骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

メルセデス・ベンツ SLKを骨で聴く

2012-05-30 18:00:35 | 骨で聴く名車

 メルセデス・ベンツの2シーターオープンスポーツがSLKクラスです。デビューは1997年で、世界に先駆けて自動開閉式ハードトップ「バリオルーフ」を備えたクルマとして注目されました。これはクーペの静粛性とオープンエアドライブの爽快さをスイッチ1つで簡単に楽しむことができるというもので、実際にこれを体験してみると革新的なモデルであることを実感させられます。
 エアインテークやウインカー部分がアローデザインで、ドアミラー、ディフューザーデザインのリアスカートやダークティンテッドリアコンビネーションランプを採用しているので、メルセデス・ベンツのシリーズでありながら精悍なエクステリアとなっています。

 しかしここで取り上げるのが1.8L 直列4気筒DOHC スーパーチャージャー搭載「SLK200コンプレッサー」のモデルです。比較的コンパクトなロードスターとはいえ、このサイズでこのエンジンは正直いって無理があるように感じます。ドイツ車らしい発想と設計で、わずか1,800ccでありながらそれなりのパワーとトルクで、快適に走行できる点は間違いありません。しかし日本でこのタイプのクルマを望む人には違和感があるかもしれないのです。
 どうしてもセカンドカー的な側面があるため、小排気量からひねり出すパワーは、アンバランスです。
 5.4Lや3.5Lのエンジンが搭載されるボディですから、むしろ1.8L専用に割り切ったモデルが欲しいのが正直な感想です。ただ無理やりパワーアップしたスペックのようであっても、エンジン単体で見た場合は、さすがはメルセデス・ベンツと頷けるレスポンスです。エンジン音も快適で、心地よい気分になれます。

 オープンのときは、風きり音とエンジンの音が激しい感じがして、それが小排気量の限界を感じさせます。そんなときは騒音対策としての骨伝導機器です。耳を使わず、骨から脳へと伝える骨伝導は米軍の爆音にも対応しています。このヘッドセットはぜひ用意したいものです。

          ⇒ 米軍採用の特許技術製品・骨伝導

 スポーティーなモデルのクルマに最先端技術の骨伝導を組み合わせ、バイクとは異なる快適な走行をお勧めします。

上野東照宮を骨で聴く

2012-05-29 19:56:32 | 骨で聴く巡礼旅

 駿府城にて、藤堂高虎と天海僧正は、危篤の徳川家康の病床に招かれました。そこで、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けました。東照宮は、この遺言を受けて、藤堂家の屋敷地であった上野に造営されました。
 
 そして1651年に三代将軍・徳川家光が大規模に造営替えをし、現在に至る社殿となりました。徳川家の将軍を祀るだけあって、金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれるようになりました。しかし現在は工事中で、大きな幕に写真を印刷したものが、唐門の後に貼られています。
 そんな工事中の上野東照宮へ骨伝導とともに出かけました。

 もともと上野の東照宮は東叡山寛永寺の一部で、戦後になって神仏分離令により独立したものです。 戦争や震災などの災厄を経験しましたが一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在に残す貴重な文化財建造物となっています。
 工事中は騒音もあるため、現在の参拝は耳をふさがずに骨伝導を使うのがベストかもしれません。米軍の爆音にも耐える特許技術の骨伝導機器なら最適な参拝ができます。

          ⇒ 騒音の中の巡礼には骨伝導



 この東照宮ですが、徳川家康(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、上野よりも有名なのは日光東照宮でしょう。また久能山東照宮もありますが、実は全国各地に数多くあるのです。群馬県の太田市には、徳川氏が源氏であることを称するために、新田氏の得川(徳川)に東照宮があります。

 上野の東照宮は、春はぼたん・桜の名所として、秋は紅葉狩り、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の方で大変賑わいます。上野公園の酔客も、ここを訪れるときは少し雰囲気が異なるかもしれません。開運・学業などの祈願成就を願う方が多く、外国人観光客も多く見られます。

 江戸から東京へと移り変わり、東照宮にも変化があるかもしれませんが、家康のパワーが今でも光輝いているのは事実かもしれません。骨伝導のパワーが永遠のように‥‥。

祐天寺ナイアガラを骨で聴く

2012-05-28 10:57:06 | 骨で聴く鉄道駅

 東横線祐天寺駅の駅前にある有名なカレーステーション「ナイアガラ」に骨伝導とともに訪れました。祐天寺名物「鉄道ムードのカレー店」としてテレビや雑誌、それに鉄道マニアには超有名です。

