骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

高過庵・空飛ぶ泥舟を骨で聴く

2017-05-20 17:13:51 | 骨で聴く癒しの世界
東大名誉教授の建築家・藤森照信氏の奇抜な建築と出会いました。
藤森氏は長野県茅野市の出身で、その奇抜なデザインの建築物もその地元にあります。

不思議な傾斜角の神長官守矢史料館は、古代から諏訪大社上社の神官だった守矢家の敷地にあります。



諏訪大社は有名ですが、現在の姿になる以前からの地元神や、その後も続いた諏訪神社の鹿の頭部を供える「御頭祭」の展示も行われています。史料館というイメージが一切ない建物です。

茶室「空飛ぶ泥舟」は目がテンになります。





茶室「高過庵」は、なんだか昔読んだ絵本に出てきそうな印象を持ちました。



一見の価値ある場所ですが、諏訪地方を訪れる一般の観光客にはあまり知られいません。
史料館の人に聞くと、大勢訪れる人といえば、内外の建築関係の人だとのこと。

それでも史料館の諏訪の隠れた歴史とセットで、摩訶不思議な空間を堪能してほしい場所です。





菅塩沼を骨で聴く

2016-04-04 09:59:52 | 骨で聴く癒しの世界
全国に約970点ある一等三角点ですが、一般に風格のある山容、優れた眺望、高い知名度がある山に設置されています。標高も1,000m以上が多いのが特徴ですが、実はこれらに当てはまらない山もあります。

群馬県太田市にある唐沢山です。標高も300mに満たない山で、市民にも一等三角点のある山だということがどれだけ認知されているか、疑問に感じるほど地味な山です。

その唐沢山登山口に相当する場所に菅塩沼があります。
灌漑用として江戸時代初期に築かれた沼のようですが、周辺は水と緑に囲まれ、今の季節は桜です。
延長1500m、沼を囲むようにソメイヨシノ50本が植えられています。

釣り客も多く訪れる場所で、花見の季節は様々な人で賑わいます。
そんな癒し空間を骨で聴きます。
花弁が舞う姿を耳だけでなく骨でも聴きます。
→ 米軍採用・特許技術の骨伝導へ

テル子女神像を骨で聴く

2016-03-24 18:12:37 | 骨で聴く癒しの世界
謎の胸像「テル子女神像」は、世田谷区の三軒茶屋駅からほど近い住宅街にあります。

太子堂の商店街から住宅街に入り、細い路地裏のような場所に忽然と現れる印象です。
国道246号線からは、烏山川に向かって暗渠が繋がっています。当然、下り坂になりますが、暗渠に沿った道路が「下の谷商店街」に出る直前にテル子女神像があります。

隣は木々に囲まれた一軒家で、テル子女神像のまわりには雑草が茂っています。




何ともシュールな印象です。

この地域は渋谷からも近く、世田谷でも三軒茶屋エリアですから地価は高いはずです。
そんな地域に、ぜいたくな土地の使い方で女神像があるというのは、何とも不思議です。

インターネットでいろいろと調べてみると、なるほど、と思わせるような逸話がありました。
しかし伝聞情報だけを無責任に掲載するのは躊躇われるので、今回はこの衝撃的かつシュールな出会いだけを堪能し、周囲の音声を骨で聴きます。

不思議な感覚と、耳だけでなく骨でも聞く感覚は何となく共通するような気もします。
そこで耳を使わない、しかも米軍で採用された特許技術の骨伝導機器をお勧めします。

米軍採用・特許技術の骨伝導専門サイトへ

おそらく三軒茶屋に馴染みのない人は、探しにくい場所だと思います。
正確な住所も調べていません。
でも、もし三軒茶屋に来た際には、探検する感覚でぜひ探してみてください。その際に骨伝導ヘッドセットをお使いになるのがおすすめです。

