骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

代々木八幡駅を骨で聴く

2012-11-30 16:09:25 | 骨で聴く鉄道駅

 骨伝導機器とともに鉄道の駅を巡る旅も、最近すっかりごぶさたの様相でした。そこで今回は骨伝導きくちゃんと骨伝導サングラスと一緒に、東京の私鉄で最も頻繁に取り上げている小田急線の代々木八幡駅へと向かいました。

 地下鉄千代田線の代々木公園駅に近く、千代田線が代々木上原まで開業していない時代は、この駅が乗換駅だったという経緯があります。そのため、乗り換えの利便性向上のために上りの準急電車が停車していたこともあります。

 駅の規模としては大きくなく、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、急カーブ上にあるためホームもカーブを描いています。そのせいか、ここを通過する電車は45km/hの速度制限がるほどです。

 駅名の由来は代々木八幡の最寄り駅ということになりますが、代々木八幡宮に行くには、坂道をのぼり、山手通りに出るか、裏からまわるかしなければなりません。鎮守の森がひろがっている姿を見ると、別世界のような感覚になります。ただ駅からは代々木八幡宮を見ることはできません。

          ⇒ 代々木八幡宮を骨で聴く

 隣の駅が代々木上原駅で、千代田線が地下から地上の高架で小田急線と合流し、小田急線の上下線の間に入り込むようになります。そのため、駅間が短いことで、代々木八幡駅の上下線のホーム間の距離が次第に大きくなっているのが分かります。
 
 スピードを落としたロマンスカーや急行電車をホーム上で見送りながら、骨伝導機器を使って周囲の音声を聴くと、通過する電車の振動とともに鉄道の持つ意味を改めて感じることができます。通勤と周囲の住民の日常の足として使われる駅が、少し異なって見えるようです。

          ⇒ 米軍採用の特許技術・骨伝導

 小田急線の駅はそれなりに取り上げていますが、まだまだ骨伝導機器とともに訪れたい駅はたくさんありそうです。

馬籠宿を骨で聴く

2012-11-28 18:55:59 | 骨で聴く癒しの世界

 慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康は、交通網の整備に着手し、江戸幕府が管轄する道路を定めました。さらにこの幹線道路には多くの宿駅を定めるようになりました。その一つが今回取り上げる中山道の馬籠宿です。
 かつて妻籠宿は骨伝導機器とともに訪れたことがあり、取り上げたことがあります。

          ⇒ 妻籠宿を骨で聴く

 中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(約530km)の道程で、69の宿場が設けられていました。この中山道は東海道とともに江戸と京都を結ぶ大動脈でした。東海道の126里・53宿に比べると遠回りというマイナス面がありましたが、東海道は逆に大井川の川留めもあったり、桑名一宮間の船旅で海難の危険が伴ったりして、京都から江戸に向かう姫君たちはほとんど中山道を選んでいました。
 とはいうものの、中山道も決して安全な道というわけではなく、馬籠宿と落合宿の間にある十曲峠は険しさで旅人をはばみ続けていました。

 そんな馬籠宿ですが、中山道69宿の中で木曾谷には11の宿場があり、43番目の宿場ということになります。江戸からの距離は83里(333km)余りです。



 馬籠宿を貫く街道は、山の尾根に沿った急斜面を通っています。街道の両側に石垣を築き、屋敷が立ち並んでいます。そのせいか、「坂のある宿場」が特徴となっています。

 妻後宿に比べて現在の交通の便の悪さと、坂道ということもあって、若干地味な印象を持つこともありますが、木曽の観光地としてはなかなかの賑わいです。ここが脚光を浴びだしたのは日本が高度経済成長期に入った頃からです。

 それにはやはり、馬籠が島崎藤村の生地として知られ、藤村記念館を訪れる人が飛躍的に増加するようになったことも関係しています。

 骨伝導機器を使って癒しの音声を耳だけでなく骨から脳へと伝える場所としては、馬籠宿は最適かもしれません。米軍で採用された特許技術の骨伝導製品と古の香りが残る馬籠宿との対比はおすすめです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品


出雲大社東京分祠を骨で聴く

2012-11-27 13:50:32 | 骨で聴く巡礼旅

 東京を代表する繁華街のひとつである六本木に、出雲大社東京分祠がひっそりとあります。出雲大社の祭神である大国主大神の分霊を奉斎する都内唯一の分祠です。第八十代国造・出雲大社教初代管長の千家尊福公によって明治の初期に創設されたという歴史があります。

