骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

特急あさまを骨で聴く

2009-04-28 10:28:42 | 骨で聴く鉄道駅

 長野新幹線の「あさま」ではありません。
 懐かしい信越本線の特急「あさま」です。

 命名の由来はこの沿線の代表格である浅間山です。

 ⇒ 浅間山を骨で聴く

 時刻表に初めて「あさま」の名前が登場したのは、昭和36年3月で、まだ特急ではありませんでした。小諸~新潟間のDC準急として誕生しました。。
 しかし翌年のダイヤ改正で、「あさま」は「赤倉」に改称されてしまい、たった1年9ヶ月という短い期間で姿を消すことになりました。それでも消滅したわけではなく、上野~長野間のPC準急に「あさま」の名が冠せられたのです。

 これ以降から上野~長野間昭の優等列車としての歴史を歩むのかと思ってると、またまたドラマが起こります。今度は完全な消滅です。
 昭和38年のことですから、2代目「あさま」も短命だったことになります。この年の10月のダイヤ改正のより、「あさま」は消滅して、急行「丸池」に改称されてしまいます。

 そして昭和41年です。上野~長野間に特急列車が設定され、このときに特急「あさま」としてこの名前が復活しました。使用された車輌はボンネット車でした。

 昭和47年には「あさま」はエル特急に指定され、名実ともに上野~長野間の優等列車の地位を確立しました。

 写真はその当時の電車でしょう。何だか懐かしい気持ちになります。

 そして新幹線の開業とともに「あさま」の名も引き継がれました。碓井峠をひた走る姿は消え、特急「あさま」は新幹線を見送りながら余生を暮らしている感じです。

 骨で聴きます。
 骨伝導のヘッドセットで往年の特急「あさま」が疾走する音を聴きたいものです。車輪の音が記憶の世界と重なり、骨から脳に伝わっていくかもしれません。

 ⇒ 骨伝導について知りましょう

 ゴールデンウィーク、思い出の特急「あさま」とともに骨伝度!

                         
 

太子堂八幡神社を骨で聴く

2009-04-22 10:14:19 | 骨で聴く巡礼旅


 東京の世田谷区内を縦断する環七通りに沿って、以前に二つの神社に参拝し、骨伝導を試しました。今回は環七の内側へと入ります。世田谷らしい閑静な住宅街を歩いた先です。

 以前の骨伝導巡礼先は、

 ■ 駒留神社を骨で聴く
 ■ 若林天満宮を骨で聴く

 そして今回訪れたのが、太子堂八幡神社です。世田谷区内の八幡神社は、以前に取り上げたことがありますが、ここもまた荘厳さでは引けをとりません。

 ■ 世田谷八幡神社を骨で聴く

 太子堂という地名の由来については聖徳太子とともに、以前に取り上げたことがありました。

 ■ 太子堂を骨で聴く

 今回の神社は太子堂でも西側に位置し、環七からも容易に歩いていけます。最寄り駅は東急世田谷線の西太子堂駅ですが、キャロットタワーのある三軒茶屋駅からも遠くありません。
 世田谷線三軒茶屋駅に隣接する目青不動尊からも近いことになります。

 ■ キャロットタワーを骨で聴く
 ■ 紅葉の目青不動を骨で聴く
 ■ 世田谷区を骨で聴く

 随分と世田谷に関係する場所を取り上げてきた気がします。他にも松蔭神社や豪徳寺、等々力不動など、骨で聴く巡礼旅の定番の場所かもしれません。

 ■ 松蔭神社を骨で聴く
 ■ 豪徳寺を骨で聴く
 ■ 等々力不動を骨で聴

 さて、肝心の太子堂八幡神社ですが、参道は住宅街なせいか少し小規模です。鳥居は堂々としたもので、その先に鉄の扉があります。夜には閉まりますので、夜間の参拝はできません。

 平安後期、源氏が陸奥安部氏征討の折、武運を祈願したと言われている神社です。従って創建はそれ以前と思われますが、残念ながら時代は不詳です。

 江戸時代、この地域の太子堂村は天領・大名領・旗本領に細分化されていましたが、八幡様の祭礼より心を一つにしたと言われています。その心と伝統は今日にも受継れ、お祭りのときはなかなか見事なものです。

 住宅街の中に鬱蒼と茂る樹木に囲まれ、神聖な八幡神社はその存在を誇示しています。ここでももちろん骨で聴きます。環七や茶沢通り、国道246号線などから離れているおかげで、喧騒とは無縁です、余計な音の入らない場所から、耳では聞き取れない音を骨で聴きます。骨伝導の威力全開です。

 骨で聴く骨伝導巡礼は、またひとつ、ここの足跡をつけました。

 ⇒ ところで骨伝導って?