 まず店に入る前から踏切信号が居座っているのい驚きです。メニューのサンプルケースは、古から続く昭和の香りがたっぷりです。そして店内はまさに「電車の中」と言える佇まいで、これだけで価値がありそうです。大きな時計は駅で見かけるもの、照明、行先表示板、つり革、等々、鉄道駅や電車で使われていた物品が店の中に上手く配置されています。廃駅になった北海道の愛国駅の看板も見事です。愛国駅から幸福駅行きへの切符がブームになったのを思い出します。



 料理が運ばれてくるのも、「ポーッ!」という汽笛を鳴らしながら、模型機関車がカレーやドリンクを座席まで運んできます。これもこの店ならではのおもしろさです。この音を耳だけでなく骨伝導を使って聴けば、さらに鉄道ムードをアップさせることができそうです。骨伝導と鉄道は相性が良いのです。

          ⇒ 最先端特許技術の骨伝導製品

 ではカレーの味は? というと、これも懐かしい感じのカレーの味です。
 ジャガイモ風味が出た、どこか懐かしい感じがする「昭和」の味です。それでも懐かしいだけでなくこだわっていて、「35種類のスパイスを調合して作ったカレー粉とインドの植物油を用い、炉で2時間以上煎って作ったルー」なんだそうです。この独特の風味と鉄道に囲まれた空間が、訪れる人を異空間に誘ってくれるようです。

善光寺東京別院・華蔵院を骨で聴く

2012-05-27 11:00:14 | 骨で聴く巡礼旅

 東京スカイツリーが開業して最初の週末、大勢の人々が東京の下町へと集合しました。そのスカイツリーと隅田川を挟んだ対岸の浅草にも観光客が集結しているようです。もともと東京の観光名所の代表格である浅草ですが、スカイツリー効果によって、さらなる経済効果が生まれるかもしれません。
 そんな浅草の中心部から見て南西側に元浅草という地名があります。南北を貫く清州橋通りを左端に東西を貫く春日通りを南端にした場所です。その二つの通りが交差する場所のすぐ近くに、東京都立白鴎高等学校があります。その高校の北側に、本当に目立たない場所に長野県で最も有名な寺院・善光寺の東京別院があります。

 この地味な寺院に骨伝導機器とともに参拝です。
 正確には天台宗寺院の華蔵院で、宝光山影現寺と号します。創建年代は不詳で、慶長16年(1611)に田所町から谷寺町へ移転、正保元年(1645)当所へ移転したとのことです。何と言っても長野善光寺の東京別院となっているのが特徴です。



 青山の表参道近くにも善光寺の別院がありますが、元浅草の華蔵院は、本当に質素で、不思議と落ち着く気がします。学校の生徒達が発する声もあまり届かず、下町の小さな一角で何気ない日常の隣に位置する巡礼スポットです。
 骨伝導を使って聞こえてくる音声も日常の延長です。特許技術の骨伝導技術によって耳だけでなく骨から脳へと伝わる音声と、小さな寺院がかもし出す雰囲気とが合致します。

          ⇒ 巡礼にも骨伝導製品を

 浅草から少し足を伸ばす距離にはなりますが、散策気分で骨伝導ヘッドセットとともにぜひ訪れて頂きたい寺院です。

観音崎灯台を骨で聴く

2012-05-24 13:41:55 | 骨で聴く癒しの世界

 フランス人のレオンス・ヴェルニーによって日本で一番最初に建設された洋式灯台が横須賀市にある観音崎灯台です。潮風に導かれ、この歴史と伝統に包まれた観音崎灯台へと、骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。
 横須賀市でも三浦半島東端にあり、白色八角形の中型灯台です。日本の灯台50選に選ばれています。東京湾、浦賀水道を照らし、大正時代の地震により2度再建されています。現在の灯台は3代目です。

 建設当初はレンガ造りの四角い洋館建てで、フランス風白色八角形のレンガ造灯台でしたが、地震で被災し、次にコンクリート造で再建されましたが、これも関東大震災によりわずか半年足らずで崩壊することとなりました。そして次に再建されたものが現在まで続いています。



