骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

若葉台駅を骨で聴く

2016-05-31 11:26:24 | 骨で聴く鉄道駅
東京都と神奈川県の都県境に位置する京王相模原線の若葉台駅に降り立ちました。
いつものように米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットと一緒です。

多摩丘陵の斜面にある駅で、そのため丘陵部分を土工で整地してつくられています。
高低差がある場所のため、稲城駅側は高架、京王永山駅側は地平構造となっています。しかも高架部分は傾斜地であるがゆえの特殊な3層構造で、2層目が店舗施設になっています。
また相模原線用の若葉台検車区・車両工場があり、待避線も有しています。

おもしろいのは駅名の由来です。
もともとこの地区に若葉台という地名は存在しませんでした。しかも当初は街もなく、駅周辺は車両基地の他には、現在のような人工物が皆無の場所でした。多摩ニュータウン開発によって誕生した丘陵地帯の駅で、もともとは自然環境の豊かな場所だったわけです。そのため若葉が多く派生する台地であったことに由来して、地名とは無関係に「若葉台」と名付けられたようです。



主に駅の北側が東京都稲城市、南側が神奈川県川崎市になります。乗降客は年々増加傾向のようで、2008年には稲城駅を超え、駅前も賑やかな印象を持つようになりました。

そんな若葉台駅を骨で聴きます。
都心のような喧騒まではいかなくても、ニュータウンらしい活気が随所にあり、その音声を耳だけでなく骨でも聴きます。
米軍採用・特許技術を駆使した骨伝導ヘッドセットなら、周囲の音声を聞くだけでなく、電話の音声も明瞭に聞こえます。

米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ

田園調布八幡神社を骨で聴く

2016-05-29 11:08:16 | 骨で聴く巡礼旅
東京の高級住宅街として知られる田園調布は、すぐ南側に多摩川が流れています。
武蔵野台地が終わり、国分寺崖線によって急斜面で多摩川に至る地形になっています。その斜面に沿って石段が続く神社があります。
それが田園調布八幡神社です。



創建は鎌倉時代の建長年間(1249年~1256年)と伝えられています。



創建当時は篭谷戸と呼ばれる多摩川の水が滔々と打ち寄せる入江があったようです。
その入り江に物資を積んだ舟が盛んに出入りしていました。
段丘の高台部分には鎌倉街道が通っていて、街道沿いの要衝の地でした。

八幡神社が鎮座する場所は、舟の出入りを監視できる港の入口に突き出した台地に相当したようです。
監視場所に祠を建て、八幡神社を勧請して創建となったと考えられていますが、その時代は建長年間(1249-1256年)と伝えられています。以来、この地は特別な聖地となり、今日に至るまでこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されてきました。



勧請されたのが八幡神社であったのは、当時の鎌倉幕府が執権の北条氏が実権を握っていた時代で、国内基盤固めを行っていたことから、武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を尽くす意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んだったと思われます。

その後、天正18年(1550年)、小田原北条氏滅亡の後、八王子城主北条氏照の家臣・落合某が当地に移住しました。
その孫である左衛門が、八幡大菩薩を祀り、上沼部村の鎮守となったようです。

明治中期の四村合併まで村社でした。

境内摂社は稲荷社で、赤い幟がこの聖地にはかなり目立つように感じます。




いつものように米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに参拝しました。
不思議な静寂さと、田園調布とは思えない、まるで旅先のような異空間を感じます。耳だけでなく骨からも周囲の音声を聞き、まさに骨で聴く異世界です。

