骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

2つの永山駅を骨で聴く

2016-04-29 11:20:22 | 骨で聴く鉄道駅
東京都多摩市永山には、二つの私鉄の駅が隣接しています。
京王相模原線の「京王永山駅」と小田急多摩線の「小田急永山駅」です。

どちらの駅も新宿まで乗り換えなしで行ける電車が設定され、ともに急行停車駅です。(京王線は特急も停車)

この二つの駅は多摩ニュータウンの開発に関係しています。
ニュータウンの第1次入居地区がここだったのです。従って、現在のこの周辺地域を形成した開発の先駆をなしていました。

駅を丘陵地帯の谷間に配置し、駅を中心とした周辺地域は丘陵部分の地形をそのまま利用しました。そのため、起伏のある地形を利用して歩行者と車の通行を立体的に隔離することにしたのです。
まさに歩車分離の街づくりの手本とも言えます。

また、二つの隣接する駅周辺部分がニュータウン住民の生活拠点と位置づけられ、様々な店舗や娯楽、医療・保健関係の諸施設まで集積するようになっています。
駅の施設と商業施設「グリナード永山」は歩車分離により一体的に結合されていてい、複合文化施設「ベルブ永山」や、その先の永山北公園、さらに住居地方面にまで、歩行者専用道路が通じています。

さて、駅としては小田急が京王より4か月半ほど先行して開通しました。
しかし、現在に至るまで、乗降客は京王線のほうが多い状況です。

特に1990年代後半までは小田急線はこの区間はすべて各駅停車のみだったことから、新宿直通、速達電車の設定で利便性の高い京王線利用者が圧倒的に多かったのです。

しかし、小田急も対抗策を2000年以降に出してきました。
地下鉄千代田線・JR常磐線に直通する「多摩急行」の登場や、帰宅ラッシュ時にロマンスカーの運行を開始したのです。これにより現在は小田急の利用者は増加傾向にあるようです。

そんな永山駅を骨で聴きます。
特に駅周辺の歩車分離から、クルマの走行音が大きなノイズになっていないので、騒音対策としての骨伝導ヘッドセットは、ここではあまり重宝されません。しかしこの街の中心地ですから喧騒のノイズは多くあります。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットはやはり大いに活かされます。

最先端の骨伝導ヘッドセットはこちら


鶴ヶ曽根上久伊豆神社を骨で聴く

2016-04-28 10:12:31 | 骨で聴く巡礼旅
埼玉県八潮市は県南東部に位置し、海抜は概ね3メートル前後の平坦な地形の都市です。
東京都と隣接しているためベッドタウンの要素は多いものの、昔ながらののどかな風景も残っています。

そんな八潮市の比較的のどかな場所に鶴ヶ曽根上久伊豆神社は鎮座しています。



すぐ東側を流れるのが中川で、別名を古利根川ともいいます。
この川は寛永年間(1624~1644年)までは利根川の本流でした。この地域は、かつての利根川の自然堤防上に発達した集落でした。
集落の名称が鶴ケ曾根で、至徳4年(1387年)の「大中臣長房譲状」(香取文書)に記述が残っています。「鶴ケ曾根の関」と呼ばれる関所があったようです。
また、この地域には数多くの板碑が現存しています。村落の開発の古さが分かります。

鶴ヶ曽根久伊豆神社は、文禄3年(1594年)の勧請といわれています。
祭神は大己貴命で、のちに鶴ヶ曽根村の鎮守として祭祀され、真言宗薬王寺が別当を務めるようになりました。



明治時代の神仏分離令で独立社となり、村社に指定されました。
当時は境内に松が多く植えられていたようで、明治40年の八條唱歌に「右は久伊豆 松繁み 夏の盛りも暑からず」と歌われるほどだったようです。現在は鎮守の森も少なく、さっぱりとした印象の境内ですが、境内の松の根から、往時の松の大樹を偲ぶことができます。

