骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

旧川合玉堂別邸を骨で聴く

2012-04-27 21:20:26 | 骨で聴く癒しの世界

 著名な日本画家であり日本画壇の巨匠・川合玉堂が実際に創作・居住した場が残されています。玉堂美術館は東京の青梅市御岳に昭和36年に開館しているのは知っていましたが、実際に創作したという貴重な歴史的文化的資源が横浜にあるとは知りませんでした。しかも京急線の京急富岡駅からごくごく近い場所にありながら、本当に目立たない場所にありました。
 骨伝導ヘッドセットとともにこの貴重な場に立ち、たまたまの遭遇に感謝したほどです。


 ここは川合玉堂の別邸や社寺が多数集積していた横浜市の富岡地域の歴史を物語る場所でもありました。そういう意味でも貴重な遺構です。
横浜市が旧川合玉堂別邸及び園庭を所有し、一般公開もしています。その運営には、NPO法人旧川合玉堂別邸及び園庭緑地運営委員会のボランティアの皆さんが携わっているそうです。

 川合玉堂は、明治6年(1873年)に生まれです。
 詩情に満ちた日本の自然を穏健な風景画としてを描きました。大正8年(1919年)には帝国美術院会員となり、さらに横山大観らと「淡交会」を結成しています。

 川合玉堂が、横浜の富岡に別邸を構えることになったのは、この地の旧家・斎田家の娘が玉堂家に行儀見習に出ていたのが縁だったといわれます。玉堂はここの景観を気に入り、土地を購入するまでに至ったようです。その後、ここに別邸が誕生し、夏冬の画室としてよく活用したようです。画室から見える風景や周辺の人物や景色を描いたといわれる作品も数多いと言われています。

 ところが昭和6~7年頃になると、玉堂はこの別邸にあまり来なくなったようです。京浜急行の開通時期にも相当し、また飛行機も上空を飛ぶようになった時期です。おそらく騒音を嫌うようになったのではと言われています。鉄道の開通で利便性が上がったことが、玉堂にはマイナスに働いたのでしょう。

 騒音対策といえば特許技術の骨伝導機器です。米軍の爆音下でも通話のできる特殊な骨伝導スピーカーは、京急線や飛行機の騒音など何の問題もありません。しかし、この時代にはありませんでした。

          ⇒ どんな騒音でも相手の声を聴く骨伝導

 川合玉堂は昭和19年に、玉堂美術館のある青梅市に疎開をしました。そして、昭和32年、青梅市の御岳にて一生を終えました。

広駅を骨で聴く

2012-04-25 19:29:19 | 骨で聴く鉄道駅

 JR西日本の広島都市圏内各路線路線に対する愛称が「広島シティネットワーク」ですが、その東端に位置するJR呉線の快速停車駅が広駅です。呉線の中でも運転系統上の境界駅にもなっています。

 単線の呉線ではありますが、この広駅が始発・終着の列車はそれなりに多数運転されています。広島方面は日中1時間2~3本で、快速安芸路ライナーも含まれます。土曜・休日ダイヤに臨時列車として1日1往復運行されている「清盛マリンビュー」も停車します。

          ⇒ 清盛マリンビューを骨で聴く

 広島と反対方向の三原方面は運行本数が少なくなり、日中1時間に1本の列車です。
 ICOCAの使える自動改札機導入駅もこの広駅までで、隣の仁方駅から須波駅間はIC専用機のみの導入です。

 ローカル色あふれる呉線の広駅に骨伝導ヘッドセットともに降り立つと、静かさとのどかさに囲まれながらも広島シティネットワークの中に組み込まれるだけの規模を持つ街並みも目にします。呉市でも呉駅のように海側にあるわけではないため、周囲は山に囲まれている印象です。高い山ではなく、威圧感を与えることはなく、むしろ町を見守っているような感じです。

 耳だけでなく骨からも音声を脳へと伝え、この広駅の雰囲気を堪能すると、旅情を確かに感じます。さすが米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットです。

          ⇒ 特許技術だけを扱う骨伝導専門店

 この駅の先にある広白岳稲生神社もお薦めスポットでしたが、この街の玄関である広駅を単体で見て、聴いても、それはそれで十分に魅力的です。

          ⇒ 広白岳稲生神社を骨で聴く

千住本氷川神社を骨で聴く

2012-04-24 19:57:53 | 骨で聴く巡礼旅

 北千住駅から国道4号線の日光街道方面に住宅街を5分程度歩いた場所に、千住本氷川神社は鎮座しています。
 いつものように骨伝導ヘッドセットとともに参拝に出かけました。北千住の繁華街に近いせいか周囲は活気ある雰囲気が漂っているものの、基本的に商店街から住宅街に入った場所のせいか、喧騒とは無縁の世界です。
 牛田に千葉山西光院とともに、氷川神社として創建されたのが徳治2年(1307年)です。千葉氏によるものでした。江戸時代初期になって、千住が宿場町として栄え始め、現在地に地主の土地奉納によって分社が建てられました。ところが明治43年(1910年)には、荒川放水路を建設するため、牛田の氷川神社を合祀することになり、さらに昭和45年に社殿を新築し、旧社殿は末社として保存されました。そのため、鳥居から真正面に旧社殿、右に直角に曲がった場所に新しい社殿という独特の配置となっています。



