骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

柳森神社を骨で聴く

2012-03-30 10:32:53 | 骨で聴く巡礼旅

 東京というよりも日本の代表的な街となった秋葉(あきば)・アキバ・AKIBAの略称を持つ秋葉原ですが、サブカルチャーの聖地とは別に隠れた穴場があります。骨伝導とともに巡礼する神社も秋葉原駅徒歩5分程度の場所にあったのです。
 それが「おたぬき様」の柳森神社です。

 秋葉原駅の電気街口から山手線・京浜東北線の在来線と東北・上越・長野等の各新幹線の走る路線沿いに南へ向かうと、神田川に出ます。ここに神田ふれあい橋があり、渡って左側に柳森神社は現れます。
 駅からは近いものの神田川を渡ったことで、秋葉原のイメージとは異なる雰囲気になります。下町らしい風情もあるものの、周辺はマンションをはじめ、多くのビルが林立しています。電気街では喧騒が続く空間でしたから、騒音対策としての骨伝導が有効なエリアでしたが、神田川を渡ると骨伝導の役割は、全く異なります。それだけ静かです。

           ⇒ 米軍の爆音でも通話可能は骨伝導


 さて、柳森神社ですが、室町時代の長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城の鬼門除けとして数多くの柳の木を植えた際に江戸の鎮守として祀られたという由来があります。しかし建てられた当時は現在地の対岸、外神田側にあったようです。現在の神田川の流れは江戸時代からのものですから、創建当時、ここに川があったのかどうかはわかりません。もしあったとしたら、神田川ではなく上野不忍池方面からの流れだったかもしれません。

 境内は道路より低い場所にあります。社務所の2階が路面の高さと同じです。道路からは階段で降ります。

 まず注目医すべきはたぬきの像で、「おたぬき様」と呼ばれています。
「たぬき」=「他抜き」とかけて、他に抜きんでるという意味から勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるとされています。何とも日本的で好感の持てる内容です。

 境内の先には神田川、その先には世界に誇る秋葉原の中心部がありますが、境内からは秋葉原の喧騒は全く感じられません。最先端の骨伝導もここでは癒しの道具になりそうです。

 狭い境内なので木々が茂っているのもごくわずかです。しかしこの地域のことを考えると、これほど新鮮な風景はないかもしれません。境内も土があることがこの周辺では貴重です。



 本殿前には福寿社の社があり、これは徳川5代将軍・綱吉の母である桂昌門院が崇拝していたものを移したといわれています。ここに「おたぬき様」があります。本殿でも参拝を終え、帰路につくときに再び「おたぬき様」に骨伝導の今後をお願いします。

 ちなみに鳥居から階段を下りた場所にベンチがあります。喫煙も可能なようです。秋葉原の街からここまで足を伸ばし、ここで一服、というのもなかなかのものだといえます。

浜松町駅を骨で聴く

2012-03-29 14:17:49 | 骨で聴く鉄道駅

 骨伝導機器とともに鉄道関連の施設、特に駅を取り上げるのは、不定期にありました。しかも話題にする駅の統一性の無さは格別で、全く基準がないのが特徴ともいえます。今回も基準なしで浜松町駅を骨で「聴く」ことにします。

 東京都港区海岸一丁目という所在地にあるのがJR東日本の浜松町駅で、浜松町二丁目に東京モノレールの浜松町駅があります。JR東日本の路線は、一般的には「山手線」と「京浜東北線」になりますが、正式な線路名称上は東海道本線の1路線だけです。「京浜東北線」は、日本の首都圏のJR電車特定区間につけられる「愛称」になっていて正式な路線名ではありません。また浜松町駅は、特定都区市内制度による「東京都区内」と「東京山手線内」に属する駅となり、山手線と京浜東北線が停車する駅で間違いないし、旅客案内で「東海道線」とも案内されていません。

 3・4番線ホームの山手線外回り・京浜東北線南行ホーム田町寄りに「小便小僧」があります。都心の駅でなかなかユニークな存在です。

 羽田に向かうモノレールの乗り換え駅のイメージは強いのですが、浜松町駅周辺は大企業だけでなく中小企業まで含めた数多くのオフィスが建ち並んでいます。まさに都内有数のオフィス街といえます。西側に世界貿易センタービル、北側には汐留シオサイトの南の玄関口、等々があり、ビジネス街の様相はさらに増大しているエリアで、乗降客も増加傾向だといいます。

