西伊豆の旧戸田村。
現在は合併により沼津市になったものの、やはりここは何度も訪れても独特の雰囲気が漂う「戸田村」です。
タカアシガニや深海魚が水揚げされる戸田港を外海から守るように突き出ているのが御浜岬です。
この御浜岬に鎮座するのが諸口神社です。
米軍採用・特許技術を誇る最先端の骨伝導機器とともに参拝に行きました。
耳を使わないことから鼓膜に損傷がある方でも「聞く」ことが出来たり、米軍の爆音下という過酷な騒音でも「聞く」ことが出来る骨伝導機器ですが、こんなのどかな岬に鎮座する神社への参拝にも実は最適な製品です。
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晴れていれば、戸田港から望むと港開口部の正面に富士山が見えます。赤い鳥居と富士山とのコントラストは見事ですが、訪れたのは雨の日で、残念ながら富士山とのコントラストは望めませんでした。
御浜岬の突端部分は森になっていて、その中に諸口神社は鎮座しています。参道から赤い鳥居までは一直線で、その先は海です。この鳥居の位置と、社殿の向きから考えられるのは、表参道は海に向かっているといえます。本来の参拝は海から神社の神域へ入るのかもしれません。
実際には岬の中に車道があり、「造船郷土資料博物館」のすぐ裏手が社殿になっているので、境内の裏側から参拝に向かうことになります。
諸口神社の「諸口」は「もろき」とも呼ぶそうで、「伊豆国神階帳」に「従四位上 もろき姫の明神」とありますから由緒正しい古社といえますが、創祀年代は不詳とのことです。
もろき姫明神ということから、女神であると考えられ、御祭神は弟橘姫命となっていますが、大己貴命説、国玉命説もあるようです。
式内社・國玉命神社の論社といわれますが、延喜式神名帳伊豆国那賀郡には、國玉命神社が二社記載されているため、どちらの國玉命神社であるかは分かっていません。
現在の社殿は昭和28年に改築されたもので、岬の突端に向かって堂々たる存在感を示しています。
こんな神社の境内では海風も少し弱まり、逆に静寂を包み込むような心地よい風を感じ、耳だけでなく骨からの周囲の音を聞くのが一番です。
現在は合併により沼津市になったものの、やはりここは何度も訪れても独特の雰囲気が漂う「戸田村」です。
タカアシガニや深海魚が水揚げされる戸田港を外海から守るように突き出ているのが御浜岬です。
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御浜岬の突端部分は森になっていて、その中に諸口神社は鎮座しています。参道から赤い鳥居までは一直線で、その先は海です。この鳥居の位置と、社殿の向きから考えられるのは、表参道は海に向かっているといえます。本来の参拝は海から神社の神域へ入るのかもしれません。
実際には岬の中に車道があり、「造船郷土資料博物館」のすぐ裏手が社殿になっているので、境内の裏側から参拝に向かうことになります。
諸口神社の「諸口」は「もろき」とも呼ぶそうで、「伊豆国神階帳」に「従四位上 もろき姫の明神」とありますから由緒正しい古社といえますが、創祀年代は不詳とのことです。
もろき姫明神ということから、女神であると考えられ、御祭神は弟橘姫命となっていますが、大己貴命説、国玉命説もあるようです。
式内社・國玉命神社の論社といわれますが、延喜式神名帳伊豆国那賀郡には、國玉命神社が二社記載されているため、どちらの國玉命神社であるかは分かっていません。
現在の社殿は昭和28年に改築されたもので、岬の突端に向かって堂々たる存在感を示しています。
こんな神社の境内では海風も少し弱まり、逆に静寂を包み込むような心地よい風を感じ、耳だけでなく骨からの周囲の音を聞くのが一番です。