 旧社殿は、足立区教育委員会の説明書きを読むと「千鳥破風、その前面が唐破風となり、二重の破風を形成し、頭貫や虹梁の部分には、龍や鳥類の彫刻が目立っている。本殿は方一間余りの木造で、切妻造りの平入り形式をなし、屋根は箱棟こけらぶきで、勾配が美しい曲線を呈している。軒回りは二重橑となり、組物も巧緻で処々に彫刻が施され、趣きのある社殿である」とあります。

 千住七福神の大黒天を祀られているのでも知られていますが、仏教の大黒天は神社では大国主尊になります。
仏教の大黒天が習合した日本の大黒天は国造りの神であり、縁結びの神でもあります。この千住本氷川神社の雰囲気にはなんとなくふさわしく感じます。

 境内にはほかに芭蕉の句碑、千寿七福神の碑、ラジオ体操記念碑などがあり、参道の上は藤棚になっているのも見逃せません。

 骨伝導ヘッドセットを使い、周囲の音声を骨から脳へと伝えることで、この神社に漂う空気の振動までをも感じとった気分が味わえました。騒音対策や難聴者の補助として活躍する特許技術の骨伝導機器が、こんな場面で有効に活躍するのも興味深いことです。これだから骨伝導巡礼はやめられません。

          ⇒ 最先端の技術が生活に活きる骨伝導

 北千住の喧騒からごくわずか離れた場所に聖なるスポットであると同時に、地域のコミュニケーション・スポットでもある神社、それが千住本氷川神社なのでは、という感想も持ちました。

菊名駅を骨で聴く

2012-04-21 10:38:34 | 骨で聴く鉄道駅

 駅周辺が狭い道路と住宅街に囲まれ、路線バス、タクシーなどのロータリーや駅前広場もなく、一見すると地味な菊名駅は、東急・東横線とJR横浜線が交差し、接続駅として乗降客の多い主要駅です。実際、東横線の1日平均乗降人員は127,008人、JRの1日平均乗車人員も 50,969人で、横浜線内では新横浜駅に次いで多く、20駅中6位という規模を誇っています。

 しかし乗降客の多さと駅周辺の雰囲気とは、ギャップを感じさせるに充分です。西口から出ると南北を貫く旧綱島街道が走っていますが、この通りは一方通行の道路で、整備された駅前の雰囲気は皆無です。東口には東急ストア専用の駐車場があり、一戸建てが多く建ち並ぶ住宅地が広がっています。やはり主要駅の駅前の雰囲気はありません。

 こんな菊名駅に骨伝導ヘッドセットとともに降り立ちました。
 骨伝導を使って菊名駅の雑踏を感じ取り、この駅の様々な出来事に思いが巡ります。

 おもしろいのはJR横浜線の快速電車の停車についてでしょう。
 1988年(昭和63年)から横浜線にも快速列車が設定されましたが、東横線への利用客の流出防止対策として2006年(平成18年)まで通過駅になっていたということです。
 東横線では全列車が停車する主要駅として機能しているし、横浜線との乗換客も多いことから利便性を活かしていたのとは正反対です。
 
 地元住民は市民運動も度々展開されていたようですが、実は東横線が横浜から桜木町までの区間を廃止したことで、東横線沿線から横浜線の桜木町方面への乗客を取り込むことができると判断し、JR側が方針転換したことが大きな要因といわれています。

 一方、東横線では「菊名問題」というのがありました。
 2005年(平成17年)から女性専用車が8号車に設定されました。ところが菊名駅の場合、ホームに降りる階段が8号車最寄りの場所一ヶ所しかありません。この最寄の車両が女性専用者になると、必然的に7号車が超満員となる事態が発生しました。男性客を中心に大きな反発を受け、2006年(平成18年)には8号車から5号車に変更されたということがありました。

 何とも菊名駅は色々な逸話を産み出す駅です。
 骨伝導で周辺の音声をひろうと、いつも繰り返される雑踏のノイズが響いてきます。こんなときは騒音に強い通話機能としての骨伝導が活かされます。携帯電話に接続するだけで、周囲の騒音とは無縁に快適な通話が実現できます。

          ⇒ 菊名駅でも大活躍の骨伝導

 骨で聴く鉄道駅は、取り上げる駅に何の脈絡もありませんが、それぞれの駅に骨伝導機器とともに降り立つと、それぞれの駅の表情が骨から伝わるようです。

岡本八幡神社を骨で聴く

2012-04-18 22:19:45 | 骨で聴く巡礼旅

 この画像だけを見て、一体どこにある神社か分かりますか? この問いに対して答えられる人はほとんどいないでしょう。緑に囲まれ、花々が咲き誇るこの神社は、ユーミンの聖地巡礼の地でもある岡本八幡神社です。都内23区にある神社とは思えないロケーションと雰囲気、骨伝導とともに巡礼する神社としては、まさに貴重な存在です。

