骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

赤堤六所神社を骨で聴く

2011-01-28 11:12:10 | 骨で聴く巡礼旅

 骨伝導ヘッドセットとともに、隠れたパワースポットを巡礼しているつもりで、上野の下町から再び世田谷へと戻ってきました。今回訪れるのは赤堤六所神社です。

 《バイクで巡礼の方は》
          ⇒ ヘルメット装着の骨伝導シェルショッカー

 ここは東急世田谷線で下高井戸駅から一つ目・松原駅の南東約250mに鎮座しています。

          ⇒ 下高井戸駅を骨で聴く

 世田谷の住宅街に位置し、世田谷線の線路からも近い場所ですが、昼尚暗い鬱蒼とした鎮守の杜に囲まれた神社です。都会の神社としては、まさに「神社らしい」雰囲気を持っています。

 この地域は世田谷城址公園や豪徳寺のときにも取り上げた吉良氏が関係しています。世田谷城の支城として築城した赤堤城があり、その城跡に建つ聖域の神社なのです。

 《吉良氏関連の過去記事》
          ⇒ 世田谷城址公園を骨で聴く
          ⇒ 常盤伝説を骨で聴く
          ⇒ 北沢八幡宮を骨で聴く
          ⇒ 塩を骨で聴く
          ⇒ 豪徳寺を骨で聴く
          ⇒ 世田谷八幡神社を骨で聴く

 赤堤城は吉良氏没落とともに廃城となりました。
 江戸時代には赤堤陣屋として利用されていたそうです。

 しかしこの神社の由来を見ると、天正12年(1584年)12月、「平貞盛の数世の孫服部貞殷が府中の六所宮現大国魂神社を勧請して赤堤の鎮守と定め、服部家の祈願所として奉斎したのが始めです」とあります。
 世田谷城の北方を守るための砦が築かれたのは、それより前ということになります。吉良氏が世田谷城を追われたのが1590年ですから、この神社の創建時と辻褄があいません。吉良氏が城を追われる前に、北方の守りを崩して神社にするとは考えがたいといえます。

 創建日が事実なら、当時は別の場所に鎮座していた可能性もあるでしょう。

 さて、そんな赤堤六所神社ですが、参道だけでなかなかの雰囲気です。城跡らしい起伏と、鬱蒼とした木々に囲まれ、癒し効果は抜群です。騒音もなく、都会で活躍する骨伝導と携帯電話の接続も必要ないほどです。

          ⇒ 携帯接続の骨伝導ヘッドセット

 薄暗い参道を抜け、境内正面と向き合うと、そこには朱の柱などに白壁が映える拝殿が現れます。荘厳な雰囲気を持っています。拝殿の左右には神楽殿、境内社などが点在しています。

 米軍で採用された特許技術の骨伝導も、ここでは癒しモードに切り替わります。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 世田谷の隠れた「癒し」スポットであることは間違いありません。
 お勧めの神社といえます。
 ただし、骨伝導を忘れずに!

西町太郎稲荷神社を骨で聴く

2011-01-27 13:21:58 | 骨で聴く巡礼旅

 世田谷から東京の下町へ骨伝導神社巡礼の旅を続けます。
 御徒町から東へ向かい、住所表示では「東上野1丁目」にある西町太郎稲荷神社へと行きました。都会の片隅の本当に小さな神社です。

 ここは万治年間(1658~61)、九州筑後柳川藩11万9,600石の太守立花左近将監が江戸中屋敷として設けた跡地になります。現在では小さな会社や商店も軒を連ねる地域で、典型的な上野界隈の風景になっています。

 西町太郎稲荷は立花左近将監の母堂みほ姫の守り本尊として、邸内に建立されたものです。つまりここは立花氏の邸内だったとうわけです。

 この神社が特に商売繁盛に御利益あらたかなとなり、江戸・明治・大正時代を通じて広くその名が知られるようになりました。現在の規模からは想像も出来ないことです。

 太郎稲荷神社としては他に入谷にもあります。
 社が移転しようとした際に二社に分かれたものではないかと思われます。しかし詳しい史料がないのでいますが、断定はできません。

 守り本尊として建立された歴史は、古今東西、様々あるといえるでしょう。その本質的な部分は「健康維持」ともいえます。医学の発達により、現代では「ストレス」や「癒し」という概念が加わりましたが、病気の時の神頼みは健康への復帰として今でも衰えていないかもしれません。

 医療費が高騰している現代では、生活習慣病等の防げる病気を予防医療の立場で考える必要があります。また未病段階で発病させないことも重要です。
 こんな人たちが多く集まるのは病院ではありません。むしろ施術院やエステサロンといえるでしょう。

 セルフメディケーションを推進するために薬剤師だけでなく、医薬品登録販売者の資格制度が出来ました。ただ実務経験の関係で施術院の人たちは資格を取得することが出来ません。

 もし、一番未病段階の人たちが多く集まる場所でセルフメディケーションのための医薬品登録販売者いれば、予防医療の分野にまで広げることが可能になるはずです。
 LESの施術院専用コースであれば、それも実現できます。

