骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

ユーノスコスモを骨で聴く

2013-04-30 17:06:25 | 骨で聴く名車

 世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車として登場したコスモスポーツが生産修了した1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までの期間、「コスモ」の名を冠するクルマがなくなりました。復活したのち、バブル全盛期の1990年(平成2年)にユーノス・コスモとして蘇ったときには、まさに夢のマシンともいうべき登場でした。
 しかし1996年(平成8年)にユーノスコスモは生産終了し、それ以降、再び「コスモ」の名は途絶えたままの状態になっています。
 今回は夢と幻に酔いながら、ユーノス・コスモを骨伝導機器とともに「聴く」ことにします。ロータリーエンジンの官能的な音声が、耳だけでなく骨からも伝わることで、コスモスポーツとは異なるサウンドを体験します。

          ⇒ コスモスポーツを骨で聴く

 個人的に所有していた期間は短く、あまりの燃費の悪さに辟易しながらも、実はわがままなユーノス・コスモが愛おしくて仕方なかった思い出があります。

 初代のコスモスポーツが「世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車」であるのに対し、このクルマは「量産車初の3ローターのロータリーエンジン搭載車」といえます。
 また今では当たり前になっているカーナビですが、世界で初めてGPSカーナビを20Bエンジン車に標準搭載していたのも特筆すべきことです。ちなみにこのナビは三菱電機と共同開発したものでした。
 
 車内の質感も高く、バブル時代の申し子らしい内装でした。またエンジンは世界初の3ローターだけでなく、RX-7でお馴染みの13Bエンジンも設定され、どちらもシーケンシャルツインターボでした。

 3ローターエンジンは高排気量のV12エンジン並の滑らかを持つともいわれ、パワーの上でも当時の国産最高クラスでした。しかし、当時の通産省の行政指導により自主規制枠の280馬力デチューンが必要で、そのためにターボへの排圧を低くするバランスの悪さがありました。13Bエンジンと比較して排気ポートが狭く塞がるようになったのです。

 実はマツダのディーラーの人には、この20Bエンジンはやめたほうが良いと散々言われた思い出があります。どうしても無理な設定があって、エキセントリックシャフトや後部のローターの冷却性に問題があったり、ターボのプライマリー側とセカンダリー側で異なるタービンがトラブルを多く発生させたりすることがあって、メンテナンスの面からお勧めできないことを言われました。

 それでもこの記念すべき3ローターのエンジンは、日本の技術力を世界に示すことのできるものであることは間違いありません。アクセルの開閉、特に低回転時の「重さ」を感じたときから一気に踏み込んだときの天井知らずの回転力、これはまさに官能的です。
 ロータリーエンジン特有のサウンドも心地よく、レシプロエンジンでは絶対に味わえない世界へと誘ってくれます。

 これを改めて最先端の骨伝導機器で聴きます。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導機器には、世界初の技術が網羅されたユーノスコスモに似合います。今の時代の目でみても決して古さを感じないコスモは、最先端の骨伝導で聴くことも十分に魅力的です。

          ⇒ 世界特許の骨伝導機器

 懐かしさが先行してのものでしたが、やはりこの時代の贅沢なクルマは日本が世界に誇れる技術が満載であることを改めて感じました。

日枝神社日本橋摂社を骨で聴く

2013-04-21 13:55:05 | 骨で聴く巡礼旅

 安倍晋三首相が第2次安倍内閣において掲げた経済政策の通称「アベノミクス」により、株価への影響が日々大きく報道されるようになりました。日本の株取引の中心街であり、証券会社の集積地である日本橋兜町界隈の動きも活発になっています。
 そんな兜町のすぐ近くに赤坂にある日枝神社の日本橋摂社であります。今回はここへ骨伝導巡礼です。

 日枝神社といえば江戸三大祭りのひとつである「山王祭り」に関係する神社です。かつては赤坂から兜町周辺まで神輿が巡行したといわれています。
 日枝神社は「山王権現」と呼ばれ、天台宗との関連で全国に広がったてきました。〝日枝〟はそのまま天台宗の総本山である〝比叡〟に基づくものです。

 天台宗総本山延暦寺では明治以降の神仏分離後は日吉神社が独立しました。そのため全国の日枝神社の総本宮が別にあります。

 東京・赤坂の日枝神社は大田道灌が勧請したといわれ、江戸幕府の将軍家により江戸の総鎮守として篤く信仰を受けてきました。その摂社である日本橋の日枝神社も、「山王権現」と仏教的信仰により祀られて鎮座してきました。別当寺は智泉院です。

 活気ある「株」の街・兜町に隣接する茅場町にあるこの寺院には、騒音対策としても、癒しを求めても骨伝導機器が良く似合います。機能的にも、ここでの骨伝導使用は様々な音声を吸収し、巡礼効果を高めてくれるようです。米軍の爆音の中でも通話できる特許技術を堪能し、耳をふさがない骨伝導のメリットを体感するには悪くない巡礼地です。

          ⇒ 耳をふさがない驚異の骨伝導

 そんな日枝神社の摂社へ、ぜひとも参拝に行ってみてください。


伊豆大川・龍豊院を骨で聴く

2013-04-19 14:12:36 | 骨で聴く巡礼旅

 弘法大師・空海の写し霊場の中で、伊豆八十八ヶ所霊場は観光名所がたくさん点在する伊豆半島を巡ることになります。伊豆ならではの自然と風土の中を遍路道が貫き、田園の中に佇む寺院、海を見下ろす寺院など、伊豆ならではの寺院と文化、そして人とのふれあいができる巡礼地です。

 その中で今回は29番札所、東伊豆町大川にある龍豊院へ骨伝導巡礼です。

 足利時代の末期に創建された古刹です。創建当時は真言宗でしたが、慶長年間 (1596-1615年)に最勝院の七世僧笑山により曹洞宗に改宗されました。
 伊豆大川駅からも近く、高台から海側に境内が開けています。住宅も近くにありますが、街中の寺院という雰囲気よりは山間部にあるような雰囲気があります。

 春には有名な桜のスポットになっていて、寺の門頭に樹齢400年と推定される枝垂れ桜の古木に人々が集まってきます。残念ながら桜の開花時期を外れての訪問でしたが、この古木の存在感は見事でした。
 龍豊院の創立の際に植えられたともいわれています。長い歴史を見てきた桜は、見事な樹木のスタイルと枝張りの見事さが印象的です。単花弁の純粋種という珍しい品種だそうです。東伊豆町文化財に指定されています。

 境内のすぐ横を清流が流れ、骨伝導ヘッドセットを使って、耳だけでなく骨から脳へとこの音を聞きながら参拝するのは癒し効果が生じます。そんな癒された状況で本堂を見れば、堂宮彫刻は龍と狛犬で、興味深い立体的な細工だと分かります。

 骨伝導で「聴く」ことで適度なBGMを受け、癒しの龍豊院を堪能しながら参拝できます。米軍に採用された特許技術の骨伝導製品ならではの性能です。

          ⇒ 聞こえの問題や癒しに、骨伝導製品

 伊豆の遍路旅は数多い四国霊場の「写し」の中でも活発なほうで、東京からも気軽に行ける利点があります。しかも伊豆にはいたるところで良質な温泉があります。遍路と温泉の組み合わせはものすごく相性が良いでしょう。
 それに耳をふさがない骨伝導ヘッドセットは安全面でも貢献できます。一度お試しあれ。

カトリック浅草教会を骨で聴く

2013-04-17 12:47:26 | 骨で聴く巡礼旅

 東京都内で最初の教会というと、1874年に建築された築地教会になりますが、2番目になるカトリック浅草教会はその3年後の1877年(明治10年)に建てられました。しかし宣教活動はもっと古く、江戸時代以前にまでさかのぼります。

 今回の骨伝導巡礼は久しぶりにキリスト教会へと向かいました。

 カトリック浅草教会という名称から、浅草の街を連想するかもしれませんが、実は最寄駅は秋葉原になります。徒歩約10分という距離です。都内らしいビルやマンションが林立する場所ですが、神社の鎮守の森のように緑に囲まれ、とても落ち着いたたたずまいです。騒音対策としての骨伝導の威力は封印して、純粋に耳だけでなく骨からも周囲の音声を聴くことに集中できます。

 周囲の音声を骨伝導で体験しながら、江戸時代以前の歴史へとさかのぼります。
 マニラとの貿易を考えていた徳川家康は、フランシスコ会のヘロニモ・デ・ヘスース神父に対し、貿易政策に協力することを条件に、江戸での宣教を許可しました。そしてへロニモ神父が、1599年に八丁堀に「ロザリオの元后聖マリア聖堂」を建てることになりました。これがカトリックの江戸での布教の最初の基盤でした。
 ヘロニモ神父のあとも、約13年間にわたり、この聖堂を中心に関東だけでなく東北やさらには幾内方面にも宣教活動を広げたようです。

 しかし1613年、江戸のキリシタンが捕らえられ、ロザリオの元后聖マリア聖堂も壊されるという出来事がありました。当然ながら聖堂再建は不可能となり、当時は江戸から離れた新開地だった浅草に小さな聖堂を建てたのです。その際にハンセン病の病院も併設しました。

 ここでの最終発もうまくいきませんでした。わずか1ヵ月ほどで、多くのキリシタンが捕らえられ、鳥越の牢に入れられてしまったのです。このとき27名が殉教したといいます。

 カトリック浅草教会の裏手には、キリシタン弾圧により鳥越刑場で斬首されたキリシタンの殉教記念碑があります。




 江戸時代が終わり、明治になって、築地教会の助任司祭のラングレー神父が、巡回しながら説教所での布教活動をしていました。このときに築地教会で受洗したトマ本多善右衛門が、浅草にも築地のような教会を建ててもらいたいと望みました。ただ時代はまだまだ厳しく、築地の外国人居留地以外への教会建築の許可は簡単なことではありませんでした。

 カトリック浅草教会としては、実は前身が学校でした。ラングレー神父が外国人教師として許可を得たことが始まりです。一軒の日本家屋を買い、私立 まい瑰学校を創立したのです。まい瑰とは、「ロザリオのバラ」のことで、聖ポーロ小聖堂と命名され、創立時に40人の洗礼式が行われたといいます。

 江戸から東京へと続く都市の歴史の中で、カトリック浅草教会は荘厳さを発しながら悲劇を見守る番人としての役割までをも担ってきたのかもしれません。ここでは純粋に骨伝導ヘッドセットを装着しながら手をあわせてみるのが一番です。

 特許技術に裏付けられた骨伝導製品とともに、カトリック浅草教会にぜひ訪れてみてください。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門店

大栄稲荷神社を骨で聴く

2013-04-15 16:46:14 | 骨で聴く巡礼旅

 明和4年(1768年)、江戸の亀島川霊岸島地先の埋立地完成に際して、伏見稲荷の分霊を勧請して創建されたのが大栄稲荷神社です。埋立地完成のときに付近住民地浄めの神として遷座しました。その当時は霊岸橋ぎわの一角を占め、周囲には種々輿業物・掛茶屋等があったようです。また、神社では富籤の発行などもあり、江戸の市民が集まり、大いに賑わったといわれています。
 しかしその後の火災、大正時代には関東大震災の被害、さらに現代では区画整理等で社地が減少し、現在では気づかなければ通り過ぎてしまうほどの小さな神域となりました。

 現在の地名では中央区新川1丁目になり、新川北町会事務所と兼用になっています。そんな小さな大栄稲荷神社へ、最先端技術が光る骨伝導機器とともに参拝へ行きました。

 交通量の多い永代通りから一歩中へ入った場所に鎮座する神社で、路地裏のような印象です。それでも街の喧騒から離れ、小さな祠と鮮やかな鳥居に導かれることで、大栄稲荷神社は己の存在証明を主張しているかのようです。

 騒音対策としての骨伝導機器から、静かな環境での参拝の補助器具となり、耳ではなく骨からも周囲の音声を聞き取ります。さすがに米軍で採用された特許技術の骨伝導ヘッドセットは性能が違います。小さな神社の大きな歴史の「声」が聴こえるかのような感覚すら抱けます。

           ⇒ 米軍採用の骨伝導製品

 都会の中の小さな神社は、鎮守の森がなくても十分に魅力的な要素があることに改めて気づかされました。ありがとう、骨伝導ヘッドセット。

神嶽山神苑を骨で聴く

2013-04-14 16:47:10 | 骨で聴く巡礼旅

 相模川の河口から遡った低い台地に相模国一ノ宮の寒川神社は鎮座しています。以前にも骨伝導ヘッドセットともに参拝したことがありますが(⇒ 寒川神社を骨で聴く)、今回はその聖域の一角に位置する神嶽山神苑を骨で聴くことにします。

 神嶽山神苑は寒川神社の中で禁足地でした。それが御社殿造営10周年を記念して整備されました。本殿の奥に位置する「神嶽山」の杜が神苑となり、2009年から一般公開されるようになりました。

 池泉回遊式の日本庭園で、神域に現れた庭園には茶室、茶屋や資料館が併設されています。
 外門をくぐリ最初に手水舎が目に入ります。すぐ横に「難波の小池」があり、ここで参拝することになります。「難波の小池」は 本殿の真裏に位置し、寒川神社の起源に深くかかわりのある神聖な泉と伝えられています。そのためか撮影不可と表示されていました。
 神嶽山という小高い丘を時計回りに進み、本殿を裏側から拝むかたちになる位置が「裏参拝所」呼ばれている場所に出ます。神嶽山をぐるり囲む石は奈良県の吉野石、崩れ積み工法で組まれているそうです。

 檜皮茸きの内門をくぐると、池泉回遊式の日本庭園が現れます。湧水が聖なる池を形成するようで、「気」の良さに加えて見事な庭園の美を堪能できます。



 茶屋・和楽亭は池の畔にあり、四季の移ろいの中で、「神人和楽」のひと時が過ごせる茶屋です。方徳資料館はその先にあり、寒川大明神の御神徳と仰ぐ「八方除」についての資料を展示しています。寒川神社の歴史と方除信仰の根源を探ることができるとともに、日本の歴史にとって、方位の持つ意味がよく分かるようになっています。

 静寂と神聖な空気に包まれた神嶽山神苑を骨伝導ヘッドセットを使って堪能してみます。耳だけでなく骨から脳へと伝える音声を感じ、さらなるパワーを授かるような気がします。米軍で採用された特許技術を駆使した骨伝導機器が、古来より続く神のパワーに共鳴するかのようです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 ただし骨伝導製品なら何でも良いというわけではありません。最先端の米軍で採用された技術だからこそ、そこまでの威力が出るのは間違いありません。



日本橋水門を骨で聴く

2013-04-10 13:51:22 | 骨で聴く癒しの世界

 東京の亀島川にある亀島橋を訪れたとき、この川について、日本橋川から分流し、中央大橋下流で隅田川に合流するだけの約1Kmと短い流路だと紹介しました。このわずかな距離に5つの橋が架けられ、その一つが亀島橋でした。(⇒ 亀島橋を骨で聴く
 今回は日本橋川との接続点に設置されている日本橋水門へと、最先端の骨伝導機器とともに散策にいきました。春の陽気の中なので、快適な骨伝導散歩です。

 日本橋川と亀島川は東京湾の潮の干満の影響を受ける感潮河川ということで、高潮や津波の被害から流域の街を守るために高い堤防に囲まれています。そのために、亀島川は両端に防潮水門があるのです。

 巨大地震が発生し、津波警報が発令されれば、津波に備えてこの日本橋水門は閉鎖されます。安全を守るためにも活躍する水門です。

 日本橋水門は昭和46年に完成した施設で、2連のローラゲート式水門です。亀島川に架かる霊岸橋から日本橋川方面を見るとすぐそばにあるので存在感はかなり大きいといえます。周囲は東京らしい都会の風景が展開していますが、何となく落ち着いた雰囲気を感じるのは疾走するクルマの騒音を感じないように骨伝導ヘッドセットを装着しているからでしょうか。

 最先端の特許技術が駆使された骨伝導ヘッドセットとともに、都会の散策で得られる癒しを感じます。耳だけでなく骨から脳へと伝わることは、騒音対策だけでなく、様々な羽目にも応用できます。しかし、日本橋水門の前ではただ単に癒しを味わうのが一番かもしれません。

          ⇒ 最先端・特許技術・骨伝導製品

川崎駅を骨で聴く

2013-04-03 13:04:02 | 骨で聴く鉄道駅

 川崎市の表玄関である川崎駅の周辺を骨伝導ヘッドセットともに巡礼してきましたが、様々な発見があった気がします。稲毛神社宗三寺、少し離れて天照皇大神、そして幸福寺(川崎不動尊)など、都市と一体化した聖なるパワーを宿しているのを感じました。
 骨伝導を使うことで耳だけでなく、骨から脳へと伝わる音声との一体感がとても快適に感じられました。

 そこで今回はその玄関口である川崎駅を骨で聴きます。
 政令指定都市の主要駅らしく、平均乗車人員は185,300人と多く、JR東日本の駅の中で第12位にランキングしています。神奈川県内では横浜駅に次いで第2位を誇ります。全部の新幹線が停車する新横浜駅より乗降客は圧倒的に多いといえます。

 川崎駅に乗り入れている路線は、正式には東海道本線と南武線の2路線だけになります。で、東海道本線は東海道線列車と緩行線の京浜東北線の2系統になっていて、南武線は起点となっています。
 しかし1980年までは東海道線と線路を共用していた横須賀線も停車していました。

 川崎駅で面白いのは、川崎市内にあり100万都市の表玄関であるにお関わらず、便宜上、特定都区市内制度における「横浜市内」に属しているのです。そのため、東海道本線では横浜市内エリアとしての北限という扱いになっています。

 私鉄では京浜急行電鉄の京急川崎駅が近くにあり、地下街で結ばれています。お互いに平行して走るライバル路線という位置づけですが、連絡が可能になっています。

 そんな川崎駅は一日を通して雑踏が形成され、騒音の激しい駅といえます。そんな場面で携帯電話で通話しようとするのは大変です。相手の声が聞えないだけでなく、自身の発した声も騒音に紛れてしまいます。

 この問題解決にはやはり骨伝導ヘッドセットです。ブルートゥース機能を使えばかなり快適にハンズフリーが実現できます。米軍で採用された特許技術を駆使しているので性能はお墨付きです。

          ⇒ 人気のBluetooth対応骨伝導ヘッドセットHG40SAN-TBT

 残念ながら骨伝導サングラスは在庫がほぼゼロとなってしまいましたので、このHG40SAN-TBTがお勧めです。川崎駅の雑踏もこれら安心、安心。

日王山幸福寺を骨で聴く

2013-04-02 18:36:06 | 骨で聴く巡礼旅

 川崎市役所のすぐ裏手に位置する天台宗の寺院・日王山幸福寺へ最先端の骨伝導ヘッドセットとともに参拝です。川崎不動尊としても親しまれ、古来より近隣住民の参拝者を集めている場所です。川崎駅の繁華街と市役所の狭間にある静かな寺院ですが、なんといっても「幸福寺」という名称がズバリ直球で素晴らしいといえます。

 正式名称は天台宗日王山荘蔵院幸福寺で、寺院が開かれたのは、応永元年(1394年)です。室町時代に相当しますから、600年を超える歴史を持つ古刹といえるでしょう。住職も現在は66代目だといいます。

 また幸福寺は准秩父観音霊場の第21番札所で本尊は千手観世音菩薩です。
 神奈川県の34寺院で構成する秩父観音霊場三十四ヶ所の写し霊場です。神奈川県でも横浜市と川崎市に広がっています。



 霊場の札所であり、室町時代から続く古刹ですが、場所柄からか都会的な落ち着いた雰囲気を持っています。喧騒までは届きませんが、霊場特有の厳粛さを伴う静寂さはありません。その代わりに気持ちの良い適度な都会のオアシス的な要素は十分にあるといえるでしょう。

 そんな幸福寺には、都会型の骨伝導機器の利用は最適といえます。
 米軍で採用された特許技術を駆使した骨伝導機器を巡礼の友に加えることで、耳だけでなく骨から脳へと伝わる音声がさらに快適性を高めてくれそうです。

          ⇒ 最先端の特許技術を駆使した骨伝導製品とは

 ここ最近、川崎の骨伝導巡礼をいくつか続けてきましたが、寺院の名前ではここが一番インパクトがあるといえます。また都会型の寺院でありながら古刹としての風格も併せ持っていることで、お勧めの場所です。川崎市役所から近いので、市役所へ来たついでに寄るのでも良いといえます。