 羽田への入口という要素から「空の玄関口」ともいえますが、実は伊豆諸島や小笠原諸島へ向かう定期船の出港地・竹芝桟橋、水上バスや海上バスの出港地・日の出桟橋へも徒歩でいける距離にあります。そういう意味では「空と海」の玄関口といえます。

 そんな浜松町駅は都心の雑踏が奏でる音で溢れています。骨伝導と携帯電話のセットが通話を快適にします。米軍の爆音に耐える通話技術が骨伝導です。ただし特許技術の製品だけがオススメです。

          ⇒ 米軍採用の技術・骨伝導製品

 山手線沿線の駅は、まだまだ取り上げた数が多くないので、これからも積極的に骨伝導の活躍の場を見出していきたいと思います。

多摩六都科学館を骨で聴く

2012-03-28 16:50:19 | 骨で聴く体験記

 多摩北部地域の小平・東村山・田無・保谷・清瀬・東久留米の6市が共同で開館した施設です。施設名の「多摩六都」とは、上記の6市を意味しますが、開館当時は1994年で、田無市と保谷市が合併して西東京市になる前でした。しかし現在でも名称は変わっていません。
 以前に取り上げたスカイタワー(通称・田無タワー)のすぐ近くにあります。

          ⇒ スカイタワー西東京を骨で聴

 まず注目なのは、直径27.5メートルの傾斜型ドーム「サイエンスエッグ」です。開館当時は東洋一のプラネタリウムだったといいます。現在でも世界最大級であることは間違いなく、一度訪れる価値は十分にあります。
 プラネタリウムだけでなく他の展示室も充実していて、「宇宙の科学」「生命の科学」「生活の科学」「地域の科学」「地球の科学」等があります。それそれの展示室を楽しみながら順路に従って進んでいくのは、それだけでワクワクさせてくれます。幼少の頃に戻った気分で楽しめます。それだけ好奇心を満足させる配置です。
 ちなみに2004年からは館長に元・NHKスペシャル番組チーフプロデューサー、元NHK解説委員の高柳雄一氏が就任したようです。

 骨伝導機器も最先端科学がもたらしたものです。
 米軍で採用された特許技術は、戦場の爆音の中でも「通話」を可能にしました。宇宙での活躍も今後、期待が持てる技術です。科学をテーマにした各展示室の音や周囲の声を耳ではなく骨で聴き、そんな可能性を夢想するのも悪くありません。

          ⇒ 最先端特許技術の骨伝導専門サイト

 新青梅街道から少し入った場所にある多摩六都科学館は、通りがかりに存在を知る施設ではありません。知る人ぞ知る施設といえます。骨伝導とともにぜひ立ち寄ることをお薦めします。

立石熊野神社を骨で聴く

2012-03-27 10:35:28 | 骨で聴く巡礼旅

 東京で唯一・安倍晴明ゆかりの神社として知る人ぞ知る熊野神社に、骨伝導とともに参拝に出かけました。葛飾区の立石にあります。

 旧立石村の鎮守ですが、やはり鳥居の下に見える神紋が際立ちます。五角形の中に八咫烏です。
 八咫烏は3本足で、神武天皇が熊野から大和へ向かう途路、険悪な参道で道に迷った時、アマテラスオオミカミが夢に現れ、八咫烏を先導にしたと伝えられるものです。神のお使いの鳥です。

 社伝によれば、長保年間(999-1003)に安倍晴明が五行にかたどり 三十間五角の地を相し、紀伊国熊野三社権現を勧請したものだといいます。江戸時代には三代将軍・徳川家光が鷹狩りの途次参詣して後、歴代将軍の参詣があったとされます。八代将軍・吉宗以降では御膳所としてこの熊野神社に休息することが通例となったようです。その度ごとに金鳥の御符と守り札を献じたいわれます。

 この神社の境内は、五角形の形をしているようですが、現代ではなかなか実感できるものではありません。それでも陰陽道の五行説に基づいて木・火・土・金・水に象どっているということで、参拝に来ただけで何だかパワーを感じそうです。

 

 境内の「遊楽園」にそびえる五重塔は銅製では日本一高いとされます。ただ、塀に囲われていて入り口は閉ざされています。今回は目にすることはありませんでした。

 決して目立つ神社ではありませんが、陰陽道の結界が張られた地に、最先端技術の骨伝導とともに訪れるのは何とも興味深いものです。米軍で採用された爆音に耐える通話技術と、古来から続く安倍晴明の意思が交差し、より大きなパーワーが生まれそうです。

          ⇒ 最先端特許技術の骨伝導製品

 隠れた穴場の神社です。ぜひ一度参拝に訪れてみてはいかがでしょう?

