日本最大規模の歓楽街・新宿の街の中心であり、新宿総鎮守として街の守り神として祀られているのが花園神社です。江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の街の守り神という歴史を誇っています。しかし創建は江戸時代より古いようで、詳しい由緒は不明ですが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在していたようです。大和国吉野山よりの勧請と伝えられています。
元々は現在地よりも約250メートル南にあったようで、寛政年間に朝倉筑後守の下屋敷の敷地内となったことにより参拝ができなくなり、氏子がその旨を幕府に訴え、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、遷座したといわれています。神社の由来となったのはことの時で、遷座した現在地が多くの花が咲き乱れていた花園の跡であったことのようです。その結果「花園稲荷神社」と呼ばれるようになり、またの名称として、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」ともよばれました。単純に地名からも「四谷追分稲荷」と呼ばれてもいたようでうす。
明治時代には村社となり、名称は単に「稲荷神社」となりました。しかし1916年(大正5年)に東京府知事に対し改名願を出し、許可されることになり、「花園稲荷神社」と正式に改称しました。
現在の「花園神社」に改められたのは郷社に昇格した1965年(昭和40年)で、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられたときです。末社・大鳥神社を本殿に合祀しました。
神社としては参拝者が集まるだけでなく、敷地内で各種劇団による催し物などが定期的に開かれたりすることで、新宿の街の文化の一翼も担いっている事により、大勢の人々が訪れます。堂々とした存在感の朱塗りの鮮やかな社殿も、花園神社のシンボル的存在とともに、参拝客だけでなく休憩場所や待ち合わせ場所として使われています。従って閑静な神社の聖域という雰囲気は一切なく、花園神社に人影が途絶える事がないほどです。
骨伝導ヘッドセットとともに巡礼する旅も、花園神社では異質なものになります。別に「神様の声」を骨伝導で「聴く」わけではありませんが、周囲の静寂な中でもかすかに伝わる音声を耳だけでなく骨からも伝えることで、骨伝導特有のシータ波状態となり、癒し効果をアップさせることが可能といえます。それを体感するための骨伝導巡礼ともいえるわけで、ある意味ではパワースポットであろうが、歴史的神社仏閣であろうが骨伝導の活躍用途はこれに集約されるともいえます。
しかし花園神社の場合は、他の聖域と異なり、新宿の街の文化であり、庶民の集まる場所であることから、むしろ街中での騒音対策としての機能を骨伝導が担えます。騒音の激しい工場の中、工事現場、電車のガード下のような場所でも、明瞭に「聴く」ことのできる特許技術がここで活かされます。
活気ある新宿の花園神社では、骨伝導機器についても文明と都会型の使用が中心となって、その驚異的な効果を堪能できそうです。
⇒ 驚異的性能を堪能できる骨伝導製品
新宿区内の神社仏閣は今までにも取り上げてきましたが、中心的な存在である花園神社については、やはり特別扱いです。個人的な思いでも多く詰まった身近な神社をようやく骨で「聴く」ことにしたのは、ある意味で大きな転換点にきていることを感じたからかもしれません。