 しかし最初から六本木だった訳ではなく、明治11年に神田神社社務所内に東京出張所を設けたのが始まりです。神田神社は出雲大社と祭神が同じで、当時の宮司は平田盛胤という関係もありました。

          ⇒ 平田神社を骨で聴く

 初代の出張所長は本居宣長の学統を継ぐ本居豊頴でした。その後、明治政府の宗教政策により神職による布教が禁じられ、明治15年に出雲大社教の特立をはかることになりました。東京出張所は麹町区上二番町に移転され、神殿を設立、そして出雲より御分霊を奉じて鎮祭することに至り、出雲大社東京分祠が建立されました。

 昭和20年には戦災に遭い、しばらくの期間、仮事務所に移転している時期になりました。それが昭和36年に、六本木の現在地に神殿が再建され、昭和55年には鉄筋コンクリート造りの神殿に改築されました。

 繁華街から住宅街に抜ける場所にあり、人通りも多いのは確かですが、ここが出雲大社東京分祠なのかと、気づかずに通り過ぎる人も多いことでしょう。ある意味で大きく目立たず、それでいて街に溶け込みながら鎮座していることに、ある種の誇りを持っているかのようです。

 骨伝導機器としては、騒音対策としての機能が活かせるといえます。業務用の骨伝導ヘッドセットとともに参拝するのもありだと感じます。

         ⇒ 骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」

石見伝説の姫宮神社を骨で聴く

2012-11-26 22:16:38 | 骨で聴く巡礼旅

 野底山森林公園の入り口近くに「岩見重太郎のヒヒ退治」の伝説が残り、そこだけ異質な雰囲気に包まれています。長野県飯田市の隠れた穴場スポットともいうべき森林公園ですが、そこには古い伝説に彩られた異世界の神社もあったのです。
 骨伝導サングラスでお気に入りのBGMを聴きながら近づいてみると、何とも小さな聖域とそこだけ荘厳な雰囲気を持つ空間が現れます。




 紅葉の隠れた穴場スポットというだけでなく、伝説が今に残る聖域には、やはりそれだけで存在感を大きく感じます。米軍採用の特許技術満載の最先端骨伝導機器を使う意味を改めて考えます。
 
 ビジネスとして扱う以上に、この技術力が国内でまだまだ活かされていないことに、使命感すら覚えます。そんな骨伝導機器とめぐり合えたことに感謝です。

          ⇒ 米軍採用の特許技術・骨伝導製品

野底山森林公園を骨で聴く

2012-11-25 22:59:06 | 骨で聴く癒しの世界

 秋が深まり、南信州では冬を訪れるような冷気が、山から伊那谷へと吹き降ろすようになりました。風の冷たさだけでなく、東京とは明らかに異なる南信州の空気と紅葉を求め、連休の中、飯田市郊外へと向かいました。
 バイクではないので、骨伝導スピーカーVibraudioの特許技術を利用した革新的な振動ドライバーをヘッドセットに装備した骨伝導シェルショッカー(⇒ 骨伝導シェルショッカー)ではなく、骨伝導サングラス(⇒ 骨伝導サングラスGL42)とともに出かけました。

 飯田市の市街地から北方に向けてクルマを走らせ、中央高速を越え、さらに斜面を登ると、野底川流域へと達します。標高は約650m~900mの地帯になり、このエリアに赤松、スギ、ヒノキや広葉樹の混在する森林が広がります。ここ野底山森林公園です。

 鮮やかな紅葉が現れると、おそらく訪れる誰もが、自身の心が癒されることを実感することでしょう。特に紅葉の名所というわけではありませんが、それぞれの広葉樹が色づき、清流の音とともに感じる「秋」は見事なものです。おそらく冬になれば、葉を落とした木々と降り積もる雪とのコントラストが幻想的な光景になることでしょう。




 骨伝導サングラスによって、お気に入りのBGMとともに秋を堪能するのもいいいでしょうが、骨伝導きくちゃん(⇒ 骨伝導音声増幅器きくちゃん)のような集音マイクを使って、冷たい川の音を耳だけでなく骨から脳へと伝えるのも良かったかもしれません。

 この森林公園には、サル、カモシカ、リス、ムササビ、イノシシなどの哺乳類、ヒヨドリ、シジュウカラ、ホオジロ、ウグイス、オオルリ、カッコウ、ツグミなどの野鳥類も多く生息するようです。「熊 出没注意」と書かれた標識も目にしました。