武蔵境珍々亭を骨で聴く

2012-03-26 10:40:19 | 骨で聴くビジネス

 東京の隠れた名物である「油そば」。
 その発祥は不明である、というのが正確な表現かもしれません。と、いうもの、油そばの発祥については各説があり、今や伝説化してしまった部分があるからです。例えば、国立市の「三幸」は、一橋大学のそばに1952年に創業しましたが、昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したという説があります。しかし武蔵野地域で圧倒的に信じられているのは、1958年(昭和33年)に亜細亜大学近くの「珍々亭」(1954年創業)で誕生したというものです。現在では、油そばの店として伝統を誇っているのは、小金井市の「宝華」、武蔵野市の「ぶぶか」があり、東京の北多摩・武蔵野地域が発祥なのは間違いないといえます。

 このエリアに長く住んでいた者にとって、その中でも「珍々亭」は格別な思い入れがあります。
 今回は久しぶりに珍々亭へ骨伝導機器とともに訪れました。

 昼の時間を過ぎていたのに、店内は大繁盛でした。店の前に行列もありました、その列が途切れたごくわずかな瞬間に撮影したのが上の写真です。
 亜細亜大学に近いとはいうものの、どの駅からも決して近いとはいえない場所に店舗はあります。武蔵野市のムーバスで、 境西循環(5号路線)の都営境五丁目アパート停留所が最寄りです。大昔はこの前の道路はとてもローカルでした。改めて懐かしさを感じます。

 さて、店内で食べる油そばですが、やはり普通のラーメンと異なるせいかい発する音が違います。骨伝導を使って聴こえるのも、微妙に異なります。耳を使わず骨で聴く油そばの音は、スープがないだけあって、焼きそばを食べているときの音のようです。ただ、脳波をシータ波に誘導しやすい骨伝導だけあって、これを「美味しい」と感じた人は、ますますはまりそうです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 武蔵野市の一角に昔からある珍々亭は、周辺が変化しても油そばを守り抜いています。なんだか幸せな気分になります。

杉並児童交通公園を骨で聴く

2012-03-21 10:42:01 | 骨で聴く体験記

 杉並区を流れる善福寺川沿いには、緑地が広がり大きな公園になっています。川に沿っての公園なので長細いものですが、実はこここそ、隠れた穴場なのです。大宮八幡宮もありますし、古墳もあります。

          ⇒ 大宮八幡宮を骨で聴く

 今回は善福寺川に面していて、野球場の隣の高台になった場所にある「杉並児童交通公園」に骨伝導ヘッドセットとともに出かけました。

 園内に入って最初に目につくのは、一直線に伸びたメインストリートです。途中に交通公園らしく信号機のある交差点もあります。左右にはケヤキの並木が立ち、中央にはサツキツツジの分離帯があります。子供たちが実際の街中を感じられるように演出されているようです。

 正面の突き当たりは、赤レンガ造りの「ミニ東京駅」があり、その先は善福寺川です。周囲は縦横にめぐるアスファルトの道があり、公園で無料で借りられる自転車や足踏式ゴーカートで走行できます。サイクリングを楽しみながら交通ルールを学ぶことができるというものです。

 D51機関車が展示してある場所は「すぎなみえき」になっています。これもなかなかの演出です。



 交差点には横断歩道も描かれ、信号機も街中と同じように機能しています。
 子供達のはしゃぐ声が響きます。楽しそうな声だけでなく、少し緊張した面持ちから発する声もあります。自転車や足踏式ゴーカートの走行音もあります。

 子供達の歓声を骨伝導を使って「骨」で聴けば、耳から聞こえる周囲の音と混ざり、何とも微笑ましい雰囲気が助長されます。逆に高齢者で耳が遠くなった人も、ここで骨伝導を体感するのは最適といえるでしょう。

          ⇒ 難聴者の気軽なアイテム「骨伝導」

 この交通公園は幼児の遊び場もあります。そこからも歓声が聞こえてきます。
 道路で区切られ「島」になっている広場に、パーゴラ・砂場・ブランコなどがあるのです。

「善福寺川緑地子どもサイクリング道」にも出られるようになっていて、ミニ東京駅の左側から川沿いに進むこともできます。このサイクリング道の長さは1,300メートルです。公園内の気距離が1,100メートルありますから、サイクリングコースとしては全長2,400メートルになります。



