骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

お練りまつりを骨で聴く

2010-03-30 15:13:52 | 骨で聴く体験記

 諏訪神社の祭神は、建御名方命と妃の八坂刀売命の二柱です。
 大国主命の子供という運命を背負い、出雲から信濃ヘと渡られました。そして諏訪を神居と定め、国土を開拓された神様です。

 坂上田村麿が陸奥の蝦夷征伐の途上、諏訪明神へ祈願をこめて奥州路へ下ったといいます。その結果、蝦夷を平定出来たのことを感謝し、諏訪神社の社領を増加し、信濃一国に社殿の修造を賦課し、7年目毎に改造させる制を定めました。


 これが諏訪の「御柱祭」の由来と言われています。
 寅と申の式年毎に諏訪では式年御柱祭が行なわれるようになり、一方南信州の飯田市にある大宮諏訪神社では、御興渡御の式年大祭が行なわれるようになりました。これは、「大神が信濃の国の統治と発展を心に掛けられ、しばしば巡見せられた遺徳を迎いで、飯田の治平と繁栄の現況を神覧に供する意味からと言われている」(公式ページより)のだそうです。

 この飯田での式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練りまつリ」です。
 地方都市の典型として街の中心部は寂しい人通りが、このお練りまつりでは信じられないほどの大勢の人が街に出ています。このとき人々が「ねり歩く」ことから、お練りまつりになったといわれます。

 骨伝導がなければ喧騒の中で通話は難しいほどの活気です。
 実はこのお祭りは、50年程度の休止時期もあったといいます。しかし根付いた伝統の祭りは再興され、出し物も年代により趣好がこらされるようになりました。

 特に大名行列や東野の大獅子舞などが伝統を受け継いでいますし、何といっても見応え十分です。骨伝導を使うと耳からではなく骨からもその祭りのパワーが伝わってくる感じです。

 今年の3月26日~28日に行なわれたお練りまつりも、また今度見られるのは7年後です。そう思うと貴重な体験だったことに気づかされます。骨伝導と一緒に祭りに参加したことが、次の7年後に繋がっていく気がします。

 そんなお練りまつりと骨伝導体験は、経験した人にしか分からないのが本当に残念です。

          ⇒ 骨伝導の驚異の秘密

 また今度もぜひ参加しようと、東京へ帰ってきたのでした。

                                    

左ト全の住居跡を骨で聴く

2010-03-29 15:53:30 | 骨で聴く巡礼旅

 劇団ひまわりの子役たちで構成された「ひまわりキティーズ」をバックコーラスとした「老人と子供のポルカ」は昭和を代表する曲といえるのではないでしょうか。
 1970年という高度経済成長期に、レコード売上は約40万枚、オリコンの年間第45位という数値だけでなく、歌唱していた左ト全の圧倒的な存在感と、その歌詞の意味は、まさに戦後の昭和という歴史に咲いた曲といえます。

 コミカルさの裏側に 当時の世相を反映するキーワードが数多く見られます。『ゲバ』『ジコ』『スト』の被害者は老人と子供であるという痛切な叫びです。『ゲバ』は学生運動、『ジコ』は交通事故、『スト』はストライキの意味でしょう。
 そういう意味でこれは明確なメッセージソング

 
左卜全(1894-1971)は戦後に活躍した俳優で、歌手としては76歳でのデビューですから、当時は「史上最高齢の新人歌手」として話題になったこともsります。
 黒澤明監督の映画唐に出演し、昭和映画史に残る名優としても記憶されています。

 そんな左ト全の住居跡が世田谷区にあります。
 当時を偲ばせるものは何もありません。東急世田谷線の西太子堂駅から住宅街の細い道を歩き、緩やかな坂道を登った場所に、ひっそりと碑だけがあります。
 現在は現代的なアパートとなり、昭和を代表する人物が生活していた名残は皆無といえます。

 しかし、こんな場所だからこそ、静かに訪れたいものです。
 骨伝導のヘッドセットを使い、「老人と子供のポルカ」を骨で聴きます。
 
 独特な歌声が骨伝導を通して脳へと伝わります。
 静寂な住宅街の中で、骨伝導の威力により増大された昭和の曲が、音符がまさに宙を飛び跳ねるように響きます。さすが左ト全です。

 そして骨伝導です。

 こんな小さな旅も骨伝導さえあれば、存分に満喫できます。そういう意味で恐るべし! 骨伝導といったところでしょうか。

          ⇒ では、その骨伝導とは?