 世田谷の知られざる巡礼地を骨で聴く旅はまだまだ続きそうです。

             




 


熱海温泉・家康の湯を骨で聴く

2009-04-21 12:51:46 | 骨で聴く癒しの世界

 静岡県というよりも日本を代表する温泉のひとつ、熱海温泉です。
 2003年12月10日にオープンし、以来現在でもずっと無料で開放しているのが足湯「家康の湯」です。場所はJR熱海駅前で、改札を出て左手すぐです。

 駅前間歇泉(かんけつせん)があり、そのすぐ隣に畳6畳ほどの湯船があります。
 まさに温泉で、近くの源泉から湯を引き注ぎ込んだものです。

 一度に12人ほどが楽しめるほどの広さです。
 施設名は応募で選ばれたようです。2004年は徳川家康が熱海温泉に湯治に訪れてから400周年にあたる年だったようで、それが由来だとか。
 歴史を調べてみると、徳川家康が熱海に来たのは、慶長2年(1597)と慶長9年(1604)と記るようです。

 ここを骨で聴きます。⇒ 骨伝導専門サイトへ


                    

 

箱島湧水伝説を骨で聴く

2009-04-20 10:26:17 | 骨で聴く癒しの世界

 昔の話です。

 群馬県を通るJR吾妻線原町駅近くに善導寺という寺院がありました。ここの第二世「円光上人」という人物のもとへ、怨敵に追われた木部宮内少輔の「北の方」(円光上人の母)が突然訪れ、よもやま話をしていたそうです。

 円光上人は母が追われている身とは知らず、何気なく別れを告げましたが、それが最後の別れとなりました。
 「北の方」は『息子に会えてもう思い残すことはない』と榛名山のカルデラ湖・榛名湖へと向かいました。そして待女とともに入水して果ててしまったそうです。

 その後、榛名湖には大蛇が棲むという話が取り沙汰され、大蛇は「北の方」の化身だと思われるようになりました。

 そこで、供養のために、「北の方」の位牌を榛名湖へ沈めたところ、その位牌が榛名山の麓に位置する箱島という場所の湧水から出てきたといいます。
 このことから榛名湖とこの湧水は繋がっているという伝説が生まれています。水を見ていると納得できるほどの勢いです。

 湧水の地には不動尊があり、この位牌は、今もなお箱島不動尊に納められているそうです。

 不動尊のお堂脇には樹齢400年とも言われる町の天然記念物「箱島不動堂の大杉」があり、その根元からは何と、日量約3万トンもの豊富な湧出量を誇る湧水があります。その姿はまさに圧巻です。

 日本名水百選に選ばれているのも当然で、下流ではホタルが生息するほどです。

 この雄大な湧水を骨で聴きます。骨伝導を使って、癒し効果を存分に味わいます。マイナスイオンとともに骨伝導の威力を堪能です。

 ⇒ 骨伝導専門サイトへ

                            

浅間山を骨で聴く

2009-04-15 18:17:23 | 骨で聴く癒しの世界


 世界有数の活火山である浅間山は、東京からも近い位置にあります。
 標高は2,568mながら、火山としての存在感は日本一といえるかもしれません。

 浅間山は二つの県にまたがっています。
 南麓が長野県側で、ここには日本の避暑地の代名詞的な軽井沢町があります。北麓は群馬県側になり、住所表示では吾妻郡長野原町ですが、いわゆる北軽井沢の地域になります。

 浅間山の噴火は過去にも現在にも様々な記録があります。
 その中で歴史的に大きな犠牲者を出したのは江戸時代・天明3年の噴火でしょう。群馬県側に溶岩流や火砕流が流下し、約1,500人の死者を出したといわれます。
 この天明年間といえば、「天明の大飢饉」が起きた時代ですが、浅間山の噴火が影響して起こったといわれていました。しかし実際には時差が生じているため、直接の原因ではないのが正解のようです。
 これはヨーロッパのフランス革命にも影響を与えたという説も同様で、おそらく事実ではないでしょう。

 ただ多くの死者を出し、悲劇に包まれた火山であることは変わりません。

 最近では今年の2月2日に確認された噴火があります。
 まだ残雪のある浅間山を見ながら、噴火の爆音に思いをはせます。

 爆音の中でも通信できる手段があります。それが骨伝導です。
 骨で聴きます。

 ⇒ 骨伝導の詳細情報へ

 活火山としての浅間山は優雅さより躍動感があります。他の山にはない獰猛さがあります。確固たる存在感があります。
 だから骨で聴きます。

                         


楽山井戸を骨で聴く

2009-04-10 09:54:33 | 骨で聴く癒しの世界


 浅草から南下していくと、下町と都心の中間地点のような場所に出ます。それでも台東区内はまだまだ江戸情緒や文明開化後の面影を残す風情があります。

 そんな一角に「楽山井戸」があります。

 ここには以前、東京随一の大病院・楽山堂病院があった場所です。明治31年から昭和20年までの期間だそうです。現在ではマンションに囲まれた場所ですが、遠い東京の歴史に思いが飛びます。

 喧騒の東京で、こんな場所にある井戸から過去を思い浮かべるとき、やはり骨伝導の威力を借ります。骨で聴くのです。

 ところで、骨伝導とは?

