骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

あづま稲荷神社を骨で聴く

2015-03-25 15:21:41 | 骨で聴く巡礼旅
東京の地下鉄銀座駅すぐ近く、戦後からメインストリートとして発展したあづま通り・三原小路があります。
この通りに火災が続発したといいます。

なぜ、この通りだけに火災が続発するのか?

町内の人たちは不思議に思い、調査をすることになりました。

その結果、この街の一角にお稲荷さんが祀られていたことが判明しました。
もしかしたら失われた稲荷社が火事の原因では?

そこで町内一同相談の上、京都伏見稲荷大明神講中をつくり、あづま稲荷大明神と命名しました。
京都伏見稲荷大社で御霊を頂き氏神様である山王日枝神社に御祈祷を願い、三原小路の方々の御芳志により現在地にあづま稲荷神社が鎮座することになり、盛大にお祀りをしたそうです。

すると、以後は全く火事にあわなくなったといいます。大都会の銀座、しかもその中心地に霊験あらたかな神社があることかが新鮮です。



喧騒の銀座は、外国人観光客もあふれています。
むしろ現在では日本人の姿のほうが少ないくらいかもしれません。

大声で会話する観光客、トラックや営業車の重いディーゼル音などが混ざり、都会の雑踏の喧騒は、耳だけで聞くのに限界があります。
携帯電話の着信があって、相手と通話しようとしても、騒音に邪魔されて相手の声が聞き取れないことがよくあります。

そんなときは、耳を使わずに骨で聴くのが一番です。
そう、骨伝導です。

しかし、骨伝導機器なら何でも良いというのは誤りです。
米軍で爆音の中でも通話を可能にした性能がベストです。特許技術です。

   → 今すぐ最先端・骨伝導技術をチェック!

銀座のあづま稲荷神社には米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットがよく似合います。

亀戸水神駅を骨で聴く

2015-03-24 17:25:38 | 骨で聴く鉄道駅
東京の亀戸といえば、学問の神様である菅原道真の加護を求め、絵馬を奉納する受験生で境内が溢れる亀戸天神で有名です。
しかし本日降り立った駅の名は、「亀戸水神駅」です。
「天」と「水」の1文字違いですが、全く異なる神社で、水神は駅名にもなっているのが特徴です。

しかし、駅名になっているとはいえ、その境内は狭く、それほど目立つことなくひっそりと鎮座している感じがします。

亀戸水神駅は東武鉄道の亀戸線にあります。亀戸駅から一つ目の駅で、都内では数少ない構内踏切があります。



地味な駅で、周辺に商店街がある訳でもなく、近くに丸八通りが通る場所にあります。
いつものように世界最先端の骨伝導機器とともに降り立つと、やはりその特許技術の骨伝導パワーを感じるのは丸八通りの騒音対策としての役割です。
米軍の爆音でも通話を可能にした技術です。

   → なぜ米軍は爆音の中でも通話ができるのか?

しかし、周辺を歩いてみると、亀戸線がなぜか気になるから不思議です。
小さな路線の小さな駅。小さな水神。
耳だけでは聞こえない音声を骨伝導で聴きたくなる、そんな駅です。

亀戸浅間神社を骨で聴く

2015-03-12 15:39:03 | 骨で聴く巡礼旅
日本武尊と弟橘媛の伝説に彩られたパワースポット・走水神社は大好きな神社のひとつですが、その伝説の続きに関連する神社として、亀戸浅間神社は外せません。もちろん湯島の嬬恋神社もありますが、ここは色々な見所もあるのでわざわざ出かけても損しないでしょう。

 → 横須賀・走水神社を骨で聴く
 → 妻恋神社を骨で聴く

日本武尊が、相模から上総へ船で向うときの伝説です。
日本武尊は「こんな小さな海なら、駆けて跳び上がってでも渡れる」と大言壮語して海を渡りましたが、海の中程までくると突然暴風が起こり、日本武尊の船は漂って渡ることが出来なくなってしまいました。
その時、日本武尊に従っていた弟橘媛が「これは、日本武尊のお言葉に怒った海神の仕業だ」と言い、日本武尊の身代わりに自らの身を海に投じたことで暴風はやみました。弟橘媛の行動により、船は無事に上総側の岸に着くことができたという伝説です。

その舞台となったのが横須賀の走水神社です。

この伝説には続きがありました。
現在の東京湾に身を投げた弟橘姫の笄(こうがい)と櫛(くし)が奥湾に漂着したといいます。

笄は現在の江東区亀戸9丁目(旧神社跡)付近に漂着したようです。当時は高貝洲と呼ばれていた地域でした。

この話を聞いた第12代・景行天皇は大層愁いて、ここに笄を埋め、祠を立てて祀ったといいます。
以来、「当時の諸将が苦難の折に、この祠に参り祈願すると何事も必ず聞き届けられたとも伝えられています」



室町時代になると、富士信仰が盛んだったことから、甘露寺元長に勧請し、霊峰富士山の御守護神・木花咲耶比売を戴き、この笄塚の上に浅間社として創立することになりました。



太平洋戦争の東京大空襲も無事に切り抜け、都区内では稀少な木造建築の神社として鎮座しています。



笄塚として残る山は富士塚で、規模はそれほどではないですが、弟橘媛伝説のせいか、荘厳な雰囲気も感じます。
また、富士塚の手前で、参道奥に建てられている鳥居は八幡形鳥居(明神形)です。戦災で火をかぶっているため、黒く焦げたような状態になっているのが歴史を見てきた証人のようで貴重です。



境内の東南(社務所の脇石造鳥居の右脇)には、六ッ目地蔵小屋があります。
神道と仏教という、いかにも日本的な光景です。

こんな神社を骨で聴きます。耳だけでは聞こえない「何か」が骨から脳へと伝わるような感じがします。
走水神社のようなパワー漲る感じではなく、都会のオアシスのような、癒しの音声を感じます。