          ⇒ LES医薬品登録販売者「治療院コース」

西町太郎稲荷神社のように現代の「守り本尊」となることができる、大きな第一歩がLES医薬品登録販売者「治療院コース」なのだとしたら、骨伝導についても同様な側面があることに気づきます。

 骨伝導は普及しない補聴器に対して、気軽さを提案します。
 難聴傾向の方は多くのストレスを誘発し、自律神経の狂いから接骨院や鍼灸・指圧院などに通院することが多くなります。美容にもその悪影響は現れます。
 骨伝導はその気軽さから、予防医療にも貢献するのです。

 しかし、

 特許技術で米軍に採用された骨伝導でなければ、技術力に疑問が生じる可能性があるでしょう。
 そんな意味で本格的な骨伝導が求められます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門

 都会の片隅に鎮座する西町太郎稲荷神社への参拝は、あっけなく終わります。参道もない小さな神社ですが、その場所で骨伝導を使い、医薬品登録販売者にまで臣思いが広がります。

 ここかそんな神社です。



弦巻神社を骨で聴く

2011-01-26 11:59:54 | 骨で聴く巡礼旅

 地元・世田谷の駒繋神社で挫折せず、さらに区内の神社に骨伝導とともに巡礼旅を続けることにしました。やはりヘルメットに骨伝導シェルショカーを装着しての小さな旅です。

          ⇒ 駒繋神社を骨で聴く
          ⇒ バイク用ハンズフリー骨伝導「シェルショッカー」

 今回訪れたのは弦巻神社です。
 世田谷の中央図書館を目指し、ここからは徒歩で散策することにします。
 図書館の脇には蛇崩川緑道があって、都会のオアシスとして住民の散歩コースになっています。ゆっくりと歩くのに最適です。歩くことで脳が活性化され、骨伝導きくちゃんのマイクから周囲の音声を脳へと伝えられます。脳波は自然に「癒し」モードへと向かうようです。

          ⇒ 骨伝導きくちゃん

 人工的に造られたせせらぎの音も、風が奏でる木々の葉の音も、実に心地よい感じがします。

 世田谷区の弦巻は、閑静な住宅街を形成していますが、かつては典型的な村落でした。その地名を冠した神社は、明治の時代に村落にあった小さな社を合祀し、一つにまとめた神社です。それで地名が冠されるようになったようです。

 合祀されたのは、八幡社(地域安定の神)、天神社(知識・学問成就の神)、稲荷社(五穀豊穣と稼業繁栄の神)で、地域の氏神様的神社になりました。

 規模はとても小さいといえます。
 参道も短く、隣のゴルフ練習場の騒音が響いています。これは興ざめです。

 しかし騒音には米軍で採用された特許技術の骨伝導が活かされます。こんな場面でも骨伝導の威力が試せるとは驚きです。緑道の癒し空間から神社の持つパワースポット、そして騒音対策と、骨伝導が与える影響は大きくなります。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門
 
 住宅街とはいえ都会の神社ですから、骨伝導を使った巡礼旅には多様な活かし方があることに改めて気づかされた次第です。


フォルクスワーゲン・トゥーランを骨で聴く

2011-01-25 11:18:52 | 骨で聴く名車

 フォルクスワーゲンが2003年から販売している小型ミニバンのゴルフ・トゥーラン(Golf Touran)は、5代目ゴルフのプラットフォームを利用して2-3-2の7人乗りを可能としえいます。
 駆動方式はFFで、4輪駆動モデルはありません。

 本家本元のヨーロッパでは、ユーロNCAPで5つ星の安全評価を得ているクルマで、タクシーとしても多く利用されています。日本でも「2004-2005インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した経歴があります。

 競合車種の多い市場ですが、このトゥーランには大きな特徴があります。

 日本では「3ナンバー」の大きさを持ちますが、現在のエンジンは1,400ccの小型排気量です。この小さな1.4Lエンジンにツインチャージャー TSIエンジンと7速DSGの組み合わせています。小型ミニバンとしては大きなボディを少ない排気量で支えているのです。
 2011年1月のマイナーチェンジでは日本国内の排ガス規制に合わせるために最適化が行われました。
 その結果、「平成17年基準排出ガス75%低減レベル(☆☆☆☆)」を取得するとともに、「平成22年度燃費基準+25%」も達成し、環境対応車 普及促進税制にも適合するなど、輸入車としては破格の位置づけとなりました。

 実際、走行してみると、車両重量が1600kg、わずか1.4Lの排気量とは思えない走りをします。最大トルクの回転数が1250rpmという低回転領域にあるせいか、重量級の車重も関係なく発進加速性能も悪くありません。

 骨伝導を使ってエンジン音を聴いてみても、違和感はありません。
 ただ、あまりに良くできたミニバンではあるものの、それゆえに出来すぎた優等生の印象もないわけではありません。フォルクスワーゲン自体が、そんな会社ということもありますが、ドイツ車の優等生としての魅力は、本来のクルマ好きには物足りない感じがしてしまうのかもしれません。

