二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

問題です!

2013-12-13 13:27:19 | 徒然に想う

最近電車のつり広告で、ある塾が「あたなが『かけがえのない』存在として大切にされたか体験をあげなさい。そして、その体験があなたの生き方にどのように生かされているかを書きなさい」なんて例題をある中学の入試問題から拾っているのを見かける。最近の小学生たちはこんなことすらすら書けるのだろうか。言葉として「かけがえのない」ことは分かっても、自分の体験の中から拾い出し、どう「生き方」に反映しているかまで書く、書けるんだろうか。

だいたい、出題者側の意図は何だ。11歳12歳の子供に「生き方」を問うて何を見たい? その子たちの「生き方」が作文されたとして、なににつかうんだろう。塾側の意図は? 受験テクニックとして、すらすら書けるように致しますよ、ということ? このような問題に出題者に受けがいいものを書かせる力をつけますよといいたいのだろうか。嘘とまでは言わないが、体験もしてないことを創作させ、テクニックとして書き出させる? 

英語教育のことも耳にするが、そこまで子供たちに求めていったい何をしたい。幼稚園に上がってもおむつが取れないケースがあるそうだし、十分歩ける年齢と見えるのにベビーカ―に乗っている子供たちも見かける。思想による選抜、大人受けのいい実を伴わない技術と言ったら失礼だろうか。いずれにしても、どうにも、こうにも、子供の存在とういうよりも大人の都合で子供を振り回しているとしか見えない。 

 

 

 

今日の一枚:5時45分くらいのこと、一つ流れた。木星とボルックスの中間あたりからプロキオン方向だった。で、しかも、その5分過ぎ、今度は人工衛星。家で調べたら、イリジウム衛星53号。今回、相性がよさそう。明日、明後日が極大になるらしいので、カメラをかまえに行こう、と算段中。一度でいいから、流れ星を撮ってみたい。神社から6時頃。

 

追申:本文中の問題の解答例と説明がWebを探すと出てくる。


歩く? いや走って

2013-12-12 18:04:58 | 徒然に想う
初めて秩父巡礼でお接待をしていただいた。ある札所でのこと。納経を済ますと、歩きかと質問をされる。そうですと返すと、ちょっと待ってと。なにやらゴソゴソされ、ポッキーを差し出しだされる。持ってけ。ありがたい。

そう、先日の続き、十番札所から二十六番札所まで打つ。天気はいいが風が冷たく、陽が射さないと寒い、手袋だって要る。

《冬の山 朝陽を写し 秋模様》


慌ただしく、まるで走ってきたかのような気分。だが距離は、その割に24キロ弱。3時過ぎに、太陽が山に隠れてしまったので打ち止め。ちなみに、お接待をしていただいたお寺さん。四国八十八ヶ所のそれぞれのご本尊を祭った回廊堂が持っていて、大師像もある。何か縁か言われがあるのかもしれぬ。これではイカンのよ…。聞かなきゃ。また、歩くんじゃなく、走ってしまった。なにやってんだろ…。進歩ないなぁ。





今日の一枚:二十四番札所と二十五番札所の中間あたり、13時半過ぎ。
 
 
 
意外かも知れないが、十番札所に向かう途中にある。四国ではよく見るが、秩父にはこの一ヶ所だけ。しかも色褪せている。

放射冷却の朝

2013-12-11 08:58:29 | 徒然に想う
14日あたりに極大を迎えるふたご座流星群。数日くらいならと時折西の空を立ち止まって振り返る。もちろんサッと流れるはずもなく、足下から寒さが這い上がってくるよう。

《ふたご座の 涙待つ朝 凍てつくす》


今日という一日の黎明。静かに、着実に進んで行く。微塵だに躊躇などない、粛々と明けてゆく。その有り様に、足下から這い上がる寒さすら忘れていた。






今日の一枚:神社を出てすぐ、イチゴのハウスがある。その近く、6時5分頃。
 
  
 
場所は神社、6時頃。
 

 
 
 
同じく神社、5時55分頃。 
 

ハラハラ、ドキドキ

2013-12-09 11:51:30 | 徒然に想う
朝の連ドラ、ハマるとハマってしまうもの。今のもその予兆があるのだが、BSで観ようとすると数年前の「ちりとてちん」の再放送をやっていて、そこから見始めてしまう。「ちりとてちん」、懐かしいというか、思い出深いというか。2007年の4月から9月末までやっていた。貫地谷しほり演じる若い女の子が落語家になって成長していく話し。

