骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

小平鍾乳洞を骨で聴く

2012-08-29 09:12:29 | 骨で聴く癒しの世界

 猛暑が続く日本列島。涼を求めて行く先で、もっとも快適なのは鍾乳洞かもしれません。いつでも一定の温度に保たれた自然の空間です。
 今回は骨伝導機器とともに群馬県みどり市の山間部にある小平鍾乳洞へと向かいました。

 東京から鉄道で行く場合は、東武桐生線「赤城駅」か、JR両毛線「桐生駅」でわたらせ渓谷鉄道で乗り換えて「大間々駅」下車、その後市内バス「小平線」の「鍾乳洞前」下車することになります。浅草からなら東武特急で1本です。
 車の場合は、関越自動車道経由か、東北自動車経由で北関東自動車道を使うのが便利です。

 規模は大きくない鍾乳洞ですが、観光地化されていて、鍾乳洞へのアプローチとなる玄関には、手打ちうどん・そばが楽しめる『狸穴亭』や、特産品や土産品等の販売コーナーとそば・うどん体験が出来る『ふれあいの館』があります。小平の里という複合観光施設になっています。そのため、この施設は、鍾乳洞だけでなく公園、キャンプ場やお風呂まであるので一日遊べるようになっています。


 
 明治7年に発見され、160文の入洞料で一般公開されていたという記録があります。しかしその後10年ほどで入り口が埋まってしまい、鍾乳洞の存在は伝説化してしまったといいます。
 それを昭和59年に入り口が発掘され、その伝説が現代に蘇ったのです。 内部には、ヘリクタイトやボックスワーク等あまり見ることの出来ない貴重な鍾乳石が見事に発達し、小規模ながら十分に堪能できます。
 そしてこの季節は寒いくらいに快適な自然冷房です。

 洞内に響く音を骨伝導で脳に伝え、癒し空間としての存在価値も見事です。

          ⇒ 難聴対策だけでない骨伝導

 骨伝導機器とともにオススメしたい鍾乳洞でした。

 

駒込富士神社を骨で聴く

2012-08-28 11:49:40 | 骨で聴く巡礼旅

 上目黒氷川神社の目黒富士に続いて都内の富士塚を骨伝導機器とともに巡礼します。今回は本郷通りと不忍通りの交差する場所からほど近い、駒込富士神社です。改めて富士山信仰の凄さを骨伝導とともに体感することになります。

          ⇒ 上目黒氷川神社を骨で聴く

 駒込富士神社の建立年は不明ですが、現在でも「お富士さん」の通称で親しまれている神社です。鳥居から参道を一直線に通ると、木々が茂った富士塚があり、その上にあります。江戸期の富士信仰の拠点の一つとなったことは確実で、富士塚の規模も貫禄があります。

 神社内の案内文によれば、もともと旧本郷村にあったようで、天正元年(1573年)に本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、夢に木花咲耶姫命の姿を見て、翌年駿河の富士浅間社を勧請したようです。
 寛永6年(1629年)に加賀藩の前田候が上屋敷(現東京大学構内)を賜わるにあたり、その地にあった浅間社が駒込富士神社に移転しました。



 社伝によると富士塚については、延文年間(1356~1361年)の頃に現在の社地にある富士塚と呼んでいたようで、この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれてもいます。

 祭神は木花咲耶姫命ですが、この神社の特徴的な点は氏子を持たず富士講組織で成り立っていたことです。富士講は、富士登拝の祈祷をするために当番の家に集まり、祭を行っていました。そして、富士の山開きには、講の代参人を送り、他の人は江戸の富士に詣でたようです。これが江戸に大流行しました。

 文京区の閑静な地に、江戸時代から続く富士山信仰が続く聖地が残っていることに感動的な気分を味わいます。ここで聞くセミの声も、骨伝導を使っていつもと少しだけ異なる音感を得るのも良いかもしれません。