 急な斜面を登り、海に突き出たような場所に建つ灯台に至ると、灯台の周囲からは浦賀水道を航行する船舶や対岸の房総半島が一望できます。この風景を見ると改めて神奈川県と千葉県は隣同士で、しかもすぐ近くにあるのだと実感できます。風が心地よく、周囲の音が骨伝導によって耳だけでなく骨から脳へと伝わります。癒し空間が横たわっていることが確認できます。
 骨伝導によって難聴の方の補助や騒音に対する対策が効果的と思われていますが、健聴者が通常の使用でも、こんな癒し空間にいると脳波を安定させる作用があるように感じます。
 そんな意味でも骨伝導ヘッドセットとともに訪れる空間は、その場所の持つ癒し効果を倍増させることが可能な気がしてなりません。

          ⇒ 骨伝導専門「骨で聴くドットコム」

 春から初夏へ。
 人間が行動的になる季節です。あらゆる場所へ、骨伝導とともに出かけましょうか。

赤城高原牧場クローネンベルクを骨で聴く

2012-05-23 08:08:51 | 骨で聴く癒しの世界

 赤城山の南麓に自然の地形を活かした牧場と、ドイツの田舎町があります。ドイツ農村の風景がそのまま展開されているテーマパークです。それが「赤城高原牧場クローネンベルク・ドイツ村」です。人だけでなく犬も入場でき、園内にはドッグランもあります。そんなドイツ農村風景を赤城山麓で骨伝導とともに体験します。
 まずシンボルタワーの時計塔がお出迎えしてくれます。確かにドイツらしさは伝わってきます。この時計塔がアーチになっていて、そこを抜けると石畳の広場です。マルクト広場を再現したのが分かります。



 ドイツの各都市ではこのマルクト広場を中心にして市庁舎や聖堂が囲み、市が開かれる広場になっています。そういう意味では雰囲気は出ています。但し、ドイツの田舎町を数多く訪れた経験からいうと、この規模でこれだけの賑わいは違和感を抱きます。ドイツの村を再現したテーマパークのことだけはあります。
 この広場を囲うように建つのが木組みの家です。異国情緒をかもし出していますが、ドイツのどの地方がモデルなのかは分かりませんでした。
 ここでは喧騒の世界もあり、たまたまイベントもあったりして、騒音対策としての骨伝導ヘッドセットが大いに活躍します。携帯電話での連絡に骨伝導ヘッドセットを装着すれば、楽しい異国情緒の喧騒からでも明瞭に音声を聴き取ることができます。

          ⇒ 爆音下でも通話可能な骨伝導製品

 さて、その先の園内ですが動物広場には、羊やラマなどの動物がいたり、牧羊犬による羊の追い込みショーがあったりします。花々もそれぞれの色を輝かせ、そして何よりのどかです。テーマパークとはいうもののテーマがドイツの田舎・牧場なので、のんびりとした気持ちで滞在できます。



 レストランも充実していてドイツ料理だけでなく、バーベキューを堪能したり、石釜で焼き上げたパンとピザなどもあります。園内で特に何かをするわけではなく、日ごろのストレスを発散させ、癒しの空間でのんびりと過せれば、それだけで価値あることだといえるでしょう。
 もちろん骨伝導ヘッドセットはお忘れなく。


上野大仏を骨で聴く

2012-05-21 18:37:15 | 骨で聴く巡礼旅

 喧騒の中、上野恩賜公園内にある上野大仏へと骨伝導ヘッドセットともに巡礼です。
 かつて像高約6m.という大きさを誇る釈迦如来坐像がありました。しかし度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存されているものです。人が川の流れのように雑踏を形成する上野公園内にあって、ここだけが異質な空間になっています。小さな丘の上にあり、上野精養軒に隣接する場所です。

 もともとは、寛永8年(1631年)に、 越後村上藩主の堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立したことに始ります。しかし正保4年(1647年)には地震により倒壊してしまいます。再興したのは万治年間(1658年 - 1661年)とも明暦年間(1655年 - 1658年)ともいわれます。
 ところが天保12年(1841年)に、火災により大仏と仏殿が損傷してしまいますが、2年後の天保14年(1843年)に、堀直央の寄進により大仏を新鋳再建、仏殿を修復しました。
 3度目の悲劇は安政大地震です。安政2年(1855年)、頭部が破損し、再び堀直央の寄進により修復しました。
 そして4度目が関東大震災です。大正12年(1923年)、大仏の頭部が落下してしまいます。この大破した頭部や解体撤去した胴部を寛永寺が保管しましたが、再興するための資金の目処が立たず再建計画は放棄されてしまいました。さらに、昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出されることになり、もはや上野大仏は完全に消滅することとなりました。