 この森林公園の奥に位置する野底山池ノ平の池ではモリアオガエルの生息地として長野県の天然記念物に指定されているようです。

 森林公園では、マイナスイオンを多く浴びることのできるハイキングコースが整備され、森の心地よい空気、南信州の山林の景色を楽しんだりすることができます。

 中学校の旧校舎を移築した「姫宮林間学校」もあり、何とも懐かしい感じの古い木造校舎を目にすることもできます。また、マレットゴルフ場や老人福祉センター、子供用のアスレチック施設もあり、地域の人々のレジャーや憩いの場として利用されているのがわかります。
 観光地としてはメジャーな存在ではなく、おそらく知る人ぞ知る森林公園といえるでしょう。穴場的な場所に来れたことで、骨伝導機器とともに満喫することができました。連休期間中でも込んでいないのは、最高でした。

代々木山雲照寺を骨で聴く

2012-11-21 21:53:34 | 骨で聴く巡礼旅

 東寺真言宗の別格本山である代々木山雲照寺は、小田急線の代々木上原駅の近くにあります。駅前の商店街から坂道を少しだけ登った斜面です。雲照寺の縁起は不詳ですが、東寺真言宗の別格本山らしく、かなりの存在感のある寺院です。

 今回は骨伝導機器とともに、秋から冬へと歩みだした冷気の中、参拝へと向かいました。

 雲照寺所蔵の文化財としては渋谷区の指定有形文化財として、木造十一面観音立像と絹本著色仏涅槃図がありま。他に歴史的な意味を持つ庚申塔があります。

 庚申講は江戸時代の民間信仰のひとつで、ある意味、独特の文化といえます。60日ごとに講中(グループ)が集まって念仏を唱え、長寿を祈る行事として庶民に浸透していきました。その信仰の対象が庚申塔です。雲照寺の庚申塔は、青面金剛、天邪鬼、日月、三猿、二鶏等が彫ってあり、寛文12年(1672年)の銘が刻まれています。かなり立派なものといえます。

 板碑もあり、これは、鎌倉時代頃から作られはじめた卒塔婆の一種のようです。石をうすく割り、頭部を三角形に作り、上部に二本の横線を刻んでいます。その下に阿弥陀の梵字が彫ってあります。造立年代は不明のようですが、渋谷区としては貴重な中世史研究資料といえます。

 徳教会館も立派な施設で、代々木上原周辺の葬儀場としては目立つ存在といえます。

 真言宗の密教的雰囲気が漂う寺院ではありませんが、商店街を抜けた先の住宅街に、忽然と現れるのは、何とも新鮮な気持ちを感じます。米軍で採用された最先端の骨伝導機器も、ここでは騒音対策とは無縁かもしれません。純粋に耳だけでなく骨から脳へと伝える音声を混合さえ、この寺院での祈りにつなげるだけです。

          ⇒ 驚異の特許パワー炸裂! 骨伝導製品

 身近な街に意外な聖域を発見し、骨伝導機器を使って耳と骨から周囲の音声を聴くことで、霊験と癒しの非日常を感じ取るのが骨伝導巡礼の旅です。今回も目的は達成できた気がします。

太田姫稲荷神社を骨で聴く

2012-11-20 11:22:50 | 骨で聴く巡礼旅

 東京の御茶ノ水駅から南側に歩いていくと下り坂になります。坂を下りた場所の角地にひっそりとした神社が鎮座しています。太田姫稲荷神社です。都会の神社なので、境内は狭く、鎮守の森があるわけではありませんが、どこか感じのいい雰囲気を感じます。
 今回は、この小さな神社へ骨伝導機器とともに巡礼です。

 神社の名になっている「太田姫」とは、太田道灌の娘を指すものです。
 室町時代中期、太田道灌の娘が天然痘に罹って生死の境をさまようという事態がおこったといいます。このとき、道灌は京都の一口稲荷神社が小野篁にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞き、一口稲荷神社に娘の回復を祈願したそうです。その結果、娘の天然痘が治癒したといいます。道灌はこのことに感謝しました。
 そして長禄元年(1457年)、旧江戸城内に一口稲荷神社を勧請し、のちにに城内鬼門に祀られたようです。