 そんな時に使用する骨伝導機器は、やはり米軍採用の特許技術を活かした製品に限ります。骨で聴くドットコムで扱っている製品なら安心です。

          ⇒ 特許技術製品の骨伝導機器


小田原こどもの森公園わんぱくらんどを骨で聴く

2012-08-27 17:13:04 | 骨で聴く癒しの世界

 小田原こどもの森公園わんぱくらんどへ、骨伝導機器とともに出かけました。
 ここは、遊びに熱中できる感動と発見の公園ということで、小田原の市街地を見おろすような丘陵地帯に、起伏に富んだ地形を生かした公園です。自然環境が豊かで、子供たちが体を動かして自由にのびのびと遊べる施設です。
 しかも驚いたことに入園料は無料です。
 子どもたちに大人気の大型遊具が多数あって、街中の公園では体験できない遊びができます。さらに、動物たちに身近に触れ合えるふれあい広場、山の中ならではの地形を活かしたスリル満点の吊り橋は長さ67mもあります。

 園内を走るロードトレインと子ども列車は有料ですが、これも本格的で、遊園地にあってもおかしくないものです。



 子供たちが喜ぶ声がよく聞こえます。
 骨伝導ヘッドセットを装着し、耳だけでなく骨から脳へと伝えれば、子供たちの歓声がそのまま癒し効果にも繋がりそうです。ただし米軍採用の特許技術を使った骨伝導製品でなけらばここまでの効果はないかもしれません。

          ⇒ 特許技術を盛り込んだ骨伝導製品

 園内の見晴らしの丘からは、小田原市を見下ろす美しい景色が望めます。ここで風に吹かれながら骨伝導を使ってわんぱくらんどを骨で聴くのは、特にオススメかもしれません。ただし夏の時期は熱中症に注意です。

満足院を骨で聴く

2012-08-23 11:07:20 | 骨で聴く巡礼旅

 閑静な世田谷区の住宅地に、一見すると一般の民家のように見える建物が、今回骨伝導ヘッドセットとともに訪れた満足院です。都会の住宅街によく馴染んだ寺院です。
 正式名は、真宗誠照寺 別格門跡別院 歴劫山 満足院本誓寺 です。

 新しい寺院で、創始は大正14年、創建が昭和9年です。法人として成立したのは昭和27年です。そのせいか新しい寺院としての感覚が漂い、伝統形式と近代感覚が調和された建物は、地下1階地上2階の銅葺破風重層入母屋造りです。工法も重量鉄骨鉄筋コンクリートと桧材からなっているようで、耐震性にも優れている強固なつくりだということが見た目に分かります。世田谷区の小田急線梅が丘駅に近い住宅地ということもあり、周囲の環境にも違和感ない存在です。

 クラシックコンサートが行われたり、わらべ歌、絵本の会があったりと、地域に根ざした現代的な寺院であることから、庶民には敷居が低く、文化発信基地のような役割もあるのでしょう。

 閑静な住宅地なので騒音はありません。遠くから目立つ建物ではないので、近所の散歩感覚で接することができます。
 骨伝導機器を使えば中程度までの難聴者でもコンサートが楽しめることでしょう。素朴な住宅街の寺院でのコンサートがどんなものか、実に興味深いものです。

          ⇒ 補聴器までは大げさ! という人に骨伝導

 新しい寺院はこの骨伝導巡礼旅で紹介する機会が少ないのですが、今後はもう少し視野を広げていこうかと思ういい契機となりました。

浅原百観音を骨で聴く

2012-08-22 14:08:20 | 骨で聴く巡礼旅

 太陽が照りつける今年の夏ですが、のどかな山里では木漏れ日の中を吹き抜ける風があればそれなりに快適といえます。そんな山里の小さな平地に整然と並ぶ百体の石の観音に骨伝導ヘッドセットとともに巡礼に行きました。