 これはゴルフにも共通し、ドイツのアウトバーンを疾走していると、たまらなく「普通のクルマ」の良さを感じると同時に、非日常への憧れのような気持ちも抱きます。ヘンな話ですが、フォルクスワーゲンにはそんなクルマだと思います。

 骨で聴く名車も、不定期に取り上げていますが、今回はドイツから来た小型ミニバンの優等生を取り上げました。
 骨伝導を使って様々な音を聴きますが、騒音はあまりないので、純粋にツインチャージャーのエンジン音を堪能できます。魅惑的な音ではありません。快適に過ごすための日常の音です。

 国産車ではおそらく、こんな優等生のクルマ、しかもこの排気量と過給機エンジンは現在考えられないのかもしれません。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導もある意味「優等生」かもしれませんから、そういう意味で骨伝導(特許製品のみ)との相性は抜群でしょうか。

          ⇒ 特許製品の骨伝導専門 

 ドイツ車を取り上げる機会の多い骨伝導ですが、実は根底に技術力の共通性があるのかもしれません(?)
 でも次回は国産車かもしれません。


世田谷城址公園を骨で聴く

2011-01-24 12:01:42 | 骨で聴く癒しの世界

 骨伝導を装着して癒しの世界を求め、歴史に埋もれた城跡に行きます。武将の声が骨伝導を通じて脳へ届くわけではありませんが、現代の歴史的遺物の周辺音声を「聴く」ことで、骨伝導の新たな発見があるのでは、と考えるからです。

 今回は身近な場所で世田谷城址公園に行きました。
 
 以前に取り上げた場所もついでに紹介しましょう。

 ■新田氏関連
          ⇒ 大舘館跡を骨で聴く
          ⇒ 金山城を骨で聴く

 ■江戸城関連
          ⇒ 市ヶ谷御門橋台の石垣を骨で聴く
          ⇒ 市ヶ谷駅・江戸歴史散歩コーナーを骨で聴く

 ■他の城跡
          ⇒ 松源禅寺と松岡古城を骨で聴く
          ⇒ 首里城を骨で聴く
          ⇒ 小田原城の桜を骨で聴く
          ⇒ 城跡を骨で聴く(小田原城)
          ⇒ 城跡を骨で聴く(箕輪城・高幡城)
          ⇒ 長安城を骨で聴く

 世田谷城の城址公園は小規模ではあり、観光化された場所ではなく地元の人々の手軽な散策場所といったところです。過去に取り上げた城跡とは少し雰囲気が異なります。

 この城は南北朝の時代にまでさかのぼります。
 築城したのが吉良治家。約240年にわたり吉良氏の居城として存在していました。戦国の世になり、天正18年(1590年)豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻略し、吉良氏は北条氏と親戚関係にあったことで、世田谷城は廃城となりました。



 現在は世田谷区立の公園になっています。
 公園としてオープンは、昭和15年(1940年)ですから、世田谷区の中でも歴史があるといえるでしょう。
 豪徳寺にも近く、周辺は静かな住宅街です。小高い丘のような場所が城跡で、園内には樹木が繁っています。城跡だと思える点は、土塁や空堀が残っていることでしょう。

           ⇒ 豪徳寺を骨で聴く

 骨伝導を使って閑静な住宅街と歴史的な雰囲気を骨で聴きます。
 骨伝導による脳波の変化が、世田谷城址公園では強く感じられます。都会の中の城跡だからかもしれません。
 ただしそれも国際的な特許技術の骨伝導製品でなければ意味がありません。

           ⇒ 特許技術・米軍採用の骨伝導専門

セルフメディケーションを推進する社会に、骨伝導と城跡の組み合わせは意外と良いものだと改めて感じます。

池袋駅を骨で聴く

2011-01-19 11:15:36 | 骨で聴く鉄道駅

 以前に「いけふくろう」を取り上げましたが、今回は骨伝導とともに夜の池袋駅に向かいました。

          ⇒ いけふくろうを骨で聴く

 JR東日本の山手線、埼京線、湘南新宿ラインの各線、東武鉄道の東上本線、西武鉄道の池袋線、東京地下鉄(東京メトロ)では丸ノ内線、有楽町線、副都心線の各線が交差する駅が池袋駅です。
 全路線を合計した全体での1日平均利用者数は何と約271万人という数を誇ります。
 この数字は、新宿駅に次いで日本第2位です。東武鉄道・西武鉄道・東京地下鉄では第1位の乗客数を誇ります。まさに巨大なターミナルです。

 しかし池袋は元々が農村地帯で、1885年に赤羽 - 品川間が開業した際には、池袋に駅は設けられなかったほどです。その後、田端への支線を分岐させるときに、目白での分岐が地形の都合や住民の反対運動などがあったことから池袋に変更されたという逸話があります。

          ⇒ 目白駅を骨で聴く

 こんな消極的な理由で池袋駅が誕生したわけですが、ターミナルとなるのは、東武が1914年、西武1915年、東京地下鉄1954年にそれぞれ乗り入れを開始したことによります。当時では想像もできないほどの利用者で膨らむことになりました。

