骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

万寿山松応寺を骨で聴く

2016-02-26 11:38:47 | 骨で聴く巡礼旅
杉並区の高円寺周辺にある寺町には、明治末期から大正期にかけて各地から移転してきたことで形成されてきました。
曹洞宗の寺院が多いのが特徴で、今回訪れたのも曹洞宗の万寿山松応寺です。

戦火で本尊の釈迦牟尼仏を消失したため、現在は聖観音坐像が本尊になっています。
宗様式の濃い仏像で、藤原時代の様式を模したと思われるふっくらした円満なお顔に特徴があるといいます。

寺伝によると明暦2年(1656年)に浅草八軒寺町(現在の台東区寿2丁目)に開創されたそうです。
開山は大松寺(現在の北区西ヶ丘1丁目)5世の悦州舜喜大和尚で、開基は雪岩長卯大和尚です。




まず注目したいのは、山門に掲げる万寿山の山号です。
これは江戸時代の高名な書家高玄融の筆になるものです。

江戸時代には武家寺として栄えていましたが、墓地が狭小なことから大正7年に現在地に移転して来ました。

本尊まで消失してしまった昭和20年の戦火は激しく、寺院は全焼し、寺宝・寺録などの全てが消失してしまいました。
そのため寺院の歴史的な詳細は分からなくなりました。




「農政本論」「経済要録」「開国要論」等の著者で江戸時代の農政学者佐藤信淵(1850年歿)の墓があるもの特筆すべき寺院です。

現在では住宅街と一体化した寺町ですが、やはり何となく空気が微妙に異なるように気がします。
それでも耳に入る音は都会のものです。
ここは耳だけでなく骨からも脳に音声を伝えるということで、骨伝導の出番です。
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渋谷氷川神社を骨で聴く

2016-02-24 11:12:58 | 骨で聴く巡礼旅
渋谷最古の神社が渋谷氷川神社です。
渋谷・恵比寿・広尾の各駅から、どこも徒歩で15分程度の距離に鎮座しています。
すぐ隣には國學院大學があります。




まず驚くのが参道です。
渋谷にある神社とは思えない距離と雰囲気があります。

それだけの境内を誇るには、1693年(元禄6年)と、1748年(延享5年)に、奉行所へ差出の図面に境内余地6840坪とあることからも分かります。渋谷にありながら。それが現代まで続いているのが奇跡といえるかもしれません。

もともとは氷川大明神といい、奮下渋谷村、豊澤村の総鎮守で、創始は非常に古いといわれています。、しかし正式な年代の資料がないのが前年です。

1605年(慶長10年)に別当宝泉寺第百代の住職宝円の記した「氷川大明神宝泉寺縁起」によると、景行天皇の巧皇子日本武尊東征のとき、当地に素盞嗚尊を勧請し、その後嵯峨天皇の弘仁年中慈覚大師が宝泉寺を開基し、それより同寺が別当となったとあります。

また渋谷最古の神社として、源頼朝が勧請した、金王丸が信仰したという伝説もあります。



今の社殿にしても、どれだけの回数改築したのかも分かっていません。
ただ氏子町内の寄附によって営まれ1938年(昭和13年)11月3日正遷座したもので、昭和20年の空襲にも社殿は被災しませんでした。
今では都内有数の神社建築といわれています。

また、境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡があるのも注目です。



都内で、しかも渋谷区にあるにも関わらず、静寂に包まれ、緑の多い気持ちの良い神社です。
癒される感じがよくわかります。
そんな空間では耳だけでなく骨でも聴きます。米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドホンを使います。
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西高井戸松庵神社を骨で聴く

2016-02-23 11:04:56 | 骨で聴く巡礼旅
杉並区の五日市街道沿いに鎮座する西高井戸松庵神社は、狐のミイラが安置されている変わった神社です。

バス停近くにある鳥居をくぐってすぐ左手に、狐のミイラが安置されているのです。





この狐はもともと稲荷神社の西側にあった円光寺のそばに住んでいたとされます。
寺の近くには築山があり、穴を掘って狐の母子が住んでいました。

ところが、あるとき隣村の住人が、子狐を殺して食べてしまうという大事件が起こったのです。
子狐がいなくなった母狐は、悲しみのあまり姿を消してしまったと云います。

それからしばらく経ち、円光寺の床下から、干からびた母狐の死体が見つかりました。子を失った悲しみから寺の床下に入ったまま動かなくなり、前足をくわえた状態で餓死してしまったのでした。

それを見た松庵村の人々は不憫に思い、狐を祀る堂を造り、ミイラ化した狐をその中に納めたと伝えられています。





参拝者には残念ながら姿を見ることはできません。その代わり、安置された祠の前には、奉納された大小さまざまな狐の置物が、こぼれ落ちそうなほど並んでいるのが見えます。




この西高井戸松庵神社は、創建年代は不明です。
しかし、この地域の松庵村が開村した万治年間(1658~1660年)以降に創建された円光寺の境内に松庵村内鎮守として創建されたと考えられています。
昭和9年に旧中高井戸村鎮守の稲荷神社を合祀したといわれていれています。

五日市街道沿いなので、よくこの前は通りかかります。
しかし境内に初めて入り、狐のミイラを知りました。
体験しないとわからないことはあるものです。それはまさに骨伝導機器に通じる話です。
耳を使わないで聴くことは、やはり実際に使わないと、本当のすごさは分かりません。

そんなわけで、狐のミイラを知って、骨伝導の世界へ→ 骨で聴く.com




武蔵野神社を骨で聴く

2016-02-22 10:42:35 | 骨で聴く巡礼旅
小平市の青梅街道沿いで、真っすぐできれいな参道が印象的な武蔵野神社。



武蔵野神社の起源は、野中新田開発のときにさかのぼります。
上谷保村(現在の国立市)の円成院住職大堅と矢沢藤八らは、新田開発に当たり全開墾地を12等分し、その1つを社地と寺地にすることに決めました。
新田開発の基礎ができた享保9年(1724年)に、上谷保村から毘沙門天を村の鎮守として野中新田に遷宮したのははじまりといわれます。




それ以来、円成院(小平市花小金井)が管理していましたが、明治維新の際に分離独立しました。
この際、末社として祭ってあった猿田彦大神を村鎮守に祭祀して、社号を「武蔵野神社」としました。

拝殿の横になる猿田彦大神像は、なかなかのインパクトがあります。
天狗の原型ではないかともいわれる猿田彦命ですが、庚申や道祖神などにも関係していることから、交通の神様という位置づけがあるのかもしれません。

また相殿で祀られているのが建御名方命で、力持ち・武勇・農耕などの神様とされています。



狛犬のそばには七福神。
これも何だかシンプルでほのぼのとした印象です。



昭和病院にすぐ近くに鎮座する神社のため、何度もこの前は通っているものの、参道から境内に入っていったのは初めてでした。
とても気持ちの良い神社です。

米軍採用・特許技術の骨伝導製品もこんな場では癒しの道具になります。
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如法山長善寺を骨で聴く

2016-02-21 10:51:59 | 骨で聴く巡礼旅
杉並区の高円寺は、人口に占める20代・30代の若者の比率が多いとされる街です。
もともと杉並区自体が若者比率が高い傾向にある中で、高円寺周辺の、高円寺南二丁目が1位、高円寺北三丁目が3位と、杉並区内でも際立っているといえます。

そんな高円寺ですが、実は寺院の数も多く集まっています。
今回は如法山長善寺を訪れました。



寺伝によると、天正18年(1590年)に円立院日義によって江戸府内の谷中(現台東区谷中)に開創され、最初は実蔵坊と称していたようです。その後、2世長善院日行の時に現在の寺号になったと伝えられています。

5世日成の時代。谷中本村(現荒川区東日暮里)の地に移転しますが、国鉄線路拡張のために再び移転することになりました。

現在地には大正15年に移転しました。この周囲は高円寺の寺町の一角で、各宗派の寺院が団地のように並んでいます。



昭和20年末に火災で堂宇を焼失してしまいます。現在の本堂は昭和34年再建されたものです。

何といってもこの長善寺は境内にある石像です。
金太郎、アリスと七人の小人、ライオン、その他、様々な小動物もあります。



なかなかインパクトの強い寺院です。
この衝撃度は、米軍採用・特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットのメーカーが日本にあることを知ったとき以来かもしれません。
しかもそれが手軽に購入できるというのも凄いことです。
さらに、今なら送料無料というから、寺院の境内に金太郎やライオンが現れるのと同じ衝撃といえるでしょう。

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稲荷鬼王神社を骨で聴く

2016-02-17 11:29:22 | 骨で聴く巡礼旅
全国で唯一の鬼の福授けの社。
それが稲荷鬼王神社です。

鎮座するのは日本で一番の繁華街ともいうべき新宿の歌舞伎町です。

鬼の神社らしく、節分では「福は内、鬼は内」となり、鬼を春の神とみなしています。
しかし、誤解されやすいが、この神社の祭神が「鬼」というわけではありません。



一説には、平将門の幼名を「外都鬼王」「鬼王丸」といったことから、その名をとったともいわれます。
また、神と鬼との関係は、一般にイメージされるような善悪の象徴というものでもなく、これは教科書で教えない日本の歴史に関係するものです。ただこれを語ると、ものすごく長くなるので、ここでは割愛するのが良いでしょう。

天保2年(1831年)、稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社となったというのが由来ですが、実は熊野の鬼王権現は現存していません。
そのため「鬼王」の名を持つ神社としては日本唯一となったのです。

従って祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命で、かつての大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されるようになりました。



境内社「三島神社」も注目ポイントです。
新宿山ノ手七福神の一つである恵比寿神で、開運・恵比寿神社とも呼ばれているそうです。



三島神社の参道わきには、「水琴窟」があります。
手水鉢の水を柄杓ですくい、左下方の紐で巻かれた苔の生えた飛び石を目印に少しずつかけると、地中から弦を弾くような微かな響きが聞こえてくるというものです。





もう一つ、境内の奥にある「富士塚」はにも注目です。
西大久保富士という富士塚で、実はこれも珍しく、多分全国で唯一の、真っ二つに割れた富士塚かもしれません。



新宿の歌舞伎町というものの、最寄り駅は地下鉄の東新宿駅です。
それでも不夜城の一角であるのは間違いなく、周囲は喧噪の街です。このアンバランスさもこの神社の魅力かもしれません。



雑踏と喧噪の街には、騒音対策の骨伝導ヘッドセットが似合います。
スマホには骨伝導イヤホンマイクを装着するのがベストでしょう。
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代田不動堂を骨で聴く

2016-02-14 10:02:34 | 骨で聴く巡礼旅
井の頭線の新代田駅と小田急線の世田谷代田駅は、ともに環状七号線のそばに立地しています。
南側の小田急線側から井の頭線方面へと環七通りを進んでいくと、この外回り側はいつも渋滞していることに気づかされます。
それもそのはず、片側3車線が新代田駅手前で2車線に減るからです。

周囲は完全な住宅街で、環七沿いに飲食店や商店がいくつかあるだけです。
実はこの渋滞区間で、左手にほんの少し入った場所に代田不動尊があります。



ものすごく地味です。
でもなぜか気になる不動尊です。

ここで骨伝導ヘッドセットを装着し、集音マイクからの音声を聞いてみます。
さすがに環七に近いせいか、ディーゼルの重低音は聞こえます。癒し効果は期待できません。

しかし、なぜかこの場に立つだけで、日常のすぐ隣にある異空間を感じます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットは、ここでは実用的な使い方が似合うようです。

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深沢神社を骨で聴く

2016-02-12 11:52:43 | 骨で聴く巡礼旅
世田谷区の閑静な住宅街に鎮座する深沢神社。
小田原城主だった北条氏の家臣で、豆相、下総国の一部を領有していた兎々呂城主・谷岡重頼が、深沢村に永禄7年(1564年)に三島神社の分霊を勧請したものが始まりといわれます。

谷岡重頼は「新編武蔵風土記稿」によると、三島の地も領していて、そのため三島社を尊信し、遥拝のためにこの地に勧請したともいわれます。

この神社が大きく変化したのは大正4年11月のことです。
社殿、神楽殿の改築をする際に、村内にあった7社を移してきました。

慶長3年(1598年)伊勢外宮(天祖神社)、伊勢内宮(伊勢神社)
元和元年(1615年)山城国石清水八幡宮(八幡神社)
寛永2年(1625年)山際御嶽神社、稲荷神社2社を三島神社に合祀

これにより神社名が地名をもとにした深沢神社に改称しました。

片目の鯉の伝説があります。




境内にある弁天社に眼病で苦しむ人々が願をかけ、身替りに鯉の目をつぶして池に放したという伝説です。
残念ながら現在は池はありません。

ちなみにこの地は、北条氏の家臣・南条右京亮重長の城があったといわれます。
現在は神社の隣は公園になっていて、子供たちが寒空の中でも元気に遊んでいる姿が見えます。



地域に愛されている神社という雰囲気です。
そんな空間を骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドホンと集音期の組み合わせで、深沢神社の放つエネルギーを耳だけでなく骨からも聴きます。
少しスピリチュアル的な気分で、骨伝導機器の宣伝です。
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大久保・夫婦木神社を骨で聴く

2016-02-11 14:56:32 | 骨で聴く巡礼旅
山手線の新大久保駅から大久保通りを東に進み、狭い路地に入った先に鎮座する夫婦木神社へ、米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに参拝に行きました。

大久保のこの周辺は完全な住宅街で、昔から居住する人たちと、小さなアパートに世界のあらゆる人種が住む街です。
神社はまさにそんな住宅に埋もれるような形で鎮座しています。





何といっても珍しいのは、拝殿がまるでアパートの2階にあるかのような構造です。
路地のような参道を進み、アパートの外階段のような場所登るとそこが拝殿です。



淡路島に鎮座する伊邪那岐大神、伊邪那美大神の分霊を奉願し、「霊気満ち足りたこの地を御座所と占い定めて奉斎」したというのです。新宿の大久保周辺が「霊気満ち足りたこの地」というのは、何とも不思議な感じを抱きますが、神様の世界の話なので、そういうものなのかもしれません。

爾来縁結び、子授け、安産、和合、子孫繁栄、延命長寿等ご利益の高い神社と称えられ、またこの夫婦木神社の御祭神をホテルや結婚式場の神殿に奉斎し、神殿結婚式をしていたりするようです。



神社の名称からして、結婚式にふさわしいことは間違いないでしょう。
ただ、この拝殿は何ともいえません。

一度、ぜひ肉眼で確認して頂きたい神社です。
そんな夫婦木神社を骨で聴きます。
周囲の音声は、たまたま近くで工事をしていたので、警備員の声でした。
あまり耳だけでなく骨から聞いても意味はありませんでした。

それでも世界最高レベルの骨伝導技術のすごさは分かります。
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東松原駅を骨で聴く

2016-02-10 11:37:37 | 骨で聴く鉄道駅
京王井の頭線は渋谷と吉祥寺という繁華街同士を結ぶ路線で、路線距離が12.7kmなのに、起終点駅を含めて全部で17駅もあります。そのせいか、駅間は短いのが特徴で、全線が武蔵野台地上を走るため、基点の渋谷駅から終点の吉祥寺駅までほぼ上り片勾配の路線です。

実は井の頭線の駅は結構「骨で聴く異世界」には登場していて、渋谷・吉祥寺の他、新代田、駒場東大前、明大前、永福町、西永福、井の頭公園、神泉、高井戸、池ノ上と、全部で11駅になります。

今回、抜けていた東松原駅へ米軍採用・特許技術の骨伝導機器とともに降り立ちました。

地上駅で橋上駅舎を持つ構造ですが、橋上駅になったのは1990年(平成2年)からです。
それ以前はホーム有効長が4両分しかない駅で、ホーム両端に踏切がありました。駅舎は吉祥寺側でした。
そのため、井の頭線車両が大型化することになり、渋谷側の踏切を廃止し、ホームを延伸しました。このときに従来の駅舎を廃止し、橋上駅舎の形態に改築したものです。

駅間が短い路線ですが、隣の駅・新代田駅との距離はわずかに500m程度です。
そのせいかどうかは分かりませんが、隣の新代田駅は環八沿いに駅舎があり、商店街らしい光景はありませんが、東松原駅は周辺がいかにも住宅街にある商店街といった雰囲気があります。

急行は停車しないので、ある意味で地味な存在なのかもしれませんが、駅周辺は古くから続く商店街の雰囲気が何とも言えない雰囲気を出しています。
そんな空間を骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで通話すれば、耳からは商店街の音声、骨からは通話先の声が届いてきます。
このミックスした感覚が東松原駅の新しい発見になるかも(?)しれません。

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東大泉・天祖稲荷神社を骨で聴く

2016-02-09 12:23:29 | 骨で聴く巡礼旅
民家なのに神社という珍し神社・中村八幡神社に行きましたが、今回はその第二弾ともいうべき訪問です。
西武池袋線大泉学園駅から、東映の方向へ進んだ場所に鎮座する天祖稲荷神社です。

ここは中村八幡神社とは異なり、鳥居から参道がまっすぐ伸びています。



都内の住宅街や商店街などでよく見かける神社の外観です。



しかし、住宅の合間にある細い参道を進んでいくと、参道突き当たりの建物がよく見えてきます。
まさに民家です。
神社とはいえ、玄関の引き戸を開ける雰囲気ではありません。