 東京の世田谷区には国分寺崖線がありますが、その崖線の上、標高約30mの段丘にある神社です。もともと世田谷には八幡神社が多いといわれ、それは領主の吉良氏が源氏であるからだといわれます。源氏の守り神が八幡神社ですから頷ける話で、実際、区内には九つの八幡神社があります。岡本八幡神社はその一つです。

 石碑によると、鶴岡八幡宮から勧請したと伝えています。しかし創建年代は不明だとも記されています。世田谷の岡本という地名は、慶長2年(1597)から14年間かけて六郷用水が開削されていますが、その当時には既に岡本村の名前が見えますから、それより以前から村として存在していたのは事実でしょう。八幡神社もそれ以前から鎮座していた可能性は高いといえます。



 社殿は文化7年(1810)に再建されたようで、南側を向いています。国分寺崖線から多摩川方面にあたります。社殿の裏手には、三峰神社、浅間大社、愛宕宮、第六天神が取り囲んでいて、全て石造りになっています。緑に囲まれた聖域の雰囲気が漂い、綺麗に整備された境内は清潔そのものです。社の深さも存分に伝わってきます。

 社殿の真正面には、まさに国分寺崖線がもたらした急坂です。その石段の急な角度は半端なものではありません。高所恐怖症の方は遠慮したほうがよいほどです。これを降りると文化元年(1804)に建立された石の鳥居があります。そして鳥居の横には、1対の石灯篭が奉納されているのを目にします。ここに松任谷正隆、松任谷由美夫妻の名前が刻まれているのです。ちなみにユーミン夫妻の寄進日は平成8年(1996)11月です。

 この急な石段が「男坂」で、岡本八幡神社を正面に見て右側に「女坂」もあります。この坂も風情があります。

 さて、静寂の神社の境内で骨伝導ヘッドセットを装着し、周囲の音を骨から脳へと伝えると、そこには巡礼地ならではの旋律が流れている感覚を持ちます。難聴者ではなく健聴者が骨伝導を使うから‥‥というわけではありません。独特の雰囲気を耳だけでなく自身の骨を通じて体感するという行為が、その地に宿る何かを吸収してくれるような気がするからです。これは多分にその地が持つエネルギーに左右され、俗にいうパワースポットを骨伝導で感じ取るということかもしれません。
 何とも非科学的な話になりましたが、骨伝導は最新科学による特許技術の製品があるのは間違いありません。その中でも米軍に採用された技術が活かされた骨伝導製品こそがおすすめです。

          ⇒ 特許技術・米軍採用の骨伝導製品とは

 神社仏閣に限らずキリスト教や他の宗教施設にも訪れる骨伝導巡礼ですが、今回の岡本八幡神社は予想外に素晴らしく、非科学的な論証は別にして絶対のおすすめスポットです。

広電路面電車を骨で聴く

2012-04-17 21:42:49 | 骨で聴く鉄道駅

 略称・広電として広島市民に親しまれている広島電鉄株式会社は、鉄道・軌道事業、バス事業、不動産事業を行う会社ですが、その中でも広島市内を駆け巡る路面電車は東京の人間には新鮮で、旅情を感じさせてくれます。骨伝導とともに広電を堪能しました。

 社内カンパニー制度が導入されているので、鉄道・軌道事業は広島電鉄の中では電車カンパニーが担当しています。軌道線6路線19.0km、鉄道線1路線16.1kmで、総延長35.1kmの路線を誇っています。1日あたりの輸送人員は約16万人と多く、軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、路面電車としては日本一の規模になります。
 政令指定都市であり、山陽地方の中心という性格を考えると日本一の規模は頷けますが、逆にこの規模の都市でありながら地下鉄がないという側面も影響している気がします。
 しかし広島市営地下鉄は、かつて広島県広島市で建設をしようと計画されたことがありましたが、現在は完全な未成線です。
 ではなぜ広島市内には地下鉄がないかという疑問ですが、調べると様々な説があるようです。一番多いのが、河川が多い中州の砂地地盤なので地下を利用するのがもともと大変な土地だったからというものです。この説の説得力がある点は、1992年まで中心市街地に12階建て以上の高層建築もほとんどなかったということです。それほど地盤の問題のある都市だったということでしょう。
 また、路面電車が公営ではなく、広電という民営であった為、昭和40年代の路面電車廃止を薦める政策の対象外となったというものです。確かに路面電車が廃止される場合は、民間の会社ではなく市営だったがゆえにできたという側面は大きいでしょう。また、路面電車に対して、広島県警や市民の協力により渋滞の影響を及ぼさないように軌道敷内通行禁止を維持できたことも大きといえます。

 ところで広電の市内線と総称される軌道線ですが、上の画像にある白島線を除くと、各路線間で直通運転が行われています。運行系統は合計8つになり、4号線は存在しません。
 運賃は、市内線が大人150円・小児80円の均一制で、白島線のみ乗車の場合は大人100円・小児50円です。



 路面電車は街の音声と電車の音が混ざり、独特の雰囲気を醸し出します。
 耳から入る音だけでなく、骨伝導を使って骨から脳へと伝わる音が、協奏曲のようになり、旅情ムード満点です。おそらく市民で日常に利用される人であれば、骨伝導は通常の補聴器代わりや騒音対策の役目を担うのでしょうが、旅人にとっては、骨伝導をこのように旅情に活かすのは最適といえます。

          ⇒ 様々な場面で骨伝導製品

 広島市内を旅するとき、タクシーも悪くありませんが、広電の路面電車もぜひ利用して頂きたいと心から思いました。そうそう、乗車の際は骨伝導機器をお忘れなく!

