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大型連休に行ける「権力の館」

2024年04月28日 12時44分09秒 | 遊び
  連休中にもし特に予定のないのら、こんなところへお出かけになったらいかがでしょうか。
  
  歴代首相は時代時代に日本の行方を左右する判断を重ねてきたのでは‥‥ないでしょうか?
  時には執務する首相官邸や住まいの公邸を離れた別荘で思考を巡らせ、客をもてなした。 そんな一部の
  施設は見学ができます。 27日から始まった大型連休で「権力の館」を訪れ、日本の来し方行く末をの
  思いをはせるのはいかがでしょうか‥‥。

  

  「せめて大磯でゆっくり本でも読むか」。 首相を計7年超務めた"吉田茂氏"が1954年に第5次内閣で
   退陣を決意した時に話したとされる言葉だ。 場所は幼少の一時期や首相在任中の週末を過ごした神奈川
   県大磯町にある「旧吉田茂邸」を指す。 もとは養父の健三氏が別荘を建てた土地で、吉田氏は東京の私
   邸が空襲に遭ったのを機に大磯に移った。
  首相在任中の週末には、”池田勇人、佐藤栄作両氏”ら後に首相に就く次世代の政治家が毎週のように訪れた。
   吉田氏が1963年に政界を引退した後も政財界から多くの人が邸宅の門をたたき「大磯詣」と呼ばれた。
   吉田氏は大磯町の邸宅を社交の場として位置付けていた。 外交官時代に欧州や米国を訪れた時に、私邸
   での歓待を受け感激したからだ。 アイゼンハワー米大統領やマクミラン英首相の来日の計画があった際、
   大磯町の邸宅を「迎賓館」として活用しようと思い立ち、増築した。 増築部分には富士山が見える来客
   用の部屋を設けた。 外国人に合わせ、天井は高く、床はフローリングにした。 全面を窓ガラスにする
   吉田氏の要望に、建築家が「西日が差します」と忠告しても、「かまわないから」と譲らなかった。 実
   はその部屋に来客が泊まった記録は残っていない。 吉田氏自身が晩年まで富士山を見ながら過ごした。
   おもてなしへの配慮は邸宅へ向かう庭の石畳にも表れている。 上皇上皇后両陛下が皇太子ご夫妻だった
   時代に訪れた際、玄関まで車を通せるように石畳をひいたという。 首相の立場ならではの設備も見られ
   る。 駐車場に直通する非常用の脱出口や官邸に直通する黒電話の展示がある。

  吉田氏のライバルだった“鳩山一郎元首相”が東京・音羽に建てた「鳩山会館」と呼ばれる私邸も一般見学で
   きる。 展示用に一部を改築した部屋もあるものの、調度品を含めて鳩山氏が住んだ当時のままの姿を残
   す。 鳩山氏は体調を考慮し可能な限り自宅で仕事をした。 玄関近くには打ち合わせなどに使える応接
   室を2つ設けた。 現在の自民党の源流となる日本自由党の結党やソ連との国交正常化もその部屋で議論
   したといわれている。 2つの部屋はそれぞれ趣向が異なる。 第1応接室は黒を基調とした厳粛な雰囲
   気を持つ。 第2は明るく、庭の見えるつくりにしている。  相手や話の内容によって使う部屋を分けた
   とされる。 機微に触れる話をする時は第1応接室、親しい人と打ち解けて話す時は第2を使った。 第
   2応接室には"石橋湛山、河野一郎、三木武吉各氏"ら有力政治家が訪れ、戦後政治の舞台となった。
   庭にもこだわりがみえる。 バラを愛した鳩山氏は好きな種類を植えていた。 今でもバラが咲く5月に
   年1回で最も多くに人が訪れるほど見どころになっている。 当時、取材していた記者にも配慮した。
   邸宅内の地下に記者が待機する場所を用意し、いざとなれば1階や2階にいる鳩山氏本人に確認できるよ
   うにした。 吉田邸と同様に襲撃の可能性を想定した箇所も残る。 "犬養毅首相"が暗殺された32年の
   五・一五事件当時、文相を務めていた鳩山氏は自身の書斎を鉄扉にした。 台地に位置し、急な坂道を上
   ってしか玄関にたどりつけない、山城のような構造だった。 孫で祖父と同じく首相を務めた”鳩山由紀
   夫氏”は現在も鳩山会館をおもてなしの場所として使っている。 首相在任中には地元後援会との面会の
   場などに活用した。

  東京・日の出町にある「日の出山荘」は”中曽根康弘元首相”の別荘だ。 83年に国賓として来日した”レ
   ーガン米大統領”との首脳会議の舞台となり、現在は記念館として一般に開放している。 レーガン氏と
   は、かやぶき屋根の母屋でおそろいのちゃんちゃんこを着て囲炉裏を囲み、和食や日本酒でおもてなした。
   両氏はファーストネームで「ロン・ヤス」と呼び合う信頼関係を築いた。 山荘はもともと空き家だった
   農家を中曽根氏が買い取り、週末の勉強部屋として使っていた。 同氏は2019年に亡くなる2年間ま 
   で訪れていたという。

  歴代首相が官邸や公邸と離れた別荘を使うのは気分転換の意味合いが大きい。
   憲政史上最も長く首相を務めた”安倍晋三氏”は、短命に終わった第1次政権時代、公邸に居を構えたも
   のの、12年に再登板した後は東京・富ヶ谷の私邸に住んだ。 たびたび国会で公邸に住まない危機管
   理上の問題を指摘された。 「私に求められているのは心身ともに健康を保って大切なときに判断を間
   違わないことだ」と答弁した。 私邸では政局の節目で”麻生太郎氏”ら信頼する政治家を呼び意思を擦
   り合わせた。 山梨県鳴沢村の別荘に関係を重視するインドの”モディ首相”を招いたこともある。

   こんな観光のできる歴代首相の私邸・別邸、もしこの連休中にお時間があるのならば、どのようなも
    のなのかを一度ご覧になってみませんか‥‥。

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