 徳川家康の江戸入府後の慶長11年(1606年)には江戸城が改築され、城外鬼門にあたる神田川のほとり(現在の東京都千代田区神田駿河台4丁目、聖橋南詰の東側)に遷座することになりました。
 明治5年(1872年)には村社に定められ、このときに名称が太田姫稲荷神社となりました。大正12年(1923年)の関東大震災では社殿が焼失し、一時的に湯島天神に避難することになりましたが、昭和3年(1928年)に再建されました。

 現在地に遷座したのは昭和6年(1931年)で、御茶ノ水駅の総武線拡張によるものでした。

 喧騒の中に鎮座する霊験あらたかな神社は遷座しながらも、現代にまで光を与えています。こんな都会の片隅にある神社には、最先端の特許技術を活かした骨伝導機器が似合います。米軍で採用された技術が、病気治癒に霊験ある都会の神社の音声を聞き取ります。耳だけでなく骨から脳へと伝える音声と、周囲の騒音を比較してみるのも骨伝導巡礼の醍醐味です。

          ⇒ 米軍採用の骨伝導製品

泉の森を骨で聴く

2012-11-19 18:03:51 | 骨で聴く癒しの世界

 神奈川県大和市にある引地川の源流は美しい水の湧き出る場所です。ここの大和水源地一帯には樹林が広がり、中央に国道246号線大和厚木バイパスが走っているとはいえ、まさに癒しのエリアといえます。泉の森とよばれ、国道246号線の北側エリア(北端は246号線の旧道)から東名高速道路までの南側エリアまで42ヘクタールの区域に渡っています。

 この癒しの森に最先端の特許技術を活かした骨伝導機器とともに訪れました。

 自然林や水源を巧みに生かした「湿性植物園」には懐かしい水車がまわり、のんびりとした「せせらぎ広場」や「野鳥観察デッキ」などもあります。
 木々に囲まれた散策道も整備されていて、日本最初の木製の斜張橋「緑のかけ橋」も目立つ存在で公園のシンボル的なものといえるでしょう。

 野鳥の声を耳だけでなく、骨伝導を使って骨から脳へと伝えることで、癒し効果は絶大になります。おそらく脳波が関係してくるのでしょうが、理屈抜きに気持ちの良い空間であることは感じるはずです。もちろん野鳥の声だけでなく、水車の音も水の流れる音も心地よいものです。
 日常の中のすぐ隣にある非日常を十分に堪能できます。

 日差しが強い日は骨伝導サングラス、バイクで向かうには骨伝導シェルショッカーを利用して訪れるのが良いでしょう。

          ⇒ 泉の森に「骨伝導サングラス」
          ⇒ バイクで行くなら「シェルショッカー」

 神奈川県大和市にこれほどの森があるとは、全く知らなかったせいか、とても感動的な体験でした。

小平山正福寺を骨で聴く

2012-11-17 18:02:24 | 骨で聴く巡礼旅

 群馬県みどり市の山峡に小平山正福寺があります。
 すぐ近くには以前に取り上げた小平鍾乳洞(→ 小平鍾乳洞を骨で聴く)があります。鍾乳洞の少し先に小平の里・親水公園があり、そこを見下ろすような位置の斜面に、正福寺はあります。骨伝導ヘッドセットとともに参拝しました。

 道路から石段を登ると桜の木が現れます。桜の花が開花していたら、何とも風情のある、絵になる光景になるだろうと予想されます。のんびりとした山峡の寺院に、山と一体化した境内が何とも旅情をかきたてます。

 この寺院は、貞和5年(1349年)に僧義幸が中興開山し、最盛期は江戸後期(18世紀後半)とのことです。おそらく江戸時代はこの周辺は交通の便を考えると、かなり山奥という場所だったのではないかと想像されます。
 本尊は法忍作の阿弥陀如来像(ヒノキの寄木造)で、元三大師木座像・雨乞六字名号掛軸等の宝物があるといわれています。

 周囲の音声を耳だけでなく骨から脳へと伝えます。
 世界的な特許技術の骨伝導ヘッドセットとの対比も興味深い感じがします。

          ⇒ 世界的特許技術を活用した骨伝導機器はこちら

 のどかな時間を過ごし、最先端技術を堪能することで、何だかうれしくなる骨伝導巡礼です。

トヨタ2000GTを骨で聴く

2012-11-16 12:33:13 | 骨で聴く名車

 国産車の歴史の中で燦然と輝く存在といえば、何といってもトヨタ2000GTといえるでしょう。純粋にトヨタのクルマいうわけではなく、トヨタとヤマハの共同開発で誕生したクルマで、トヨタブランドで限定生産されたスポーツカーとなります。