芝丸山古墳を骨で聴く

2015-11-27 12:04:03 | 骨で聴く癒しの世界
東京の都心部に前方後円墳があるというのは意外な印象を受けるでしょう。

しかし、古墳時代は畿内の倭王権が前方後円墳を単に墳墓というより、技術革新を背景にした政治的シンボルとして巨大化させていく一方で、吉備国や毛野国などをはじめとする地方でも、畿内に勝るとも劣らない巨大古墳が造営されてきました。関東でも毛野国から広まった可能性もあります。

そんな時代的な背景を考えれば、東京の中心部に古墳があっても不思議ではないことになります。
ただ一般的にはあまりイメージできるものではなく、しかも都心部の古墳という知名度が低いといえます。

そこで今回、骨伝導ヘッドセットともに訪れたのが都内で最大級の前方後円墳「芝丸山古墳」です。



全長約106mの前方後円墳ですから、それなりの規模といえます。
明治時代に調査が行われ、出土した埴輪などから、4世紀後半~5世紀前半のものと言われています。
1979年には都指定の史跡として登録されました。ただ残念なことに墳頂部や後円部西側が大きく削られているため。古墳建造当時の姿ではありません。また、古墳の麓には縄文時代後期の「丸山貝塚」も発見されています。

南武蔵族長の墓だったのではと言われています。

芝公園の中にあるので、都会の喧騒に隣接しているもののなかなかどうして、それらしい雰囲気が漂っています。
墳頂部に続く坂道を登っていくと、中腹には「円山随身稲荷大明神」が祀られています。
増上寺が移築された際、ご本尊を守るために、裏鬼門であるこの場所に建立されたものと言われています。都内とは思えない空気が漂っているような感じです。木々が生い茂り、今の季節でも深い緑に囲まれています。鳥居の奥に続く参道と、小さな社のバランスが良く、聖なる空間のような、俗世間から一線を画すような、そんな雰囲気さえ感じます。



古墳の隣は芝東照宮、その先に増上寺。
古代から続く聖地の空気を感じ取った徳川家が廟地に選んだとしたら、まさに江戸幕府繁栄の基礎はここにあったのかもしれません。

今回はこの場で耳だけでなく、骨からの周囲の音声を聴きました。
特に変わった音声が聞こえてくるわけではありません。しかし耳だけでなく骨伝導でも周囲の音声を聴くことで、脳波に変化が生じた気分です。骨伝導で癒し効果、といったところでしょうか。

米軍採用・特許技術の高性能骨伝導ヘッドセットだからこその体験だとしたら、9周年記念キャンペーンを実施している今こそ、骨伝導の驚異的な技術力を手に入れてみるのも良いのではないでしょうか。

 → 骨伝導専門9周年記念キャンペーンはこちら

コノドント館を骨で聴く

2015-10-30 10:45:18 | 骨で聴く癒しの世界
カンブリア紀から三畳紀(6億年前から1億8千万年前)の地層から発見される歯状の微化石で、動物体の一部の化石というだけでその正体は長く謎のままでした。しかし、世界中で発見されたことで、示準化石として様々な成果を挙げてきました。
この各地で発見された化石が魚の歯に似ていたため、円すい状の歯を意味するコノドントと命名されました。

そのコノドントの名を持つみどり市大間々博物館が、コノドント館です。

大間々町は現在、群馬県の東部に位置する「みどり市」になっています。
赤城山の東南麓に位置し、江戸時代には足尾銅山から産出した銅を江戸へ運ぶ銅山街道の中継地として栄えてきました。北部の山間地と南部の平野部の中間で、豊かな自然に恵まれ、旧石器時代から始まる悠久の歴史と民俗が人々の暮らしを育んできました。

コノドント館は、大間々地域の資料を展示する総合博物館として、昭和63年4月に開館しました。

建物も貴重なもので、大正10年に建築された旧大間々銀行の営業所本館と倉庫を修復したものです。大正期の洋風建築として貴重な近代化遺産です。

さて、なぜコノドントなのかというと、1958年(昭和33年)に、日本で初めてコノドント化石が発見したのが当時の大間々町の林信悟だからです。

コノドントの研究は進み、今ではコノドントは、コノドント動物の一部だと言われるようになりました。
約6億年前から1億8千万年前の海にいた、10cmくらいの生き物で、コノドントはその生き物の一部だそうです。