そんな世界最高レベルの技術を誇る骨伝導ヘッドセットはこちらです。
予想と異なる印象に感動する神社です。


次世代音声増幅器を骨で聴く

2016-05-18 13:55:13 | 骨で聴くビジネス
骨伝導とBluetoothを組みわせた新しい次世代音声増幅器の製造企画があります。

まだ企画段階ではあるものの、特徴として以下が挙げられています。

1. 完全防水型骨伝導スピーカーイヤホン
2. 軽量コンパクト設計。本体防水機構(IP×4 防沫型)
3. 外部ノイズ(エアコンファンノイズなど)軽減
4. バージョン4.2ブルートゥース採用
5. 会話、TV、携帯電話のトリプルユーズ
6. TV音声接続はブルートゥースでワイヤレス
7. スマホ、携帯電話もブルートゥース対応OK
8. 省エネ設計&容量十分なリチウムポリマー電池採用(最大8時間連続使用可能)※ 音量などにより変化
9. USB充電、AC100V・PCUSBポートから充電
10. すべてにおいて使いやすさを追求した最新モデル

今までの「きくちゃん」から発展したタイプになるのか、全く新しい製品となるのか、まだ現状では誰も分かりません。

仙川駅を骨で聴く

2016-05-16 11:16:09 | 骨で聴く鉄道駅
京王線の仙川駅は、「せんがわ」と濁った読み方をします。「せんかわ」と読む都内の駅は千川駅で、地下鉄の有楽町線・副都心線にあります。

仙川駅は調布市にありますが、世田谷区の上祖師谷や給田に近く、また、、三鷹市の新川や中原の居住者も利用する駅です。
この駅は周辺の地域よりわずかに標高が高いのが分かります。新宿方面か来ると、掘割の中を線路が走り、半地下構造の駅に到着します。そのためホームから階段を登った先にある改札口が地面の高さになります。

現在は快速も停車するようになっています。
しかし、この駅の歴史を調べると、1963年(昭和38年)までは準急の停車駅でした。この年に準急が廃止され、しばらくは各駅停車のみの停車駅でした。

快速の停車駅になったのは2001年で、その影響もあるのか乗降客は増加していきました。2015年には、区間急行の停車駅にもなりました。

桐朋学園大学の最寄り駅でもあり、また、大型商業施設も駅の近くにあり、決して街としては大きくないものの人の集まるエリアになっているといえます。
人が集まると喧騒になり、その中で携帯電話で通話するとどうしても相手の声が良く聞こえないことがあります。
そんなときは骨伝導ヘッドセットです。耳ではなく、骨で聴くのです。
実際の騒音現場や、米軍の爆音の中で使われている性能であれば、仙川駅周辺の喧騒の中でも快適に通話ができます。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットへ

浄慶寺を骨で聴く

2016-05-12 15:44:41 | 骨で聴く巡礼旅
川崎市で「あじさい寺」の異名で親しまれている淨慶寺へ、米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。
川崎市麻生区の南西部、町田市との境に近い丘陵部に位置します。

6月から7月にかけての時期であれば、3000株の「紫陽花の名所」としてすごい景観を見せてくれるでしょう。今はまだ紫陽花の季節ではなく、あふれる緑に囲まれた状態です。




元和元年(1615年)の開山の浄土宗寺院で、本尊は阿弥陀如来です。
ここは紫陽花だけでなく、境内で多く目にすることができる羅漢にも注目です。





とにかくユニークな羅漢に囲まれた境内はそれだけで楽しく、微笑ましくもあります。



自然に包まれ、ユニークな羅漢と一緒に骨で聴きます。
携帯電話を手にしいる羅漢もいるので、ぜひ骨伝導ヘッドセットをお勧めしたくなります。
残念ながらヘルメットをかぶった羅漢はいなかったのですが、バイク用インカムと骨伝導ヘッドセットを一緒にお得に購入してみては、いかがですか? 羅漢に声かけたくなるのもこの寺院の雰囲気からです。

米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ


栢山駅を骨で聴く

2016-05-10 14:29:38 | 骨で聴く鉄道駅
小田急線の栢山駅は小田急線全70駅中62位という乗降客で、すぐ隣の富水駅が66位ですから、小田原市の比較的のどかな地域にあることが分かります。

線路の東側には酒匂川が流れ、小田急線と並行しています。対岸で、やはり川と並行している路線はJR御殿場線です。
栢山は二宮尊徳(金次郎)の生誕の地で、近くには生家や尊徳記念館などがあります。