 映画『007は二度死ぬ』(1967年)に登場したことで、日本車で唯一ボンドカーとなった記念すべきクルマです。ただこのときは一般発売前で、試作車をベースとしてオープン仕様で製作されたもののようです。

 トヨタ2000GTの開発当時は、現在と異なり、トヨタは実用車主力のメーカーでした。スポーツカーとしての高性能エンジン開発や高級GTカーのデザインなどには通暁していませんでした。そのため、国産車としては当時異例ともいえる高性能エンジンの開発や高級GTカーとしての内装について、ヤマハ発動機のエンジン開発技術や日本楽器の木工技術が活かされることになったわけです。

 ヤマハ発動機は1950年代中期からモーターサイクル業界に参入していて、高性能エンジン開発では10年近い技術蓄積を重ねていました。主に2輪・バイクのエンジンで威力を発揮していましたが、それは現在では当たり前となっているものの、当時としては最先端のSOHC・DOHCのエンジン導入や研究が進んでいました。
 ヤマハはその技術力を活かしてトヨタ製の量産エンジンを改良し、DOHCヘッドを備えた高性能なエンジンを製作することができたのです。


 
 今の時代の眼から見ても、トヨタ2000GTのデザインは斬新です。当時のスポーツカーデザインの基本をベースにしているものの、現在でも十分に魅力的に感じるのは、全体に流麗な曲線で構成された点にあるかもしれません、当時の世界のイメージリーダー的スポーツカーはジャガー・Eタイプ(1961年)で、おそらくこの影響を受けていたことが、時代を感じさせないフォルムに繋がったのかもしれません。
 しかしジャガー・Eタイプと決定的に異なるのは、当時は5ナンバー規格の枠内でコンパクトにまとめることが必須の条件で、その制約がありながら仕上げたのは驚くべきことといえます。
 またヘッドライトを小型のリトラクタブルタイプとしつつ、固定式フォグランプをグリルと併せて設置したのも独特の魅力を出しています。

 そんな往年の名車を前に、最先端の骨伝導機器を使い、ぜひともエンジン音を聴いてみたい誘惑にかられます。耳と骨でこのエンジン音を堪能できれば、何とも官能的な陶酔に至る気がします。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導機器ですが、騒音対策ではなく、積極的に聴きたい代表格の国産車といえます。

          ⇒ 驚異の骨伝導パワーについてはこちら

 骨伝導と名車の組み合わせは、アンバランスなものもありますが、トヨタ2000GTは間違いなく最高の組み合わせです。骨伝導サングラスをかけながら運転することも夢見たくなります。

新鮮市場マルエイ海釣り公園を骨で聴く

2012-11-13 11:44:18 | 骨で聴く体験記

 手軽に海釣りができる施設が、東京湾にもいくつかあります。その中で千葉県市原市の新鮮市場マルエイ海釣り公園は養老川河口近くに設けられた施設で、夜間照明も備えられていたり、車椅子でも利用できるのいで、手軽に海釣りを楽しめる場所です。
 市原市の臨海部といえば工業地帯のイメージが強く、実際、工場が立ち並ぶ姿に圧倒されるくらいですが、そんな中にあるこの施設は海に親しむことのできる貴重な憩いの場といえるでしょう。釣りをしない人にも、管理棟に売店・休憩コーナー・展望台などがあるので、純粋に海を見に来る場所としても悪くありません。
 
 釣りをする場所は、護岸から約100mの連絡橋で結ばれた長さ約300mの桟橋です。イワシ、サバ、セイゴ、シマダイ、カレイ、メジナ、ボラなど多彩な魚を釣ることができます。

 釣り場での骨伝導体験は、純粋にレジャーとしての釣りをより楽しめることと、利便性を併せ持つことになります。そこで登場なのが骨伝導サングラスGL42です。Bluetooth機能を搭載している携帯電話と接続すれば、サングラスをかけたままハンズフリー通話が可能になります。便利なのは自動切換機能が付いていることで、音楽を聴いている時に携帯電話に着信があった場合でも、自動的に音楽の音量を絞り、携帯電話につながります。
 まさに釣りのときには最適な製品です。

          ⇒ 釣りに最適な骨伝導サングラス


 リンク先は、特許技術の骨伝導製品だけにこだわってきた「骨で聴く.com」http://honedekiku.com/ の骨伝導サングラスページです。このページは随分と久しぶりに完全リニューアルをしました。まだ詳細ページは未完成のところがありますが、とりあえず公開を開始しました。

 市原市の新鮮市場マルエイ海釣り公園は結構お勧めの釣り場ですので、新しくなった骨伝導サイトとともにぜひ訪れてみてください。

平田神社を骨で聴く

2012-11-09 12:33:02 | 骨で聴く巡礼旅

 平田篤胤を祀る平田神社に骨伝導機器とともに参拝です。
 平田篤胤は、1776年(安永5年)生まれの江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者です。出身は出羽久保田藩で、現在の秋田市になります。成人後は備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となりました。荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人の中の一人として位置付けられ、復古神道の大成者です。

 篤胤は独自の神学を打ち立て、国学に新たな流れをもたらしたことに特徴があります。
 人間の死後の魂の行方と救済を中心に据えつつ、仏教・儒教・道教・蘭学・キリスト教など、さまざまな宗教教義なども進んで研究分析しました。統合的な宗教研究は、ヨーロッパ発祥の宗教学と共通する部分もあるといえるでしょう。
 これは宗教だけに留まらず、西洋医学、ラテン語、暦学・易学・軍学などにも精通し、そのため学問体系は広範囲がゆえの不自然な融合を示すこともあり、複雑で錯綜した印象も抱くことになります。

 しかし篤胤の学説は有識者にのみ向けられたわけでなく、庶民大衆にも向けられたことで、大衆向けの大意ものを講談風に口述し、弟子達に筆記させていました。これを出版したことで、町人や一部の農民層の人々にも支持を得ることになりました。
 明治維新期には平田派は大きな影響力を持つことになりましたが、国家神道の形成によって、徐々に明治政府の中枢から排除されるようになっていきました。

 時代の流れを作ったのは事実で、何百人という弟子に対してを教育をし、その弟子たちが明治維新後に活躍し、近代日本の基礎をつくったのは大きな誇りといえるでしょう。



 平田神社は、新宿からも近い場所にあり、最寄り駅としては小田急線の「南新宿」となります。駅から北西に少し行ったところに位置し、完全な住宅街です。
 3階建てのビルの1階が神社と社務所になっていて、いかにも都会の神社といった雰囲気です。

 神社としては、明治初年に東京柳島横川町(現在の墨田区)に平田家邸内社として創祀されたのが最初で、その後、小石川第六天町(文京区)に遷座し、現在地には昭和34年11月に遷座されました。昭和62年には社殿を全面新築し、現在の姿になりました。

 御祭神の平田篤胤は日本近代化の「夜明け前」の先駆者となり、明治維新の原動力となった人物ですから、ここを参拝する際に、現代の最先端特許技術を駆使した骨伝導機器を使用するのは、何とも相性が良い感じがします。
 ただ米軍採用の骨伝導機器といえども、平田神社の周囲は都内でよく見かける平凡な住宅街で、耳だけでなく骨からも伝わる音声だけに限れば、ごくごく日常の延長空間のようです。驚異的な骨伝導パワーを体感しなれている人物ではなく、初めての人には、平田神社の近代日本構築のパワーと最先端骨伝導パワーの融合が、全身で感じ取れるかもしれません。

          ⇒ 日本の最先端骨伝導パワー

 古来から続く神と異なり、近代日本の礎を築く思想を広めた祭神として、この時代、改めてここに参拝する価値は十分にあるといえます。むしろ混沌とした「今」だからこそ、ぜひ参拝してみてください。
 できれば骨伝導機器を一緒に行ってください。

川俣締切跡を骨で聴く

2012-11-05 13:37:13 | 骨で聴く体験記

 秋風が冷気を山から平野へと運んでくるようになりました。
 埼玉県の羽生市は利根川に面しているせいか、川沿いはまさに「秋」の風を感じます。肌の温もりを奪っていく風ですが、大自然の偉大な営みをも感じ取ることができたりします。人間の存在なんて、自然の中ではごく小さな存在でしかないことを思い知ります。

 しかし大自然が形成した川の流れも、人間の手による大規模な工事によって大きく変わることもあります。それも現代ではなく、まだ機械化される以前にです。その代表格ともいうべきものが、羽生市の川俣締切跡です。

