東京の赤坂にありながら、都会の喧騒とは無縁の聖域に鎮座する氷川神社。
縁結びにご利益のあるパワースポットとして有名ですが、赤坂にある異空間というだけでも価値がありそうです。
かなり古い神社で、天暦5年(951年)に武州豊島郡人次ヶ原(現在の赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られたのは最初だといわれます。
江戸時代には、徳川8代将軍・徳川吉宗公が享保元年(1716年)に将軍職を継ぐことになり、享保14年(1729年)に老中・岡崎城主水野忠之に命じ、現在地に社殿を造営したといわれます。
翌年、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、将軍・吉宗も直々に参拝に訪れたという記録があります。
さらに、現社の場所は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の夫人・瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡でもあります。
大石内蔵助が討ち入り前に訪れ、別れを告げたといわれていわれている場所です。
境内は広く、樹木に囲まれていて、かなり荘厳な雰囲気があります。
社殿は東京都の有形文化財に指定されています。
また、麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭がこの赤坂氷川神社といわれます。
赤坂にいることを忘れさせてくれる神社なので、日常の中のすぐ隣にある異世界です。
耳だけでなく骨からも周囲の音声を脳に伝えつつ、パワースポットを堪能するのがお勧めです。
→ 骨で聴く世界へ
縁結びにご利益のあるパワースポットとして有名ですが、赤坂にある異空間というだけでも価値がありそうです。
かなり古い神社で、天暦5年(951年)に武州豊島郡人次ヶ原(現在の赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られたのは最初だといわれます。
江戸時代には、徳川8代将軍・徳川吉宗公が享保元年(1716年)に将軍職を継ぐことになり、享保14年(1729年)に老中・岡崎城主水野忠之に命じ、現在地に社殿を造営したといわれます。
翌年、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、将軍・吉宗も直々に参拝に訪れたという記録があります。
さらに、現社の場所は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の夫人・瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡でもあります。
大石内蔵助が討ち入り前に訪れ、別れを告げたといわれていわれている場所です。
境内は広く、樹木に囲まれていて、かなり荘厳な雰囲気があります。
社殿は東京都の有形文化財に指定されています。
また、麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭がこの赤坂氷川神社といわれます。
赤坂にいることを忘れさせてくれる神社なので、日常の中のすぐ隣にある異世界です。
耳だけでなく骨からも周囲の音声を脳に伝えつつ、パワースポットを堪能するのがお勧めです。
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