その年夏、ネフローゼを患い、9月1ヶ月間丸々入院した。それまで連ドラにはまることなぞなかった。せいぜい「ちゅらさん」を土曜日の連続再放送で追っかけた位。初めて、毎日あの15分が楽しみになった、として記憶に残る。

福岡正信さんの本を繰り返し読んで理解しようとしていたのも懐かしい。結局、もちろん彼の農法を理解するに至らなかったが、それでも、やれることは彼の本を読み考えること位。暑さ寒さも分からぬ隔離されたサラリーマン生活を送ってきたことに驚き嘆きながら、ここぞとばかりに彼の哲学を毎日毎日読んでは考え、考えては読んでいた。

この時、間違いなくこの時だ。私の中でパラダイムの転換の予兆が漠然としたものからハッキリしたものになったのは。そして、翌春、一輪の桜によってついにトリガーが引かれ転換が完成したんだ。農という生活をメインにする! パラダイムが転換している以上、以前の状態に戻ることはとうてい有り得ない。これからのこと想うと、結構、ドキドキする。





今日の一枚:今朝6時頃。遊水池のほとりにて。

いちにち、いちにち

2013-12-07 16:32:45 | 徒然に想う
今日、二十四節気の大雪。「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」。

昨日、買い物に出ると月と金星が寄り添っていた。ほとんどの行き交う人たち、下を向いたり、ケータイ、スマホをいじっていたりして、空なんか見てない。空がどうなっているか、まぁ大したことではないが。探せば、いろんなことが起きている。

ふたご座流星群が来週末、ピーク。アイソン彗星はダメになってしまったが、朝方に4等級の明るさでラブジョイ彗星が見える。

昨日、一昨日、と午前中片付けものがあって、畑にも行けず、秩父札所巡りの続きにも行けず。午後、ここ数日四国巡りのN師と交わした問答について考え直していたら、ふと別なことが見えてきた。放任とそうでない、本を読まないと読むの違い。

例えば、放任、読まないの状態は薄っぺらい。魅力的じゃない。何もしないは沢山するということらしい。本を読むは沢山活字を追うではなく、どれだけ多く理解するかということ。なにを今更と思うが、やっとこんなことがわかり始めた。





今日の一枚:昨日の月と金星、部屋から西を望む。17時頃。
 
 
 
 
 
もう一枚、一昨日の月と金星。横に並んでいる。やはり17時頃。五分ほど早いか。

「同じ」と「異なる」

2013-12-04 16:37:08 | 徒然に想う
何だろう、歩いてないと寂しくなる。あれだけ歩いて来たのに約1ヶ月で歩き始めた、秩父三四札所巡りに、今朝。指を折れば、四巡目。

道が明るい、広い。前回が去年のことだから、工事で拡張されたとかでない。道の幅は変わらない。道沿いの家並みも変わった印象がない。

粥新田峠を下りきったところの集落で、風が流れた。その時、鈴の音…。
《風寒し 夏の名残の 風の鈴》

四国二巡目の時は、思い出してばかり。秩父四巡目では、新しい道として目に飛び込んでくる。巡る毎に、見え方が違う。端からみれば、同じところ巡って何が楽しいのか、思うだろう。同じ道が同じじゃない、異なっている。同じということと異なるということに違いがないことが感じられるから…。






今日の一枚:九番札所を打ち終え、帰宅へと横瀬駅に。15時半頃。夕闇をまつ武甲山。
 
 
まだ紅葉が残ってました。

今日の一枚

2013-12-03 16:22:21 | 徒然に想う

今年畑を始めたとき菜の花が咲いてたのをそのままに。で、タネが出来たから、畑にばらまいた。そしたら小松菜とはっきりわかる物のわきに、葉がコンフリ-に似たしわしわな、食べると味が小松菜そっくりな草。食べて不味くないが、舌触りが良くない。F1のタネからの次世代はこうなるもの、か。光線がその葉脈を不思議に刺し貫いていた。10時半頃。

 

追申:ここ数日最高気温が15℃くらいまで上がって、風が吹かないと全く小春日和だ。しかし、朝晩の冷え込みときたら。畑に向かう途中の風景。

≪豆をよる 二人の向こう 炬燵猫≫