 骨伝導を体験し、子供達の声を満喫したあと、帰りがけにさらなる癒しを求めて公園を散策するのも格別です。

鑁阿寺を骨で聴く

2012-03-19 10:41:08 | 骨で聴く巡礼旅

 平成の大師の道である関東八十八ヵ所の第16番札所であり、真言宗大日派の本山である鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市にあります。室町幕府の「足利氏宅跡」であり、国の史跡に指定されています。幻の情報誌『弘法倶楽部』創刊号の表紙も、この境内ある弘法大師像でした。

          ⇒ 弘法大師像を骨で聴く(鑁阿寺)
          ⇒ 足利尊氏を骨で聴く

 単独で取り上げなかったので、以前の画像を見ながら「骨で聴く」ことにしました。懐かしいという感情が、春を目前に控えて刺激されたようです。骨伝導ヘッドセットによって、好きなBGMを耳ではなく骨で堪能し、全身から懐かしい寺院へと入り込んでいきます。

          ⇒ 骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」
          ⇒ WEBで復活! 弘法倶楽部

 足利市民から「大日様」とよばれ親しまれている古刹が鑁阿寺ですが、「大日様」とよばれるのは、大日如来を本尊とするからです。
 足利市民にとっては初詣はもちろんのこと、節分の鎧年越、大祭等々、なにかにつけてお参りする、日常空間の「心」のより所となっている寺だともいえます。関東八十八ヵ所では、群馬県の発心の霊場から栃木県の修行の霊場に入って最初の札所になります。
 正確には金剛山仁王院法華坊鑁阿寺といい、創建当初は高野山、次に醍醐寺の末寺、そして長谷寺の直末を経て、昭和26年に独立しました。従って現在は真言宗大日派の本山になったというわけです。



 足利市街の中心にあり、隣には最古の学校跡で知られる足利学校もあります。まさに足利観光の中心地です。
 鎌倉から南北朝時代の主役を担った足利氏ですが、ここはその氏寺として栄えました。大きな災火にも遇わず、本堂・鐘楼・一切経堂は創建当時のまま残っています。国の重要文化財です。足利氏の館であったことから、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されているのも特徴です。ちなみに足利氏館として2006年(平成18年)日本100名城に選定されました。

 寺院としての鑁阿寺は、源姓足利氏2代目の足利義兼が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。3代目の足利義氏になって堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺となりました。



 弘法大師に拘り、関東八十八ヵ所霊場と提携して、西へ東へと走り回った頃が蘇ってきます。また、改めて訪れたい寺院です。

越生駅を骨で聴く

2012-03-16 10:52:05 | 骨で聴く鉄道駅

 JR八高線と東武越生線の接続駅・越生駅は、以前に謎のピラミッド・弘法山関連に登場したものの、単独では取り上げなかったので、改めて骨伝導とともに越生駅を「聴く」ことにします。
 温泉紀行ライターが貧乏旅行したときの記事をまず引用しましょう。

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 越生駅はJR八高線と東武越生線の終点が交わるので、駅自体は東武とJRの共有である。ただ、越生線各駅の鉄筋の駅舎が東京通勤圏の東武線然としたものだったのに対して、この越生駅は木造の趣ある駅舎であり、東武色はまったく感じられない。

 まぎれもない“ハチコウ”のイメージである。

 東武線は殆どの場合、東京の主要都市に直通の電車が走っており(越生線は坂戸乗り換えになるが)本数も多い。成りゆき東京近郊のドーナッツ現象に従い沿線はかなり先っぽの方まで通勤圏となり宅地化が進む。

 一方八高線沿線はというと?
 電化された高麗川までと比べ、その先の非電化区間では本数が極端に減る。当然、沿線は宅地化もおこなわれず田んぼや畑ののどかな風景がそのままということになる。実際に越生駅からわずか半径2キロ以内の中で比しても、八高沿線と東武沿線ではまったく風景が違うのである。これがいいのか悪いのか自分には分からない。ただ“いい”“悪い”の問題ではなく、結果的に越生の町にも趣のある古い街並みが残っているのは事実である。

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 JR・東武それぞれに島式ホーム1面2線を有するものの、駅舎・改札は両社で共用でJR東日本の直営駅で、小規模なものです。そのせいかJR所有の簡易Suica改札機が設置され、自動券売機もJR仕様です。跨線橋上にはJRと東武線の連絡用の簡易ICカード改札機も設置されています。