 まずは骨伝導の驚異の技術を知ってください。体験すると驚きは百二十二倍です。

 ⇒ と、いうことで骨伝導情報へ

                      


那珂湊駅を骨で聴く

2009-04-08 11:09:26 | 骨で聴く鉄道駅


 茨城県の常磐線勝田駅から太平洋に向かって伸びるひたちなか海浜鉄道湊線の主要駅が那珂湊駅です。平成の大合併がおこるはるか前から那珂湊市と勝田市が合併していますが、旧那珂湊市側の中心部です。

 路線の中で単式・島式2面3線のホームを誇り、全列車が交換を行う、沿線唯一の有人駅です。

 湊線は全駅がひたちなか市内にあり、勝田駅から那珂湊駅までは那珂川から少し離れた所を通っています。那珂湊駅を出ると線路は左にカーブし、終点の阿字ヶ浦駅までは海岸沿いを通っています。

 以前は茨城交通の路線でした。
 しかし、経営状況の悪化から、ひたちなか市に対して2008年3月で廃線にする意向を示しました。これに対し、ひたちなか市は財政支援も視野にいれつつ存続を目指すことにしました。しかし経営が厳しい赤字状態に変化はありませんでした。
 茨城交通は支援を受けいれることで、赤字の解消・老朽化した施設の改善を目指し、廃止届の提出を当面見合わせると発表しました。そこで茨城交通の鉄道部門を別会社に分離することになったのです。

 そして運営会社は第三セクター会社としてのひたちなか海浜鉄道に移管されたのです。地元の支援は手厚いものでした。2008年度はひたちなか市が湊鉄道線存続支援事業として1億2千万円近い金額をを支出しているようです。

 こんな湊線の主要駅である那珂湊駅を骨で聴きます。

 廃線の危機から蘇り、これから本番を迎える観光シーズンに向かって、骨伝導を使った旅が始まります。骨伝導を使ったディーゼル1両の列車が那珂湊駅に到着すると、癒しの骨伝導の本領発揮です。

 ⇒ 骨伝導で聴きましょう!

                           


小石川後楽園を骨で聴く

2009-04-07 11:39:43 | 骨で聴く癒しの世界

 国の特別史跡と特別名勝の二つに指定されている庭園は数少ないですが、その代表格が小石川後楽園といえるでしょう。後楽園遊園地や東京ドームの隣に、日本を代表する庭園が、そこだけの静寂とともに、また異世界として存在しています。

 1629年(寛永6年)に徳川家の水戸藩初代藩主・頼房が現在の庭園の基盤を築きました。そして2代目のご存知・水戸光圀、そうです水戸黄門です、が改修し、「後楽園」と命名して完成させました。

 東京ドームの隣に約7万平方メートル以上の敷地を誇る庭園は、まさに広大な別世界が広がっています。門から入ると、まずは池、その中に蓬莱島があります。
 今の季節は桜が咲き誇っています。

 桜だけでなく、四季を通じて情緒豊かな花々が咲き誇ることから、豊かな景色が広がっています。中国的、儒教的な趣好が濃厚であるものの、これだけの立派さはまさに日本的です。

 紫外線がきつくなるこの季節であれば、骨伝導サングラスでBGMを聴きながらの散策は最高です。骨で聴く後楽園は、まさに骨伝導の真骨頂!

 と、いうわけで骨伝導を堪能しましょう! ⇒ 骨伝導専門サイトへ

                    


ブレーメン通り商店街を骨で聴く

2009-04-03 16:49:58 | 骨で聴くビジネス

 ブレーメン通り商店街。

 東急東横線の元住吉駅西口から始まる商店街の名称です。住所としては川崎市中原区になります。

 以前は元住吉西口商店街という一般的な名称でしたが平成2年(1990)に変更されました。さらに平成3年には本家本元のドイツにあるブレーメン市の商店街・ロイドバサージュとの友好提携にも合意し、名実ともにブレーメン通りの名に恥じないものになりました。

 ブレーメンというと日本人はブレーメンの音楽隊をイメージするかもしれませんが、ドイツでは自由ハンザ都市としての歴史を誇り、人口も55万人という規模の都市です。古くから交易の要衝として重要視されていた都市で、ライン川からエルベ川、北海から南ドイツに向かう交易の十字路に位置しています。

 一方で、共和制自治都市としての歴史も古く、ドイツで最も古い自治都市といえます。神聖ローマ帝国時代でも、帝国自由都市の地位を確保していたほどです。

 こんなブレーメンの冠のついた商店街は、骨で聴くに限ります。
 骨伝導の威力です。

 ⇒ 骨伝導の詳細はこちら