興味深いのは、コノドント動物は、人間などの脊椎動物の直系の祖先ではないかと言われている点です。

小さな博物館ですが、展示内容は盛りだくさんで、結構楽しめます。

折りしも、業務用に販売していた骨伝導イヤーマイクEM20に、スマホ接続専用のEM21が発表されました。
見た目は単なるイヤホン、しかし、普通のイヤホンとは全く異なる優れものです。片耳に装着するだけで、口元にマイクがなくても、しかも騒音の中でも、明瞭に通話相手に声を届けることが可能です。

見た目は対したことのないコノドント、見た目はイヤホン、何となく似ているように感じます。

そんなわけで驚異の技術を体験! → 骨伝導イヤーマイクEM21へ



淡島を骨で聴く

2015-04-07 16:22:39 | 骨で聴く癒しの世界
沼津市の淡島は、かつては無人島でした。
1940年に第二海軍技術廠の「音響兵器部 淡島臨海実験場」という軍事施設が設置されました。しかし終戦により施設は撤去され、再び静かな島に戻りました。
また、ごくわずかな数ですが、漁民も定住するようになったようです。

島が大きく変貌したのは1980年代になってからです。
東京相和銀行のオーナー・長田庄一が淡島全体をリゾート開発しようとして、運営会社を立ち上げました。
現在でも残る水族館をはじめ、プールやパターゴルフ場などを中心とした「淡島海洋公園」が開業しました。

現在のあわしまマリンパークです。

今では老朽化により休止してしまいましたが、日本では極めて珍しい海上ロープウェイがありました。和風の駕籠に似たゴンドラが使用され異彩を放っていたのも今は昔の話です。

さらにバブル経済の象徴ともいえる超高級リゾートホテルが島内に開業したのが1991年でした。

その後、1999年に東京相和銀行は経営破綻しました。
しかし、あわしまマリンパークは、運営会社を移転していることで現在も継続しています。



1週が2キロちょっとの島で、マリンパークの施設やホテルの周辺を除けば、穏やかな海に浮かぶ静かな島です。
興味深いのは、リゾート開発の過程で弥生時代の遺跡が発見されたことです。土器が出土しています。
無人島の時代が長かったように思えますが、古代の遺跡があるということは漁業との関係か、それとも現在も残る島の山頂にある淡島神社とも関係する祭祀や信仰とのつながりか、何とも興味深く思います。

骨伝導ヘッドセットでマリンパークの喧騒から離れ、静かな波の音を聞きます。



耳を使わない骨伝導技術、しかも米軍で採用された特許技術であれば、この癒し空間のBGMが骨の振動から脳へとダイレクトに伝わる感じがします。騒音対策や難聴の方の補助的役割というイメージが強い骨伝導ヘッドセットですが、こんな空間で使うのも実はお勧めです。

ただし、米軍採用・特許技術の最先端レベルの性能がないと、この感覚は分からないでしょう。

   → まだ間に合う! 8周年記念の骨伝導お買い得情報!

まだ海上ロープウェイがあった時代から、随分と久しぶりに訪れて、淡島の音を骨で聴きました。

むいから民家園を骨で聴く

2015-01-09 15:04:34 | 骨で聴く癒しの世界
新春の更新が例年と異なり、かなり遅れましたが、ようやく今年も特許技術の骨伝導の旅が始動します。
昨年は長野県の伊那谷と都内を往復する過酷なスケジュールでしたが、今年はそこまでの激しい移動がないものの、年末年始で体調を崩したのが誤算でした。

それでも世界最先端の骨伝導製品とともに、様々な場所へでかけ、周囲の音声を耳だけでなく骨でも聴くことは続けています。
珍しく、この『骨で聴く異世界』で以前に取り上げた場所へ新年早々多くでかけました。
その中で実はアップしていない場所が一箇所だけあったことに気づき、新年最初の第一歩は、その骨で聴く癒しの場所を取り上げることにしました。

