諏訪神社の祭神は、建御名方命と妃の八坂刀売命の二柱です。
大国主命の子供という運命を背負い、出雲から信濃ヘと渡られました。そして諏訪を神居と定め、国土を開拓された神様です。
坂上田村麿が陸奥の蝦夷征伐の途上、諏訪明神へ祈願をこめて奥州路へ下ったといいます。その結果、蝦夷を平定出来たのことを感謝し、諏訪神社の社領を増加し、信濃一国に社殿の修造を賦課し、7年目毎に改造させる制を定めました。
これが諏訪の「御柱祭」の由来と言われています。
寅と申の式年毎に諏訪では式年御柱祭が行なわれるようになり、一方南信州の飯田市にある大宮諏訪神社では、御興渡御の式年大祭が行なわれるようになりました。これは、「大神が信濃の国の統治と発展を心に掛けられ、しばしば巡見せられた遺徳を迎いで、飯田の治平と繁栄の現況を神覧に供する意味からと言われている」(公式ページより)のだそうです。
この飯田での式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練りまつリ」です。
地方都市の典型として街の中心部は寂しい人通りが、このお練りまつりでは信じられないほどの大勢の人が街に出ています。このとき人々が「ねり歩く」ことから、お練りまつりになったといわれます。
骨伝導がなければ喧騒の中で通話は難しいほどの活気です。
実はこのお祭りは、50年程度の休止時期もあったといいます。しかし根付いた伝統の祭りは再興され、出し物も年代により趣好がこらされるようになりました。
特に大名行列や東野の大獅子舞などが伝統を受け継いでいますし、何といっても見応え十分です。骨伝導を使うと耳からではなく骨からもその祭りのパワーが伝わってくる感じです。
今年の3月26日~28日に行なわれたお練りまつりも、また今度見られるのは7年後です。そう思うと貴重な体験だったことに気づかされます。骨伝導と一緒に祭りに参加したことが、次の7年後に繋がっていく気がします。
そんなお練りまつりと骨伝導体験は、経験した人にしか分からないのが本当に残念です。
⇒ 骨伝導の驚異の秘密
また今度もぜひ参加しようと、東京へ帰ってきたのでした。