 4度の苦難のあと、昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡安置することとなり、現在の姿となりました。

 上野大仏は数奇な運命に流されながらも、その存在感を示しているパワーが漲り、隠れたパワースポットにもなっているといいます。そういわれてみれば、楠の木の大木におおわれた小高い丘全体に大仏の息吹が聞こえてきそうです。骨伝導を使って耳だけでなく骨から脳へと直接周囲の音声を伝えてみれば、確かに何かが聞こえてくるような気がします。もちろん骨伝導はパワーを聴くものではなく、難聴者や騒音対策としての機能が充実している製品です。ただそれでも脳波がシータ波に導きやすく、こんな場所での効用も否定できません。

          ⇒ 難聴・騒音だけでない骨伝導製品

 上野大仏のある大仏山と呼ばれる丘には、他に薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設されています。これも霊験あらたかなです。


廣島護國神社を骨で聴く

2012-05-18 22:20:12 | 骨で聴く巡礼旅

 祭神が第二次世界大戦までの旧安芸国出身の英霊と、広島市への原子爆弾投下によって犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒、女子挺身隊等など含め約9万2千柱という神社が廣島護國神社です。前に紹介した広島城のある広島城址公園内にあります。

          ⇒ 広島城を骨で聴く

 中国地方で最も多くの初詣客が訪れる神社で、毎年1月1日から7日までの初詣参拝者数は50万人を超えるほどです。そんな廣島護國神社に骨伝導とともに参拝です。

 広島市の中心部に位置することもあり、東京の靖国神社と共通する要素が十分にあります。広島市民の多くが初詣に訪れるのも頷ける場所です。広島県で最も有名な神社といえば厳島神社ですが、交通の便の使いからか、初詣に訪れる数は廣島護國神社のほうが多いのです。
 広島東洋カープが必勝祈願のために、キャンプインの1月に参拝することでも知られています。

 境内に2011年の年末に完成したという鯉の銅像があります。祈願受付前に設置されていた「双鯉の像」はなかなかに見ごたえがあります。もう1つは、絵馬の前に「昇鯉の像」が置かれています。

 なぜ鯉?

 その答えは神社のある広島城に関係します。
 広島城が鯉城と呼ばれていることからです。広島カープの球団名にもなっています。それは、広島城のお堀にたくさんの鯉がいたから、という単純な話で、他には広島城の天守閣が黒、という所からきているともいわれます。鯉城にある神社ですから「こい守」、「『しあわせいっぱい来い』守」となるのは日本人らしくて微笑ましい気がします。



 さて、この廣島護國神社ですが、広島城ともども存在感が誇示されています。
 創建は明治元年、明治維新の戊辰の役において陣没された高間省三命以下78柱を、二葉の里に新しく造営された「水草霊社」に奉祀されたことに始まります。歴史が古いわけではありません。
 しかしその後の歴史は日本の戦争の歴史と重なります。
 太平洋戦争終結に至るまでの幾多の事変戦争において、戦没されたご英霊およそ9万2千余柱の神霊がお祀りされています。水草霊社は明治8年に、官祭招魂社、34年に官祭広島招魂社と改称され、昭和9年に、西練兵場の西端に新社殿を造営し移転、そして昭和14年に廣島護國神社と改称されました。それが昭和20年8月6日、原子爆弾が炸裂し、御社殿すべてを焼失することとなりました。
 昭和31年になって現在の広島城跡に新社殿が造営され、復興を遂げたという歴史があります。



 現在の神社は大きな鳥居と気持ちのよい空間に、広島城を支えているかのように鎮座しています。休日は参拝客だけでなく観光客、公園を利用する市民の姿が交差しています。そんな空間の音を骨伝導で聴き、戦争の歴史にまで思いが届きます。骨伝導は米軍でも採用されていることから軍事産業にも利用されています。しかし、ここでの骨伝導の活かし方は戦争という歴史から「音声」を遮断せず、耳だけでなく骨から脳へと伝えることに意味があります。さすがは特許技術です。