そんな鶴ヶ曽根上久伊豆神社を骨で聴きます。
何だか懐かしい風景のように感じるのは、日本人の原風景に似た印象を持つからかもしれませんが、さらに周囲の音声を耳だけでなく骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の最先端の骨伝導ヘッドセットで、さらに懐かしい音を感じます。
 → 世界性先端の骨伝導技術はこちら

金神神社を骨で聴く

2016-04-26 11:29:42 | 骨で聴く巡礼旅
何とも金運に恵まれそうな神社の名前の金神神社ですが、知名度が低いため参拝者の数は少ないといえます。
どこに鎮座しているかというと、神奈川県川崎市麻生区で、小田急多摩線の五月台駅と栗平駅の中間地点です。高台の住宅街の外れのような場所です。



境内の下側から見上げると、まるで城跡のような雰囲気で、都内近郊の住宅街というイメージは全くありません。
しかもここへ至る道は、何とも分かりにくいといえます。決して複雑に道路を右折・左折を繰り返すわけではありません。しかし何の表示もなく、急な坂道を登り、住宅に囲まれた場所にいきなり現れる参道は、探そうと思わなければ見つけにくいといえます。



祭神は、天祖参神、金山比古命、金山比女命です。

天祖参神というと福岡県嘉麻市の社に鎮座していますが、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神のことで、神典の巻首に載られし元始造物の大主神とされていて、なぜここに祀られているのか分かりません。
おそらく由来を調べればある程度は分かるのかもしれませんが、不思議な気分はそのままにしておいても良い気がします。

金山比古命と金山比女命は『古事記』にも登場する神です。

イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物から化生した男神と女神です。金属に関する技工を守護する神とされていますので、社名との関係が見えてきます。



注目すべきは側宮の福寿大黒天です。




大黒様・大国主命ですが、社殿の左側にある側宮に祀られていて、米三俵の上に乗っているのが珍しいといえます。
しかもこれは、江戸時代に青ケヤキの巨木を一木彫したもので、高さ7尺7寸(約2.3メートル)もあります。かなりの迫力があります。
国内随一の大きさと言われていますが、偽りなしの大きさに驚きます。



地元の人を除けば、わざわざ参拝に来る人がどれだけいるか分かりませんが、金運アップの願いだけでなく、この大黒天を見に来るだけでも価値のある神社です。まさに穴場的な神社です。


四面塔稲荷を骨で聴く

2016-04-25 11:45:40 | 骨で聴く巡礼旅
かつて四面の題目塔があったことから「四面塔稲荷」と呼ばれるようになり、交差点の名称にもなっていますが、正式には堤稲荷神社といいます。この神社は練馬区の西大泉に鎮座し、清戸道沿いです。

清戸道とは、江戸時代、江戸と武蔵国多摩郡清戸(現在の東京都清瀬市)との間を結んでいた古道です。江戸川橋が起点で、北西へ約20キロ以上も続く道です。



境内は比較的広いものの、鎮守の森を形成しているわけではないので、広場のような印象すらあります。
社殿の棟札を見ると、「元治二年」と書かれているようなので、江戸時代末期の建築物といえそうです。
一間社、流造り、銅板葺きの小祠で、彫刻が随所に施され、よく見るとなかなか見ごたえがあります。

拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成9年に「西大泉の稲荷神社本殿」として練馬区有形文化財に登録されました。

実際の創建年代等は不詳で、江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられていますから、歴史はある社です。

摂社に御嶽神社がありますが、面白いのはここも単独で道路側に鳥居があり、参道が続いている点です。





摂社と本殿の位置関係や広い境内など、何とも不思議な印書を持ちますが、この周囲を走るドライバーに道路を渡った先のセブンイレブンとともにランドマーク的な意味合いがあるのは事実です。
そんな四面塔稲荷を骨で聴きます。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで古道沿いの音声を聞くと、かすかに古の旋律が聞こえてきそうです。
骨伝導ヘッドセットはこちら