 不況の今、昭和は回想するものではなく、教訓としても意味があるでしょう。左ト全と骨伝導の組み合わせで、改めて考えることになります。

                  

京成船橋駅を骨で聴く

2010-03-25 09:04:56 | 骨で聴く鉄道駅


 京成船橋駅。

 東京の上野と成田や新東京国際空港を結ぶ京成線の中で、1日平均乗降人員が京成線内64駅中で第2位という駅です。その数は91,353人。
 ナンバーワンは押上駅で、東武線・地下鉄半蔵門線・都営浅草線の乗り換えや乗り入れ客がある駅ですので、単独の駅としての京成船橋駅は事実上のナンバーワンといえるかもしれません。

 しかし京成線と並行するJR総武線との関係から、京成船橋駅より東の京成線利用者は、東京の都心に出る際に、この駅でJR線に乗り換えることも多いようです。
 実際、京成線より都心に直通するJRのほうが利便性は高いといえるかもしれません。
 そんな意味でJRと直接繋がっていないものの、乗り換え駅の側面も持つ京成船橋駅ですが、2面2線しかない駅で、規模としては決して大きくありません。ただ、以前は跨線橋や地下道すらもないような駅だったのが、高架により立派になっています。

 こんな駅を骨伝導により骨で聴きます。
 電車の騒音も関係なく、骨伝導により通信できる技術を使い、骨で聴くのです。

 骨伝導とともに訪れる駅は、なぜか癒しの雰囲気があります。それが骨伝導による脳波の関係なのかどうか、京成船橋駅を前にして不思議に思います。

 そんな骨伝導の驚異の秘密を知り、最新製品をお手元におくのも良いでしょう。骨伝導とともに巡る巡礼旅も素晴らしいですし、こんな日常で目にするような駅を骨で聴くのも、もちろん、騒音対策の通信技術としての利用も、骨伝導ならではです。

 だから骨伝導の旅は異世界への入り口なのです。


           ⇒ 骨伝導専門サイトへ

                                     


弘法大師の舞踊を骨で聴く

2010-03-16 09:42:46 | 骨で聴く体験記


 弘法大師・空海が唐に渡り、帰朝してから1200年以上の歳月が流れます。 入唐記念の年、弘法倶楽部が誕生しました。

         ⇒ 弘法倶楽部オフィシャルページへ

 そして金沢では、舞踊が展開されたのです。 国内外でご活躍されている、孝藤流舞踊家元・孝藤まりこさんと、家元のお二人のご子息・右近さんと左近さんが弘法大師・空海を舞ったのでした。
 真言密教の開祖・空海(弘法大師)が入唐し、恵果より阿闍梨の地位を受け継ぎました。遍照金剛となり帰国します。 日本では高野山、東寺を修行の道場として真言宗を確立します。 舞は唐に渡るまえの神童とうたわれた幼少時代から虚空蔵求聞持法を習得するための室戸岬での修行時代、母親の玉依御前、父親の佐伯直田公の視点からストーリーを展開します。


(You Tubeより)

 骨伝導で堪能すると、弘法大師・空海の舞がさらに迫ってくる気がします。
 耳だけでなく骨からも伝えられる骨伝導の威力は、こん場面でも活かされます。

 恐るべし! 骨伝導と弘法大師・空海!
  
        ⇒ 骨伝導の驚異の秘密は           

                        


三島の西福寺を骨で聴く

2010-03-15 19:10:29 | 骨で聴く巡礼旅

 骨伝導とともに巡礼の旅に出てから、早いもので4回目の春を迎えようとしています。今まで数々の霊験あらたかな地に、骨伝導機器をセットして訪れました。
 しかし不思議と時宗の寺院には縁がなかったようで(記憶の世界では)、今回取り上げてみようと思いました。

 時宗の開祖は一遍上人です。
 「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽往生できると説くのは浄土真宗と一緒ですが、時宗の場合、阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説きました。絶対と相対の問題があり、仏の本願力は絶対であると説きます。それゆえ、絶対的な力は信じない者にまで及ぶという解釈をしました。

 一遍上人は諸国を遊行し、広く人々から尊敬されました。踊り念仏も広がりました。  

 一遍上人の弟子に通天がいます。通天により延慶2年(1309)に建てられたと言われているのが、三島の西福寺です。
 弘安5年(1282)に一遍が三嶋大社を訪れた、と国宝「一遍聖絵」に記されていることから、同行した40~50人の信者の中で、7~8人が同時に往生し、この地に葬られまたようです。この後に西福寺が建てられ、現在でもその墓があります。

 『三島市誌』の下巻より引用しましょう。

 -------------------------------------

 南北朝時代の南朝の亀山天皇、第7子常盤井恒明親王(ときわいつねあきしんのう)の皇子と伝えられる尊観法親王(そんかんほうしんのう)が、この寺の第6代目の住職となり、元中4年(1387)遊行上人になりました。このため「菊の紋章」が、現在も庫裏の玄関と、親王の御持仏(ごじぶつ)と伝えられる本堂の成就地蔵の台座に飾られています。

 -------------------------------------

 なかなかに由緒ある寺院といえます。
 場所は三島市の市街地にあり、駅からは三島大社に至る途中にあります。骨伝導を駆使して往来の車の騒音から離れ、境内に入るのはそれだけで癒される気分になります。

 骨で聴く旅は、骨伝導、しかも特許技術に裏打ちされた米軍採用の骨伝導機器でなければなりません。西福寺へ参拝する方はぜひ骨伝導を!