 乗降客数はやはり東武の方が多く、JRが「乗車人員」、東武が「乗降人員」のデータですが、JRが1日平均乗車人員は741人に対して、東武は1日平均乗降人員は4,221人です。

 基本的にはのどかな駅で、都会や工事現場等々の騒音対策として活躍する骨伝導の側面より、地元の方々の難聴対策としての骨伝導が活かされる場所といえます。

          ⇒ 様々な場面で活用される特許技術・骨伝導

 ちなみに越生線の前身は越生鉄道で、本社を東京府東京市本所区の東武鉄道本社内に置き、初代取締役社長は東武鉄道専務取締役の吉野伝冶が就任したものです。その後、東武鉄道に合併することとなり、東武鉄道越生線として鉄道運輸営業を継承しました。

 こんな路線を旅して、越生駅を目的なく訪れるのは、ある意味、贅沢なことかもしれません。

青山梅窓院を骨で聴く

2012-03-15 10:55:42 | 骨で聴く巡礼旅

 久しぶりに東京・青山に骨伝導巡礼です。

 【過去の青山・骨伝導巡礼地】

     → 青山高徳寺を骨で聴く
     → 青山熊野神社を骨で聴く
     → 青山持法寺を骨で聴く
     → 青山海蔵寺を骨で聴く
     → 青山霊園を骨で聴く
     → 青山三河稲荷神社を骨で聴く

 おしゃれな街として知られる青山ですが、喧騒と雑踏のすぐ外側に参拝したい神社仏閣が多くあります。騒音対策としての骨伝導の機能と、荘厳な巡礼地で脳波をシータ波に誘う隠れた効果が、一体化して活躍できる場所です。

     → 騒音対策と脳波との関係から骨伝導の魅力ある製品を探す

 さて、今回訪れたのは青山通り沿いで、地下鉄の外苑前駅の出口横にある梅窓院です。寛永20年(1643年)に、徳川家康以来の家臣、老中・青山大蔵少輔幸成が逝去の時、 青山公の下屋敷内に13,247坪の地を画して側室を大檀越として建立されたのが始まりといいます。
 開山は戴蓮社頂譽上人冠中南龍和尚で、浄土宗の大本山・増上寺12世、中興普光観智国師を勧請して開山祖としました。以後、 青山家の菩提寺として歴代の当主13代の霊をお祀りしています。

 梅窓院墓苑内には、その他、シーボルトの弟子として蘭学を学んだ竹内玄同、赤帽・赤服・赤塗りの馬車に乗り「天狗煙草」を売ったと言う明治時代の奇商・岩谷松平の墓もあります。興味深いのは、江戸時代に幕府の法に反して建立されたキリシタン燈籠まであることです。

 現代的で青山の地にふさわしい華麗さまで持ち合わせた梅窓院は、巡礼地としての神秘性はありませんが、ぜひとも一度は訪れる価値のある寺院です。

 青山通りの喧騒は骨伝導の威力でブロックし、気持ちの良い参道を通って境内に踏み入れると、そこはまさに異空間が漂います。ここで再び骨伝導が活躍します。
 

諏訪大社上社本宮を骨で聴く

2012-03-12 10:51:14 | 骨で聴く巡礼旅

 幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式の諏訪大社上社本宮、骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。同じ諏訪大社の上社でも、前宮とはまったく異なる雰囲気が漂っています。

          ⇒ 諏訪大社上社前宮を骨で聴く

 さすがに本宮は観光名所らしい土産物屋や大型バスの姿を多く見かけ、規模も前宮とは比較にならないほどです。

 JR中央線上諏訪駅から東南へ約6kmのい位置で、中央自動車道の諏訪インターチェンジからも非常に行きやすい場所に鎮座しています。交通至便であるにも関わらず、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれているのは、さすがに聖地だけのことはあります。

 参拝の順路に従って、日本最古の神社のひとつである諏訪大社を堪能しつつ、拝殿へと向かうのは、形式的な日本の美にも共通するものを感じます。そして諏訪造とよばれる幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独自配置を目にします。参道から見ると本道が横に向いていることになり、どこか異質な気分になります。他の神社では経験できない異空間を感じます。耳ではなく骨で聴く、骨伝導を初めて体験したとき感覚に似ているかもしれません。

          ⇒ 驚異の骨伝導

 パワースポットでもある諏訪大社ですが、この異質な神社の様式が醸し出す雰囲気は大きく影響しているようです。初めて訪れる人は、どこか異質な様式と独特の雰囲気を全身で感じ、見えないパワーを受けているのもかもしれません。