小田急線の新松田から小田原間の途中駅に相当しますが、この区間には栢山駅を含めて5駅あり、すべてホームの有効長が120m(20m車6両分)しかありません。そのため小田急線でもこの区間はローカル色があるともいえます、また、10両編成の急行は停車できないため通過することになります。

栢山駅に停車する日中時間帯の電車は、すべて新松田~小田原駅間の区間運行になっていて、秦野、本厚木、町田、新宿方面には、新松田駅での乗り換えになっています。

そんな栢山駅を骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで、周囲の音声を耳だけでなく骨からも聴きます。

用水路が多くあるせいか、水の流れも聞こえます。
この駅に初めて降り立った者には、何か心地よい水の音です。
しかし、骨伝導製品も米軍採用・特許技術のレベルのものでなければ、この感覚はわからないでしょう。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットへ


太田市・伊勢神社を骨で聴く

2016-05-09 13:29:31 | 骨で聴く巡礼旅
東武伊勢崎線太田駅から南東方向へ行った場所に、小さな伊勢神社が鎮座しています。

鎮守の森もないので、目立たず、ひっそりとした感じです。
鳥居を潜ると、すぐ右側には「乳いちょう」があります。




乳の出ない女性が、乳が出るように願をかける銀杏の老木がそのように呼ばれたり、あるいはそれに関する伝説が残っていたりします。

参道は短いながら真っすぐで、正面い社殿があります。
この伊勢神社には、藤原秀郷の伝説があります。



秀郷が平 将門を討つため、宇都宮の二荒山神社に参詣し戦勝祈願をしました。
その後に上野国(現在の群馬県)に入り、この伊勢神社に立ち寄って参拝しました。
伊勢神社で秀郷が参拝を終えると、空木の弓で、竹の矢を射りました。その矢は何と、はるか遠い武蔵国まで飛んだとといわれています。
このことから、「伊勢神社の弓引き祭り」とし、現在まで続いているそうです。

有名でもない、小さな神社ですが、隠れた伝説が残っているところが魅力的です。

鈴木稲荷・瘡守稲荷・妙力稲荷を骨で聴く

2016-05-08 11:00:05 | 骨で聴く巡礼旅
神奈川県川崎市で、生活道路として初めて開通したトンネルをご存知でしょうか。
小田急線柿生駅の南側で、柿生中学校の建つ高台の下にあった柿生トンネルです。昭和26年(1951年)に開通しましたが、現在は跡地になっていて、完全な切通しの道に変わっています。

トンネルが取り壊されたのは、昭和53年(1978年)で、現在は小さな案内看板だけ立てられています。
このトンネル跡地を示す案内看板の向かい側で、住宅に挟まれた狭い場所にひっそりと鳥居がたっています。



正一位を授けられた稲荷神社で、鈴木稲荷、瘡守稲荷、妙力稲荷と、複数の名を持っています。




狭い参道が一直線に続き、すぐに丘陵の斜面になります。
ここで石段となり、登り切った場所が狭いながら平坦な場所になっています。
この狭い空間に社殿があります。



鈴木稲荷神社の名称になっている「鈴木」とは、この土地に住む「鈴木」姓の人々のことと思われます。
古来より熊野地方の神官職を務め、紀州藤白(現和歌山県海南市)に移り、戦国時代の傭兵部隊「雑賀衆」を組織した一族を子孫に持つといわれています。
神社の名称となった「鈴木」ははmこの地へ移転してい来た子孫たちが故郷や先祖を敬う意味合いで建てたものだといわれます。

また、別名になっている「瘡守」は、皮膚病から身を守るという意味があり、二子玉川の稲荷社でもこの名称がありました。

最後の「妙力」は、日蓮宗でいう妙法の四力という意味で、仏力、法力、信力、行力の四つが合わさることではじめて成仏できるとされているものです。古来から続く神仏混合の名残なのかもしれません。


わざわざ遠くからこの神社へ参拝に来る人はまずいないでしょうが、消えたトンネルの跡地を見守る小さな稲荷神社は、何とも言えない魅力にあふれています。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに、参拝するをお勧めします。

骨伝導ヘッドセットはここまでの高性能で!

