骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

尾島ねぷたまつりを骨で聴く

2008-08-28 10:48:02 | 骨で聴く体験記

 今年の夏の思い出になるかもしれません。
 群馬県太田市の尾島地区で、真夏の夜の風物詩として定番の「尾島ねぷたまつり」が今月の14、15日にありました。
 勇壮な武者絵が描かれた色とりどりのねぷたは、大気の状態が不安定な中、夜空を彩りました。行楽客として、関東で見るねぷたを堪能することができました。

 でも、なぜ太田市でねぷた?
 疑問に思います。実は答えはかんたんで、江戸時代に津軽藩の飛び地が太田市の尾島地区(旧尾島町内)にあった縁だといいます。尾島町時代に青森県弘前市と姉妹都市提携を結んで今年が30周年だそうです。

 太鼓の音は耳だけでなく骨からも伝わってきます。骨伝導の威力が発揮されます。
 本家本元の弘前市のねぷた祭りの由来を調べてみると、大きく時代を隔てて主に3つの説に集約されるようです。Wikipedeiaを引用してみましょう。

起源・歴史
  • 平安時代の初期、征夷大将軍坂上田村麻呂が、敵をおびき出すために大きな人形を作った。
  • 文禄2年1593年7月に藩祖為信が京都滞在中に盂蘭盆会で二間四方の大燈籠を出した。
  • 江戸時代、夏季の農作業時に襲ってくる睡魔を追い払うという「眠り流し」からさまざまな行事が生まれ、そのうちの一つが「ねぷた」だと言われている。「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた」と変化した。
      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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     伝統的な祭りとはそういうものかもしれない、逆に納得してしまいました。
     さて、今年の夏の思い出から頭を切り離して、今日も利益UPの旅に出かけます!

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    神アサギを骨で聴く

    2008-08-25 14:43:23 | 骨で聴く巡礼旅

     神アサギ。
     沖縄地方の独特の文化で、古いムラには必ず一戸あります。神を招いての神事や祭祀を行う場所であり、神女(ノロ)を介して神と人との交流が計られる場所のことです。
     集落の中心部や、祖霊や守護神の祀られる御獄と集落とを繋ぐ軸線上に位置する場合が多いようです。ちなみに神が降臨する場所は「イビ」と呼ばれ、男子禁制でノロだけが入ることを許されています。

     琉球村には、琉球列島にある各地の古い民家が移築してあります。後世に伝えるため大切に保存されているのですが、東京の小金井公園にある「江戸東京たてもの園」とは雰囲気が異なります。それが文化の違いだといえばそれまでの話ですが、同じ日本という国の広さを感じるのもいいかもしれません。

     
    御獄と神アサギも見事に再現されています。
     神と人との関係を考えながら、共同体の崩壊という社会学的なテーマを考えてみたくなります。

     コストの削減をしていると、プロパンガスや重油・灯油等の供給先変更が古い因習(?)により、どうしても不可能なケースにめぐり合います。共同体は崩壊しても、利権という構造が支配しているのは特殊なケースではないようです。また、「付き合い」のレベルもまだまだ大きい地域が残っているのです。

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     神アサギが集落を形成した時代は、過去の遺物ではなさそうです。

                                    

    荻野吟子を骨で聴く

    2008-08-21 12:51:29 | 骨で聴くビジネス

     近代日本の初めての女性医師であり、女性運動家でもあった荻野吟子は嘉永4年(1851)に誕生しました。現在の熊谷市郊外です。
      慶応3年(1867)には、のちの足利銀行頭取になる稲村貫一郎と結婚します。しかし結婚生活は長く続きませんでした。3年後に離婚します。この原因が夫からうつされた淋病だったというわれています。

     淋病の治療は順天堂大学の婦人科で受けました。治療の際、医師がすべて男性であったことから、下半身を晒して診察されることに屈辱的な体験をします。同じような羞恥に苦しむ女性たちがいる、彼女たちを救いたいという決意が生まれます。
     これこそが女医第一号誕生の契機でした。

     明治18年(1885)に試験を合格し、湯島に診療所「産婦人科荻野医院」を開業することになりました。このとき34歳。近代日本初の公許女医誕生の瞬間です。

     のちにキリスト教の洗礼を受け、廃娼運動などにも取り組み、明治23年(1890)のい 39 歳の時に13 歳年下の学生・志方之善と周囲の反対を押し切り再婚しました。
     その後、夫は 北海道の原野開拓による理想郷建設のために移り住み、荻野吟子の人生も環境と時代に翻弄されます。

     熊谷市には荻野吟子記念館や公園があります。
     雄大な利根川が流れるすぐ近くです。ここにくると色々と考えさせられます。

     荻野吟子の時代、医学校への進学は女人禁制が当たり前でした。相当な努力の結果、私立医学校「好寿院」が受け入れてくれることとなったのは、日本にとって本当の意味での近代化だったかもしれません。