          ⇒ 特許技術が活かされた骨伝導製品

 広島の中心部に鎮座し、広島を見守る神社が発する「気」は、骨伝導で感じ取る音声と合わせて強大なものでした。


北千住駅を骨で聴く

2012-05-16 21:37:33 | 骨で聴く鉄道駅

 東京23区の中で面積の広さが第3位の足立区ですが、その中でも範囲の狭いエリアが隅田川と荒川に挟まれた千住地区です。このエリアは日光街道の宿場町として発展しました。エリアの中心にある北千住駅は、多くの路線が乗り入れるターミナル駅で、4社5路線が乗り入れています。東京北東部の主要な拠点駅となり、規模でも各路線を合計した乗降客数でも大きな存在感を示しています。
 雑踏が駅の構内に広がる北千住駅に骨伝導機器とともに降り立ちました。電車の発着数と乗降客で溢れた北千住駅は、東京を代表する駅の一つらしく、まさに騒音対策としての骨伝導が活かされる駅です。米軍に採用された特許技術の骨伝導機器だからこそ、この活気に心地よく対応できる気がします。

          ⇒ 米軍採用の特許技術を持つ骨伝導製品

 この北千住駅は、JR東日本・地下鉄(東京メトロ)・東武鉄道で、それぞれに改札口を有していますが、東京メトロ千代田線構内を通じて改札内は繋がっているとう特殊な構造の駅です。さらに独特なのは、駅の1階はJR常磐快速線と東武伊勢崎線のホーム、2階はJR、つくばエクスプレス、東武・日比谷線の改札、3階に日比谷線、つくばエクスプレスのホーム、地下には千代田線という多重構造です。しかも各路線は全てが並行に走っていて、複雑な交差は一切ありません。そういう意味では分かりやすい駅といえて、改札も地下の千代田線を除けば横並びになっています。従って乗り換えは比較的分かりやすいといえます。

 珍しい現象が起きるのも特色で、PASMOやSuicaを利用して大手町駅や表参道駅まで乗車する場合には、千代田線経由なのか、東武線から乗り入れている半蔵門線経由なのか区別できません。さらには、中野駅より西側の駅まで乗車する場合も、千代田線から大手町乗り換えで東西線を経由するのか、JR線で東中野・三河島経由なのか区別できません。

 他にあまり例のない巨大な駅ですが、特急電車となると東武線は特急列車の乗車専用ホームを備えているのに対して、JRは特急が素通りです。かつては特急「ひたち」「スーパーひたち」が最多で1日5往復停車していたのを考えると、余計に寂しい感じがします。

 そんな独特な北千住駅を骨伝導を使って大いに堪能しました。

神田佐竹稲荷神社を骨で聴く

2012-05-14 19:48:02 | 骨で聴く巡礼旅

 都会の喧騒に溢れた東京の内神田は、JRと地下鉄・銀座線の神田駅の西側に位置します。皇居からも近く、東京駅のすぐ隣です。天正8年(1590年)に、江戸幕府が開かれた際、戦略的に西・北の台地の方向に、有力な大名屋敷を配し、東・南・北の低湿地帯に町家を集めました。その結果、東の日本橋から神田へは、魚河岸や青物市場が開かれたことで、町家(商人・職人)の街(いわゆる下町と呼ばれている)が形づくられていきました。
 その名残は現在でも猥雑な街並みに現れています。喧騒の神田には爆音でも通話が可能な骨伝導機器がよくあいます。

          ⇒ 米軍の爆音下でも通話が可能な骨伝導

 そんな神田といえば、骨伝導巡礼地として取り上げるべき場所として神田明神が真っ先に挙げられるでしょうが、今回は異なります。平将門を祭神とした神田明神は別の機会に譲るとして、神田の商店街の一角にひっそりと鎮座する佐竹稲荷神社です。
 江戸屋敷を構えた秋田藩の佐竹氏が、藩邸の鬼門除けのため、寛永12年(1635年)に邸内の一隅に社を建立し、稲荷の神を勧請したことに始まります。その後、天和2年(1682年)の大火により、藩邸は下谷三味線堀へと移転したものの、稲荷神社は再建され、関東大震災後の区画整理で当地へ遷座したようです。現在では神田西口商店街に鎮座しているので、とても地味な存在です。ちなみに神田駅西口商店街は、巾6m、全長300mの間に、お店100店という規模を誇っています。まさに喧騒の中の神社で、骨伝導が大いに活用されます。

 佐竹藩は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で豊臣側についたことで、常陸太田の佐竹家が徳川家康の怒りをかい、慶長7年(1602年)転封させられました。秋田藩では大館の西家、久保田の東家、角館の北家、湯沢の南家に所領が分かれるという事態を招きました。