 池袋駅を中心として、東口も西口も多くの店舗が林立し、都内有数の大規模な繁華街・歓楽街が形成されています。

 こんな巨大な駅は騒音であふれています。まさに骨伝導が活躍する舞台です。携帯電話で通話する人々も騒音に耐えながら行っているため、骨伝導を使うことですべてクリアな通話が実現できるでしょう。
 しかし骨伝導といってもすべての技術が優れているわけではなく、米軍に採用された特許技術こそが有効です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 夜の池袋駅は家路を急ぐサラリーマンと繁華街に繰り出す人々が奏でる音声が一体化し、各店舗の騒音とも混ざり合い、まさに骨伝導が必需品となる環境になっています。これが現代の街の「音」です。






高橋是清邸を骨で聴く

2011-01-17 14:03:11 | 骨で聴く体験記

 昨年取り上げた「江戸東京たてもの園」の中で、その園にある高橋是清邸を改めて骨で聴くことにしました。

          ⇒ 江戸東京たてもの園を骨で聴く

 高橋 是清は、嘉永7年閏7月27日(1854年9月19日)の生まれで、 総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い人物です。立憲政友会第4代総裁にして第20代内閣総理大臣でした。

 そして何より二・二六事件です。
 この事件は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて起きたクーデター未遂事件です。
 日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしました。

 高橋是清は赤坂の自宅二階で寝間姿で布団に座っていた状態で、銃弾を浴びせられ、軍刀で切りつけられ、青年将校らに暗殺されました。即死だったようです。

 この赤坂の家は2,000坪という広大な敷地に建っていたようです。完成は1902年で、二・二六事件で暗殺されるまでの30年あまりを過ごしました。これを移築し、一般に公開されているところが凄いことです。高橋是清が落命した2階窓際の寝室も当時のまま残っています。

 日本は二・二六事件のあと、第二次世界大戦へと突入していきます。

 

 こんな激動の時代を刻んでいる建物が保存されてるのです。実際にその家に入り、骨伝導を使って様々な「現代」の音を聴いてみると、現代の激動までが骨から脳へと伝わるようです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 金融恐慌を沈静化させた高橋是清の政策と現代の様子は、ある意味で恐ろしい共通点があるように思います。現代の財源の問題と医療費等の社会福祉的予算の問題など、いろいろ「聞えて」きます。
 薬事法が改正され医薬品登録販売者制度ができたものの、実務経験がクリアできず既存の店舗でしかセルフメディケーションの発信基地がないという不条理は解決されていません。施術院・治療院でも医薬品登録販売者が増え、未病治療から予防医療の範囲まで網羅できれば、この問題も大きく前進すると思うのですが、なかなか難しいといえます。

 しかしLES医薬品登録販売者講座では無理なく実務経験をクリアして資格者になれます。
 ある意味で画期的なことで革命的ともいえるでしょう。

          ⇒ LES医薬品登録販売者「治療院専門コース」

 高橋是清邸にて骨伝導を使っての体験は、思いが大きくなっていきます。
 こんな場所での骨伝導の威力を感じるのも、現代日本が抱えている問題がまだまだ先が見通せないからなのでしょうか。骨伝導とともに医薬品登登録販売者制度も大きなテーマであることを思い知りました。

日比谷稲荷神社を骨で聴く

2011-01-13 16:11:20 | 骨で聴く巡礼旅

 骨伝導を装着しての神社参拝を続けます。
 今回は「日比谷稲荷神社」ですが、日比谷にある神社ではありません。八丁堀です。昨日の亀島橋から近い場所にあります。
 樹木もなく参道もない都会の小さな神社です。

 なぜ八丁堀なのに「日比谷」なのか?

 『京橋区史』によると、「元禄3年(1690)に上地となり、同4年幸橋外の幸町、汐留町の代地となり汐留町と称したのを宝永年中(1704-1711)、日比谷町と改めた」とあります。

 ちなみに東京中央区の隣、港区にも新橋4丁目に日比谷稲荷神社があります。
 日比谷の地に創建したものが、移ってきたのではないかと思われますが、八丁堀の場合は地名も日比谷になったということでしょうか。

 八丁堀の日比谷稲荷神社の由緒書きを読むと確かに日比谷から移転したことが掲載されています。
 由緒書きは昭和53年に神社崇敬会日比谷会が掲出・設置したものです。引用させて頂きましょう。


長禄元年(1457)に太田道灌が江戸城を築いた時、大地の恵みに感謝して城外日比谷の海岸、現在の日比谷公園の土地に御社殿を建てたのが、この日比谷稲荷社の始まりであります。徳川家康公が慶長8年(1603)2月13日 征夷大将軍に任ぜられ、江戸城は一躍天下の主城として、大拡張工事を始め、慶長11年(1606)に日比谷稲荷神社のところに江戸城日比谷御門を建築のために崇敬者の人々は日比谷稲荷大神を戴いて八丁堀先の干潟を埋築、御社殿を造営し、御神霊を御遷座申し上げたのが当日比谷稲荷神社であります。
日比谷稲荷神社はこの新しい土地の地主神とし鄭重に祭祀されていたので、この一角は永い間に亘って日比谷町と公称されていました。往古日比谷の海岸にあったころ、旅人御守護に霊験が篤かったので、江戸へ来た人びとが多く当日比谷稲荷神社に泊まってお詣(まい)りしたので、これを「旅泊稲荷」とも唱え「さばいなり」と読んでいました。
旧社殿は戦災にて焼失し、昭和23年(1948)6月13日に再建し、盛大な再建祭の行事を行った。以後、法人格を没収されたが、法人格の復活を得るべく長年に亘り請願運動を行い、ついに昭和51年(1976)1月20日を以て宗教法人格の認可を得る。
 