それが東京都狛江市の「むいから民家園」です。
江戸時代の農家を保存している古民家公園ですよ。狛江市の文化財ですが、公園なので、楽しく遊びながら《昔》を体験できるのが特徴です。

何度かこの「骨で聴く異世界」でも古民家のある公園は訪れています。
狛江のむいから園は、よく通る道路沿いにあるので、実はかなり馴染みのある公園です。

新年第一弾とはいうものの、あまりに馴染みがあるので、現在の写真をとっていませんでした。
少し季節がズレた画像をアップしました。



むいから民家園は愛称で、正式には狛江市立古民家園になります。
でもこの「むいから」とは何か、というと、「麦から」の訛りだそうです。
狛江市の地域では、昔、屋根葺きには麦からが多く使われていたことに関係します。屋根葺きといえば、普通は茅が一般的ですが、麦の場合は、茅よりも耐久性がなく、数年で葺き替えなければならなかったといいます。

なぜか古民家の雰囲気は空気振動でなく、骨から脳へと伝える音声が似合う気がします。
それでつい古民家を訪れているのではないかとさえ思ってしまいます。

そんな古民家を背景にして、まだまだ続いている「骨で聴く.com 8周年記念キャンペーン!」にもぜひチェックしてみてください。
割引はもちろん、送料もお得に設定され、しかも製品によっては全額返金まで行っています。
今がチャンスです!

     → 米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ

今年もよろしくお願いします。


8周年を骨で聴く

2014-12-20 12:29:50 | 骨で聴く癒しの世界
米軍採用・特許技術にこだわった骨伝導を使って、異世界への入り口を旅するブログも8周年を迎えました。
耳だけでなく骨からも聴くことにこだわったことで、異世界といっても、癒しや巡礼の荘厳な気持ちを体感したりしてきました。それも中途半端な後術ではなく、爆音の中での通話を可能にしたことで米軍をはじめ各国の軍隊、警察等で使われた特許技術の骨伝導製品だけを扱ってきた結果だと思っています。

初めてこのブログを開設したときは東京駅にほど近い八重洲のビルの一室にました。
米軍採用の骨伝導製品はすごい技術だと絶賛し、これを普及するとともに、各地を訪れて「骨で聴く」旅へと出発したのです。

あれから8年

当時、主力で流通していた骨伝導受話器は完売、次にヒットした骨伝導サングラスも完売、地味ながら流通している「きくちゃん」は未だ健在で、さらにパワーアップしたモデルになりました。
さらに有線だったヘルメット用インカムも、ブルートゥースになり、しかもイタリアのBUHEL仕様となりました。

この8周年を記念して「骨で聴く.com」では年末年始のキャンペーンを実施しています。
製品によっては他の販売店では原価割れに相当する金額もあります。

このチャンスを活かし、耳だけでなく骨からも「聴く」旅に出かけませんか?

  → 骨で聴く.com 8周年記念キャンペーン

音声を聴くのは耳だけでないことが分かるだけでも、貴重な体験になるはずです。
この8年間で多くの癒しの場所、東日本大震災後の復興支援、そして神社仏閣などを訪れました。これからも最先端の骨伝導技術とともに旅を続けていきます。

皆様も少しでもこの体感をご一緒していただける気持ちがあるとうれしく思います。

世界遺産・白川郷を骨で聴く

2014-11-06 15:22:31 | 骨で聴く癒しの世界
マスコミや国会などでも“不要な高速道”の代表例として挙げらてきた東海北陸自動車道ですが、全線が開通し、白川郷インナーチェンジのおかげで世界遺産の白川郷のアクセスが格段に向上しました。

1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定され、1995年には五箇山とともに白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。



白山信仰の修験者や平家の落人伝説とも結びつきが深い地域です。
白川郷の地名としては、12世紀半ばには確認できるものの、合掌造りがいつ始められたのかは定かではないようです。ただ17世紀末、江戸時代では中期にあたる時代に原型ができたと推測されています。



雪深い地域でもあります。
紅葉の時期は厳しい季節に突入するまえの模様替えか、ちょっとしたお化粧のような風情があります。

ただ休日には観光客の喧騒により、本来の静かな集落が様変わりします。経済効果という側面では大きなことです。
個人消費が伸び悩むわが国の観光産業にとって、世界遺産の集落が維持され、そこに国内外の観光客が集まるのはとても喜ばしいことです。それでもなぜか、そこに寂しさを感じるのは、この白川郷も持つ潜在的な歴史のパワーなのかもしれません。

ただ喧騒には骨伝導の活用です。
伝統的な合掌造りの集落と観光客の喧騒の狭間で、米軍採用・世界特許の技術を駆使した骨伝導ヘッドセットを使ってみてはいkがでしょうか。
耳だけでなく、骨からも音声を聞くことで、雑踏のノイズとは明らかに異なる音声が届くのではないかと思います。

     → 世界遺産には世界特許の骨伝導機器を!

秋から冬へ。
白川郷のつかの間の薄化粧。

狛江古墳群を骨で聴く

2014-10-24 11:58:56 | 骨で聴く癒しの世界
東京都狛江市は、小田急線で多摩川を渡る前の都内最後のエリアです。
世田谷区に接し、多摩川を越えた先は神奈川県川崎市になります。
小田急線とともに市内を横断しているのは世田谷通りで、幹線道路です。

そんな狛江市は比較的地味な印象を持ちますが、実は古代豪族の墳墓である古墳が数多くあります。狛江古墳群といわれ、都内でも屈指の古墳群なのです。

今回はそんな狛江市の古墳に触れながら最先端の骨伝導機器を使い、癒し効果を堪能することとしました。

狛江の古墳は、江戸時代後期の書物「新編武蔵風土記稿」等にも見られることから、古くからその存在が知られていたようです。
しかし、その内容については、というと、ほとんど不明の状態でした。

狛江古墳群の中で最大級の規模を誇るのが亀塚古墳ですが、ここの発掘調査が実施されたのは昭和26年でした。
これが狛江での始めての古墳の発掘でした。

この発掘で注目されtらのは、遺骸とともに埋葬されていた数多くの豪華な副葬品の発見でした。「神人歌舞画像鏡」と呼ばれる中国製の鏡、朝鮮半島高句麗の古墳壁画に似た、人物、龍、キリンの図像が彫刻された金銅製毛彫金具等が発見されたのです。

この発掘調査の結果から、実際に発掘を指導した国学院大学大場磐雄教授は、亀塚古墳の被葬者を渡来系の氏族とする学説を提ロ昌したことでも知られます。

その後も狛江古墳群の調査が進み、古墳群の出現時期が5世紀後半で、周辺地域のものよりかなり遅いことが判明してきます。
しかも比較的短期間に造営されたようで、かなりの特殊性が指摘されててきました。




ところが、これまでの定説が一気に覆されることになりました。
旧第一小学校跡地(弁財天池道跡)の発掘調査により、柄鏡形敷石住居跡をはじめとする、数多くの竪穴式住居跡のほか、全くの予想外ともいえる弥生時代末の方形周溝墓という豪族の墳墓と3基の古墳が検出されたのです。最も規模の大きい1号墳は、これまで市内で確認されていたどの古墳よりも古く、方形周溝墓に至っては3世紀末のものでだったのです。

狛江古墳群の出現時期は、以前の定説を覆し、これまでより約半世紀ほど古いことが削明しました、さらに弥生時代末の豪族の存在も明らかになったのです。

当時の日本の中心地域であった畿内でも、渡来人移住の痕跡が認められるようになったのは5世紀末と考えられています。
狛江古墳群が出現した時期に、東国に渡来人が来たことはありえるのかどうか、歴史のロマンが深まります。



古墳は市内に多くあり、これからの歴史の謎が解明されていることと思います。
古墳の中には道路で分断されているものもあります。都心からの距離も手ごろな住宅街として発展してきているため、致し方ないのかもしれませんが、例えば経塚古墳などは、幅10m以上の周溝がめぐり、経典を埋めたという伝承から経塚と呼ばれるもので、通勤・通学で多くの人が通行する場所で、バス通りであり、道路で分断されていますが、何となく古代の息吹を感じるような気がします。

そんな狛江古墳群を骨で聴きます。
耳では聞こえない周囲の音声を骨伝導を使って聞くのです。
別に古代の声が届くわけではありません。ただ骨伝導を使うことで脳波がシータ波になりやすく、癒し効果への誘いとともに古代ロマンへの憧憬が色濃く出てくる感じです。

ただし、骨伝導機器ならどれでも良いということにはなりません。
米軍採用・特許技術の世界最先端の骨伝導機器でなければ、ここまで到達しないでしょう。

     → 世界最先端の骨伝導機器はこちら

狛江市で骨伝導機器とともに古代ロマンを追い求めてみてください。意外とお勧めです。

向方南遺跡を骨で聴く

2014-07-14 10:53:03 | 骨で聴く癒しの世界
フジテレビ系列の「とくダネ!」で取り上げられたり、日経ビジネスでも記事のある骨伝導の特許保有メーカーは、杉並区にあります。米軍に認められ、採用された世界最先端の技術力を誇るメーカー本社が住宅街の杉並区にあるのは少し意外といえます。

そして杉並区の方南は、世界屈指の骨伝導技術を誇るメーカーの所在地だけでなく、遺跡も多くある場所です。
以前から周辺の遺跡について取り上げてきました。都内の遺跡ですから跡形もない場所になっていたり、学校や神社だったりしています。

     → 堀之内熊野神社を骨で聴く(縄文遺跡と後期古墳時代の遺跡)
     → 釜寺東遺跡を骨で聴く(縄文時代後期と古墳時代後期の複合遺跡)
     → 方南峰遺跡を骨で聴く(縄文時代中期~後期・弥生時代後期の出土)
     
今回足を運んだのは向方南遺跡です。
杉並区方南1丁目51番・52番一帯で、神田川右岸の台地縁辺部から低地部に立地しています。

発掘調査により縄文時代と近世以降の遺構・遺物が発見されています。
縄文時代早期前葉の土器と石器が多く発掘され、出土したのは359点で、土器破片の多くはまとまった範囲で接合し、四個体の土器の形状を復元できたとのことです。
この時代の土器が形状を窺い知れるまでに復元できる事例は少ないといいます。

武蔵野台地の石器群の典型的な組み合わせをもつ発掘結果だったようです。
向方南遺跡は神田川流域の縄文時代早期を代表する遺跡の一つであると評価されました。



しかしこの遺跡の場所に行っても何もありません。
杉並区立方南児童館があり、その先に学校があるだけです。

それでも太古より人々が居住してきた場所で、世界最先端の技術が生まれたと思うと、何ともいえない気分になります。
そんな米軍採用・特許技術の骨伝導製品ですが、軍隊だけでなく、難聴者や騒音の激しい工場、バイク用など、一般の方々にも身近になりつつあります。

     → 世界最先端の骨伝導技術を気軽に!

遺跡が裏付ける杉並区のパワーを感じてください。

源義家の鞍掛の松を骨で聴く

2014-06-11 10:55:15 | 骨で聴く癒しの世界
「東京のへそ」「子育・厄除八幡さま」として1000年の歴史を誇る大宮八幡宮の参道を久しぶりに通ることになりました。
東京の杉並区にあるこの神社は、鎮守府将軍・源頼義との関わりが深いのですが、参道に「鞍掛けの松(鞍掛の松)」という同じ源氏でも源義家(1039~1106)由来の樹木がありました。

「江戸名所図会」にも紹介されている松です。
大宮八幡宮から骨伝導の特許保有メーカー「テムコジャパン」方面へ約200m程度向かった参道際にあります。

源義家が奥州遠征の途中に参拝し、ここで下馬し、鞍をこの松に掛けたという伝説です。この松は鞍を掛けやすいように根元付近でまがっているのが特徴です。
しかし松の木そのものは代替わりしているようです。

残念ながら史跡としては風情がまったくありません。
電信柱はすぐ横にあるし、街角にそこだけ異質な様相を呈しているだけのものです。

それでも源氏の武将と関係する伝説や、このような松が続いていることに何だか価値があるように思います。

     ⇒ 大宮八幡宮を骨で聴く

都内のパワースポットとしても知られる大宮八幡宮ですが、何の風情もない参道にこんなスポットが残っている、ただそれだけで癒される気がするのは、もしかして骨伝導ヘッドセットを装着しているからでしょうか。
米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットは、その性能のすごさを癒し方向へも示してくれているのでしょう。

     ⇒ 世界最先端技術の骨伝導ヘッドセット

宮ヶ瀬ダムを骨で聴く

2014-06-02 12:06:37 | 骨で聴く癒しの世界
初夏というより真夏の様相を呈している最近の天候ですが、こんなときには活動的な「癒し」空間へと骨伝導ヘッドセットとともに出かけたくなります。

首都圏から50km圏内の近距離にあり、まだ全線開通には遠いものの圏央道のインター完成によりアクセスが向上した神奈川県の宮ヶ瀬ダムはこんな時期、最適な場所といえます。今回も最先端・米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットとともに出かけました。

   ⇒ 骨伝導ヘッドセットHG40
バイク用骨伝導インカムBUHEL

ライダーであればナビや携帯電話、あるいは好きな音楽を聴きながら出かける場所としても最高でしょう。
その際はヘルメットを一瞬で骨伝導スピーカーに変身させる【BUHEL】がお勧めです。

さて、宮ヶ瀬ダムですが、神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬、愛甲郡愛川町半原、相模原市緑区青山の3市町村に跨るダム湖で、計画発表から29年後の2000年(平成12年)12月に完成したものです。
しかも関東地方では、奈良俣ダムに次ぐ高さを誇り、浦山ダムと並んで、総貯水容量は小河内ダム(奥多摩湖)や矢木沢ダム(奥利根湖)に次ぐ関東屈指の大ダムになっています。

正式発表から完成まで時間を要した理由の一つとして、猛烈な反対運動が挙げられます。
この反対運動により補償交渉は長期化を余儀なくされたのです。結果的に1977年(昭和52年)に水源地域対策特別措置法の第9条指定ダムとして指定されたことで補償費国庫補助の嵩上げ対象となったという経緯があります。



現在は神奈川県の貴重な観光資源にもなっています。
毎週水曜日と第二日曜日には観光放流が行われます。高さ100m付近にある常用洪水吐きの2門のゲートから豪快な放流が4分間、1日2回行われるのです。この豪快な放流を見るために行楽客がダムの真下へと集まってきます。

そんな豪快な水の音は耳だけでなく骨でも聴きたいものです。
米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導スピーカーで聴くことで、さらなる貴重な体験ができそうです。



ダムの先には神奈川県立あいかわ公園が整備されています。
パークセンター、ふれあい広場、子供広場、疎林広場、風の丘、花の斜面、花の森、冒険の森、冒険広場、自然観察林等、様々な施設があり、しかも入園料がないのはうれしい場所です。
ダムまでは徒歩で15分ですが、ロードトレイン「愛ちゃん号」に乗車すれば目の前まで連れて行ってくれます。

1日いても楽しめますから、骨伝導機器とともに出かけるには最適な場所としてお勧めです。

多摩湖を骨で聴く

2014-05-16 10:41:49 | 骨で聴く癒しの世界
東京の東大和市がまだ北多摩郡大和村だった1916年から建設が始まり、1927年までの歳月をかけて完成した多摩湖は、正式には村山貯水池といい、東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖です。東京都内の湖としては、他県にまたがらないという条件で最大の規模を誇ります。

正式名称の村山貯水池には地名の「村山」がついています。
「村山」のつく地名は武蔵村山市と東村山市がありますが、住所としては東大和市に位置することになります。かつての近隣地域の旧地名が「村山郷」だったことに由来するようです。