よく周囲を観察すると、隣の家の塀との隙間から鈴の紐がかかっているのを発見できます。
塀との隙間は、おそらく1メートルもないような狭さです。
一般の民家の敷地への不法侵入のような気持になりながら、この路地に入っていきます。

格子戸があり、ここで参拝できるよになっているようです。



拝殿なのは間違いないようですが、あまりに狭く、しかも他人の家の軒先に忍び込んだ雰囲気が満載です。
話のネタに訪れてみるのも悪くないかもしれません。
そんな神社です。

話のネタといえば。耳を使わずに聴くことができる骨伝導ヘッドセットや、口を使わずに通話ができる骨伝導マイクなどを体験するのも面白いかもしれません。しかも実用的であればいうことありません。
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粕谷八幡神社を骨で聴く

2016-02-05 14:24:28 | 骨で聴く巡礼旅
蘆花恒春園の隣地に鎮座する旧粕谷村の鎮守が粕谷八幡神社です。
実際には隣接というより、公園の一部になっているように見えます。

そのため、徳富蘆花夫妻の墓と境内はかなり近い位置になるといえます。



蘆花恒春園は、明治・大正に活躍した文豪・徳富蘆花の旧宅が、没後、東京市(現:東京都)に寄贈されたことで誕生した公園です。
緑が多く、かつての武蔵野の面影が残った公園です。
徳富蘆花の旧宅には、蘆花記念館、秋水書院、蘆花自身の手植えの竹林などがあり、晩年の蘆花の生活ぶりを垣間見ることができるようになています。

さて、粕谷八幡神社ですが、創建年代は不詳です。



別当寺の東覚院の創建が室町時代か鎌倉時代ともいわれることから、粕谷村が開村して以来の鎮守社であると考えられます。
明治6年には村社に列格していました。

粕谷村はこの地域の地名でしたが、現在では環状八号線が神社のすぐ近くを南北に貫き、交通の大動脈によりのどかな風景は蘆花恒春園の中だけになってしまいました。

社殿は昭和34年に放火により全焼してしまいました。
氏子や崇敬者の努力により、同年中に新社殿が完成しました。鉄筋コンクリートの社殿です。
放火の悲劇があったことから、木造ではないかもしれませんが、これにより社務所も同時に竣工しました。




正面鳥居のそばには杉の木があります。
現在は枯れてしまい、かつての面影はないようですが、この古木が、盧花の名著「みみずのたはごと」に出てくる「別れの杉」として名高いようです。

そんな粕谷八幡神社を骨で聴きます。
環八の騒音に隣接していることを考えると、騒音対策の骨伝導ヘッドセットを使いたくなりますが、公園内の散策やドッグランなども堪能するとなると、純粋に耳だけでなく骨で聴くことを楽しみたいです。

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桜神宮を骨で聴く

2016-02-04 10:49:51 | 骨で聴く巡礼旅
神社本庁に属していない神社で、参拝方法も二拝四拍手二拝になっている桜神宮は、大山街道沿いに鎮座しています。
世田谷区で田園都市線の桜新町駅からほど近い位置です。

古式神道を受け継ぐ大神の宮として誕生した桜神宮は、明治初期の神官教導職分離の時期に組織した神道教派で教派神道十三派の一つである神習教になります。
美作国(現在の岡山県真庭郡)出身の神道家・芳村正秉が神社や神道のあり方に対して問題意識を持ち、本来の神道の姿に復することを目的として形成されたものです。
そのため、伝統的な神道的価値観を教義の柱とし、天照大御神をはじめとして神道古典にある天津神、国津神を祀っています。




社殿は明治16年に神田に創建されました。
「病気治し」や「火伏せ」の神徳があるといわれ、多数の人が参詣したという記録があります。
外務省の紹介やパーシヴァル・ローウェルの著書の影響で、多くの外国人も参詣に訪れたようです。

現在地への移転は大正8年で、「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託によるものだそうです。
関東大震災がその後に発生し、元の場所である神田界隈のは相当な被害を受けましたが、桜神宮は移転後だったため、災害から免れることができました。 第二次大戦時も戦災から免れることができたことで、「災難よけ」でも崇敬を受けるようになりました。




祭神の数が多いのも桜神宮の特徴といえるでしょう。
何とその数19柱です。
古事記開巻第1の神である天御中主神から始まり、天照大神、大国主神、稲荷大神、天神等々のいわば「人気の神様」というか、馴染のある神が並んでいます。

