骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

久米川古戦場跡を骨で聴く

2010-09-27 23:41:21 | 骨で聴く癒しの世界

 スタジオジブリ制作の映画「となりのトトロ」では「七国山」として登場した八国山は、東京都東村山市の緑地公園です。八国山は標高わずか89.4mで、なだらかな丘陵地帯といえます。

 そんな八国山に骨伝導機器とともに向かったのは、源氏・徳川氏の流れから新田義貞の古戦場跡を訪ねるためでした。

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 徳川氏と源氏の新田氏の関係は、満徳寺で触れました。

          ⇒ 縁切寺・満徳寺を骨で聴く

 つぎに新田義貞と巨大古代寺院との逸話にも触れました。

          ⇒ 武蔵国分寺を骨で聴く

 元弘3年(1333年)、足利氏と同じ源氏の血をひく新田義貞は上野国生品神社で兵を挙げました。鎌倉幕府を打倒するための兵です。
 新田義貞の率いる軍は、新田一族や上野・武蔵周辺の豪族を集め、兵を増加していきました。足利高氏(のちの尊氏)の嫡子である千寿王(のちの足利義詮)も合流したことで、武蔵七党も軍に加わり、新田軍は数万規模に膨れ上がったと言われています。

 新田軍は鎌倉街道に沿って南下していきました。入間川を越え、小手指原の戦いで勝利し、幕府軍とは久米川での戦いとなりました。

 新田義貞は八国山から指揮をとったといわれています。その頂には将軍塚の碑があります。
 
 久米川古戦場跡は、現在では八国山に隣接する住宅街となっていました。碑があるだけで、住宅地の空き地に建てられたような地味な存在です。

 骨伝導ヘッドセットを使い、耳には聞こえない音を聴きます。
 しかし緑地公園に隣接した住宅街の物音しか聞こえません。現代の音です。骨伝導によりかすかな振動から脳へと伝わる回路に、古戦場の音は届きません。
 それほどまでに現代的な地域です。
 
 癒し効果は骨伝導により脳波との関係で生じます。しかしここでの戦いのシーンは想像するのが難しい感じです。それでも戦いによる死者が眠る地です。骨伝導ヘッドセットのまま合掌します。

 時にはこんな骨伝導の旅も良いかもしれません。

                                        

武蔵国分寺を骨で聴く

2010-09-25 18:03:06 | 骨で聴く巡礼旅

 東京の古代寺院を骨伝導サングラス、骨伝導「きくちゃん」とともに訪れました。もちろんバイクに乗り、骨伝導コミュニケーション・ツールとしてのシェルショッカーも一緒です。

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 場所は東京都国分寺市。
 かつて武蔵国に置かれた国分寺と国分尼寺という古代寺院の跡地は、国分寺崖線と呼ばれる段丘の下にあります。交通量の多い府中街道とJRでは武蔵野線が近くを通る場所に位置しています。

 現在の国分寺は、小さな寺院ですが、かつては大寺院でした。

 奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇・光明皇后は社会不安の続く国内を仏の力で安定させるため、全国60余国に国分寺・国分尼寺の建立を命じました。 そのひとつが武蔵国分寺で、聖武天皇の詔が出されてから、約50年ほどでほぼ完成していたようです。承和2年(835年)は七重の塔が落雷によって焼失し、その後再建され、200年間は維持されていたようです。

 その伽藍は、諸国の国分寺中でも有数の規模であったようです。
 推定される寺域は、僧寺金堂を中心に東西1,500m.、南北1,000m.に範囲におよぶとみられるほどです。

 元弘3年(1333年)、源氏の新田義貞は上野国新田庄で鎌倉幕府討伐の兵を起こし、分倍川原で幕府軍と戦い大敗します。その際に武蔵国分寺に火をかけて焼き払ってしまったといいます。
 約600年間続いた巨大な古代寺院が、ここで全てを消失してしまいます。

 幕府の保護を受けていた国分寺に火をかけるとは、幕府側も想像していなかったのかもしれません。幕府軍は寺院の救済に当たり、義貞軍を追うことも出来なかったとも言われています。
 しかし義貞も、のちの建武元年(1334年)、黄金300両と伽藍200目などを武蔵国分寺に寄進し、さらにその翌年には義貞により薬師堂を再興しています。

 それだけ存在感のある巨大な寺院だったのです。
 しかし、今は遺跡として地上に残されたものはほとんどなく、史跡の上を秋風が吹く限りです。

 発掘や研究は続けられています。
 現在は南大門地区の調査をおこなっていて、来年度からは塔地区、平成25年度からは現在の国分寺のある北方地区の発掘調査をおこなう予定になっています。

 こんな古代寺院にふく風を骨で聴きます。
 骨伝導と歴史の音声は相性が良いようで、耳では聴こえない音声が不思議と「時の声」として届くような気がします。
 もちろん気のせいといえばそれまででしょうが、長い歴史に埋もれた地域から伝わる音声が、骨伝導によって脳へと伝わり、癒し効果までもたらしてくれる気がします。

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 長い夏が終わったこの季節、骨伝導とともに歴史の旅に出かけましょう!

