた父が、「お、ロバート・ヴォーンだ。ロバート・ヴォーンを知ってるか?」と訊くので、「さあ、知らない」と答えたら、「お前はロバート・ヴォーンも知らないのか!」と言われました。ちなみにこれは父特有の言い回しで人の神経を少し逆撫でますが、おそらく本人にそのつもりはなく、深い意味もないようです(たぶん)。そのまま話を聞いてみると、どうやらこの人(上の画像の右端のおじいさん)はイギリスの名優らしい。超有名映画に出演経験多数とのこと。あとで調べてみると、なるほど『タワーリング・インフェルノ』、『荒野の七人』などなど、たしかに名高い俳優であるらしいことが分かりました。ふーん、なるほどねー。

と、そういう経緯があって、ちょっとこのドラマシリーズが気になっていたので、第3シリーズの第2話をたまたま機会があり観てみたのです。すると、どうでしょう、この面白さは!! 超ヒット! ハート直撃です!

物語はすべて1話完結で、タイトルの通り華麗なるペテン師たちのお話です。隅から隅までスタイリッシュで、完全なキャラクター、練りに練られたストーリー、ユーモアとペーソス、なにもかもがすっかり私の好み通りでした。オープニングのアニメーションからして、もう素晴らしく私の好きな感じです。びびった!! やべー、クソ面白いぜ!! 第1、2シーズンを見損ねたのは、大失敗だった。しまったなー。あー。

おおまかなストーリーは以下の通り(NHKオンラインより)。

ロンドンを舞台に華麗に暗躍する5人のペテン師をスタイリッシュかつコミカルに描いた人気シリーズ第3弾。

ミッキー、ステイシー、ダニー、アルバート、アッシュの5人は巧みに大仕掛けの詐欺をやってのけるエキスパート集団。「金だけの問題じゃない」を信条にする彼らがカモにするのは強欲な悪人ばかり。ところが世の中そんな強欲者たちには事欠かず。今日も5人のだましのアートが繰り広げられる。



現在、BS2で第3シーズン(全6話)を放送中。第5話まで放送したので、あと1話で終わりですね。なんか初期のシーズンはDVDになっているらしいので、私はちょっと欲しくなっているところです。もう少し安かったら即買いなんだがなー。

それにしても、『名探偵シャーロック・ホームズ』といい、『名探偵ポワロ』といい、イギリスのドラマシリーズの質の高さにはびっくりですね。繰り返しの視聴に耐える良質なドラマシリーズが私は好きだ。この『華麗なるペテン師』もひたすら繰り返して観てしまいそうな気配がぷんぷんです。

それにあちらではSFシリーズドラマも結構あるんですよね。『ドクター・フー』などは水戸黄門レベルの長寿シリーズだと聞いたことがありますし、『宇宙船レッド・ドワーフ号』というのは、ちらっとしか観たことがありませんが、むちゃくちゃに飛んだ設定(宇宙船のクルーが、人間、ホログラム、アンドロイドと進化した猫! とかそういう…)で面白そうでした。これはいつかちゃんと観てみたい。


というわけで、イギリスのドラマシリーズの凄さをあらためて痛感させられました。これからも面白いドラマをどんどん作っていってもらいたいですね♪






『サンキュー・スモーキング』

2010年02月01日 | 映像


*脚本・監督:ジェイソン・ライトマン
*製作:デイヴィッド・O・サックス
*原作:クリストファー・バックリー
*キャスト:アーロン・エッカート/マリア・ベロ/キャメロン・ブライト
(2006 米)



《あらすじ》
タバコ研究アカデミーのPRマンであるニック・ネイラーは、優れた話術を武器に、喫煙に対する逆風吹き荒れる世の中、タバコのパッケージに巨大なドクロマークを掲げるよう義務づける法案を通そうとするフィニスター上院議員などと、タバコ業界の未来のために日夜戦っている。別れた妻に引き取られた息子とは、週末に会うだけ。そしてニックの数少ない友達は、銃製造業界のPRマン、アルコール製造業界PRマンのふたり。彼らは3人合わせて死の商人と揶揄されている。いくらか不満はありつつも、仕事にやりがいも自信も感じていたニックだが、ある女記者との出会いが引き金で人生最大の危機に直面することに…

《この一言》
“誰でもみなローンのために働いているんだ。 ”




痛烈に社会を皮肉っていました。それはもう清々しかったです。なかなか面白い映画を観ましたね。この映画にはあまりお金はかかってなさそうですが、物語はとてもよくできています。見た目の派手さはないけれど、やっぱり映画はストーリーが第一ですよね。メッセージ性を含みながらも、押し付けがましくなく、ユーモラスかつ上品にまとめてありました。気に入った!


