山陰の冬は、暗いイメージがあります。喧騒に包まれ、骨伝道機器が必要なほどの人ごみと、季節感のない都会では、比較すること自体が愚かに感じられます。
そんな山陰地方の倉吉駅を基点として、歴史に彩られた暖かい温泉へと思いをめぐらせます。BGMは騒音対策ではなく、シータ波を誘導する意味で骨伝道サングラスGL42を使います。
⇒
倉吉駅を骨で聴く
⇒
骨伝道サングラスGL42
以前に幻の情報誌に掲載された温泉紀行ライターの文章を引用して、山陰の温泉旅情に浸ってみましょう。
-----------------------
関金温泉は千三百年の歴史があるが、最初に発見したのは行基である。
弘法大師ゆかりの温泉というと、弘法大師によってその歴史が始まったところが大部分を占めると思うが、ここは弘法大師により“再興”されたということになっている。
ただ温泉の歴史そのものは行基から始まっているものの、本当の意味で関金の地から湧いた湯が“関金温泉”になったのは弘法大師からではないか? という憶測も出てくる。その辺の基話(モトバナシ)も聞いてみたいものだと思った。
だらだら登る細い道の両側に民家や、みやげ物屋とも日用雑貨屋とも見つかぬような店が肩を寄せ合いたまに旅館が混じっている。
やはり観光温泉地というには生活的だ。
関東周辺で例えると群馬県の湯宿温泉に近い雰囲気。言ってみれば本当の湯治というのは半分生活なわけで、これが本来の湯治場のあるべき姿だと感じる。
温泉街もかなり奥まったところに共同浴場「関乃湯」がある。
外観は民家風の建物で玄関の上に「関の湯」の看板がかかっており、
まさに“湯小屋”という雰囲気。
明治34年以来の古くからの外湯で、自分もある程度の予備知識は持っていたが予想したとおりではあった。玄関戸はガタピシと開けるようなイメージがあったがサッシに変わっている。中に入るともっと予想と違った。
木の香りも新しいこじんまりした待合。番台にはニコニコ顔のおばさんが座っている。無人の湯小屋然とした想像が覆されてびっくり。聞くと、今年の九月に改装されたらしく、それ以前は私が予想したような感じがずっと続いていたらしい。おばさんにとっては本当に念願だったようで、実に嬉しそうに話してくれた。
入浴料200円也を払いソロリと入ると男女別に仕切られた清潔な脱衣場の奥に浴室がある。
浴室はこじんまりとしていて3~4人で一杯になる檜作りの湯船がある。
ここはさすがに自分本来のイメージ。
洗い場はない。
無人。
存分に湯を浴びた後ゆっくり湯船に身体を沈める。
ジャスト適温。
46度の源泉は無色透明、無味無臭。温度調整され懇懇と溢れ出している。もったいなきこと限りなし。初入湯の喜びと湯の快適さに浸りしばし瞑想。
泉質は三朝と同じ単純放射能泉。ラジウム自体には、匂いや色の要素はなく、入った感じは普通の単純泉のようだ。ただラジウムは湧出後ラドンとなって気化するので、浴室を密閉することにより吸入効果が得られるそうだ。特に肝臓病や痛風によいとのこと。
温泉の恩恵だと思われるが、この三朝、関金周辺は平均寿命が全国でも屈指だという。今もなおこのラジウムの恵みは、内外の湯治者を支えているようだ。
湯上りに番台のおばさんから話が聞けた。
ここは当初湯治目的で三朝に行っていた人が
「三朝の湯は熱すぎる」
とのことで移ってくるケースが結構多いらしい。
なるほど三朝はたしか源泉五十六度くらいで自分も相当熱かったと記憶する。三朝の湯も効能は確かなはずだが、これはまた別問題であろう。
ただ、せっかく移ってくる人がいてもその中心たる「関の湯」があまりにもボロでは‥‥、という苛立ちとも悔しさとも言える思いがあったようだ。
自分などはいたずらに改装や建替えで変っていくより、古くともそのまま歴史を証明していて欲しいとついつい思ってしまったりするが、実際に湯を守る当事者にとってはもっと現実的に立派であって欲しいと願うものなのだろう。
実際肝心の湯がしっかりしているのであれば、これは当たり前のことだなと改めて思う。おばさんの笑顔に同調し自分も多いに喜び、楽しい時間を過ごすことができた。
-----------------------
幻の情報誌掲載当時の原文を引用しました。これは2006年にこの「骨で聞く異世界」ブログが開始されるよりも前のものです。
懐かしく、そして新鮮でもあります。