静嘉堂文庫を骨で聴く

2012-04-16 23:14:38 | 骨で聴く癒しの世界

 三菱財閥の第2代総帥・岩崎弥之助と第4代総帥・岩崎小弥太父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを収蔵し、古典籍を研究者向けに公開する私立の専門図書館であると同時に収蔵品を広く一般に公開する美術館でもある静嘉堂文庫。
 この貴重なコレクションは、東京都世田谷区の蔵野のたたずまいを残す場所にあります。周囲は小高い丘で、一帯は深い緑に包まれています。


 静嘉堂は、『詩経』から採られた岩崎弥之助の号に由来し、1892年頃、弥之助が自邸内に創設した文庫「静嘉堂」を起源としています。
 静嘉堂のコレクションは岩崎弥之助父子が収集した20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品からなっていて、中には国宝7件、重要文化財82件まであります。

 国宝は下記のようなものがあります。

 ・紙本金地著色源氏物語関屋及澪標図 俵屋宗達筆 六曲屏風
 ・絹本墨画淡彩風雨山水図 伝馬遠筆 
 ・紙本墨画禅機図断簡 因陀羅筆(智常禅師図)
 ・太刀 銘包永 
 ・曜変天目茶碗
 ・倭漢朗詠抄 巻下残巻(彩牋)
 ・趙子昂書 与中峰明本尺牘(六通)

 この国宝の中で曜変天目茶碗は中国の南宋時代のもので、徳川将軍家の所蔵から春日局の縁でその子孫である淀藩の稲葉家に伝来したことから「稲葉天目」の通称で知られる逸品といわれています。国宝の中でもさらに貴重な存在で、静嘉堂コレクションの中でも国際的に著名なものです。



 静嘉堂は財団法人静嘉堂の運営で、岡本静嘉堂緑地という世田谷区の中でも比較的不便な地域にあります。
 敷地内にある霊廟は、 弥之助が死去したとき、 岩崎家の納骨堂として小弥太によって建てられたものです。

 いつものように骨伝導とともに訪れ、この意外なほどの「癒し」空間に驚愕しました。「せたがや百景」のNO.73でもあることから、確かにその風景だけでも価値があるのは分かりますが、実際に訪れると周囲を包む空気までもが特殊な感覚を持ちます。
 谷戸川と六郷用水が交わる場所で、小高い丘が断崖のカーテンのように続き、その丘の上にある空間は、東京の雰囲気が一気に消失しまうほどです。そこに国宝を含めた貴重なコレクションがあるという現実が、骨伝導を通じて感じる異空間への入口なのか、それとも何か‥‥

          ⇒ 騒音・難聴だけでなく「癒し」にも骨伝導

 世田谷のお勧めポイントです。骨伝導とともにぜひお出かけください。


広白岳稲生神社を骨で聴く

2012-04-12 22:19:53 | 骨で聴く巡礼旅

 広島県呉市に白岳山という標高357.9mの山があります。
 白岳山中腹には肉眼で白く見える部分があります。旧・石灰石採石現場です。明治時代以降、広石灰石株式会社という会社が白岳山の石灰石を採掘し、ロープウェイを使って平野部に降ろし、船で各地に運んで行ったようです。しかし昭和40年代初頭に閉山し、今でも山間部には廃屋や道路の跡等々が残っているといいます。

 その白岳山の西側山麓にひっそりとした神社があり、今回はその神社境内へ骨伝導とともに向かいました。
 呉市から三原市へ至る国道185号線上にある「バス東のりば」交差点を海側の方向に曲がり、JR呉線を越え、道なりに進んでいくと周囲には住宅街が展開しています。住宅街を山が囲んでいます。やがて道が右に直角に曲がる場所があらわれ、この突き当たりを左折すると小さな川に沿った道になります。目指す神社の鳥居はすぐに目にすることになります。

 稲生神社の鳥居です。



 石段が斜面に沿って続いています。登りきると小さな平坦地です。ここに社殿がありますが、ごく小さなものです。高台というよりも山の稜線に沿って鎮座する神社で、半島のように突き出た場所にあります。そのため周囲の家々を見下ろすような位置です。静寂が漂い、「村の鎮守」という雰囲気がします。実に快適な癒し空間に思えます。
 どの神が祀られているか分からす、参拝です。

 知名度のない地元のための神社は、訪れたときの空間を全身で感じ取り、骨伝導を使って耳だけでなく骨から脳へと周囲の音声を聞き取ることで、自身との相性がわかる気がします。この稲生神社はそういう意味で、過去の骨伝導巡礼で訪れた神社仏閣の中でも上位にランクするかもしれません。それほど気持ちのよい空間です。

          ⇒ 骨伝導の製品ならこちら

 社殿の裏側にはさらに斜面が続き、その先に地元の方の墓がいくつか見えてきます。稜線に沿って町を見下ろすように並ぶ墓石は、自分が生きた町を、そして遺族のことを見守っているかのようです。桜もそんな純粋な気持ちに彩りをそえていました。

