骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

常盤伝説を骨で聴く

2010-04-18 22:24:18 | 骨で聴く巡礼旅

 2年前に訪れた駒留神社に再び訪れました。
 環七通りに隣接するだけあって、クルマが疾走する音が境内に響いています。静寂な雰囲気の駒留神社の境内に、場違いな音が入ってくるのは都会の神社の定めかもしれません。

 骨伝導ヘッドセットがあるので、騒音は何の問題もないので、改めて駒留神社の境内を散策できたのはうれしい限りでした。

          ⇒ 駒留神社を骨で聴く

 今回は駒留神社から住宅街を世田谷通りの方向へ数分あるいた場所へも行きました。もちろん骨伝導機器と一緒です。

 江戸時代の刊本『名残常盤記』の悲話をベースとした常盤伝説があります。

 その伝説の舞台は戦国時代に遡ります。
 世田谷城主・吉良頼康が等々力・野良田に鷹狩をした日のことです。その日は雪でした。吉良頼康は白鷺を捕らえましたが、その足に一首の和歌を記した短冊が結びつけてありました。その文字は女文字であったため、白鷺の骸を土中に葬り、飼い主を家来に命じて探索することにしました。
 
 その結果、家臣である奥沢城主・大平出羽守の娘、名を常盤ということが分かりました。
 その後、常盤は吉良頼康の側室として召されることとなり、寵愛を一身に受けたといいます。
 世田谷城に迎えられた年の夏のことです。頼康は帰途、飛翔する白鷺にも似た花の大群落に出合います。その場所は何と、常盤の白鷺のを葬った場所でした。
 頼康はこの花に鷺草の名を贈り、鷺の宮を建立して白鷺の霊をなぐさめるのでした。

 さらに2年後、常盤は懐妊しました。
 このことで他の側室13人の嫉妬をかうことになってしまったのです。嫉妬は謀に発展します。寵臣の家臣と密通したと讒言されてしまったのです。

 吉良頼康は憤りました。寵臣を討ち滅ぼしてしまったほどです。
 常盤は御殿から脱出しましたが、中郷(現在の世田谷区上馬)の野でついに自害して果ててしまいました。

 このとき、常盤は19歳だったといいます。胎児はわずか8ヶ月でした。

 胎児の胞衣に吉良氏の五七の桐紋が現れていて、頼康の実子と判明され、さらには鷺の宮の霊が吉良頼康に真相を語り、この事件は新たな展開を見せました。
 吉良頼康は讒言した側室13人をすべて皆斬罪としたのです。

 吉良家とは足利尊氏を祖とした名門の家系です。
 奥州探題を務めたり、鎌倉府では足利氏、関東管領上杉氏につぐ第三位の地位にありました。しかし足利氏の崩壊とともに力が衰えてきました。

 そして常盤伝説は、先に挙げた世田谷の伝承文学『名残常盤記』の影響が大きいいえます。
 これは文学なので、実在したか否かは分かりません。

 しかし常盤塚は駒留神社からほど近い場所に存在します。
 駒留神社の中にも常盤弁財天が祀られているのは事実です。

 今回は骨伝導とともに常盤塚にも足をのばしました。
 世田谷通りに近く、周囲は完全な住宅街です。骨伝導を使って音楽や通話等々を楽しみながら歩いていたら、おそらく見逃してしまうような場所にひっそりとあります。

 常盤伝説を骨で聴きます。
 世田谷通りの喧騒は消え、骨伝導による骨から脳への伝達は、脳波を癒し方向へと誘ってくれるようです。伝説と特許技術による骨伝導スピーカーの驚異の実力がリンクし、江戸の音声まで聴こえてきそうです。

 恐るべし! 骨伝導!

           ⇒ そんな骨伝導の驚異の世界へ

 駒留神社の再訪から常盤塚へ廻り、伝説を堪能しました。
 こんな伝説に絡む旅には、骨伝導の意外な威力が発揮されます。過去には弘法大師の伝説と絡めて骨伝導が大活躍しました。弘法大師・空海の法力や霊力を伴う伝説は、ある意味で骨伝導のパワーを凌ぐ要素もあるかもしれません。

          ⇒ 弘法大師といえば「弘法倶楽部」

 常盤伝説には弘法大師のようなパワーはないかもしれません。しかし秘話には何か心に響くものがあります。

                           

 


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