 これを読むと、慶長年間に日比谷から移り、区史では、地名としては宝永年間に日比谷となったということになります。その開きは約100年近くなります。
 伝説化した神社の由緒という側面もあるのでしょうが、八丁堀を歩いていて日比谷稲荷神社という名を目にすると、何とも不思議な違和感があるのは事実です。

 現在の神社は、とても小さく、都会の片隅にある存在です。気付かずに通り過ぎることもあるでしょう。
 米軍で採用された骨伝導の特許技術は騒音対策としての効果がずば抜けていますが、この神社でも参拝には騒音対策としての骨伝導が有効です。癒し効果とは別に、まずは騒音を気にせず参拝できるのが骨伝導のすごさです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 新年に入り骨伝導神社巡りをしてきましたが、この神社ほど小さなところはありません。でも、こうしたスポットこそ、骨伝導の有効な場所だということが感じられます。

亀島橋を骨で聴く

2011-01-12 17:10:24 | 骨で聴く癒しの世界

 骨伝導とともに散策する場所が、今年に入ってから神社中心になったので、今回は東京の亀島橋を骨で聴くことにします。
 堀部安兵衛、東洲斎写楽、伊能忠敬の住まいが近くにあったと伝えられ、御用絵師狩野祐清の居宅や幽霊横町、代官屋敷・矢場などと俗称される地域があったといわれる地域で、北東から下ってきた亀島川の流れが南東方向に大きく屈曲する手前にかかる橋が亀島橋です。

 架橋年代は古く、元禄時代といわれます。
 歴史的エピソードとしては、赤穂浪士が討ち入り凱旋時に通った橋のひとつといわれています。

 亀島という名は町名に由来します。
 では、亀島の町名の由来は? というと、町に瓶を売る者が多く住んでいたという説と、町内の入堀に地蔵橋が架けられ亀に似た小島があったという説などがあるそうです。

 亀島川は日本橋川から分流し、中央大橋下流で隅田川に合流するだけの約1Kmと短い流路延長です。このわずかな距離に5つの橋が架けられ、その一つが亀島橋です。



 骨伝導を使って橋の上から川の音を聴こうとしても、そこは都会の騒音の中のことです、車の排気音や雑踏の音しかマイクはキャッチしません。米軍で採用された特許技術は騒音環境下での通話性能に大きく貢献します。骨伝導ヘッドセットがあれば、亀島橋の上での携帯電話での通話は騒音で困ることは皆無です。

          ⇒ 快適な特許技術の骨伝導製品
 
亀島橋の欄干は亀の甲羅がイメージしてあり、橋の名を表現しているようです。実際にこの川では亀の目撃例が多数あるようで。江戸の歴史に彩られた橋の名を守っているようです。



 こんな橋に佇み、江戸からの変貌を頭に描くと、骨伝導を通じて様々なことが浮かんできます。
 江戸庶民の暮らし、富山の置き薬、大衆娯楽等々。
 現代は都市化された東京の景観の一つになり、江戸の面影は一切ありませんが、こんな場所に骨で聴く旅として来るのも悪くないと改めて思いました。

高林神社を骨で聴く

2011-01-11 11:52:03 | 骨で聴く巡礼旅

 世田谷の駒繋神社で懲りずに、再び群馬県太田市の神社へと骨伝導を使った旅を続けます。
 里見伝説の出発点である長勝寺に隣接する高林神社が今回の骨伝導巡礼地です。

          ⇒ 長勝寺の里見伝説を骨で聴く

 県立がんセンターの東側で、国道寄りに長勝寺があり、その隣に鎮座する神社です。
 小規模ながら杉並木があり、鳥居をくぐった参道右側には高林中央集会所と老人憩いの家が建っています。境内の一部がそのまま集会所になっていて、それは左側の幼児用遊具があることから、老人が右側・子供が左側と分かれているような印象を抱きます。

 この神社の住所は太田市高林南町で、神社の名は地名からつけられています。
 しかし、かつては稲荷社だったようです。本殿にむかう途中にお狐様の姿を目にします。

 駒繋神社のような風格は一切ありません。
 素朴な信仰と憩いの場の雰囲気です。激しい往来の国道の騒音もここまでは届きません。米軍で採用された骨伝導の騒音対策もここでは不要です。むしろ周囲の癒しの音声を骨伝導によって脳に伝えてくれることが心地よく感じます。