大岡川の桜を骨で聴く

2012-04-11 21:14:37 | 骨で聴く癒しの世界

 横浜市磯子区氷取沢町に源を発し北へ流れ、港南区港南中央通付近で日野川を合わせ、笹下川から名称を変えて大岡川になります。大岡川の周辺には桜並木が並び、毎年「大岡川さくら祭り」が開かれ、今年(2012年)も4月7日(土)〜 4月8日(日)に実施されました。大岡川に寄り添う800本の桜並木が主役のイベントでした。

 今日は雨が降り、桜の花にも容赦なく降り注いでいます。
 そんな中、大岡川の桜川橋で足を止め、散りゆく直前の桜を堪能しつつ、周囲の景色を骨伝導機器で聴きました。

 桜川橋は桜川新道(横浜市道都市計画道路山下長津田線)にあり、地下を首都高速横羽線、横浜市営地下鉄ブルーラインが通っています。交通量は激しい場所です。しかし骨伝導により騒音の中での会話には支障はありません。米軍で採用された特許技術は、爆音の中でも会話を可能にします。桜川橋での騒音は全く問題になりません。

          ⇒ 騒音の中でも「聴こえ」を可能にする骨伝導

 しかし何より、雨滴の中に浮かび上がる見事な桜並木と、静かな大岡川の流れには、どんな騒音下にあっても独特の「静寂」さを感じさせるような風情があります。骨伝導の技術だけでない都市のちょっとした癒し空間です。

 春の雨と桜、疾走するクルマ、ゆるやかな川の流れ、そして最先端技術の骨伝導が交差し、この桜川橋で足を止めた一瞬を形成しました。脳波がシータ波になったようです。こんな日常の体験は、小さな、ほんの些細な出来事でありながら、とても貴重な宝物のように感じます。

清盛マリンビューを骨で聴く

2012-04-10 23:46:40 | 骨で聴く鉄道駅

 NHKの大河ドラマ「平清盛」の連動企画として、2012年1月7日から6月末までの土曜・休日ダイヤに臨時列車として1日1往復運行されている「清盛マリンビュー」は、山陽本線の宮島口駅から広島駅で呉線に入り、三原駅まで走っています。
 列車のヘッドマークに「大河ドラマ『平清盛』広島県推進協議会」のキャラクター「ひろしま清盛」のイラストが飾られています。

 単線区間が中心の路線で、そこを定期列車の合間を縫って運行しているため、停車駅は少ないものの、通過駅であっても運転停車する場面が多く見られます。そのせいか停車駅に対して所要時間がものすごく長く感じます。



 全線が電化された路線ですが、この「清盛マリンビュー」はキハ47形気動車を改造したキハ47形7000番台を使用しています。2両編成で、1号車は指定席、2号車は自由席です。何とも珍しい光景です。あえて電化区間にディーゼルの気動車を走らせることで、気動車独特の音が電車の走行音に混ざり、まるで協奏曲のようです。

 骨伝導が米軍で採用されたように、騒音対策として機能することを考えると、ディーゼルの重低音というノイズに負けない通話機能が活用されます。しかしここでは旅情をかきたててくれる道具にもなり、骨伝導はむしろ「癒し」効果の補助機能としての役目のほうが大きいかもしれません。不思議な気分です。

          ⇒ 難聴対策・騒音対策だけでない骨伝導製品

 そもそもこの列車は、2005年に広島県の大型観光キャンペーンで、快速「瀬戸内おさんぽ号」が運転され、次に観光列車として快速「瀬戸内マリンビュー」が運転され始めたことに由来します。
 それを宮島口駅 - 広島駅間で延長運転を行い「清盛マリンビュー」となったものです。



 宮島口駅でテープカットが行なわれた模様がYouTubeにありました。



 観光列車なのでビジネス利用が前提になっていませんが、土日に少し時間があれば例え仕事であってもわざわざ利用する価値のある列車です。

広島城を骨で聴く

2012-04-10 09:46:20 | 骨で聴く癒しの世界

 日本100名城の一つで、別称は鯉城という広島城へ行きました。桜が満開で春独特の雰囲気を漂わせた魅惑の城でした。もちろん、米軍採用の特許技術を活用した骨伝導ヘッドセットを装着しての旅です。

 広島市はデルタ地帯にあるため、毛利輝元により築城が開始されましたが、地盤が軟弱で難工事となりました。それでも工事は急ピッチで進められ、永禄19年(1591年) には輝元が入城を果たしてたようです。この時は本丸などの主要な部分が出来ていただけで、石垣や堀は未完成だったようです。そのため、その後も工事は進められました。
 天正20年(1592年)に豊臣秀吉が広島に立ち寄った時でさえ未完だったという逸話が残っています。
 


 現在は内堀に囲まれた本丸と二ノ丸が現存し、広島城全域が広島城址公園となっています。大天守が復元され、は歴史博物館として利用されています。
 名古屋城、岡山城と共に日本三大平城とも言われる姿は、大都市の「顔」として十分にその機能を果たしているといえるでしょう。