周辺は都内でも珍しい里山の雰囲気があると同時に、西武園や西武ドームなどの西武系施設があり、隣接して狭山湖(正式名称は山口貯水池)もありますから、盛りだくさんな場所です。湖に沿って散歩するのも悪くありません。
でも一番のお勧めはサイクリングといえるかもしれません。

多摩湖を周回するような形で、東京都立狭山自然公園を通り、西武ドームや西武園ゆうえんちを望む自転車歩行者専用道路があるからです。道幅がそれほど広いわけではないのと、歩行者も利用する道のため高速巡航は危険ですが、非日常空間をサイクリングで満喫するには最高の道路です。

このサイクリング道路は、貯水池の工事に際して誕生した軽便鉄道の廃止にともなってできたものです。資材運搬線だった廃線跡の一部が東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線になり、サイクリングロードとして整備されたものです。

これからの季節、梅雨が訪れる前に、ゆっくりと自転車で周回してみるのも癒し効果を堪能できそうです。

耳をふさがないで通話を可能にした骨伝導ヘッドセットも出番が多く訪れる季節です。
バイク用のヘルメットを一瞬にして骨伝導スピーカーに変える「BUHEL」は人気になってきましたが、一般用の骨伝導用ヘッドセットもこの機会にぜひ活用してみてください。

     → 米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセット

東京から埼玉にかけて展開するこの周辺は、のどかさだけでなく刺激的なこともたくさんあり、意外に知られていないスポットもたくさんあります。元西武線沿線住民としては、あまり知られない隠れスポットへこっそり行って、至宝な空間を堪能しみたりしています。
まずはこの多摩湖で一般的な癒し空間に行って、自分だけのお宝スポットを見つけるのがベストといえるかもしれません。

釈迦堂遺跡を骨で聴く

2014-05-07 10:29:21 | 骨で聴く癒しの世界
東京と名古屋を結ぶ中央自動車道は、ゴールデンウィークの真っ只中には大渋滞を引き起こしました。東名高速と違い、山間部を走り、標高差もあることからアップダウンが多く、最高速度も80㎞/hに制限されています。

そんな中央自動車道は、山梨県の甲府盆地を貫いています。
甲府盆地の東部、京戸川扇状地の扇央地には、中央自動車道建設の際に発掘された遺跡があります。それが釈迦堂遺跡群です。

標高は450メートル前後で、山梨県教育委員会による発掘調査が行われ、多数の縄文時代の竪穴式住居跡や1000点以上におよぶ土偶などが出土したことで知られます。
また、その遺跡の近くにはパーキングエリアもできています。

出土遺物として、土偶は1,116個体を数えます。
この数がかなりのもので、同一遺跡群からの出土数としては青森県の三内丸山遺跡に次ぐ多さといわれます。その土偶は大半が縄文時代中期のものです。
しかも出土した土偶の一部は、意図的な破壊が認められています。

この土偶は国の重要文化財に指定され、さらに縄文時代の土器・土製品3,410点、石器・石製品915点なども重要文化財に追加指定されました。

釈迦堂パーキングエリアからも程近い場所には釈迦堂遺跡博物館があり、出土品はここに保存・展示されています。

速さと快適性を求める移動手段として高速道路がありますが、その副産物として古代のロマンを感じる場所があるのは不思議な対比になります。
ただ通り過ぎるだけでは勿体無いほどの出土数です。

古代の風を想像しながら周囲の音声を骨で聞きます。
やはり高速道路を疾走するクルマの音だけが聞こえます。骨伝導機器としては、そんな騒音に負けない通信手段としての機能のほうが際立ちます。ただし、米軍採用の特許技術を誇る骨伝導製品でないと、そこまでの機能は感じないでしょうが‥。

     → 世界最先端の技術・骨伝導

日本の歴史は知られざる事実がたくさんあります。
特に地方の遺跡と中央との関連についても、まだまだ不明な点も多くあります。
一つの発見で歴史が覆ることもしばしばあります。
釈迦堂遺跡で感じる古代のロマンというものだけでなく、隠れた歴史の真実を求めることも重要なのかもしれません。

骨伝導の技術が進化するように、歴史の視点も変化するのだといえます。