goo blog サービス終了のお知らせ 

半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

『類推の山』

2005年01月11日 | 読書日記ーフランス
ルネ・ドーマル 巖谷國士訳(河出文庫)


《あらすじ》

はるかに高く遠く、光の過剰ゆ
えに不可視のまま、世界の中心
にそびえる時空の原点--類推
の山。
その「至高点」をめざす真の精
神の旅を、寓意と象徴、神秘と
不思議、美しい挿話をちりばめ
ながら描き出したシュルレアリ
スム小説の傑作。
”どこか爽快で、どこか微笑ま
しく、どこか「元気の出る」よ
うな”心おどる物語!!



《この一文》

”---可視の人類のうちに住む不可視の人類というこの考えを、私は単なるアレゴリーと見てあきらめることはできませんでした。経験から証明されていることだが、と私は自分にいいきかせたものです、人間は直接自分で真理に到達することはできない。なにか仲介物が--ある面は人間の域にとどまりながら、ある面は人間を超えている仲介物が--実在しなければならないのだ。この地球上のどこかにその高次の人類が住んでおり、彼らはかならずしも接近不可能なわけではないはずだ。とすれば、私はそれを発見することに全努力を注ぐべきなのではないだろうか? たとえそんな確信に反して、じつはなにかとんでもない錯覚のとりこになっているのだとしても、そういう努力をついやすことでなにひとつ失うものはないだろう。なぜなら、どのみちこのような希望がなければ、生活のすべては意味を失ってしまうだろうからだ。  ”



未完であるのが惜しまれます。
大変に興味深い内容です。
年末年始に帰省する際、山積みになった未読本の中から適当に選んだ四冊のうちの一冊です。
田舎に帰った私は、この春に高校受験を控えた中学生の家庭教師をすることになっていたのですが、人にものを教えるなどということはこれまでほとんど考えたこともなかったので、一体どうしていいのやら、教えることにどんな意味があるのかと、ずいぶんと悩みました。
悩んでいると、ちょうどそのときに私にヒントを与えてくれる本に出会うのです。
どうしてそうなのか、いつも不思議で仕方ないのですけれど。
「後記」からもう一文引用します。


” ドーマルはさらに説明をつづけて、この本の最終章で示すつもりのことをつぎのように語った--
 「おしまいには、とくに<類推の山>の掟のひとつを書きこんでみたいんだ。頂上にたどりつくためには、山小屋から山小屋へと登ってゆかなければならない。ところが山小屋をひとつ離れる前に、あとからやってきてその離れた場所に入る人たちのための用意をしておく義務があるんだ。そして、その用意がおわってからでないと、もっと上に登ってゆくことはできない。だから、僕らは新しい山小屋にむかってつきすすむ前に、もういちど下へ降りて、僕らがはじめに得た知識を、別の探索者に教えておかなければならない・・・・。   ”


私も少し前進できるかもしれません。
そんな希望に満ちた楽しい物語です。

『未來のイヴ』

2004年12月23日 | 読書日記ーフランス
ヴィリエ・ド・リラダン 齋藤磯男訳(創元ライブラリ)


《あらすじ》

恋人アリシヤのヴィナスのような肉体、輝くばかりの美
貌、しかしその魂のあまりの卑俗さに英国青年貴族エワ
ルドは苦悩する。自殺まで考える彼のために、科学の英
雄エディソンはアリシヤの肉体から魂を取除くことを引
受け、人造人間ハダリーを創造する。


《この一文》

” 甲冑體の中に封じ込められた生きた女ではあるまいかといふ幻想を、これほどまでに彼に與へてゐたこの「存在」が、「科學」と、忍耐と、天才とから生れた、全く虚構の存在であると認容することは、エディソンの理路整然たる説明にも拘らず、彼には不可能であつたのだ。”


この長い物語を読み終えるころには、すっかり正漢字・歴史的仮名遣いにも慣れることができます。
登場するエワルド(面食い貴族)やエディソン(マッドサイエンティスト)といった人は、性格に問題があるような気がして仕方ありません。
それはともかく物語はとても面白いのでした。
ハダリー(Hadaly)というのは古代ペルシヤ語で「理想」を意味する、という註が付いていました。
ロマンです。

『夜間飛行』

2004年12月12日 | 読書日記ーフランス
サン=テグジュペリ作 堀口大學訳(新潮文庫)


《あらすじ》

第二次大戦末期、ナチス戦闘機に撃
墜され、地中海上空に散った天才サ
ン=テグジュペリ。彼の代表作であ
る『夜間飛行』は、郵便飛行機がま
だ危険視されていた草創期に、事業
の死活を賭けた夜間飛行に従事する
人々の、人間の尊厳を確証する高邁
な勇気にみちた行動を描く。実録的
価値と文学性を合わせもつ名作とし
てジッドの推賞する作品である。他
に処女作『南方郵便機』を併録。


《この一文》

”---彼は今、遠洋諸島のうわさを聞いて、そこへ自分たちの希望を載せて出かけようと、船を建造したという昔の小さな町々のことを思い出していた。たった一隻の船のおかげで、人々はいずれも自らに大を加え、自己を超越し、自由になったのだ。「目的は、ともすれば、何ものをも証明しないかもしれないが、行動が死滅から救ってくれるのだ。あの人々は彼らの船のゆえに後世までも生き残っているのだ」
  あそこに来ているあれらの電報に、その真の意義を、夜勤の荷役係らに仕事のうえの不安を、搭乗員たちにその悲劇的な目標を与えるとき、リヴィエールもはじめて人間の死滅に対して戦っていることになる。風が海の上の帆船を動かすように、生命がこの事業を動かすとき、はじめて、彼は人間の死滅に対して戦っていることになる。           
      ---『夜間飛行』より  ”


悩ましい問題です。
人は何のために生きるのか。
偉大な事業に対しては個人の生命は何程のものでもないのか。
確かに、理屈は分らなくもないのですが、
果たして偉大な事業とは本当に偉大なのか・・・。
考えれば考えるほど、難しくなっていきます。