 現在の佐竹稲荷神社は昭和28年(1953年)に宗教法人法により包括団体を神社本庁に法人登記し、祭祀は神田明神の神職が兼務するようになりました。護持は地元有志に委ねられ、火伏の神様、商いの神様、さらには神田の守護神として機能するとともに、地域コミュニケーションのシンボルにもなっています。西口商店街が賑わう中、喧騒の真ん中に骨伝導を使って欲しいというかのごとく鎮座しています。

 とても小さな社ですが、存在感は確かにあります。

京急富岡駅を骨で聴く

2012-05-10 12:48:07 | 骨で聴く鉄道駅

 横浜市金沢区にある京浜急行電鉄本線の京急富岡駅は、高架線にある駅です。駅舎は東側にありますが、反対側は土地の傾斜が線路の高さに迫っていきます。東京の郊外や横浜市の私鉄沿線でよく見られるパターンといえます。

 かつて急行停車駅だったため、ホームの有効長は8両編成対応ですが、現在は各駅停車の普通電車しか停車しないため、何とも寂しい雰囲気もします。
 骨伝導機器の補聴器タイプではない音声増幅器タイプの「きくちゃん」を首からぶら下げて、この駅に降り立ちました。

          ⇒ 骨伝導製品の定番・きくちゃん

 京急富岡駅を中心として、ほぼ東西方向に街が広がっています。これを貫く道路は広くはありませんが、適度な商店の数と歩行者が見られます。駅の東側を進むと、京急本線とほぼ並行するように国道16号が走っています。さすがにこの道路は交通量も多く、疾走するクルマの騒音がよく聞こえます。骨伝導きくちゃんは騒音対策の製品ではありませんが、マイクを話し相手に向けることで、騒音の中での会話もスムースに行えます。
 さらに東側に約2km進めば、そこは横浜新都市交通金沢シーサイドラインの並木中央駅です。

 西側は比較的のどかな住宅街が続きます。閑静な街ではありますが、丘陵に近く緑が多く、虫たちの声も聞こえたりします。そんな環境のBGMも骨伝導で聴き取るのも悪くありません。

 大きな特徴のある駅ではなく、周囲もそれほど変化があるわけではありませんが、京急線で意味も無くこの京急富岡駅で下車したとしても、決して損はしない感じを抱かせます。

飯田上海楼を骨で聴く

2012-05-09 21:14:47 | 骨で聴くビジネス

 武蔵野市の珍々亭・油そば(⇒ 武蔵境珍々亭を骨で聴く)に続き、骨伝導とともに食する中華そばとして、長野県飯田市の上海楼を取り上げることにしました。
「創業から60余年、飯田を代表する中華そば・ラーメン店の老舗中の老舗(元祖中の元祖」が「上海楼」という店舗です。あまり耳にしないでしょうが、"飯田ラーメン"発祥のお店となります。

 地方都市らしく市の中心部はシャッター通りに近い状態になっていて、通行人もあまり見かけないほどですが、この上海楼は行列ができるほどに人が集まります。集客に苦労をしない店舗です。

 では肝心のラーメンは、というと、昔懐かしい醤油味スープに、これまた優しい食感の麺の組合せです。見た目には特別に珍しいものではありません。しかしこの上海楼は親子三代・四代と語り継がれ、通い続ける店です。それほど市民にとって親しみのある味で、しかもその味を維持し、頑固一徹に守り続けているようです。

 確かに飯田出身者でなくても懐かしい感じがします。麺は自家製平打ち中太ストレートで、食べやすく飽きないようなコシがあります。スープは豚骨も使っているようで、さっぱりとした感じでありながら強烈に豚の旨みが香る感じです。麺とスープとの相性は抜群で、麺がスープにのって柔らかく舌を包むような食感になります。

 意外とあっさりしたスープに合うのは麺だけでなく、チャーシューもそうです。モモ肉を使用し、なかなかに食べごたえがあります。

 店内は混んでいるせいか活気にあふれています。心地よい雑音です。この音を骨伝導を使って聴くことで、自分の食べるラーメンの味がさらに進化するようです。もちろん気のせいと言ってしまえばそれまでですが、麺を「すする」音が骨から脳へと伝わり、耳で感じる音よりもダイレクトに味に繋がるような気分が味わえます。