大事なのは、常に自分で選択するということ、その選択に自分が責任を持つということ、なんでも鵜呑みにしないこと、とにかく自分で考えること。こういうことですね。なんでもかんでもすぐに他人のせいにし、溢れかえる情報にひたすら翻弄され、自分を見失っているようにしか見えない現代人の惨めなようすを、この映画はうまく描いていたのではないでしょうか。

特に印象的だったのはこの場面。
肺ガンになった途端にタバコ業界を訴えようとする初代マルボロマン。しかも彼はマルボロの宣伝広告に出ていたが、吸っていたのはマルボロではなかったとか。タバコ業界から贈られた見舞金(もちろん買収用)に目がくらみ、その金も欲しいが、一方でやっぱり訴訟を起こそうという気持ちも捨てられず。人間とは実に弱いものです。
ここでは、マルボロマンを買収しようとするタバコ業界の卑劣さと、タバコを吸い続けたのは自分の選択であったことを忘れてちょうど逆風が吹きつけているタバコ業界にたかろうとするマルボロマンの卑劣さと、そのネタで無責任に面白可笑しく盛り上がろうとするマスコミの卑劣さ、その向こう側でそれをただ無批判に受け入れる大衆の卑劣さといったものまでも見せられた気がします。そして、それぞれがみな自身の卑劣を少しずつ自覚し恥じ入りながら、生きるためには仕方がないと諦めてもいる、そういった人生の悲しみのようなものもまたしみじみと感じられました。

さらに、この映画のうまいところは、主人公が決して正義の男ではないというところです。ニックはむしろ、議論で相手を言い負かせれば、それが論点のすり替えであろうと、欺瞞であろうと、まったく構わないという男です。こういう男にやりこめられるのは非常にむかつくんだろうと、私も映画を観ながら思いましたが、でも、どこか憎めないところもあるのです。息子とはうまく付き合えないし、女にはすぐに騙される。しまいには仕事も失って、もうどうしようもない。しかし、彼はここからどうするのか、自分に備わった能力をどう活かすのか、これがこのドラマのもう一つのキモでしたね。人間ドラマとしても良い出来です。爽やか。清々しい。

私たちには、この世の中で自分では選ぶことを許されず強いられるだけのことだって数多くあるかもしれないけれど、たとえば酒、タバコ、(日本では禁止されているが)銃の所持など、個人に選択の自由が与えられていることもたくさんある。自分でそれらを選んでおきながら、問題が生じた時にだけ製造元を訴えるなんていうことは、自分たちがいつも絶対的に正しいと信じている《自由》を、自分たちで汚していることにはならないだろうか。あるいは、自分たちが「選ばなかった」ということを正義と誤認して、そうでない相手を全面的に罵るなんてことは、それが果たして《自由》と言えるだろうか。

もちろん、酒、タバコ、銃をめぐっては個人の自由だけでは済まない問題も多くあるだろう。これらによって他者が迷惑を被ることがしばしばある。だが、だからこその議論だ。一面的な悪影響だけを取り上げて盲目的・排他的な正義を振りかざすのではなくて、もっと公平で、もっと建設的な、もっと正しい議論が交わされるべきではないだろうか。《自由》を掲げるアメリカ人なら、これくらいのことはやるべきじゃないんだろうか。できるはずじゃないだろうか。頭を使え! 自信を、本当の意味での責任感を、自分のもとへ取り戻せ!


とまあ、こういう硬派な問題を提起する映画だったのではないかと私は振り返ります。何の気なしに観始めたのに、とんだ面白い映画でありました。もうかったなぁ。面白かった!