 勧請縁起は不詳とされている神社ですが、古い神社らしく伝説があります。
 
 昔 三入稲荷の西に祠があり 僻地のため 後、西原稲荷山に遷座しました。
 後世、浮屠汎漫、両部を唱えるに至り 明暦年間(1655)に長勝寺境内に遷祀し、延宝8年(1680)に再建、暫次 拝殿神楽殿その他建物を設立しました。 明治初期には王政復古による神仏混淆廃止により同寺より分離し、明治5年村社に列せられ、同8年現在地に遷座しました。
 従来、村社稲荷神社と称していましたが、明治44年、境内の末社、厳島神社、稲荷社、八坂社、宗像社、園韓社、赤城社、椿名社、簗場の熊野社、天神の菅原社、鶴巻の諏訪社、西原の八幡社と向野の御嶽神社、三入の八幡宮を合祀し、村社高林神社と改称しました。
 大正2年神饌帛料指定神社となりました。

 上記のような説明が書かれています。

 訪れた時、参拝者のいない境内には冷たい北風が吹いていました。ただ風の勢いは上州名物の「空っ風」とまでいかず、弱々しく、体温を極端に奪うほどのものではありませんでした。

 マイクから骨伝導スピーカーを経由して脳へと伝わる風の音も、何だか穏やかです。
 こんなひと時を骨伝導とともに求めています。癒し効果という単純な表現ではいいつくせません。

          ⇒ 特許技術の骨伝導勢ぞろい

 この一瞬のために難聴対策でも騒音対策でもない骨伝導の活かされる場面が存在します。
 これはセルフメディケーション推進でもあります。

          ⇒ セルフメディケーション推進の医薬品登録販売者講座

 観光客の来ない地元密着の神社は、日本人の医療費抑制のためのヒントがあるのかもしれません。一般用医薬品を薬剤師だけでなく医薬品登録販売者に解禁したように、骨伝導とともにこんな旅を続けることに意味があるのかもしれません。小さな一歩です。しかし確実に意味のある一歩を歩むため、骨伝導の別の側面を紹介し続けていこうと決意しました。


駒繋神社を骨で聴く

2011-01-09 09:27:13 | 骨で聴く巡礼旅

 今回の骨で聴く巡礼旅(神社編)は、場所を地元の東京・世田谷に移します。
 世田谷区下馬にある駒繋神社です。

 いつものように骨伝導シェルショッカー(⇒シェルショッカー詳細)をヘルメットに装着し、公園と隣接し、高級住宅街の中の神社へと向かいました。
 公共機関で向かう場合は、渋谷駅から東急バスで「駒繋神社」下車が、最も便利といえるでしょう。鉄道路線の多い世田谷区ですが、この地域は鉄道の駅からはどこからも遠く、バスのほうが利便性が高いといえます。

 駒繋小学校の南150m、駒留中学校の北東150mといったように、学校から程よい距離に鎮座している神社です。
 世田谷区教育委員会の説明書きを引用しましょう。

 昔から「子(ね)の神」といわれ、出雲大社の分霊を守護神として祀る。天喜四年(1056)源頼義、義家父子が奥州征伐の際その武運を祈ったと伝えられている。
その後、文治五年(1189)源頼朝が奥州の藤原氏征伐のおり、祖先義家が参拝したことをしのび、愛馬芦毛を境内の松の木につないで参拝したとのいい伝えから、明治以降駒繋神社と称するようになった。

 鳥居から拝殿に向かう参道は、一直線ではなく、斜めに石段を登るようになります。登りきった場所からも右手方向に進まないと拝殿には到達できません。
 末社も多く、拝殿を中心にしてあります。

 ここで米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットや骨伝導サングラスによって、周囲の音声とお気に入りのBGMを骨で聴くのですが、社務所の人の対応をたまたま聞く場面に遭遇し、何だか興ざめしてしまいました。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 別に乱暴な対応とかというわけではありませんが、風格ある神社の人の対応としては最悪です。具体的に記すと中傷になりますので避けますが、最悪な神社の人の対応です。

 骨で聴く巡礼旅ではじめてのパターンでした。
 こんな神社もあるんだな~と、逆に感心してしまったほどです。今回は同伴者がいたので、その人もあきれていました。

 と、いうわけで「骨で聴く」史上、初めての骨で聴かない巡礼旅をしてきました。
 これに懲りず、もう少し骨で聴く神社を続けたいと思います。

               

吉田神社を骨で聴く

2011-01-07 15:13:48 | 骨で聴く巡礼旅


 新年なので骨で聴く巡礼旅として、さらに神社を取り上げることにしました。
 骨伝導とともに出かけた霊験あらたかな地や、歴史的な意味を持つ地、どれもパワースポットとして存在していました。そのパワーを骨伝導によって「聴く」ことで、癒し効果だったり、特許技術の骨伝導技術を再確認したりしてきました。