 そして広島といえば、原爆です。
 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、広島市へ原子爆弾が投下されました。広島城は爆心地からわずかに1Km程度の距離です。 建物は爆風により一瞬にして倒壊し、さらに火災により消失してしまいました。城内の樹木にも多大な被害が生じ、根こそぎ引きぬかれたものや、真ん中から裂けたり折れたりしました。地獄絵図です。
 
 戦後、高度経済成長の真っ只中、昭和33年(1958年)に広島市政70周年を迎え、天守再建が決定しました。

 広島の歴史を見守ってきた広島城に今年も春が訪れ、桜が咲き誇る中、骨伝導を使って周囲の音声と歴史の「声」を聴いたような気分になります。市民だけでなく外国人観光客も多く見かけ、実際には単なる雑音が飛び交うような状況だったといえるかもしれませんが。この城を見上げ、周囲に漂う音を耳だけでなく骨から脳へと伝えることで、さらなる重みを感じます。
 
          ⇒ その驚異の骨伝導技術が濃縮された製品

 山陰は取り上げたことがあったものの、山陽地方とは無縁だった骨で聴く旅でしたが、広島関連も多く取り上げていくことにします。


シェルショッカーの映像を骨で聴く

2012-04-09 20:51:18 | 骨で聴く体験記

 春が訪れました。桜も満開で上野公園の花見客は週末には過去最高を記録したとか‥‥。
 バイクのツーリングには最適な季節が到来です。

 一人でも悪くないですが、何人かでバイクを転がすのも悪くありません。ただ、そんなときクルマと異なり、他の人とのコミュニケーション手段が身振り手振りなのは何とも不便です。だからといって携帯電話を使うのも運転中は無理です。ヘルメットを装着しての通信手段は実に不便なのがバイクです。

 だからといってイヤホンを耳に入れるのもよくありません。まず、『オフロードテクニック』等々の著者で知られるウイリー松浦さんは、「ヘルメットの中にイヤホンをするのはライダーは嫌がる」と語っていますし、何より走行中は騒音で相手の声が聴きにくいのが難点です。

 そこで登場したのが骨伝導シェルショッカーです。
 実は隠れた人気商品なのですが、その実力はあまり知られていません。YouTubeにその隠れた実力がアップされていましたので、今回はそれを紹介しましょう。



 映像だけではその実力がまだまだ表現できていないでしょうが、一度体験してみるとライダーたちには大好評です。
 春が訪れ、どこかへバイクでツーリングへ行く際には、まさに必需品となることでしょう。

 オープンフェイスでもフルフェイスのヘルメットでも対応しています。ヘルメットに骨伝導スピーカーを取り付け、一体となったマイクで話をするだけです。あとはご自分の携帯電話に取り付ければ良いだけの気軽さも利点です。
 従来のヘルメット用スピーカーとの決定的な違いは、ヘルメット内側に取り付ける必要がないことです。シェルショッカーの場合、強力な骨伝導スピーカーをヘルメット外側に取り付けますから、ヘルメット内側を加工する必要はいっさいありません。
 取り付け作業は、磁石付きのベースプレートをヘルメット外側に貼るだけです。スピーカー・マイクユニットの着脱も、マグネット式で簡単スピーディー。複数のヘルメットをお使いの場合でも、ベースプレートのみ追加購入いただければ、本体は1セットでOKです。

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山陰・湯村温泉を骨で聴く

2012-04-06 01:04:14 | 骨で聴く癒しの世界

 1981年のNHKドラマ「夢千代日記」のロケ地として全国に知られるようになった山陰の山峡にある閑静な湯治湯・湯村温泉。歴史は古く、平安時代(848年)開湯という湯は、兵庫県美方郡新温泉町にあります。

 源泉温度は98℃もあり、この数値は日本一を誇る温泉です。
 この温泉地も「弘法倶楽部」に登場しました。当時の貴重な原稿を音読し、骨伝導ヘッドセットで聴くことにします。

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 バスは温泉街の周りをうかがいながら今日の宿寿荘の横のターミナルらしき所に着いた。ここが終点、湯村温泉。中心街からはやや離れているものの、バスから降りるとすぐに私の五感は荒湯からの湯けむりをキャッチした。

 さっそく中心街に足を向ける。

 まずは周りをグルリ見渡す。春木川を挟んだ源泉の荒湯。川に架かる薬師橋。そして、橋のたもとの共同浴場「薬師湯」。心体(からだ)に残っている以前の情景を浮かべながら散策を始めた。
 荒湯では相変わらず観光客に交じって、エプロン姿のおばちゃんが卵を茹でている。観光客も生卵を買って一緒になって茹でているのがなんとも楽しそうで微笑ましい。



 荒湯は揺るぎない湯村温泉のイメージだが、温泉の規模自体は城崎のように巨大ではなく、荒湯を中心にした箱庭のような感じだ。周りを山で囲まれているので、さながら箱庭のような小さな国といったところ。この情景やイメージが「夢千代日記」の湯の里温泉になったのだろうか。