 場所は群馬県のみどり市。足尾に向かう渡良瀬川の右岸からのどかな山に入った所です。
 ここにある観音様は天保年間(1830-1844年)の大飢饉に見舞われた際、信仰心の厚い地元の古老が村人の苦しむ姿を見かね、西国三十三カ所、板東三十三カ所、秩父三十四カ所の百観音巡りをし、その訪れた寺院の本尊を手本の石工に彫ったものです。

 のどかな道にいきなり現れるので、それなりにインパクトはあります。
 そして百観音のすぐ隣に「浅原・百観音の霊泉」があります。百観音と霊泉の組み合わせですかられ霊験あらたかなものに感じます。しかし、この霊泉はこの場所に湧いているのではありません。百観音から600m以上離れた「湯の入山元薬師堂」に湧く水だそうです。
 地元の人々が導管で引き、この百観音の隣で一般に開放しているのだそうです。

 この湧き水は鉱泉で、600年以上前に発見され住民が活用していたことが推測されています。「湯の入」という名称についても室町時代以前とされています。この鉱泉でお風呂にはいると体が温まり、皮膚病に効くと昔から伝えられているそうです。

 成分表も出ていたので見てみると、ミネラルを含んだ天然水で、マンガンイオンや鉄イオン、マグネシウムイオン・カルシウムイオンなどが含まれています。

 この水の音を骨伝導を使って聴きながら、百観音に向けて合掌します。
 何ともいえない不思議な気持ちに誘われます。
 特許技術を活かした骨伝導機器だからこそ実現できた体感です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導機器専門

夏、のどかな山里での出会い。霊験ある観音様と霊泉を骨伝導とともに体感。

上目黒氷川神社を骨で聴く

2012-08-21 11:40:18 | 骨で聴く巡礼旅

 首都高速で新たな渋滞のメッカとなってしまった大橋ジャンクションですが、そのすぐ近くに上目黒氷川神社があります。一般道では山手通りと玉川通りが交差する地点でもあり、排気ガスとトラックの重低音が響く中、セミの声も響き渡る神社です。ここに骨伝導ヘッドセットとともに参拝に出かけました。

 玉川通りからは急な石段を登って境内へと入ります。骨伝導が騒音対策として有効なのが実証される環境です。ただ米軍意採用された特許技術の骨伝導機器だからこそかもしれません。性能が違います。

          ⇒ 米軍採用技術の骨伝導製品

 この神社は天正年間(1573年~1592年)に旧家加藤氏が甲斐国・上野原の産土神をこの地にむかえたものであるといわれています。明治11年(1878年)には、上目黒にあった浅間神社を遷座し、さらに明治45年(1912年)に北野神社を合祀しました。

 急な石段が印象的な神社ですが、これについては目黒区教育委員会による上目黒氷川神社の由緒に、そのことが書かれてありました。一部を引用させてもらいます。

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正面の石段は文化13年(1816)に造られましたが、明治38年(1905)に前を通る大山街道(現、玉川通り)を拡張する際に、現在の急勾配な石段に改修されました。境内には、花崗岩造りの4基の鳥居や小松石造りの2対の狛犬があります。
また、石段の下には「武州荏原郡菅刈目黒郷」と刻まれた供養塔や、天保13年(1842)に建てられた大山道の道標があります。大山道は江戸時代、石尊参り(現、神奈川県伊勢原市の大山への参詣)をする多くの人々が利用しました。

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 また、この神社には「目黒富士」があります。



 富士山を信仰する民間信仰が広まったのは江戸時代です。
 富士講という集まりを作り、集団で富士山に登頂するだけでなく、身近な場所に富士山を模した塚を築くことで富士山に見立て、祠を作ったりしました。
 東京の目黒区内では現在の上目黒1-8付近に文化9年(1812年)に築かれたものがあり、高さは12mありました。
 文政2年(1819年)になると、現在の中目黒にも新しく富士塚が築かれ、二つの富士塚ができたことから、上目黒を「元富士」、中目黒を「新富士」と呼ぶことになりました。二つとも安藤広重の「名所江戸百景」に描かれたほどの名所になりました。
 しかし元富士は1878年に取り壊されることになり、元富士と一緒にあった浅間神社も上目黒氷川神社内に遷座することになりあました。
 その後、1977年に上目黒氷川神社内に新たに目黒富士が築かれるようになったという由来があります。