栗平駅を骨で聴く

2016-04-22 17:45:42 | 骨で聴く鉄道駅
小田急多摩線の急行停車駅である栗平駅へ、米軍採用・特許技術・Bluetooth骨伝導ヘッドセットとともに降り立ちました。
栗平は現在は正式な地名になっていますが、もともとは「都筑郡栗木村」と「都筑郡片平村」に駅があったことから、双方の村の文字をとったことに由来しています。

典型的なベッドタウンにある駅です。
いうよりも、もともとが町や集落だった場所に駅ができたわけではなく、小田急電鉄による多摩線沿線の活性化によって誕生したともいえます。
そのため、駅周辺は完全な住宅街です。
南口は商店すらありません。



駅北側に商業施設などがわずかにあるものの、私鉄の急行停車駅というイメージからは遠く離れた印象を持ちます。
また、多摩線は小田急の本線ともいえる小田原線の新百合ヶ丘から分岐しますが、この周囲は多摩丘陵を貫いているため、明らかに新百合ヶ丘駅より標高が高いといえます。

小田急不動産などの大手デベロッパーにより、宅地化からマンションや建売一戸建が販売され、自然と一体化した街並みですが、少し離れれば未開発の自然も多く残されています。



閑静な新興住宅地も独自の歴史を刻み始めています。
その中心となる栗平駅から骨で聞きます。

スマホとBluetoothで最新の骨伝導ヘッドセットをつなげ、通話してみます。
なんとも快適です。
安物の骨伝導ヘッドセットでないことが、使うだけで実証できるのがすごいといえます。

 → 米軍採用の骨伝導ヘッドセットはこちら

溝口神社を骨で聞く

2016-04-22 10:44:56 | 骨で聴く巡礼旅
溝の口駅といえば東急田園都市線の主要駅であり、大井町線の始発駅でもあることから、乗降客も多い川崎市を代表する駅の一つといえるでしょう。駅周辺には商業施設も充実しているので活気がある街です。

そんな溝の口駅からわずかに徒歩5分程度の場所に溝口神社は鎮座しています。
2009年8月にこの街を訪れた際には、JRの武蔵溝ノ口駅しか取り上げませんでしたが、今回は「川崎の祈願所」といわれる溝口神社まで足を運びました。もちろん、いつものように米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットと一緒です。

 → 武蔵溝ノ口駅を骨で聴く

創立年代は不詳ですが、棟札よると、宝永5年(1709年)に武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されているそうなので、古社であることは間違いないでしょう。

江戸時代は神仏習合により、溝口村の鎮守・赤城大明神と称されていました。
赤城大明神といえば、現在の群馬県にある赤城山を信仰の中心として関東一帯に信仰圏を形成してきました。東京では神楽坂に鎮座する神社が有名です。




しかし明治維新後の神仏分離により、溝口村の総鎮守として祀るため、新たに伊勢神宮より御分霊を奉迎したことで、祭神を改めることになりました。この時に溝口神社と改称し、明治6年(1873年)幣帛共進村社に指定されました。

神木も立派で、気持ちの良い境内です。
ただ、都市部に鎮座しているせいか、それほどの広さはありません。参道もきれいに整備されましたが、神社らし神秘的な雰囲気というより、明るい公園のような雰囲気です。これはこれで街に馴染んでいる気がします。



わずか徒歩5分程度とはいえ、駅前の喧騒とは無縁な世界を形成している祈願所は、とにかく明るい雰囲気の神域です。
荘厳さや神秘性ではなく、まさにこの街の鎮守であり、人々の心に寄り添う場所だといえるのかもしれません。
そんな溝口神社を骨で聞きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットから聞こえるのは、さて、
実際にここで骨伝導体験をして、その音声をお聞きください。

 → 米軍採用・特許技術の骨伝導製品はこちら


川崎市高津区・光明寺を骨で聴く

2016-04-21 12:43:46 | 骨で聴く巡礼旅
真宗大谷派の大悲山光明寺は、大山街道沿いにあります。現在は国道246号線がメインの街道になっていますから、この古い街道はまさに生活道路といった雰囲気ですので、街に溶け込んでいる感じの寺院です。