 湯けむりをもうもうと吐き出す荒湯の源泉温度は98度。飲泉場で長柄びしゃくで源泉を汲んで茶碗に入れおもむろに飲もうとするがなお熱い。なんせ生卵ならものの15五分くらいで茹で上がってしまうのだもの。
 また熱いだけではない。ここの名物で「荒湯豆腐」というのがあるが、この熱湯に豆腐を入れて茹でると温泉成分の作用で絹ごし豆腐のようにきめ細かくなるという。長い歴史の中で、いわゆる温泉業だけではなく、人々の生活の中にも温泉の恩恵が生き続けているのは間違いない。
 NHKの「ふだん着の温泉」ではないが、こういう地は本当に愛する者にはこれからも永劫愛され続けるだろうし、またそうであって欲しい。

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 骨伝導を使って音読すると、耳だけでなく骨からも情報が入り、学習効果は高いといえます。湯村温泉の紀行文も骨伝導ヘッドセットで音読した文章を聞き、当時の思い出が鮮明に甦ってくるのが分かります。難聴対策や騒音対策としての骨伝導とは別の側面が露骨に出る場面です。

          ⇒ 骨伝導専門店「骨で聴くドットコム」

 同じ「湯村温泉」という名の温泉は山梨県甲府市にもあります。こちらも「弘法倶楽部」幻の第4号掲載です。

 名湯に触れ、骨伝導の威力を体感し、癒し効果が増長されていけば、その先には「健康」というキーワードに達します。もちろん補聴器の代わりとしての機能もありますが、より俯瞰して見たとき、セルフメディケーションへと進んでいきます。
 湯村温泉の「景色」を覗き、改めてそんなことを思いました。


恵那峡の立弘法を骨で聴く

2012-04-05 04:30:47 | 骨で聴く巡礼旅

 骨伝導と関わる以前から、ウォーキングに明確な目的をあわせもつ巡礼旅と、点から線への移行によるコミュニケーション型マーケティングを考えていました。
 点から線への移行は、二つの意味があります。
 一つ目は、札所から札所と巡ることで、まるでオリエンテーリングのようにまわる日本独特の巡礼スタイルに着目したことです。二つ目は、一つのキーワードを追求し、その潜在的威力を顕在化させることで、それぞれの点である個人を「倶楽部」の線とするコミュニケーション方法です。

 前者は健康志向とセルフメディケーション社会の推進に繋がるビジネスに発展し、その一つの例が高齢者の難聴対策としての骨伝導機器の普及です。
 後者は高齢化社会を見据えての「弘法倶楽部」設立です。

「弘法倶楽部」の弘法大師は真言宗の宗祖ですが、「お大師さま」や「弘法伝説」に彩られ、宗派を超えた存在感を示しています。インドから唐、そして日本へと真言密教が伝わった際に、当時の最新文化をも取り入れることに成功したのも弘法大師・空海です。また、密教ラインともいうべきレイライン、最先端の土木技術、金属資源の探索・採鉱・製錬等々にも弘法大師・空海の影響は及びます。

 さて、そこで「弘法倶楽部」第2号で取り上げられ、この「骨で聴く異世界」でも一部が取り上げられていた岐阜県恵那市の「三弘法」で、唯一登場しなかった「立弘法」を骨で聴くことにします。
 
 恵那の「三弘法」とは、恵那峡湖畔を見降ろす「立弘法」、笠置山中腹から下界を見降ろす「座弘法」、笠置山の稜線に現れた「寝弘法」です。

          ⇒ 座弘法を骨で聴く
          ⇒ 笠置山・寝弘法を骨で聴く

 恵那関連では他にも取り上げたことがあります。

          ⇒ 恵那峡のダムを骨で聴く
          ⇒ 恵那駅を骨で聴く
          ⇒ 恵那峡の笠岩を骨で聴く
          ⇒ 恵那峡を骨で聴く

 大正時代、当時の大同電力(現在の関西電力)が木曽川に初のダムを造りました。当時の金額で2,000万円余という一大事業でした。建設工事の規模も大きく、残念ながら不幸にして犠牲になった人も多く出ました。この霊を慰めるため、また木曽川が氾濫することのないようにという思いを込めて、有志の方々により弘法大師像が寄進されたのです。
 これが立弘法です。



 まだ寒い季節、落ち葉が一面に広がる場所に、恵那峡を見下ろすように弘法大師像はありました。その姿は霊力・法力で見守るというより、どこか健気に守護しているような素朴さもありました。
 静寂に包まれる中、骨伝導ヘッドセットを使い、周囲の音を耳だけでなく骨からも聴いてみると、そこには「自然」の奏でるBGMと「立弘法」の存在感が示す空気とが振動し、共鳴し、ある種の「癒し」の空間を形成したように感じます。

          ⇒ 難聴対策だけでない骨伝導製品

 改めて、骨伝導を使った異世界の旅は、ビジネス展開と関係しながらもライフワークであると確信します。再認識をするためにも「弘法倶楽部」第2号の立弘法は、思い入れが深い存在です。