 クルマの洪水のような地ですが、江戸時代から続く「息吹」を感じることができる聖域です。骨伝導を使えば騒音対策から参拝の荘厳さまで体感できるかもしれません。

麻溝公園を骨で聴く

2012-08-20 12:54:38 | 骨で聴く癒しの世界

 麻溝公園は、神奈川県相模原市南区麻溝台にある市立公園です。緑と花と遊具に囲まれた癒しの公園へ、骨伝導ヘッドセットとともに出かけました。この麻溝公園は、1985年(昭和60年)11月17日に開園し、1992年(平成4年)の全国都市緑化フェアの会場にもなった公園です。

 敷地面積は17.71ヘクタールですが、隣接した神奈川県立の相模原公園と一体化しているような印象で、そのせいか両公園を合わせて69.1ヘクタールの広大さを意識します。

 駐車場は無料で、入園料もありません。それでいて、とっても広い芝生広場、子どもの広場、ふれあい動物広場、フィールドアスレチックなどが整備されているので、とても良心的な公園です。

 公園のシンボルともいえるのが『グリーンタワー相模原』です。周囲に高い建物がないせいかすごく目立ちます。実際、高さも55mありますから遠くからも存在が確認できます。



 階段ではなく、最上階の展望室へはエレベーターを利用します。これも無料です。展望室からは丹沢の山々だけでなく、横浜方面や東京方面もかすかに見渡すことが可能です。

 ふれあい動物広場には「展示コーナー」、「ふれあいコーナー」、「ポニー乗馬場」の3つのコーナーがあり、乗馬もわずか100円で体験できます。ただし子供だけですが‥‥。

 アスレチックは40種類で、木々に囲まれた中で身体を動かすので、なんとも健康的な気分になれます。ただ小学生用の施設という印象で、本格的に大人が行うものとは異質といえます。

 こんな相模原の麻溝公園は、駅から遠いことを除けばいうことなしの条件を満たしているかもしれません。骨伝導ヘッドセットとともに休日の1日を過ごすのには最適です。米軍で採用された特許技術ですが、軍事技術というより、こんなのどかな環境にこそ似合いそうです。
 さわやかな空間に耳だけでなく骨から脳へと伝わる音声は、骨伝導ヘッドセットならではの癒し体験です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 遠出をしなくても、十分に癒しを体感できます。それをより確実にするのも、骨伝導機器と一緒に出かけるからかもしれません。

天竜峡を骨で聴く

2012-08-17 15:53:11 | 骨で聴く癒しの世界

 伊那谷を貫く暴れ川・天竜川が切り開き、見事なまでの絶壁が続く渓谷地が天竜峡です。花崗岩の岸壁にはアカマツやモミジが自生し、渓谷の美しさととともにその風光明媚な周囲の景色が一体化した観光ポイントです。
 また、天竜峡温泉もあり、南信州の観光地としては知名度においても秀でた存在といえます。今回は天竜峡駅に続き、渓谷の散策にも骨伝導ヘッドセットとともに出かけてみました。

          ⇒ 天竜峡駅を骨で聴く

 天竜峡という名称の由来は、漢学者の阪谷朗廬による命名だそうです。実際に阪谷朗廬がこの地を訪れたのは1847年(弘化4年)で、右岸側の高台に、朗廬の天竜峡碑(漢文)が建立されています。