商店街の並びにある神社ですが、古式神道の静謐な感じが伝わる境内で、地元の人たちからも崇敬されているのがよくわかります。
そんな桜神宮を骨で聴きます。
耳だけでなく、骨から伝わる音声を脳でキャッチし、この独特の聖域を堪能するもの悪くありません。
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深沢・中村八幡神社を骨で聴く

2016-02-03 10:54:12 | 骨で聴く巡礼旅
2011年3月に練馬区の中村八幡神社へ行った際、神域としてかなり気持ちの良いところだと思いました。そのため都内のおすすめ神社のベスト5に入るほどだと考えています。
実は世田谷区にも全く同名の神社があると聞き、別段、両社は関係ないでしょうが、名前にひかれて訪れてみました。いつものように米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに訪問です。

 → 中村八幡神社を骨で聴く

練馬の中村八幡神社は地名が「中村」ですから分かりますが、世田谷のほうは地名が深沢です。
創建年代、由来等、よくわかりません。

場所は駒沢通りで環七を超え、駒沢公園を超え、日本体育大学まで行かない手前で住宅街に入った先にあります。
クルマで完全に通り過ぎました。一方通行なので、ぐるっとまわって戻ってきました。




古い民家の前に鳥居があるだけの神社でした。
それでも手水鉢があり、小さな狛犬もあります。

社頭には庚申塔もあります。



正面方向から見なければまず神社だと気が付くことはないでしょう。
完全に民家のスタイルで、両側はブロック塀です。民家と異なるのは門の代わりに鳥居があるくらいです。
通常の神社のイメージからはかけ離れた姿です。
もし鳥居がなければ、普通の一軒家です。当然ながら参道もありません。

何とも珍しい八幡神社で、周囲の音声を骨で聴きます。
関税な住宅街です。しかもかなり高級住宅街の雰囲気です。それだけに異質な空間がここに漂っています。
耳だけでなく骨から脳に伝える音声もなんだか不思議な音色に感じます。

そんな異世界を堪能する骨伝導機器は「骨で聴く.com」でどうぞ。
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都内なのに参道が250メートルもある久富稲荷神社も世田谷では珍風景の神社だと思いましたが、この中村八幡神社も珍しさでは負けていません。

 → 久富稲荷神社を骨で聴く


善養密寺を骨で聴く

2016-02-02 13:18:33 | 骨で聴く巡礼旅
世田谷区の外れ、国分寺断崖線と丸子川が接する住宅街にある善養寺。正式名称は影光山仏性院大毘廬遮那殿善養密寺で、、京都の智積院の末寺です。

世田谷の珍寺として一部の人には知られています。
その雰囲気は寺院に入る瞬間から感じられます。




石像が並んでいるものの、あまり寺院という感じではなく、統一されたコンセプトを感じないところが異界の雰囲気です。

山門の先、右手に隠れるように河童の石像も現れます。



数珠を手にした河童で「多摩川の精・たま坊」という名前もあります。
その河童の背後には善養寺のカヤと呼ばれるカヤの大木が生育しています。このカヤには豪族の娘が助けた沢蟹親子の恩返し伝説があるそうです。




周囲は様々な石像や凝った空間が広がっています。





注目なのはガネーシャです。
なかなか日本の寺院ではお目にかかれないので、何ともいえない存在感を醸し出しています。



本堂は奈良の唐招提寺金堂を模したものだそうで、鴟尾一対が載った瓦葺き、寄棟造りの屋根が特徴です。



不思議な石像に囲まれた珍寺ですが、歴史はあります。
江戸時代以前には、この寺は現在地ではなく深沢村にあったと伝えられています。
祐栄阿闍梨という僧が、本山の智積院で修業を積み、深沢村へと戻ってきたものの、彼が不在の間に寺は荒廃していました。
そこで慶安年間に下野毛村字根通りに寺を移転したと伝えられています。

現在地への移転以前の善養寺については文献がほとんどなく、分からない点は多くあります。

また、玉川八十八箇所の32番札所で、玉川二十一箇所霊場では14番札所になっています。

境内から鎌倉時代から室町時代にかけて造られた板碑が18基出土しているのも特徴です。

そんな珍しい寺院ですから、耳だけでなく骨でも聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導音声増幅器を使って周囲を聞きましょう。

巡礼の雰囲気が満載です。
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とにかく、ここはおすすめに寺院です。