下部温泉駅を骨で聴く

2012-04-04 11:06:17 | 骨で聴く鉄道駅

 春の嵐が列島を襲った昨日(2012年4月3日)。老犬が永眠しました。御年19歳。犬としては長寿を全うしたといえるでしょう。怒涛のように吹き荒れる嵐は、生きてきた時代を拡散し集約するための舞台だったのかもしれません。
 時は一定の方向に流れていることを痛切に感じました。そんな時の流れを意識することが、ビジネスにもあります。ライフサイクルです。時代の変化という外的環境だけでなく、内的な部分に潜む環境も刻一刻と変貌しています。そんな感傷にふけりながら、山梨県の下部温泉駅を骨で聴きます。

 下部温泉は「弘法倶楽部(⇒ web版)」第3号から幻の第4号に登場しました。その玄関口の駅が下部温泉駅です。所在地は山梨県南巨摩郡身延町常葉、JR東海の身延線の駅です。

 変わっている点があります。
 駅舎からホームへ構内踏切を利用するのは田舎の駅によくある光景ですが、この構内踏切は駅の外にある県道の踏み切りと並行していることです。従って県道から駅舎を通らずに直接構内踏切をへて駅へと入ることができます。もちろんこれは違反行為で、駅舎を通って入るような掲示まであります。

 駅舎は開業当初からの木造平屋建てで、歴史を感じさせる建築物です。黒い瓦がなかなか風情を出しています。先月まではJR東海の直営駅で、みどりの窓口や自動券売機も設置されていましたが、身延駅管理の簡易委託駅となり、下部観光協会が業務を受託しています。ただし温泉の玄関口の駅らしく、観光客が多い土、日、月曜日だけで、それ以外の日は無人となります。
 これも時代の流れなのかもしれません。

 この下部温泉駅から温泉街に入ると、「弘法倶楽部」に掲載された秘話が展開されます。
 ここでも時の流れを感じることになりますが、そのときの紹介記事を少し載せ、骨伝導を使って音読したいと思います。

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 「日蓮伝説の北、名湯・下部温泉に謎の加持祈祷所が静かに語る!」

 この情報は、有名な温泉地である下部温泉について、従来の温泉紹介では決して触れることのない謎を提供しています。信玄の隠し湯だけが下部温泉ではありません。
 但し、謎・ミステリーではあるものの、その背景には壮大な人間ロマンがあふれているのです。今まで誰も公に語られることのなかったドラマが、温泉地に展開されていたのです。

 中央本線の甲府駅から身延線に乗り換えると、日蓮伝説に彩れた谷間に入っていきます。身延山の手前に山梨の名湯・下部温泉はあります。
 湯治場の雰囲気を一部に残すものの、近代的な温泉街に近い風情にもなっています。しかし常識外れの紀行ライター・ドラケン石原は、この温泉地に封印された謎の加持祈祷所へと向かいます。日蓮の足跡が残る地域に、真言密教の加持祈祷所がひっそりとあるのです。現在の場所に移る前には、様々なドラマがあったといいます。だが、なぜここに加持祈祷所が? 現在の姿はいかに? 膨らむ期待と不安。


 この加持祈祷所を調査するため、町の史料・資料を紐解いてみました。しかし、そこからはミステリー色がより強くなるだけです。そこで生き字引ともいうべき古老を訪ねます。下部温泉に封印された真言密教の加持祈祷所の輪郭が垣間見えてきました。それはこの温泉地に展開された「信仰」のドキュメンタリーでした。伝説化しながらも、忘れ去られようとする祈祷所に秘められた物語。名湯として知られる下部に隠された真実の姿が見えてきました。

   謎に包まれ、

    歴史に封印された

     謎の加持祈祷所!


 ここを訪れた旅人は、この地が高野山から続く荘厳な霊場であることを知りません。その霊気はこの祈祷所に封印されているからです。何気なく訪れる温泉観光客には想像も出来ないことです。この情報を知ってしまったならば、たとえ身延山に参拝に行く人でも、ここを無視することはできないでしょう。

 もちろん、この地に来たからには温泉に入らなければ意味がありません。無色透明のやさしい湯は、隔絶された異世界の祈祷所から現実の「癒し」に戻してくれます。生きていることの素晴らしさを実感します。

 ここで扱うテーマは、安物の2時間ドラマではありません。真実の重みと封印されながらも霊気を拡散させている温泉街は、今まで感じたことのない旅気分をかもし出してくれるでしょう。このテーマを扱う旅人は、この情報を手にした人だけに限られること、間違いなしです。


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 下部温泉も2004年に発生した温泉偽装問題で、一部の源泉が温泉法の規定外であるとニュースに取り上げられたことがありました。その後の検査の結果、温泉法の規定外が確認されました。これは、低温の地下水の泉脈への流入量増加による泉温低下と推定されるに至りました。
 一部の源泉とはいえ、このような問題が出たことに衝撃が走ったのはいうもでもありません。

 しかし、戦国時代から武田信玄の隠し湯であるとする下部温泉は名湯であるのは間違いなく、さらに誰も取り上げなかった謎の加持祈祷所秘話も加わり、「弘法倶楽部」の旅は活況を呈してきたのです。

 そんなことを思い出し、骨伝導スピーカーで当時の音声をも再生し、愛犬の冥福を祈ります。


          ⇒ 骨伝導による「聴く」と「脳」の関係

 癒し効果とともに、骨伝導の威力を体感することで、時の流れをもう一度考える機会になればと思います。