骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

旧軽井沢礼拝堂を骨で聴く

2008-10-27 12:24:52 | 骨で聴く巡礼旅

 紅葉の季節、軽井沢の木々は鮮やかに色づいた葉を揺らせています。新幹線で東京からわずか1時間少しという場所だけに、この時期に軽井沢を訪れるのは気軽で悪くありません。

 夏の喧騒が去った軽井沢ですが、それでも週末はそれなりの人が集まります。駅から北上して旧軽井沢へ歩いていくと、そこは見事な日本の秋が待っています。

 旧軽井沢礼拝堂はメインお通りから右に曲がった場所にあります。
 旧軽井沢らしい別荘地は静寂と美しい紅葉が続きます。
 そんな中で荘厳な雰囲気でたたずむ白亜のチャペルが右手に現れます。

 この礼拝堂は、軽井沢開発の祖父とも呼ぶべき、A・C・ショー牧師の精神を継承して建てられた由緒ある礼拝堂です。
 ここでは「朝の祈り」や結婚式のため、様々な祈りがされています。日本聖公会の方式に従って行われるものです。結婚式では心やさしいチャプレンが二人の門出を祝福してくれるでしょう。
 紅葉の季節に聖歌の響きが包まれ、バージンロードに足を踏み入れる新婦は何を思うでしょうか? この上ない至福感と感動が満ちてくるかもしれません。そんな格式に支えられた結婚式がここで行われるのです。新郎・新婦の幸福が今、ここからスタートすると思うと、感慨深い思いがわいてきます。

 礼拝堂に隣接するのはホテル音羽ノ森で、ここでは結婚披露宴が行われます。こんな場所での披露宴に出席するのも、何だかワクワクします。

 日本人の場合、「教会で式を挙げる」というのは珍しくありませんが、それは宗教的な意味合いはあまりないものです。ほとんどが形式的なもので、逆に形式があるからこそ選択される結婚式のスタイルといえます。
 しかし、ここでの式は完全に宗教的な儀式として執り行われているようです。歴史的な重みと正統的な宗教の誇りが、式を挙げるカップルに本物の儀式を通じて新たな出発を迎えるようにしているのでしょう。
 
 礼拝堂の隣には「神とその栄光のために」と書かれた案内板があります。
 聖歌とともに骨で聴きたいコトバです。

 骨伝導によって荘厳な雰囲気は助長され、結婚式はより大きな意味を持つ儀式になりそうです。そして周囲を見回せば紅葉です。

 こんな旧軽井沢を満喫して岐路につきました。まずは骨で聴く世界を堪能してください。⇒ 骨で聴くドットコム


                                   

五色不動を骨で聴く

2008-10-20 19:04:32 | 骨で聴く巡礼旅

 都内の五色不動で、やはり神秘的なのは目青不動です。

 以前の目黄不動(⇒ 目黄不動尊永久寺を骨で聴く)と異なり、境内に入っただけで漂う空気が違います。

 五色の中で「目青不動尊」は移転の歴史を辿り、しかも本当に「不動」なのか疑問ですらあるといわれます。確かに現在は間違いなく不動尊ですが、現在の地に移ってから五色不動にあやかってそうなったという暴論も出てきます。
 それでもどこか違うのです。

 移転の歴史を簡単に記すと、紅葉坂から麹町貝塚に移され、次に赤坂三分坂、慶長9年(1604)に青山へと移転しました。

 この時代に「青山のお閻魔様」と呼ばれていたといいます。このときは確かに不動信仰とは違うでしょう。そして明治41年(1908)、かつての世田谷村、現在の世田谷区三軒茶屋駅近くに移ってきました。

 東急世田谷線の三軒茶屋駅からは本当に目と鼻の先です。

 まずは骨で聴きましょうか。
 違いを考えるのそれからです。    ⇒ 骨で聴くドットコム

                             




閻魔院金蔵寺を骨で聴く

2008-10-17 18:08:15 | 骨で聴く巡礼旅

 東京都足立区にある北千住駅は多数の路線が交わります。

 ■ JR東日本 常磐線
 ■ 東京メトロ 千代田線
 ■ 東京メトロ 日比谷線
 ■ 東武鉄道 伊勢崎線
 ■ 首都圏新都市鉄道 つくばエクスプレス

 足立区では最大の駅で、当然ながら繁華街の規模も区内最大です。
 この駅の西口から飲み屋街を歩いてすぐの場所に、金蔵寺という寺院がひっそりとあります。周辺環境からするとどこか場違いな静寂さが漂っています。

 真言宗豊山派で、正式には氷川山地蔵院と号します。本尊が閻魔大王ということで、またの名を閻魔院といいます。建武2年(1335)の創建です。

 門を入るとすぐ左に天保8年(1837)の大飢饉の飢餓者を慰める供養塔を目にします。さらにそれと並んで遊女たちの霊を慰めるための供養塔が存在感を示しています。この台座には遊女たちの戒名がびっしりと彫られています。

 碑文によると、
          「飢えて下民に食なし
                 この地に死せる者828人
                       370人を金蔵寺に葬り」
 と、あります。大飢饉のすごさがうかがい知れます。

 遊女たちの供養塔は、日光街道の初宿にして最大の宿場町であった千住ならではの悲哀があります。当時、本陣・脇本陣のほかにも旅籠があり、その数は合計で150軒くらいだっとそうです。その中で飯盛り女(宿場女郎)を置いていた食堂旅籠は36軒あったようです。
 貧しい農家から売られてきた宿場女郎たちは病気などで死亡すると、この金蔵寺などに無縁仏として葬られました。

 江戸の歴史の影の部分が今でも残った貴重な寺院といえるでしょう。
 こんな空間を骨で聴きます。

 そしてこのブログ開設2周年を目前に控えて、「骨で聴くドットコム」も完全リニューアルをしました。再び骨伝導機器が手軽に購入できるようになりました。ぜひご活用ください。

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身代り不動尊を骨で聴く

2008-10-14 11:18:35 | 骨で聴く巡礼旅

 川崎市高津区の身代り不動尊に行きました。
 元禄年間のことです。当時、この地域は武蔵の国荏原郡でした。
 ここで悪疫が流行しました。このとき諸国を行脚していた祐天上人が不動尊を尊信するよう教え、人々がこれを信仰することとなりました。この結果、悪疫が去り、これに由来する「川崎身代り不動尊」が確立されたのです。

 身代り不動は別格本山大明王院の御本尊です。
 不動尊を尊信し、貞亨年間不動尊を護持し危難災厄に際して 婁々加護を受けまた庶民に利益を与えたといわれます。

 明治維新の時には排仏棄釈に会い、一時民家に移されてしまいました。しかし、、開山喜衆聖人が明治37年に開眼法要をなして現在の場所に安置されました。
 以来、厄除・交通安全祈願の身代り不動として、川崎市民だけでなく周辺地域の数多い参拝客で賑わっています。

 最寄り駅は東急田園都市線の梶が谷駅です。
 新興住宅地を象徴するような沿線ですが、このような歴史的な場所があることに感動を覚えます。

 しかし、現在は工事中ということもあり、霊験新たかな雰囲気は少し薄らいでいるようです。参拝場所も何だか味気ない……気が…

 歴史は動いていますから、一定の価値観で判断してはいけません。そう思い直してみればまた見方も変わるでしょう。

 こんな地を骨で聴く旅はやはり有意義です。
 もうすぐ2年になる「骨で聴くドットコム」も完全リニューアル寸前です。楽しみです。

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