 川俣締切跡は、それまで分流していた利根川流路のうち会の川筋を締め切った跡です。時代文禄3年(1594年)です。それまでの近世以前では、利根川は、武蔵・下野の二つの国境を南へ流れていまて、最終的に現在の東京湾に注いでいました。現在では、千葉県と茨城県の県境を東側に流れていて、最終的に銚子市から太平洋に注いでいます。かなり流路が異なります。この現在の流路こそ、利根川東遷事業と呼ばれる近世前期の大規模な流路変更と河川改修によって付け替えられたものなのです。

 埼玉県内には、他にも荒川・利根川分離や、荒川の流路変更などもあります。また、見沼干拓などの大規模な治水事業もあり、江戸時代から活発に行われていたことがわかります。埼玉県内の平野部では、大宮台地とよばれるエリアをのぞくと、ほとんどが低湿地帯だったことから、治水事業は重要な事業であったわけです。

 自然を相手にした大規模な事業は、文明の中で人々の快適な生活へと様相を変化させることにつながります。実は高齢化にともなう難聴についても同様のことがいえ、骨伝導技術の果たす役割も治水事業と同じく人々の悩みを解決する手段となります。ただ技術の進歩も直線的なものばかりでなく、まがい物技術も横行したりするのが一般的です。
 骨伝導の特許技術は、米軍にも採用された世界的な技術ですが、残念ながらそこまでの特許技術が知名度も普及度も必ずしもナンバーワンとは限りません。軍隊をはじめとした特殊な世界では圧倒的な強さを持つ製品も、一般の方向けとなるとマイナーな存在になってしまうことに、少し違和感を抱きます。

 羽生市の川沿いで、冷たい空気に触れながら世界的な骨伝導技術の一般向け普及に思いをはせ、この秋の風とともに川俣締切跡を骨で聴きます。耳だけでなく骨伝導で脳へと伝わる音の世界には、これからの進むべき音楽が奏でられているようです。

          ⇒ 世界的な特許技術だけを使った骨伝導専門店



野川公園を骨で聴く

2012-11-02 12:58:13 | 骨で聴く癒しの世界

 東京都の都立公園で、調布市、小金井市、三鷹市の三つの市にまたがる広大な緑の空間が野川公園です。野川公園は北側を東西に東八道路が横切っていて、東八道路より北側のエリアに野川が西から東に流れています。この川は野川公園の東端近くにいくと、東八道路と交差するようになっています。この緑の川で展開される癒し空間へと、骨伝導ヘッドセットとともに出かけました。

 ここは国際基督教大学(ICU)所有のゴルフ場だった場所です。特徴的なのは、かなりの面積の芝生が樹林に広がる風景と、湧き水が多く注ぐ野川の清流です。それでも公園としては、テニスコート、デイキャンプ場、バーベキュー場、わんぱく広場、アスレチック場まで備えています。

 古来より続く武蔵野の森と芝生のコントラストは、都内の公園の中でもダントツの風景といえます。実際にここに立ったときの開放感は素晴らしいものがあります。周辺の音声を骨伝導を使って聴くことで、この空間の奥行きまで感じられます。

 しかし、調べてみると、ゴルフ場時代に多量の農薬を散布していたことが原因で、開園直後は生息する生物相が貧弱であったようです。本当の自然環境に戻るのには歳月がかかったという事実は、現代生活での自然と公園のあり方を考えさせられます。

 東八道路を挟んで北側のエリアは、何といっても野川の魅力を感じます。川の北側には池が3つ規則的に並んでいます。ただしこのエリアは、フェンスで囲われています。ゲートから出入りする自然観察路となっているので、ちょっとした有料エリアに入った気分です。

 米軍で採用された最先端の特許技術を駆使した骨伝導機器ですが、こんな癒し空間の公園では、騒音対策も難聴対策も関係なくただ純粋に耳だけでなく骨からも伝わる周囲の音声を感じることで十分です。脳波をシータ波にし、癒しを助長される雰囲気が溜まりません。

          ⇒ 驚異の骨伝導特許技術パワー炸裂!

 国分寺崖線に接し、湧き水が流れ込む野川、樹木に囲まれ、起伏のある芝生広場。広々とした広場。緑の空間とのんびりとした時間の流れを感じながら、骨伝導の驚異的なパワーを感じつつ癒しの時間をおくれるのは、東京のオアシス・野川公園かもしれません。