                                  


国宝・正福寺地蔵堂を骨で聴く

2010-09-20 18:57:00 | 骨で聴く巡礼旅

 敬老の日、東京都内で唯一国宝に指定されている建造物・正福寺の地蔵堂へ行きました。もちろん骨伝導ヘッドセット、骨伝導サングラスと一緒の訪問です。

 場所は東村山市。
 鎌倉街道が通り、秘めた歴史が残る街です。

 東京都では唯一の国宝の建造物は、京都や奈良の国宝建造物とは少し異なります。関東では、寺院の建造物として国宝になっているのは鎌倉の円覚寺舎利殿と、今回訪れた東村山の正福寺地蔵堂だけです。
 二つの国宝は鎌倉街道で繋がり、しかも姿が瓜二つといえるほど酷似しています。

 東京の郊外らしい新興住宅地と昔ながらの農家が入り混じり、武蔵野の面影も一部に残す東村山に、国宝は突然現れます。この出現は、あまりに唐突で、「本当にこれが国宝?」と思うほどに無防備な状態です。
 住宅街に普通に存在する檀家寺の境内に、なぜか国宝建造物があるという感じです。

 山門から正面にあるのが地蔵堂で、応永14年(1407年)の室町時代建立とされています。国宝に指定されたのは1952年です。

 入母屋造の屋根の端部が反り上がっています。

 この外観は禅宗様(唐様)特有のもので、内部は間仕切りのない一体の空間となっているようです。

 禅宗様(唐様)とは、鎌倉時代の初期に禅宗とともに伝えられた寺院建築です。

 敬老の日らしく、老人達と子供達の声が境内にこだましていました。少し耳の遠い老人は、どうしても声が大きくなります。骨伝導「きくちゃん」を使えば、国宝の周囲に相応しい声のボリュームになることでしょう。

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 東京都内で唯一とはいうものの、敷居の低い国宝建造物は庶民の憩いの場でもあるのかもしれません。それはそれで畏まらず、素敵な存在といえます。

 そんな国宝を骨で聴きましょう。骨伝導の威力が活かされます。

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 敬老の日に、こんな素敵な場所に訪れたことに感謝!
 骨伝導にも感謝!

                                  


三崎稲荷神社を骨で聴く

2010-09-17 16:28:17 | 骨で聴く巡礼旅


 中央・総武緩行線の水道橋駅と中央線快速電車が通過する高架駅のすぐ隣は、まさに電車の騒音に包まれています。携帯電話でも相手の声が聴き取りにくいこともしばしば。
 こんな場所では耳を使わないで「聴く」ことのできる骨伝導が有効です。特許技術で米軍採用の骨伝導なら、なお安心です。

 三崎稲荷神社はまさにそんな骨伝導が必要な地に鎮座しています。
 霊的な聖地が騒音に包まれた地域です。

 これは騒音の原因をつくっている中央線(かつての甲武鉄道)の開通にも関係して、現在地に鎮座しているのです。

 かつて、神田から本郷にかけては三崎村と呼ばれていました。実はその村の鎮守が三崎稲荷神社だったのです。村の鎮守です。
 三崎の地名は、日比谷入江に突き出した「岬」だったことが由来とされています。

 この神社が最初から稲荷神社だったかどうかは分かりません。
 徳川家康は江戸の都市を形成するのに際し、駿河台の山(丘)を削り、その土砂でもって日比谷入江を埋め立てました。このとき三崎神社は現在でいう文京区エリアに移転させられました。
 次に万治2年(1659年)です。神田川の改修工事により、再び移転させられ、さらに幕末には、「講武所」を設置する計画により移転となりました。
 最後の移転は、明治38年(1905年)の鉄道開通です、

 全部で4回移転を繰り返し、現在の骨伝導が必需品になるほどのエリアに落ち着いたことになります。

 それでも江戸の中心地に近い神社だけあって、逸話は日本史規模です。
 江戸幕府三代将軍・徳川家光は自ら三崎稲荷神社を参拝し、お稲荷様を崇敬したといいます。参勤交代で江戸に集まる諸大名にも信仰を進め、江戸に来る大名たちは、必ず三崎稲荷神社に参拝し、心身を清めたといわれています。
 実際、三崎稲荷神社は、中山道、奥州街道、水戸街道の出発点、終着点にあたるといえます。 「清めの稲荷」という別名を持つ三崎稲荷神社の誇りともいうべきものです。