しかし、元から現在地にあったわけではなく、かつては二子村にあり、江戸初期の1669年(寛文9年)に移転したといわれています。
専造坊が元亀2年(1571年)に天台宗寺院から浄土真宗寺院へ改めたという記録もあり、実際の移転の時期も正確には不詳というのが正しいのかもしれません。



川崎市重要歴史記念物が光明寺にはあります。

絹本着色・浄土七高祖連座像 寛文12年(1672年)制作
絹本着色・親鸞聖人像 宝永2年(1705年)制作
絹本着色・聖徳太子像 寛文12十二年(1672年)制作

実物は見られませんでしたが、山門横に掲示されたもので説明がありました。




またここには大貫雪之助の墓があります。
明治20年(1887年)に橘樹郡高津村二子の大貫寅吉の次男として生まれ、第1高等学校在学中に文才を認められました。
の妹カノは後の岡本かの子で、ともに与謝野鉄幹・晶子夫妻の「新詩社」に参加しました。東京帝国大学英文科在学中には、第2次「新思潮」の創刊にあたり、谷崎潤一郎・和辻哲郎・木村荘太・後藤末雄などと共に同人として活躍した人物です。

しかしその才能は若くして去りました。大学を卒業した年の大正元年(1912年)丹毒の病で急逝しました。

そんな光明寺を骨で聴きます。
耳だけでなく骨からダイレクトに聴覚神経に伝える骨伝導により、周囲の音声を聞きます。
やはり生活の音と、寺院ならではの静寂という名の雑音が伝わってきます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットを使い、境内を出たあとで通信すると、それは世界最先端の騒音対策にもなります。

米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ


豊玉南・富士稲荷神社を骨で聴く

2016-04-19 09:58:59 | 骨で聴く巡礼旅
練馬区の東端近くを南北に貫くのが環状七号線ですが、その南端の交差点から西に少し進んだ場所に児童公園があります。
道路側に公衆トイレもあることから、タクシーが横に停車している姿も多く見かけます。

この児童公園の敷地内に富士稲荷神社が鎮座しています。
鳥居から短い参道があり、社殿は小高い丘の上にあります。

きれいに整備されていて、気持ちの良い空間です。朱色も稲荷神社らしい鮮やかさを感じます。

富士稲荷神社という名称から考えると、おそらく富士塚が関係しているのではと思えてきます。しかし、これだけ小さな社なので、本格的に調べないと分かりません。

児童公園らしく子供たちの声が聞こえます。
保育園新設問題で、子供の声が騒音という話題がありましたが、元気な声が響いているのは何となく元気をもらえそうで、懐かしい気持ちにもなります。確かに静かに生活している人には雑音であり、迷惑な騒音かもしれません。
しかし、子供の元気な声が聞こえない社会というのも恐ろしく思えます。

やはりそんなときは骨伝導でしょう。
耳で聴くことだけでなく、骨からも聞くことを考えたら少しは状況が変わるでしょうか。
骨伝導ヘッドホン、ヘッドセット、骨伝導マイクなど、騒音対策としては抜群の威力を発揮します。
状況が異なるので、同じ威力はないかもしれません。でも、この機会に骨伝導について考えるのも良いのではないでしょうか。

震災により、レスキュー隊、自衛隊などの活躍の場が目立っています。
そういう場面でも耳を塞がない、あるいは騒音の中でも明瞭な通信を可能にする骨伝導の技術が活かされています。
ただし、その性能は米軍採用・特許技術のレベルでないと十分ではないでしょう。
そんな意味で、世界性先端の骨伝導技術を扱う製品は貴重です。→ 米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ

八幡山八幡社を骨で聴く

2016-04-18 10:45:20 | 骨で聴く巡礼旅
東京世田谷区には八幡山という地名があります。
地名の由来としてかつて村だった頃に、村内にあった八幡神社が由来といわれていますが、実は定かではないようです。ただ、その八幡神社が今回訪れた八幡社です。



創建年代は不詳で、もと別当寺の東覚院の創建が室町時代とも鎌倉時代ともいわれ、八幡山八幡社も同時期の創建と推定されています。明治時代には村社に列格していました。



昭和47年11月に神殿・社務所、境内諸施設を新築して遷宮奉祝祭を執行しました。
八幡山八幡社は海防守護の神でですが、主神が文化や産業の振興につくされたことから繁栄と和平、つまり厄除開運の御神徳をたれ給う神として一般の崇敬をうけています。




かつては八幡山のこの周辺一帯は、烏山川が流れる緩やかな丘陵地だったようです。そのため、八幡山の近隣からは縄文中期の集落跡や、江戸時代の炭焼窯も発掘されています。八幡山遺跡と呼ばれています。
そういった意味で、古来より人々の生活拠点があり、様々な交流の行われた地域だったことが想像されます。

そんな場世に鎮座する神社ですから、現在の規模は小さいものの精神的な支えを持つ存在だったことだと予想されます。
現在は住宅街の一角になり、街のアクセントになっています。

周囲を骨で聴きます。
耳だけでなく、骨から聴覚神経へと音声を伝えます。骨伝導です。
単なる骨伝導ヘッドホンではなく、米軍採用・特許技術の世界最高レベルの性能のヘッドセットを使えば、何となく古来からの街の息吹が聞こえるような気がしたリします。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセット


布田駅を骨で聴く

2016-04-16 14:31:30 | 骨で聴く鉄道駅
京王線の布田駅に、米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに降り立ちました。

2012年8月に地下駅となったことで、駅舎はまだ新しいものの、何ともさっぱりとしすぎている感じがします。
かなり印象が異なります。

地上駅だった時代は、布田駅のホームはカーブ上にあったため、線路に高低差があり、無理やり駅にした感じでしたが、現在は直線上になっている気がします。

調布市を東西に貫く京王線の駅で、布田駅の東700m先に国領駅、西600m先に調布駅があり、駅間は短い区間といえます。



駅前に新しいロータリーがあったり、地下になったことで踏切がなくなったりしましたが、駅前の雰囲気は音ついた状態のままです。地味な印象を持つ駅前ではありますが、現在地には1927年(昭和2年)から駅があるので歴史はあります。
駅の北側には旧甲州街道、その先に現在の甲州街道(国道20号線)が東西に走っています。

街道沿いの街で、古くから「布」の生産が盛んな土地であったことから、「布の田んぼ」という意味で「布田」となったようですが、駅の所在地は東京都調布市国領町5丁目になります。
ちなみに国領駅は、調布市国領町3丁目です。

そんな布田駅で周囲の音声を骨で聴きます。
都内の私鉄沿線の駅は狭く入り組んだ街の中が多くあり、必然的に喧騒が生じますが、布田駅にはありません。周囲のかすかな音声を耳だけでなく骨で聴くことになります。
直接聴覚神経へと伝わる布田駅の周囲の音声は、やはり昼間の閑散とした時間帯は静かです。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットへ

東北寺を骨で聴く

2016-04-15 09:59:25 | 骨で聴く巡礼旅
熊本県を中心とした地域で非常に大きな地震が発生しました。マグニチュードは6.4で、熊本県益城町宮園では震度7を観測しました。その後も大きな余震が続いています。

関東の人間は、すぐに東日本大震災を思い出したはずです。
東日本大震災のときは、東北地方の太平洋側が壊滅的な被害を受けました。そのせいか、地震のニュースの一報が入るとすぐに東北地方のことを思い浮かべてしまうようになりました。

その東北という名称を持つ寺院が東京の広尾にあります。
広尾といえば、東京都内を代表する高級住宅街のひとつです。その一方で、意外にもオフィスビルも多く、天現寺交差点の近くには在日アメリカ海軍の施設、「ニュー山王ホテル」もあります。