妙満山大慶寺を骨で聴く

2016-05-06 11:08:25 | 骨で聴く巡礼旅
ぼたん寺として有名な大慶寺へ、米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。
残念ながら、今年はぼたんの花の見ごろは終わり、藤棚も寂しい状態でしたが、なかなか興味深い寺院でした。

牡丹の咲きほこる時期は4月下旬から5月上旬ですから、まさにタイミングは良い時期でしたが、今年は異様に早く終了してしまいました。最盛期には大型観光バスもやって来るほどらしいですが、花が終わった今、ひっそりとしつつもゴールデンウィークらしく観光客もいました。




真言宗豊山派の寺院で、牡丹の名所である初瀬山に本堂があることから、花の御寺として知られ、「東国花の寺百ヶ寺~群馬2番札所」になっています。150種以上7,000株といわれているそうです。



場所柄、源氏のp新田氏と関係の深い寺院です。

寺伝によると、源義朝の長男・義平は新田義重の娘婿といわれ、鎌倉悪源太と称されましたる。
平治の乱には父に従い平清盛を討とうとしましたが、戦いに敗れ越前に逃れました。

越前で父の死を知り、急きょ京に引き返し清盛の暗殺を企てたものの、捕えられ六条河原で切られました。

永暦元年(1160年)源義平没後、その妻が父新田義重を頼り、世良田郷に住み、後に綿打に移り夫の冥福を祈り菩提を弔うため出家して、妙満尼となり治承4年(1180年)に一庵を結びました。

これが、妙満尼を大慶寺の開基とし山号を妙満山と称したことになります。



その後、南朝の維持に力を尽くした綿打入道爲氏の館が建てられ、明徳5年(1394年)に現在の栃木県足利市にある小俣鶏足寺から明源房空覚上人を招聘して、中興開山第一世として大慶寺を建立しました。

牡丹の花が終わり、藤の花も見ごろを終えていましたが、歴史的にも興味を持つ寺院でした。
こんな場所で骨伝導ヘッドセットを使います。
喧騒が終わった時期には、癒し効果の骨伝導かもしれません。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットへ

麻生区・白鳥神社を骨で聴く

2016-05-02 11:15:34 | 骨で聴く巡礼旅
川崎市麻生区白鳥は、地名の由来となった白鳥神社が鎮座しています。
白鳥神社は国内各地にあり、関東地方では13社あるようです。

今回、米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとともに訪れた川崎市の白鳥神社は、ある意味でレイラインの出発点といえます。
ここから、埼玉県小川町の白鳥神社、群馬県東村の白鳥神社を結ぶラインです。北北西24度の角度で一直線となっています。

神社にはレイラインが多くありますが、ここは渡り鳥の飛来行路との接点として検証の対象になっているそうです。

さて、川崎市麻生区の白鳥神社ですが、創建年代等は不詳ですが、慶長年間(1596年~1615年)の棟札があったようで、当時の片平村・五力田村の鎮守社だったのは間違いなさそうです。
明治44年に片平村内の六社を合祀し、翌年には五力田村の六所社・諏訪社を合祀しました。



白鳥神社の社名は、日本武尊の魂が大白鳥となって天かけたという故事に依ります。
従って当然ながら祭神は日本武尊です。



鎮守の森には杉の大木もあり、とても落ち着いた空間です。尻手黒川線の道路に沿って鎮座していますが、参道は道路からは斜めの位置関係になり、参道は一直線に伸びています。
城跡のような少し高台の位置に社殿があり、そこだけ切り取られたように平地になっています。

ゴールデンウィークはどこの観光地も込み合います。
こんな鎮守にゆっくりと参拝するのも良いのかもしれれません。
ただその際には骨伝導ヘッドセットをお忘れなく。

米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットへ