人口約22万人の群馬県太田市は北関東随一の工業都市として栄えています。企業城下町として、市民の約60%近くが富士重工とその関連会社の従業員とその家族であり、伝統的な世帯構成ではなく、大都市型のサラリーマンの核家族を中心とした都市です。
その太田市に聳える金山は、標高235.8メートルの独立峰であり、山城でもあります。
関東七名城のひとつとされ、築城は新田一族の岩松家純です。
鎌倉幕府を倒した新田義貞の築城説もありますが、発掘調査の結果、義貞の時代の遺構は検出されていないようです。
金山城は岩松氏から以降、由良氏、北条氏と移りました。上杉謙信の攻撃を退けたほどの城でした。
金山城は連立式の山城になっており、現在新田神社のある本丸、二の丸、三の丸で構成されています。これらを中心とした場所から六筋の尾根が伸びています。
ここでは堀切や小郭で区切られ、実城の周囲は、坂中城(北城)、西城、八王子砦、比丘尼坂出丸、金井口砦、東櫓、南金井砦と丸屋敷と広がっています。
そして少し隔たった場所から丸山、矢田堀、下小林、大島、鳥山、由良の支城までを構成しています。まさに難攻不落を誇るほどの規模と城の構成です。
また、山頂付近には、日の池、月の池などの遺構があり、それ以外にも多数の井戸があったようで、水には困らなかったといわれています。
山といえば弘法大師ですが、ここは武将の歴史と伝説のみが残されています。さすがの弘法大師・空海もここには足跡がありません。
⇒ それでも弘法大師空海を知りたい方はこちら
そして戦国に思いを馳せるとき、必需品は骨伝導です。
耳では聞こえない音を骨で聴きます。
特許技術の骨伝導と金山城、実によい組合せです。
⇒ やっぱり骨伝導という方はこちら
骨で聴く旅はまだまだ続きます。
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