     今では女医も、女性経営者も珍しくありません。
     社会の変化はビジネス環境も大きく変えています。

     改めて荻野吟子の生涯を知り、現代の不条理な環境を見つめなおしてみるのも良いかもしれません。

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    ポケモン新幹線を骨で聴く

    2008-08-19 10:31:14 | 骨で聴く鉄道駅


     JR東日本では、2008年7月19日(土)~9月15日(月・祝)の期間に、東北・秋田・山形・上越・長野の各新幹線でポケモンをラッピングした車両が走ります。
     車体両側に、ポケモンのキャラクターであるピカチュウ、ポッチャマなどがデザインされています。子供たちがはしゃぐのも頷ける構図です。
     また、車内販売の飲み物の紙コップ、さらには座席のヘッドレストカバーもイラスト入りとなっています。まさに「ポケモン新幹線」です。

     東京駅で偶然に目にしたのですが、夏の日差し以上に輝いていました。童心にかえって、乗ってみたくなります。
     しかし、これから行くのは経営不振のある施設です。気を引き締めます。利益を創出させる診断に行くのです。

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    板小屋遺跡を骨で聴く

    2008-08-18 11:35:12 | 骨で聴く巡礼旅

     江戸時代前期から後期にかけ約160年間続いた木地師の集落跡があります。
     木地師とは、山の木を伐採し椀、盆等を作る職人のことです。一般的には轆轤を使って椀や盆等を作る轆轤師、杓子を作る杓子師、漆器を作る塗師などの総称ともいえます。木地師は、良質のトチ、ブナ、ケヤキ、ワワラなどの木を得るために深山に入っていきました。もちろん都市に住む木地師もいましたが、ほとんどの木地師は山から山へ、良材がなくなると新しい山へと移住していきました。

     福島県の天栄村にある木地師の集落跡は板小屋遺跡とよばれています。ここは単独で村となっていたようです。

     村の始まりは正確には明かになっていませんが、会津の領主蒲生氏郷が近江国(現在の滋賀県)から入部した際、漆器職人と共にやって来たといわれています。
     木地師はトチ、ホオなどの木から手引き轆轤を使い、膳や椀、盆などの木地工品を作りました。これを若松や白河の漆器問屋へ持ち込み、現金収入を得ていたようです。
     いわば職人集団といえるでしょう。
     板小屋村には最盛期には28戸があったといいます。

     しかし、天保の大飢饉により村人は餓死していったようです。生き残った人も他の地へ移り住み、廃村と化してしまったようです。
     現在でも屋敷跡の礎石が残り、90基にもおよぶ墓碑群が鬱蒼と茂る山の斜面に広がっています。当時の繁栄が偲ばれるとともに、どこか幻想的な雰囲気さえ漂っています。

     現代の企業も生き残りをかけた戦いが続いています。ある意味で、天保の大飢饉と似た状況といえるかもしれません。企業、店舗、施設は歴史の教訓を今こそ活かすべきかもしれません。

     そのためにムダを利益に変えましょう。
                              しかも、一瞬で……

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    会津西街道たじまを骨で聴く

    2008-08-12 14:55:12 | 骨で聴く鉄道駅


     国道121号、352号、400号という3本の国道が重複する区間にあり、正確には「道の駅たじま」といいます。
     重複する3本の国道は、それぞれが総距離200km以上の規模を持っています。

     121号は山形県の米沢市から栃木県の益子町を結び、総距離249.6kmです。
     352号は新潟県の柏崎市から 栃木県の上三川町を結びます。ただし、この国道はいわゆる酷道(こくどう・注「一般国道だが乗用車の通行が困難で、国道と呼ぶのにふさわしくない道路」)と呼ばれる道路で、文字通り「酷い状態の国道」が多く占めています。未開通部分もありますが、本来の総距離は121号を上回る327.9kmです。
     400号は茨城県の水戸市から福島県の西会津町を結び、総距離224.5kmです。ただしこの国道も地味な存在で、特に起点である茨城県内では全区間が他路線重複という珍しい道路です。

     ここは南会津町にありますが、これは平成の市町村合併で2006年に誕生した町です。合併しても人口は19,000人弱程度で、この地域の中心となっていますが、規模はかなり小さなものです。その分、都会から訪れる人には快適な環境が残されています。

     鉄道では会津田島駅まで東武鉄道が乗り入れていますから、実はそれほど不便な場所ではなさそうです。高速道路はありませんが、那須塩原からドライブする気があれば、適度な距離といえそうです。

     こんな南会津の西街道を骨で聴き、非日常に浸るのは大いに意味がありそうです。日常のコストも、どこかに飛んでいきそうです。

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    大師前駅を骨で聴く

    2008-08-11 10:40:39 | 骨で聴く鉄道駅

     東京23区では珍しい無人駅の大師前駅ですが、正月などは、有人改札をする事ができる設備が幾つか設けられています。これは駅名の由来ともなった西新井大師の参拝客が多い時期に対応しているようです。

     東武伊勢崎線の西新井駅から盲腸のように伸びる単線が大師線で、路線距離はわずかに1.0kmしかありません。当然、駅もこの大師前駅だけです。
     なぜ、こんな短距離の盲腸線が存在するかというと、戦前の幻に終わった路線計画に関係しています。西新井駅から東武東上線の上板橋駅間を結ぶ「西板線」という計画があったのです。これは、現在では環七通りに沿ったものでした。

     しかし、関東大震災や荒川堤防などの護岸整備が未完成なため架橋の設計ができなかったこと、さらに橋梁の建設費用の問題、経路変更要求への対応画策など、問題が山積みでした。そうこうするうちに路線予定地が急速に市街地化してきたことから、当初の予定をはるかに上回る建設費の高騰という問題が生じ、採算性がとれなくなってしまったのです。

     ともあれ、改札のない大師前駅に降り立ち、すぐ右手へと進むと、そこはもう西新井大師の境内です。駅名に偽り無く、昨年に続いて今年も西新井大師に参拝に行きました。

      西新井大師を骨で聴く
                      弘法大師像を骨で聴く(西新井大師)

     駅のすぐ隣には八角堂があります。
     現代的な建築ですが、荘厳な印象がするから不思議です。

     昭和55年の建立なので、まだ新しい感じがします。中にはもちろん弘法大師・空海像が座しています。

     西新井と弘法大師の結びつきの強さは、寺院のパンフレットかにも掲載されていました。引用してみましょう。

     こうして西新井という地名は、お大師様のご恩徳と切り離すことのできない因縁と歴史を持ち、以来、民衆祈願の霊場として善男善女の厄除け祈願を中心に、金井安全、息災延命を祈る護摩修行の祈願寺として栄え、今日まで連綿と法灯を伝えてきたのであります。【西新井大師パンフレットより

     こんな都内の聖なる地域を気軽に行けるのも、東武大師線のおかげです。偉大なる無人駅です。人件費のないコスト削減駅です。
     骨で聴くことです。やはり骨伝導での駅訪問は違います。



    新白河駅を骨で聴く

    2008-08-06 10:43:21 | 骨で聴く鉄道駅

     日本の新幹線の停車駅で、唯一、住所が村になっている駅があります。
     それが東北本線・東北新幹線の新白河駅です。

     福島県西白河郡西郷村字道南東というのが住所になりますが、一般的には白河市の表玄関という印象が強いと思います。実際、駅自体が西郷村と白河市の境界線近くに位置していて、駅前のホテルなどは白河市の住所だったりします。

     新幹線は2面2線の高架駅で通過線が2線ありますから、駅としての面積は広いといえます。在来線は単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線、合計2面3線のJRらしい駅といえるでしょう。

     昭和34年に磐城西郷駅として開業した駅ですが、昭和57年の東北新幹線開業と同時に新白河駅に改称された歴史を持っています。
     すぐ隣の白河駅が「ステンドグラスのある赤瓦の屋根の大正ロマン漂う駅舎」として、東北の駅百選に選定されたのとは対照的に、現代的な機能性を持つ駅が新白河駅です。 ある意味で新幹線停車駅としては「普通の」駅ともいえます。

     乗車人員数も、新白河駅が1日平均で約2,800人に対して、白河駅は約800人程度と大きく差が開いています。これが新幹線の威力なのかもしれません。

     こんな東北地方の入口となる駅を骨で聴き、コスト削減の旅に出ました。一瞬で無駄なコストを利益に変えるということで、概ね評判は良いようです。


                               

    フラワーランドを骨で聴く

    2008-08-04 17:48:57 | 骨で聴く癒しの世界

     フラワーランドへ行きました。
     と、言っても場所は東京の世田谷区にある公園です。世田谷区瀬田5-30-1にある公園で、無料で入れるフラワーランド、別名「瀬田農業公園」です。
     環状8号線が東名高速・首都高速3号線と交わる場所と、国道246号線の交わる渋滞のメッカ・瀬田交差点の間にある公園です。東急電鉄田園都市線では最寄り駅は用賀駅になりますが、そこから徒歩で20分はかかる場所にあります。

     世田谷区のホームページには、以下のような紹介文があります。

    「区民が自分たちで花を育てることができる公園です。バラのトンネルや、区の花さぎ草、ハーブガーデンなど四季折々の花が楽しめ、園芸教室も開催されます」

     財団法人世田谷トラストまちづくりのホームページ記載内容も紹介しましょう。

    「世田谷の農業の中で大きな役割を果たしてきた花卉園芸(観賞用植物の生産)を中心に、「花づくりのできる公園」として昭和61年5月に開園した、区民参加によるエコロジカルな公園づくり、環境に配慮した循環型園芸の普及を目指している公園です」

     意外と知られていない隠れた穴場といえます。
     夏場はさすがに暑いのですが、公園の奥には水車があり、この近くは涼しく感じました。周囲は住宅街ですが、ここは古き良き日本の原風景があり、それぞれに手入れされた植物・花に彩られている空間が、とても気持ちのよいものです。

     他にも管理棟、芝生広場、バラのアーチ、藤棚広場、ハーブガーデン、観賞花壇、創作花壇があり、どの季節に訪れても楽しめそうです。

     隠れた穴場で、日常から少し離れた癒しを堪能できるのが、この公園の大いなる魅力といえるでしょう。こんな空間は骨で聴くに限ります。

                          

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