 前宮の神秘的な雰囲気と異なり、本宮にはそんな総合的なパワーが宿っているのかもしれません。骨伝導との相性が良いのも言わずもがなです。
 

元神明宮・天祖神社を骨で聴く

2012-03-08 20:32:04 | 骨で聴く巡礼旅

 平安時代の寛弘2年(1005年)、一条天皇の勅命により創建された元神明宮は都営地下鉄大江戸線の赤羽橋駅にほど近い場所に鎮座しています。港区三田の住所です。目の前が坂で境内の左側には東京タワーが見え隠れします。まさに都会的な神社で、「日本一近代的」とも形容されます。
 いつものように骨伝導ヘッドセットとともに参拝に向かいました。

 渡辺綱の産土神でもあり、多くの武人に崇敬を受けた元神明宮は、江戸に入府した徳川家の命により神宝・御神体が飯倉神明(現在の芝大神宮)に移される際、氏子・崇敬者の熱意により境内に御神体だけは渡せないと隠し留め、昼夜警護して守ったという伝説が残ります。以来、元神明宮と称されるようになったようです。

 境内には、安産の神、水の神として崇拝されている水天宮が祀られ、この水天宮は、文政元年(1818年)、隣接する有馬藩邸内に、邸内社として領地の九州久留米水天宮から分祀されましたが、明治元年に有馬邸が青山に移転することになり、この地に御分霊を奉斎致したというものです。

 都心の神社ということで、大正の関東大震災や昭和の東京大空襲等、多くの災厄に襲われました。その度に氏子・崇敬者の人々を守ったということで、現在では厄除けの神社として地元だけでなく全国の方々より崇拝されるようになりました。
 それ以外にも、穀物の神である宇迦之御魂神(稲荷神社)を奉斎しています。

 元神明宮は目の前の坂側からは、天祖神社という文字が見えます。港区三田の閑静な一角に、その文字は荘厳な雰囲気を醸し出し、周辺地域の喧騒をかき消しているようです。




 歴史的な風格のある神社ですが、旧御社殿の老朽化に伴い全面的な改築を行い、平成6年に現在の近代的な御社殿が完成しました。平成17年(2005年)には御鎮座壱千年の記念事業を行いました。

 喧騒と静寂、歴史と近代化というそれぞれの相反する要素に、骨伝導の最新機器が加わり、参拝に重みが出るようです。

          ⇒ 最先端技術の骨伝導製品

 江戸から続く庶民の信仰に、米軍で採用された骨伝導の威力の対比も、都会の神社巡礼には欠かせないmのとなりました。ここではまさに実感させられます。

新橋演舞場を骨で聴く

2012-03-07 13:13:32 | 骨で聴く体験記

 新橋演舞場の新築開場は大正14年4月です。
 歴史を感じさせる年号ではありますが、実は当時、京都や大阪には立派な演舞場や歌舞練場があるのに対して、東京にはなくて残念だという思いが、新橋演舞場の出発点だったのです。川村徳太郎(芸者屋屋号森川家)が発案し、、五業組合の協賛のもとに資本金200万円の新橋演舞場株式会社が設立されました。

 銀座と築地に近く、首都高速都心環状線もすぐそばを通る場所にある新橋演舞場ですが、演舞場が建設される以前は、狭い川に面した荒れ果てた空き地だったようです。まさに閑散とした僻地のような場所で、草木も鬱蒼と茂り、夜になれば通行人など皆無というような不気味な場所だったといいます。今では想像もできない光景ですが、そんな僻地に定員1,679人、三階建ての立派な劇場が建てられました。

 着工途中では関東大震災にも遭遇しましたが、20ヶ月にわたる全工事を完了し無事に開場にこぎつけました。

 春秋二季に「東をどり」を主に公演していましが、昭和15年には松竹株式会社と興行契約を結んだことで、松竹が興行面を受け持つことになりました。歌舞伎、新派、新喜劇、新国劇、前進座を演舞場のカラーとして定着させていきました。

 太平洋戦争で焼失しましたが、昭和23年には復興され、昭和57年に新装されたのが現在の演舞場です。平成22年からは歌舞伎座が改築工事に入った為、歌舞伎本公演がメインになりました。

 劇場というとどうしても難聴の方は、「聴こえない」ということで敬遠しがちになります。そこで気軽に使える骨伝導機器の利用が大きな意味を持つことになります。骨伝導「きくちゃん」です。