          ⇒ 難聴・騒音だけでない特許技術の骨伝導

 飲食店も多様化した現在の消費者の動きに対し、絶えず変化が求められています。味だけの追及だけでなく、消費者に飽きられない工夫が必要となっています。それだけに環境の変化に敏感になるべき業界ともいえますが、その一方で代々語り継がれ、通い続けられる上海楼は、それだけで究極のマーケティングを完成させているともいえます。
 もちろん伝統やブランド化に成功したからだと結論を出せるのでしょうが、その視点だけで語るのもどうかと思います。
 飯田市という限定されたエリアで地域ナンバーワンになった背景に注目すべきかもしれません。そしてそれを守り続ける「味」とは何か? 骨伝導とともに旅する者にとって、上海楼は多くを勉強させてもr

三夜沢赤城神社を骨で聴く

2012-05-08 22:00:55 | 骨で聴く巡礼旅

 強烈なパーワースポットへ巡礼に行きました。
 古代から続く神秘のパワーと特許技術の最先端機器・骨伝導ヘッドセットとの組み合わせで、時空を超えたエネルギーを享受しました。これで次のビジネス展開も準備万端のようです。

 その強烈なパーワースポットは、群馬県前橋市の赤城山麓・三夜沢にある赤城神社です。
 関東を中心に300社ほどある赤城神社の総本社ですが、実は前橋市内に発するエネルギーの異なる三社があります。赤城山山頂付近大沼にある山宮(元宮)、本宮ともされる三夜沢町の中宮、それに里宮にあたる二宮赤城神社です。パワースポットとしてはそれぞれ違った気がありますが、今回骨伝導巡礼に訪れたのはので、赤城山の中腹にある三夜沢町の赤城神社です。

 赤城神社の本源は、赤城山を神体とするものです。古から続く山岳信仰に端を発します。延喜式神名帳に名神大社「勢多郡 赤城神社」として記載され、上野国二宮ともなっています。

 論社の一つである三夜沢の赤城神社は、明治時代以前は東西2社、明治時代以後は1社となり、県社となりました。参道は南の大胡方面、東の苗ヶ島方面、西の市ノ関方面の3方向に分かれ、南側の大胡方面に続く参道は江戸時代に植えられた松並木が現存し、重厚な雰囲気を出しています。さらに本殿を南へ500mほど下った参道沿いには惣門があり、宝暦元年(1751年)築造という高麗門は、本殿とともに群馬県の指定重要文化財になっています。
 また、中門のすぐ正面には、群馬県指定天然記念物の「たわら杉」が存在し藤原秀郷(俵藤太)が献木と伝わっているものです。

 驚くべきは明治3年(1870年)に建てられた「神代文字の碑」です。



 阿比留文字で印刻された神代文字で、『マナヒトコロノナレルユエヨシ』と読めるようです。日本語誕生以前の古代文字がロマンをかきたてます。復古神道の遺物として前橋市の指定重要文化財となっています。
 
 パワースポットとしての赤城神社は、女性にやさしいご利益をもたらすことでも有名です。
 特に恋愛の成就、縁結び、安産、子育て、心身健康等々です。
 しかしその背景には古代から続く人々の信仰というエネルギーが集約され、この場に大きなパワーが宿っているのでしょう。山岳信仰が山を包む社とともにエネルギーの蓄積ポイントになったのでしょうか。

 実際に境内に入ると、神池は清らかな雰囲気があります。荘厳さと静粛さと、優しさに包まれた心地よい感覚を覚えます。御神水を汲みに来る人も絶えません。



 この水も聖なる水で、水の奏でる音を骨伝導スピーカーを通して聴くと、赤城神社の独特な雰囲気と混ざり合い、信仰心のない人でも思わず拝みたくなるほどです。

          ⇒ 驚異の骨伝導パワー製品

 強烈なエネルギーを発する赤城神社と最先端技術の骨伝導機器とのコラボレーションを堪能することで、心身ともに力強くなったようです。

小川の湯温泉を骨で聴く

2012-05-08 10:13:03 | 骨で聴く癒しの世界

 あまり知られていないものの、地図には明記されている古くからの温泉は、日本各地にあります。南信州・飯田周辺の温泉も、昼神温泉を除けば知名度は極端に低いといえます。
 しかし、この地域の温泉はアルカリ性が高く、PH10.以上という数値の温泉もあり、名湯もあるのです。一般にアルカリ性が高いと「つるつる」の泉質になっていて、肌に優しい温泉です。
 具体的には小川の湯温泉、医泉寺温泉、松尾水神温泉、殿岡温泉、久米川温泉などがPH10以上の南信州・飯田周辺の名湯です。