 この天竜峡は1934年(昭和9年)に国の名勝となりました。
 しかし天竜峡付近はもともと狭隘で土砂を溜めやすかったこともあり、河床が上昇してしまい景勝地としては微妙な状況も続きました。
 そこで、1984年から天竜峡下流側で川底からの砂利採取を継続的に行うことになりました。その結果、河床が低下したことで天竜峡本来の景観がある程度甦ることになりました。

 1969年には天竜奥三河国定公園に指定され、1975年には中央自動車道の飯田インターチェンジが供用開始されました。観光客の増加の要因には、さらに1977年の近隣の昼神温泉湧出がありました。さらに、1989年には天竜峡温泉湧出が加わり、観光客数はピークで60万人にも達することになりました。

 周辺環境としては、2008年に三遠南信自動車道の部分開通により天龍峡インターチェンジの供用開始もあります。しかし、60万人に達した観光客数は減少傾向に歯止めがかからず、観光面としては苦戦が続いているといえます。



 しかし龍峡インターチェンジの供用開始にあわせて「天龍峡再生元年」とし、今後の100年をかけて100年前の景観を取り戻す「天龍峡百年再生プロジェクト」の開始が宣言されたました。この先が大いに楽しみです。

 そんな景勝地を散策し、虫の声を骨伝導で聴きながら癒し効果を堪能してみます。済んだ空気と見事な景観、そして骨伝導を通じて脳に伝わる音声が合体します。米軍で採用された特許技術の骨伝導ヘッドセットでなければ、ここまでの効果をないかもしれません。それほどまでに天竜峡の景観と骨伝導はマッチしています。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門店

 夏の暑さがまだまだ続く日々に、こんな景観を堪能し、日常とはかけ離れた非日常を味わいつつ、周囲の音声を骨伝導で聴くのはいかがでしょうか?


宮の坂駅を骨で聴く

2012-08-16 13:03:17 | 骨で聴く鉄道駅

 2008年の2月に世田谷八幡神社に骨伝導機器とともに参拝にいきましたが、その際に下車した駅が東急世田谷線の宮の坂駅です。セミの声に誘われ、この夏、改めて宮の坂駅を骨で聴くことにしました。商店街もない無人駅は、鋭い夏の日差しに包まれていました。

          ⇒ 世田谷八幡神社を骨で聴く

 骨で聴く鉄道駅でも、実は両隣の駅を取り上げていました。山下駅と上町駅です。どちらも世田谷線内では存在感のある駅です。そのせいか間に挟まれた宮の坂駅は、地味な印象があります。

          ⇒ 上町駅を骨で聴く
          ⇒ 山下駅を骨で聴く

 相対式ホーム2面2線を有する典型的な世田谷線の駅ですが、かつては下りホームに売店が営業していたこともあります。現在はホームに隣接して、世田谷区の宮坂区民センターとの間に、かつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄で使用された車両が展示されているのが特徴です。
 沿線住民にとっては、この車両こそがまさに宮の坂駅を象徴することになります。車両は一般公開されていて、中に入ることもできるため、子供たちだけでなく鉄道マニアも大勢訪れます。



 地名は宮坂ですが、駅名は宮の坂。その名は世田谷八幡神社の脇にある坂の名前に由来します。現在は短い坂で、大きな特徴を持たない坂ですが、坂の上部は世田谷線が開通する時に切り崩されています。荏原郡世田ヶ谷村字宮ノ坂がもともとの地名で、その当時は「みゃんざか」と発音されていたようです。

 静かな駅に、世田谷線の独特な車両が行き来する際の音が骨伝導を通じて脳へと伝わります。八幡神社や豪徳寺への参拝にも便利な駅は、静かでありながら内包するエネルギーを放出しているようでもあります。
 そんなエネルギーを特許技術の骨伝導ヘッドセットでもキャッチできるような気分になるから不思議なものです。

          ⇒ 最先端の骨伝導製品

岩宿遺跡を骨で聴く

2012-08-15 10:34:26 | 骨で聴く体験記

 日本の歴史の教科書を変えた岩宿遺跡へ、日本の補聴器の概念を変えた骨伝導機器とともに訪れました。

 岩宿遺跡は、赤城山の南東に位置し、関東平野が山間部と出会う場所に近く、渡良瀬川右岸地域の小残丘にあります。本格的な山はまだ先で、平野部に位置する丘陵が続き、北部は「稲荷山」、南部は「山寺山」「金比羅山」と呼称される一帯です。
 この稲荷山と山寺山の境をなす場所に切通の道が通っていました。ここで、当時、納豆の行商をおこないながら熱心に考古学研究にいそしんでいた相沢忠洋によって、日本で初めて関東ローム層の中から打製石器を発見したのです。



 相沢忠洋のこの発見によって、日本の旧石器時代の存在が証明され、それまでの歴史の教科書が書き換えられたのです。以降、日本全国において旧石器時代の遺跡の発見が相次ぐことになりました。
 1979年(昭和54年)には、岩宿遺跡が国の史跡に指定されました。

 発掘調査により、関東ローム層の別々の層から2つの石器群が発見され、約3万年前と約2万年前の2つの異なる文化の段階が分かったのも大きなことでした。

 骨伝導機器も今までの常識を打ち破る意味で、岩宿遺跡の発見と共通する部分があります。常識と非常識の差は、かなり固定観念に縛られているものです。米軍で採用され、特許技術を活かした骨伝導補聴器も、それまでの補聴器と異なり、手軽さや安さなどが既存の製品のアンチテーゼにもなります。

          ⇒ 特許技術満載の骨伝導製品

 歴史的な意味を持つ場所で歴史を変える骨伝導技術を体験し、大きな時間の流れを経験するのも悪くないのかもしれません。

府中市郷土の森博物館を骨で聴く

2012-08-07 12:33:30 | 骨で聴く癒しの世界

 東京都府中市にある郷土の森博物館は、博物館という名ですが、館内よりも建築物を中心とした野外博物館といえます。同時に公園でもあります。
 敷地面積は13haを超える広さで、多摩川の是政緑地に隣接しています。そのため自然の多い公園としての機能と府中らしい武蔵野の面影を一部に残しています。

 猛暑の中、骨伝導機器とともにこの博物館を訪れました。

 人が多く集まっているのは、特に子供たちに人気のスポットは、水遊びの池でした。プールではないですが、子供たちの遊び声が響いています。



 メインになっているのは、府中市域の江戸中期から昭和初期の建築物を移築復元して保存している場所です。
 昭和36年、府中市史編さん事業で、現存する草葦民家の悉皆調査が実施され、その成果を『府中市史近代編資料集1』として刊行されました。このとき町屋や公共建築物の調査も、同時並行で行われました。そして昭和55年には「府中市郷土の森建設基本計画」がまとまり、その中で農家5棟、町屋相当数、公共建築物4棟の復元が計画されました。

 最終的に公共建築物3棟(旧府中町立府中尋常高等小学校・旧府中町役場庁舎・旧府中郵便取扱所)、農家2棟(旧河内家住宅・旧越智家住宅)、町屋2棟(旧田中家住宅・旧島田家住宅)、ハケ上とハケ下の農家などを郷土の森敷地に配置することになりました。



 なかなか見ごたえのある施設です。
 古き良き時代をそのまま継承する建物は、ただ単に懐かしさを醸し出すだけでなく、歴史の風格まで感じます。
 最先端の特許技術に彩られた骨伝導も、こんな歴史的な時間の中で感じたいものです。それだけ価値のある場所です。