          ⇒ 骨伝導最先端機器はこちら

 赤外線を使ったワイヤレスの骨伝導機器などは、劇場単位で取り入れた場所もあります。気軽に持っていくなら通常の骨伝導「きくちゃん」でも威力は発揮できます。音響のいい新橋演舞場で骨伝導の威力を体感するのも、また一味異なる感激があるかもしれません。

大安楽寺を骨で聴く

2012-03-05 21:27:37 | 骨で聴く巡礼旅

 江戸情緒を満喫する骨伝導巡礼で、「江戸三十三観音」第五番札所の大安楽寺に行きました。
「江戸三十三観音」は東京都内にある33箇所の観音札所です。江戸時代に西国三十三箇所や坂東三十三箇所などの観音霊場巡礼が流行した際、各地で新たな札所が設けられた「写し巡礼」のひとつでです。
「江戸砂子拾遺」に元禄年間に設定されたと記されています。しかい現在の札所は当時と変更されていて、1976年(昭和51年)に改訂された「昭和新撰 江戸三十三観音札所」です。

 さて、訪れた大安楽寺ですが、山号は新高野山、本尊は十一面観世音菩薩という高野山真言宗の準別格本山です。場所は東京メトロ・地下鉄「小伝馬町」駅の上です。そのせいか交通の往来が多く、喧騒の中から一歩入った場所になり、騒音対策としての骨伝導が充分に活かせる立地です。巡礼のお供には最適です。

          ⇒ 騒音対策! 快適な携帯電話の通話には骨伝導

 江戸時代は、現代では想像もつかないような場所でした。小伝馬町牢屋敷があった場所に建っているのです。牢屋敷跡だった当地に誰も住み着かず、明治15年に大倉喜八郎と安田善次郎が寄進して、創建されたといわれます。
 では小伝馬町牢屋敷とは、と言うと、天正年間(1573~92)に常盤橋外に牢屋ができ、それが慶長年間(1596~1615)に小伝馬町に移されたもののようです。江戸時代を通じて、小伝馬町ありましたが、明治8年(1875年)に市ヶ谷監獄が設置され、その役目を終えました。

 江戸時代の刑罰は死刑と追放刑が中心で、懲役刑がなかったことから、牢屋敷は現代の刑務所とは異なり、刑が決まるまでの一時的な収容所でした。いわゆる拘置所が相当します。

 小伝馬町牢屋敷は広く、約2、700坪もあったといいます。しかも町家のなかにあり、周囲を練塀で巡らし、練塀の外側には堀まであったようです。

 現在では小伝馬町牢屋敷の大部分は、大安楽寺だけでなく十思公園や十思スクエアのエリアになっていて、十思というのは、明治時代にここの学区が第十四小区であったことに由来します。中国の宋の時代の歴史書「資治通鑑」の中にある「十思之疏」の十思の音が十四に通じるところから「十思小学校」と名づけられたようです。
 江戸の牢屋敷から宋の歴史書由来という名前、さらには準別格本山の大安楽寺、実に様々な混沌とした要素を持つ場所です。

 大安楽寺の塀に、「伝馬町牢処刑場跡」と書いてあることから、小伝馬町牢屋敷の刑場の跡に建立されたお寺であることがわかります。当然土地の値段も安かった場所で、明治の時代、一坪100円が相場の土地の値段が、ここだけは3円50銭だったといいます。
 現在ではここが処刑場の跡地であることは少なく、地下鉄の上に相当する場所ですから、それなりの土地の値段がすることでしょう。

 さて。骨伝導ヘッドセットを装着して大安楽寺のご本尊に参拝です。本尊は弘法大師・空海です。弘法倶楽部でおなじみですが、ここは残念ながら、ある程度の団体で参拝するようになっていて、一人での参拝ではご本尊に対面できないようです。

          ⇒ 弘法倶楽部

 都会の中の喧騒、牢屋敷、処刑場、中国・宋の歴史書、様々な情報が集約され、そして拡散するこの大安楽寺、ぜひ一度、骨伝導ヘッドセットとともに訪れてみてください。


泉岳寺を骨で聴く

2012-03-02 22:37:26 | 骨で聴く巡礼旅

 元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られる泉岳寺は、多くの参拝客が訪れるとともに観光名所にもなっています。日本人に根付いた江戸の事件の主役・赤穂浪士の眠る寺院は、現在では毎年4月初旬と12月14日に義士祭が催されています。境内には、赤穂浪士の墓の近くにゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」もあります。