 そのスポットは、由緒ある聖地だけでなく村社のような神社でも大いに関係してきますから興味深いことです。

 今回は長野県高森町にある吉田神社です。
 果樹園に囲まれた斜面にひっそりと鎮座しています。まさに村社として地域に根付いた神社です。

 以前に取り上げた牛牧神社からも近い場所ですが、比較するとかなり小さな規模です。

          ⇒ 牛牧神社を骨で聴く

 ここはJR飯田線の市田駅から国道を通り越し、斜面をのぼった場所にあります。果樹園と農家の間を道路が走り、目印のようなもののない道を進みます。

   ◆ JR飯田線の駅を骨で聴く

          ⇒ 元善光寺駅を骨で聴く
          ⇒ 飯田駅を骨で聴く
          ⇒ 山吹駅を骨で聴く
          ⇒ 下平駅を骨で聴く

 骨伝導によって周囲が奏でる風の音を脳へ運びます。
 特に何か大きな特徴のある神社でなくとも、参拝後、境内にたたずみ、骨で聴いているだけで十分です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導

 やはりここでも感じるのはセルフメディケーションです。医薬品登録販売者の資格制度を活用して、健康管理のあり方を大いに考える時期となりました。
 接骨院、鍼灸院等々の治療院が医薬品登録販売者資格を取得し、この癒し空間に負けないようなセルフメディケーション発信基地になって頂けたら、と純粋に思います。

          ⇒ 治療院専門の医薬品登録販売者講座

 吉田神社の境内はそんなことを考えるのに最適でした。

                                


生品神社の挙兵伝説を骨で聴く

2011-01-06 14:17:03 | 骨で聴く巡礼旅


 わずか150騎。

 鎌倉幕府倒幕の旗揚げに参集した武将は、わずかに150騎という数でした。

 元弘3年(1333年)5月8日、後醍醐天皇の綸旨を受けた新田義貞のもとに集まった武将は、この生品神社で挙兵しました。無謀ともいえる規模での旗揚げでした。

 のちに越後の新田一族や武蔵七党の参戦などがあり、最終的には数千騎にまで膨らみ、15日間で鎌倉幕府を攻め落とすことができました。
 生品神社はまさに歴史的な1ページを飾る出発点なのです。

 新田氏の関連ではこれまでにも度々取り上げ、骨伝導とともに「骨で聴く」旅に入れてきました。今回は新田氏の中で最も有名な新田義貞の挙兵伝説地への骨伝導巡礼です。

          ⇒ ピラミッド不動尊を骨で聴く
          ⇒ 勾当内侍を骨で聴く
          ⇒ 明王院を骨で聴く
          ⇒ 青山三河稲荷神社を骨で聴く
          ⇒ 金山城を骨で聴く
          ⇒ 大舘館跡を骨で聴く
          ⇒ 縁切寺・満徳寺を骨で聴く
          ⇒ 徳川永徳寺を骨で聴く
          ⇒ 武蔵国分寺を骨で聴く
          ⇒ 久米川古戦場跡を骨で聴く
          ⇒ 徳蔵寺「元弘の板碑」を骨で聴く
          ⇒ 長勝寺の里見伝説を骨で聴く

     新田義貞のライバル
          ⇒ 足利尊氏を骨で聴く

 挙兵伝説の残る生品神社は、太田市役所新田総合支所の北側に位置し、田園風景と住宅街が入り混じった場世に鎮座しています。
 小さいながら駐車場もあり、境内は国の指定史跡らしい風格があります。

 骨伝導シェルショッカーとともにこの地を訪れ、まずは鳥居をくぐります。

 不思議と幻想的な気分になります。
 これが名門の一族でありながら虐げられていた新田氏が、歴史的デビューを飾る場所としての磁場のエネルギーでしょうか。
 骨伝導を通して周囲の歴史の音まで脳に伝わるような感覚が生じます。これはセルフメディケーション社会を推進する原動力ともなり、パワースポットによる健康管理で、医療費削減まで視野にいれることができるかもしれません。

 新田家の家紋が入った神橋を渡ると、一般道を横切ることになります。再び鳥があり、そこから先は荘厳な神の森を従えた生品神社の聖域です。

 二の鳥居のあと、すぐに三の鳥居があり、まっすぐに参道が伸びています。
 拝殿の手前右側には東屋があります。この中に新田義貞が旗揚げしたときに軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの神木があります。

 そして参拝します。

 柏手の音が周囲に響き、骨伝導を通して癒しの効果音となって脳へと伝わり、脳波はベータ波へと変化していきます。
 全身から毒素が発散されるかのような開放感です。

 まさに自身の健康管理をしている感じです。
 薬事法改正、薬剤師だけでなく医薬品登録販売者資格への一般用医薬品の解禁、すべてセルフメディケーション推進が中心にあります。そのために治療院が本来の施術プラス医薬品プラス健康食品による未病・予防の医療分野にまで範囲が広がるといわれています。

          ⇒ セルフメディケーション・登録販売者講座

 そして今回の参拝は、骨伝導の持つ特許技術としての騒音対策とは対極にある部分を堪能することができました。
 骨伝導の活躍するステージは補聴器的な側面でないことが、改めて実感できます。

          ⇒ 特許技術だけの骨伝導製品専門

 新田氏の関連する骨で聴く旅は、さまざまな方向へと進みそうです。
 
  ちなみに生品神社は、平 将門の弟である御厨三郎将頼の骸を祀っているともいわれ、新田義貞挙兵伝説だけでない知られざる奥深さがあるのかもしれません。

     平 将門に関連する巡礼地
          ⇒ 烏森神社を骨で聴く

 骨伝導の旅はセルフメディケーション推進・癒し効果とともに、次の目的地へと向かっていきます。

                                    