          ⇒ 骨伝導の驚異の凄さを体感!

 骨で聴く巡礼旅に終わりはなさそうです。         

三菱ふそうキャンターを骨で聴く

2010-03-14 22:34:44 | 骨で聴く名車

 久しぶりの「骨で聴く名車」は、いわゆる「トラック」と呼ばれるクルマのキャンターを取り上げます。 

 キャンター (CANTER) は、三菱の中の「三菱ふそうトラック・バス」が製造・販売している小型のトラックです。
 以前は、同じ三菱でも製造・販売は別の企業でした。(1963~1970年は三菱重工業、以後2002年までは三菱自動車工業でした)。
 三菱ふそうというトラックのブランドでは、ヨーロッパでも販売されています。

 積載量は1.2tから1.5tのキャンターガッツと1.75tから最大4.8tまでのバリエーションがありますが、街中でよく見かけるのは2tクラスまでのキャンターでしょうか。
 
 どうしてもトラックはディーゼル・エンジンが主流で、エコとは相反するイメージがありますが、必ずしもそうではありません。日本でも見直して欲しいと思うものです。
 しかし重低音の排気音は、街中に響くことで、こればかりはまだまだお気がします。

 そんなときに骨伝導です。
 騒音の中でも通信できるのは、耳ではなく骨から脳へ伝えるからです。米軍で採用された特許技術・骨伝導スピーカーであれば、トラックのディーゼル音も気になりません。
 三菱のエンジンは一般乗用車も含めて「ツウ好み」が多いですが、骨伝導と一緒なら一般の人にも良さがすぐに分かるのではないでしょうか。
 
 そんなこんなの骨伝導は、

                       ⇒ 今すぐ骨伝導専門サイトへ

 時にはトラックも名車に入れましょう。
 骨伝導があれば大丈夫です。

                         


稲垣来三郎匠を骨で聴く

2010-03-10 10:47:18 | 骨で聴く体験記

 稲垣来三郎匠は味噌や漬物の蔵元で、南信州の伝統的な建築様式「本棟造り」三階建ての古民家を移築再生した店舗があります。

 長野県の飯田市郊外の高台に位置し、アルプスの山々に囲まれた澄んだ空気、豊富な陽光が演出して、何とも心地よい店舗になっています。

 骨伝導機器を持参して、ここを訪れたときのことです。
 重低音を響かせた大阪ナンバーの観光バスが、横付けしていました。中からたくさんの人たちが降りてきます。観光バスも寄る場所なのかと、改めて思うものの、自分だけの宝の空間だと勝手に思っていたことが、なんとなく崩されていく気分も持ちます。
 それくらい魅力的な場所なのです。

 しかし骨伝導のおかげでバスの排気音も気にならず、団体観光客の雑音も平気で、いつも通りの気分を味わい、買い物させていただきました。

 骨伝導の体験がこんな場でもいかされるとは!

 こんな自分だけの素敵な空間には、やっぱり骨伝導ですね。

           ⇒ 今すぐ骨伝導の驚異の世界へ

 南信州は、関東在住者にとって馴染みが薄い地域かもしれません。しかし隠れた穴場がたくさんあります。骨伝導機器を持って、今度の休日にいかがですか?

                 
 

烏森神社を骨で聴く

2010-03-03 16:31:58 | 骨で聴く巡礼旅


 平将門の乱によって、朝廷と地方との関係が旧来の状態から逸脱していきました。そんな天慶3年(940年)、鎮守府将軍・藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国の稲荷神社に戦勝を祈願しました。
 その神社に何と白狐が現れてきたではないですか。そして白羽の矢を秀郷に与えました。
 秀郷は平将門の乱をその矢によって鎮めることができたといいます。
 秀郷は大いに感謝し、新たに稲荷神社を創建しようと考えました。そんな時、秀郷の夢に再び白狐が現れたといいます。

 白狐は神鳥が群がる場所が霊地であるとのお告げをしました。
 秀郷が桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したといいます。

 これが今に伝わる烏森神社の創建伝説です。

 場所は東京の新橋、まさに大都会に位置する神社です。従って境内も決して広くは泣く、猥雑な都市の一部にあります。

 雑踏は騒音が発生し、骨伝導が威力を発揮する場所です。
 耳からでは相手の声も、伝説の音声も届きまません。
 骨から脳へと繋がる音声化回路として骨伝導が生きてくるのです。

 烏森神社も骨伝導と一緒に巡礼です。

         ⇒ 骨伝導専門サイトへ

 そして平将門といえば、隠れた弘法伝説です。弘法大師の霊力・法力が絡む秘話があります。

         ⇒ 弘法倶楽部オフィシャルページへ

 骨伝導とともに都会の巡礼を続けていきましょう!