 山門の前には大石内蔵助の銅像もあります。この銅像は浪曲の宗家である桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、最終的に泉岳寺に寄進されたものです。

 赤穂浪士を別にしても、格式のある曹洞宗の寺院で、東京では青松寺・総泉寺とともに江戸三箇寺の1つに数えられています。江戸三箇寺とは、江戸時代に関三刹の配下として江戸府内の曹洞宗の寺院を司った3箇所の寺院のことです。江戸僧録、江戸触頭ともいわれます。總泉寺を除く2箇寺は付属の学寮が発展し、曹洞宗大学つまり駒澤大学となったという歴史もあります。
 ちなみに曹洞宗の本山は二つあり、一つは道元禅師が開いた福井県の永平寺、もう一つは横浜の鶴見にある総持寺です。

 慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田(現在の警視庁の近く)に門庵宗関(今川義元の孫)を招いて創建しましたが。寛永18年(1641年)の寛永の大火で焼失してしまいます。そこで、徳川家光の命により、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名によって、現在の高輪に再建されたという歴史があります。



 浅野家と泉岳寺の付き合いは、いわば、このことによります。
 創建時より七堂伽藍を完備し、 諸国の僧侶200名近くが参学する叢林として名を馳せていました。

 あまりよくない逸話としては、藤田正著『「別れ」事例内なる赤穂浪士 : 江戸期武士集団の社会心理学的考察』によると、義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことで世間の批判が集まったということがあります。なんともいえないエピソードですが、結局、当時の住職があわててこれらの品を買い戻しに走ったようです。

 こんな泉岳寺は現在では品川駅に隣接する地下鉄の駅名にもなり、騒音が響く交通量の多い道路から少しだけ中に入った場所に寺院があります。騒音対策としての骨伝導が有効に作用する道路から、少しだけ江戸へタイムスリップした感覚を持って境内に入れます。骨伝導はここでは江戸時代の「声」を聴くための道具になったかのようです。耳ではなく骨で「聴く」骨伝導ヘッドセットだからこその感覚です。

          ⇒ 騒音対策と癒し効果の骨伝導

 難聴対策としてのイメージが強い骨伝導も、巡礼にはそれだけでない効果が期待されます。脳波をシータ波に導きやすいようで、歴史ある泉岳寺の境内では別の「声」が聴こえるような感覚を意識し、静粛な気持ちで参拝できました。

飯田橋駅を骨で聴く

2012-03-01 10:32:05 | 骨で聴く鉄道駅

 飯田橋駅は、東京都の千代田区・新宿区・文京区という三つの区にかかる駅で、JR東日本だけでなく、東京メトロ・都営地下鉄の駅もあります。この駅にいつものように骨伝導とともに降り立ちます。

 JRの駅に乗り入れている路線は、正確には中央本線ということになりますが、実際には緩行線を走る中央・総武線各駅停車だけが停車します。俗言う「黄色い電車」です。それに対し、地下鉄では2社局4路線と、かなり集中して乗り入れています。東西線、有楽町線、南北線、都営大江戸線です。
 そのせいか、地上の駅よりも地下のほうが、はるかに大きな駅の印象を持ちます。

 しかし、地下鉄の中で東西線のホームだけが目白通りの下に位置し、有楽町線と南北線のホームは外堀通りの地下です。位置的に、JRの駅を挟んで反対側になるため、徒歩5分程の距離があるとともに、乗り換えのためには、東西線と有楽町線・南北線の別改札を出る必要があります。
 大江戸線も他の地下鉄各線を避けるため、地下32.1mと非常に深い位置にある関係で、改札口からホームまでは徒歩で5分程度かかります。他の路線からの乗り換えはそれなりの時間を要します。ちなみに大江戸線の飯田橋駅は都営地下鉄の中で7番目に深い位置にホームがあるようです。

 雑踏は地下にこだまし、足音と喧騒に近いノイズも行きかいます。そんなとき携帯電話での通話は、周囲の音が、やはり気になります。こんな場面で米軍に採用された特許技術の骨伝導ヘッドセットが大いに重宝されます。

          ⇒ 特許技術の製品多数! 骨伝導専門店

 難聴対策としての骨伝導補聴器のイメージをお持ちの方も多いようですが、騒音対策でもずば抜けた性能を誇る骨伝導ヘッドセットは、やはり米軍に採用された特許技術だけです。
 飯田橋駅の乗換えで携帯電話をお使いの際は、ぜひ骨伝導を思い出してください。