去年はなかなかマザーランド探しがはかどらなかった。今年はどうなるかと思っていたら、今朝になって、夢を見た。今までになく初めて地名が具体的に明確になっている。キーワードになるかも知れぬ。「キヌタ」というところ。
その場所は、タスマニアのようで、ローンセストン空港に遠くない国道1号線沿いの街。例によってジェラルディンたちのところから帰る日、車で空港に向かっていた。その最中今までに気付かなかった街があって「KIMUTA」と交差点の信号にぶら下がっている。信号? そう、ちょっとタスマニアの街にしては妙で、交差点があって歩道橋までがある。日本の地方都市に似ているといえば似ている。そんなバカな、と思ったら目が覚めてしまった。
「みる」。いろいろな漢字を使うことができるが、ここ数日「観る」という字を当てている。今朝神社下の公園を歩いていると、この字が正しかったのだろうかと思えてきた。見えないものが見えたり、見えているものが見えなかったりで観察ができるできないということで、この字を使ったつもりだった。だが、この字にはたくさん「みえる」ところから何か特定のものが「意識」され「みてとれた」場合に、「観る」というのではないだろうか。つまり、区別をして初めて「観る」わけだ。それで分からなくなった。区別を前提とする? 区別をすると「観れる」のかと。
夢を「みる」のは、見えないものを見ている。散歩しているときとは違って、体と意識とが分離されているような状態の寝ているときのこと。…みる、か。「みている」庵主はかわることない…。「みる」とは一体どういうことなのだろう。
今日の一枚:寒桜の今朝の様子。で、もう一枚。これは同じ蕾を昨日撮ったもの。比べると、気持ち、閉じている…。それも面白いが蕾の間に枝が入っている。風で動くのだろうが、結構蕾は強いもんだ。