初場所も10日に初日を迎える。 今年は若手の力士が頑張って大いに盛り上げてほしいものだ。
その大相撲の横綱。 強さの象徴的存在だが、意外にも、明治以降に生れた彼らの平均寿命は
60歳に満たず、現在の日本人男性より20年以上短い。 大きな体が災いしてるのか、それ
とも過酷な鍛錬の影響か。 このほど横綱としての最高年齢記録を塗り替えた小兵力士のライ
フスタイル、長生きのヒントがあるのかもしれない?
「ええ、俺が? 体に良いこと、特
にしているつもりはないけどな~」。
第49代横綱、元栃ノ海の“花田茂広
さん”は戸惑いながらも笑顔だったそ
うだ。 今、82歳と8カ月。 18
45(弘化2)年生まれの15代横綱
梅ケ谷が83歳まで生きていたとい
う資料があるが、明治以降に生れた
横綱では、初代若乃花が2010年
に亡くなった時の82歳5か月を超
えて最長寿となった。
青森県田舎舘村の出身。 現役引退
後に日本相撲協会の理事を務め、定
年を迎えて以降は妻と2人で東京都
内のタワーマンションに住んでいる。
今でも河川敷の散歩、週2回のスポ
ーツジム通いを欠かさない。 たば
こは5、6年前にやめ、酒は日に缶
ビール2本ほどで現役時代の「10
分の1」という。
72人いる横綱のうち、明治以降の
生まれは55人。 80歳を超えた
人は栃ノ海、初代若乃花、鏡里の3
人しかいない。 昨年2月に55歳
で死去した60代横綱双羽黒まで、
鬼籍に入った39人の平均寿命は58.5歳。
花田さんと同時期に活躍した横綱では、柏戸が1996年に58歳で、大鵬は2013年に
72歳で、佐田の山は17年に79歳で逝った。
盟友に先立たれた花田さんは「俺が長生きなのは、一番稽古が少なかったからじゃないかな」。
冗談めかし、続ける。 「俺の場合、横綱の重圧から早くに解放されたしね」
技巧派として25歳で最高位にたどり着いた栃ノ海は腰や右腕のケガに苦しみ、在位17場
所にとどまった。 15日間出場したのは9場所で、その間の優勝は1度。 28歳8か
月での引退は、当時の横綱の最年少記録だった。
「俺は元々、横綱になりたくて頑張っていたわけじゃない。 土俵に2人しかいない勝負で
『勝ってやろう』という気持ちだけで生きてきた。 それが横綱にならせてもらって『負
けられない』に変わった。がしかし、これが非常にきつかった。 毎日眠れないんだから。
引退した時、『これで長生きできる』と思ったよ」
元横綱の寿命に影響を与える理由として、「横綱昇進後の体重の変化」に注目するのは東京
国技館に近い同愛記念病院で長年、力士の体を見てきた“土屋名誉院長”です。
稽古量の多い若手時代と、体が出来上がった横綱昇進後の増量は意味合いが違う。 土屋名
誉院長が、年6場所制となった1958年以降に横綱になった28人を独自に調べたとこ
ろ、昇進時から引退までに平均6㌔、重くなっていた。 大鵬のように数十㌔増やした例
はある一方、初代若乃花と栃ノ海は2、3㌔の微増にとどまっていたそうだ。
朝稽古後に、両手に持った一升瓶を一気に飲みほしたという酒豪の初代若乃花については「
内臓が強かったんでしょうね」と苦笑する土屋名誉院長は、「初代若乃花さんも栃ノ海さ
んも、無理に増量していない。 土俵人生を終えた後の体調の維持管理がしやすかったの
ではないか」。 現役当時、「どんぶり飯を多くても1杯半」しか食べられなかった元栃
ノ海の花田さんは今も体重80~90㌔台をキープしているそうだ。
存命する元横綱で長寿2位の78歳、元北の富士の“竹沢勝昭さん”も土屋名誉院長の説に当
てはまるという。 昇進時135㌔→引退時132㌔と減っていた。 「当たり前の稽古
をしていたら太らないよ」と、こともなげに振り返っている。
2017年に心臓の病気で体重を落としたが、コロナ禍の自粛生活で自宅で自転車をこいだ
り、得意の料理を楽しんだりしているという。 「いろんな欲はなくなったけど、不思議
と食欲はあるんだ」と・・。 ステーキなら400㌘はいけると話しているそうだ。
「元気のひけつ? 元気じゃないよ」と笑いつつ、「テレビに出るのもボケ防止になって
いるのかな?とちゃち・・人に見られるのがハリにもなっているんじゃないかな」とも。
NHKの大相撲中継での歯にきぬ着せぬ解説が評判で、着物や革ジャンを着こなす格好良
さも人気のようだ。 現実に中継で見ると本当にカッコいい!