 今回は骨伝導ヘッドセットとともに、小川の湯温泉へと向かいました。

 場所は飯田の都市部に程近い喬木村にあります。鉱泉で、鉄筋4階建ての一件宿です。しかし現在は、宿泊よりも日帰り温泉としての性格が強いようです。
 源泉浴槽のほかに、寝湯、座り湯、大浴槽などがあり、日帰り施設としては充実しているといえます。



 温泉の歴史は、800年以上前と古く平安時代にまで遡るようです。
 源泉は、1154年(久寿元年)より、薬師堂の側から霊泉(医水)が湧き出ていることにスタートしたようです。この水で傷口を洗えばすぐ治るとか、この水で湯を焚いて入れば病気が治るといわれたことから、「医泉寺」と名付けられたといわれています。(喬木村誌より)
 武田家が三河進出の頃、神峯を攻落した折りにこの湯で負傷者の傷を癒したといわれています。
 1840年(天保11年)には、小田宅子さんご一行が小川峠を越え秋葉神社にお詣りをし、その前日に小川の湯に宿泊し「五木湯」という薬湯に入ったとされています。(東路日記より)

 現在の源泉は道路の下に位置し、そこから館内へと引いているそうです。周辺は山が近いものの、のどかな畑や果樹園が続き、のんびりとするには最適な場所です。
 骨伝導を使って周囲の音声を骨から脳へと伝えると、癒し効果は抜群です。アルカリ性の温泉と骨伝導による癒しのメロディが一体化します。

 ゴールデンウィークが終わった今、できればのんびりとこんな温泉に滞在したいものです。

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 隠れた名湯には骨伝導がよく合います。



広島駅を骨で聴く

2012-05-02 19:44:34 | 骨で聴く鉄道駅

 山陽地方だけでなく中国・四国地方にある数多い市町村の中で最大の都市・広島市は人口が1,178,804人の政令指定都市です。その中心駅であり、表玄関でもあるのが広島駅です。やはり乗車人員数は中国・四国地方で第1位です。ただ、JR西日本管内では神戸駅に次いで第8位、運輸取扱収入で、大阪駅、新大阪駅に次いで第3位です。
 山陽新幹線の全列車が停車し、在来線でも広島シティネットワークの中枢を担うターミナル駅です。しかし駅そのものの位置は、広島市の中心部からは少し離れた場所にあります・それでも駅前再開発事業が進展し、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島などは徒歩圏内に位置します。新都心機能が拡充しているのがわかります。

 骨伝導ヘッドセットとともに広島駅構内を散策すると、適度な規模の駅だと感じるかもしれません。東京在住者から見ると巨大なターミナル駅に慣れ親しんでいるせいか、中国・四国の中心駅とはいっても規模の大きさは感じられず、かといって小規模な寂しさとも無縁です。都市の規模に応じた大きさと、機能性、それに街の顔として見た広島駅は、まさに好感のもてる親しみがあります。

 それでも雑踏の奏でる騒音はあります。
 こんなときには骨伝導ヘッドセットを装着して携帯電話を使のが最適です。相手の声が明瞭に聞こえます。難聴の方は本体を首からぶら下げて骨伝導きくちゃんを使うのも良いでしょう。

          ⇒ 特許技術の骨伝導機器
 
 さて、広島駅の開業ですが、1894年(明治27年)にまで遡ります。
 開業時点では山陽鉄道の終点でした。しかし開業後すぐに日清戦争が開戦されました。そんな時代です。宇品港(現在の広島港)の開業が駅の開業より先にあり、兵士出兵の最前線として重要な駅になりました。

 そして広島といえば原子爆弾です。この投下により直接の爆風を受けただけでなく、延焼による火災で駅舎は大破しました。戦後は、雨をしのげるレベルでの仮復旧を経て、1948年(昭和23年)に昭和天皇をお迎えすることとなりました。しかし駅の通路の化粧直し等は間に合わず、翌年1949年からり本格的な復旧が行われたようです。

 こんな広島駅には米軍に採用された特許技術・骨伝導を使うことは複雑な面もあるかもしれませんが、二度とおこさない悲劇を誓い、この骨伝導技術を広めていきたいと思いました。