東京の杉並区で最北西部に位置する地名が善福寺です。
ここには善福寺池を中心にした善福寺公園があり、この池を水源とした善福寺川も流れています。それほど地名と未着した「善福寺」ですが、この地名の由来となった寺院はどこにあるのか、おそらく知る人は少ないでしょう。
今回骨伝導巡礼として参拝に向かった善福寺は、福寿山と号し、善福寺公園より青梅街道寄りにある住宅街にあります。この寺院こそ地名の由来かと思われますが、どうもそうではないようです。謎に包まれた善福寺です。
福寿山善福寺は、創建年代は不詳ですが、御堂阿闍梨が開山したと伝えられる寺院で、無量山福寿庵と称する浄土系の小庵だったといわれます。月山機法が中興、曹洞宗寺院に改めたといいます。
では地名の由来となったのは何か?
元々の善福寺は善福寺池のほとりにあったといわれています。
江戸時代に災害により壊滅したことで、そのまま廃寺になったようです。文政9年(1826年)の「新編武蔵風土記稿」によれば、「往古は善福寺・万福寺とて二ヵ寺ありしが、いつの頃か廃絶して今はその跡さえも知れず」とありますから、現在の善福寺ととともに存在していた時代があったのは間違いないようです。しかし、現在の善福寺との直接の関係については、明らかな資料はないようです。
この廃寺は史料に乏しく、実態はよく分かっていないというのが実情ですが、麻布にある麻布山善福寺の奥の院であるという説もあります。
⇒ 麻布山善福寺を骨で聴く
また、麻布山善福寺とは無関係な寺院であるという説もあるようです。
ただそれにしても現在の地名が、廃寺になった元の善福寺が由来となっている事実は確かで、それはそれで興味をそそられます。杉並区民には馴染みのある地名ですが、その由来が謎に包まれている寺院というのもおもしろいものです。
さて、現在に残る福寿山善福寺ですが、本尊の阿弥陀如来立像は室町時代の作といわれ、衣丈が流れるような美しい優雅な像だといわれています。現代的な寺院ではありますが、随所に歴史を感じさせるものがあり、境内には浄土系寺院時代の歴代住職の墓石や、建武元年(1334年)銘板碑、享保2年(1717年)銘地蔵石像などもあります。
骨伝導ヘッドセットとともに巡礼し、周囲の善福寺界隈の空気を耳だけでなく骨で聴くのは興味深いものです。消え失せた寺院の痕跡とともに、骨伝導の技術力を堪能できます。
⇒ 最先端の骨伝導製品