そんな広尾の住宅街に東北寺はあります。
臨済宗妙心寺派寺院で、正式には禅河山東北寺です。



至道無難(俗名・相川源左衛門、延宝4年1676年没)が至道庵を営み、寛永6年麻布桜田町に創建したのが最初です。
上杉弾正大弼の室(法名生善院慶巌栄余)が中興開基となり、元禄9年(1696年)に現在地へ移転しました。
この時に寺号を東北寺に改めたといわれます。

東北寺には吉良上野介の正室だった富子の墓があります。
富子は、上杉定勝の四女として生まれ、万治元年(1658年)吉良上野介に嫁ぎました。あの松の廊下の刃傷事件後に、吉良家の屋敷は呉服橋から本所松阪町へ移されましたが、富子は上野介に同道せずに芝白金にある上杉家下屋敷へ移りました。
元禄15年(1702年)の討ち入りで上野介が死去すると、落飾して梅嶺院と号し、その菩提を弔い、2年後、上杉家下屋敷で死去しました。

別に観光要素のある寺院ではありませんが、閑静な住宅街の高台に墓地が広がり、都会の真ん中にありながら妙に一体化した印書を持ちます。




ここで周囲の音声を骨で聴きます。
幹線道路から離れているので喧騒とは無縁です。純粋に周囲の音声を耳だけでなく骨から脳へと伝えます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで癒し効果が増すようです。

世界最先端の骨伝導ヘッドセットはこちら


國領神社を骨で聴く

2016-04-13 12:28:57 | 骨で聴く巡礼旅
御神木の千年乃藤があることから「千年乃藤のお宮」とも呼ばれている國領神社へ、骨伝導ヘッドセットともに参拝です。
残念ながら藤は開花前でしたが、その分、他の参拝者の姿はなく、落ち着いて境内へと入れました。

調布市の甲州街道(国道20号線)に面していながら、これだけ見事な藤があるのも珍しといえます。
この藤の木は、樹齢約4~500年といわれています。
何でも、以前は大きな欅の木にからまり、現在の甲州街道の方まで延びて、藤の花を咲かし実を生らしていたそうです。
しかし落雷のために枯れていまい、代わりに藤の木を保護するために電柱を2本立てました。

藤の棚は昭和47年4月からです。
高さ約4メートル、面積約400平方メートルあり、棚一面に藤の枝が広がっています。



ところで肝心な神社ですが、もともとは、多摩川のほとりに鎮座していた第六天社と神明社の二社を合祀した際に、「國領神社」と総称されるようになった神社です。

第六天社は鎌倉時代の頃から鎮座していたようです。
薬師如来の守護神たる十二神将の中の第6番目に位する第六天神を祀り、薬師寺(現在の常性寺)の管理下にありましたが、寛永17年(1640年)頃に常性寺が移転することになり、第六天社も国領へ遷座しました。
神明社も薬師寺の管理下にあったことから、同じように遷座しました。

明治の神仏分離により、常性寺から分離され、明治4年(1871年)には旧社格で村社に列格しました。



交通量の激しい甲州街道に面しているため、境内は神社らしい荘厳さや静寂はありません。
やはり騒音と隣り合わせの神社には耳だけでなく骨で聴く骨伝導ヘッドセットが最適です。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに訪れるてみてはいかがでしょうか。
藤の花ももうすぐです。
骨伝導ヘッドセットはこちらです。→ 米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ

笹塚観音を骨で聴く

2016-04-06 10:34:26 | 骨で聴く巡礼旅
東京の笹塚は渋谷区に属しますが、新宿から京王線でわずかに1駅、京王新線で3駅という場所にあるせいか、渋谷駅を中心とした商圏ではなく、新宿商圏という印象も持ちます。