 ちなみに、大隈重信なども海外旅行に先立って参拝に訪れたようです。
 そういう意味では、現在でも旅行の神様として信仰を集めているのかもせん。
 骨伝導とともに「骨で聴く」旅も、安全を願って参拝しましょう。

 稲荷神社なのに狐はなく、なかなか魅力的な狛犬がいる境内は、都会の神社らしく狭いながらも整然としています。

 やはり境内で骨伝導サングラスや骨伝導「きくちゃん」を試したくなります。
 そんな大都会の神社です。

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 敬老の日には骨伝導とともに祖父母を連れて行き、江戸の時代を思い浮かべながら、骨伝導の威力を感じさせてあげたいと思います。

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上野駅を骨で聴く

2010-09-15 10:33:26 | 骨で聴く鉄道駅

 東京駅と並ぶ巨大ターミナル・上野駅です。
 上野駅開業時より日本を代表するターミナル駅であることは、駅としての誇りといえるでしょう。東北、上・信越方面の各路線が発着することから、東京の「北の玄関口」として機能してきました。
 また埼玉・茨城・群馬・栃木に延びるJR各線の中距離電車の基点であり、旅行客だけでなく通勤客もここでの乗り換えが多く見られます。

 しかし主要鉄道路線のターミナル駅としては、乗車人員が1日平均178,413人という数字で、JR東日本では第13位にランクインされています。その前の12位が川崎駅で、数字だけでみれば多いといえるでしょうが、規模に対しては比較的低順位といえます。
 新宿駅・池袋駅・渋谷駅とは残念ながら比較にならに数字といえます。

 ただこの数字は、改札を通過しない乗り換え客が入っているわけではなく、乗降人員には計上されません。そのため、上野駅の場合、実際とには乗り換え客が圧倒的に多くかなりの混雑が見られます。
 顕著なのは平日の朝、通勤時間帯で、上野止まりの宇都宮線・高崎線・常磐線方面から山手線・京浜東北線のホームに流れる人の波が絶えず続いています。
 これは、山手線と京浜東北線の上野 → 御徒町間の平均乗車率215%という数字が照明しています。まさに日本一の混雑区間といえるでしょう。

 この解消策として東北縦貫線が進められています。
 これは上野発着から東京駅を経由して東海道線に乗り入れるというものです。新宿湘南ラインのようになることです。

 実際、新幹線は「北の玄関口」を過ぎて東京駅に集結していますので、在来線も同様にすることは機能的といえるでしょう。
 ただそれで上野駅のターミナル機能はますます低下することは確実といえるでしょう。これも時代の流れかもしれません。

 さて、話題を変えて混雑には骨伝導です。
 雑踏の中、しかも駅構内で絶えず電車が発着する場面では、携帯電話に着信があっても通話先の相手の声がよく聴こえないことが多々あります。
 こんなときに骨伝導を活用すれば、相手の声はよく聴こえます。周囲の騒音は一切関係ありません。爆音の中で通話を可能にし、実際に米軍だけでなく各国の軍隊で採用されている特許技術の骨伝導スピーカーの威力です。
 
 上野駅には骨伝導を用意しましょう。
 特許技術専門の骨伝導販売店がお勧めです。

          ⇒ 骨伝導専門「骨で聴くドットコム」

 騒音対策を骨伝導で解決すると、上野駅の新たなターミナルとしての夜明けが訪れるかもしれません。

            

徳川永徳寺を骨で聴く

2010-09-14 17:00:33 | 骨で聴く巡礼旅

 別名を「さつき寺」という徳川永徳寺は、寺伝によると創建が大同元年(806年)で、開山は天台宗の開祖である伝教大師最澄の弟子・宥海(ゆうかい)といわれています。かなり古い歴史を持っています。

 新田義重の四男、徳川(得川/世良田)義季が建久3年(1192年)に得川に居舘を定めると、薬師如来を信仰し、ここを祈願所にしたといいます。義季の後は、庶子である得川頼有(下野四郎太郎)が得川郷を継承し、嫡子世良田頼氏が世良田郷を継承したとあります。
 江戸時代には徳川家発祥の地として、永徳寺に50石の朱印地を拝領したといいます。

 ここは以前に取り上げた満徳寺のすぐ向かいにあり、徳川家の歴史とともにある寺院といえます。

          ⇒ 縁切寺・満徳寺を骨で聴く

 骨伝導「きくちゃん」を装着した状態で境内に立ちます。

          ⇒ 骨伝導「きくちゃん」

 特許技術の米軍採用実績のある骨伝導スピーカーから境内の静かな調べが届いてきそうです。風の音までが癒し効果を与えてくれます。
 敬老の日に、老人性難聴の傾向がある人へ、骨伝導「きくちゃん」とともに、こんな時間と空間のプレゼントも良いかもしれません。

 徳川の歴史と天台宗の古刹、そして特許技術の骨伝導という組み合わせです。
 敬老の日を特集して、いまならプレゼント用骨伝導機器はお買い得といえるでしょう。今すぐチェック!