「父も100歳まで生きたから、俺も現役時代に丁寧に生きていれば100歳まで生きら
れるかも、と思うよ」。 若い頃の自分を恨みつつ、こんな野望を口にしている。
「成績では歴代10傑に入るものがないからさ、せめて、長寿では1番になりたいな」と
謙遜しつつにこやかに話しているそうです。
その大相撲の横綱。 強さの象徴的存在だが、意外にも、明治以降に生れた彼らの平均寿命は
60歳に満たず、現在の日本人男性より20年以上短い。 大きな体が災いしてるのか、それ
とも過酷な鍛錬の影響か。 このほど横綱としての最高年齢記録を塗り替えた小兵力士のライ
フスタイル、長生きのヒントがあるのかもしれない?

にしているつもりはないけどな~」。
第49代横綱、元栃ノ海の“花田茂広
さん”は戸惑いながらも笑顔だったそ
うだ。 今、82歳と8カ月。 18
45(弘化2)年生まれの15代横綱
梅ケ谷が83歳まで生きていたとい
う資料があるが、明治以降に生れた
横綱では、初代若乃花が2010年
に亡くなった時の82歳5か月を超
えて最長寿となった。
青森県田舎舘村の出身。 現役引退
後に日本相撲協会の理事を務め、定
年を迎えて以降は妻と2人で東京都
内のタワーマンションに住んでいる。
今でも河川敷の散歩、週2回のスポ
ーツジム通いを欠かさない。 たば
こは5、6年前にやめ、酒は日に缶
ビール2本ほどで現役時代の「10
分の1」という。
72人いる横綱のうち、明治以降の
生まれは55人。 80歳を超えた
人は栃ノ海、初代若乃花、鏡里の3
人しかいない。 昨年2月に55歳
で死去した60代横綱双羽黒まで、
鬼籍に入った39人の平均寿命は58.5歳。
花田さんと同時期に活躍した横綱では、柏戸が1996年に58歳で、大鵬は2013年に
72歳で、佐田の山は17年に79歳で逝った。
盟友に先立たれた花田さんは「俺が長生きなのは、一番稽古が少なかったからじゃないかな」。
冗談めかし、続ける。 「俺の場合、横綱の重圧から早くに解放されたしね」
技巧派として25歳で最高位にたどり着いた栃ノ海は腰や右腕のケガに苦しみ、在位17場
所にとどまった。 15日間出場したのは9場所で、その間の優勝は1度。 28歳8か
月での引退は、当時の横綱の最年少記録だった。
「俺は元々、横綱になりたくて頑張っていたわけじゃない。 土俵に2人しかいない勝負で
『勝ってやろう』という気持ちだけで生きてきた。 それが横綱にならせてもらって『負
けられない』に変わった。がしかし、これが非常にきつかった。 毎日眠れないんだから。
引退した時、『これで長生きできる』と思ったよ」
元横綱の寿命に影響を与える理由として、「横綱昇進後の体重の変化」に注目するのは東京
国技館に近い同愛記念病院で長年、力士の体を見てきた“土屋名誉院長”です。
稽古量の多い若手時代と、体が出来上がった横綱昇進後の増量は意味合いが違う。 土屋名
誉院長が、年6場所制となった1958年以降に横綱になった28人を独自に調べたとこ
ろ、昇進時から引退までに平均6㌔、重くなっていた。 大鵬のように数十㌔増やした例
はある一方、初代若乃花と栃ノ海は2、3㌔の微増にとどまっていたそうだ。
朝稽古後に、両手に持った一升瓶を一気に飲みほしたという酒豪の初代若乃花については「
内臓が強かったんでしょうね」と苦笑する土屋名誉院長は、「初代若乃花さんも栃ノ海さ
んも、無理に増量していない。 土俵人生を終えた後の体調の維持管理がしやすかったの
ではないか」。 現役当時、「どんぶり飯を多くても1杯半」しか食べられなかった元栃
ノ海の花田さんは今も体重80~90㌔台をキープしているそうだ。
存命する元横綱で長寿2位の78歳、元北の富士の“竹沢勝昭さん”も土屋名誉院長の説に当
てはまるという。 昇進時135㌔→引退時132㌔と減っていた。 「当たり前の稽古
をしていたら太らないよ」と、こともなげに振り返っている。
2017年に心臓の病気で体重を落としたが、コロナ禍の自粛生活で自宅で自転車をこいだ
り、得意の料理を楽しんだりしているという。 「いろんな欲はなくなったけど、不思議
と食欲はあるんだ」と・・。 ステーキなら400㌘はいけると話しているそうだ。
「元気のひけつ? 元気じゃないよ」と笑いつつ、「テレビに出るのもボケ防止になって
いるのかな?とちゃち・・人に見られるのがハリにもなっているんじゃないかな」とも。
NHKの大相撲中継での歯にきぬ着せぬ解説が評判で、着物や革ジャンを着こなす格好良
さも人気のようだ。 現実に中継で見ると本当にカッコいい!
「父も100歳まで生きたから、俺も現役時代に丁寧に生きていれば100歳まで生きら
れるかも、と思うよ」。 若い頃の自分を恨みつつ、こんな野望を口にしている。
「成績では歴代10傑に入るものがないからさ、せめて、長寿では1番になりたいな」と
謙遜しつつにこやかに話しているそうです。
今年も10日から初場所が始まります。 今年中に新横綱誕生を期待したいものです。