          ⇒ 最先端の骨伝導機器

 遠くへのレジャーも良いでしょうが、都下のこんな博物館で過ごす休日も悪くないと思います。

ぽんぽこマウンテンを骨で聴く

2012-08-06 18:24:18 | 骨で聴く体験記

 夏の青空を背景にした白い山。
 雪山のようにも見えますが、実はこれ、トランポリンなのです。日本一大きなエアートランポリンです。

 大小二つのトランポリンがあり、上の画像は大きいほうで、何と約1,000m²もの大きさがあります。自然の山のような起伏を形成していて、それぞれの山の頂上でジャンプすると、普通のトランポリンのように飛び跳ねることができます。ぽんぽこマウンテン周辺の広場を見渡せるほどの高さに達するよな飛び方ができます。

 この不思議なトランポリンがあるのは、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市にまたがる比企北丘陵にある国営武蔵丘陵森林公園です。明治百年記念事業の一環として開設された公園です。その園内の運動広場にある巨大トランポリンこそが、ぽんぽこ山マウンテンです。

 今回は、このぽんぽこマウンテンに骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。

 まぶしい夏の光が注ぎ、反射する光に包まれたぽんぽこマウンテンは、暑いせいか休日でも人の数は少なく、のどかな雰囲気の中、ピョンピョンと跳ねる音だけが熱い風に乗ってきています。骨伝導ヘッドセットで聴く音と通常の耳で聞く音とが混ざります。

 子供たちだけでなく大人も楽しそうな感じです。ただ熱いだけ‥‥。

 こんな日本一をのどかに見ながら、骨伝導の威力を感じ、汗を拭きます。異世界に入っているような錯覚もおこします。一見の価値があるだけでなく、体験の価値もあります。これはまさに実際に体験しないと、その驚異的な凄さがなかなか理解できない骨伝導機器そのものと同じです。

          ⇒ 無料体験も可能な骨伝導専門店

 森林公園は、ここだけがお勧めポイントではありませんが、広大な敷地の中、「白い異世界の山・ぽんぽこマウンテン」はぜひ体験して欲しいところです。そのとき骨伝導機器と一緒がさらにお勧めです。

鳩ヶ峯八幡宮を骨で聴く

2012-08-03 11:35:00 | 骨で聴く巡礼旅

 長野県飯田市の隠れた巡礼スポットである鳩ヶ峯八幡宮に骨伝導機器とともに訪れました。飯田市の八幡町という地名にあり、まさにその由来となった神社です。

 段丘は八幡山と通称され、確かに「山」と呼ぶのにふさわしい丘です。この中腹に鎮座しているのが鳩ヶ峯八幡宮です。入口の鳥居の前が秋葉街道で、分岐点を示す道橡も建っています。
 地元の鎮守様のような存在かもしれませんが、その規模と迫力はわざわざ参拝に訪れるだけの価値があります。

 鳩ヶ嶺八幡宮の創建は鎌倉時代とされていますが、詳細は不明だそうです。松尾城主小笠原長清が、京都の石清水八幡宮を勧請したのが起源だと言われていた説が一般的でしたが、実は現在では、伊賀良庄地頭の江馬氏による創建との説が有力になっています。

 鳥居をくぐり境内に入るとまず朱塗りの随身門があります。緑の木々と斜面に沿った境内の中は、夏の季節には清涼感を与えてくれます。急な石段と滝、数多い摂社を目にすることになり、城跡のような迫力とともに独特のムードも徐々に現れてきます。



 水の音は聞くだけで癒し効果があります。
 骨伝導ヘッドセットを装着し、この八幡宮の滝の音を骨で聴くことで、聖地に漲る独特の雰囲気と、日常から離れた非日常空間を体感することになります。定番の骨伝導きくちゃんを首からぶら下げながら参拝するのに適しています。

          ⇒ 驚異の特許技術が活かされた骨伝導製品

 また、鳩ヶ峯八幡宮の門前町は、遠州街道沿いになり、かつての飯田の町よりも優れた商品が並んでいるとの評判があったようで、呉服屋・油屋・菓子屋・酒屋などが軒を並べ賑わいました。そんな古い伝統の「空気」の門前に漂う神社です。