          ⇒ 骨伝導「敬老の日」特集

 暑い夏から人の声が恋しい秋には、やはり骨伝導です。

                                       

カトリック神田教会を骨で聴く

2010-09-12 06:43:03 | 骨で聴く巡礼旅

 ロマネスク様式の外観が東京・神田の街に突如出現することに、しかも周囲はいかにも神田らしい昔ながらの街並みであることに、ある種の意外さと違和感、それに目にしたときの荘厳さが一緒になって現れます。混在化した存在として、まさに素晴らしい出会いが生じたことを実感させられます。

 カトリック神田教会との出会いはそれほどにインパクトがあります。

 この聖堂はバシリカ形式の三廊式聖堂で、半円アーチを基調とした開口部、ロンバルド帯風の軒蛇腹、四葉をモチーフとした胴蛇腹が外観を飾っています。
 この聖堂は国の登録有形文化財に指定されています。

 設計者はマックス・ヒンデルといわれ、上智大学1号館の設計者です。

 骨伝導とともに教会の前に立ちます。残念ながらパイプオルガンは奏でられていなかったですが、荘厳な雰囲気を耳ではなく骨で聴くことに感激します。

 カトリック神田教会は、日本のカトリック禁教という歴史に終止符が打たれてのち、日本人のためのカトリック教会として早い段階で誕生した稀有な存在です。
 それだけに日本でのカトリックの悲しい歴史を一心に受けたような雰囲気すらありあます。もちろん「気のせい」というレベルのものかもしれません。
 それでも骨伝導ヘッドセットや骨伝導サングラスでお気に入りのBGMを聴きながら、そんな悲しい歴史すらも考えてしまうのは、それだけの存在感を持っているからといえるでしょう。

 水道橋からブラブラと歩いていて、骨伝導ヘッドセットから聴こえる聖なる音の正体、それが神田教会ということです。

 ところで骨伝導とは? 敬老の日が近い今、聖なる調べと骨伝導を

                     ⇒ 特許技術の骨伝導専門店

 敬老の日、老人性難聴、聖なる調べ、神田教会、そして骨伝導‥

                              


上毛高原駅を骨で聴く

2010-09-06 17:54:16 | 骨で聴く鉄道駅

 夏を利用して群馬県の知られざる地域を骨伝導ヘッドセットとともに放浪していますが、記事をアップする時間がなく、9月になっていましました。
 今回は上越新幹線の上毛高原駅を「骨で聴く」ことにします。

 高原ではないのに高原と名のつく駅です。
 以前に取り上げた沼田駅や温泉と登山で有名な水上駅と並ぶ、群馬県北部の玄関口です。

          ⇒ 沼田駅を骨で聴く

 在来線で一番近いのは上越線の後閑駅で、沼田駅のひとつ先になります。約2キロほど離れています。乗車人員もこの後閑駅の方が多く、水上や沼田に新幹線の駅ができなかった部分を補う役割という性格が出ています。

 上毛高原駅は新幹線だけの単独駅で、新潟を往復する上越新幹線「とき」はほんの一部しか停車せず、主力は越後湯沢を往復する「たにがわ」になります。
 高崎の市街地を過ぎてすぐに長いトンネルに入ります。一瞬だけ地上に出てから再びトンネルで、この上毛高原駅に到着します。この先はまた長いトンネルです。

 そんなトンネルの狭間にある駅は、高原ではありませんが、高原の名に恥じない雰囲気を持った空間です。利根川を挟んで在来線の対岸に位置し、のどかな農村地帯が新幹線の駅で、少し異質な場所になり、それも今では十分に馴染んだところです。

 トンネルから出てきた新幹線の高速走行音は、のどかな風景に反響します。
 骨伝導のヘッドセットにより、耳ではなく骨から脳へとこの音声が伝わります。
 骨伝導と脳との関係を考えられる場所です。

          ⇒ 骨伝導と脳との関係

 そして、敬老の日が近づいている今、老人性難聴のことも考えるのに最適な場所かもしれません。

         ⇒ 聞こえない悩みを解決! 特許技術の骨伝導

 上毛高原駅にて、そんなことを思うひとときでした。