長勝寺の里見伝説を骨で聴く

2011-01-05 11:38:31 | 骨で聴く巡礼旅


 贈鎮守府将軍・新田義重の庶長子である新田義俊は、里見氏の初代といわれ、本宗家の新田義貞と鎌倉倒幕に加わった一族です。
 室町時代には一族が南北朝に分断され、その後、戦国時代には安房里見氏として、千葉の房総半島に勢力を持つ戦国大名となりました。

 江戸時代後期の滝沢馬琴による『南総里見八犬伝』は、安房里見氏の伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八犬士の長編伝奇小説です。

 里見の名の由来は新田義俊が現在の高崎市里見に移り住んだこと発するといわれますが、実は系図によると義俊は新田竹林六郎太郎とも称しています。
 新田庄、現在の太田市高林で、当時の竹林郷です。

 治承4年(1180年)、新田義俊は竹林郷の地に中央薬師の祀る堂宇を建立し、本尊とし、高野山から義勝大和尚を請し開山したのが、宝光院荷悲山長勝寺といわれます。

 国道354号線から住宅街に入った場所にひっそりとあります。
 里見氏伝説の出発点ともいえるでしょう。

 骨伝導ヘッドセットとともに、ひっそりとした長勝寺の境内に入ると、静寂のメロディが奏でられているようでした。騒音対策に最適な骨伝導機器ですが、こんな場所では癒し効果が発揮されるようです。
 かつて伝統的な寺院は、江戸幕府の政策により、役所的な機能まで担わされてきました。檀家制度により仏教の衰退がはじまったともいえます。しかし、里見伝説の持つ不思議な静寂さは、現代では癒しでも、過去には救済の場所だったかもしれないと感じるものがあります。

 かつては医学も未発達で、医者という存在もごくわずかでした。
 今では考えられない病気での死が隣り合わせだったといえるでしょう。
 医薬品も健康食品もありません。現代のサプリメントは薬草だったかもしれません。

 ある意味で医療費が高騰している現在から見れば、セルフメディケーション社会だったといえます。しかしそれは未成熟の状態で、生と死が隣り合わせで、心と社会が寺院によってある種の制御がなされていたともいえます。

 薬事法が改正され、薬剤師でなくても医薬品登録販売者の資格さえあれば一般用医薬品が取り扱えるようになったのは、里見伝説の出発点に戻ったような出来事です。つまり本来の姿になり、行き過ぎた伝説の独り歩きはそのままで、新たな原点回帰をもうひとつの流れとするものです。

 ただし、医薬品登録販売者制度には受験資格に実務経験があり、これがネックとなっていました。接骨院や鍼灸院、指圧院などでこの資格が取得できない最大の理由が実務経験です。
 これをクリアする方法がLESの「治療院専門コース」です。

          ⇒ LES医薬品登録販売者講座「治療院専門コース」

 何の変哲もない住宅街の寺院に、雄大な歴史があり、伝説が残っています。
 新たなセルフメディケーションを推進しつつ特許技術だけにこだわった骨伝導もさらに前進する必要を感じます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導「骨で聴くドットコム」

 新田氏から里見氏への流れとともに、骨伝導の旅はまだまだ続きます。

                                              


地上の満点の星たちを骨で聴く

2011-01-04 10:52:25 | 骨で聴く癒しの世界

 新年あけましておめでとうございます。
 2011年は骨伝導の特許技術が、崩壊する日本の医療費抑制のために、そして薬事法改正後の各治療院の方々に医薬品登録販売者の資格を取得して頂くために躍進する年にしたいと思います。

 そこで太田市の北部運動公園で開催されている「おおたイルミネーション-地上の満点の星たち-」から、骨で聴く旅は始まります。

 100万という数のLEDが運動公園に輝き、幻想的な世界をが現れています。
 
 古城や馬車などのモニュメントも配置され、新年を迎えた今、視覚から新しい年の始まりを実感させてくれます。クリスマスの時よりも、新年の今こそ、この幻想的な光の世界が堪能できます。

 国民皆保険制度が崩壊する予兆と、それを防御するための増税対策が日本経済をさらに悪化させることに危惧し、特許技術の骨伝導とともに、今、新しい光の一歩が生まれました。

 地上の星たちの輝きは、予防医療や未病治療対策の光として、今まで不可能だった治療院での医薬品取扱いを示唆しています。そのために医薬登録販売者資格を取得する画期的な方法が誕生しています。
 LESの資格取得方法です。

          ⇒ LES医薬品登録販売者「治療院コース」

 そしてその背景にある日本の救済方法「セルフメディケーション」推進。
 骨伝導機器も貢献していきます。

 骨で聴く旅も今年で5回目の新年を迎えました。
 継続は力なり。
 米軍で採用された骨伝導もセルフメディケーションとともに広めていきたいと考えます。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門販売

 太田市のイルミネーションから、いよいよ飛躍の年のスタートです!