そんな笹塚には活気のある商店街があります。
十号通り商店街がその代表例ですが、実はもうひとつ、観音通り商店街があります。
飲食店が多いというイメージがある商店街ですが、この通りの名称である「観音」というのを実は知りませんでした。

周囲に観音に関係する寺院があるわけではないので、不思議だったのですが、実際に商店街を歩いてみると簡単に謎が解けました。

江戸時代からあったという観音像が商店と軒を並べるようにありました。



奇跡のエピソードがあるそうです。

1945年(昭和20年)3月10日は東京大空襲の日でした。
当然のことながら笹塚も被害にあいました。空爆により笹塚の町は焦土と化しました。

悲惨にも焼き尽くされてしまった瓦礫の街でしたが、この観音像はほぼ無傷の状態で発見されたそうです。
生き残った街の人々にとって、絶望の中で見つけた奇跡の観音様、それは「希望」だったのかもしれません。
以来、笹塚観音はこの街を見守り、ここに暮らす人々には「希望」を脈々と繋いできたのかもしれません。

賑やかで活気のある商店街という意味では、十号通り商店街のほうが勝っています。
しかし観音様に守られた商店街には、何か言葉にできないメッセージが包まれた優しい空間のような気がします。
そんな笹塚観音を骨で聴きます。→ 世界最高技術の骨伝導製品

商店街に観音様の慈悲が伝わり、それを耳だけでなく骨でも聴くことで、よりこの街の魅力が伝わってくる感じがします。

蟠龍寺を骨で聴く

2016-04-05 11:31:59 | 骨で聴く巡礼旅
山手七福神の弁財天となっている蟠龍寺は、浄土宗寺院で霊雲山称明院と号します。
山手通り沿いが入口になりますが、境内はかなり先に進んだ先のため、意外と静寂な雰囲気を持っています。

慶安元年(1648年)に開創した称明院を、増上寺の霊雲上人が宝永6年(1709年)に霊雲山称明院蟠龍寺として改名再建したという歴史を持っています。

本堂にある本尊は「木像阿弥陀如来像」(都指定文化財)で、天明年間(1781-1788年)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られています。

また蟠龍寺といえば、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石造弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が安置されていることで知られています。



池の麓が小高くなった弁天堂も存在感がありますが、本堂を回った場所にある岩窟はやはりインパクトあります。
目黒区の、しかも山手通りから入ってきた寺院の境内にあるとは思えないほどの雰囲気です。




そしてもう一つ、珍しいのがおしろい地蔵です。




祈願方法はユニークといえます。
地蔵の顔におしろいや化粧を塗り、自分の顔にも残ったおしろいを塗り、化粧をすると美人になるというものです。
歌舞伎役者にも信仰されていると聞きますが、やはり中心は女性の信仰のようです。

都会の中の意外なスポットという感じですが、都内には探せば必ずこんな出会いがあります。
耳だけでなく骨からも聴くことで意外なことが分かるのと同じです。
骨で聴くといえば骨伝導。今なら送料無料です。
米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ


菅塩沼を骨で聴く

2016-04-04 09:59:52 | 骨で聴く癒しの世界
全国に約970点ある一等三角点ですが、一般に風格のある山容、優れた眺望、高い知名度がある山に設置されています。標高も1,000m以上が多いのが特徴ですが、実はこれらに当てはまらない山もあります。

群馬県太田市にある唐沢山です。標高も300mに満たない山で、市民にも一等三角点のある山だということがどれだけ認知されているか、疑問に感じるほど地味な山です。

その唐沢山登山口に相当する場所に菅塩沼があります。
灌漑用として江戸時代初期に築かれた沼のようですが、周辺は水と緑に囲まれ、今の季節は桜です。
延長1500m、沼を囲むようにソメイヨシノ50本が植えられています。

釣り客も多く訪れる場所で、花見の季節は様々な人で賑わいます。
そんな癒し空間を骨で聴きます。
花弁が舞う姿を耳だけでなく骨でも聴きます。
→ 米軍採用・特許技術の骨伝導へ